川端康成総合スレ2@文学板
石器時代に、川端研究会に出てみたことがあるんだけど、
学内の論文発表いたいなもんだった。
外国人も参加していて、あたたかく見守られている感じ(笑)
ちょっとした文化の違いも体験できたり。
一度くらいはのぞいてみるのも一興。 【道に迷ったとき】『日本人のすごい名言』D川端康成「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」
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川端康成「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」名言年齢:89歳
短編集『僕の標本室』(川端康成・著 新潮社)所収「一人の幸福」より
※名言が発表された年を「生まれた」年として、2019年現在何歳になるのかを示しています。
誰しも幸せに生きたいという願いを持っています。ただし、どういう状態をもって幸福と感じるかは人それぞれです。その人の幸福の基準、幸福観によって、似たような状況でも幸せと感じるか不幸と感じるかは変わるでしょう。
「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば、自分の幸福なのだ」は、川端康成の短編小説「一人の幸福」に出てくる言葉です。
小説に出てくる「彼」は、決して成就しないとわかっている恋の相手である勝子に、不幸な境遇の弟がいることを知ります。そして、その弟を自分の力で救ってあげようと思い立ちます。この思いつきは彼を幸せな気持ちにしました。
それまで勝子に対する思いに悶々とし、悩み、思いつめていたけれど、急に迷いが晴れたようになります。勝子の弟たった一人でも幸福にできるのなら、それが自分の幸福になるのだと感じて嬉しくなるのです。
小説の中の言葉ですが、川端康成自身の実感でもあると思います。
川端は幼少期から多くの肉親の死に直面し、孤独と向き合ってきました。1歳で父を、2歳で母を亡くしただけでなく、14歳までに祖父母と姉、すべての肉親を亡くし天涯孤独となってしまいました。
「葬式の名人」という短編小説がありますが、主人公のモデルとなったのは川端自身です。
親戚や周囲の人に親切にはしてもらっても、すべてを受け入れてくれ、甘えられるような存在はいません。
母親的な愛は得難い、有難いものとして憧れの対象となっていきます。常に人の顔色をうかがい、心をオープンにできないことを川端は自ら「孤児根性」として蔑んでいました。
そんな川端の幸福観が表れているのが、「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」なのです。 ■「幸せになりたい」と考えるとキリがない
他人の幸福が自分の幸福なのですから、自分の快楽を追求するのとは違います。たとえば自分が経済的に成功するとか、自由なライフスタイルを実現するとか、多くの人に尊敬されることではありません。また、他人と比較することでもありません。
「あの人と比べれば自分はましだ」と考えて幸福を得ようとするのは、他人の不幸を自分の幸福とするようなものです。
そうではなくて、一生の間に、たった一人でもいいから誰かを幸福にする。「一生に一人でもいい」と考えればハードルが低いようにも思いますが、川端にとっての母親的な愛がそうであったように、普通だけれど実は難しい。有難いものでもあるのです。
教師なら、「先生のおかげで救われました」と言ってくれる生徒が一人でもいたら、教師冥利に尽きます。医者なら、患者さんを一人でも助けることができれば、医者になって良かったと思えるでしょう。どんな仕事でもそうです。
「あなたのおかげで本当に助かった」と心から喜んでくれる人がいたら、何物にも替えがたい喜びになります。
「幸せになりたい」と考えると、不足しているものに目がいってキリがない感じがしますが、「誰かを幸せにしよう」と考えれば実現のとっかかりも見つけやすいのではないでしょうか。
川端の小説「一人の幸福」に出てきた「彼」のように、迷いが晴れ、嬉しい気持ちで満たされるかもしれません。
それにしても、川端の小説を読むとその日本語の美しさに惚れ惚れします。私は20歳の頃、『山の音』という小説にはまりました。これに出てくる菊子という女性の話し言葉の美しさに心を打たれ、恋をしてしまったほどです。
そして、いつか娘が生まれたら菊子と名付けようと決めていました。結局、女の子は生まれませんでしたが。
『山の音』『雪国』なども、その日本語の美しさも味わいながらぜひ読んでほしいと思います。
かわばたやすなり●小説家、文芸評論家。1899生-1972没。東京帝国大学在学中に菊池寛に認められ文壇に出る。横光利一らと『文藝時代』を創刊し、新感覚派の作家として注目を集めた。代表作に『伊豆の踊子』『雪国』など。1968年ノーベル文学賞受賞。 川端康成の借金スキルは「天才」レベルだった…!/『文豪どうかしてる逸話集』G
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欲しいものはなんとしてでも手に入れる川端康成。
川端康成はいつもツケで飲み歩き、ツケがきかなくなると、編集者や作家仲間を呼び出して払わせていた。
そもそも川端は、最初から「金は天下の回りもの」という考え方で、「ある時は払い、ない時は払わなくてよい」とはっきりしていた。ある人が「銀座のバーの勘定は高い」と言うと「高かったら、払わなきゃいいじゃないですか」とキッパリと言ったそう。
欲しいものがあると、それがどんなに高額なものであろうと、お金を持っている人に借りるかツケにして踏み倒したという川端。
ある日突然、文藝春秋の編集部に現れた川端は、当時の社長に「金庫にいくらありますか?」と聞き、「え? 300万くらいは……」と社長が答えると「欲しい壺がある」と言って全額持って行ってしまう。
川端はその当時、文藝春秋から本も出していないし、寄稿もしていない。そんな川端に300万円(現在の価値に換算すると約2000万円)を貸してしまうのもどうかしてるけど、借りる方も借りる方である。
ちなみにこの時の借金は、文藝春秋の社長が代わった時にうやむやになってしまう。まさに、「天才」と呼ばざるをえない借金スキルの高さである。
また、『伊豆の踊子』を執筆する際に伊豆・湯ケ島の「湯本荘」にしばらくの間滞在した川端だったが、この時の宿代数カ月分も1円も払わなかった。
ノーベル文学賞の受賞が決まった時には、7000万円もする富岡鉄斎の屛風(びょうぶ)をはじめ、合計で約1億円もの美術品を買い漁り「ノーベル賞の賞金で払うから大丈夫」と言っていた川端だったが、ノーベル文学賞の賞金は2000万円だった。
川端が自殺したあとには、集めた国宝、重要文化財など、約200点を超える美術品が残されていたが、方々に借金やツケも残されていた。
(出典) 梶山季之『借金の天才 川端康成の金銭感覚』 川端は確かに文章がうまい、かつ美しい文章を書く、小説家でもうまい文章が書ける人はそういないからね
部分的にいい文章は書けても全体通してというのはほとんどいない
三島もうまい方だが川端には及ばない
美しいというのはひとえに情景描写の部分に掛かってくるのだが、川端はこれが極めてうまい
また情景描写は多すぎても少なすぎてもいけない、絶妙のバランスというものがある、川端にはそれがある 昭和15年に川端が「戦争にさえ文学は必要であつた。戦争以上に困難な明日の生活のために文運の隆盛を祈らう。」って書いてたけど、
今読むと、もうすぐまた戦争始まるよーって教えてあげたくなる 川端康成原作の映画で私が好きなもの
一位『女のみづうみ』(吉田喜重)
二位『眠れる美女』(吉村公三郎)
三位『女であること』(川島雄三) 川端さんの書いたものって読めば読むほどいいよね
短い文にたくさん詰まっていながら難しい言葉を使ってない
氏は天才じゃないが天職を得た人、というのが自分の評価 >>748
川端は新しい器造りの作家だからな。
何を入れるかは二の次の問題で、少し物足りない。
谷崎は骨董の器に、中身もうまいことそれらしい
ものを誂えてくる。
三島はマイセンとかガラス器しか持たないくせに、
無理矢理、和のものを入れようとして割れたw あの時代、単純な文章を難しく書く傾向があったのに
こいつはいい感じだ
一生に一度も出会わないような形容詞の羅列を良しとした奴とは大違い 誰にもかれにも、同じ時間が流れていると思うのはまちがいだ
このセリフっていつ頃のものかどなたかわかりますか?
晩年じゃないことがわかるなら悩みも消えるのですが ◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇
創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。
創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。
> 韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)
創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。 公園にて風の悪戯でシャツがめくれ上がり恥ずかしがる性格の良さそうな女の子
ttps://imgc.eroyakuba.com/wp-content/uploads/2016/02/s_busu_028-480x640.jpg 古都読んだけど続き気になるー 当時の読者達からは続編要望の声とか多かったんじゃないのかなと思える
設定的に昔の少女漫画の元祖だったのかと思えるストーリー
姉妹の片割れが求婚者を拒絶する理由は自分はお嬢さんの身代わりだからと悟ってるのが理由だけど
小説読んでたら求婚者も憧れてたお嬢さんへの想いが昇華していってあらためて片割れの方に心引かれてるフラグ満載だし
お嬢さんは兄弟のどちらを選ぶのかも気になる
だけど気になる時点で筆を置いたのは将来どうなるから読者の予測に任せるて事なのだろうか とっととオメコしたらんかい!とか思ってはいけませんねw
明治天平昭和の小説ですから 上も下もないのかも知れないけど、でももしそれを付けるなら日本文学の頂上は川端康成だな ずばり、川端康成の一番の代表作といえば世間一般的に「雪国」「伊豆の踊子」どっちなんですか? 文学の研究って自然科学や数学にくらべて玉石混交が多そうだけど、
「川端文学への視界」川端文学研究会編(教育出版センター発行)
ってのが、ざっと見るだけでも流れがわかる。
冊数がかなり多いけどね。
研究動向などもあって、川端とほぼ同時代に生きた研究者たちの考え方がわかるかも。
自分が探したときは神保町にはなくて、早稲田のあそこ(笑 で見つけた。
川端さんがラノベの隆盛を見たらなんと言うか、とっても興味がある。
結構ミーハーでエロも好き、金使いも破天荒な人間だったようだから、案外参入
したかも。女性作家に代筆(これは現代と価値観が違うので注意)させたくらいだから
無論のこと、ありうる。 >>766
「こっきょう」なのか「くにざかい」なのか 川端が昼間っから睡眠薬大量に飲んでラリってたみたいだね・・・かなりノイローゼ状態だったんだな 川端康成ってヤングケアラーだったのかな
学生時代にお祖父さんを介護する描写があったような… 川端と三島は
遊戯を楽しむように、とりかえばやに
双方が入れ替わり著作をしていたような気がする。 くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国であった
川端は「くにざかい」のつもりだったけれど、そう読む人は少ない
どちらで読むかは読者の自由に任せられている みずうみ読んだけど雪国とか古都みたいなの期待してたらアレ?って感じ
後半流し読みしちった 日本における踊り子ってどんな職業だったんどすか(´・ω・`)?
hしてたの?
他におすすめあります?
川端以外でもいいですが、切ない感じの メロスくんはこんなところで油売ってないで早くセリヌンティウス助けにお行き メロスは勝手に友達を人質に預けたりして、自己中すぎる
さすが1回人殺してる太宰だけある 川端康成は定年後の老人の余生の暇つぶし程度としてなら存在価値を認める事ができる。世界文学的にはほとんど無価値と言っていいのでは?ハイコンテクストすぎる古典的日本文化の特性に最大限寄っている作風を極めた、だから何?全人類的に示唆のあるものを何か描いているのか? 全人類的に示唆のある世界文学をまず教えてもらおうじゃないか
村上春樹とかか? 川端康成って163センチの三島と並んで写ってる写真とか見るとほぼ同じ背丈だから
川端も明治生まれの世代の割には結構長身何だな。俺の中で川端ってかなり華奢で小柄なイメージだった。 川端の雪国って下品なエロ小説だと思うけどなあ
書き出しだけうまいというか独特で
有名になっただけだと思う この人の偉大なとことは痩せていることかな、
痩せた偉人というのは非常に珍しい、
痩せたノーベル賞受賞者は1パーセントくらいしかいないんじゃないか
国内の受賞者もほとんどデブだし
小説家というのもほとんどデブだ、 太宰は普通かな、文壇の人たちがあまりにデブばかりなので、
たまにデブでないくらいの人でも痩せた印象になってしまう、三島もそうだ >>782
お前は最新パソコンの取説でも読んどけ! >>786
お前歌舞伎見に行ったことある?
雪国はエロってのは正しいが、下品?
教養を身につけろよ 伊豆の踊り子は、孤児根性の主人公と死んだ赤子が対応してるってことでいいのかな?お互いを補完しあってるということかな
踊り子一行は水で、冒頭で雨に打たれ、山を下り、海へ出るってことなんだろな 東雅夫の幻想文学講義にあったけど、雪国の登場人物はお化けだとか 14歳のかおるちゃんを混浴で裸にして
可愛い乳房から恥ずかしい所までじっくり眺めたい 虹いくたびで大人になった麻子が父親と一緒に風呂に入る場面には驚愕しました 没後50年だから、新潮文庫が三島の時のように
カバーや解説を新しくしている
『古都』の綿矢りさはイマイチだった え〜踊子さんの身体には手を触れないで下さい〜〜〜w 少年愛とBLは別物だと思うんだけど売るためには仕方ないんだろうなあ 他の古典作品とかでも
女性蔑視に基づいたホモソーシャルな関係を
女の学者が読書に媚び売ってBL!キャッキャ!と解説書いてる時代ですから >>811
こういう特殊な短篇集はすぐ絶版になって入手困難になりやすい
だから早速買ったよ >>811
かなり売れていて、増刷決定らしい
川端ブームか 山の音
とかもちょっとヤバイだろと。H小説でよくあるパターンというか。 千羽鶴もヤバいよな
父とその息子を喰っちゃう女の話だし 女であること さかゑ
美しさと哀しみと けい子
このあたりもヤバい 「菊治ははじめて女を知ったように思い、また男を知ったように思った」
これって実父のことかな?
もしそうなら父親の愛人を介して実父と近親相姦したという妄想??
まあ川端は同性愛者だったらしいからそうなんだろうけど 雪国も冒頭の指でどうこう言うとこでエロさが凄いと思った記憶 俺は昔の文豪のジャンキーエピソード大好きだ何だな。とくに川端康成は深夜にハイミナール
大量に飲んでラリってたり昼間ったから眠剤飲んでラリってたりこういうエピソード話
超大好き!俺も学生の頃はマイスリー、ハルシオンでラリってた今は耐性付いてしまいラリらなく
なっちまったけど(ノД`)・゜・。あともっと凄いのは中島らも!俺もらも先生のマネして
咳止め薬大量に飲んだけど何ともならなかった事がある・・・(ノД`)・゜・。 川端康成異相短篇集
・心中
・白い満月
・地獄
・故郷
・離合
・冬の曲
・朝雲
・死体紹介人
・蛇
・犬
・赤い喪服
・毛眼鏡の歌
・弓浦市
・めずらしい人
・無言
・たまゆら
・感情
・二黒
・眠り薬 令和4年8月頃を予定しておりました第2回川端康成青春文学賞の発表及び表彰式の
実施時期について、応募作品の選考作業や調整作業の進捗が遅れており、
令和4年の冬以降に延期させていただきます。
ご応募いただきました皆さまには、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。
時期が確定しましたら、このページにてご報告いたします。
なんだそりゃ。
選考作業はともかく、調整作業ってなんだよ。
オレの傑作を落とす調整すんなよ! 川端康成のスレってあったのね
ポツポツ読んでみようかな 掌の小説に入っている心中
これは不気味という範囲に収まらない
こりゃもうキモチ悪いと言っていい 弓浦市
夕陽が溜っている浦の裏
記憶というのは残照であり
残照とは傍観者に浴びせられた血だ バッタと鈴虫
紅提燈に刻み抜かれた名前
不二夫はわかる
左右対称だもの
でもキヨ子はなあ
子のつく子、いなくなったよなあ 掌より長い短編だと
母の初戀
故人の園
が好きです 野分の長いトンネルを抜けると秋であった。わんこの息が白くなった。 伊藤初代の三男がNHKに出てたな
「非常」についてTVでは語らなかったけど
どういうことがあったか聞いて知ってるらしい 今さらだけど雪国の冒頭さ
「高架橋を抜けたら雲の隙間に青が覗いた」
の方が良かったと思ってる。 『東京の人』読了
だらだら長いメロドラマだが戦後の都会人の孤独を描いたという文芸味はある
新聞小説として読者を楽しませたい意気込みは感じた
いつか映画も観てみたい 短編には面白いのが多いが、
とにかく文章が読みにくい。 >>836
西河は多くの映画を撮っておりとても追いかけきれず未見であるが、出来はどうなのであろう? 山口百恵・三浦友和シリーズが面白くなかったので観ることを躊躇ってしまう >>838
西河は本当に「映画屋」
監督としての作品性ではなく出演者の名前で客を呼んでいた人だからなあ
当時の東京の風景とか、月丘夢路や左幸子に興味があるなら
観ておいても損はないのでは
川端自身は『東京の人』をただのメロドラマではなく
文芸映画に仕立てた監督の力量をほめていたね
もともと自作の舞台化・映画化などには一切注文をつけない人だったそうだが >>839
左幸子はとてもいい女優だな、特に『軍旗はためく下に』とか。まあ西河で見るのはもう少し後かな。それよりも『遠い一本の道』が未見なのでこっちを先に見なくては >>839
今では死語だが「文芸映画」というジャンルがあったね。川端をはじめとして多くの文芸小説が映画化された。もちろんその中には傑作も駄作もある。いまは原作として使われるねはもっぱら漫画か、小説はあってもラノベばかりになってしまった。まあそれでどうという事ではないのだが 私が翻訳したある日本の学術書も過激な主張はないにもかかわらず、なんだかの理由で出版することができませんでした。しかし川端康成の文学は、「世離れ」をしています。
日本の大正から昭和にかけての、戦争がない平和な期間を舞台にしているものが多い。作品の多くが反体制運動や戦争をテーマにしていないので、検閲に通りやすいのです。
さらに、こうした規制による不自由な社会で、人々は川端文学の美しく詩的な情景描写に「癒し」を求めはじめています。
元々、中国では川端康成の類まれな表現力について評価が高く、2012年ノーベル文学賞を受賞した作家の莫言さんも『雪国』の美しい描写に大きな影響を受けたと公言していました。
そして書き上げたのが後に、映画にもなった小説『白い犬とブランコ』でした。1999年の秋、莫言さんははじめて日本を訪れてきた時に、
川端康成が執筆した宿に泊まりたいと言いました。私は彼を伊豆の天城湯ケ島温泉の旅館までご案内いたしました。とても喜んでいました。
現在の中国は、例えば、軍のスローガンをネタにしただけで、コメディアンに二億円の罰金が課されるなど、小説よりも現実社会のほうがもっとも魔術的で、
エキサイティングな出来事が次々と起こるような社会です。残念ながら、小説がそのような現実の刺激には勝てないのです。
そのため、人々は文学に物語の筋立てというよりむしろ、川端文学のように心を豊かにし、生活に潤いを与えるような美しい言葉を求めています。
彼らは文学をまるで「癒しグッズ」のように消費するということで、日々の不満や生きづらさを解消しようとしているのです