>>551
鴎外やベルリンの記念館を弁護したり解説したりする義理はないけれど、一応、事実だけを記しておきます。
今あるベルリンの記念館は、住所は違うが同じ建物の同じ階(マリエン通りとルイセン通りの交わるところにある建物)。
鴎外の第一の下宿のあった建物(戦災を免れて残っていた)の、鴎外の部屋があった同じ階(二階)に記念室がある。
ただ、そこが鴎外の住んでいた部屋でないのは事実。鴎外の住んでいた部屋には人が住んでいるから、仕方なくその隣の隣の部屋(角部屋)を記念室にしてある。
鴎外の部屋がどこであったかは1969年に篠原正瑛という研究者が調べて論文で発表している(『鴎外』第7号)。
また、部屋が違うことは開館当初から公表されている。だから、その事情は昔から理解されている。
開館30周年のセレモニーはフンボルト大学が主催し、総長出席のもと、大学の大講堂を使って開かれ、ヨーロッパや日本から200人以上の出席者が集まった。
脚気問題における鴎外の位置づけは、海軍軍医であった高木兼寛の伝記的内容の小説、吉村昭の『白い航跡』などを読むと分かる。
あるいは故・山下政三氏の研究に詳しい。