鴎外の作品を読んでいて、一昔前の時代はある一面では家族構成が柔軟だなと感じた。
子に恵まれなければ前途有望よさそうな子を養子にしたりね。
まあ親しいところから迎えるケースが多いようだけど。
とにかく”家”の存続というのが重要だったのだね。
ゆえに家名に泥を塗るような真似はすまい、家名に恥じぬ生き方をしようとの矜持が発達したのだろうか?
※もちろんそのような家は一部の特権階級に限られるのかもしれないが

利己主義が跋扈している現代ではそのような精神的支柱は得られまい。
得られたといても、それは肥大化した個我による似て非なるものだろう。
皆が皆それによって行動すれば、きっと人はホッブズのいう自然状態に行き着くだろう。
とはいえ、そうあれる者はある意味では幸せかもしれない・・・。

そう考えると家や国、または宗教などに基づく共同意識を築くというのは重要なのだ、と今更ながらに気づかされた。