>>208
>MIAによると、ウイットレッジ少尉は45年4月5日、加計呂麻島上空で戦闘中、搭乗機が撃墜され、死亡したという。
>当時、同島呑之浦に駐屯していた日本軍の隊長で作家の故島尾敏雄さんが、「敵兵といえども死ねば同じ神の子」と、遺体を呑之浦集落共同墓地に埋葬したらしい。

「私がヤストミさんのあと、部落長になってからのことですが……」そう前置きして、
この島にも進駐してきたアメリカ人たちが、粗末な埋葬に言いがかりをつけたあと、
埋葬場所の土をたんねんにふるいにかけて、遺骨をあまさず収容して持ち去ったことを話した。
                                            (「廃址」昭和三十四年十月)