冷たい雪の一口、それをアイスクリームと喩えて一体何が不自然なのだ?
何故、あえてその形にまで拘って「アイスクリームのような丸い形」などとする必要があるのだ?
そんなところまで拘ってしまったら、むしろこの心象風景の詩興が無意味に崩されるだけなのでは?
君はバカバカしい自己弁護のためにどこまで賢治の詩の足を引っ張るつもりだ?