0526ムー大陸 ◆POG0Nh1MOnGz 垢版2014/03/12(水) 01:42:41.17 一般論として言えば、死に直面した時、さらにその死が完全な不意打ちではなく、 思考に十分な時間を与えるだけの準備期間があった時、 どんな形であれ、人は個人の死を超越した概念に縋りがちとなる。 その対象が宗教だろうと国家だろうと近親者だろうと、 実はそれほど大した違いはないのではないかと思う。 いずれにしても、既にその者の人生は、「自分の人生」ではなくなってしまっている。 そのこと自体が問題なのであり、そこにどうおとしまえをつけるかということは 「個人の問題」でしかない