開高健
大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」
大阪市立大学は、創立130周年記念行事の一環として、同窓会連絡会、学友会などと共に平成23年2月11日(金)〜20日(日)の10日間
「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」を大阪、難波「なんばパークス」で開催します。
http://tokyo.ocu-yukokai.com/article.php/kaikoken
http://tokyo.ocu-yukokai.com/images/library/File/0496_001.pdf 高橋昇カメラマンって亡くなってるんだな。開高健の周りの方って亡くなるの早い方多いね。 >>190
気のせいか食道癌率が高いように見えるんだなぁ。
酒と煙草と食べ物が悪かった時代なのか。 小説家は「不健康」そのものの生活を送っていますしね。 憶測だがとれてないと思う晩年はもう文が枯れてたし出版社に食わせてもらってる感が強かった。本人は良くも悪くも巨匠気取ってたけど >晩年は〜
は賞にはあまり関係ないと思うが、
井上靖も取れなかったの考えると難しかったようには思う。 そもそも開高ってそこまで凄い人物ではないだろ?個人的には好きだが ベトナム絡みで米国ではそれなりに名前が売れていたようですが。
ノーベル賞というのは文学的功績というよりは文学者としての振る舞いが評価の対象になるので
本人もあわよくば…という気持ちがあったのかもしれない。
でもまあ、ベトナム戦記のゲリラ処刑シーンには違和感しか感じなかった 「第三の新人」について語り合いたい。
阿川弘之
遠藤周作
小沼丹
近藤啓太郎
小島信夫
島尾敏雄
庄野潤三
曽野綾子
三浦朱門
安岡章太郎
吉行淳之介
一応、上に一般的に「第三の新人」と呼ばれる作家を挙げた。
阿川弘之、島尾敏雄は「第三の新人」に含まないかもしれない。
しかし、誰の話だっていい。皆で語り合おう。 >>200
本気で間違えた
今からこれでスレ立てしようと思ってたのに
すみませんでした >>202
ああ、おまえね、
おまえ頭も性格もわるいし、ワキガがなあ。 二十代の若造です最近開高健読み漁りましたがこの先生ってエッセイ、短編は面白いが長編は大したことなくない?やっぱりあのキャラクターで人気あったんですか? 読みあさった長編がどのあたりの時期のものか
それで答えはかなり変わる そんなに膨大にあるわけじゃなし、読み漁ったというくらいなら
長編はぜんぶ読んでるでしょう。
というか、本格的な長編なんて書いてないじゃない。 ん?若者に難癖つけようとしてると思われたのかな、そんなつもりじゃなかったんだけど
初期とベトナム以降でかなり作風が違うわけだし、
どちらかに集中して読みあさったのか、それとも既に両方とも読破済みなのか
単に聞きたかっただけだよ
ついでながら自分の場合はテレビや広告のタレント的開高はさほど好きじゃ無い
でも作品としてのオーパなどの釣紀行は好きだ ベトナム前の長篇では「日本三文オペラ」が到達点で
ベトナム後では「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇」「破れた繭 耳の物語1」「 夜と陽炎 耳の物語2 」
などがありますが、作者の分身ともいえる主人公はほぼ廃人同然です。
文章も小説的構築が困難な瓦解寸前のあり様で
レトリックでつなぎ合わせてかろうじて面目を保っています。
レトリックの鮮やかさと文章からにじみ出る狂気にたいして芸術的評価がなされるのかもしれませんが
小説としてあれは良いのだろうか?というと疑問ですね。
まさに精神の廃墟なんですよベトナム帰還後の長篇は。
短篇やエッセイでは技術で乗り切っているんですが。 いわゆる文学物は、「玉、砕ける」しか読んでないなあ・・・
あとはエッセイとか紀行文ばっかり読んでる。 >いわゆる文学物
小説といいたいんでしょうか・・笑 耳の物語は二度ほど読んだがさっぱりだった。やっぱり開高健というブランド名で受賞されたようなものかね? 筒井康隆が幾度ももダイアリーでリアルタイムで嘆いていたな
残像に口紅をを書いていた頃だから
そら出版社が耳の物語にそんなキャッチコピー付ければ
これで実験小説かと首をひねるわ
単なる私小説としてはまあ・・・過去の焼き直しだろうな 伝統的私小説や心理主義からの飛躍を目指すと啖呵を切ったのに
最後に書き上げた長篇が“私”抜きの私小説。
また、ベトナム帰還後に書き上げた闇三部作も嘔吐やその後のフランス小説なみの
心理小説に過ぎなかった。
何をどう描くかが重要なのであって作者が海外に雄飛するだけならルポルタージュと変わらない。
何故、こうなったのかというと小説に詩的要素を求めすぎたから。
短篇ならそれでもうまくいく。
しかし、長篇では構成が壊れる。 いよいよ12月9日(月)開高健悠々会発足!!
芥川賞の受賞作「裸の王様」や釣りの醍醐味を伝えた「オーパ」、
食と酒に関するエッセイなど
開高健の人と文学にふれる日。
日時:2013年12月9日(月)
発会式(11時30分〜12時)
記念講演会(12時〜13時)
講演者:玉岡かおるさん
記念パーティ(13時〜)
開催場所:天王寺都ホテル
参加費用:5,000円(記念講演会とパーティへの参加
募集人数:先着100名様まで
お申し込み・お問い合わせ先:開高健悠々会事務局 松本恵美 父がオーパ持っててこの方にはまりつつあるんですけど次は何読めばいいんですか?オススメ教えてください。 オーパではまるか・・・・じゃ、その次は・・・行き止まりです(笑
this is to my regret... オーパの次ならオーパ、オーパ(3冊あり。順番に読むべし)か、もっと遠く、もっと広く(これも順番に読むべし)じゃん。 エッセイだったら『開口閉口』『地球はグラスのふちを回る』『最後の晩餐』あたりですかね。 一気に「ベトナム戦記」(朝日文庫)に戻って
そこからあらためて時間を下ってくる、徐々に頽廃してくる過程を検証する。
これがもっともよろしいナ。
あんちゃん、これやってみてえナ。 ずいぶんと元気なせいこ蟹が居たので三杯つれて帰ることにする。早速茹でて、身を取り出す。
オレンジの内子、少し濃い色の外子、真っ白な身。
こばせの本式は茹で汁で飯を炊くが三杯だけでは薄くて味気ない。
身を出した後の殻を足してもう一度出汁を取る。
その出汁で米を炊き、ほぐした身をのせて蒸らし、完成。
今日はワインの気分。大兄お気に入りシャトー・フイッセのプイイ・フイッセがあるのを思い出し、合わせてみる。
出来上がった開高丼もどきをかき込む。カニの活きが良かったので透明な旨味が口の中に広がる。
ワインは一口、端麗な口当たり、と思ったが、喉を過ぎるとけっこうな旨味が残る。
なかなか良い組み合わせでした。 >220
「最後の晩餐」、良いですね。
腹が減るエッセイだなあ。
>216
「もっと遠く」「もっと広く」は如何でしょうか。 確かシナ風オデンみたいな料理の話が出てくるんだよな
開封だか大連の街でデカイ銅の鍋に白湯が煮えたぎっていてそこへ色々放りこんで煮たのを喰うって話
喰った皿数で勘定するとか そこでの会話とか そんなこと開高へ話してくれた老作家が文化大革命で粛清されたとかだったかな
アヘンの話もでてきたような気もする エッセイ集 最後の晩餐より
いよいよ明日は出発という日になって何を思ったのか老舎は、突然、料理の話をはじめた。
重慶か、成都か、どこかそのあたりの古い町に、何でも、部屋一つぐらいもある巨大な鉄の鍋をすてつけた家があり、
この百年か二百年、一日として火を絶やしたことがない。
野菜だの、肉だの、豚の足だの手あたり次第にほりこんで、グラグラと煮る。
百年、二百年そうやって煮つづけてきたのだ。客はそのまわりに群がって、茶碗にすくって食べ、料金は皿の数で頂く。
その釜はどんな色をしているか、汁はどうなっているか。何をほりこむか。
いつ、ほりこむか。野菜は。肉は。どんな客が、どんなぐあいにたったり、すわったりするか。
何杯くらい食べるか。何の話をしながら食べるか。そういうことを老舎は微に入り細にわたり、およそ三時間近く、ただその話だけをした。 >>225
いま、ビデオでみてるが、ダンカンの開高すばらしい。
開高の俗な部分を拡大して見せてる。 開高さんそんなに好きではないがなんだかんだ食のエッセイ書かせたら未だにこの方超える人でてこないね >>228
まあ、一つの究極の芸だから誰もあれを「超える」ことはできないんじゃないの。 仕方ないことだけど生前は知名度共にかなり高かったのに死後はそれほど扱いが良くないですよね。 >玉砕ける最高
そういえばおれもこれの影響で老舎「駱駝祥子」一冊だけ読んだな
文春文庫版「ロマネコンティ1935年」収録作品はどれも傑作だよね
個人的には傑作とは言わぬが佳品「黄昏の力」が
なんともいえぬハードボイルド小説で好き
洋酒天国あたりにのせる類だな 自分の勝手な思い込みかもしれんがシマヂさんって今東光やシバレンほど開高健を認めてない気がする まあ、あいまいな尺度だけど人物としての大きさ、風格といったはかりに乗せると
今東光やシバレンにはかなわないんだろうな。
文学者として開高が上でもしまじいの視点はちょっとちがうだろうから。 ずばり東京 朝日新聞社(1964年) のち文春文庫、光文社文庫 壽屋コピーライター 開高 健 [単行本(ソフトカバー)]
坪松博之 (著)
出版社: たる出版 (2014/4/29) 明日発売のkotoba秋号(集英社) が開高健特集 、佐伯彰一は「アパッチ族の野性的な活力への憧れと、現代日本の風刺的な寓意画を描こうという意図とが、
ついに最後まで融け合わなかったのではないか」(「文芸時評」一九五九・六・二二「週刊読書人」)といい、平野謙
は「最後の場面まで読み終った私の印象は、意外にすっきりしないものだった。(略)マス・集団を動かす恨源の力
を、ここで作者はみきわめようとしているのか。それとも、アナーキーな集団の力の限界をさししめそうとしているの
か」(「文芸時評」一九五九・六・二五「毎日新聞」)と、戸惑いを見せている。
単行本刊行後には、津田孝が「前半の部分では、ひじようにエネルギッシュなイメージをフクスケたちの集団にあ
たえている。(略)だが、せっかくのこの前進は、『日本三文オペラ』のかぎりでは、とちゅうで腰くだけになってい
る」(「開高健『日本三文オペラ』のどろぼうたち
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/797/1/kb-rs_054_006.pdf モームの言葉としてこんな自己主張をしている。
「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ 私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、
戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
で、もうすっかりいやになっちゃって、 勝手にしやがれって気になったんですね。 それで釣師になったわけです。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。
戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる >>242
河は眠らない、のビデオか。あのダミ声が頭の中に響いてくる……
と思ったらフォトエッセイ集なんてのが出てるのか。 オーパ以降、紀行文、エッセイ、短編以外は酷いというか、
過去の上書き、テクニックでカバーしてたもんな。
明らかに衰えを感じた。年をとったとはいえ悲しかった kotoba買ってきた。
寄稿してる人のオススメとして「玉、砕ける」と同じくらい
「ずばり東京」を推してる人が多かったのには驚いた
俺は「輝ける闇」です。ベタですまん kotoba、立ち読みしました。
買わないでいいな・・・これは。 >>245
最近、新幹線開業50年がよくニュースになってて開業以来死亡事故無いのを誇ってるが、
ずはり東京には工事中に200名以上の犠牲者が出てるって書かれててびっくりしたな。 ノーベル賞関連スレを覗いてたら、開高健を推してる人がちらほらいて嬉しかったわ 50歳代のエッセイに、
「10年前に俺がキャッチ&リリースしたメス鮭の子孫が今でも残っていて…」
とか牧歌的な光景を描いていた。
この人なら、自分の唇に太い針を突き刺され、逃げようと暴れて力尽きた末に針を外され
再び放たれた魚の運命を想像できなかったわけではないだろうと思うが。
もしかすると、実際にはどうなるかを想像しながらも自分の家庭環境を考えて
「それでも強く生き続けていて欲しい」
という思いを託して知らぬふりをしていたのかな。 すべての橋は詩を発散する。小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべて不思議な魅力をもって私たちの心をひきつける。右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。
その上下にある空と水のつかまえどころのない広大さや流転にさからって人間が石なり鉄なり木なりでもっとも単純な形で人間を主張する、その主張ぶりの単純さが私たちをひきつけるのだろうか。橋をわたるとき、とりわけ長い橋を歩いてゆくとき、私たちは、
鬼気を射さぬ孤独になごんだ、小さな、優しい心を抱いて歩いてゆくようである。
/ しかし、いまの東京の日本橋をわたって心の解放をおぼえる人があるだろうか。ここには空≠熈水≠烽ネい。広大さもなければ流転もない。あるのは、よどんだまっ黒の廃液と、頭の上からのしかかってくる鉄骨むきだしの高速道路である。
都市の必要のためにこの橋は橋ではなくなったようである。東京の膨張力のためにどぶをまたいでいた、かすかな詩は完全に窒息させられてしまった。そこを通るとき、私たちは、こちらからあちらへ渡る≠ニいうよりは潜る≠ニいう言葉を味わう。
鋼鉄の高速道路で空をさえぎられたこの橋は昼なお薄暗き影の十何メートルかになってしまったのである 昨日のBS、高橋源一郎が北陸で開高の足跡を辿るやつ見た?
まあ新しい話はあまりなかったけど。 私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、
戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる
古代インドの哲学思想を考えたくなります。だから、あの輪廻の思想は徹底的な唯物論なんだ。
それが徹底していたがためにポエティックな姿を帯びることになった。反対のもののようになった。こういうことが言えるんじゃないかっていう気がするんです。
この河岸に立ってサケの屍体やら小魚やらジャンプする親ザケの姿なんかを見ていると、ほんと、形が変わるだけなんだ。
そういう思想とも感性とも知性ともつかないものにおそわれます もう十年生きていたら、『花終わる闇』は完成したのだろうか? もう十年生きていたとしてもアル中の廃人になってただろうな。 もしも、開高しゃんが今季の芥川賞の審査委員をやっていたら… … 柳原良平
R.I.P.
ttp://www.asahi.com/sp/articles/ASH8M5KMWH8MULOB00N.html 「地球はグラスのふちを回る」は、全中学生によませるべきだな。 もいっちょ
「もっと広く!」のモリピカいじめヒドイ 釣師は心に傷があるか・・・
釣師は心に傷があるから釣りに行く。
しかし、
彼はそれを知らないでいる。
開高 健 開高作品を読み漁ってゆくと「使い回し」が鼻に付いてくる。ベトナム戦記やオーパはいいんだが、闇三部作あたりで目を背けたくなる。
他の作家でこれほどの事は無いと思うんだが。 エッセイでも「ん?これどこかで読んだような」という
デジャブ・スパイラルによく陥るんだがw。 煙霞の癖。漂泊の思ひやまず、ついフラフラといったところであろうか。
砂糖菓子のように言えば、風が誘うんです。甘い泣き事である。
されど開高よ、泣きたくなるぜ、この人生。
そんな危険な夜の訪れには、磨いた酒と手垢のついた地図に自身を慰めて、
我が田に水を引く半句をひねり出す。
旅は男の船であり、港である。
そして男は自殺するかわりに旅にでる。では。
↑これ、開高さんの代理で佐々木さんという
コピーライターが書いたサントリーオールドのコピー。
最初は、まんまと騙されたわw。 エッセイで使い回しは気にならないんだが、エッセイで出たセリフを小説の中で主人公に語らせるのが気持ち悪く感じる。
無理矢理、借りてきたセリフをはめ込むような違和感。 >>271
あんたプロだろ。
そのコピー、佐々木さんが書いたとか
開高ファンでもあんまり知らんのじゃないか。
サン・アドの系譜だな。 >>273 そんな貴方こそプロでしょう。
多分に広告業界の。 久々に「夜と陽炎 耳の物語2」を読んでいる。
この位が引用も鼻につかず丁度良い。
アダージョのくだりは、ここでしか出てこないと思うが好きなエピソード。 開高のエッセイは好きなんだが…
コッテリした饒舌なレトリックやネタのしつこさ
に辟易したりもする。
モノ知りなのはもう分かったからさ、とね。
お腹一杯だよ、と。
で、時間が経つとまた読みたくなったりする。
これのループだな、俺は。
小説はなあ…書けないことを書く作家に
なっちゃったというか、
晩年はエッセイストでしょ、実質的には。
苦しい作家生活だったんじゃないかね。
カネは稼いでただろうけど、
小説を書くのが小説家なんだから。 誰だったか…作家か評論家が書いたエッセイを
読んでたら、三島由紀夫の自宅に野坂昭如や
安岡章太郎、開高健がパーティに呼ばれた
エピソードが出てきた。
開高が、「小説の書き方を教えてください」と
正座して、三島に頭を下げたらしい。
野坂や安岡は…白けたらしいな。パーティなんだからな。
三島は親切に部屋の隅に開高を読んで話し込んで
たそうだ。開高は話し終えて満面の笑みで
戻ってきたらしい。
開高は同じ事を、武田泰淳にも井伏鱒二にもしてる。
小説が書けない、どうしたら書けるか、と。
それがベトナムに行く前の話しだ。
もう恥も外聞も無かったんだろう。 今日は雨で体調も悪く、病院の待合室や家のベットで開高を読み耽っていたが、こんな日にこの人のエッセイを読むと、つかの間、どこかの町、どこかの河原に連れ出してくれるようで、しばし憂鬱をうっちゃることが出来る。
この人は小説よりもエッセイに真髄があると思える。 初期作の巨人と玩具を読み返したけど、作家のサラリーマン経験がまだ稚拙な筆致でみっちりと書き込まれている。
稚拙ではあるけれどスレておらず、使い回しもなく、ひと目では開高作品とは分からない。
必死のエネルギーがあったんだな、この頃は。 ここに来ている人で釣り師はいるのかな?
「釣れるまでは日々諸々の事が頭の中でグツグツ渦巻いているが、かかった瞬間に消えて無くなる」という趣旨の事がどこかに書かれていて「円は閉じた」という言葉に置き換えているが、自分は名言だと思った。 確かに、開高の旅のエッセイは憂鬱な時間をうっちゃる手助けとなる。
束の間、読む者を引き込んでくれる。
それは開高自身が新鮮に驚いたことを書き綴っているからではないか。
読む者を見知らぬ地、その現場に連れて行ってくれるからではないか。 10年ぶりに開高の釣りに関わる本を端から順番に読み返している。
10年の歳月は私を変え、今また読み返すと違ったものが見えてきて、また束の間、世間を忘れさせてくれる。 輝ける闇からオーパまでは脂が乗って小説もエッセイも抜群に面白い。 明日世界が終わるとしても‥の元ネタを先に使った寺山の事を最期まで泥棒呼ばわりして憎んでたんだっけ。