>>386
変な人(たち)はスルーするとして、贋作は贋作でやっぱり異常な存在感がありますね
最後の精神病院(瘋癲病院、とされているが)で、気の狂った司祭がドン・キホーテの右手を噛み千切ろうとする直前に滔滔とラテン語を披露する
けっこうな学のひけらかしの場面が多くて、ただでさえ長いドン・キホーテの演説がやたら誇張されている

真作のドン・キホーテはエラスムス的な自由意志の尊重、愚かな者ほど真実を見通す、という狂気の中にも人を惹きつけるものがある
一方贋作のほうはドミニコ会士が作者?と疑われることもあるように、極端に厳格主義な宗教性が充満している
笑えるところはあるんだけれども、エラスムスの痴愚神礼賛のようなカトリックの中からカトリックを笑うような感じがない
真作は「馬鹿が愚直に人様に迷惑をかければそれ以上に馬鹿が痛い目にあう」なんかほのぼのした感じの神聖馬鹿の喜劇
贋作では「罪のない人に剣抜いて切りかかるんだけど頭がおかしいから見逃される」狂気へのユーモアが乏しい

最後の精神病院でてからは後日談として2ページで語られるんだけど、ロシナンテは精神病院で死んでいるし、サンチョは成金になってもうついてこない
帰り道でなぜか男装した娘が男と偽って従士となってつきそうが、実はレイプされたあとで、ドン・キホーテの目の前で子供を出産してびっくりするとか無駄に設定盛った後日談

善良なる騎士は女とも知らずに連れ歩き、やがて往来のど真ん中、ドン・キホーテの目の前で赤ん坊を産み落としたのである。
この出産に腰を抜かさんばかりに驚いたが、それがまた凄まじい妄想を彼の脳裏に呼び起こし、戻るまでの約束で女をバルデスティーリャの旅籠に預けると従士を連れずにサラマンカ、アビラ、バリャドリッドと経巡り、
「苦難の騎士」の異名を取ることになるのであるが、その苦労話についてはこれを讃えるにさらによき祐筆の居ることであろう。
(贋作ドン・キホーテ最後の二行)
ロシナンテもドゥルシネーアも従士も一人もいないドン・キホーテはやっぱり寂しいです
なんか、狂気の質が違うというか、かわいそうになってくる