>>57
>マルクス主義に抵抗するのに「原理」で以てするなら、イデオロギーに嵌ってることでは一緒になる罠。
>あの手この手の「方法」はあっても、何にでも当て嵌められる便利な「方法論」なんてあるもんか

例えばマルクス主義の科学主義・歴史主義といった決定論に対して
小林秀雄はそれも1つの並置可能なイデオロギーに過ぎないと喝破した
そこで批評とは作品に内在する固有の論理とそれを読み解く人間との間に
共通点があって初めて成立する行為だとしたわけです

で、こういった内在批評にたいして「そんなのあたりまえじゃないか」
と言い放った谷沢が自身の批評で「私」的基準が示した事はない
それで開高はいい、司馬はいい、と言われても困りますね
そんなのは単なる個人の好悪であって、説得力はありません