【悲の器】高橋和巳2【邪宗門】
戦後文学を代表する作家、高橋和巳。
『悲の器』『邪宗門』『我が心は石にあらず』『堕落』等々、
数々の傑作を生み出してきた孤高天才について語りましょう。
前スレ
【我が心は】高橋和巳【石にあらず】
http://mimizun.com/log/2ch/book/1099483611/
古文・漢文板にあった過去スレ
高橋和己は漢学者だったか?
http://mimizun.com/log/2ch/kobun/1062691122/ 好きだったけど、長篇が多いよね
「散華」くらいがちょうどいいな 三島由紀夫の自決を左翼の立場ながら正面から受け止め 正当に評価した稀有な人。
「人間として」に、高橋は「やりきれない思いだ」と記していた。
その翌年昭和46年6月に死去。養老孟司も三島をある程度評価している。
三島は人間の言説と行為を合致させようとした人。
司馬遼太郎など俗物の文士は彼を「きちがい」と罵倒した。 高橋は勿論中国文学が専門。 中国の唐代の詩人 李商隠についての著作は
素晴らしいできばえで 恩師の吉川幸次郎を嫉妬させたくらいです。 いままた『邪宗門』読んでる。
不敬罪に問われた裁判の法廷シーンや、その手前の起訴状、現代作家には書けまい。 そういえば、『散華』って、発電所誘致?用地買収?が、主人公の戦後の仕事だっけか? いま無職で時間があるから、
高橋和巳作品集を一通り読んでみようと思います 三島由紀夫・・・自衛隊で兵隊ごっこ
司馬遼太郎・・・帝国陸軍入隊経験あり
件の発言もさもありなんだね >>19
あらたな発見ありましたか
文学には一過性と持続性のそれが在るような気がします。イメージとしてはそれ自体完結して広がりのない池と滾々と新たな清水湧きでる泉ですかね。ま、再読に耐え得るかってことなんですけど。
高橋和巳はどうなんでしょうか
やはり、青くさい青春時代とシンクロする人にとってみれば、もはや繙くこともないのかな。
自分は「憂鬱なる党派」の少し上の世代です。正直、読むのはツライ感じもしますが、時折古在秀光の檄を憶いだすことがあります…。別に大学時代に党派に属していた訳ではないのですが。
長文失礼しました 『邪宗門』読み終わった。
オウム事件の時に大学生協の書店に並んだのを買って、20年近く読まずに積んでいた。
すごく面白かったが、千葉潔の教主就任後はつまらなくなったと感じた。
たしか高橋さんて石原のペ●スが障子を突き破る表現に
すごい衝撃を受けた人だったよな。
悲の器が自分の中ではベスト。 神保町のカートに格安でそれぞれ売られてたんでこつこつ読みましたが、あれだけの大作を立て続けに書いた意思をいったい何が支えていたんでしょうね。 高橋和巳に惹かれる人が好みそうな現代作家というと誰なんでしょうか?
高橋和巳の思想を現在にトレースするとどんなものなのか興味があるのですが、
あまり本を読まないためにこれといった人がわかりません 「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳
「日本アパッチ族」「日本沈没」などの作品で知られ、文明評論家としても評価されたSF作家
の小松左京(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため
死去した。80歳だった。大阪市出身。告別式は親族で済ませた。京都大学文学部イタリア文学科
在学中から作家の高橋和巳らと交流し、文学活動に参加。卒業後は業界紙記者、土木工事の現場
監督、漫才の台本作家などさまざまな職業を経験した。昭和36年に『地には平和を』で
「SFマガジン」の第1回コンテストで努力賞。SF作家としてデビューした。空襲で焼け野原
となった大阪城周辺の廃虚を舞台に、鉄を食料にする一族を描いた「日本アパッチ族」
(昭和39年)のほか、「復活の日」(同)「果しなき流れの果に」(41年)など、人類と
現代文明の未来を探る構想豊かな作品を次々と発表。日本でのSF小説を開拓する草分け的存在
となった。地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」
(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラ
ーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオドラマ、劇画にもなった。
また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。文明評論家としても知られ、45年に
は国際SFシンポジウムを主宰。平成2年、大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の総合
プロデューサーをつとめたほか、昭和59年公開の映画「さよならジュピター」では脚本・製作
・総監督をこなすなど多彩な行動力が持ち味だった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110728/bks11072815590000-n1.htm 小松実氏が亡くなったか…
一心異体の友、高橋和巳の約2倍生きてたんだな
R.I.P
>>30
オレも現代作家はわかりませんが、たぶん類似した作家はいないんじゃないのか、いわゆる重い文体だし、流行りは軽めの様な気がするんで
それと、あまり本を読まない人が高橋和巳を読むことはあり得ないんじゃないか、読むキッカケがないと思われます 日本アパッチ族は気になるな。高橋がこれを真似て邪宗門を作ったというのを読んだ気がする。 >>33
そのとおりです。小松左京がそう言ってます。でも、邪宗門を読んでからあの世界観をアパッチ族に期待するとガッカリすると思いますよ
「汚れた月」っていう純文学風な短編が高橋和巳初期短編に似てるような気がします >>32
> オレも現代作家はわかりませんが、たぶん類似した作家はいないんじゃないのか、
> いわゆる重い文体だし、流行りは軽めの様な気がするんで
中国の古典を専攻していた人が文章(小説以外でも)を書くと、類似したものになるのかと思っていた。
たとえば中島敦は、専攻は国文学だけど家系が漢学者だったり。
それから、中華人民共和国では、新しい文章は口語体に近い文体で書かれるようになっているのでは?
だから今の大学で中国文学を専攻しても、漢文調の文を書くようにはならないのかもしれない。
他の旧漢文文化圏のうちベトナムと朝鮮は漢字撲滅の方向に動いた。
残った台湾はどんな情勢なんでしょ?
漢文の素養を持った人が近現代の思想に触れる面白さを、高橋和巳から感じます。
福沢諭吉とか中江兆民とか明治初期にいっぱい居たタイプの作家の最後の一人だったりして。 「憂鬱なる党派」の青戸が、後の「悲の器」の正木典膳ですよね。同じく、老国家主義者が、「散華」の主人公になる。 ネットで評価を調べてみるとかなり酷評されてるね
吉本隆明には、インテリの大衆小説と言われたり
柄谷はそもそも小説と呼べるものではないと言ってたり、
他にも色々あった >>30
ハ・ジンの『狂気』かな。
せまい大学の研究室の世界。
天安門事件もあるよ。 >>41
>吉本隆明には、インテリの大衆小説と言われたり
吉本と高橋和巳は、まったく違った道を歩んだ
高橋和巳は、道半ばにして逝ってしまったがね
吉本に高橋和巳文学の意味は解るはずもない
これから、高橋和巳文学に宿る魂が復活するよ(笑) 『我が心は石にあらず』
大体八割ほど読み進んだけど、
小林多喜二の『蟹工船』よりも「リアル」だと感じる。
でも何年か前に流行したのは『蟹工船』のほうなんだわな。
自分は40歳くらいで、就職時期がギリギリ就職氷河期と重ならなかったからだろうか。
もしかして70年代後半生まれだと、
高橋和巳の小説ってブチ切れるくらい腹立たしいものなのかもしれない。 『我が心は石にあらず』読了。
ストライキ突入後の展開って、果たして良いんだろうか?
『邪宗門』の最終盤でも、
地域を制圧したりダムでダイナマイト抱えて自爆とか冗談かと思ったもんな。 疲れると読む気になれない
無理してでも学生時代に読破しとけばよかった 私が高校生の頃,既に学生運動は沈静化していたが,
高度成長も終わり成長できない鬱屈感が世間に蔓延していたのか,
新潮社が高橋和巳の著書を10冊以上文庫化した。
最初に読んだのが「悲の器」,その後「我が心は石に非ず」「憂鬱なる党派」
「人間にとって」「捨子物語」「日本の悪霊」「散華」を立て続けに読み
政治・思想・宗教・人の内面を言葉で紡ぎ,文学を通して人生を考えるという
良く(悪く?)いえば「文学の毒」に触れた経験だった。
その後朝日文庫で畢生の大作「邪宗門」を読んだが,主人公千葉潔と
その発展・壊滅を共にする宗教法人の,内側からの視点・外側からの視点を
織り交ぜながらの描写は,個人と組織を重層させて正に圧巻であろう。
昔は(純)文学者といえば「人生如何に生くべきか」を追求しつつ
大きなテーマを題材にした真摯な求道者というイメージだったが
三島・高橋を最後に(所謂)純文学は廃れてしまったのかな。
高橋は左翼思想の毒をあおって,それは,無惨な死に方をし破滅していく,
その登場人物のように(思想に)殉死してしまった人。
また三島もその思想に殉じて割腹自殺してしまったが,夏目漱石の「心」の先生も
書いていた様に。その理由は結局今(個人の生命・利益・権利を尊重する民主主義社会)を
生きる我々には心底わからないかもしれない。 < 個人の生命・利益・権利を尊重する民主主義社会
純文学の在り方が問われている時代だと思う 『わが解体』を読んでいる。誰か読んでいる奴いるか? 読売の朝刊だな
「小説は下手だがエネルギーがあった」みたいな捻くれたほめ方だったw 何年ぶりかで書き込むよ。
いま、『わが解体』を読み直した。川西政明の『高橋和巳評伝』を横に置いて、
豊田善次の『高橋和巳の回想』を思い出しつつだったので、反戦学同時代(京大の学生時代)
の雰囲気もよくわかったような気がした。
このところ、吉本隆明の共産党批判の論考をいくつか読んでいたが、高橋の左翼運動(新左翼・全共闘)への
まなざしのほうが、はるかに度量があるというか奥行きがあるね。高橋の懊悩にくらべれば、
吉本なんてその場その場で思想的立場を使い分けてるとしか思えん。
※慎太郎については、へたくそな小説も書けなくなったお前が言うなよ、だなww
わが解体かぁ。竹内好が作品集の解説で清官教授の件について書いてたな。
批判的とも取れるが、あれはあれでイイ解説だった。吉本の邪宗門の解説はダメだったな。
全然関係ない事ばかり書きやがって。
同じ作品集の捨子物語の秋山駿の解説、これも全然関係ないこと書いてやがる。
しかしこれは素晴らしいものだった。 高橋の全共闘に対する評価も、当時としてはそれなりに切実な問題を含んでいたのだろうが
今読めば単なる買い被りでしかないわ。 もし現在も存命していたら
右急旋回して保守派の論客になっていた気がする。 全共闘世代のおばさんと高橋和己の話題でもりあがったことがある。
おばさんは、「和己、和己」と嬉しそうに話していた。
学生時代のアイドルだったそうだ。 悲の器:超生臭エンタテイメント。長身痩躯、几帳面だけど風呂嫌い、
洗濯、着替え嫌い、ポマードの臭いが枕カバーにベッタリみたいな
正木典膳が嫌な奴1で、安心して読めます。典膳の他人に
対する冷酷な視線、女性への嗅覚がキモい+変態でたまりません。
言ってる事、やってる事の乖離もええ味出してます。米山みきとH、
栗谷清子との清純デート。断罪されたら、逆ギレ+屁理屈攻撃。
生理特有の酸っぱい臭いを振りまきながら…とか
調停委員の、ひらひらブラウス着たおばはんが腋臭、
奥さんの病室のがん患者特有の臭いが…とか
女性の体臭、化粧臭の描写がむうっと押し寄せて思わず窓開けました。
な〜んか素人童貞くさいような。この時もう結婚済だったのかな。
大大好きなのは、息子の茂。東北大(多分)出の農学修士。(・∀・)イイネ!!
落ち着いてて、大人で世の中分かってて。母親の葬式の後、父子の
会話が大好き。怒る典膳。茂がいるからこの小説好きなのです。
☆脳内で映画化、ドラマ化…
正木典膳:石橋蓮司、ダイエットした山形勲。
米山みき:市原悦子!!
栗谷清子:鶴田真由or中谷美紀
栗谷清子の父:中村竹弥
正木 茂:佐藤浩市!!
学長:曾我廼家明蝶
学内自治会副委員長:伊勢谷友介
妹尾助手:中川礼二
後の配役:テキトー。他キャスティングお教え下さい。 小説家として、あれほど鋭い人間観察眼を持っていた人が、
目の前で起こっている新左翼運動について、なんであれほど甘っちょろい視点しか
持ち得なかったのか不思議だ。 >>67 傍観者でなく明確にコミットしている自覚があったからだろ。生きることは賭けることだ。 甘さと言いきってしまってもいい優しさと生真面目さが
この人の小説を支えている土台になっていて、
そこがこの人の小説の魅力になっていると思う。
長生きしていたら、苦しみながらも、
自らの生真面目さに後押しされて、自分の評論活動をも俯瞰した
20世紀左翼運動の歴史小説を書いただろうに残念だ。
どんな出来であろうと読んでみたかった。 『邪宗門』の連載が始まった時点では、全共闘運動も始まってないが、
その行き着く先が「自滅」以外の何物でもないことに、
この時すでに気がついていたのではないか、という気もする。今読むと。
そこまで分かった上で伴走者やってたんだろうか。 高橋和巳の作品で後の全共闘運動を予告するものとしては、むしろ「悲の器」をあげるひともいる。自分も同感だ。 学生時代にやったハンストで、既にもう自滅的傾向が出てる。 しかし他面、酒に酔って他人様の自転車を無断で拝借して逮捕留置されるという茶目っ気もあった。 『邪宗門』で一番えぐいのは、あの天皇陛下万歳三唱のシーンだと思うんだが、
モデルがあるんだろうか。
いかにも実際にあったっぽいシーンだけど。 寒くなってきて自分としては毎年恒例の<和巳シーズン>突入です(苦笑)。 でも全共闘運動というのは、一応「勝とう」と思って戦っていたわけでしょ?
それが、あんな敗北して憂鬱になるような小説ばっかり書いてる人を読んで、
しかも「自分たちに重ね合わせて」読んだりしてたら、
勝てるものも勝てなくなるという気がするんだが。 自己陶酔と罵倒されるのを覚悟はしているのだが、知識人および知識人たろうとする者の矜持と諦念半ば。 >>76
健さんの任侠ものも人気だったというからねえ。
安田講堂以後は、もう滅びるしかなかったわけでしょ?
「自分が倒れても、その後に続く人が」風の認知の歪みでごまかして。
そして進軍する時よりも、撤退する時にこそ、その人の人格が問われるわけだが、
高橋はそこを見せることなく死んでしまった。 『邪宗門』は確かに暗いし結末は救いようがないが、
それでも「三代目教主」が、自分は神を信じていないことを自覚し
その上で事を起こしたという責任を、きちんと受け止めているから、
読後感も割とさわやかだし、エンターテイメント小説として成り立っている。
現実の運動のほうは……。 筒井康隆もなんか書いてたな。
国家権力に対する絶望的な反抗の物語はそれだけで面白い。 「憂鬱なる党派」のなかの、西村が日浦の勤務先を訪ねて再会する場面で、なぜか大きなミミズ登場。気持ちワルいことこの上ない。もしかして、まさかの性的暗喩?!女性読者をまったく想定してないといつもおもう。とは言え、自分は男。好きだなあ。 「憂鬱なる党派」はノーパン女とか日浦のパンチラなど微エロ描写が結構ある。 >>82 井上光晴は、高橋文学について「観念の書き割り」である旨の批判を浴びせましたが、たしかに、「性」的な表現は唐突に過ぎて戯画的と言わざるをえません。野間宏と比べれば圧倒的に貧しい。あの世で埴谷さんの超弩級エロ話を聞いて進歩してるかな? 「売上部数」という観点のみから言えば、ライバル高橋和巳の早逝は大江健三郎にとってプラスだったろうな。(下衆だなあと思うが、怒らずに下衆も文学に含んでね) てか高橋が生きてても死んでてもそんなに部数には関係ないだろ
下衆とかじゃなくて単純に頭が悪い >>86 羨ましいなあ。恵まれた住環境を獲得されているのですね。貧乏人にとって新たな書籍の購入は、別の書籍の廃棄ですよ。正直悩みます。 赤軍派との座談会、全集にも収録されているんで読んだんだが、
なんかもう「無惨」の一語だわ。 「我が心は石にあらず」に左派の選挙における無力さ加減についての耳に痛い記述があるね。リアルだ。 だからといって赤軍派の武装闘争なんか支持するかぁ? 「支持する」は言い過ぎ。「理解を示す」といったところか。
それでも痛恨事であることには変わりはないけど。 「共産同関西派」=「赤軍派」よりも「ジャイナ教」がよりラディカルではないか? 日本でも革命が起きると本気で信じていた時期もあるんじゃないの?
友人の追悼によるとどっちだと思うか聞いてきて、
起きないと答えたらかなり食い下がったということだから。
聞いた時期にはもう疑心暗鬼なんだろうけども。 「遥かなる美の国」という発想とか、埴谷さんの影響のジャイナ教とか、日本浪漫派ゆずりのイロニーとしての政治、支配を無くすための政治を信じるしかなかったひとだからね。「革命」といっても、具体性のある破壊→建設の構想があるわけでもなく・・・・・・。 高村薫なんかは近いと思うけどどうかな。まあ単純に俺の好きな作家ワン・ツーというだけの理由だが。 高橋和巳の妻の高橋たか子の葬式の喪主である鈴木喜久男は
たか子の実質的な夫だろ?
ずっと前から、鈴木喜久男と一緒に暮らしてたとしても、この女は
高橋の姓を終生、捨てられなかったんだなw
高橋和巳の生前は食事の時の所作をキモイト思い、彼の死後は悪口を
書き、愛人も出来たのに、終生、高橋姓のままw 作家の高橋たか子さん死去 「誘惑者」で泉鏡花賞
小説「誘惑者」などで知られる作家の高橋たか子(本名和子=たかこ)さんが12日午前9時、
心不全のため神奈川県茅ケ崎市の福祉施設で死去した。81歳。
京都市出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。
京都大の仏文科を卒業直後、作家の高橋和巳と結婚。小説の清書や口述筆記で夫を助けた。
夫が亡くなる前後から、自身の創作活動を本格化させた。
女子学生による自殺ほう助事件を題材に女性の魔性を描いた「誘惑者」は泉鏡花賞を受賞。
執筆中の1975年、洗礼を受けてカトリックの道へ。
読売文学賞や女流文学賞、川端康成文学賞も受賞。アンリ・カファレルらの著作の翻訳も手掛けた。
死去した高橋たか子さん
http://img.47news.jp/PN/201307/PN2013071801001093.-.-.CI0003.jpg
47NEWS(よんななニュース) 2013/07/18 14:07 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013071801001083.html 親父の友人(京大や東大に受かりながら何故か植木職人をしてた変わり者)が亡くなったんだけど、その人から借りてた邪宗門をようやく読破した。
正直、何故この人が今のこの評価なのだろう、と疑問に思う。確かに最後の武力蜂起あたりはバトルロワイヤルの人にでも書かせた方がもっと練り込んだ内容に出来るかもしれないけど笑
文体も、数多い多くの思想、人物、概念をぞんざいにしない丁寧さも、残酷な描写だけに終わらない奥深さも、驚くほど優れてると思った。
あえて批判するならあとがきで本人が言う通り、この小説は思考実験であるっていうのが分かるくらい人物たちが人物離れした駒に感じられることかな?(モデルがいるらしい開祖と二代目はあまりそう感じなかった)
あ、一気に読んだ興奮のあまり長々と失礼しました。 >>101
高橋和巳の悪口なんて殆ど書いてない。
悪口を書いたと思っている人間が多いのが不思議。 >>101
一緒に暮らしていたと言っても、妻や子供も一緒でしょ。
本人はフランスに行って不在なことも多いから管理人みたいなものでは。
まあ高橋に翻訳家助手として師事していた学生の頃はいろいろあったんだろうけど。 たか子の方が小説はうまいと思う。
年齢を考えたら当たり前だけど。
和巳も長生きしていれば... >>106
誰と誰が一緒に暮らしてたの?
誰の妻や子供なの?
それが良く分からないから、意味が通じない。
文学板の殆どのレスに言えることだけど主語がはっきりしない。
だから、俺は日本人と日本語が嫌いなんだ。 鈴木昌だよ。省略したら>>101に出てる人に決まってるでしょ。
とまたわかりにくく書いてしまった。
ちなみにラテン語系も主語は省ける。 >>105
吉本隆明の奥さん評が元かもしれないね。
吉本には男女の機微はわからないから、奥さんの和巳評がただの悪口に思えたんだろう。
本当は、ものすごく強い繋がりを持った夫婦だったと思うよ。 高橋和巳の才能に驚嘆してたから、
自分は家で小説を書く高橋和巳の代わりに稼いでいても苦にならなかったと言ってるね。
高橋たか子にも小説を書くことを薦めて、凄く褒めたことも感謝していたようだし。
高橋たか子が小説を発表したのは高橋和巳の死後だけど、学生の頃から高橋たか子も書いていたらしい。
夫婦で二人とも才能があって素晴らしい。
ちなみに彼らと同世代の知人も高橋たか子は怖い人だと言っていた。
高橋和巳の闘病日記というか高橋たか子の看病日記が冷静過ぎて怖いって。
あと、高橋たか子が給料袋を机の上に置いたら、
何も言わずにむんずとそれを掴んで温泉に行ってしまったこと、
こういうのを書くことが悪口だと感じている人も多いみたい。
けど高橋たか子の高橋和巳の実家の評はかなりおもしろくて、
それを読んでから高橋和巳の小説の読み方が少し変わった。 ぬるま湯みたいに生暖かい家族ってやつね。
高橋和巳ってピリピリした感じの人と最初の頃は思っていたけども。 高橋和己は今宮中学の出身だが、折口信夫は時代も学制も違う?が、
今宮中学の教師をしていた時代がある。
今宮中学や、現代の今宮高校が大阪でどういう位置にいるのかを
見なければ、折口や高橋の人懐こさは分からないかもな。
今宮高校出身ていうと、大阪の中流糞ガキは馬鹿にするんだよ。
中上健次にも同様の?人懐こさがあっただろ? 復刊されるようだね。
気づいたら電子書籍にもなってた。 >>119
厚いから、電子書籍は助かるよね。
買おうか買うまいか、迷うね。 河出文庫で復刊してた。さっそく買った。
佐藤優が解説してる。佐藤が引用している千葉潔の大見サトとのやり取り。
「・・・そこに癌を作り、自分で勝手に大きくなって、ひょいと気づいたら、
癌を身体いっぱいに転移させて命とりになってるというようにすることです。
しれしかない」は佐藤が称賛する池田大作の「総体革命」じゃないか?と
思った。 邪宗門は映画になってもよさそうだけどね。
もうなってるの? レッド・パージ!!!
https://www.youtube.com/watch?v=ckXMvrFlmKY
「自己を無辜の位置におき、他者の矛盾や不義を糾弾することによって、
自己があたかもその悪から免かれているとみなす発想は文学にはない。」
(高橋和巳『わが解体』より) 高橋たか子の『装いせよ、わが魂よ』を読み始めた。
高橋和巳のものは『我が心は石にあらず』と『悲の器』を読んだ。 高橋たか子の文体いいね。しっくりくる。
ノサックを思い出した。 今日、
東京電機大学中学校生の息子が本屋で万引きをして警察のお世話になりました。早くアトラス調布へ帰宅して、
親である私慎太郎が住友商事で学んだ事やアトラス調布に越して来てからの中出しの失敗談でもします。
亮介が万引きしてしまった行動はいけないことですが、
私も娘を日常的に強姦し桐光学園中学校で妊娠したことが分かると中絶を強要。 高橋和巳・たか子の著作権管理者があの東大院卒AV女優のお父上だとは知らなんだ >>129
血縁はないです
学生時代に習作を郵送したのがきっかけで、高橋たか子宅に出入りして共同翻訳などしていたようですよ
いまも鎌倉のその家に在住してます
鈴木晶氏は >>130
ありがとう。
「鎌倉のその家」というのは、高橋たか子の家という意味ですか? >>132
遅レスに即レスおそれ入ります
鎌倉二階堂付近にある黒川紀章設計で瀟洒な高橋たか子宅(高橋和巳没後建設)に、鈴木晶氏はお住まいだと思います
二人の関係の詳細はこちらで
http://shosbar.blog.so-net.ne.jp/2013-08-06 >>133
ありがとう。
とても面白かった。
鈴木晶という人の、高橋たか子は「自分の好きなように生きたといえないこともない」という感想に、妙に納得してしまった。 いろいろと難癖をつけて芥川賞の選考委員を辞めたときの石原慎太郎。 インタビューで「良い作家と思うのは誰か」との質問には「高橋和巳」と即答していた。 あの御仁、たまーにこういうことを言うのである。
というTwitterを見かけたんだが、ソースがない 石原も基本的に戦後派の系列だから
南博ゼミ出身で作品にもマルクーゼあたりの影響が窺える
ただ、そういう社会思想に感化された小説が乱造された結果が
「馬鹿ばっかり」という現状なんだけどね >>140
社会思想に感化された作家は、馬鹿なの? >>52>>55に石原が褒めてたって話が
ソースにはなってないが、
石原が爺になっても忘れられないぐらいには刺さる作家だったんだね 石原なんかに小説が下手とか言われたくないわ
瀬戸内寂聴に真面目に小説書きなさいと言われてしゅんとなってたのは面白かった 邪宗門、今、読んでる途中なんだけど
千葉潔みてーな極貧育ちの猿がエリートの学生になるのが
現実的にありえねーだろってとこだけ引っかかる >>144
極貧の生まれでも一定期間の庇護があれば、可能性は無限だよ。
実際に、実家が引き取って育てた孤児は、我が家系の中で一番優秀だったw
それはさておき、『邪宗門』は戦後文学の最高峰だと思う。
吉本隆明がバカにしたせいで、専門家が評価しなくなったのがとても残念だ。
吉本というのは、他者を貶めることで自分の優位性を誇示するという性格の人でもあった。
その吉本も亡くなったし、そろそろ『邪宗門』の本当の評価を確立するべきだ。 千葉潔は庇護は受けてなく天涯孤独の身じゃねーの?
極貧育ち+少年犯罪の前科で
戦前の日本は戦後より階級固定社会だったから義務教育より上の進学は難しいだろう
吉本が大衆小説と評したのもある程度当たってるだろう
ツンデレお嬢様が出てくるのも漫画っぽいし >>146
千葉潔は教団の庇護を受けてるだろ?
それが物語の始まりだから。
類型的な登場人物というのは、建物や地形と同じで状況の表現、つまり物語の背景だ。
吉本は「自己表出」による価値基準にあわせるから、小説の評価にはかなり無理がある。
「詩」に文学最高の価値を見出す人だから。
高い評価でも低い評価でも、『邪宗門』の議論が出てくるのは嬉しいな。 高橋和巳は赤軍派との座談会をやってそれの記録が直ぐに出たんだったか。
たぶん古本で高値がついてるかな? 高橋和巳と赤軍派の討論が収録された「世界革命戦争への飛翔」三一書房/1971年刊
がヤオフクで10000円だな。 高橋和巳が赤軍派と討論したことは完全に文壇というコンテクストから逸脱した
行為であり、評価に値する。
文壇の犬の分際の癖に冗談であれ、「世界同時革命」を口にした柄谷行人やイマダニ、
1968年の革命に執着してるスガらは恥を知らない。 高橋和巳が赤軍派と討論したことは完全に文壇というコンテクストから逸脱した
行為であり、評価に値する。
文壇の犬の分際の癖に冗談であれ、「世界同時革命」を口にした柄谷行人やイマダニ、
1968年の革命に執着してるスガらは恥を知らない。 近代文明、資本主義形成も、プロテスタンティズムの精神ありてのみ可能なりとの学説も、他ならぬこの日本の発展によりて反証される いいね。
いまでは語る人もいなくなってしまったけど・・・ 高橋和巳の全集をかつて出した河出書房新社がいま代表作を文庫で刊行している
『邪宗門』『憂鬱なる党派』『悲の器』『我が心は石にあらず』
『日本の悪霊』『わが解体』・・・長く刊行されることを願う 『日本の悪霊』河出文庫より新潮文庫の表紙カバーが気に入って古本を買った オウム事件の前兆だな
小説が予言してから 現実が起きる
ゴルゴ13でヒトをばらしてトイレに流したら 次に現実になった かつて『悲の器』『我が心は石にあらず』を読んで、剛直な筆力はあるが、
よい文学作品になるにはもっと柔らかさが必要だと思った
いま『邪宗門』を中盤まで読んで、剛直さと柔らかさを兼ね備えた傑作
という印象がすでにある
海外の古典文学のような堂々たる文体だ 『邪宗門』はある新興宗教団体の隆盛と崩壊を描いているが、
宗教の問題に限定されず、戦前から戦後直後の日本国内と外地の日本人の姿を
多面的に描き、日本人の精神史をスケール豊かに形成している
日本文学に残る傑作だと思う >>166
出版されたころに吉本隆明がボロクソに貶した。
大前研一の原発推進論にコロッといかれたり、反核運動をソ連の陰謀だと決めつけたりのトンデモおじさんだったから、文学の評価もトンデモだったんだよね。
でもそのトンデモおじさんのおかげで、『邪宗門』の評価が低いままなのはとても残念だ。 いま書店では新潮社が三島の没後50年フェアをやっているが、
来年高橋和巳の没後50年なんだよね
河出書房新社は再評価のために何かやってほしいね
これほどの小説を書ける作家は滅多にいないから >>168
今の出版社には何も出来ないだろ。
馬鹿しかいないんだから。 三島論と高橋論の計200枚で400万円入るなら、書くわなw >>171
印税を考えるなら、2000円の本を出しても1冊売れて200円。
友人知人親戚中に売りまくっても収入は2万円ぐらいかな? >>167
吉本は埴谷雄高の『死霊』第5章が出た後、
何人かの文学者と「『死霊』出版記念と高橋和巳追悼のための集会」
とかいう講演旅行をしている。そこで某大学の学生
が電話で闘争のカンバを要求し、宿舎に押しかけ、
云々という逸話もある。吉本は交通費だけしか
もらわないにも拘らず、「吉本さんは20万もらった
そうではないか」と言われ、と『情況への発言』
1976年9月きれぎれの感想 に書いてある。
『邪宗門』については「初期の『悲の器』のほうが
質は高い」「しかし主人公が破滅するまでとにかく
行きつくところ
まで徹底的に書いているその意味では面白い、
興味深い」と評価してる。
吉本が低評価したのは『わが解体』という、
大学紛争を書いた本。「彼が誠実であるほど、
読んでいるとゲラゲラ笑うところがたくさんある」
「あの倫理観は高度とは思いません」
と磯田光一との対談で喋っている。小説については
「インテリ向けの大衆小説」という評価。
ちゃんと調べた方がいい。 三島も高橋も吉本も風化した。
スガや千坂らが一生懸命、1970年以前を掘り起こしてるが、難しいわな。
彼等より上の世代となると、もはや酒を飲みながらの懐古話しかない。 >>173
もう少し吉本を読んでから否定してくれ。
吉本は『邪宗門』を知識人向け大衆小説と言って腐したんだよ。
それを真に受けた評論家、あるいは吉本に怖れをなした文芸評論家たちは『邪宗門』を評価することができなかった。 高橋和巳は新左翼の学生に人気があったので、そのことに
吉本隆明が嫉妬したという面もあったのではないか?
さらに高橋は三島と直接交流したり、行動力や人間的な幅
もあったとwikiにあるw >>177
嫉妬はどうか知らないが、吉本が”正当左翼”を毛嫌いしていたのは確か。
高橋は”正当左翼”にも耳を傾けたので、吉本の逆鱗に触れたとはいえる。
だれも敵わない論破右翼吉本は、左右から敬して遠ざけられた面がある。 吉本隆明は高橋和巳のパトロン、埴谷雄高には尊敬の念を抱いていた
後年、埴谷と吉本はコムデギャルソン論争で袂を分かったが
吉本がどう評価したかなどどうでもいいけれど、もし『邪宗門』が大衆小説なら、
バルザックやドストエフスキーも大衆小説ということになる
自分は日本文学史上『邪宗門』は高く評価されるべきと考える >>179
誰だか忘れたが、トルストイを大衆小説と言い放った日本の私小説家はいたな。
吉本は高橋和巳を援助できるほど金持ちとも思えないが。
作品に対しても高い評価はしていない。
疑似知識人としてこき下ろしてはいたけど。
『邪宗門』が高く評価されるべきだという主張には賛成。
高橋和巳は吉本隆明の冷笑によってずいぶん被害を受けてると思う。 >>180
ヨーロッパの小説を大衆小説だと言い切ると、日本の純文学は私小説に限定されてしまう
私小説にも優れた作品はあるが、それだけが日本文学史というのでは随分痩せたものになる >>181
日本の私小説って、もの凄く視野狭窄で偏執狂的なところがあるから、文学といえるかどうかすら疑問なものもある。
源氏物語を産んだ土壌があるのにね。 戦前の私小説全盛時代はもはや過去のものとなり、
現代で私小説家を名乗っているのは西村賢太くらいにすぎない
『ふくろう党』や『悪霊』、『邪宗門』を大衆小説と見下すと
逆に小馬鹿にされるだろう 捨子物語、悲の器、邪宗門、憂鬱なる党派、我が心は石にあらず、日本の悪霊
完結した長編小説はこの6作かな みんなどんな作家の本読んでるの?
高橋和巳の文章が好きすぎて、他の作家の本がほとんど読めないし、
50年前の内容なのがつらい >>188
笹山久三
久々に邪宗門が読みたくなった ふとしたきっかけで「邪宗門」を読んだ
めっちゃ面白かったけどどう評価して良いか分からずこのスレに来て「インテリ向けの大衆小説」という評に納得してしまった
極めて観念的な部分と意外な程に素朴なメロドラマ的な部分の乖離をどう捉えるかという気がする
女性の描き方とかはまあ失笑されても仕方ない気がするし
でもとにかく知性とエネルギーに溢れたすごい小説だと思う 「右翼と左翼が未分化だった戦前」の日本で、絶大な力を持った「新宗教」
「神がかり」になった女性のもとで「世直し」を訴える
https://gendai.media/articles/-/113056
高橋和巳の小説『邪宗門』に登場する新宗教団体「ひのもと救霊会」のモデルとして
も知られる大本(いわゆる大本教)、その教祖である出口なおも、自らの教えを打ち
立てた56歳までは苦労の連続でした >>191
『邪宗門』を大衆小説と捉える見方には反対だな
そうすると、物語性のないエッセイ風の小説だけが
純文学と見なされるようになってしまうから
『邪宗門』には通俗性はなく、豊かな物語性がある
これはヨーロッパの本格小説とも相通ずるところだ