【グレート・ギャツビー】フィッツジェラルド
村上「オールド・スポート」
俺「何言ってんだコイツ・・・」 デイズィは故意にマートルをひき殺したの?作中ではトムに浮気相手がいる事は知っててもマートルの外見は知らないはずだよね マートルは黄色い車にトムが乗っているのを、トムたちがニューヨークに
向かう時に、途中に立ち寄った時に見てる。だから黄色い車はトムの車だと思ったはず。
すごいスピードで車が走ってきた時、トムに車に乗せてもらってウィルソンの元からさろうと
マートルはしたんだと思う。それで近づいていったが、デイジーは轢いてしまった。 ハンドルを切ろうとしたが、対向車が来て切りかけたハンドルを元に戻した。
ギャツビーがハンドルに手をかけたが時すでに遅しだった。
間に合わずに轢いてしまった 原作未読の者です
今更ながらレオ様の2013年公開の映画を見たんだけど、かなり面白くてハマってしまった
ただ調べてると本国ではあまり評判が良くなかったらしく、というか過去のギャツビー映画化作品の全てがどちらかというと不評らしく何故なんだと不思議に思ったんだけど
そんなに実写化が難しい題材なの?何か原作の大きな魅力を欠いてしまったりしてるのかね
ストーリーすら知らなかった自分からすれば充分面白かったから映画が評価されない理由が知りたい プールでギャツビーの周りのみ描写され、死体に言及がないのは意味があるらしいが何なの?
数十年謎なんだが
単にニックが語りたくないってだけ? >>274
確かにその後も遺体に関する直接的、具体的な描写はないな
物語を回想している数年後の時点で
ニックにとってギャッツビーはひとつの観念であり
肉体の生死を超えた存在になっているから
肉体的な死を直接的に描いてないんだろうかね
それか遺体が凄惨で思い出すのが単に忍びないだけか 昔日本語訳でギャツビーを読もうとしたけど退屈ですぐに放り投げた
原書で読んだら面白かった
もっとも原文ならではの魅力だけでなく英語学習的なモチベもある分こっちも読み手として母国語の時よりは忍耐強いのだろう
ディケンズを原書で読んだ直後だからそれに比べれば楽々読み進められる
じゃあ何が面白く感じられたかと言うとなんだろう?
文章の魅力と(凝っていけど決して難渋ではなくさらっとしている)
作者が作品にちりばめた諸々のファクター
デイジーの上流階級のふわふわとしつ陰影もある美しさとマイナス要素
令嬢への夢を捨てなかったギャツビーの諸々
ここらを浮彫にさせるストーリー展開
特に終盤の方で顕著になる東部と西部がなんたらかんたらというの
そしてラストの文章の魅力が決定的なんだろうな アマプラ会員特典に
バズ・ラーマン版 華麗なるギャッツビー 入った。
ディカプリオ
エリザベス・デビッキ 190cm
キャリー・マリガン 「夜はやさし」オリジナル版を原書で読了
ギャツビーを原書で読むのには苦労しなかったんだけど
(小説は大抵最初の方の文章が気合が入っているので原書で読む場合そこがちょっと難所で
そこにひるまずに読み続けると読みやすくなってくることが多い)
それに比べて「夜はやさし」は読みにくい文章だった
読解力落ちたのかな?と思ったけどその後アイリス・マードックの小説を読ん読むのに苦労してないから
やっぱり「夜はやさし」の英文が読みにくいと思うんだけど
第一部は海水浴なんかもある楽しい思い出
その後第一部のメインの登場人物の過去が明かされる
っていうので「こころ」を思い出した
文章のトーンは逆なくらいだけれど
以下かなりネタばれ的なので嫌な人は読まないでください
ギャツビーと似ていると思ったのは
主人公が女のために人生をフイにするくらい身を犠牲にしたのに女に捨てられまた身を持ち崩した点かな
大きな違いは「夜はやさし」は女も最後に女とくっついた相手も主人公のことを高く評価しているっていうか感謝しているっていうか
それから抱えている状況が重たくて情状酌量の余地ありと言っても主人公のが先に浮気しちゃっていて
しかも妻に対してちとウエメセだから破滅しても後味悪くないっていうか
メンヘラ女にかかずらわらなければ社会的に成功し外も実態もきらびやかな相手とくっつけたのかもしれないけど
結果的に身を持ち崩しちゃったけど人間的にはそこで、綺麗事だけでなかったとはいえ、妙に情けを起こす方が魅力的とも言えるし アラン・ラッド版がアマプラにあったよ。
だいぶ前から、思い出したとき探してたんだがなかったんだよね。
久しぶりに検索したらひょっこり出てきた。 BRUTUSで村上春樹が『ラスト・タイクーン』校正終わったと言っていたが、いつ出るのだろう。現行角川文庫版は訳が今ひとつなので、出来れば新訳で読み直したいのだが。 米田敏範訳 『ラスト・タイクーン』 三笠書房、1977年
乾信一郎訳 『ラスト・タイクーン』 ハヤカワ文庫、1977年
大貫三郎訳 『ラスト・タイクーン』 角川文庫、1977年、復刊1989年、改版2008年。
沼沢洽治訳 『最後の大君』 「世界文学全集76」集英社、1979年
他は沼沢訳「皐月祭・富豪青年・バビロン再訪」、および野崎孝訳「偉大なギャツビー」、各・集英社文庫で再刊
上岡伸雄訳 『ラスト・タイクーン』 作品社、2020年10月
他に短編4作 (「クレージー・サンデー」 「監督のお気に入り」 「最後のキス」 「体温」)、および書簡24通
村上春樹訳 『最後の大君』 中央公論新社、2022年4月 アメリカ文学スレにも書いたが、シナリオ作家としてのフィッツジェラルドに興味がある グレイトギャツビーの主人公のギャツビーのどこがグレイト(華麗)
なのかさっぱりわかんないんだけど…… 「あいつらはくだらんやつらですよ」芝生ごしにぼくは叫んだ。「あんたに
は、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」これを言ったこ
とを、ぼくはいつもうれしく思いだす。これが後にも先にもぼくが彼を誉め
た唯一の言葉だった。(F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギ
ャツビー」野崎孝・訳) >>285
そういう意味なんじゃないの?
反語的な 最初にグレートを華麗なと訳した奴が悪い。元に戻るまでに何十年かかったことか