【追悼】北杜夫さん
この人の、ゆるーい、ほのぼのとしたユーモアは癒されるなあ。人間のダメなところを認めるのは、実は極めて重要なのが、年取ってから分かるようになった。但し、圧倒的に駄作が多い。 株でしくじって全財産を失ってから作品の質がガタンと落ちた 大活字本の短編集に単行本未収録の手塚治虫関係のエッセイがあるんだけど先生は「沈黙の艦隊」なんかも読んでたみたい どくとるマンボウ青春記に、大学時代の草野球の話が書かれてるけど、
北さんは今でいうところの「オープナー」をやってたんだな。 北さんて本当は純文学でやっていきたかったらしいね
何冊かそっち系の作品読んだけど、悪いけど糞つまらなかった
駄作も多いけどやっぱこの人はエッセーの方がいいと思ったわ お好きだった八千草薫が先生のところへ行ってしまった 北さんが好きだったオオイヌノフグリが、今年も花を咲かせ始めた。 コロナのおかげで先生の好きだった上高地も閉鎖で静かだろうな ブラジル移民の話 出版社が自粛して増刷するのやめたの? 北さんの長年のファンだが、
北さんは本当に茂吉の実子なのだろうか
顔がほとんど似てない気がするのだが
ずっと気になっている >>341
どちらかと言えば母親似なんだろうな
兄の茂太氏もそうだし エッセイの中で自分は性格的に父親とそっくり同じ部分がある、それに気付くと自分でも愕然とするぐらいって書いてらした気がする
本棚に収まったままの北さんの文庫またちゃんと読み直したいな >>330
躁うつ病になったことであまり小説を書けなかった、
躁の時は小銭を稼ぐために雑なエッセイしか書けなかった
と本人は回想しているけど、
基本的にはエッセイストで、時々小説も書ける
というのが本来の北杜夫じゃないのかな、という気がする。
小説を書かなければ、という強迫観念(多分コンプレックスからきてる)が
結果的に病気という形でブレーキをかけてるんじゃないかな。
夜と霧の隅でを執筆していた時も、
小説を書いていると十二指腸潰瘍の具合が悪いが、
どくとるマンボウ航海記を描いていると具合が良い、
というのもそういうことな気がする。 >>98
残念ながら、そういう読み方が相応しい作家になってしまった
晩年、愚作を書き続けた報いだな 『幽靈』の第三章で、医学生の台詞の「あの消えていく女神の物語」がなんの作品のことだか
わかる人いたら教えてほしいんだが >>336
今年もまた、あの小さな青い花が咲き始めた。 まん防と聞くとついどくとるマンボウを思い出してしまう 男が厄年になると、厄を落とすために身につけていたフンドシを誰にも分からないところに捨てて家に帰るという、今では信じられない風習が戦前頃までの日本にはあった。
マンボウ先生はアメリカに月ロケット打ち上げを観に行ったついでに、母堂からいわれた通りに身につけていたフンドシをアメリカに捨てて帰ってきたのであった。
令和の今これをやると、必ず変態と間違われるであろう逸話である。 中学生の頃、筒井康隆は先生からウケが悪かったが、北杜夫は一目置かれてたな。
マンボウものは初期のはいいが、中期以降は駄作ばっかりなのに。
「どくとるマンボウ航海記」はたぶん初版本には帯に井伏鱒二が推薦文を書いていたはず。
あの大らかなユーモアはその後に続く人はいないなあ。 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーー、 >>283
「元」一平と言う名の男子が性転換して一子になり、…
と読んだぞ(笑 『憂行日記』を読んだ。
「父なる自然」だったんだ。
良し悪しはわからぬが、詩で書いてあっても、あの年代の思いは痛いほど伝わってくると感じた。
リルケはともかくトーマス・マンは一切なく、カロッサの詩が多かったのは意外でもあった。
辻邦生についても名はあるけど、全く書かれてなかったのも同じく。
斎藤国夫がペンネームだったのも初めて知ったかな。
戯曲がカットされたのは残念だった。 きょうの「ダーウィンが来た!」でマンボウを取り上げるぞ テルミニ宮脇の現況が気になりストリートビューを開いたついでに隣接の北氏宅も見てみた。旗竿地らしく様子がよく分からないので航空写真に切り替えたら更地になってた。北氏が庭づたいに宮脇邸を訪問してきて夕食前二人で酒をのむことがよくあったと何かで読んだことがある。北氏の土地も人手に渡ったのか。