マルキ・ド・サド Part2
「アリーヌとヴァルクール」(全4巻)の第3巻の抜粋が
「食人国旅行記」だけど日本語で全4巻刊行は無理なんだろうね
でもかなり重要な作品だと思うんだけどな 食事やデザート排せつ生殖活動やお風呂、着替え、遊び ナイトライフなどを
書きもので切り捨てるべきじゃないよ。 親や教師から薦められたわけでもない書物で、おそらく一番読まれている作家。 「サドを読め」って言われたわけじゃないけど、大学の尊敬していた教授に「先生はどんな映画が好きなんですか」って聞いたら「あまり映画は見ないけど、パゾリーニの「ソドムの市」は映画館で見ましたね」とか言われて見た。「先生、ヤバかったです!」って言ったら「面白いでしょう」って笑ってた。 岩波文庫、秋の復刊に『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』 サドはモラリストであるという評論があるらしいが
出典をご存知の方いらしたら御教授願いたい ヨーロッパ文化圏でありながら、反キリストとしてのサドは興味あるな。
反キリストはニーチェ、サドのほかにいるんだろうか。無学なので知らんが。
サドは、一神教、厳格な戒律、性の隠蔽…といった文化圏から、出るべくして、出てきた怪物なんだろうな。 >>475
そういう粋な人じゃないから、爆弾作りに失敗して手吹っ飛ばし、趣味でサンスクリットやった坊っちゃん奇人でしょ、どっかずれてる、そこが面白くもあるけど 人生は野菜スープ
(2)「サド侯爵」というテーマ
2022-12-29
◎1740年 : サド、伯爵家にて誕生。
◎1763年(23歳) : 七年戦争(1756-1963)の軍役から大戦終結
にて除隊、結婚。2男1女を得る。
◎1776年(36歳) : 領地に劇場設立。
◎1777年(37歳) : 実父の逝去によって家督相続、祖父代を継ぐ
侯爵位に就く。
◎1778年(38歳) : 死刑判決(宗教侮辱罪、殺人未遂罪、猥褻
罪)、収監。処女作『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(〜
1785年、未完)。
◎1790年(50歳) : フランス革命(1789年7月〜1795年8月)恩
赦にて釈放。
1793年末〜1794年末(53歳〜54歳) : 収監(反共和制的言動に
よる)。
◎1795年(55歳)〜1802年(62歳) : 釈放、匿名出版専業作家活
動。作品『閨房哲学』1795、『ジュスティーヌあるいは美徳の
不幸』1787-1797、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』
1797-1801。
◎1803年(63歳)〜1814年(74歳) : 『美徳の不幸』『悪徳の栄
え』の作者としてナポレオン命令による逮捕・終身刑、収監、獄
死。