ミラン・クンデラ
いつの間にかなくなっていたので立てました ていうか新刊が出てたの今知った
ストレスで50件やった…准教授がタイヤパンク http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120502-OYT1T00788.htm 愛知県警春日井署は2日、車のタイヤをパンクさせたとして中部大学准教授、 大滝朝春容疑者(63)(愛知県春日井市東神明町)を器物損壊容疑で再逮捕した。 調べに対し「職場でストレスがたまり、3年前から50件ぐらいやった」と供述しているという。 発表によると、大滝容疑者は先月15日午後8時頃から9時頃にかけて、愛知県春日井市 白山町の駐車場に止めてあった車3台のタイヤ6本をキリで突き刺し、パンクさせた疑い。 同市内では2009年からこれまでに計約120件のパンク被害が相次いでおり、 同署が関連を調べる。 大滝容疑者は先月22日夜、刃渡り約10センチの果物ナイフを所持していたとして銃刀法 違反の疑いで逮捕された。その際、所持していたバッグの中からキリが見つかったという。 存在の耐えられない軽さ読んで好きになったんだけど次クンデラの作品どれ読めば良いか迷ってる。 ちなみにサビナが大好きでした ではネタおろし物。ほやほやです。 「あれ、ミランのやつどこへ行っちまった? なーんだ、あそこで水をくんでら」 へへ、どうでげしょ? 『存在の〜』と『不滅』を読んだあとは何を読めばいいですかね ガーディアン紙の古今東西傑作小説100(一作家一冊しばり)に 笑いと忘却の書(The Book of Laughter and Forgetting)が 挙げられていたので読んだ。 まあまあの面白さ。 芸風が同列の存在の軽さよりも、 より若干スノッブな雰囲気だけど、 翻訳によって印象が大きく変わりそう。 「存在の〜」が大好きなんだけど なんでテレザが途中で写真をやめたのか、 その理由がはっきり書かれていないのは腑に落ちなかった。 そこだけがあの小説の中でよくわからない。 トマーシュとの生活の中で、テレザが写真をやめる理由ってないと思うし。 そこがまたサビナと対照的だからこそ、詳しく書いてほしかった。 ..ごじゃごじゃ言うことじゃない。 日本の作家の誰よりも、はるかに面白い。 >>60 読み返してみるからテレザが写真やめたの何ページ目くらいか教えてくれ >>62 はっきり「やめた」とは書いてないけど 写真を真剣に撮ってるという記述は出てこなくなるような。 やめてないにしても、もうテレザは写真に対して 情熱がないっていうのは推測できる感じだった。 引越したから仕事としてやれなくなってやめたんだっけ?あんま覚えてねえなあそこら辺 冗談をついに手に入れた 軽く読んで見たけどクンデラの日本向けの前書きがあってマジ親切!と思ったらネタバレをくらった 不滅や存在の(ryみたいに話の途中でバラされるかなと予想してたから前書きでとは思わなかったぜ まあそんなこと関係なく全然面白いんですけどね 初めて『存在の』を読んだ。かなり衝撃だった。 政治的な理由から解放されればノーベル賞に相応しい作家(作品)だと思う。 政治を描き過ぎると受賞が難しくなり、評価も分かれてくる、 そんなタイプの文学かもしれない。 1のいつの間にかなくなっていたという文を読んで一瞬びくっとした もう出ないかと思ったら新作小説出たな。 前回に続いてチェコ語フランス語は後回しで、今度はまずイタリア語訳からだ。 ttp://ilmiolibro.kataweb.it/booknews_dettaglio_recensione.asp?id_contenuto=3746069 ttp://cultura.panorama.it/libri/milan-kundera-la-festa-dell-insignificanza 集英社文庫 12/13 別れのワルツ ミラン・クンデラ 未定 クンデラを最初に買ったのはペーパーバックのコーナーの英訳本の The Book of Laughter and Forgettingだったが、最近調べて分かったが その時は邦訳が出た直ぐ後だった。 あれほどの作品の邦訳が、原作から16ー7年?も間をおいて出たんだから、 編集者の無能も甚だしい。日本には馬鹿な編集者しかいない。 俺の場合は、ペーパーバックの中の冒頭数ページを立ち読みしただけで、 これは類い稀な名作を見つけたと有頂天になったがね。 本屋はやっぱり、ペーパーバックのコーナーがないと話にならん。 エーコに出会ったのも、ペーパーバックのコーナーだった。 じゃあ、ペーパーバックを仕入れた書店の担当者のほうが 編集者より目が利くというのかい?(笑 あんちゃん、もう少し考えてものを言うこったな。 「不滅」、よくわからなかった ひとつひとつの章?が短いし場面が頻繁に変わるから 移動先に持っていって少しずつ読んでいたんだが、それがあかんかったのか 断片的で、バラバラで、それを頭の中でうまく繋げられなかった いずれ再読したいけど この作家が性や愛の叙情性を信じていないという指摘はよくわかる ある程度、人生の辛さ惨じめさを舐めた者でないと クンデラの味は分からないかもな。 暗闇の中から聞こえて来る複雑で皮肉な笑い声、そういうのが 好きな俺には至上のものだが。 今、読めば、そう面白くもないかもしれないがね。 日本人には、ワサビが全然利いてない落語の皮肉ぐらいが 丁度だろう。 「存在の(略)」は、人生経験の浅いDQNの自分にも十分すぎるくらき面白かったよ 最初にたまたま映画のほうを見てたんだけど 小説の方が何倍も面白かった そうそう、映画なんかに飛びつく前に 活字を読もうという好例ですな 存在の〜はタイトルからして暗いよね そしてトマーシュの一夫多妻的なスタイルはちょっとうらやましい 「存在の〜」とクッツェーの「恥辱」て似てね? 「存在の〜」の方が好きだけど 日本とチェコってあまりにも違うので、 クンデラ作品の政治的な部分が分からないことを、少し残念に思ってたけど 3.11以後には分かるようになったな わかります パムクがノーベルもらったときクンデラにもやっとけよと思った クンデラは直接的すぎるのかな 12月 岩波文庫 『冗談』(ミラン・クンデラ/西永 良成 訳) いつもの集英社じゃないのか そしてクンデラが岩波に入るようになったか 「冗談」こそクンデラのベスト。20世紀後半の世界文学のベスト10に入る傑作。 ノーベル賞はナボコフ、ボルヘス同様クンデラも取りこぼすだろう。 音楽家だった父親がベートーベンの曲を聴いて…… っていう話がいい。他の人が同じ話したら鼻につくんだろうけど 『冗談』の邦訳はみすず書房から1970年に出版された。 淡いオレンジ色の装丁の本で、自分は1990年に古書店で購入して、一読、感動した。 『存在の堪えられない軽さ』がまず映画で評判となり、そのあと集英社から 原作の翻訳も出て、話題になり始めた頃だった。 みすず版はチェコ語からだったが、今回の岩波版はフランス語からの翻訳だ。 ナボコフはロシア語と英語を駆使し、クンデラはチェコ語とフランス語を駆使する。 ともに自分にとって大切な作家である。 30代後半で女と交際した事ない、ひきこもりのキモい童貞を発見。 自称イラストレーター。足立区に住んでいるそうだ。 http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html クンデラはたしかフランス語版が正式オリジナルに認定ではなかったか? 存在の〜は、小説派からみて映画はどう思う? 俺は、まあ、3時間にまとめちゃうならあんな感じかなって感想。 トマーシュのデイ・ルイスが西欧風に洗練されすぎてるかなと思った。 公開時に見ただけの印象だが。 ERに出てたゴラン・ヴィシュニックくらいの泥臭さがあってもいいというか レナ・オリンは良かった。ジュリエット・ビノシュは鼻につく ビノシュが一眼レフでスナップを撮る場面は好きだったな。俺も写真が趣味だから。 レナ・オリンはまさにヨーロッパのいい女という雰囲気がうまく出ていた。 フィリップ・カウフマンの映画では「ライト・スタッフ」「ヘンリー&ジューン」とともに好きな作品だ。 以前、チェコの物理学者と雑談していてクンデラが好きだと言ったら、クンデラは「西側」に向けて売れるものを書いている、 チェコにはもっと優れた作家はたくさんいると言われてしまった。ただ、『冗談』はよい作品だということでは意見が一致した。 @yoshinokuzu From: Hal_Tasaki 岩波文庫『冗談』アマゾンでは売り切れなんだな。書店で買うか。 ちょっとシンプルすぎる装丁ではあるが。 クンデラか・・・・・ 整いました。 あっちで誰か、水をくんでら。 ねづっちです。 自分にとってクンデラの『冗談』はオールタイム海外文学ベスト10に入る傑作。 読みたくて、先月アマのマケプレで単行本買ったあとに岩波から出るの知ったよ・・・ 新訳だから買うけどさあ 俺はみすずの旧訳と新訳ともに持っているが、岩波も買うよ。 >>127 関根 日出男の70年版と92年版で訳違うの? >>129 全面的に改訳してある。 ところで、今日岩波を書店で買った。フランス語版はクンデラがチェコ語版にかなり手を入れたらしい。 俺はそういうことはしてほしくなかった。若書きの良さが消えてしまうから。 存在の耐えられない軽さが好きで何回も読んでる 少なくとも5回以上は なのにしばらくするとどういう話か思い出せなくなっちゃう 他の小説はそんなことないのになぜこの小説だけ忘れちゃうんだろう いまいちテンションのあがらないつまらん小説ばっかり。 日本文学がいかにレベルが高いかわかる。 ゲーテ「だれかがこれまで、あなたの乳房をさわったことがありますかな?」 ミラン・クンデラ『無意味の祝崇』(西永良成訳) 3月 河出書房新社 10年ぶりの新作小説にして、本入いわく「最後の小説」。20世紀から21世紀の歴史・政治・社会風俗を 徹底的に笑いのめし、「無意味は人生の本質」と言い切る傑作 「別れのワルツ」「緩やかさ」以上に軽いドタバタ劇ですな。 最後が超常現象っぽいのはクンデラにしては珍しい。 >>133 退屈だからだよ。 文章も下手だし 衒学的だし 『無意味の祝崇』とはまたすごい題名だね。 妙にカッコつけないでも「どうでもいいことの祝祭」くらいのほうがよさそう。 >20世紀から21世紀の歴史・政治・社会風俗を徹底的に笑いのめし、 そんなにのめしてないじゃん。 これ、翻訳もうでてるね、昨日丸善にありました。 「無意味の祝祭」になってたな。しかし早いねえ。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる