詩を語り合おうぜ!!!!!2
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前スレ「現代詩を語ろうぜ!!!!!」
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1329500264/
広く、詩・言語芸術について、みんなで、
語り合おうぜ!!!!!
えい!
えい!
おー!!!!! おれは、ストラヴィンスキーは、
残ると、思うね^^
いい曲、だもんな^^
おれは、クラシックでは、やっぱ、バッハだね^^
マタイ・ヨハネ受難曲、
ミサ曲ロ短調(←特に、最後の、ラッパのとこ)、
なんか、何回聴いても、泣けるもん^^ 冒頭 石原吉郎
すべての沈黙の冒頭へ
沈黙とかかわりなく
石塔が立つ
立つことにおいて それは
冒頭の面目である
石塔をして所在あらしめよ
それが沈黙の理由である ちょっと最後の方で吉本の話が出てたので勝手に追悼やっちゃいますね。
いろいろ、吉本の追悼文が出てたけど、気に入ったの一つも無かったし、期待してた
全共闘世代も沈黙が多いのね。
吉本の幼年時代や青年時代って、すごく恵まれてたでしょう?
少なくとも、今の若者達のおおくよりずっと恵まれてと思うんだよね。吉本本人もそのことを自覚してたと
思うし、ことあるごとに、今の子供達に手を差し伸べようとしてたと思えるんだよね。
それが上手くいってたという形跡は無いけど、あの皺の多い瞼の億でずっと今の若者たちを見てたと思う。 「一つのメルヘン」中原中也
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました…… >>4
おっ^^
石原さんの、詩^^
>>5
初音ミクちゃん、とかが、ネットで、すごい、
若い人たちに、受け入れられてて、
そこから、少しずつ、芸術が、作られて、
いくと、いいなー、なんて、おれは、思ってます^^
やっぱ、紹介してくださった、ボカロの、落語、面白いもん^^
吉岡さんは、やっぱ、目が優しいよね^^
なるほどー^^
今の時点では、納得できる、吉岡さんの、追悼文は、ないかー。
今、吉岡さんの、世代、あまり、エネルギー、感じないもんな。
今の、若い人は、アイドル系とか、ファッション系、アニメ系に、
おれは、すごく、エネルギーを、感じます。
何かが、出てくる、予感が、します^^
たしかに、たしかに^^
吉岡さんの、時代は、芸術で、天才だらけだもんなー。
みんな、どこかで、接点が、ありましたよねー。
今より、みんな、もっと、のんびりしてた。
最期の、吉岡さんの、目、
おれには、とても、寂しく、見えました。 >>5
>>7
ごめんなさい^^
吉岡じゃなくて、
吉本^^
吉本隆明さん、でっす^^
ごめん^^ >>7
吉岡じゃないってば、吉本。吉本隆明。
吉岡だと吉岡実っていう別の詩人になっちゃうよ。
(吉岡実もテクニックのある大家だよ)
うん、それで、吉本の少年時代だけど、恵まれてると思えるのは「出会い」
ということ。自分が変わるという瞬間には、必ず他者との出会いがあるけど、
吉本は青年期に、とても良い他者と出会ってるんだよ。 >>9
ごめんね^^(笑)
おれ、どうも、吉、と打つと、
次、岡と、打ってしまう(T0T)
たしか、中学かな?高校かな?
の時の、先生との、出会いが、
吉本さん、詩・文学に、目覚めさせられた、
って、言ってるね^^
先生が、吉本さんの、詩の、評価を、
してくださったらしい^^
その頃、ちょうど、同じ頃に、
吉本さんも、田村隆一さんも、
天童といわれてた、北村太郎さんに、
強く、衝撃を、受けられてるね。
北村さんが、16才で、煙草、吸われたり、
喫茶店に、入られたり、
詩誌ル・バルを、読まれてることに、
強く、影響を、受けたみたい^^
例えば、今氏乙治の私塾に通う。
と、吉本の少年期の年譜に書かれてるけど、この今氏という無名の教育者、
よく解ってないけど、多分「雰囲気作りの天才」なんだったと思うよ。
取り分け知識教育に習熟してた訳でもないのに、子供達同士の関係を調整しながら
興味対象を導いていく能力に天才的なものがあったとしか思えない。
さらに終戦後、東工大にいた遠山哲。
「固有時との対話」って、遠山の量子力学の講義が無ければ、あの最初の詩編は無かったと思う。
時代が右から左へ大きく揺れながら、翻弄されても飲み込まれずすんだのは、この二人の教育者と
その周りに参集してた友人達のおかげだった思えるんだよ。
そして、こうした優れた人間関係って、自分の努力ではどうにもならないんだよね。
例えば「運」というコトバがあるけど、これに偶然か必然かの色分けが不可能なように、吉本も
自分の成り立ちに決定的な判定をしなかった。出来なかったと思う。 それから、昭和元年生まれの文化人で吉本の他に同級生を捜すと
三島由紀夫、安部公房、梅原猛、手塚治虫と、錚々たる面々が並ぶけどさ。
彼らは三島以外、受験秀才じゃないんだよね。
無試験で配給で大学に入ってるんだよね。
だから、吉本の戦後の受験戦争に対する態度って歯切れが悪かったでしょ。
もちろん全く肯定はしなかったけど、「下らない」と強弁することもなかった。
明星学園がいいとか、日大芸術学部がいいとか、半身で意見するていど。
けれども戦後のエリート達、柄谷、浅田、宮台などが頭角を現してくると、その
実力は認めていた、反語的にね。
たしかに、後世に名を残すような人はみんな出会うべくして出会ってるんだよね
それとあの時代はまだ今のように価値観というか、一定の基準みたいのが確立されてなかったのも大きい気がする
今は多少の程度の差こそあれ、みんな同じようなコースを歩んでる 十代の若者にとって、受験による選別って苛烈で残酷でしょう?
とくにアジア的遺制の残る社会では、受験に失敗したというケガレは、生涯付きまとう印に
なってしまう。
こうした抑圧の凄まじさを吉本は敏感に察知してたと思うし配慮していた。けれども、どうすることも
出来なかったと思うのね。
尾崎豊やエンドウミチローとかを評価したところで、社会全体の仕組みには爪を立てることも出来なかった
と思う。
そうだからこそ吉本の人々に対する態度って全的なのね。自分の目の前に現れた人間には全力で対応しようと
する。目の前の人間は全て自分と同等以上の能力があり、例え意味不明なことを口走ったとしても、自分の理解力
が足りない所為だと考える。ハタから見てて滑稽だと思える、あの説明魔の仕草って、人間に対する理解力は限度
が無いし設けるべきじゃない、自分はそうはしないんだという決意のようなものを感じたよ。
>>16さんは、
吉本さんの、とても、いい読み方を、
されてるなー。
たしかに、吉本さんが、今氏先生の、
元で、勉強されてたのは、とても、人生で、
大切な、時期だもんなー。
出会いも、とても、大切な、運だけど、
吉本さん、自身も、そういう、出会いが、
できるような、資質のある、人、だったんだろうね。
そういう、人の、元に生まれた、
娘さん、吉本ばななさん、も素敵な人、
だもんなー^^
おれ、ミシェル・フーコーの、哲学・思想に、
とても、強く、影響を、受けたので、
今度、美容院で、頭、禿にしよ。 フーコーは禿を気にして自分で剃ってたんだってね
たまに血が滲んでいたとかw
>>18
というわけで、髪があるなら早まるな! 鳥の言葉 ペルシア神秘主義比[喩]物語詩
(東洋文庫 821)
アッタール=著
黒柳恒男=訳
定価:3150 円(本体:3000 円) 全書判 318頁 2012.05
ISBN978-4-582-80821-6 C0198 NDC分類番号 929.91
ペルシアの神秘主義詩人アッタールの代表作を本邦初訳。様々な比喩、物語、
逸話によって神秘主義思想を表現。神である霊鳥スィーモルグを探し求めて、
鳥(神秘主義者)たちがたどる苦難に満ちた旅。
ちょっと「涙」について語ってみないか?
最近巷で耳目を集めた鉄拳の「振り子」について語ってみないか?
ずいぶん前に「一杯のカケソバ」っていう小話が流行ったときや、「マディソン郡の橋」
が流行ったときみたいに、おいらは感傷は魂のポルノグラフィーだ、と切って捨てようと
したんだけど、「振り子」はちょっと違うな、という感覚が仄めいて出来なかったんだ。
「一杯の・・・」や「マディソン・・」と、「振り子」の涙の違いって何だろう?
あるいは、ボーカロイドの曲「ココロ」や「LAIKA」も「振り子」と同じように切り捨てることが
出来なかったのは何故なんだろう?
涙に「質」はあるんだろうか? >>19
フーコーの、『私は花火師です』という、題名と、
表紙、見た時、笑った^^
フーコーの、パチンコ、チックな、頭は、
心に、訴えてくるものが、あるね^^
血が、滲んでいる、というとこ、フーコーらしいw >>20
アッタールは、お医者さん、もしてたみたいだね。
イランかー^^
とても、神秘的な国。
おれは、キアロスタミの、映画、大好き^^ >>21
人間は、限られた命の中で、必死に、抵抗しようとする、
意志を、感じた時、感動する、と、おれは、思う。
ここで、問題は、10人の人が、「振り子」を見て、
その中で、9人が、感動し、1人だけが、感動しないとする。
感動した、9人と、感動しなかった、1人の、違いは、何か?
でも、おれは、そこに、希望を、感じる。
「振り子」を見た、人、すべてが、「振り子」に、感動したら、
それは、おれにとっては、すごく、怖ろしいこと。
http://www.youtube.com/watch?v=b8KKf6zwRKA 「この部屋を出てゆく」関根弘
この部屋を出てゆく
ぼくの時間の物指しのある部屋を
書物を運びだした
机を運びだした
衣物を運びだした
その他ガラクタもろもろを運びだした
ついでに恋も運びだした
時代おくれになった
炬燵や
瀬戸火鉢
を残してゆく
だがぼくがかなしいのはむろん
そのためじゃない
大型トラックを頼んでも
運べない思い出を
いっぱい残してゆくからだ
がらん洞になった部屋に
思い出をぜんぶ置いてゆく
けれどもぼくはそれをまた
かならず
とりにくるよ
大家さん!
「対称の領域」森博嗣
夢の中ではいつもロープウェイに乗る
途中で反対方向のゴンドラと擦れ違う
空っぽのはずのそのゴンドラに
擦れ違う一瞬、僕は僕を見つける
こちらを見て笑っているのだ
そうか……
僕は一人ではなかったのだ
少しだけ悲しくなった
空しくなった
向こうの僕は何を笑っていたのだろう? 小野小町
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に おれは、今日、ひとの、死について、考えてた。
笑う感覚、って、その時代、時代で、
笑いの文化、変化、って、あるじゃないですか?
でも、なぜ、死には、人間の、死生観の、
変化が、無いんだろう?
古代から、芸術、文学を、見ても、
死に対して、人は、脅え、苦しみ、悲しむ、
ということが、共通してるじゃないですか?
なぜ、いつの、時代にも、
死に、関してだけは、
人間の、価値観が、
変らないのだろうか?
>>28
価値観の変容はあるよ
具体的に死生観に焦点を合わせた研究もある
過去において実際に死がどれだけ身近であったかを考えて見るに
百年前と千年前を比べるよりも
ここ数十年とそれ以前を比べると明白だと思う
そもそも>>28さんの問いが文明化や医療が高度に進展した後期資本主義より前には
意味をなさない問い、というか問うことができなかったであろうことからも推察できるんじゃないかな
でも問いそのものは今日的だからこそ、すごく意味があると思いますよ
気に障ったらごめんね >>29
レス、どうも、ありがとう^^
この、スレでは、重すぎる、質問かなー、っと、思って、
ちょっと、心配してました。
西洋なんかの、神が、大きく、背後にある世界では、
死の、価値観は、一定なのかな、と、
勘違いしていた、おれに、
>>29さんの、ご指摘は、明解でした^^
なんか、おれ、>>29さんの、おかげで、
文学に、希望を、持てるように、なった^^
赤木三郎
こわれた時計はなおしたが
歯車に みのこした夢が こびりついてた
動かなければ
永遠だった のに と 石川啄木
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心 アドルノは、アウシュヴィッツ以後、詩は、ない
と言った。
旧約聖書には、ひとりを、救うことが
全てを、救うことに、つながる、
と、書かれてあるらしい。
おれは、詩・文学、あるいは、芸術には、
人ひとり、救う、力が、あるだろうと、
願う、少数の、人間の、一人だが、
みんなは、どう思うか?
http://www.youtube.com/watch?v=QFCNEfd9mQ8 正確には、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」かな
この問題はやはり難しいね
ということで、改めてぐぐってみたらこんな文章をみつけた
http://www.ne.jp/asahi/amadeo/lp/doitu.html 芸術に救いはあると思うけど、救おうとするのは駄目なんじゃないかな むかしサルトルが「飢えた子供の前で文学は有効か」という問いかけをしたけど、
文学が飢えた子どもたちの血や肉となるはずもないから、命を救うと言う観点からは無力だろうね。
また文学や芸術が全ての人に対しての有効な救済装置になり得るというのも幻想に過ぎないように思う。
ただ俺が自分自身に向かって、文学や音楽などが俺を支えてくれたことがあるか、慰めてくれたことがあるか
鼓舞し、力を与えてくれたことがあるかと聞かれれば「ある」と答える。
信仰を持たない俺にとって暗闇の中のたいまつのようなものであるとさえ言える。
そういう人間が一人でも居るとしたら文学や音楽も無駄ではないと思う。
そしてそのような人間が世の中にはたくさん居ることに間違いはないと思う。
文学音楽は資本主義のただなかにおける「精神」の終の棲家、痕跡、 「私とは何か、人間とは何か」。それは小説には常に書かれ、いつの時代でも
今日でも、常に進行中の近代化過程の上部構造として、つまり常に失われてい
く自己の補償装置として、小説は存在について象徴的なものの閉域内部で考え、
あるいは考えるふりをする。それは私や人間の「意味」、つまり私や人間の性
行為、私や人間の生産活動、私や人間の病気や死の、意味を語る。夏目漱石の
時代でも今日でも、人間の意味はこうだと言い、意味はないと言い、こうすれ
ば意味を忘れるくらい気持ちいいと言い、やはり忘れられなかったと言い、何
とかしてくれと言い、そんなことは言うなと言い、何も言いたくないと言う。
それらは臨床社会学的、文芸評論的、歴史学的な価値をもつ。つまり知的、
芸術的観点からは、一行の例外もなくゴミ屑であり、既に哲学という「意識」
内部で分節されたことの、大衆版、発展途上国版だ。
「私は何か」「人間とは何か」。それらの問いは広すぎ、茫漠とし、馬鹿げて
いて、解答など存在しない。
もし誰かが「机とは何か。なぜそれはここにあるのか」「コップとは何か。
そもそもそれは何なのか」と問いかけるなら、それを聞く者は、彼に精神科を
受診するよう勧めるだろう。あるいは誰かが「神とは何か。それはなぜ存在す
るのか」と今日問うなら、やはりそれを聞く者は、彼の文化に同情と敬意を払
いつつ、彼がその問いを諦めるのを待つだろう。
そして「人間とは何なのか、私はどこからやって来たのか」という問いも、
それが昼の明るい陽射しの下で声高に問われるなら、やはり精神科の管轄に所
属する。しかしそれが昼の陽射しと生産と交換の最中(さなか)でなく、夕暮れ
から夜の時間に、声になるわずか手前の喉元で出されるなら、人がそれを発す
るのを誰も聞いたことがないのに、人がそれを発しているのを誰もが知ってい
る、ありふれた問いとして、今日でもなお存在する。
それは哲学の最後の避難所、あるいは哲学と神経症、「存在」と「人間」の
燃え滓のようなものだろうか? 一日の仕事の後、郊外電車が地下から地上に上がり、群青(ぐんじょう)色から
黒に変わりつつある空に高層住宅群の明かりが浮かぶのを目にしながら、曖昧
な意識と疲労の中で、人は「私は何なのか。私は何をしているのか」と問いか
ける。あるいは夜空に帯状に広がる無数の銀河系の星を前に、高揚と空虚が同
居する気分の中で、人は「人間とは何なのか」と問いかける。
「机は何か、コップは何か」という問いかけが馬鹿げていても、「私は何か」
「人間は何か」が可能なのは、それが「問いかけること」の祖型、いわば原‐問いかけ
であり、そこで問われているのは問いかけの行為そのものであり、そこには世
界の分節と言語の手前で、原初的他者に向かおうとする力動が刻印されている
からだ。「私は何か」は、発声が言葉と意識に変わる最初の場所の痕跡だが、
それは同時に声が向かい、探し求めた最初の他者の痕跡でもある。そして「私
は何か」が意識の中へと再び現れ、主体の「今」に回帰する時、その他者は墓
標となり、遺跡となり、絶対他者の彫像のように、その問いの受け手となる。
それゆえ「私は何か」は、象徴的・日常的世界での自我の自信喪失をきっかけ
に、原初的他者への依存を求めて、しばしば退行的に出現するが、しかしそれ
はまた、高揚する自我が日常の臨界まで漂流し、星雲の中で世界との最初の出
会いに回帰する一瞬にも、発現する。
今日これらのこと、「私は何か」のメカニズムを、人々は概略知っている。そ
れゆえ人は、この問いを問い詰めない。もし人が「私は何か」を自我の意味へ
と去勢せず、しかもそれをあくまで言語と意識の中に留めおくなら、神話が再
来し輪廻が始まることになるだろう。そこでは世界が到来し、目に入りこみ、
私となる瞬間が、多形倒錯的・退行的に保存されつつ、他方で全ての意味作用
はその瞬間に回付され、認識から解き放たれ、最終的に「私はどこにもいる」
が意識の中で造形される。原初的視覚と原
初的他者は、カメレオンを変態させる森の緑のように実体化され、意識と時間
の中に侵入し、「私は常に生成する」という感覚、「私はどこにでも生起する」
という声となり、それが自我を飛び越え、認識を眠らせ、世界の中の自我であ
る「この私」の、死の問題、あるいは世界の中の自我と自我との相克である、
善悪の問題を抹消する。
>>36
やっぱ、難しい問題だね^^
なるほどー、ドイツ文化が、アウシュヴィッツを、
生んだかー。
アドルノは、音楽についても、多くの、著作を、
残されてる、みたいだね。
ニーチェ→ワーグナー→ドイツ文化→アウシュヴィッツ
なんかの、流れでも、興味深い、問題。
>>37
たしかに、たしかに^^
芸術に、よって、一番救済されるのは、
自分自身かもしれないね^^
そこから、他人を、救済することへと、
繋がっていくと、いいね^^
>>38
38さんの、文学、音楽が、自分自身を、
救ってくれた、ことがある、という、言葉は、
力強いね。
おれも、他の人に、ひとりでも、いいから、
精神のリレー、として、芸術の、バトンを、
手渡したい^^ 「ある代議士の葬儀」中桐雅夫
冬の冷たい風が、痩せた禿鷹のように
会葬者の口と、壁にピンでとめられた赤い弔旗の
間を吹きぬけた。「いくら寒くても
こういうところでは手をこすってはいけない……」
葬儀委員長は重々しい足どりで
祭壇の前に歩みよった。一層静かになった。
だが、この静けさには何か欠けたものがある、
悲しみもあり、人の死にふさわしい厳粛さもあるが、
吹きぬける風をとめる力を持つ何かが欠けている。
委員長は声を高めて言った、
「三十余年の同志の死にあい、許されるならば、
私が君にかわりたかった……」
(この誇張を、誰も不思議に思わないのは
それが葬儀というものだからだろうが)
大学教授は遺影を見あげて言った、
「いまは静かに眠ってください。そして
われわれの望んでいるような時が来たら
眼をさまして立ち上ってください……」
(そんなことができるとは誰も思ってはいないが、
葬儀は死者にとって大切というより、
生き残った者の慰めなんだ)
(続く) (>>45の続き)
黙祷。静かな一分間の長さ。人の死がこんなに悲しくないものとは
今が今まで気がつかなかった。
第二次大戦における日本兵士の
戦死、行方不明は二百五十六万五千八百九十八名、
1般市民は約六十万、そしてここに今、
行われているのは一人の代議士の葬儀。
委員長はまた祭壇に近づき、作法通り、
三度、香をつまんで、三度、頭をさげた。
(彼は無宗教のはずだった)
続いて顧問が立って、おなじ所作をくりかえした、
(彼はクリスチャンのはずだった)
「いくらのみたくても、
こういうところでは煙草をとり出すわけにもゆかぬ」
斎場を出てマッチをすると、
炎は大きく大きく、夕陽のように燃えて消えた。
タクシーに合図する僕の右手に穴をあけて、
死はまた風のように、どこかへ吹きぬけてしまった。 >>41
たしかに、たしかに、
あまりにも、抽象的で、漠然とした、問いかけ、
だもんなー。
でも、こういう、問いから、
芸術が、生まれるという、
手応えが、おれには、あるなー^^ >>40-43
これは樫村晴香さんの文章だと思うんですが、引用の場合には出典を書かないと問題があると思います。
もしご本人でしたら差し出がましい意見ご容赦願います。 >>48
なるほどー^^
>>40さん、もし、おいでであれば、
引用の、先を、教えてくださいませ^^
よろしく、お願いします^^ 「階段」寺山修司
一段目に夏
二段目にぼく
三段目にみずえ
四段目に腰かけて
五段目で初恋だった
六段目で何をしたのか
七段目で神さまが見てた
八段目でみずえが立上ると
九段目でぼくは淋しくなった
十段目で哲学し自省し感傷して
十一段目で訪れる秋をむかえよう
十二段目で翼のように両手ひろげて
十三段目さま人生さまみんなさよなら AAなんかもよくああいうのが作れるなあっていつも感心させられてる
あれもひとつの詩だと思うんだよね
無名なのもいい >>51
最近、また、寺山さんの、詩・短歌・俳句を、
読み直してます。
やっぱ、寺山修司さんは、世界観が、素晴らしい^^
>>52
AAさんは、おれは、初めて、お聞きする、お名前で、
今、ネットで、見てきたんですけど、
ユニークな、詩だね^^
詩の、スタイルも、面白い^^ 「終電車の風景」鈴木志郎康
千葉行の終電車に乗った
踏み汚れた新聞紙が床一面に散っている
座席に坐ると
隣りの勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元に
けった
新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった
前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった
みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり
きたないから誰も手で拾わない
それを立って見ている人もいる
車内の床一面汚れた新聞紙だ
こんな眺めはいいなァと思った
これは素直な光景だ
そんなことを思っているうちに
電車は動き出して私は眠ってしまった
亀戸駅に着いた
目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りた 引きこもり・・・蟄居、さく居。
若者達はネットの中に引きこもると言うけれど、本当に引きこもって
いるのだろうか?
アーレントの「精神生活」という本の中では、「引きこもり」が哲学用語
として登場する、「現象学的還元」とか「状況の括弧入れ」とかじゃなく
「引きこもり」というコトバが選ばれている。
多分、ネットの中で自分A'に成っているのだろうな。
本当に引きこもるのは、逆に難しい社会になったのではないだろうか? >>55
おれは、友達が、一人も、いないんですけど、すごく、気楽^^
バイト中以外の時間、一人で、部屋で、本読んでるか、
ネットしてるか、どっちかです。
友達付き合い、とか、合コン、とか、飲み会、なんて、
おれには、つらい。
ひとりで、いるほうが、おれは、楽しいです。
今の時代の、引きこもり、っていうのは、
ひとつの、文化だと、思う。
対人関係が、すごく、ストレスになる、
今の、時代を、反映した、現象なんじゃ、ないかな? 「恐怖」石原吉郎
まぎれもなく健康であることは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはなるべく
病気でいるがいい
ドアが正常に開き
通行を保障されるのは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはすみやかに
拘禁さるべきだ
二人の男が向きあって
なにごともなく
対話がつづくのは
たぶん巨きな恐怖だから
一人は 即座に
射殺せねばならぬ 西行法師
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
寂蓮法師
村雨の 露も未だ干ぬ 槇の葉に 霧立ち昇る 秋の夕暮れ 「春望」杜甫
国破山河在、城春草木深。
感時花濺涙、恨別鳥驚心。
烽火連三月、家書低萬金。
白頭掻更短、渾欲不勝簪。
「春望(しゅんぼう)」杜甫(とほ)
国(くに)破(やぶ)れて山河(さんが)在(あ)り
城(しろ)春(はる)にして草木(そうもく)深(ふか)し
時(とき)に感(かん)じては花(はな)にも涙(なみだ)を濺(そそ)ぎ
別(わかれ)を恨(うら)んでは鳥(とり)にも心(こころ)を驚(おどろ)
かす
烽火(ほうか)三月(さんげつ)に連(つら)なり
家書(かしょ)萬金(ばんきん)に低(あ)たる
白頭(はくとう)掻(か)けば更(さら)に短(みじか)し
渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲(ほっ)す。
(続く) 日本の名句・名詩・名歌を集めた本ってまずないんだよな
一冊でお得な詩集があれば入門にいいと思うんだがな… (>>59の意味)
国は滅亡してしまったけれど、山や川は元の姿のまま存在している。
(戦争で壊れてしまった)町には春が来て、草木が青々と茂っている。
戦争の絶えない時代を感じては、花にさえも涙を流し
(家族との)別れを悲しんでは、鳥にさえも心を乱される。
戦争は3ケ月の間絶え間なく続き、家族からの手紙は、お金に代えられない
大きな価値を持つ。
白髪だらけの頭を掻けば髪の毛はさらに短くなり、
もうかんざしを挿すのも無理になりそうだ。 >>60
そうかー、
そういうの、あまりないのか^^
詩集なんかでは、みんなで読もうぜ、っ的な、本を、
時たま、見かけるんですけど、
たしかに、
俳句・短歌は、あまりみないなー。
研究が、どうしても、偏るのかも、しれないね^^ 「日本の現代詩101」 高橋 順子 あたりはどうなんだろう?
名句・名歌だったら大岡信の「折々のうた」シリーズを徐々に / --、 \
/ (⌒) ヾ i
/ ""(_ (ヽ) >>1さん 元気だしなよ
/ `-ヽ__)゙/ 醤油温めたけど飲むかい?
/ /
/ /
/ /
/ `ー- く
/ 。 \
/ 。∫∫゚ ヽ
/ /^ー:r ̄ ̄ ̄i l
| i / ,ノ、__ノ | >>64
ごめんね^^
本当に、心から、謝ります^^
ごめん^^
ヤフーで、「AA 詩」って、検索したんですけど、
正直、詩みたいなのは、あまり、出てこなくて(笑)、
励ましソング、みたいなのが、出てきて、
>>64さんが、言うの、これかな?
なんて感じで、レスしてしまいました^^
本当に、ごめんね。
おれを、見捨てないでくだせえよ^^
以前、パウル・ツェランの、ネット絵を、観たけど、
すごく、ツェランの、繊細な感じが、出てて、
上手く、描かれてた^^
>>65
これこそが、お噂に、お聞きする、
アスキーアートかー!!!
やっぱ、こういう、絵が、上手い人は、
なんらかの、形で、デザイン系の、ことを、
されてるんだろうな^^
ああ、まあ、元気出すよ。
醤油、100杯くらい、飲みたい、気分だぜ!!! >>64
高橋順子さんの、本、今、アマゾンで、見てきた^^
評は、すごく、いいみたい。
詩の、読み、註なんかも、充実してるみたいだよ。
おれも、すごい、欲しいけど、
うーん、¥1500かー^^
今は、手が出ない(T0T)/
大岡信さんの、「折々のうた」は、新聞掲載の、短歌・俳句、評が、
載ってるみたいだね^^
大岡さんは、詩よりも、評論に、力を、入れられてるな^^
最近、おれ、村野四郎の、『現代詩読本』
っていうの、読んだよ^^
すごく、いい本です。
この一冊だけで、近代詩は、ほぼ、カヴァーされてると、
思う。
アマゾンでは、馬鹿高いので、買わないほうが、いいです。
おれは、図書館で、借りて、読みました^^ 「申告」天野忠
死んでから
神様の前で
正直に申告する。
向うの台帳どおりかどうか
名前、年令、職業、死因、その他
例えば
──名前は
──ハイ 太宰治 三十九才
──職業は
──(小さい声で)小説家
──死因は
──心中でした。
空白欄に
神様はポンとはんこを押す。 可
それから
恥ずかしそうに
太宰治は極楽へ行く。
| |l ̄|
| |l民|
| |l主|
| |l党|
| |l_|
| .|_∧
| .|`∀´>
| .⊂ ノ
| .| ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
民主党とAKBの関係が遂に明かされようとしている
秋元康の後ろには蓮訪
蓮訪の後ろに前原、枝野 そして民主党全体
税金を使ってAKBを宣伝し、その税金が民主党に流れている
AKB自体が、税金目当ての捏造ブーム
詩関連の本は高いうえにすぐ絶版になっちゃいますね〜
村野四郎の『現代詩読本』も絶版のようですね
さいわい最寄りの図書館は他の図書館とと比べても詩のコーナーが充実してるのでラッキーっす
折々のうたはBookoffの100円コーナーで見つけるたびに買って徐々に増やしてます >>69
おれは、SKE48の、矢神久美ちゃん、神押し!!!
久美ちゃんの、ユニークなとこ、と、
なんか、人間的に、ふんわり、してるとこが、大好き♪ 折々のうたは名著だよね
図書館で夢中になって読んだなあ
他にも大岡氏の本では百人百句とかよかった >>72
百人百句! 初めて俳句に対する興味を持たせてくれたありがたい本、俳人の書いた俳句の本より数段面白かったよ
が、いまやこの本も絶版なんだよな… >>72
>>73
百人百句、とても、いい、題だ^^
この本も、絶版なのか(T0T)/ >>73
あれもう絶版なのか
この前近くの本屋でみたようなw
確かに専門の人間が書いたものが、必ずしも面白いとは限らないんだよね >>70
やっぱ、詩、関係、高いですよね^^
出ても、おれには、買えない(T_T)
図書館で、詩関係が、充実してるのは、うらやましい^^
昔、高木護さんの、詩集、図書館で、全部、コピーしたもんなー(遠い目♪)
なんと!!!
折々、が、100均で、買えるとわー!!!
アマゾンで、中古で、出てる、『現代詩読本 村野四郎』高すぎ!!!
そこまでして、買うような、本じゃ、ないです^^
おれ、まだ、借りた本が、部屋に、あるので、
取り上げられてる、詩人さん、書き出しときますね^^
北原白秋・高村光太郎・萩原朔太郎・室生犀星・千家元麿・佐藤春夫
宮澤賢治・中原中也・金子光晴・草野心平・北川冬彦・西脇順三郎
さん、なんかを、村野の、おっさんが、論じて、おります♪ 今、アマゾンで、見てきたんですけど、やっぱ、吉本隆明さん、関係の、
新刊、何冊か、出てるね^^ >>77
ここで初めて吉本さんを知るという若い人たちも出てくるのかもしれませんし
吉本さんの思想が新たに受け継がれていく契機になるのかもしれませんが
死者に群がる…という感も否めないよなぁ >>78
そうですよねー^^
本当に、ある意味、
吉本隆明さんの、死によって、
何か、とても、重要な、ものが、
終わった感、おれも、あるもんなー^^
上杉謙信家訓 十六箇条
一 心に物なき時は心広く体秦なり
二 心に我儘なき時は愛嬌失はず
三 心に欲なき時は義理を行ふ
四 心に私なき時は疑ふことなし
五 心に驕りなき時は人を敬ふ
六 心に誤りなき時は人を畏れず
七 心に邪見なき時は人を育つる
八 心に貪りなき時は人に諂うことなし
九 心に怒りなき時は言葉和らかなり
十 心に堪忍ある時は事を調う
十一心に曇りなき時は心静かなり
十二心に勇みある時は悔やむことなし
十三心賤しからざる時は願い好まず
十四心に孝行ある時は忠節厚し
十五心に自慢なき時は人の善を知り
十六心に迷いなき時は人を咎めず 「暗視野」渡辺武信
眠れない夜々の中に
一心に数えられている
椅子 死体 羊たち
それら ぼくたちの都会の夜空に
暗い星座をつくって流れる
きみのくるしげな不眠は ただ
夜の堅固な表面に金色の羊たちを殖やす
その輝く毛の渦をかき分け
ぼくの眠りがうがった細い細い井戸の中に
ひとつの記憶だけが
撃たれたハトのように落ちていく
きみの傷口は地平線を覆って
まぶしく口をひらく
けれど おそらく 撃たれたのは
ぼくだ 落ちていくのは幼いぼくだ
どこまでいったいどこまで落ちるのアリス
あ あそこ 石炭袋 空の孔だよ
どこへ行ったのカムパネルラ
首をちょんぎっておしまい はたして
豚は飛べるか猫は笑うか
問いはいちどきにぼくのまぶたを侵す
落下しながら水中花のようにひらく記憶の垂鉛
夜は地の果てからきみの唇から時代から
あふれあふれだして
血まみれのアリス血まみれのジョバンニを洗う
光に群れる魚たちのように
ぼくの指が集っていく
巨大な闇の果実
その内部にすでにくりぬかれている
無数の そしてただひとつの顔 >>82
まだ読んでなかったら
「ガリア戦記」
日本のは良いの無いと思う、「記録」っていう概念が成立してない時代だから仕方ないけどね。
>>83
おお!!!
なるほっ!!!
「ガリア戦記」読んで、みまっす♪ 「ノアの方舟」嵯峨信之
眠つているぼくを起こしにくるのは
どこかの水平線だ
そのやわらかな水平線が
縫目のないしかたで遠くからぼくの瞼を撫でる
それでもぼくが目ざめなかつたら
ノアの方舟の鐘を鳴らして起こされるだろう
ぼくのはるかな記憶を利用して
その背後(うしろ)にひろがる緑の反響(こだま)で
だがぼくはなお目ざめない
しずかなしずかな瞼の中をどこまでも漂流していく
ぼくには遠ざかるものしか
まだ来ていない
*
ぼくは眼を刳りとつた
心をぼくにしかと釘づけするために
ぼくは耳をおもいきり削いだ
たれからも全くぼくが自由であるように
ぼくは唇を縫い合わせた
他から何一つ求めないために
ぼくは両足を断ち切つた
たれも行きついたもののない遠くへ行きつくために
ぼくは両手を切り落とした
さいごに抱いたものを全身で記憶するために
(続く) http://ishii.mai433.com/profile.html
石井さんとの出会い (島田誠「無愛想な蝙蝠』風来舎より抜粋)
受話器の向こうで、内気な声が必死に訴えるようにしゃべっている。
「突然、電話してすみません。」おたくのギャラリーは、時々拝見させていただい
いますけど、先日『ギャラリー・インフォメーション』を読ませていただいて、
信濃デッサン館への旅に感激しました。こんな文を書く方なら、私のことをわかってくれる
かとおもいまして.......」時々、胸の病気を想像させるような咳をまじえながら、
彼は延々としゃべり続けた。
「石井一男。49歳。年老いた母親しか身寄りがなくて、内気な性格で、友人もいない。
夕刊を駅へ届けるアルバイトをしながらひたすら絵を描いている。でも体調も悪い、
あまり先がない予感もする。絵をみていただくだけでよいから」
あまり暗い話ぶりに、途中で電話を切るわけにもゆかず途方に暮れてしまう。
すがりつく声に「ともかく、一度資料か絵を持ってきてください」と電話を切る。
やりとりに耳を傾けていたスタッフが「変な電話ですね」と肩をすくめてみせる。
二枚、三枚と繰ってゆくうちに、今度はこちらが息を飲む番だった。
これは素人の手遊びとはとても言えない。どれも三号くらいの婦人の顔を描いた小品
だけど、孤独な魂が白い紙を丹念に塗り込めていった息遣いまで聞こえてきそうだ。
(>>85続き)
この世にはどこかに大凪の海があるだろう
少しずつ少しずつ流れている大凪の海があるだろう
もしぼくがその海を空樽のように漂流していたら
いつかはノアの方舟が拾いあげてくれるだろう
そしてぼくを新らしい世界へ送りとどけるために
方舟は鐘を鳴らしながらゆるやかに進路を変えるだろう >>86
おれは、絵も、大好きで、ダリ、キリコ、マグリット、なんかの、
シュルレアリスム系、
ドイツの、ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファー、なんかが、
大好きです。
石井一男さんの、お名前は、初めて、お聞きします。
「石井さんとの出会い」ホームページへ、飛んで、読みました。
絵も、観せていただき、おれは、深い、祈り、を感じました。
ルオーの、絵に、似てる。
精神の、とても、深いところを、突いてくる、絵です。 お、久しぶりに(笑)ツボだぞ、嵯峨信之さんか。スレ立て主はいろんな詩を紹介してくれて楽しい。
穏やかな模糊とした一連から思わぬ激しさの2連へ。(たぶん(続き)の所で連が分かれるのだと思うけど)
ふたたび凪の3連へとこの詩自体が大きな波のような、ゆったりとした音楽のような詩ですね >>89
久しぶりに、>>89さんの、ツボったかー^^
おれも、がんばるべ^^
うん、(続き)の所で、一行、空き、があって、>>87が、最終連^^
そうだね、音楽、嵯峨さんは、とても、詩のリズムに、
気を付ける、詩人さんです。
晩年まで、ジュール・シュペルヴィエル、ルネ・シャール、
ジュゼッぺ・ウンガレッティ、の詩を、
嵯峨さんは、熱心に、研究したらしいぜ^^
嵯峨さんの、詩は、全体に、すごく、死の匂いがする、
詩が、多くて、晩年に向けて、シンプルな、詩形に、
なっていかれる、感じ。
今、「現代詩フォーラム」で、箱舟さん、という詩人さんが、
詩を、投稿されてます。
ヤフー検索で、「現代詩フォーラム」と検索して、
「現代詩フォーラム」のサイトで、人名検索「箱舟」と、
入力されたら、箱舟さんの、詩が、読めます^^
たぶん、>>89さん、が、好きな感じの、詩だと、思うので、
時間がある時に、読んであげてください^^
明日、バイトから、帰ったら、もう一篇、嵯峨信之さんの、詩を、
貼ってみるよ♪
嵯峨信之全詩集 [単行本]
嵯峨 信之 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
雑誌「詩学」によって詩を支えるかたわら、生の根源的なテーマを限りなく追
いこんで自らの詩を彫琢した詩人の全貌。生前刊行された詩集全七冊をはじめ
、単行本未収録詩篇、未発表詩篇を完全収録。丹念な調査に基づく作品解題、
青土社版「自己“半年譜”」を増補した詳細な年譜を付す。
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登録情報
単行本: 653ページ
出版社: 思潮社 (2012/05)
ISBN-10: 4783723583
>>91
ご紹介ありがとうございます
4月に出たばかりの新刊ですね、完全収録とは豪勢です
丹念な調査に基づく作品解題というのも魅力ですし
しかし! 果てしなく高い壁が! 定価9,030円(税込)
まずは現代詩文庫の嵯峨信之詩集あたりからですね… >>91
>>92
まだ、ネット書店には、出回ってない、みたい。
現代詩文庫の、嵯峨信之詩集、
嵯峨さんの、良い詩が、集成されてて、とても、いいよ^^ 上で、鉄拳の「振り子」
について、語ろう、と、
言われてた人、
良かったら、
おれと、「振り子」について、
語り合わないか?
涙、人間の、悲しみ、について、
少し、語り合わないか?
良かったら、出てきてくれ^^ 「春雨」嵯峨信之
ぼくが消えてしまうところが
この地上のどこかにある
死は時の小さな爆発にあつて
ふいに小鳥のようにそこに落ちてくるだろう
その場所はどんな地図にも書いてない
しかし誰かがすでにそこを通つたようにおもわれるのは
その上に灰いろの空が重く垂れさがつていて
ひとの顔のような大きな葉のある木が立つているからだ
あなたは歩みを早めて木の下を通りかかる
そしてなにかふしぎな恐れと温かな悲しみを感じる
ぼくの死があなたの過去をゆるやかに横切つているのだ
ろう
春雨がしめやかに降りだした
いますべての木の葉が泣きぬれた顔のように
いつまでもじつとあなたを見おろしている 「断章」嵯峨信之
死というのは
どんな階段をのぼらねばならぬのか
水晶の階段の上空で
雲雀が鳴いている
ひとりの男が森の中へ駈け込んでいつた
全ての時が着くのはどこの岸辺だろう
大きな終りが待つていたように梢にざわめいていた
風が急に止む
筏は遠くへながれていつた
ここまで書くとぼくはふいに眠くなる
ぼくの名がいつか消えてしまう
だれも行つたことのないところまでゆき着くと
そこでもかすかに雲雀が鳴いている 「永遠」嵯峨信之
永遠とは
多くの時間のなかを流れるひとすじの時間だ
そこだけに別離がある
そこだけに物憂さがある
そこに 失つたものから匂いが帰つてくる
そこに 手を触れた温かい記憶が止どまつている
とは云え
どこでぼくは迷路に踏みいつて日がたつたのか
その流れの外で自分を喰うことをいつ覚えたのか
歩みの王のぼくという下僕よ
*
昨日とはどういうことだろう
忘れるという領土はどこからつづいているのか
また遠ざかることで何が始まるのか
納屋いつぱい積みあげられた小麦の山
一匹の野鼠がその下に這い込んだとき
戸外では急にはげしく雨が降りだした >>95-97
嵯峨さんの詩ありがとう。>>91にも超弩級の本紹介してもらったし
この方の詩はゆったりしてるなかに緊張感もあり、
沈んだトーンにさえ澄み切った透明感があるように僕は思います。
現代詩フォーラムのほうも覗いてみますね。
しかしあなたは義理堅くまめな人ですねぇ、尊敬いたします。
僕は休み明けの仕事で疲れちゃったぞ
>>98
おれも、休み明けの、仕事、やっぱ、
すごい、きつかったよ^^
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