「一匹の虫」犬塚堯

いつも散歩する道の小さな穴に心ひかれていた
それは鼻孔のように息づいていたからだが
ある正午 汗のような雨が降ったとき
一匹の虫が穴から出てきた
何かなじめぬ様子で辺りをうかがい
やがて小さな一声をあげた
僕にはそれが「主(しゅ)」(SHU)と聞えた
虫が戴く主とはどの警句より鋭く 真面目で
無神論者をも驚かす響きがあった

握ると虫の体臭があふれ
ふくらんで産卵の気配をみせた
眼を近づけてよく見ると
芥子粒のようなそれが実は厳然として
傘をもった竜の形をしているのだった
若いが既に豊かな知識をもち
僕の掌を少しずつ食い破ろうとした
そのように行動するのはおそらく
主と呼んだ声につづく確かな説話をもつものとみて
僕は自宅に持ち帰ったのだ

(続く)