ちょっと「涙」について語ってみないか?

最近巷で耳目を集めた鉄拳の「振り子」について語ってみないか?

ずいぶん前に「一杯のカケソバ」っていう小話が流行ったときや、「マディソン郡の橋」
が流行ったときみたいに、おいらは感傷は魂のポルノグラフィーだ、と切って捨てようと
したんだけど、「振り子」はちょっと違うな、という感覚が仄めいて出来なかったんだ。

「一杯の・・・」や「マディソン・・」と、「振り子」の涙の違いって何だろう?

あるいは、ボーカロイドの曲「ココロ」や「LAIKA」も「振り子」と同じように切り捨てることが
出来なかったのは何故なんだろう?

涙に「質」はあるんだろうか?