守中高明 ‏@ladissemination 8月13日
たとえ飯吉訳が(ドイツ語門外漢の私から見ても)時として明らかな文法的誤りを含んでいるとしても、
ツェランの詩の精神を、その〈魂〉を日本語として鳴り響かせ得ているのはただ飯吉訳のみである。やはり≪Lichtzwang≫は「光輝強迫」ではなく「迫る光」でなければならぬ。
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守中高明 ‏@ladissemination 8月13日
飯吉光夫『パウル・ツェラン――ことばの光跡』(白水社)読む。1966年から2011年そして書き下ろし
を含む折々に書かれたエッセーを纏めた一冊。決して高度な文学研究ではないが、しかしツェランの全
体像が確かに伝わってくる。ツェランの詩の日本語訳者に飯吉光夫を持ち得たことは幸運である→