マグナも津原も澁澤を何時まで読むつもりかねw
澁澤は現代においては価値ゼロだ。
澁澤の追随者である限り、津原は何百冊出しても、ゼロであるしかない。
ドラコニアきたん集『極楽鳥について』から、抜粋すると、
ヘルベルト・ヴェントのごときは、次のような大胆な仮説を述べている。

......中略・・・・・・・
しかし、私の印象を率直にいわせてもらうならば、このヴェントのいかにも
本当らしい意見は、どうにも眉唾物のような気がしてならないのである。

これは一見して、花田清輝の文体を真似たものと分かるが、ごく表面的にしか
花田の文体を澁澤は理解していないから、こんな醜態をさらすことになる。
ここで、澁澤がヴェントの「仮説」や「意見」を眉唾物のような気がする、と
言うが、仮説や意見は元々が相対的なものであるから
それに対して眉唾であるという言い方は有り得ないのだ。
花田が「眉唾物である」と、言う時は、歴史的常識に対してなのだ。花田だけで
なく、「眉唾物」の使い方はそうあるべきだと思うが。
澁澤は形だけ花田を真似するから恥を曝すことになる。
無論、澁澤の『ドラコニアきたん集』や津原の「不思議」は花田にとっては
まったく意味のないものであったし、花田以後を目指す俺にとっては
問題外の事だった訳だが。