【破戒】 島崎藤村 Part1 【夜明け前】
島崎 藤村(1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日) 日本近代文学を代表する詩人、小説家。 主な作品 若菜集(1897年8月、春陽堂) 千曲川のスケッチ(1912年12月) 破戒(1906年3月、自費出版) 春(1908年10月、自費出版) 家(1911年11月、自費出版) 桜の実の熟する時(1919年1月、春陽堂) 新生(1919年1、12月、春陽堂) 夜明け前(1929年1月、1935年11月、新潮社) ご尊顔 http://jinbutsukan.net/person/photo/p_shimazaki-toson3.jpg http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6f/Shimazaki_Toson2.jpg http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jun72/20111104/20111104224245.jpg 若い頃はイケメン。老いても美貌。 藤村は、高校時代に読みふけった。 「海へ」では、船が波に揺れる様を見事に描写しているし、 疎開先のリモージュで現地の子供たちと触れ合う場面も感動的だ。 自己レス。 疎開先のリモージュは「エトランゼエ」。 夜明け前とか長編すぎて最近の若者は読破できんだろう・・・ >>7 たしかに第一部は歴史的記述が多すぎて退屈だけど、他は じっくりと味わって読める。登山をする人でもただ頂上を 急ぐような人は「夜明け前」は苦痛かもしれない。頂上を急がず 路傍の草花も愛でるのが好きな人向けの作品だと思う。 来年で没後70年かぁ 昭和17〜8年は藤村の他にも秋声、白秋、朔太郎、晶子と大物の訃報が続いたんだよね >>13 生前の藤村をよく知る人は、昭和18年当時20歳としても、90歳だから ほとんどいないだろうね。 手元に1992年11月の朝日新聞の記事があって、藤村が1914年リモージュに 疎開していた時に水切りの遊びを藤村に教えてもらったという当時 7歳の少年だったラロシュ氏がインタビューに応じている。1992年時点で 85歳だから彼も鬼籍に入ったはず。 テキサスに旅立つっていう結末は如何なものかっていう指摘は散々されてきたんだろうな 言ってみれば逃げなわけで何の根本的な問題解決にもならないし 社会を変えようと努力するわけでもないんじゃ しかし、藤村は破戒をよく書いたなあと感心する。 明治に来日した外国の宣教師たちも日本には同じ白人の黒人がいる と、言っているらしい ┏━━┓ ┏┓┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┛┏┓┃ ┏┛┗┛┗┓ ┃┃ ┏┛┗┓┏┛┗━━┓ ┏┛┗┓┏┛┗━━━┓ ┗━┛┃┃ ┗━┓┏━┛ ┏┛┗┓ ┗━┓┃┃┏━━┓┃ ┗┓┏┛┃┏━━┓┏┛ ┏━━┛┗┓ ┃┃ ┃┏┓┃ ┃┃┃┗━━┛┃ ┃┃ ┗┛ ┃┃ ┃┏┓┏┓┃┏━┛┗━┓ ┃┃┃┃ ┏┛┃┃┏━━━┛ ┃┗━┓┏┓ ┃┃ ┃┗┛┗┛┃┗━┓┏━┛ ┏┛┃┃┗┓ ┃┏┛┃┗━━━┓ ┃┏┓┃┃┃┏┛┃ ┃┏┓┏┓┃ ┃┃ ┃┏┛┗┓┃ ┃┃ ┃┏━━┓┃ ┏┛┃┃┃┃┗┛ ┃ ┃┗┛┗┛┃┏━┛┗━┓ ┏┛┃ ┃┗┓ ┏┛┃ ┃┗━━┛┃ ┃┏┛┃┃┗┓ ┏┛ ┗━━━━┛┗━┓┏━┛ ┃┏┛ ┗┓┃ ┃ ┗┓┗━━━━┛ ┃┃ ┃┃┏┛ ┗┓ ┏┓┏┏┏┓ ┃┃ ┏━┛┃ ┃┗━┓┃┏┓┗━━━━━━┓┃┃┏┛┃┃┏━┓┗┓ ┗┛┗┗┗┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗━━┛┗┛┗━━━━━━━┛┗┛┗━┛┗┛ ┗━┛ まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめ なり 破戒しか読んだことないけどこの人の文章のうまさには本当に感心する だから今でも読み継がれてるんだよ。「海へ」も素晴らしいし、 「夜明け前」の奥深い筆致はやっぱり最高。詩人藤村が至る所に 顔を出している。 あたりは静かだ。社殿の外にある高い岩の間から落ちる清水の音よりほかに 耳に入るものもない。ちやうど半蔵が坐つたところからよく見える壁の上には、 二つの大きな天狗の面が額にして掛けてある。その周囲には、嘉永年代から 、あるひはもつとずつと古くからの講社や信徒の名を連ねた種々な額が奉納 してあつて、中にはこの社殿を今見る形に改めた造営者であり木曾福島の 名君としても知られた山村蘇門の寄進にかかる記念の額なぞの宗教的な気分を 濃厚ならしめるのもあるが、殊にその二つの天狗の面が半蔵の注意をひいた。 耳のあたりまで裂けて牙歯のある口は獣のものに近く、隆い鼻は鳥のものに 近く、黄金の色に光つた眼は神のものに近い。高山の間に住む剛健な獣の 野生と、翼を持つ鳥の自由と、神秘を体得した神人の霊性とを兼ね具へた やうなのがその天狗だ。製作者はまたその面に男女両性を与へ、山岳的な 風貌をも附け添へてある。例へば、杉の葉の長く垂れ下つたやうな粗い髪、 延び放題に延びた草のやうな髯。あだかも暗い中世はそんなところにも 残つて、半蔵の眼の前に光つてゐるかのやうに見える。 鳥肌が立つ。 末娘の柳子さんでも流石にもう亡くなってるかな? 1910年生まれだけど 亡くなってても最近まで生きてた可能性はあるね 柳子さんの没年を調べてみたけど、ネットでは見当たりません。 手元にある「写真と書簡による島崎藤村伝」(1998年発行)には 「父にゆかり深い千曲川のほとりに臼田町でその生涯を閉じた」と あるから、物故されたのはそれ以前ですね。 >>29 どこが流麗だ? まるで法律家の文章みたいなダラダラした文章じゃないか。 へたっくそな文章例そのものだよ、こんなのは。(笑) >>34 では、君が素晴らしいと考える文章例を挙げてみたまえ。 >>32 情報サンクスです やはり亡くなってましたか 「写真と書簡による〜」を検索してみたら表紙が今まで見たことない写真で新鮮 車から藤村が降りてきたところかな 値段がちょっと高いから図書館で探してみよう 和解の人だっけ? 親族での混血してて発狂しにかけたんだっけ >>37 東京大学構内に足を踏み入れる藤村の写真です。 「写真と書簡による〜」は島崎藤村コレクション全4巻の 第1巻です。 藤村とこま子の間に生まれた子供は男子で、本所で出産後、他所へ 養子に出されました。小学校でもよく出来たそうですが関東大震災の 時から音沙汰が絶えた、と西丸四方著「島崎藤村の秘密」に書かれて います。 正宗白鳥がね〜 小林秀雄との対談中で、明治以来の文学者の中では なんといっても藤村が一番っていってたね。 漱石鴎外谷崎志賀永井を おいての評価だから非常に高いよね。 小林は藤村苦手であまり評価してないようだったね。あの文章は下手すぎるのか うますぎるのかしら、などと両極端で評価して。えらそうな性格が嫌いなひとには 嫌われたとか。 この島崎藤村の評価をめぐって、小林は絶筆の白鳥論で再考することになるんだな。 自分の知性感性自分の言葉で批評を語れない人には凄い批評家が必要です。 需要が供給を作ります。大批評家には常に需要がひっきりなしです。(笑) 新生とか自分のスキャンダルをネタに作品を書いてた人だな それが自然主義作家ってことなんだろうけど >>43 俺は一流認定してるね。 まあ、ひとによってずいぶん評価は違うね。 全然もしくはあまり認めてない文学者批評家哲学者もおおいからね。 藤村だって認めてるひと、認めないひと、いろいろいるわけでねw 島崎藤村は1872年、木曾の馬籠宿の本陣で庄屋と問屋をつとる旧家に生まれた。 父、正樹は平田派の国学を信奉する人だったが、明治維新の動乱期をうまく乗り切れず、 家産を失い座敷牢の中で狂死してしまった。 その上、母は不貞の人だったし、兄秀雄は詐欺事件で二度も投獄され, 次兄は遊郭遊びで性病をうつされて廃人同様の身になっていた。 そのころ藤村は小諸義塾の教師として25円の安月給で、 こんな二人の兄の生活を見なければならなかった。 そんな悲惨な生活の中で生まれたのがデビュー作の小説「破戒」であった。 しかし、破戒の執筆途中で一人の娘が死に、ついで本が店頭に並ぶころには残りの 娘二人も栄養失調で相次いで亡くなり、又妻冬子も目が見えなくなってしまった。 一見、誠実で謹厳そうな風貌の藤村だったが、当時の文壇では案外評判が悪かった。 金銭的にもケチで、金銭に対する執着心は相当のものだったようである。 それは上記のような若き日の金銭的苦労のせいかもしれない。 その上、藤村の家系には好色の人が多く、藤村は自分の身内のスキャンダルや友人、 知人の性生活を題材に託して、自分の性体験や悩みを投影させた作品を作った。 水彩画家の丸山晩霞はそのモデルにされ、家族まで傷つけられて 「藤村は実に悪い男だ、自分の実録を懺悔するために親しい友人になすりつけるとは・・」 と激しく怒っている。 実生活でも42歳のとき、妻冬子の死のあと家事手伝いに来ていた姪の「こま子」に 手を出して妊娠させて、さらにこのスキャンダルを題材にして「新生」という小説を書いた。 藤村には身近な女性にすぐ手をつけるくせがあり、 昭和3年には津田塾出身の助手の静子にも手を出して愛人関係になり、再婚している。 このときの情景を静子は後にこう書いている。 「私がなにげなくコタツの上に置いた手に、ふと先生の指が触れたかと思うと、 先生は私の手を一本一本広げようとした。あわてて手を引こうとしたが、 その時はもう私の手は先生の指の間のしっかりと組み込まれてしまっていた・・」 そんな非道徳的な藤村に対する風当たりは強く、漱石こそ藤村を評して 「明治で最初の小説家である」と評価したが、 谷崎潤一郎や芥川龍之介は藤村の人も文学も嫌って「老獪なエゴイスト」と称している。 自然主義作家「田山花袋」の臨終の席で、花袋の耳元で「死んでいく気分はどうかね」と 尋ねたという話は、自然主義文学者としての藤村の冷徹な観察として評判になったが、 死に行く者に対しては随分残酷な話でもある。 藤村は昭和十八年に72歳で亡くなったが、死を前にして静子に向かってぽつりと、 「私の過去は惨憺たるものです」と、つぶやいたと言う ttp://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/59099933.html 作品(特に夜明け前)が好きなため、作家自身の人格はほとんど気に なりません。それをいちいち気にしていたらベートーヴェンの音楽も 聴けなくなってしまう。「死んでいく気分はどうかね」という有名な 言葉は作り話だとする説が有力らしい。 作者は作者、作品は作品、とは言ってもなあ。 音楽美術とは違って文章には思想(広義)が必ず一緒にあるからなあ。 「それをやっちゃあおしめえよ」をやるやつの小説はなあ。 だから小人の説だ、かなあ、しかし。(笑) 「なあ、なあ、なあ、かなあ、しかし」 続きを楽しみにしてますw 島崎藤村の自然主義小説、私小説は、後になるほど一般的な 小説の読み手、社会的な読み手からますます離れていった。 要するに一般的な小説愛好の基準からいうとつまらなくなっていた。 このプロセスを内面的に理解しうる手がかりとなる唯一の観念は 「歴史」であると、藤村のもっとも深い読み手であった白鳥を論ずる 批評において、小林は示唆しているね。 日本の自然主義小説は、個人の身の上話=個人史→歴史という 経路でもって、私小説に課された歴史的制約を内面化したと。 「春」から「家」にかけて、小説で一般的に想定される読者から 藤村がますます離れていくのは、そういうプロセスであると。 「歴史と文学」という問題を論ずるためには、藤村は 格好の題材であった、ということか。 長編は「夜明け前」「暗夜行路」「豊饒の海」で満足している。 内面化ってどういう意味よ? わかりやすくいうなら? >>56 わかりやすく言えって? んーじゃまあ、作家が自分の宿命をみいだすこと とでもいえば、わかりやすいかなw この言葉わかりやすいかどうかはしらないが すくなくとも、非常に短く圧縮された表現であるという利点はあるね。 夜明け前がいいな。歴史小説であり思想小説でもある。日本近代文学の最高峰 だと思う。破戒は差別的表現を含むといって解同に批判されてなかった? 藤村は鴎外の前ではかすむよ 鴎外こそ日本文学史上最高峰の作家 >>61 鴎外の傑作をいくつか紹介して下さい。 自分は中学生の頃に「高瀬舟」と「最後の一句」を読んだぐらいです。 >>62 「夜明け前」には詩人藤村が至る所で顔を出していますね。 鴎外って作家としての評価はそこまで高いか? 役職、肩書きは偉い人だったけどさー もうちょっとシビアなツッコミがくるかと冷や冷やしてたが >>64 くらいのなら、簡単に処理できるな。 >>64 の考える 内面化の意味をわかりやすく説明してみろと、これで 十分だろ。 フィロソフィの無ぇバカばっかりがもてはやすんだよなあ、こうゆうバカは。 バカ発見機の「最高峰」。(嗤) 自分勝手自己中心自己保存自己利益だけで生きたら世間の常識と衝突したってだけだ。 それを日本の近代と格闘だなぞと、思い入れもいい加減にしろ、阿呆。(嗤) 「夜明け前」冒頭の自筆原稿に惚れ惚れする。 推敲の跡があるのに簡素。稚拙なようで折り目正しい 文字が並び、見ているだけで心が落ち着く。 夜明け前の原稿って馬籠の藤村記念館にあるんだよな、たしか。 藤村の評伝とかに必ずといっていいぐらい写真が出てるから見たことはある。 >>76 「夜明け前」の自筆原稿は馬籠の藤村記念館にあります。 実物を見ましたが迫力満点です。「東方の門」の絶筆の部分も 展示されていて、胸が詰まる思いでした。 「夜明け前」冒頭5枚の自筆原稿の複製を持っていますので、 2枚だけupしておきます。携帯のカメラで撮ったため鮮明さは 欠きますが、読めると思います。 http://sakuraweb.homeip.net/uploader/src/up196937.jpg http://sakuraweb.homeip.net/uploader/src/up196938.jpg 漱石も鴎外も藤村より偉い、しかし、「夜明け前」を超える作品は書いていない。 >>84 イマシメヲヤブル・・・ je ne comprends pas quel relation y a-t-il avec le sang. >>84 すみません。 フランス人なもので。 破戒と血が濁るってどういうつながりなんですか? でたらめです。これ以上くだらないことは書かないように。 通報ものです。せっかくこのスレはいい流れなのに、 作家を中傷するなんて最低。 >父、正樹は平田派の国学を信奉する人だったが、明治維新の動乱期をうまく乗り切れず、 >家産を失い座敷牢の中で狂死してしまった。 >その上、母は不貞の人だったし、兄秀雄は詐欺事件で二度も投獄され, >次兄は遊郭遊びで性病をうつされて廃人同様の身になっていた。 ここら辺のこと? 藤村本人も姪に手を出してるし 次兄・広助(こま子の父)が廃人同様の身になっていたというのは 初耳だ。調べてみる。 三兄・友弥はそうだったらしいが。 島崎藤村事典(明治書院)によると「性病を移されて」にあたるのは 三兄友弥。彼が詠んだ歌二首が紹介されているが、かけ離れた性格 破綻者である反面、文学的素質に恵まれていたことがわかり興味深い。 「まんがで読破」シリーズに夜明け前が登場してた 原作は難しい&長すぎて途中で挫折したから、大まかな物語の流れを知るには助かった 生前の藤村を知っている人もさすがにいないだろうなあ。 第一次大戦時にリモージュの川辺で藤村と一緒に遊んだ子供たちが 朝日新聞のインタビューに応じたのが90歳近い年齢だったから 彼らも間違いなく鬼籍に入っている。 新潮文庫版「夜明け前」を読んでいます。 第二部下巻、水無神社の半蔵を訪ねる妻お民のところに次のくだりがあります。 「・・・山深い宮峠の麓の位置に、東北には木曽の御岳山の頂も遠く望まれ・・・」 実感に合わず、変です。地図で確かめると、南東または東南でなければなりません。 巻末の注解によれば、夜明け前執筆にあたり藤村が飛騨へ取材旅行をした形跡はない、 とあります。現地を踏んでいればこのような間違いを犯すことなきものを、 と残念でなりません。それとも私の読み間違いでしょうか? これについて、 何か決着がついていることがあれば、教えていただきたいと思います。 >>97 それくらいの間違いは許してやれ。 それをもって夜明け前が無価値になるとでも? read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる