ちなみに、その『死霊』はわが本棚では、埴谷がこよなく愛好したドストエフスキー
(筑摩の全集)の隣に配置してある。そういえば、小林秀雄もドストを愛好した。
埴谷は左派、小林は右派だが、そういう政治的党派は文学の価値の前では何ら意味をなさない。
それを埴谷雄嵩や三島由紀夫はよく分かっていたと思う。
文学の価値とはとどのつまり言葉の官能性に尽きる。