次に、「現実社会の体現者」として扱いたいのはその風貌だ。
男にも風貌の類型化が見られるが、それは後に回して、たとえば「津田安寿子」だ。
手元に本がないので名前が違っていたらごめん。

彼女は色白で絶世の美人として描かれている。
そしていかにも美人にありそうな繊細さと強さを併せ持っている。
これは19世紀的文学標準に過ぎないと僕は思ってる。

つまり、現実を「類型的」に取り入れている、という判断だ。
彼女が美人であることについての君の考えを聞かせてくれると嬉しい。