【嵐ヶ丘】ブロンテ姉妹【ジェーン・エア】
ネリーがヒースクリフと再会したときの印象が 「ヒースクリフはあまり醜くなくなっていました。」というのが辛辣だと思った。 ネリーに冷たい言葉を吐かせる原作者が皮肉の好きなイギリス人ぽいと思うんだ 激情家カップルのメラメラ燃えてる大悲劇を 冷たい氷でコーティングしてるような書き方が面白い 冷めていいんだか燃えていいんだか 読んでる人間にはヒースクリフに心底惚れさせといてさっ 憎いねっ もっと言うとさ、エミリーさんて妄想の世界で遊んでいても ハッと我に返って「しかし現実はキビしいのだ」といつも思いしっていたんだろな そんな生活がこういう書き方を生んだのかななんて考える エミリーさんはヒースクリフラブの人だったよ。 彼女にとってヒースクリフは小説のなかの人物だけじゃなかったようだ。 妄想の世界で遊んでいるというより半分非現実の世界のなかで正気で生きていた。 『嵐が丘』って、お互いの首筋に噛み付いて、唾液たらしながら、ガルルガルル唸ってる場面なかった? まさにそんな感じがしたんだけど スカルカーってブルドッグがキャシーに噛み付いた場面ならあるけど まさにヨダレを垂らして この小説っていろんな犬が出てくるのね 赤いポインターとか(見たことない、どんなん?) 三姉妹なのに、シャーロットとブロンテばかり語られて、アンが悲惨だ。 まあ、アンが足りなかったのも事実だけど。 ジェーン・エアの新訳の河西弘美って人の訳ってどうなの? チラッと流し読みしたらそんなに悪くない、っていうか田中西二郎の訳と そんなに変わらないと思ったけど 一部のネット評で不感症の女がポルノ小説を訳してるみたいに 無味乾燥な翻訳みたいに酷されてたようだけど そもそも英語って無味乾燥だと思わない? 癖のある翻訳すればそれはそれで嫌がる人もいるわけだし 英語のほうが語彙が多いんじゃなかったっけ? >>4 ネリー 無味乾燥と語彙って全く別の話じゃないか わかって言ってるの? 難しい言葉放り込むだけってのはやめてくれ てかこのスレなさけない奴多すぎシャーロットとブロンテとか もういいよ、サヨナラ >>70 エミリーさんは孤高の人。だけど兄弟の仲はよかった。DQNはお兄さんのブロンウェル。 嵐ヶ岡って面白いですか? 長そうだけど読んでみようかと思いまして・・ ↑嵐ヶ岡って書くと日本の地名のようでなんだか味わい深い… ネリーは唯一まともな人物というけど、盗み聞き・見て見ぬふり・要らんおせっかいなどが多い気がする。「家政婦は見た」のようだ。 あんがいくせものじゃぁないかと思う。 シャーロットのはジェーン・エア以外読んだことなかったので、みすず書房とかから出てる他の小説も読みたいんですが。 面白いですか?アマゾンじゃプレミア価格になってて…。 ネリーは乳兄弟のような感覚でしょう。 家政婦のような他人ではないような。 ブロンテ姉妹ってアイルランド系なんだね。 「嵐が丘」って英国人が〜?と言うような変わった小説。 「何か変だなぁ」と思ったらアイルランド系が多いと思う。 アイリス・マードックだって変わってるじゃない。 へぇ〜、アイルランド系って変わってんの? 非常に文学的だって思うけれどね。 どんなところが文学的だって思うかといえば、 肉体がいらない、みたいな考え方でしょう?精神だけでいい。それでさまよう、みたいな。 ある種の陶酔を感じさせるのよね。うまいわあ。 ところで『嵐ヶ丘』新潮版鴻巣訳は悪訳絶版推奨で評価は定まったのかな? >>78 阿部知二が誤訳の根源。 業界内では有名なのだが、阿部訳は誤訳のオンパレード。 新訳を出す際に、旧訳を参考にしたりする。 訳文のチェックや、下訳としてな。 そんで、旧訳=正解と思い、自分が間違っていると思いがち。 こんな感じで、誤訳が連鎖する。 さらに新訳が出るときに、またしても旧訳を参考にする。 複数の間違った訳を参考にしてしまう悪循環が発生する。 これが如実に表れているのが、嵐が丘。 >>78 アマゾンで売られているようです。 以前にあったスレッドで、そもそも翻訳された日本語の意味が分からないと言われていました。 ちょっとそれでは、翻訳本として意味がないようです。新潮版鴻巣訳を初めての嵐が丘として 選ばないことをおすすめしたいです。きらいになってしまうかもしれないから。 嵐が丘の翻訳って本当に難しい。その心髄を表現するためには翻訳以上のものがいるよう。 (新潮田中) 「なんでもないことなの、ただ天国ってところは、あたしの住むところじゃなさそうだと 言いたかっただけ。だからあたしは、地上へ帰りたくて、胸の張り裂けるほど悲しんで泣いてたの。 天使たちがとてもおこって、嵐が丘のてっぺんの荒地(ヒース)のまんなかへあたしを投げ落としたの。 で、そこで、うれし泣きに泣いているところでめがさめたの。・・・」 (岩波川島) 「ねえ、ネリー、わたし、もし天国へ行ったら、とってもみじめな思いをすると思うの… 地上に帰りたくて胸が張り裂けるほど泣いたら、天使たちが怒って、わたしを荒野に放り出したんだけど、落ちたところが嵐が丘のてっぺんで、嬉し泣きして目がさめたわ。」 「なごやかな空の下、僕は墓畔にしばし、たたずんだ。ヒースやほたるぶくろの葉かげに、 我の舞っているのを眺め、草をわけて息づくかすかな風に耳をすました、そして、この静かな大地の下に ねむるひとびとの夢が安らかでないとは、はたして誰が想像するのだろうかと、いぶからずにはいられなかった。」 「穏やかな空のもと、ぼくは墓のまわりを歩きながら、ヒースや釣鐘草の間を飛ぶ蛾を眺め、草にそよ吹くかすかな風に耳をすませた。 そして、こんな静かな大地の下に休む人の眠りが安らかでないかもしれないなどと、誰が考えつくだろう、と思うのだった。」 ここら辺の良し悪しは判断が難しいですわ、本当に。 俺みたいなトーシロはどちらも素晴らしいみたいですと言うほかないw もちろん河島訳は日本語として流れるようにわかりやすいですが、 それが一見くどいように見える田中訳よりもいいのかと言うと…わかりませんとしかw そりゃまあそうですけど、そんなに大きな問題でもないような… すごく大きな問題だと思う。 キャサリン(母)は「あたし」などと言う女性ではないし エドガー・リントンは弱く見えたかもしれないが弱い男ではない >>78 私は新潮版鴻巣訳いいと思うよ。 原文読めない私は鴻巣訳で初めて意味が通ったところが二箇所くらいあった。 マニアには許せないことかもしれないけど。 ほんとうに、人それぞれですね。 それから、訳本もそれぞれ、いいところがあるのですねw 私は、鴻巣訳はちょっと初めての人には向かないのではないかと思います。 その理由は、一番最後の文章が、どちらでも取れるという点です。 嵐が丘は、嵐が丘の人たちの顛末の物語ですが、その物語を語る家政婦のネリーと またまたそれを聞いて語るロックウッドという都会の人という厳重な構造をもっています。 そのロックウッドが最後に、ヒースクリフやキャサリンに対して同情的な常識的な大人の 思いを抱いたというところが結構大切だと思うのです。 鴻巣訳: そして、思うのだった。こんな静かな大地に休らう人々が静かに眠れぬわけがあるだろうか。 原文: and wondered how any one could ever imagine unquiet slumbers,for the sleepers in that quiet earth. 河野訳: そして、このような静かな大地の下に眠る者に静かならぬ眠りがあろうとは、いったい誰に想像できようかと思うのだった。 安部知二訳 そして、この静かな大地のなかに横たわるものの眠りが静かでないだろうなどと、 だれが想像できるものだろうか、と心に問うのだった。 "Wuthering Heights"(嵐が丘)って、荒涼たる風景の中で、登場人物たちはみんな ギスギスしてて、実の息子を階段から落として殺しかけたり、復讐に燃えて周りの人を どんどん破滅させて自分だけが金や不動産をどんどん奪っていったりして、 たくさんの登場人物が次々に悲惨に死んでいくし、凄惨きわまりないんだけど、 一方では、ユーモアがいっぱいですね。一ページごとに何度もクスッと笑わせてくれる ような言葉や場面がある。 Charles Dickens の "Great Expectations"(大いなる遺産)を原文で読むスレ http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1393425859/l50 鴻巣訳が一番わかりやすいじゃんよ。 英語の言い回しには忠実ではないかもしれないけど、日本語としては一番意味が通り易いちゅうことだ。 はっ、もしかして・・・。 鴻巣訳は最後に(いや、無い。)が入る二重否定だよね。 私高卒だよ。 日本語の常識だよね・・・。 たまたま買った永川訳で読んだが良い訳だったと思うよ 末っ子の作品も読んで三姉妹コンプリートしようと思ったけど バカみたいに高い アン・ブロンテは全集くらいしかないからね。 どこか文庫化しないかしら。 映画「ブロンテ姉妹」をずっと前に映画館で見た。 イザベル・アジャーニがエミリー、マリー・フランソワーズ・ピジェがシャーロット、 イザベル・ユペールがアン。男の兄弟がジャン・ソレル。 豪華絢爛キャストなんだが、フランス語版。 あまりと言えばあんまりな・・・で、途中で帰ってしまった。 カール・バルトが出演していたらしいね。 イザベル・アジャーニとか、英語も上手なんだろうに、何でフランス語版を上映したんだ? 翻訳(鴻巣)で読んでそのまま原書で読み始めた 1ヶ月以上かかりそうだが楽しい 「焼き印」とか阿部訳からの誤訳承継なのかねえ 誤訳誤訳っていうなや 誤訳指摘することほど憐れなことってないと思うぞ そもそも誤訳ってなんだ? 英語が日本語になるってどういうことだ? 軽々しく誤訳なんていうなや 誤訳をしたうえに、文脈のつじつまを合わせるため、原文の改編までされるとなあ。 「焼き印」だけだと文章が若干おかしいため、原文には存在しない「火掻き棒」が出てくる訳もあるんだぜ。 でも火かき棒pokerで追い払ってたのに わざわざ素手で殴ってsignetをつけるかね って気もしてきた 吹かしだとしてもロックウッドならありえるが >>96 ,97 アン・ブロンテ『アグネス・グレイ ブロンテ姉妹集T』田中妟男訳 京都修学社 文庫サイズ 1200円+税 2001年刊 遅レスですまんが,参考までに。 18章の二代目キャサリンとヘアトンの会話部分で、 岩波文庫 (河島訳) 「正反対ですって?」 光文社古典新訳文庫 「はん・たい、に!」よ。 新潮文庫(鴻巣訳) 「あい・はん・する、だったら!」 原文 'Con−trary!' 注:traryはイタリック体になっている。(ペンギン版) は、どれが正しい訳か?ちなみに「Contrary」は、発音によって「強情な」 という意味もある。ヘアトンがキャサリンに心を開かなかったことから 岩波文庫の河島訳が正解か? traryの発音がうまくできてないからそこを強調して正して言ってるのかと思ってたわ 指摘のとおり、ヘアトンが後ろにアクセントをつけてしまったというのかもしれないね でもそうだとすると、「強情ですって!」みたいな訳し方にならないとおかしいね 「正反対」は前にアクセントがある方の意味だから、それを使うなら「正反対よ!」みたいになるはず >>105 原文 "Con-trary!" said a voice ,as sweet as a silver bell-"That for the third time,you dance! I'm not going to tell you again-Recollect or I pull your hair!" "Contrary, then,"answerd another,in deep,but softened tones. >「強情ですって!」みたいな訳し方にならないとおかしいね おっしゃるとおり、わたしも最初から「強情ですって!」という訳に すればいいと思ったのですが、岩波文庫の河島訳では最初の「正反対」 にコントレアリ、次の正反対(ヘアトンの発言)ではコントラリになっています。 ちなみに集英社文庫の永川訳でも「正反対」にルビがついています。 なので、ここはエミリーブロンテのユーモアではないでしょうか? >>108 例えば大田美和「アン・ブロンテ 21世紀における再評価」。 >>108 中岡洋、内田能嗣「アン・ブロンテ論」なんてのもあるよね。 欧米でも同じような動きがあるらしい。 「ワイルドフェル館の人」はイギリスでテレビ化された。 俺は「ワイルドフェル館の人々」の方が「ジェイン・エア」 よりも上だと思う。 姉たち以上の才能 早死しなければ〜 とは昔から言われていること ジェーン・エアは、作者の私生活のエピソードを知ってしまうと、ストーカーの妄想のようにも思えてくる…作品の中で奥さんに復讐したのかな… アマゾンに、「エミリ・ブロンテ全詩集」が出ていましたが、この 藤木直子という人の翻訳はどうでしょうか。外国文学、詩は、翻訳者の 力量によって印象ががらっと変わってしまうので。 ジェーン・エアを読んだ。感動した。 今度嵐が丘も読む積り。 まだ近代小説がない時代に姉妹で才能のある小説家がよくでたもんだ。 姉妹で切磋琢磨していたのが、良作を産む土壌であったな。 寄宿学校で、生死を分けるような経験もしているし、見落されるということの 悲惨さも知っている。まともな人間たちだよな。だからこそ普遍性を持つ。 個人的な感想にすぎないのだろうけれど、嵐が丘が喜劇だとかユーモアにあふれている だとか言う人たちにも、げんなり。甘やかされた人たちが文学者や作家になった結果か… いるいるwこういう嫌な奴らwwという読み方ならそう思うのかもしれないけど、 自分はエミリーの容赦のない観察眼に凹みまくったわ。 放置子らの依存、執着、視野狭窄、そしてその脆さ。 愛されなかった子が愛された子に打ち負かされるラストに涙が止まらなかった。 ほんと、この物語には数百年生き続ける普遍性がある。 今も世界のあちこちにヒンドリーが、キャシーが、ヒースクリフが、 ままならぬ心と境遇に苦しんでいる子供らがいると思う。 2011年リメイク版に はまってしまった素晴らしすぎる 中学生3年生の姪に嵐〜とジェーン〜を買い与えようかと思うが、そのくらいの年齢の女の子でも読んでいけるかな? ジェーン・エア、どの翻訳読んで良いのかわからん。 21世紀訳が良い?光文社の小尾芙佐訳は「高慢と偏見」で読みづらかったんだよな。 姉ちゃんってすごい小さかったらしいね ギャルケルがこんな小さい婦人初めて見たって言ってるぐらい ハワースにブロンテ詣でに行った人のHPにも 遺されてた服が小さくて驚いたってあったな ジョーゼフは自分だけ天国へ行けて他の皆は地獄行きと思ってる 久しぶりにジェイン・エアを読んだら、 学生のころの感覚がよみがえってきた。 ジェーンエア読んだのなら サルガッソーの広い海 (ジーン・リース著)も読んで見て ロチェスターの奥さんからの視点で書かれてる 嵐らしが丘は四だけとあるけど原文というか英語版当たってみます。 河島弘美訳『嵐が丘』 味気ない翻訳だな。原文に忠実なんだろうけど。 工藤昭雄訳(講談社文庫)は流れるような訳文で好きだ! 河野一郎訳はどうなんだろう? 『嵐が丘』を洋書で読む場合 「ペンギン・クラシックズ」と 「オックスフォード・ワ―ルズ・クラシックズ」となら、 どちらがお薦めですか? 他の本で比較した際にペンギンの方が 書体が読みやすくて大きくて、解説と注釈が豊富だった。 なのでそれ以来ペンギンを買うようにしている。 vintage classics も文字は読みやすいかな。 それと思い出したけど、登場人物に訛りが酷い人がいるから なるべく注釈が多い本で読んだ方が良いと思う。 >>140 >>141 ご丁寧にありがとうございます。 ヒンドリーとキャサリン(1)の年齢が9才も離れているせいか、語り手ネリーをオバチャンと錯覚しがち 実際は兄妹の間くらいなんだな 嵐が丘は全員キチガイにしかみえない ヒンドリーは典型的な没落貴族の無能息子だからああなるのもわかる ヒースクリフみたいに元々名家の子でもなく自力で成功できる奴がいつまでも無関係の家にしばられたりしないだろ 嵐が丘を読んでるけど、これ時系列を揃えるのってかなりメンドイな。 しかも一回読んだ位じゃ全然理解出来ない。 二度読んでようやく何となく話が見えてくるタイプの作品ですわ。 良く分からなくなってきたんだけど ロックウッドが読んだキャサリンの日記と リントン家で気が狂ったキャサリンの発言「生まれて初めて一人で寝た」からして 祖父の葬式後、リントン家に冒険に行った事をヒンドリーに怒られた日まで キャサリンとヒースクリフ辺りは一緒に寝てたみたいだけど 矢張りあのボックスベッドで寝てたのですかね?中々描写が見つからないけど。 そしてキャサリンが犬に噛まれてリントン家で養生してた頃はリントン家の誰か一緒に寝てたのかな? 『嵐が丘』は男性読者にはなんだか読みづらい。 『ジェイン・エア』は男性読者でも読める。 嵐が丘は皮肉満載で何回読んでも面白いよ〜 特に召使頭ジョウゼフの嫌味タラタラのお説教最高!イエ〜イ 嵐が丘読んだ かなり感動した 好きすぎるからこその辛さが濃い 姉妹の本も読もうか迷う エミリーの苛烈さに圧倒されてしまった 嵐が丘読んだので ジェイン・エアかワイルドフェル館の人々を読もうと思うのですが どちらがお奨めでしょうか? 感情描写が独特なのが好きです >>151 ですよねー アンの方ポチッたわ高い…! 明日シャーロットの方書店に買いに行くわ 本の嵐が丘を読んでからケイトブッシュの歌聴いたら良さがわかったわ ぶっちゃけキャサリンのことが嫌いなネリーのバイアスを通した姿じゃなくて キャサリン本人の肉声が聴けるわけだ 一番感動した本 中1で読んだ嵐が丘 何十年経ってもまだ一位 ワイルドフェルの方は、男の独白の部分がすごく面白かったけど、ヘレンの 日記の部分になると面白くなくなった。それから、あの夫、たいして虐待 していないけど。 ブロンテ姉妹の作品は、19世紀では不道徳とか言われていたが、今では 彼女たちの価値観が常識になってものも多いから、中流家庭の女の子のための 教訓話として読まれているか? 努力や教育の必要が作品の中で描かれているから。 イギリスって召使の子が結構ダチっぽいんだね エリザベス女王なんてペネローペに何でも言っちゃうし 嵐が丘もそう ブロンテ姉妹 ポケットマスターピース12 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ Z) ブロンテ姉妹 (著), 侘美 真理 (翻訳), 田代 尚路 (翻訳) 出版社: 集英社 (2016/11/18) 三姉妹よ、逆境に向かえ! ヴィクトリア朝期に教師として働きながら執筆した作家姉妹、シャーロット、エミリ、アン。 自由と平等への強い意志、内に秘めた激しさ、社会を俯瞰する眼…ともに磨きあげたそれぞれの個性は、今もなお鮮明に輝く。 (解説/桜庭一樹) 桜庭一樹=編 編集協力=侘美真理 【収録内容】 詩選集(エミリ) ジェイン・エア 抄(シャーロット) アグネス・グレイ(アン) 解説 桜庭一樹 作品解題 田代尚路/侘美真理 ブロンテ姉妹著作目録 ブロンテ姉妹主要文献案内 ブロンテ姉妹年譜 【著者について】 ブロンテ,シャーロット (1816.4.21-1855.3.31) ブロンテ,エミリ (1818.7.30 -1848.12.19) ブロンテ,アン (1820.1.17-1849.5.28) イギリスの作家。イギリス北部ヨークシャーの牧師夫妻のもとに生まれる。シャーロットは三女、エミリは四女、アンは五女。 幼いときに母を亡くし、三姉妹は長男のブランウェルと一緒に想像の世界に遊び、詩や散文を書き始める。 1846年、三姉妹合同詩集を自費出版するが、各々カラー、エリス、アクトンという、女性とはわからない筆名だった。 以後三者三様の個性と素質を備えた作品を刊行。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる