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「意識の流れ」って結局なんだったの?
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0001吾輩は名無しである垢版2012/12/24(月) 20:24:24.13
有名どころで言うとジェイムス・ジョイスとかマルセル・プルーストが
使ってたみたいだけど結局、あれは連想ゲームみたいな人の意識の書き方って理解でいいのかな?
0002吾輩は名無しである垢版2012/12/25(火) 06:22:52.92
競馬で一番人気を背負って出走して惨敗した馬に対しての
「○○とは何だったのか。」の競馬板スレなら全くお馴染みなんだがW
0003吾輩は名無しである垢版2012/12/25(火) 13:27:30.02
>>2
残念ながら、馬の名前じゃなく、
「意識の流れ」は1890年にウィリアムジェイムスって人が提唱した、概念やわ。
小説の技法として取り入れた作家が何人かいてね。

雪の積もる日に子供たちがかまくらを作っているのをAは見た。
「故郷の白い家、雪に覆われて。煙突から立ち上る長細い煙。白い蛇の群れ。
まとわりついて、離れやしない。」

まぁ稚拙な文で申し訳ないけど、意識の流れはこんな感じの連想ゲームのように
広がっていく思ってる。

丸谷才一って最近死去した人が日本でも広めようとしたけど…
まぁあんまり上手くいかなかったみたいねww
そういう意味では「惨敗」してるのかもw
0004吾輩は名無しである垢版2012/12/25(火) 23:07:40.33
古くはロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』なんかもそうなんだっけ?
映画だとフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』なんかがそうだよな。
0006吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 00:25:55.96
>>4
ロレンス・スターンはジョンロックの原理を応用してるみたいね。
そっか。映画にも使われている技法なんだな。
小説畑の人間なので勉強になります。見てみるわ。
他になんかおすすめの映画あるかな?w

>>5
そうだな。言葉や情景だな。
イメージと言っても過去の経験や見たものが中心に出てくる感じだと思うわ。
例えばこれを芸術に使うとキャラの生い立ちとか不自然な説明にならないから、自然な描写になりやすいって
メリットがあったりなかったり…w
0007吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 01:35:36.25
スターンにくらべたら、プルーストなんぞ屑
0008吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 01:58:25.55
>>7
調べたら夏目漱石の「吾輩は猫である」にも影響してるみたいね。
スターン意識して読むとおもしろいと思う。
0009◆Y.6.rbvT92 垢版2012/12/26(水) 05:09:18.68
デイヴィッド・ロッジ「小説の技巧」(白水社、柴田元幸・斎藤兆史訳、1997)での
「内的独白」のイメージがなるほどと思わせる。
テープレコーダーを持ちだしている点は時代を感じさせるけど。
ロッジは「意識の流れ」と「内的独白」を同じものとしている。

>読者は、ちょうど誰かの頭の中にコードを差し込み、肉体的刺激や観念連想によって
被験者の脳裏に呼び起こされる印象、思考、疑問、記憶、空想などを無限に録音し続ける
テープをヘッドホンで傍受している格好になる。
0010吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 05:34:58.39
先見えのする人は振り返りもしないだろうな。




0011◆Y.6.rbvT92 垢版2012/12/26(水) 07:00:33.71
そうかもしれないなあ、プルーストやフォークナーは好きだが、
意識の流れといった手法に魅力を見出しているわけでもない。

漱石では「坑夫」が「意識の流れ」小説だと言われているが、
なぜか漱石の小説で唯一読んでいないのがこれ
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/4/wakui.pdf
0012◆Y.6.rbvT92 垢版2012/12/26(水) 07:31:46.39
>>3
ウィリアム・ジェイムスの弟のヘンリー・ジェイムスもその1人なんだろうなあ
(まだ読んだことなくて、岩波文庫の漱石「文学論」注の受け売りですが)

「意識の流れ」って、ものごとを知覚した順序に記述する、プルーストについて
ベケットが「印象主義」と名づけた手法とも共通するんですよね。
この手法の方はおそらく古びないような気がする。モダンとか前衛といったものと
違う、もっと自然なものに思われるし。

>(印象主義とは)彼が現象を述べる際の非論理的なやりかた、一連の因果関係のなかに
強引に押しこめるために現象をゆがめて、 明瞭なものにするよりさきに、まず現象を知覚
した順序にしたがって、知覚したとおりに正確に述べる、その非論理的なやりかたのことである。

ひとつの文でも単語が知覚した順序で出てくるので、翻訳者はなんとか日本語でもその語順を
崩さないで、しかも日本語として意味が通り、リズムの文章にしようと腐心することになる。
0013◆Y.6.rbvT92 垢版2012/12/26(水) 07:33:58.99
最後、「意味が通り、リズム感のある文章にしようと腐心することになる」でした。
0014吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 08:26:02.76
面白い手法だけど、全編に渡ってやられるとウザいってモームがどっかで書いてた
0015吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 10:59:34.23
>>9 G
小説の技巧はほんと良い本だよな。
あの本に描かれている意識の流れに対して感じる感覚は的確な表現だと思ったわ。
話がそれるけど、リズムという点で言うと、ナボコフのロリータは名作w

ヘンリージェイムスはウィリアムジェイムスと仲がよく、純粋持続っていう
意識の流れと似たような概念を提唱したアンリベルクソンの影響をも
受けていたのかな。気になるwww

フィネガンズウェイクは間違いなく、翻訳者泣かせだと思いますwwww

>>10
先を見ようとして、こけた人がいたからそう思われても仕方ないのかもw

>>14
モームさん、禿同っすwww
0016吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 12:31:45.10
David Lodge の「小説の技巧」を、僕も注文しちゃった。
いい本を紹介してくれて、お二人さん、ありがとう。
0017catt ◆.catt24qAw 垢版2012/12/26(水) 17:56:46.61
意識が「流れ」であると言ったのはフッサールかな。
「イデーン」の中で言われる、体験とは眼前に繰り広げられる「体験流」であるというのは
その後の思想に大きく影響を及ぼしてる。
0018吾輩は名無しである垢版2012/12/26(水) 18:55:07.18
Wikipedia の "stream of consciousness" の項目の解説に載っている William James の
意識についての考え方。以下は、引用。

Stream of consciousness is a narrative device used in literature "to depict the multitudinous
thoughts and feelings which pass through the mind. Another phrase for it is 'interior monologue'.
"[1] The term "Stream of Consciousness" was coined by philosopher and psychologist William
James in The Principles of Psychology (1890):

consciousness, then, does not appear to itself as chopped up in bits ... it is nothing joined; it flows.
A 'river' or a 'stream' are the metaphors by which it is most naturally described. in talking of it hereafter,
lets call it the stream of thought, consciousness, or subjective life.[2]

http://en.wikipedia.org/wiki/Stream_of_consciousness_(narrative_mode)
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