コピペで申し訳ないです。この一連の議論について、どう思われますか。

ロビンソンクルーソーと自我問題について。

「私」の見る世界は、一枚の絵でしかない。そこに空間を与えるには、他者の視線が必要である。
他我が自我を映す事で、私たちはこの世界が構造をもった一つの平原である事をやっと認識する。
それで、今いる場所が無人島である場合どうか?「私」や「私」の周辺や裏側を映す鏡が無い状態。
この場合、自我は成立できるのか?できない。ロビンソンクルーソーは島と一体化せざるを得ない。

ライプニッツやムージルが、「可能世界」を提唱した。それは、「私」が経験して来た過去が、
もう一つの可能性を持っていたのではないかという話で、この概念により、「私」は増殖する。
増殖した「私」は他者なのか?答えはノーだ。内在的他者でしかない。

だから、ロビンソンクルーソーに自我は無いという事になる。

彼はデフォーの空想の人物ではなく、スコットランドの人アレグザンダー・セルカークという人物だが、
セルカークは救出されるまで、無の空間の中で漂い、無人島のみならず世界と一体化した全能神であった
と言えるのかも知れない。