【小説】サルトル【戯曲】
『出口なし』だげどよう、
女が二人居んだぞ、あーじゃこーじゃ言わんと、俺ならまずはセックスセックスしまくるけどな、
おまーらだってそーだろ、チンコ付いた男だろが、あーっ!? 『嘔吐』で公園のサボテンを見てゲロった理由が分からん
実存、すなわち偶然の存在は想定外ゆえに気持ち悪いってことでOK? 嘔吐とか文庫にならないな。
もう少し主著みたいなの文庫化してほしい。 あんま関係ないけど
できちゃった婚で生まれた子供って常に実存を意識しながら生きているんだろうか Seyn フォレスト YouTube篇 11 尾崎豊の晩年と我々の知の停滞
https://youtu.be/uanLKZ4XAQI 『嘔吐』の邦訳版権、人文書院が持っているから、文庫化は絶対ない
『自由への道』岩波文庫があるから我慢しよう 嘔吐、途中まで読んだけどさっぱりわからなかった
訳が悪いのか、読解力がないのか?
どうもサルトルの作家としての能力の所為としか思えん 小説は人間同士の関係を描くのが基本だが、『嘔吐』は自分と世界の関係を描いている
つまり小説より詩や哲学に向くテーマといえる
文学的に重要な作品ではあるが、面白い小説とはいえない 文学で何が映るかが大事であって理解して意味を取るということは特別な場合においてしなくていい。誰が書いたかわからない多人数の散文のように受け取る。
時間をおいて繰り返し読んでみて自分の成長により文学は高くなる。 嘔吐では実存主義がなんたるかを庶民向けに分かりやすく書いただけであって、サルトルも読み手を楽しませてあげようなんていうサービス精神まではないと思うわ
楽しく本を読みたいなら大衆文学で充分では >>351
谷川渥美の気取った薄っぺらな書評をさっき読んだよw
いい年をしてああいう恥ずかしい文章を書けるのは、谷川が
これっぽっちも肉体を知ろうとしないからだろうね。 >>348
庶民向けに分かりやすく書いた?
俺は庶民だけど最初からまったくわからなかったぞ
庶民でわかるやつは1000人に1人だと思う サルトル研究者のほとんどが年収1千万のブルジョワ大学教授なんだから
そもそも庶民なんか相手してねえんだよ 庶民には理解できないと思うなら最初から読まなければいいのに
難しい内容をわかりやすく庶民向けに小説で教えてあげてるのに、それが分かりにくいってどんだけバカなの
100回読み直せハゲ 図書館から引っ張り出してボードレール論を読んだわ、
今どき誰が読むのだろうかと思いつつ。
章分けも区切りもなしに150頁程度を最後まで書き継げる
あの透徹した文の持続力に驚いた。 >>360
遊んで暮らしながら読むサルトルは鞭ですなあw アンガジュマンなどいらぬ
実存主義って突き詰めたら、虚無的楽観主義に行きつく気がする
遊んで暮らしながら読むと、逆に開き直っちゃうのでは なんか順番逆になってた
楽観的虚無主義でした
失礼 名著37 「枕草子」清少納言
名著38 「菜根譚」洪自誠
名著39 「ハムレット」シェークスピア
【スペシャル】日本人論 「『いき』の構造」九鬼周造、「死者の書」折口信夫、「中空構造日本の深層」
河合隼雄、「日本的霊性」鈴木大拙
名著40 「茶の本」岡倉天心
名著41 「フランケンシュタイン」メアリー・ジェリー
名著42 ブッダ最期のことば
名著43 「荘子」
名著44 「オイディプス王」ソポクレス
名著45 「日本の面影」小泉八雲
名著46 「種の起源」ダーウィン
名著47 「斜陽」太宰治
名著48 「実存主義とは何か」サルトル この人とマルクス主義との関係で日本の戦後左翼運動の核心は語れる。と言える
ほどにその関係は濃密だったはず。『存在と無』からして世界の状況すべからく
〈私〉は責任がある、だから。政治に参加するしかない。実際は、状況と〈私〉
といっても媒介があり、関係性にも段階や層がある。そこをほぐしてくれたのが
吉本で、個人幻想ー対幻想ー共同幻想の3つだったわけでしょう。サルトル哲学
の強迫性を解毒するのが吉本の思想。だからスガ秀実が自著でサルトルと
吉本を並べてるらしいけど、実際はサルトルの強迫性を解毒するのが吉本思想で
、どっちも政治の季節のカリスマだと同じように並べることはできない。実際
新左翼党派からは吉本は目の仇にされて講演で大揉めにもなってる記録があるし
ね。 文学の次の課題が政治だとしたらな。哲人政治、文人政治。文民統治。 サルトルは血統古いな源氏平家ボボワールは言論など暴力に苦しんだだろう。 超越的能力自体が暴力なんじゃ。人種間でもあるけど。
黒人男性が白人女性と付き合って時間が違うから子供が成功しないで力落として滅んでいったり、
白人男性が黒人女性と付き合って、時間など敷居こえれずに子供が成功しないで沈んでいくこともよくある。 kemofure
ちなみに実存哲学五人衆(キルケゴール、ショーペンハウアー、ニーチ
ェ、ハイデガー、サルトル)で、音楽を実存と結びつけて重視したのはシ
ョーペンハウアーとニーチェ。ただ、ショーペンハウアーと後期ニーチェ
は音楽の捉え方が正反対だけど(前者は生の苦痛を癒す鎮痛剤、後者は生
を高揚する興奮剤)
2024年3月31日 読売新聞オンライン
『竹内芳郎 その思想と時代』鈴木道彦/海老坂武監修
/池上聡一編
2024/01/12
評・郷原佳以
竹内は、流行としての実存主義とは別の文脈で、また、ポストモダンによって実存主
義が死んだとみなされた後もサルトルの可能性に拘った。それはあくまで、サルトル思
想が、「この日本的現実のなかにあってその愚劣さと闘うための武器としてそれを生き
る以外にはない」存在だったからである。「日本的現実」とは、戦争体験を思想形成の
原点とした竹内にとって、集団同調主義のことであり、それを竹内は「天皇教」、「神
道的精神風土」と呼んだ。ここには、京都学派の哲学者が自ら戦争を肯定したように、
哲学が戦争を明確に否定することができなかったという現実に対する哲学としての闘い
がある。その意味において竹内は、自分は「いちども実存主義者たることをやめたこと
はない」と言う。
竹内の「実存主義」とは、「生活と思索の結合」である。しかしそれは、思索が生活
に役立つ便利な道具だなどということでは断じてない。「生活を単に追認するだけの思
想なぞ、思想の名に価しない」という竹内の警句は耳に痛い。