でもなんだろう、文脈にとらわれているように思う。
黒子の作者が「不安に思う」と書いたからといって、家族を持つからといって、渡辺の思うように普段は満ち足りて幸福なのではないだろう。
たんに自分の欲しいものを持っている人間は幸福でなければならないという考えが、自分に対する惨めさを慰めるだけの話だ。
自分を責める前にいじめたやつや親教師を責めろというのも筋の違う話だ。
それは別の話で、同じ人間に起こっていることだから分けて考えるわけにもいかないのだろうが、事件を起こした責任は自分にあると書いているにも関わらず、文脈の導くところへ筆が滑っている部分もかなり見られる。
たとえ理路整然としていても、理路整然としているだけで書くべきものがその人に無限にあり続けるわけでもないのに、物書きになれとは簡単に言うものだ。

謎の解ける気持ちの良さがあるだけじゃないか。
かなりの正確さで世の中の人間の傾向や政治について批判できているように読めるが、気持ちの良い解釈で救われる人間は(つまり渡辺の読者たりうる者)、
自分で考えることをし続けられる人間ともまたずれる。
未来について考えが及ばないのはアスペらしいと言えばそうだけどな。
教祖になりたいわけでもないんだろう。
たんに神輿に乗せられている部分があるし(本人はわかっているだろう)、周りの人間の欲望が代弁されているだけにも思う。