フランツ・カフカ Franz Kafka 10
>>537 原田義人訳の審判は青空文庫に入ってるので、KindleとかKoboでどーぞ 長生きしてコンスタントに変身城審判レベル刊行してたらノーベル賞? そのためには亡命しなきゃだが >>411 生きていたらホロコーストの可能性 妹全員ガス殺?ってむごすぎ 早死にも幸運かも知れず、全体に実は恵まれた人なのかも 長生きしてたら本当に自分で原稿を燃やしてしまってたかもしれん 四十近い無職で結核のオッサンが、二十歳そこそこの女の子を引っ掛け献身させるという...作品以上に尊敬している 『審判』の章の順番ってもう確定しているのでしょうか?「自由でいい」のなら、嬉しいというか、困るというか…w 『審判』ってループものみたいに最後まで読むと最初の章に戻ってくる気がしない? まだ星のようなUFOを見てないのか? 世界教師マYトレーヤが現れるぞ! 流刑地にてインターネットではどういう刑があるのだろう。 作品は一作も読んでないのに日記と手紙だけは読んだ。 日記は鬱々しくてすごいものだよ。日記こそ創作や虚実の世界を離れて 書く衝動にそって書きたいものが書ける血汗がかよったものになる可能性がある。 つづるものが自己であり自分の生活だということは不思議だなあ。 手紙はというとラブレターの事だろうな、他者に相対して、他人の事ばかりをつづるだろう。 長編短編の主要な作品は全部持っていると思う 青空文庫にもあるしね ほかの人は知らんが俺はカフカ全集12冊含めて40冊くらい、評論10冊くらい持ってる ↓amazonで見たら色々出てるけどどれオススメ? 何度も諦めようと思ったけど、やっぱり好きなんだ いつか想いあふれても だから、そばにいて ただそれだけで、恋しくて。 好きでいて シシド カフカ に残るね。歌姫よぜふぃーねとか、娼婦の段ぐらいだろうな。 >>559 じゃあ八つ折り判ノートや日記も読んだんだ そのうえで一番カフカを理解してる評論家は誰だと思う? カミュのように絶望してるのに最後は恩寵に行き着くというのやサルトルみたいな解釈は微妙 ブランショなのか、ショーレムなのか、ベンヤミンなのか。 https://youtu.be/oyiextNrH_8 カフカの変身は不条理な事はかいていない。 この動画を出した本人です。 もの凄く具体的にほぼ本文のみを使い解説しています。 これを完全に論破できる人間はいないと思います。 現在色んな人間に接触してこの真実を広げようとしていますが、難航しています。 世界の認識を変えるつもりだけど、その前に死ぬかもしれないし、だれかに手柄を取られるかもしれない。 力になって欲しいとは言わないので、あなたの目で確認して欲しい。私が生きた証です。 カフカじゃないけど世界中走り回って 何を撃ってもええじゃないか 何を切ってもええじゃないか のええじゃない会宇宙祝祭ムードモードの乱舞があと3万年後に預言された。 会社をさぼって土手の草むらで横になっていた人間の考えそうなことだね 作者たるカフカ本人なら「やったー!これで会社に行かなくすむ」 と考えるんだろうけど 主人公のザムザは社畜根性が染みついているのでいろいろ考える 意地悪な作者は面白おかしくいじくってるんだけど そこら辺の滑稽さがうまく伝わらないんだよね カフカは旧約聖書を書いた人と同じ次元で思索してる 根源的にという意味においてね だから他の作家とは文章の強度が異質だし唸らされる >>568 まるで意味不明。思い付きで書き散らしているのだろうけど面白くないよ。 >>568 ユダヤ系だから旧約聖書はよく読んでいるだろうけどね 基本的に旧約とは別次元だよ 旧約には19世紀後半から20世紀初頭にかけて登場した 法治と厚生拡大を根拠とする官僚機構などないからね それと黙示録の根拠となったエゼキエル書的思想を否定するのがカフカであり そういう意味ではどこかでメシアニズムを有するユダヤ的発想でもないんだよ 基本的に怠けることに精勤だった人だから 雑種とか父の心配とかの小品って、シオニズムにも雑居生活にも馴染まなかったカフカってのを想像してしまうな もちろんあるのは作品だけ、解釈は解釈を生むってのは分かるんだが カフカってすごい研究されてるけど そんなに深い思想とかあるの?? 著作も少ないし、ほとんど寓話だし。 カフカはアマチュア作家です。しかしお笑いの元ネタになったりしていて研究もアツいと思われる。お笑いのパターンなんかをまねてる人は多いわけで、決してハッピーエンドで終わらない物語などが、カフカの生活をほうふつとさせます。思想的になら 城の官僚機構の分析が有名で嫌何やら思想なんかに負けていない、以外に深層をついたことを上っ面で語っているような当時としては、画期的な書体になっていますよ。 カフカはアマチュア作家です。しかしお笑いの元ネタになったりしていて研究もアツいと思われる。お笑いのパターンなんかをまねてる人は多いわけで、決してハッピーエンドで終わらない物語などが、カフカの生活をほうふつとさせます。思想的になら 城の官僚機構の分析が有名でいや何やら思想なんかに負けていない、以外に深層をついたことを上っ面で語っているような当時としては、画期的な書体になっていますよ。 カフカは情報量を簡素な文体に載せていて、読者の創造が膨らめば寓話のようで文学は 豊かですというような不思議なところが好まれるのでしょう。 カフカのような短い断章では有名な売れている作家がいないことを考えれば、ずば抜けた存在 であることの例証となるでしょう。 時間を取らせず面白味を伝えることがカフカの神髄で後世の文学者にアマチュアプロ問わず 未だなお影響を与え続けています。社会保険事務所で同僚に小品を発表していたことが カフカのスタイルを限定し、冗長で退屈な文学が多い中それが功を奏したのでしょう。 カフカは悲劇と喜劇の共存を書きたかったんじゃないのかな。 カフカの長く煩わされた鬱の原因となる悲劇が、カフカのコメディー性の源泉だと 本質的には思うわけだが。ただ面白い人はいなくて、憂愁の憂いがあるからそれを見せずに笑い飛ばすカフカは強く繊細に暮らし僕らの中に笑いの種として生きているんだろう。 平凡社ライブラリーのカフカ内容どうですか? 日記と手紙が読みたいです 年上男性の書籍は許可を得て多人数で男女で開けてください。手紙というかラブレター もそういう面があるけど、恋文の手習いにもいいでしょう。 久々に審判読んだけど思ってたより面白かった ラストの死が唐突すぎるから、最初と最後を先に書いたからこそ 最後への繋げ方が思いつかず完成しなかったんじゃないかと思った 城キツイな… 初めて読んだときはファンタジーっぽい世界観と、システムに立ち向かうヨーゼフの姿に 冒険小説的要素や神秘性があったんだが今読むとタルイだけだ 審判に書いてあった要素を、独特の世界観に移し変えて引き延ばしてるだけに思える しかもその要素を最初のボスらしきクラムを攻略する前に使い果たしたような印象すらする 掟の門の文学のほうが動いている。それを重ねて城を読むとよい。 妙な日本の若者達が勝手にカフカを名乗るのを止めさせてくれないかな 芸人、シシド、朝霧…… 他にも色々いた気がするけど思い出せない カフカの意匠を継いでいるならまだしも、そうでない方々が多そうなのがなんとも…… よく知らんけど カフカで一番好きなのは前田敬作訳で読んだ『城』だ 一方、世界的な評価では『審判』が最高作とされている 『審判』はかつて原田義人訳で読んだが、訳文が 合わなかったかもしれないので、次は中野孝次訳で 読んでみるつもりだ 中野訳のノサック『弟』は良かったから 角川のは読みづらいんだけど 読みづらい方が何だかカフカ作品の神秘性が増すような気がしたな 前スレの『審判』8種類の翻訳比べは面白かった また別の箇所をやってくれないかな >>204 同一箇所の中野孝次訳 Kは部屋のなかを見まわした。部屋は完全に元の状態に戻っていて、今朝窓ぎわの小机に のっていた朝食器類もすでに片付けられていた。「女の手というものは実際こっそりと 多くのことをしとげるものだ」、と彼は考えた。 原田義人訳 Kは部屋を見まわしたが、また完全に元どおりになっていて、朝には窓ぎわの小さな机の 上にのっていた朝飯の道具も、すでに片づけられてあった。「女の手というやつは、 こっそりと多くのものを片づけるものだ」と、思った。 最近新潮社の12巻揃のカフカ全集(1980年版)を思い切って買ってしまったんだが、 文庫で読んできた今まで以上にカフカに思い入れが強くなってきた 本というのは人に及ぼす不思議な力があるんだな 白水社の、池内紀のコレクションってブロートの編集が入る前の生の原稿をもとにした最新の全集から翻訳してんだよね? 以前のものと短編なんかはかなり違ってくるの?あとこれはカフカのすべての書いたものが入ってるんだろうか。池内さんは全集だと言っていたが日記などはすべて収まっているのか >>604 白水社版は小説全集になっているから、小説はすべて網羅されている しかし、新潮社版には入っている日記、手紙、ノート類は含まれない ブロートによる編集(新潮社版の底本はこれ)は別に悪いとは思えないんだがね 新潮社版全集第3巻には8冊のノートが収められている そこではカフカの有名な箴言を見つけることができる 「おまえと世界との闘いにおいては、かならず世界を支持する側につくこと」 彼はなぜそう書いたのか、その思索をたどるのは興味深い 白水uブックスのカフカコレクションも各サイトで品切れが多い 近いうちすべて新本は手に入らなくなりそうだ >>394 追加 新潮社決定版カフカ全集第1巻「変身」川村二郎訳・1980年 「朝、胸苦しい夢から目をさますと、グレーゴル・ザムザは、ベッドの中で、 途方もない一匹の毒虫に姿を変えてしまっていた。」 多和田葉子が馬鹿ってのくらいは俺でも分かったぞ バカでかいとか途方も無いと訳してるなか池内さんが途方も無いって訳してるのは独特だがさすがだなあ。日本語に移すのがうまい >>605 訂正 白水社の池内紀訳ではノートとミレナへの手紙は訳出されている 集英社文庫のカフカ、多和田以外の翻訳が評判いいね 買おうかな コロナ肺炎が世界中で猖獗を極めているこの状況をカフカならどう観察するだろう カフカは肺はつぶれて変異したから結核とか親和性はあるかもな。 >>610 八つ折り半ノートの有名な箴言とか手紙でも一番重要なミレナへのはあるんだね 日記はカフカを知る上で重要なだけに翻訳してほしかったなあ、量が多いか 池内さんの最後の仕事だとおもってコンプリートしるかな・・・ >>615 有名作家でもない限り、そう思った理由を書くべきではないか。 「うーん、カフカは何でそう思ったのか?」とかは、ありがちだが。 このスレではカフカが主役であって、主役は君じゃない。 >>616 カフカならお前みたいなくだらない価値観他人に押し付けてくるようなことはしなかっただろうな >>617 もっと単刀直入に分かり易く言ってくれ。 >>617 カフカには「彼が何でそう思ったか」推測する糸口が既に存在してる。 何故、俺が凄いのか、それは世界で唯一俺だけがコントラポストを理解してるから。 walter paterもdavid summersも理解できなかったが。 >>619 すでに完成とみなした変身の解釈すらあいまいに濁したのがカフカ 集英社文庫ポケットマスターピース『カフカ』を購入した 「訴訟」川島隆訳は今後スタンダードになっていくのではないか 幻想小説の面白さって紋切り型のクサいキャラクターや情景描写を出しても怒られないところだと考えている 月の光を浴びる乙女みたいな だからとにかく地味なカフカの面白さが理解できない ロマンチズムが感じられない 唯一『狩人グスタフ』は面白かった 随分狭い文学観なんだな それじゃカフカは楽しめない 間違えた「狩人グラフス」だ 確かに俺みたいな素人が楽しめるほどわかりやすい作家じゃないんだろうな カフカの影響下にある村上春樹、ボルヘス 、ガルシア=マルケス、安部公房は大好きなんだが... 『城』は男女の機微がわからない人間にはさっぱり面白くないだろうな まさにそこを描いた小説だから そういう面もあるんだけど それが主と言われるとなあ サルトル、カミュによる実存主義に即した読み方は そういう風にも読めるというだけで、 それにとらわれる必要はまったくない 文学をどう読むかは読者の自由だから 初めてのカフカで変身を読んでるんだけど、何か翻訳が直訳みたいでそこが引っかかる。 高橋訳読んでる。 カフカはアメリカが本当にいいですね。 最初に変身を読んでから最後にアメリカにたどり着くまで10数年かかりましたが 初めてカフカを心から面白いと思いました。 『アメリカ』は俺も一番好き しかし残念ながら冒頭の文書の訳がどれも間違っている アメリカはカフカ唯一の希望ある小説では? 他の作品は行動しようとして挫折してばかりのアキレスと亀みたいな話ばかりだがアメリカは一応アメリカにたどり着いてはいる 変身を読んでいいなと思い、城を読んですごいと思い、 審判を読んで分からんと思い、火夫に手を付けて途中で放棄 数ページの短編集を読んでがっかり 城を読んでから小山田の工場を読んで、カフカを下敷きにしたなと思った 『アメリカ』は翻訳を二つ持っているけど、まだ読んだことがない 『失踪者』なら読んだが、カフカならではの作品とは感じられなかった やはり彼は『城』『審判』『変身』の作者として偉大だと思う この3作はカフカにしか書けない独創的な小説だ 中途半端な未完成品ばかりカフカが書いてるってんだから 珍しく完成品があれば「らしくない」と思いますよええ >>646 あんたが俺よりずっと頭良いことは認める。 >>650 ポケットマスターピースってダイジェスト版じゃないの?大丈夫? 訴訟は全編収まっているみたいだよ 俺もあのシリーズ、長編は全て縮刷版だと思い込んでいたわ 訳者の業績にしかならんような抄訳ばかり収めた糞シリーズだと決め込んでいた といっても一編も抄訳がないのはカフカだけ ポーもだが、なぜか桜庭一樹がポーの短編2編を「翻案」したオリジナル小説が入っているので気にする人は気になって仕方ないだろう 審判ならオーソン・ウェルズの映画の方が好きだな、最後クソ笑える。 カフカはドイツ語で作品を書いたけど無国籍、無宗教の極めて現代的な作家なので よほど酷い翻訳でさえなければそれによって真価がそこなわれはしない作家だと思っている。 >>652 自分はあのシリーズの文庫、カフカとバルザックのみ買った バルザックは『ゴリオ爺さん』の新訳(全訳)が評判よかったので ただ、いくつか書店を回ったが、あのシリーズあまり置いてない 抄訳がなければポケット世界文学全集として売れたと思うんだけどな 手に入りづらい本の抄訳だけやってハイ後はご自分でってのはな 「ラテンアメリカの文学」シリーズの扱いもだが集英社文庫は中途半端よな ディケンズなんか3つとも抄訳だな おれは3つとも全訳あるからいいけど あのシリーズだとカフカ・ポー・スティーヴンソン・ルイスキャロルは買い ブロンテ姉妹も一番手に入りにくいアンの作品が全訳だしトルストイも戦争と平和のダイジェスト+短編集でなかなかいい ダメなのはディケンズとドストエフスキー、よりにもよって一番魅力的な作品(「ステパンチコヴォ村」と「骨董屋」)を抄訳にして読みたい人は絶版本を探さなきゃいけなくするという キャロルってもしや「シルヴィーとブルーノ」かよ即買いじゃん と思って尼見たら完結編収録!(抄録)っておいおいおい テレビ的な引き伸ばし商法なの? カフカのように未完の夢を追い続けろと? 決定版カフカ全集全12巻を買ってあっちこっち読んでいるが、 カフカはじつに興味深い人物だね 日記や厖大な手紙も読まないと、小説の魅力もわからない >>660 日記や厖大な手紙も読まないと、小説の魅力もわからない 当たり前の話だがそんなことはまったくない。とはいえカフカの日記は作家の日記と云うジャンルで最高に知的な部類に入るでしょうね。 決定版カフカ全集の日記はオススメ 高くても是非買うべし ここにいる皆さんは「強いカフカ」についてどんな意見をお持ちですか?最近そんなことが書いてある本を読みました。「強いカフカ」とはつまり社会に上手く順応できるカフカのことです。カフカにはそういう面もあったとか。社会をうまく欺きます カフカは絶望的な性格で日記も創作態度も厳しいが、朗読会ではおふざけしながら自作朗読して皆を笑わせてたぞ 池内紀の講演がyoutubeにある カフカの場合なんか朗読して見せたら突然みんなが爆笑したので引き攣り愛想笑いで場に合わせて それがカフカのキャラっぽいよね〜っていつの間にか定着してしまった って勝手に想像してしまう どうしてもそっち方向に行っちゃう カフカを読んでみようと思うんだが なんかおすすめとかないかな とりあえずふたつの短編集 長編のほうがいいという人と短編のほうがいいという人がいるからめんどくさい でも短編が気に入らなければ長編も気に入らないだろう ふたつて言うても、いまは池内訳(白水社もあるよ)とか ちくま文庫のとかたくさんあるから分からんと思うよ 短編は短すぎてよく分からない ある程度長いほうがいいかと 皆さんおすすめありがとさん 一番入手しやすそうな変身の名前が挙がっていないけど 初めて読むひとには難しいのかね >>676 文学オタにありがちで通ぶりたいだけ 変身と岩波文庫のカフカ短編集を読んでおけば間違いなし ぶるーむふぇるとは、現代的だよ 未婚の中年男性の幻想 少女の描写とか 20歳年下の女性と付き合ってたロリコンのカフカらしい 城を再読して、これは凄い小説だと思ったよ。 どこが凄いって、ここでは書ききれないくらい凄い傑作だ。 カフカの人気高いなー これから本屋さんに行っていろいろ見てくる たぶん私には難しいだろうから みんなにいろいろ教えてもらうね よろぴく カフカの門は出世待ちのことかと思ったらユダヤ教の戒律と解説されてた 返信は面白かった。しかし、それ以外はイマイチだな 田舎医者はヨウツベデアニメも見たが理解不能 人生の苦難、絶望描いた作品って言うけど、俺には分からなかった ヨウツベだって、古くさくて恥ずかしい表記だ 今はYOUTUBEでいいだろう 村上春樹は中学生で城を面白く読んでたらしいからさすがだね。 カフカの短編で 「最初の悩み」だっけ。 空中ブランコ乗りのやつね。 あれなんか俺の強迫神経症の発症の様子に感じが似てると思った。 >>693 決定版カフカ全集第1巻だね 3ページの掌編だ >>691 高校生の時 ペーパーバックでドストエフスキー読んでた 角川文庫版『変身』が新訳になったのか 知らなかったな ちなみに旧訳は持っている 川島の『訴訟』ひどかったので期待できないが読んでみるか 城は子供の頃読んでもわからない 退屈な人生だったと悟った時読んで初めて あの状況が心地よいと感じる 最近手に入れた作品集で気に入っているのはエール大学が出しているフランツカフカの最近発見されたドローイングの学習である。私はフランツカフカに関しては普通の日本語訳の読者の域を出ないが30数年間プラハに住んでいたと言う関係もあり、町の東のはずれにあるユダヤ人墓地に行った事はある。ユダヤの掟に従って0-01カップみたいなものは頭につけないと入場させてもらえない。ビルクリントンが高校訪問した時もまさにその通りだった。 フランツカフカは人気者の作家であるから世界中から観光客がわんさわんさと来るのであるがお供え物もすごく多くてワンカップ大関がお墓の前に置いてあるのには思わず笑ってしまった。しかし私が不思議に思ったのは41歳で肺病で亡くなったフランツであるがその墓碑銘が肩書がドクターで始まっているのである。オーストリアハンガリー帝国でドクターの肩書を普通に名乗っている人はかなり性格が歪んだ人が間違った上昇志向の人である。だからフランツカフカ本人は自分の墓石にドクターの称号はつけてもらいたくなかったのではないか? カフカの偉大な研究者であり翻訳がである池内紀先生は私のエッセイ屋根裏プラハを文芸雑誌に紹介してくださったのであるが当時のプラハは言うまでもなくドイツ語圏である。カフカはドイツ語の文学者である。記述によればヘブライ語も勉強したらしいがものにはならなかったらしい。 それでカフカはなくなる前に彼の親友のマックスブロートに未発表の原稿を全て渡してこれは焼き払ってくれと頼んだのだがマックスブロートはそれを出版してしまったわけで我々はカフカの世界に触れることができる。そしてフランスがもう一つマックスに依頼したのは書きかけのスケッチブックであった。 1968年にマックスブロートが亡くなった後にそのスケッチブックは彼の遺産相続人に受け継がれそのままずっと保持されていたのである。それが数年前にその遺産相続人がこのスケッチブックを1,000,000ユーロで売りたいと言う案内広告を出して、まさかクリスティーズオークションではないと思うが、それでイスラエルの国立図書館がそれに文句をつけて訴訟騒ぎになった挙句フランツのスケッチブックはイスラエル国立図書館の所有物になったそうである。 それで今年になってそのドローイングがエール大学から刊行されたわけだ。最近刊行されたエール大学出版部の仕事で私がこれも高く評価してるのはJonas Makasの作品をまとめた本である。これも素晴らしいがカフカの本には比較にならないと言うのは映画作家の本は彼の人生をトピックしたものであるが、フランツカフカの仕事は我々にとって全く未知なDrowningの世界を新しく我々に対して開示してくれたものであるからだ。 そのレイアウトの方法がなかなか気にいっていて例えばこれがその一例なのであるがアッシリア時代の古代の布が発見されてそれが破れているからそのままに印刷物として掲載すると言う考古学的なメソッドがここではうまく生かされている。たかだか100年前のアーティストの仕事であるからそこら辺はもっといい加減で良いなどと私は考えるのであるがこのレイアウトの仕方は完全に考古学の方法なのだ。そこが素晴らしい。 カフカは、今日「ブルシットジョブ」と呼ばれるような、官僚的な手続きが要求される場面を設定し、無駄に神経症的な思考をいちいち書いていくことで、量を稼いでいると言える。そこでは、いつまでも完了しない無駄な手続きという「増えるもの」が、文章のエンジンになっている。 「無駄」のことを、理論的には「冗長性」と呼ぶことができる。書ける人になるとは、自分の体質に合った「冗長性発生装置」を自分の中に見つけることだ。 長々とした文章とは、カフカにおいては、無駄な官僚的手続きそのものである。カフカの作品は、作品を書くということそれ自体の本質を示すような、「小説についての小説」だとも言えるだろう。 ああだこうだと無駄口を叩くこと。それをそのまま書いてしまえばいい。おそらく人によって、無駄口が溢れてくる元にある「泉」のあり方が、異なっている。そこを分析する必要がある。 大昔だが、映画監督のフェリーニはインタビューで「嫌いなもの」として、カフカの批評、カフカの影響を受けた作品、カフカ的なもの等々といっていたな。 これはクリエーターの戦術の楽屋裏での打ち明け話のようなものだ。あからさまにカフカの影響が露呈しているのは二流だな。 今年末ようやくS. Fischer VerlagからKritische AusgabeのBriefe 1921-1924が出ますね。新しく決定版の翻訳全集を期待してますが、池内紀が翻訳してから、まだ権利を白水社が握ってるままなのできっと絶望的ですよね。 皆さんはどの訳者が好きですか? わたしは吉田仙太郎です。 「この世界はハイデガーを忘れ、カフカを歪め、現代芸術最後の巨人であるフェリーニを軽んじている」(ミラン・クンデラ) 「君よ!俺で変われ!」は、筋肉少女帯の8枚目のシングル。1993年5月21日にトイズファクトリーより発売。 作詞:大槻ケンヂ 作曲:本城聡章, 筋肉少女帯 編曲:筋肉少女帯 カフカ フェリーニ マザーグース それより不思議な彼女 フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日) インテルビスタ Intervista(1987年) イタリアの映画撮影所チネチッタ創立50周年を記念して、フェリーニがチネチッタと映画への思いを綴った一編。 夜の人気のないチネチッタ撮影所。ここでフェリーニ(本人出演)と彼のスタッフたちは、 カフカの『アメリカ』に着想を得た新作の冒頭シーンを撮影しようとしている。 そこへ日本のテレビ局の取材班が、撮影を見学にやって来てフェリーニにインタビューする。 フェリーニは初めてチネチッタにやって来た時のことを語っていくのだった・・・・。 インテルビスタ(INTERVISTA)とはイタリア語でインタビューの意味。 カフカ『審判』もしくは『訴訟』 家に4種類も翻訳がある 原田義人訳、中野孝次訳、飯吉光夫訳、川島隆訳 「城」で主人公が合流して仕事をする予定だった2名の技師(だっけ?)が一切出てこないんだよな 村人に始末されたのかな >>715 『城』の異様さは、現れない二人の助手と、古くからの助手を勝手に名乗る見知らぬふたりの男の存在が不気味さを醸し出す 前者は、少なくとも到着すればKはひとりぼっちではないし村人からも測量士という職業に信頼を置かれたはず。でも現れないし連絡もない 後者は物語後半で城からの命令でそう名乗ったと白状するから、その点は世にも奇妙な物語ではなかったわけだけど、結局じゃあ『本当の弟子』はどうしたのか?という謎が残るのはたしか なんど読んでもモヤモヤするんだよなー 城の娘も気になるし、紳士亭の女将の服の仕入れ先も気になる(個人的にはアマーリアにこっそり縫わせてる気がする) 馬車の老人は仕事の話を持ちかけるんだろうけどそれも気になるし、オルガとKのロマンスがあるのかも気になる 測量師であること自体がKのでっちあげという論もあります。その場合はでまかせで言ったはずの、いわば存在しない二人の技師が現実になるという不気味な展開になりますね。「言った(思った)から本当になる」のはカフカの長編にでてくる気がします。 映画のシャッターアイランドのようにそう思い込んでいるkに付き合ってあげている状況も面白いかもしれない >>719 たしかにKは嘘ついてる描写あるしなー 冒頭で「地元に妻子がいるからこの村で金を稼ぎたい」と言ってた次の日には酒場でフリーダと盛って婚約w 地元の妻子の話は二度と出てこないし、村を出たいというフリーダに対して少なくとも数年はこの村に住み着くみたいな覚悟を言ってるから妻子はいなさそう 新しい場所で舐められないように虚勢をはるタイプか、嘘吐きタイプなのか Kとフリーダが出会ってすぐイチャつくところなんかは モテ男カフカの実体験が反映されている 文学血統論。男性は男から過度に現実逃避しない方がいい。 >>721 >冒頭で「地元に妻子がいるからこの村で金を稼ぎたい」と言ってた次の日には酒場でフリーダと盛って婚約w 言われてみればおかしなとこだよな。 読んだのはずっと前のことだから忘れてたが、確かに色々と矛盾した点があるし Kafka Projektという催しがあるそうです。 6000字のショートストーリーコンテストがあるんですが、この選考委員のことをみなさんはどう思いますか? https://www.kafkaprojekt.com エエェエエェェΣΣ(゚Д゚;)ェェエエエェェエエエ頭2:50 みすず書房から出るカフカ素描集13000円! 高いが皆さんは買いますか? 買うわけない 新潮社の決定版カフカ全集全巻持っているから他は要らない 『審判』(訴訟)はこれまでいろんな邦訳が出たけど、 どれが好まれているのかな? 批判版からの翻訳は有難いが、訳者の池内紀の文体が嫌いだ。 >>737 おお、新潮の原田訳と中野訳、ちくまの飯吉訳を持っている あとは集英社の川島訳だね 岩波の辻訳も欲しいなあ 『審判』に比べると、『城』は翻訳が少ないね 大昔のを除くと、前田訳と池内訳だけか 角川文庫の新訳『変身』はどうなんだろう 読んだ人いる? 『変身』には、全体の解釈を左右する非常に重要な一文があって、日本では、ナブコフの指摘により、その訳が変わった しかし、川島編集の集英社版の多和田や角川版の川島は、陳腐な元の解釈に戻してしまった War er ein Tier , da ihn Musik so ergriff ? 普通にグレゴールは人間だって意味だろ つまり人間なのに家族から疎まれる存在になってしまったんだよ 虫になった描写もグレゴールの幻覚かもしれない ナボコフは人間には音楽が理解できない 動物だからこそ理解できるって解釈だっけ? そんなの『変身』って作品からは読み取れないな ナボコフがちょっと上手いこと言いたかっただけだろ だから川島も多和田も無視してんだろ ナボコフはカフカをNRFの対訳で読んだと書いてるからな 英仏露に比べて独語は文学作品を読めるほどではなかったみたいだし 文学講義も思い込みが激しい部分(私が変身したのは甲虫だと言い張ったりとか)があるから話半分に聞いた方がいいと思う グレーゴルが、妹のヴァイオリンに魅了されてリビングに出てきてしまい、3人の間借り人が激怒、妹も切れてしまって破局が訪れるクライマックスシーンだが なぜ、グレーゴルは、へたくそな妹の演奏にそれほど捉えられてしまったのかが問題になるのである 単純な理解では、体は虫になったが、心はまだ人間で、音楽に感動する力が残っていたというものだが、ナボコフは、そうではなく、動物の方が音楽に対する感覚が強い 人間であったときのグレーゴルは、妹のヴァイオリンにさほど感心しなかったが、動物になったからこそ魅了されるようになった、という解釈である A)音楽に感動したのは、完全には動物になっていないから B)音楽に感動したのは、動物になってしまったから 高橋義孝 『変身』 新潮文庫、1952年 A)「音楽にこれほど魅了されても、彼はまだ動物なのであろうか。」 中井正文 『変身』 角川文庫、1952年 A)「これほど音楽に感動しているのに、それでもやっぱり彼は一匹の虫にすぎないのか、」 山下肇 『変身 他一編』 岩波文庫、1958年 A)「これほど音楽に感動しているというのに、彼はやはり一介の虫けらなのだったろうか。」 原田義人 筑摩世界文学体系58 1960年 A)「音楽にこんなに心を奪われていても、彼は動物なのだろうか。」 辻ひかる 世界の文学39 中央公論 1966年 A)「これほど音楽に心をうばわれているというのに、それでも彼が動物なのだろうか?」 高安国世 講談社文庫 1971年 A)「こんなに音楽が心を動かすのに、それでも彼は虫なのだろうか。」 城山良彦 世界文学全集30 集英社 1974年 A)「これほど音楽に心を奪われても、彼は動物だろうか?」 川村二郎 決定版カフカ全集1 新潮社 1980年 B)「これほど音楽の力に捉えられるとは、やはり彼は動物なのか?」 池内紀訳 『カフカ小説全集4 変身ほか』 白水社、2001年 B)「獣だからこそ、それで音楽がこんなに身にしみるのか?」 山下萬里 『変身』改版 岩波文庫 2004年(息子による改訳版) B)「こんなにも音楽に感動させられているからには、ぼくは獣なのだろうか。」 丘沢静也訳 『変身、掟の前で 他2編』 光文社古典新訳文庫、2007年 B)「こんなにまで音楽に心をつかまえられるとは、やはり動物なのだろうか。」 浅井健二郎訳 「変身」ちくま文庫 2008年 A)「こんなにも音楽に心がとらえられるというのに、俺は虫けらなんだろうか?」 多和田葉子訳 「変身」 集英社文庫 2015年 A)「音楽にこんなに心を動かされているグレゴールは、本当に虫獣だったのだろうか。」 川島隆 『変身』角川文庫 2022年 A)「こんなにも音楽に感動しているのに、それでも動物なのか?」 [未読] 高本研一訳 ドイツの文学 第7巻 三修社 1966年 川崎光隆訳 旺文社文庫 1973年 立川洋三訳 世界文学全集33 学習研究社 1977年 では、何故AB二つの解釈に分かれたかを考察してみよう 川島隆は、「da」は、やや古い用法では、「〜したとき」という意味があり、認容文になるから、理由と認容の2通りの解釈ができ、ナボコフが前者、自分は後者をとると言う しかし、「da」ではどうみても認容の意味にはならない、認容なら「trotzdem」を使うはずである 次の4つの文章を比較してみよう @ Er war ein Tier, da ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したから、彼は動物だった) A Er war kein Tier, da ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したから、彼は動物ではなかった)(否定) B Er war ein Tier, da ihn Musik doch ergriff. (音楽が彼を魅了したのに、彼は動物だった)(相反) C Er war ein Tier, trotzdem ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したにもかかわらず、彼は動物だった)(認容) 問題は、ABCはロジックとして普通に意味が通るが、@は常識と逆であり、翻訳者を戸惑わせる そして、まさしく、カフカの文章は、@を疑問形にしたものだというところにある 主文と副文を入れ替えてみると、@のロジックのおかしさがよくわかる @ Musik ergriff ihn, da er ein Tier war. (彼は動物だったので、音楽は彼を魅了した) A Musik ergriff ihn, da er kein Tier war. (彼は動物ではなかったので、音楽は彼を魅了した) B Musik ergriff ihn, da er doch ein Tier war. (彼は動物だったのに、音楽は彼を魅了した) C Musik ergriff ihn, trotzdem er ein Tier war. (彼は動物だったにもかかわらず、音楽は彼を魅了した) したがって、文法通り訳すと@になり、文意を優先するとBやCになる 初期の翻訳家たちは、文意を優先したが、 ナボコフの指摘によって、@がロジックとして正しいことになり、文法通り訳すようになったと考えられる 実際、鈴虫や松虫は自分の体で美しい音色を奏でるからな 人間だけが音楽を理解できるというのは人間中心主義にすぎない 動植物や物の立場にたって思考せよとは埴谷雄高も言っていた うちにある『変身』の翻訳 中井正文訳、城山良彦訳、 川村二郎訳、多和田葉子訳 やはりカフカは並の小説家ではない ありきたりの小説では虫に変身した後、音楽に魅了されるという 展開を思いつくわけがない 「ナボコフの文学講義」 「なにも音楽愛好家を敵にまわす気は毛頭ないのだが、一般的意味に解して考えると、 音楽は消費者が享受するかぎりにおいて、文学や絵画よりも芸術の価値尺度上、より原始的で、 より動物的な形式に属するものである。 無論、音楽が文学や絵画に匹敵する芸術であることはいうまでもないが、 ここで問題にしているのは、音楽が普通の聴き手に与える衝撃に関連してなのだ。 偉大な作曲家、偉大な作家、偉大な画家は兄弟である。 しかし、一般的原始的形式の音楽が聴き手に与える衝撃は、普通の小説や絵が与える衝撃よりも、 より低い性質のものだと、わたしは思う。 特にわたしの念頭にあるのは、たとえばラジオやレコードなどで、 ある種の人々に音楽がおよぼす心を慰め、和らげ、鈍麻する影響のことだ。 カフカの物語では、それは哀れにもヴァイオリンをこすっている一人の女の子にすぎない、 これはこの作品において今日の缶詰の音楽、あるいはコンセントを差し込めば鳴り出す音楽に相当する。 カフカが音楽一般について感じていたことは、わたしが今さっき述べたこと、 すなわち人を茫然とさせ、麻痺させる、動物のような音楽の性質のことなのだ。 このような彼の態度を銘記しておかなければ、 今まで何人かの翻訳家が誤解してきたひとつの重要な文章を解釈することができないのである。 その文章とは、文字通りはこういうものだ。 「グレゴールはこんなに音楽に感動すべき動物だったのだろうか?」 つまり、人間の姿でいるいたときには、彼は音楽になんの関心もなかったが、 この場面、彼が甲虫になったとき、初めてグレゴールは音楽に屈服するということだ。」 ドゥルーズ/ガタリ 『カフカ マイナー文学のために』 「カフカが興味をひくものは、構成された音楽、音楽の形式ではない。 カフカにとって関心のあるのは、意味論的に作られた、構成された音楽ではなく純粋な音のマチエールである。 『或る犬の研究』では、音楽を奏する犬たちが大騒ぎをするが、どんな方法でそうしているかわからない。 なぜなら彼らはことばをしゃべることができず、歌も歌わず、吠えもしないで、無から音楽を生み出すからである。 『プリマドンナのヨゼフィーネあるいはネズミの民族』では、ヨゼフィーネが実際に歌っているとは考えられない。 彼女は単に鳴くだけであるが、それも他のネズミより上手ではなく、むしろ下手である。 その結果、存在しないものである彼女の芸の神秘は一層大きくなる。 『変身』では、音楽はまず第一にグレーゴルの声に介入し、ことばの反響をだいなしにするぴいぴいいう音として現れる。 またグレーゴルの妹は、音楽家ではあるが、下宿人たちの影法師に邪魔されて、ヴァイオリンをぴいぴい鳴らすことしかできない。」 カフカの関心をひくものは、常におのれ自身の廃棄と関連している。 強度の高い純粋な音のマチエール、非領域化した音楽的な音、意味作用・構成・歌・ことばを欠いた叫び声、 まだあまりにも意味作用的な連鎖の束縛から脱するための、断絶状態の音響性である。 ヨゼフィーネの芸術は次の点に存する。 他のネズミより上手に歌うことを知らず、むしろ下手に鳴くことによって、彼女はおそらくは《普段のネズミ鳴き》からのひとつの非領域化を行い、 この普段のネズミ鳴きを《日常の生活の覊絆》から解放する。 要するに、ここでは音は表現のひとつのフォルムとしては現れず、他の関係項に対して反応しようとする、 表現のフォルムになっていないマチエールとして現れる。 豊かなものにせよ、貧しいものにせよ、どんな言語にも口・舌・歯の非領域化が常に含まれている。 口・舌・歯は、その原初的な領域性を食料のなかに見出す。 音声の分節化に専心することによって、口・舌・歯は非領域化する。 通常は舌は感覚における領域回復によってその非領域化を補償する。 舌は感覚器官ではなくなることによって意味の道具になる。」 「しかしヨゼフィーネは破滅して行かねばならない。まもなく彼女の最後の鼠鳴きが鳴り響き、そして沈黙するときが来るであろう。彼女はわが民族の永遠の歴史における一つの小さなエピソードである」 フランツ・カフカ『プリマ・ドンナ・ヨゼフィーネあるいは二十日鼠族』円子修平訳 これはカフカの最後の作品 ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。 自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。 神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。 食事前にナイアシン療法を行うと、効く人には大変有効と思います。 自然な形でセロトニンが増えれば、ほとんどの神経症や精神疾患は良くなっていきます。 薬も確実に減っていきます。それと同時に高タンパクな食事が大変大事です。 そして適度な運動で最強です。 試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる