作家の政治思想を云々すること自体邪道かもしれないが、まあ硬いことは言わないで反論してみる。
 
阿川が残した著作の中で、彼の素直な心情として思い出すこと(海軍関係のあれこれを除く)…

●真珠湾攻撃の放送を聴いたときは感動した。
●終戦、帰国した時には若輩の立場で「戦争に負けてすいませんでした」などという挨拶を本気でやって笑われている。
●戦後、アメリカに行くまではかなり極端な反米だった。
●アメリカに行って、親米になった。
●家庭においては極端な亭主関白であった。
●基本的にすべて、志賀直哉の考えに無条件で染まっていた。

要するに、阿川は非常に単純、ある意味まじめな人間だった。しかし、

●故郷の広島を原爆で焼かれたにもかかわらず、「もし日本が原爆を持っていたら間違いなく日本も使っていた」として、
教条主義的にアメリカの原爆投下を非難する姿勢に対しては拒否の立場だった。
●大江健三郎に代表される教条主義的左翼は大嫌いだった。
●天皇に関して教条主義的な考え方を非難する一方、皇室に親近感を持ち、皇室の側からも好感を持たれていた。

要するに、教条主義的なまじめすぎる「思想」を非常に嫌っていた。

単純でまじめな人間は教条主義になる。阿川はもともとは教条主義的な人間だったんだろうと思う。海軍や志賀直哉に対する思い入れの強さなどにもそれがうかがえる。
一方で、だからこそ阿川はまさにその海軍の「合理性」や「リアリズム」、志賀直哉の「対象から距離を置く姿勢」に魅力を感じてそれらに育てられ、彼自身をそこに措定し、そういう作家になっていったんだと思う。

阿川の魅力は先天性の子供みたいな単純さと後天性の海軍的合理性、志賀直哉的冷静さが彼自身の中に共存してる点にあると思う。相反する性質の共存は一般論としても文学の魅力、価値だと思う。 
 
ところで「雲の墓標」は反戦小説ではない。「反戦」は教条主義的イデオロギーにすぎない。あれは同世代への鎮魂小説だ。