世の伝うるところの賽児の事既に甚だ奇、修飾を仮らずして、一部稗史たり。
女仙外史の作者の藉りて以て筆墨を鼓するも亦宜なり。
然れども賽児の徒、初より大志ありしにはあらず、
官吏の苛虐するところとなって而して後爆裂迸発して※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)を
揚げしのみ。其の永楽帝の賽児を索むる甚だ急なりしに考うれば、
賽児の徒窘窮して戈を執って立つに及び、
或は建文を称して永楽に抗するありしも亦知るべからず。
永楽の時、史に曲筆多し、今いずくにか其実を知るを得ん。永楽簒奪して功を成す、
而も聡明剛毅、政を為す甚だ精、補佐また賢良多し。
こゝを以て賽児の徒忽にして跡を潜むと雖も、若し秦末漢季の如きの世に出でしめば、
陳渉張角、終に天下を動かすの事を為すに至りたるやも知る可からず。
嗚呼賽児も亦奇女子なるかな。而して此奇女子を藉りて建文に与し永楽と争わしむ。
女仙外史の奇、其の奇を求めずして而しておのずから然るあらんのみ。
然りと雖も予猶謂えらく、逸田叟の脚色は仮にして後纔に奇なり、
造物爺々の施為は真にして且更に奇なり。