少々ぶっちゃけると、文芸誌と文学賞とその周辺の人物がこれは純文学だと言えば純文学になるんじゃないのかな

村上隆が、アメリカ現代美術はよくわからない扱いされるけどあれはアメリカの美術界の特定の人間が求めているものに沿った
作品を発表する一種のゲームで、自由な表現でもなんでもない
だが、世界最大の大国アメリカには美術界の最高の才能が集まるから、素晴らしい作品が出現するんだ
といったことを語っていたけど、
純文学もちょっと似てるのか

純文学のルールみたいなものがあって、そのルールを決めてる人がいる、感じはするな
ただ、純文学の大原則として、歴史的文脈は踏まえないとダメ、というのがあって
たとえば漱石や鴎外を純文学ではない、と否定するのはNG、と