>>357
>だからさ、何を基準として「純」不純」と選者は判断してるの?

美醜の概念。

たとえば音痴は、歌に上手い下手はない、そんな判断は主観だ、オイラはスマップの歌は上手いと思っている! その証拠にだから売れているんだろ! 中居クンの歌が下手だというのはオカシイよ!と主張する。

音の美しさの概念がないため、売上でしか判断できない。売上は明確な客観的な基準だからそれを拠り所にする悪癖がついている。

言葉の純、不純の基準を学びたかったら、短歌教室や俳句教室に通うといいだろう。

>そう決めつける客観的な事実(or証明)はあるの?

当然ある。翻訳機。日本語の表現は多岐にわたるため翻訳が複雑になる。

たとえば「私は天才です。」という言い方は「オイラ、天才。」「俺は天才だぜ。」「僕は天才だもん。」「おれ、天才っす。」「あたしゃ、天才だよ。」「わしは天才じゃ。」
といくらでもつくれる。これは人称主語から書き手の性格がわかるという日本語の特性であり、ここに日本人の言葉にたいする繊細な感覚が発揮される。どれを使うか?

もちろん主語自体を省くこともできる。つまり主語だけが特徴ではなく、助詞の変化、その言葉の組み合わせが多種多様にあること。
なので、一つの英文でも、日本語訳にするとき、いくらで表情をつけることができる。この表情をどうつけるかが訳者の腕の見せ所である。

そして英文を翻訳機にかけると、汚いつまり不純な日本語の文章が出来上がる。

>『それを否定したがるのは、日本にそういった文化があること自体が気に入らない連中。』

日本語を扱うにはセンスが必要。だから英語、英語と喚く奴がいる。英語なら頭からっぽ考えなくてもいい。たとえば「I」という主語を使っていればいいだけだから。
日本の文化自体を知らないで否定しているとしたらよっぽど始末に負えない輩だ。死ね。