そもそもプルーストの文体を日本語で再現しようという愚かな学者連中は、
日本語の統治構造を無視しているぞ。その最たる例が、井上究一郎の訳。
原文の切れ目と日本語の切れ目を合わせるという暴挙を行っているが、
自分が日本人であるということをわかっていないのではないか。
句点「。」にすべきところも読点「、」にしているし、原文の文体を生かそうとすると
どうしても動詞が最後に来る日本語では、「意味の宙づり状態」になる。
文体などは、原文で確認すればよい。