>>283
吉本の>>281は、「一歩譲らざるえない」といってるので、これは相対的な比較に
すぎず、プロレタリア文学者の文学に絶対的価値があり、小林秀雄は無価値という
デジタル的価値判断やってるわけではなく、相対的な価値判断であるね。
つまり小林は無価値という評価は、どう逆立ちしたって>>281からは出てこないと
いえるねw

「本質の解明への道」というのは、これまたどうとでも取れる言葉であって、その
本質なるものが人間知の領域に属するとして、小林は相対的にプロレタリア文学者に
及ばないところがあるならば、一応インテリには属するプロレタリア文学者といえど
文学についてまったく無知なその辺のうら若き女性に人間知において及ばないと
いうことがあるわけで、つまり人間知なる曖昧な評価基準のもとでは、ピラミッド的
絶対評価はなりたたず、小林より相対的に優れているはずのプロレタリア文学者も
また相対的には劣等という話になって、全体の構造はクラインの壺的形態へと
収束していき、小林はプロ文より劣等という発言もピラミッドの頂点にたつ真理では
なくなってしまうといえるねw