>>336
>そういう風にすべての文学作品の評価価値が止揚される時空間

 ではなくって私的嗜好によって文学作品の価値が決められる時空間といって
もいい。私的好み、嗜好、素材主義、主題主義だけではない価値評価は何か、
という問題意識で『言語にとって美とは何か』は書かれている。そしてこの
問題というのはかつて小林が「マルクスの悟達」冒頭で文芸批評の科学性
についての論争を書いた時点(もっとも小林の結論は文芸批評がこれまで
連綿と続いてきた事実がそも文芸批評の科学性を論証する、という小林お得意
の言葉の魔術のようなものだ)とも繋がっている。

>>337
>ハイデガーとか吉本とかフーコーとか、ここのコテの人たちにはなじみ
>のない哲学

 だとしたら逆にどういうことかね。木田元はハイデガーと小林に同じものを
感じたというし、実際両者は〈宿命〉という用語を生体験の本質、個体の
歴史性の本質のように使う。「馴染みのない」というのは単に「疎い」という
意味ではないのかね。