373つづき

 サルトルが膨大なるマルクス読解で労働者の苦渋の日々を描き切ったのを
読み、その眼で小林のマルクス読解を読むと、こんな流麗な文体とレトリック
で「世の労働者にとっては常識」などと片付けられてはたまったものでは
ない、という感じがしてくる。
 マルクス読解の一事をもっても、小林のマルクスは「小林秀雄の悟達」
を描いても、マルクスの描いた労働者の苦渋は故意にか触れないでいる
のが分かる。そういう手つきでマルクスを語り、澄ましているのが俺には
不審にみえてきた。かつては俺は「小林のマルクスは良いね」などと
思ったことがあったが、近年ここでも話題のサルトルの書いたマルクス論を
読み、小林のマルクスってのはとんでもない代物だと違う眼でみるように
なった。小林は日本の批評界の重鎮。サルトルはフランスの重鎮。しかし
手つきは相当違う。サルトルは小林のような流麗なレトリックで「悟達」
に入って澄ましているなどということはしない。