>>373
>「マルクスの悟達」を書いてるが、しかしそこでの読み方は『資本論』
>についてニーチェを語るグウルモン引用しながら、「気違いのように常識を
>説いた」

ん〜と、「マルクスの悟達」にはニーチェもグウルモンも出てこないので、それは「様々なる
意匠」に出てきた話であるね。まあ「様々なる意匠」において小林のマルクス主義文学批評に
対する姿勢のアウトラインは既に定まっているので、それを表しているのは柄谷も着目した
以下の一節であるね。

>諸君の脳中においてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に
>貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術を
>ふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス
>主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この
>変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。