『 私が教育を受けた学校は、イタリヤ、フランスなどの修道女によって成り立つ
「 修道会」が経営していた。
修道女たちは故国を離れる時、再び生きて祖国の土地を踏まない覚悟ををして来た。
・・・・・・・・・・それほどの思いで、自分の生涯を捧げる覚悟をしなければ、
一つの大きな仕事はできないのだ。
私たちは自分の生涯を大切にしなさい、と教わる。それは自分の仕事や希望を完成
させるためだ。しかし、皮肉なことに生涯を捨てる覚悟をしないと、生涯に一つの
事業も完成しないことがある。』

(曽野綾子の透明な歳月の光 「ドイツの総選挙」、H29年10月4日)