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美しい文学を英文で読み散らそうと試みるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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0001吾輩は名無しである2016/05/03(火) 07:15:29.80
このスレッドの内容については、>>2-10 あたりで書くかもしれない。
0002吾輩は名無しである2016/05/03(火) 07:25:28.08
海外文学を邦訳で読むのもいいけど、少しでもいいから元の言語で読みたい。フランス文学は
フランス語で、ロシア文学もロシア語で。でもそんなこと、僕なんかには到底できない。

ではどうするか?ほんの少しでもいいから、せめて英語圏の文学くらいは英語で少しでも
つまみ食いしたい。

邦訳を読むだけじゃダメだなどと言っているのではない。英文が読めるんだぞと気取る
つもりもない。ただ、ついつい惰眠を貪ってしまいそうな自分を鞭打ち、ほんのわずかでも
成長したいと思って、1ページ、いや1行だけでもいいからきれいな英文を読み味わえる
ようになりたい。

このスレは、そういう人のために作った。英文を引用し、それを自分なりに下手な和訳を
つけることもあるかもしれないけど、もしもプロの邦訳版を持っている人がいたら、
模範例としてそれを紹介してくれたらうれしい。
0003吾輩は名無しである2016/05/03(火) 07:28:58.10
面白そう
0004吾輩は名無しである2016/05/03(火) 07:33:46.54
たとえば Dickens の英文についてなら Dickens のスレにて書けばいいのかもしれないけど、
邦訳で読む人と原文で読む人(あるいは読んでいるふりをしている人)との喧嘩になることが
多い。そんな喧嘩はしたくないと思っている人は、ここで書こう。英語なんて大嫌いな人は、
初めからこのスレッドは無視してほしい。なお、英語圏の文学だけでなく、たとえばロシア文学の
英語版についての話になることもあろう。
0005吾輩は名無しである2016/05/03(火) 17:30:18.88
面白そうだけど
>>4
の最後が意味わからん
原文じゃねーじゃん
0007吾輩は名無しである2016/05/03(火) 19:34:17.28
Samuel Beckett の長編小説三部作としては、最初の2編はよい作品だけど、三番目の
L'Innommable (The Unnamable) はまるで訳がわからないって言ってる人が多い。
でも僕はどういうわけかその反対で、最初の2作は読もうとしても途中で挫折してしまう
くらいに退屈で、L'Innommable (The Unnamable) の方がずっとわかりやすい。存在して
いることについての絶望感と孤立感を直接的に、容赦なく、いっさいの嘘や空しい希望を
与えることなく、赤裸々に述べている。

英語版の "The Unnamable" の最後の2ページくらいを Harold Pinter という
ノーベル賞作家であり役者でもある人が見事に朗読しているビデオが YouTube 上にある。

Harold Pinter on Samuel Beckett
   https://www.youtube.com/watch?v=-N99S8n2TiA&;t=3m55s
0008吾輩は名無しである2016/05/03(火) 19:37:39.24
>>7 でのリンクがうまくいかなかった。今度はうまくいくだろうか?ともかくこのビデオの
3分55秒目のところから朗読が始まる。

Harold Pinter on Samuel Beckett
   https://www.youtube.com/watch?v=-N99S8n2TiA&;t=3m55s
0009吾輩は名無しである2016/05/03(火) 20:16:05.70
Samuel Beckett の作品をさほど詳しく知っているわけじゃないけど、僕なりの中間報告を
しておくと、彼の作品は「存在することについての違和感について延々と続く独り言」で
成り立っていると思う。自分が存在していることが気持ち悪くてたまらないが、ともかくも
ここに存在してしまっているらしい。本当に存在しているのかどうかはっきりしないが、おそらく
存在しているのだろう。そして自分がどういう存在なのかはわからない。さらには何のために
存在しているかもわからない。他人とコミュニケーションを試みても、それが果たして本当に
うまくいっているのかもわからない。もしかしたらあらゆる人は単にひとり言を言っているだけ
かもしれない。そんなことを延々と言い続けるのが Samuel Beckett だと僕は感じている。
それを比較的にわかりやすく示している作品として、僕は The Unnamable (L'Innomable)
を挙げる。少し引用してみる。

小説の冒頭
WHERE now? Who now? When now? Unquestioning. I, say I. Unbelieving.
Questions, hypotheses, call them that. Keep going, going on, call that
going, call that on. Can it be that one day, off it goes on, that one
day I simply stayed in, in where, instead of going out, in the old
way, out to spend day and night as far away as possible, it wasn't
far. Perhaps that is how it began. You think you are simply resting,
the better to act when the time comes, or for no reason, and you soon
find yourself powerless ever to do anything again.
   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.331

冒頭はこんな感じだ。実に短いフレーズが続々と高速度に流れる。それぞれのフレーズを
カンマで区切っている。センテンスも短い。しかしパラグラフは普通の小説の5倍くらいだろう。(続く)
0010吾輩は名無しである2016/05/03(火) 20:16:26.16
>>9 からの続き
ずんずん読み進めていると、センテンスがどんどん長くなっていく。そしてパラグラフは
きわめて長大になっていく。その字面を眺めているだけで、息が詰まってくる。小説は
原文でほんの150ページくらいで、邦訳の文庫版ではおそらく300ページくらいだろう。

パラグラフが変わる(つまり改行が行われる)のは、原文では最初の15ページだけ、つまり
邦訳の文庫本版ではおそらく30ページ分だけだ。そのあとの原文で135ページ(邦訳で
おそらくは270ページ)は、まったくパラグラフの区切りがない。つまり、延々と改行も何も
なく続くのだ。あらゆるページが文字がぎっしり詰まって真っ黒なのだ。センテンスも長くて、
特に長いものでは、僕が気づいたものだけでも 147 words ものセンテンスもある。
もっともっと長大なセンテンスもあるかもしれない。ただし文章はわかりやすくリズミカルなので、
構文がとりにくいとか理解しにくいということはない。

ともかく唾を飛ばしながら主人公がまったく一人で独り言を高速で続けているのだ。途中で
誰か別の人間(または何かの生物)が脇を通り過ぎているかのように感じられるが、
主人公にはどうやら目も見えないし耳も聞こえない(かもしれない)ので、脇を本当に何かが
通り過ぎたのか、誰かが本当に何かを言ったのかもよくわからない。ともかく登場人物は、
この主人公一人(あるいは一匹)なのだ。この主人公は、自分が本当に存在しているか
どうかも自分でわからないらしい。いつからここにいるのかもわからないらしい。
実はまだ僕はこの小説を大雑把にしか理解していないので、もしも細かい点で間違って
いたら許してほしい。
0011吾輩は名無しである2016/05/03(火) 20:58:54.96
>>10 の続き
主人公は、わけのわからないことを言っているのだということを自覚しているらしい。そして
いろいろ延々としゃべりながらも、次に何を言いたいのか忘れてしまって、「まあいいか」と
言ったりもする。それでいて、しゃべり続けないではいられない。永遠に、決して黙ることは
ないだろうと言っている。

And at the same time I am obliged to speak. I shall never be silent.
Never.

さらには、私は一人になることはなかろうと言い、その直後に「私は一人だ」というふうに
矛盾したことを言う。通常の感覚ではこれは矛盾だろうが、主人公は一人であると同時に
一人ではないとも言えると思う。つまり、周囲に常に人(あるいは生物)がいるようでもあり、
いないようでもあるらしい。周囲の生命体と意思疎通したくなくても向こうの方から嫌という
ほど働きかけてきているようでもあり、まったくそんなことがないようでもある。そんな感じでは
ないかと僕は見ている。さらには、どうやら周囲は真っ暗らしいので、余計に主人公は
周囲の状況がつかめない。小説のずっと後の方で、主人公が自分のことを盲目だと
言っていたような気もする。(僕の記憶が確かではない。)

I shall not be alone, in the beginning. I am of course alone. Alone.
That is soon said. Things have to be soon said. And how can one be
sure, in such darkness?

周囲はまっくらで、あたりに誰が通りかかっているのかもわからず、それが Malone なのか
Molloy なのかもわからない。涙がとめどなく流れるが、悲しいわけではまったくない。もしか
したら涙ではなく、脳が解けて流れているのかもしれない。耳がまったく聞こえないわけでは
ないらしい。というのも、音が聞こえてくるからだ。

That I am not stone deaf is shown by the sounds that reach me.

また自分は、永遠にここにいるらしいけど、永遠の過去からずっとここにいるわけではない
らしいなどというわけのわからないことも言っている。ということは、主人公はいつどこから
ここにやってきたのかも覚えていないのだ。
0012吾輩は名無しである2016/05/03(火) 21:14:44.42
>>11 の続き
It is therefore permissible, in the light of this distant analogy,
to think of myself as being here forever, but not as having been
here forever.

さらには、自分がこの場所が出来上がって自分を受け入れてくれるのを待ったのか、あるいは
この場所が最初に存在していて主人公がやってくるのを待ってくれたのかがよくわからない。
おそらくは自分が出現したのとこの場所が発生したのとが同時だったのだろうなどと言っている。
これは仏教哲学の考え方に基づくのだろう。

Did I wait somewhere for this place to be ready to receive me? Or did
it wait for me to come and people it? (中略) I shall say therefore that
our beginnings coincide, that this place was made for me, and I for it,
at the same instant.

主人公には、自分のことがまるでわからない。目が開いていることはわかる。というのも、
涙がとめどなく流れているからだ。どこかに座っているということもわかる。というのも、
尻や足の裏や手のひらや膝に圧力を感じるからだ。ただ尻などを押さえつけているものが
何なのかはわからない。

I, of whom I know nothing, I know my eyes are open, because of the
tears that pour from them unceasingly. I know I am seated, my hands
on my knees, because of the pressure against my rump, against the
soles of my feet, against the palms of my hands, against my knees.
... but what is it that presses against my rump, against the soles
of my feet? I don't know.
   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.346

真っ暗で何も見えないので、自分が服を着ているのかさえわからない。

This question in any case is secondary, since I see nothing. Am I
clothed? I have often asked myself this question.
0013吾輩は名無しである2016/05/03(火) 21:22:34.71
>>12 の続き
主人公は、自分の体から突起物がすべて取れてなくなってしまったと言っている。つまり
鼻・髪の毛・目などがすべて取れてしまったのだ。だからセックスもできないと言っている。

No more obscenities either. Why should I have a sex, who have no
longer a nose? All those things have fallen, all the things that
stick out, with my eyes, my hair, without leaving a trace, fallen
so far, so deep, that I heard nothing, perhaps are falling still,
my hair slowly like soot still, of the fall of my ears heard nothing.

さらに、何かを想定することはやめようと言っている。自分が動いているのか、あるいは
動いていないのかさえ想定することをやめると言っている。というのも、それは重要でない
からだと言う。それでは重要なこととは何か?それは、ここでこのようにしゃべっている
(自分の)声が存在しているということ、そしてその声は自分が嘘を言っているということを
知っているということ、自分が言っていることに無関心であることなどが重要なのだと言っている。
このように、周囲の事物はすべて存在しないかもしれないけど、ここでしゃべっている
声だけは存在していて、それだけが重要なのだという考えは、Rene Descartes の
方法的懐疑 (Je pense, donc je suis. に至るもの) を彷彿とさせる。
0014吾輩は名無しである2016/05/03(火) 21:28:56.25
>>13 の続き
Let us then assume nothing, neither that I move, nor that I don't,
it's safer, since the thing is unimportant, and pass on to those that
are. Namely? This voice that speaks, knowing that it lies, indifferent
to what it says, too old perhaps and too abased ever to succeed in
saying the words that would be its last, knowing itself useless and
its uselessness in vain, not listening to itself but to the silence
that it breaks and whence perhaps one day will come stealing the long
clear sigh of advent and farewell, is it one?

   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.349
0016James Joyce2016/05/03(火) 21:37:50.37
Ulysses written by James Joyce

Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead,
bearing a bowl of lather on which a mirror
and a razor lay crossed. A yellow dressinggown,
ungirdled, was sustained gently behind him on the
mild morning air. He held the bowl aloft and intoned:
―Introibo ad altare Dei.
Halted, he peered down the dark winding stairs and called out coarsely:
―Come up, Kinch! Come up, you fearful jesuit!
0018吾輩は名無しである2016/05/04(水) 03:23:39.37
なぜか原文系スレにはにたような罵倒が出るね
気にせず続けたまえ、気が向けばH.Pinterあたり紹介するわ
0019吾輩は名無しである2016/05/04(水) 03:47:56.07
似たようなって…
初っぱなから>>1が長文だらだら書き込んでたらそりゃクソスレにもなるわ
0022吾輩は名無しである2016/05/04(水) 04:29:30.14
面白そうだと思って開いたからガッカリしたんだよ
>>1が長文書いて悦に入るスレ」に名前変えたら?
0024吾輩は名無しである2016/05/04(水) 06:32:03.17
>>18
コメントを感謝します。Harold Pinter の作品は、まだ読んだことがありませんが、彼の姿は
YouTube 上でたくさん見ることができるので、次のようなビデオで彼の演技などを見てきました。

(1) Samuel Beckett "Catastrophe" での彼の演技
   https://www.youtube.com/watch?v=iAbGOP7YqlM
(2) Samuel Beckett "Krapp's Last Tape" での彼の演技
  (字幕はスペイン語だけど、ちゃんと英語でしゃべっている)
   https://www.youtube.com/watch?v=1IUDUMkTva8
(3) Jean-Paul Sartre の "Huis Clos" の英語版 "No Exit" での彼の演技
   https://www.youtube.com/watch?v=mshvqdva0vY
(4) Samuel Beckett との交流などについての思い出を語り、さらには
  Samuel Beckett "L'Innommable" ("The Unnamable") の結末の一部を
  彼自身が見事に朗読したビデオ
   https://www.youtube.com/watch?v=-N99S8n2TiA

さらに、Harold Pinter が書いた戯曲を映画化したものがたくさん YouTube 上にある
けど、それについてはほとんど見ていません。僕が見たのは、たぶん上記の4本だけです。
0025吾輩は名無しである2016/05/04(水) 07:02:43.84
まともな文学作品を英文で読み始めたのは、ほんの3年ほど前の話だ。それまではきちんと英語が
できるようになるために下らない英文の娯楽小説・ビジネス書・実用書・童話などをたくさん
読んだ。童話については、なかなか素晴らしいものもあったので、いずれ紹介するかもしれないが、
大人にとってはやはり少し物足りないかもしれない。

Samuel Beckett については、3年前までは日本語でさえ読んだことがなかった。一つには、
どういうわけかフランス・ドイツ・ロシアなどの文学については英語がろくに読めない時代に
でも日本語で読んで楽しんでいたことがあったが、英語圏の文学については日本語では
読む気になれなかった。なぜかわからない。読み始めてもすぐに退屈した。Shakespeare に
ついても、高校生のときに "Hamlet" を文庫本で読んだが、半分ほどで放り出した。

長い長い英語学習のあと、やっと文学らしい作品を英文で読み始めた。今のところ、
次のような作家の作品を何本かずつ読んだ。

(1) Virginia Woolf
(2) S. Beckett
(3) Thomas Hardy
(4) Charles Dickens
(5) Emily Bronte
(6) Charlotte Bronte
(7) William Shakespeare
(8) D.H. Lawrence
(9) Edgar Allan Poe
(10) George Eliot

さらに、英語圏ではないけど、英文で読んだ古典的なものとしては、Fyodor Dostoevsky,
The Bible (King James Version) がある。

日本語で読んでもろくに深く味わったり理解したりはできないような僕なので、英語だったら
それこそ上っ面を撫でているだけなのだが、何としてでも死ぬまでにほんのわずかでいいから、
自分の慣れ親しんだ国や言語とはまったく違う環境の中で書かれた本格的な文学を
味わいたい、そう思って苦闘してきた。(続く)
0026吾輩は名無しである2016/05/04(水) 07:03:01.90
>>25 の続き
このスレでの罵倒の何千倍もの強力な攻撃を、
現実の世界の中でも子供のときからずっと受け続けてきた。そもそも、外国語で文学を
読むだけでなく、ダンスであれスポーツであれ何であれ何かに本気で取り組み始めると、
ひどい攻撃を受けるものだ。人間にも社会にも、いや、そもそもこの宇宙存在そのものに
僕は諦めているので、もう何も期待はしない。(とはいいながら、このようにネット上で
いろいろなことを書き続けているところを見ると、やはりできれば、1万人に1人でいいから
誰か僕の話に耳を傾けてくれる人がいればいいな、と期待はしているのだ。)

Samuel Beckett の "L'Innommable" (The Unnamable) についてのコメントを
夕べは連投したが、まだ取っ掛かりの部分についてしか紹介していない。この小説だけを
取ってみても、あと 80% くらいは残っている。あとで気力があればまた書き続ける。
他の Beckett 作品についても、いくらでも書きたいことが膨大にある。さらには Thomas
Hardy や Shakespeare や Virginia Woolf についても、いくらでも書きたいことがある。

すでに言ったように、文学に対する僕の理解は実に浅いので、文学板にいる猛者たちには
まったく敵わない。僕は誰とも張り合うつもりはない。文学がろくに理解できていないから
せめて英語だけはできるんだなどと言うつもりもない。肝心の英語でさえ、僕はろくにできない
のだ。何十年も英語ばかりやってきて、他には何もする暇も能力もなかったという、
センスも洞察力も思考力も何もない僕の書くことなので、ろくでもないことはわかっている。
読んでもらう必要もない。

何度も言う通り、僕は昨日よりも今日は、ほんの1行だけでも
余計目に本を読み、ほんの1センチでいいから前に進み、頭脳や精神に障害があるんじゃ
ないかと思えるくらいのレベルの低い僕でも、パラリンピックで頑張る障害者のごとく、
前のめりに死んでいきたいと願うばかりだ。ろくに推敲もしないで連投しているので、
下手な文章で申し訳ない。
0027吾輩は名無しである2016/05/04(水) 07:09:04.33
たまに2chを日記帳とかチラシの裏にする奴がいるけど、ブログでも開設した方が良いんじゃないかなあと思うことがある
0028吾輩は名無しである2016/05/04(水) 07:30:21.97
外国語は英語しかできないので、ベケットはゴドーを英文で読みました。
その前に演劇を見たことがあるので、これは普通に面白かった。
三部作も英文で読もうと思ってモロイを読み始めましたが、最初の3分の1位で諦めました。
構文や語彙は簡単なんですが、あまりに伝統的小説と違うので自分の解釈が正しいのか
不明で、不安で不安でたまらなく辛くなりました。
そこで邦訳に変えて三部作全てを読みましたが、英語で読んだ分の解釈は間違ってなかったと
確認するとともに、訳を通してもやはり辛い読書だった。立脚点がないというか常に問いつめられる感じで。

ベケットを英語で読み通した人が、気に入った箇所を英文で紹介するのは面白い。
0029吾輩は名無しである2016/05/04(水) 07:39:40.14
見るべきものがあれば応援したいのだが
残念ながらそういうところが全くない
英語で読んだ
どうだ俺は偉いだろ、というだけの
ただただ頭悪いだけの書き込みというほかない
もう少し基本的なところから勉強したほうがいいだろう
0030吾輩は名無しである2016/05/04(水) 08:15:28.40
どういう方向性のスレなの?
読み散らすっていうよりも>>1が駄文書き散らすスレにしか見えない…
0031吾輩は名無しである2016/05/04(水) 08:20:14.24
くっさいスレだなあ・・・
0032吾輩は名無しである2016/05/04(水) 08:46:53.96
そもそも英文の持つ「美しさ」とはどういうことなのか?
現代英国人がブレイクやチョーサーといった古典文学を読んで
「美しい」と感じるのだろうか?
19世紀米国人であるメルヴィルがピエールで古語をふんだんに使用して
糞味噌にけなされたと記憶しているのだけど。
時代・使用地域・使用階層。手法を超越して存在する「美」が文章に内在しているの?
0033吾輩は名無しである2016/05/04(水) 09:28:17.74
ピエールがけなされた理由はそこではないな。
Dearest Pierre, my brother, my own father's child! art thou an angel, that thoucanst overleap all the heartless usages and fashions of a banded world, that will call thee fool, fool, fool!
and curse thee, if thou yieldest to that heavenly impulse which alone can lead thee to respond to the long tyrannizing, and now at last and now at last unquenchable yearnings of my bursting heart?
Oh, my brother!
親愛なるピエール、私の兄弟、私の父の息子よ、あなたは天使のような人なのでしょうか?世間の心ない慣習や流儀を跳び越えられる天使のような人でしょうか?
もしあなたが天上的衝動に負けて,長い間私を苦しめ続け,今はもう抑え切れなくなり張り裂けそうになっている私の憧憬する心に呼応してくださるなら,世間はあなたを“fool, fool, fool!”と呼んで罵るでしょうけど.

でもこのもったいぶった主人公を神人化するための描写はよいものだ。
この一節は「時間の止まった楽園」であり、「ルシファー」のいる世界から「父の隠し子」であり、オリエンタルな「姉」とともに激動の世界へ移行する重要な場面の一節。
0035吾輩は名無しである2016/05/04(水) 09:43:45.70
ピエールの「時間が止まった、静寂に包まれた」丘の描写や、「ルシファー」を示すいいなづけ「ルーシィ」と「アハブ(Ahab)」の妻であり誘惑する「イザベル」の描写の対比なども凝った文章。
俗世間の「習慣」という、戦争で海外にいる間に作った子供はピューリタニズムにおいて無視される、そのような「見捨てられた」姉を、天使のように救い出すためにはどうすればよいか
「ペテロ=岩」という名前を与えられた主人公「ピエール」は全てを投げ打って無一文になり、「姉」の救済という「天上の行動」に赴く。
「父の遺産」を捨て「父の遺児」を取る。静寂な世界の、いいなづけの家からの遺産も放棄され、そのいいなづけの兄によってのろわれる。

見捨てられた姉の立場に身を落とすために、ピエールは「イズマエル」として荒野に旅立ち、その幻想を打ち砕かれる。
heartless usages and fashions of a banded worldとは、近親相姦を禁ずる世界でもある。

好きな小説なので少しだけ書いてみた。
0037吾輩は名無しである2016/05/04(水) 10:16:33.11
>>36
フィリップ・ロスのAmerican Pastoralに好きな描写があるな
父親がテロリストになって人を殺して逃げ回った挙句ジャイナ教徒になって虫も殺さない生活をしている
フロイト的に抑圧されたその娘に対してザーメンならぬ嘔吐を浴びせかけるシーン

ピエールの近親相姦や抑圧するキリスト教道徳からの追放というテーマを書いていて、構造が「ピエール」に結構似ている
0038吾輩は名無しである2016/05/04(水) 10:38:15.27
>>37
それ前もどっかのスレで書き込んでたけど結局全部読んでないんでしょ?American pastoral
0041吾輩は名無しである2016/05/04(水) 11:00:10.15
くっさい奴って他スレで書き込んでもくっさいからすぐ分かるよな
0042吾輩は名無しである2016/05/04(水) 11:01:55.97
この嘔吐のシーンっていうのは、父親が娘にキスをするシーンと、娘よりも年上だけれども少女にしか見えない娘の同士が「娘の代わりに私をファックしなさい」よ挑発するシーンがあるからこそ輝く場面なんだ
描写の頂点としてはこのみすぼらしい娘との再会とある意味における和解がクライマックスだと全部読んでも思うよ
完璧なアメリカ人であるように見えた、成功したユダヤ移民のスポーツマンを内部から蝕んでいくアメリカの矛盾
このクライマックスの後にはそもそもユダヤ人と結婚した妻と舅の密約の場面(クリスマスは祝っていいか、洗礼はどうするか、などなど)と、舅の惨めなその後が語られる
まるでカフカのような、アメリカ女性がユダヤに嫁ぐときに何を要求されるか、という場面は寓話めいていて非常に面白い。

ひとつのテーマをめぐってすべてが整然と並んでいる、よい小説だったよ
0045吾輩は名無しである2016/05/04(水) 11:14:17.66
独り善がりが建てたスレを独り善がりが乗っ取る構図
俺も特製ハンバーグのレシピでも書き込もうかな
0046吾輩は名無しである2016/05/04(水) 11:18:43.44
虫を殺さないためにヴェールをしている娘がそれを除けると、その口には歯が一本もない
歯磨きをして口の細菌を除くことすら拒否した結果で、むかしはその口にキスをしようとした父親はこの場面で、「お前は誰だ?」「娘ではない?」と言ってしまう。
それに応えて喋ろうとした娘の口臭と口の中に広がる真っ黒な闇に、耐え切れず嘔吐する。

娘は生来どもりで、そのことを矯正しようとし続けてきて、ベトナム戦争のニュースをどもりながら父親に糾弾する場面なんかは、必ずしもベトナム戦争やテロ事件の描写がない一方で強く印象に残る。
どもりを克服した娘の発声は、しかし届かず、「もはや娘ではない」娘にザーメンの代わりに吐瀉物をぶちまける
(たぶん、娘はシャワーも使わないからそのゲロはしばらくへばりついたままで数ヶ月生きたのだろう)

ロスのテーマがこれでもかと凝縮された場面ということで、「美しい」文章と来たらやっぱり小説の技巧として印象強かったな〜
0048吾輩は名無しである2016/05/04(水) 11:32:23.23
一応ロスは未邦訳の小説全部読むという目標立ててるくらいには好きだよ
もう断筆宣言しているから彼がなくなる前に、とは思っているんだけどね

Nemeses「復讐の女神たち」シリーズが非常によい
0050吾輩は名無しである2016/05/04(水) 12:25:07.72
ベケットの続き待ってるで
ウルフ、ロレンスも楽しみにしてるで
0051吾輩は名無しである2016/05/04(水) 12:25:17.14
>>14 の続き
Samuel Beckett の "The Unnamable" は、まだ一度しか読んでいない。そのあとあちこちで
それについての感想文を書いたり、たくさんの文章を引用してそれについて細かくコメントしては
来たが、通読したのはまだ一度だけだ。やはり 100 回くらいは通読しないとどんな作品でも
本当に味わい尽くすことなんてできないと痛感する。高校生のときには、日本語で書かれた
3冊の本をそれぞれ100回ずつくらい読んだ。命を削りながら読んだ。何度も何度も何度も
何度も書写しながら読んだ。暗記してしまいそうなくらいに読んだ。しまいには、その作品の
文体そっくりな日本語しか書けなくなった時期が10年くらい続いたくらいだった。

それはともかく、Samuel Beckett のこの小説についての僕の理解もまだ生半可だけど、
ともかく気に入った箇所を引用しながら、だいたいの荒筋や僕なりの印象を書き連ねていく。

主人公には名前がなかったはずだ。人間だとは思うけど、もしかしたら人間でないかもしれない。
僕が思うには、この主人公は本当に生きているのかどうかもわからない。そもそも Samuel
Beckett の作品においては、登場人物が正気なのか狂気なのか、生きているのか死んでいるのか、
この世の人間か死後の世界の人間か、動物なのか人間なのか、そして登場人物たちが
本当に語っているのか黙っているのか、さっぱりわからないように描かれている。

この小説もそのように続く。主人公の語り口は矛盾だらけ。そしてその矛盾こそが人間存在や
人間の意識の本来の姿だと Beckett は言っているように僕には聞こえる。わかりやすくて
筋書きがはっきりして、起承転結がはっきりしていて論理的で、誰が何のために何をどうしている
かがよくわかる話よりも、僕にはこのようなわけのわからない世界の方がずっとリアルに見える。
0052吾輩は名無しである2016/05/04(水) 12:28:54.53
Beckettは>>1のような読み方が合う作家だ、とだけは言っておこう
いずれのロレンスやウルフは同じく楽しみに待っている
0053吾輩は名無しである2016/05/04(水) 12:33:24.76
>>50 さん、応援をありがとうございます。それから、他にも応援してくれたりコメントしてくれたり
したのに、僕がお礼を言い忘れたときもあるだろうけど、みなさんのコメントはすべて読んでおります。

>>51 の続き
というわけで、>>51 にて述べたようなことを綴っている Beckett のひとり言の文面を
ここに引用する。

I'll ask no more questions, there are no more questions, I know none
any more. It issues from me, it fills me, it clamours against my
walls, it is not mine, I can't stop it, I can't prevent it, from
tearing me, racking me, assailing me. It is not mine, I have none,
I have no voice and must speak, that is all I know, it's round that
I must revolve, of that I must speak, with this voice that is not
mine, but can only be mine, since there is no one but me, or if
there are others, to whom it might belong, they have never come near me.

   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.349
0054吾輩は名無しである2016/05/04(水) 13:16:24.98
>>52 さん、ありがとう。

>>53 の続き
「生まれてきたことが罪悪だ」というような意味の台詞を、あちこちで Beckett は言っている。
有名な "Waiting for Godot" でも、次のような会話がある。

VLADIMIR: ●Suppose we repented.●
ESTRAGON: Repented what?
VLADIMIR: Oh . . . (He reflects.) We wouldn't have to go into the details.
ESTRAGON: ●Our being born?●
(Vladimir breaks into a hearty laugh which he immediately stifles,
his hand pressed to his pubis, his face contorted.)
   http://samuel-beckett.net/Waiting_for_Godot_Part1.html

上記の会話が出てくるビデオ(3分58秒のところ)
   https://www.youtube.com/watch?v=Wifcyo64n-w&;t=3m58s

上記の会話では、Vladimir というノッポが「悔い改めようか?」と言う。Estragon が
すかさず「俺たちが生まれてきたことを悔い改めるのかい?」と言っている。
"Piece of Monologue" という戯曲においても、冒頭で "Birth of the death of him."
(生まれてきたことが、彼の命取りになった)などという少し謎めいた言葉で言っている。

"Piece of Monologue" の映画版のビデオ
   https://www.youtube.com/watch?v=kWS1LrxCROs

さらにこれに似たことはあちこちの作品の中で Beckett は言っているが、いま僕が
紹介している "The Unnamable" でも、次のように言っている。
0055吾輩は名無しである2016/05/04(水) 13:17:05.06
>>54 の続き
Yes, I have a pensum (注釈: a piece of work, a school task or lesson
to be prepared という意味) to discharge, before I can be free, free to
dribble, free to speak no more, listen no more, and I've forgotten
what it is. There at last is a fair picture of my situation. I was
given a pensum, at birth perhaps, ●as a punishment for having been born●
perhaps, or for no particular reason, because they dislike me, and
★I've forgotten what it is★.
   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.353

生れた瞬間にだと思うが、自分は任務を与えられたのだ。というのも自分は嫌われていた
からだろう。あるいは自分が生まれてきたことを咎められてこんな任務を背負わされたの
かもしれない。しかしその任務がどういうものだったか、忘れてしまった。というひとり言だ。

こういう文面を見ると、僕などは癒されるとでもいう感じになる。このような感覚を果たして
Beckett 自身が持っていたのかどうかはわからないが、いずれにしてもそういう感覚を
抱きながら生きている人もどこかにいるらしい。仮にそういう人がいなくても、ともかく
彼の作品の中にはそういう人物が出てくる。そのことに僕は癒されるのだ。癒されると
いう言い方がふさわしくなければ、孤独でなくなるとでも言おうか。

なんせこのような感覚を現実の世の中で誰かに一言でも打ち明けようものなら、血相を
変えて人は
僕を徹底的に打ちのめす。そのような体験を持った人、そういう感覚を持って生きている人、
そしてそのような思いを誰にも告白できないで生きている人は、実際には多いのかもしれない。
0056吾輩は名無しである2016/05/04(水) 13:17:48.93
>>55 の続き
現実生活の中では自分がひた隠しにしている思いを誰にも打ち明けることができない人でも、
文学の中ではごくまれに、自分と似た感覚を持った登場人物が現れる。その人物が
つぶやくほんの一言を読むために文学を読む人もいるかもしれない。僕は、そういう人の
ためにこのスレッドを作ったと言っても過言ではない。そしてそのような思いをしたことのない
人、文学など所詮は娯楽でしかないと思う人、大衆小説や娯楽小説と純文学(特に
Virginia Woolf や Samuel Beckett)とには本質的には違いなどないのだと
思っている人と、僕とのあいだには共通点などない。意識の表層面では会話が成立する
けど、そんなことは若い時にさんざんやってきて膨大な時間と労力を浪費してきた。
これからの残り少ない人生においては、そういう下らないことはなるべくやめておきたい。

一言で乱暴な言い方をすると、僕にとっての本当の文学は、絶望を直視する文学だ。
この世に存在することに違和感を禁じ得ない人の思いを赤裸々に綴るのが文学だ。
存在することの無意味さと虚偽性に真っ向から立ち向かう文学だ。ただ、そればかりを
追っかけていけるほど人間は強くない。僕も実に弱い。Beckett なんてものばかりを
読んでいると、すぐに疲れる。だから軽薄文学に逃げる。存在することに何の矛盾も
感じない人間との交流によって頭と心を休めようとする。そして同時に、永遠に
僕はこの本来の問題から逃れることはできないのだと痛感しつづけざるを得ない。
0057吾輩は名無しである2016/05/04(水) 13:28:11.22
>>54 についての訂正
  【  】の中が訂正後の部分

>>"Piece of Monologue" という戯曲においても、冒頭で "Birth 【was】 the death of him."
>>(生まれてきたことが、彼の命取りになった)などという少し謎めいた言葉で言っている。
0058吾輩は名無しである2016/05/04(水) 14:13:57.17
>>55 の続き
次のような文面もある。こんな文章は読むに堪えないと感じる人は多いだろう。しかし僕に
とっては、これほど正直な文章はない。

... not to mention ●the two cunts into the bargain, the one for ever
accursed that ejected me into this world● and the other,
infundibuliform (漏斗状のもの), in which, pumping my likes, I tried
to take my revenge.

上記の一節を正確に訳す自信はないが、だいたい次のような意味だと思う。なお、
cunt は最高級の汚い言葉なので日本語ではそこまで下品な言葉はない。「マンコ」では
まったく足りないような恐ろしい響きを持っているらしい。だから仕方なく「最高に汚らわしい
マンコ」としておく。

「おまけに例の二つの最高に汚らわしいマンコは言うまでもない。そのうち一方は、私を
この世の中に排出した例のおぞましいマンコで、二つ目は漏斗状のマンコで、
私は自分に似たものを放り込んでピストン運動することによって仕返ししてやった。」

これに似た台詞も Beckett はあちこちで言っているはずだが、一つだけ思い出すのは
次のものだ。

NAGG: Me pap!
HAMM: ●Accursed progenitor!● 
0059吾輩は名無しである2016/05/04(水) 14:14:20.75
>>58 の続き
上記は、父親である Nagg がゴミ箱から顔を出して「パン粥、ちょうだい」と言っているのに
対して、50歳くらいかと思われる Hamm が父親に対して「クソ親めが!」と言っている。
ここで parent とか father と言わないでわざと progenitor と言っているのは、
おそらく旧約聖書に出てくる最初の人類を意識して、人類の祖先とでもいうような意味で
progenitor と言っているのだろうと思う。(詳しくは知らない。それはともかく、この
"Endgame" に留まらず、Beckett はどの作品においても常に The Bible を強く意識
しているようだ。"Endgame" においては特に聖書を連想させる言葉が多い。そしてもちろん、
聖書やキリスト教を思いっきり揶揄するためでもあろう。さて、"Endgame" (勝負の終わり)
においては、次のような台詞もある。

HAMM: Scoundrel! ●Why did you engender me?●
NAGG: I didn't know.
HAMM: What? What didn't you know?
NAGG: That it'd be you.

Hamm という名前も旧約聖書を意識しているが、この Hamm という50歳くらいと思われる
男が父親の Nagg に対して「なんで俺を engender したんだ?」と言う。「なんで俺を
生み出したんだ?」ということだが、engender という言葉ももしかしたら聖書を意識している
のかもしれない。それについては、まだ僕にはわからない。そして父親はそれに対して、
「生まれてくるのがお前だとは知らなかったんじゃ」と言う。つまり、「お前のような奴が生まれてくる
とわかっていれば、この世に生み出すことはなかったよ」ということだ。
0060吾輩は名無しである2016/05/04(水) 14:43:29.20
>>59 で引用した台詞の出てくる場面は、

   https://www.youtube.com/watch?v=ok7Vc3jczNg

このビデオの 45 分目のところだ。"Waiting for Godot" は大衆受けするわかりやすい
芝居で、表面上は楽しい喜劇だけど背後に絶望を隠し持っているものだけど、"Endgame" も
それに劣らず楽しいことは楽しい。ひょっとしたら Beckett の本質を網羅的に表現しながらも
それなりに楽しい戯曲として、彼の最高傑作かもしれないなどとも思う。なお、上記のリンク先の
映画版が最高によくできているので、僕は他の役者による舞台を見る気がしない。

文学板の「サミュエル・ベケット」のスレでも紹介したが、僕は次のような戯曲も大いに
気に入っている。

(1) "Play" という戯曲。15分。メジャーな映画にもよく出てくる有名な Alan Rickman
も出演している。死後の世界とも思われる薄暗い世界に無数の壺が置いてあり、それぞれの
壺からは、死後の人間と思われる人物が首を出し、それぞれが前方だけを見て、他の
人とはまったく無交渉にひとり言を永遠に繰り返している。しかもまったく同じことを二度も
(おそらくは何度も何度も)繰り返して言い続けている。これこそが人間存在の本質だと
僕は感じている。15分という短い作品の中に、Beckett の本質が詰まっている。
   https://www.youtube.com/watch?v=s2QJ0FYE3pw

(2) "Not I" という戯曲。12分。真っ暗な舞台の真ん中で、一人の女性の口だけが
スポットライトを浴びている。観客には、それ以外には何も見えない。Billie Whitelaw
が演技した舞台では、この女優は目隠しされ、耳もふさがれ、両手両足、胴体も何もかも
板に縛り付けられ、何も見えず何も聞こえず、まったく身動きできない状態で15分間も
超高速でしゃべり続けた。実に見事な作品。これも Beckett の最高傑作だと思う。
(何もかも最高傑作だと言いたくなる。)
   https://www.youtube.com/watch?v=M4LDwfKxr-M
0061吾輩は名無しである2016/05/04(水) 15:07:03.50
>>60 の続き
上記のリンク先で、最初に3分ほど女優の Billie Whitelaw がこの舞台に至るまでの
原作者 Samuel Beckett から受けた監督指示の内容などを紹介し、そのあと13分の
舞台をビデオ収録したものが放映されている。いくつもの舞台のヴァージョンを見たが、
この女優のものが最高に好きだ。そもそも、Beckett が最も大事にした役者がこの
Billie Whitelaw であり、この人が演技した数々の Beckett 作品は、どれもこれも
実に素晴らしい。

(3) "Rockaby" featuring Billie Whitelaw、15分
これは少し退屈で、最初は3度くらい見てもわけがわからなかった。でも何度も見ている
うちに、やっと意味がわかってきた。いろいろと行動したり考えたり愛したり憎んだりして
バラエティに富んでいるかのごとく見える人生は、実は同じことを繰り返しているに
過ぎないのだという人間存在の本質を、この15分ほどの狂人(らしき人物)の生き様に
よって象徴した作品だと僕は思う。
   https://www.youtube.com/watch?v=66iZF6SnnDU

(4) "Footfalls", 20分くらい
これについても、最初はわけがわからず、退屈だった。それでも5回くらいは見て、やっと
意味がわかりかけてきた。気の狂った40歳くらいの引きこもりの未婚女性が、毎日毎日、
狭い部屋に閉じこもって、同じ場所を行ったり来たりして歩くだけで何十年も暮らしている
らしい。奥には80歳くらいの年老いた母親が寝たきりで暮らしているらしい。あるいはもしかしたら、
その母親は死んでいるのかもしれないが、引きこもりの女性はその母親の声が聞こえている
ような気がしている、(あるいは本当に会話しているのかもしれない。)

母親の姿は見えず、声だけなので、ますます非現実感が増している。さらには、舞台の
最後には引きこもりの女性がふうっと消えていく。実は母親だけでなく、引きこもりの
この女性も最初から存在していなかったのかもしれないと観客に思わせるような演出に
なっている。
0062吾輩は名無しである2016/05/04(水) 15:07:30.89
>>62 の続き
この舞台については、3種類くらいのヴァージョンを DVD や YouTube で見てきた。きちんと
理解するには、何種類も見た方がよいと思う。特にこの舞台は薄暗くて、画質の悪い
YouTube 上のビデオでは細部がよく見えず、きちんと理解できない場合があるから気を
つけないといけないのだ。

Billie Whitelaw もこれを演じたことがあった。YouTube 上で紹介されているビデオでの
彼女のインタビューによると、彼女はどうしても一度だけ演出家の Samuel Beckett に
質問しないではいられなかった。「この "Footfalls" というお芝居の主人公である女性は、
死んでいるんですか?死んでいるんですか?」Beckett は、ふだんはいっさい自分の作品に
ついてはコメントせず、答えはすべて作品の中に盛り込まれているから、作品がいったん
発表されたあとは著者である私としては何も言わない、と頑強に回答を拒んでいたが、
Billie Whitelaw の質問に対してだけは、次のように答えた。

"Well, let's say
she's not really there."(ええっと、主人公はそこにきちんと存在しているわけじゃない
とだけ言っておきましょうかね)ここで Beckett が言った "She's not really there."
という言葉(確かそういう言葉だったと思う。うろ覚えなのではっきりとはしない)は、
あえて上記のように訳してはおいたが、実に曖昧な言葉であり、「体だけはそこにいるけど、
心は別のところにある」というか、「本気で存在していない」というか「本気で生きていない」と
いうか「非現実感の中に生きている」というか、そんな感じの言葉だと思う。
0063吾輩は名無しである2016/05/04(水) 16:00:42.92
【Samuel Beckett の "How It Is" (Comment c'est, 事の次第)】

"Comment c'est" (How It Is) というこの小説は、英語版では 100 ページほどなのだが、
それの邦訳の新しいものが出るのだと「ベケット」のスレッドで紹介されていた。なんと 5,200 円も
する。おそらくフランス語からの邦訳だと思う。僕はフランス語原文は知らないけど、
ベケット自身によるこの小説の英訳版を読む限り、よくもこんなものを邦訳できるなあと
驚嘆する。文法を逸脱しており、大文字で書き始めることなく小文字だけだし、句読点も
いっさいない。どこからどこまでが一つの塊(つまりセンテンス)なのか、どこからどこまでが
パラグラフなのかなどがわからない。パラグラフらしきものに分かれてはいるが、その分け方は
意味の句切れに従っているわけではないそうだ。

ベケットによる英訳版がどのように書かれているのか、少しだけ紹介する。(ネット上で
探そうとしたが、どうしても見つからない。)

小説の冒頭  1 (つまり「第1章」という意味)
how it was I quote before Pim with Pim after Pim how it is three
parts I say it as I hear it

voice once without quaqua on all sides then in me when the panting
stops tell me again finish telling me invocation

past moments old dreams back again or fresh like those that pass or
things things always and memories I say them as I hear them murmur
them in the mud

in me that were without when the panting stops scraps of an ancient
voice in me not mine

   — "The Selected Works of Samuel Beckett," Volume II, Grove Press, p.411

次に、この小説の結末部分を紹介する。この結末部分のおよそ3ページ分くらいを見事に英語ネイティブの
役者が演技したものがある。このあとに YouTube 上にあるその video clip を見るためのリンク先を貼り付ける。
0064吾輩は名無しである2016/05/04(水) 16:01:08.75
>>63 からの続き
never crawled no in an amble no right leg right arm push pull ten
yards fifteen yards no never stirred no never made to suffer no never
suffered no answer NEVER SUFFERED no never abandoned no never was
abandoned no so that's life here no answer THAT'S MY LIFE HERE
screams good

alone in the mud yes the dark yes sure yes panting yes someone
hears me no no one hears me no murmuring sometimes yes when the
panting stops yes not at other times no in the mud yes to the mud
yes my voice yes mine yes not another's no mine alone yes sure yes
when the panting stops yes on and off yes a few words yes a few scraps
yes that no one hears no but less and less no answer LESS AND LESS yes

so things may change no answer end no answer I may choke no answer
sink no answer sully the mud no more no answer the dark no answer
trouble the peace no more no answer the silence no answer die no
answer DIE screams I MAY DIE screams I SHALL DIE screams good

good good end at last of part three and last that's how it was end
of quotation after Pim how it is

これでこの小説が終わるのだ。そしてこれを見事に演じたビデオは、次のリンク先にある。
実は英語が難しすぎて僕にはあまり聴き取れないのだが、特にビデオの最後の方は
見事で、意味が理解できなくても本能的に感じ取ることができる。

   https://www.youtube.com/watch?v=W4B_25sPhdk
0065吾輩は名無しである2016/05/04(水) 16:15:13.91
うーんこのスレ最高
多分>>1が延々とチラ裏を語り続けるだけだろうけど面白ければそれでいい
0066吾輩は名無しである2016/05/04(水) 19:31:23.21
9か月まえに YouTube 上にアップロードされたばかりの貴重なビデオを、たったいま見終わった。

Arts Documentary: BSkyB Samuel Beckett "Not I"
   https://www.youtube.com/watch?v=Llyhy1g3TVI

43分間にわたるビデオ。2013年にテレビで放映されたドキュメンタリーで、Samuel Beckett
の "Pas moi" ("Not I"、私じゃない) の舞台(およそ10分くらいのもの)を若く美しく
才能あふれるアイルランド人の女優が練習し始め、舞台の始まる直前の準備を経て、
最後に本番に臨むまでの模様を詳しく追っかけたドキュメンタリーだ。番組の最後の
10分ほどは、この舞台の本番をすべて収録してくれている。見事だ。

途中で、この女優がどのような心構えで舞台に臨み、どのような困難があり、この脚本に
ついてどう思っているかを紹介している。さらには、Samuel Beckett の伝記の決定版で
ある "Dammed to Fame: The Life of Samuel Beckett" の著者である James
Knowlson が何度も出てきて Beckett やこの脚本について詳しく語ってくれている。

僕がもっと英語ができれば、この程度のドキュメンタリーの内容を正確に伝えることが
できるだろうが、今の僕の能力では、これから何度もこれを見たあとでないとダメだ。
いずれ気が向いたときでしかも気力のあるときに、できればこのドキュメンタリーの全編を
聴き取って書き取って紹介したいところだ。著作権の関係もあるだろうが、こんなにいい
番組はぜひともその内容をできるだけたくさんの人に知ってもらいたいと思っている。

著作権の切れた作品ならどんどん引用したりもできようが、Beckett の場合はまだまだ
著作権が切れていないので、せっかくの素晴らしい作品について細かく語りにくい。
実に残念だ。
0067吾輩は名無しである2016/05/04(水) 19:48:55.68
>>60 で紹介した
  https://www.youtube.com/watch?v=M4LDwfKxr-M
この "Not I" ("Pas moi") の舞台での女優である Billie Whitelaw (1932-2014)
は、1年6か月ほど前に亡くなったばかりだ。昔の写真を見ると、実に美しい。Samuel Beckett
に気に入られて、一緒に25年ものあいだ仕事をしたそうだ。Beckett についての本を読んでいると、
彼女の話がしょっちゅう出てくるし、彼女が舞台で Beckett の芝居を演じている場面を
撮影した拡大写真がたくさん紹介されている。

若い時には実に美しかったが、そのあと40歳以降には少し枯れて、その分だけ精神性が
深まり、Beckett にふさわしい深くて重厚な女優として活躍したようだ。Beckett や
Billie Whitelaw の姿をじかに見て彼らの話をじかに聞きたかったと思うが、この二人が
活躍していたころは、僕はまだ何も知らなかったし、英語もろくにわからなかった。
0068吾輩は名無しである2016/05/04(水) 19:57:19.61
>>67 の "Not I" ("Pas moi", 私じゃない) の英語版の脚本の全文をネット上で見るには、
  
  http://www.vahidnab.com/notI.htm

ここをクリックすれば見られる。ただしサイトのレイアウトや色合いのせいで、少し文字が
読みにくい。詳しくは見ていないので、果たしてタイプミスのない正確なテキストなのかどうか、
僕は知らない。著作権が切れていない作品でも、ときどきこのようにネット上で読める場合もある。
0070吾輩は名無しである2016/05/04(水) 22:06:05.88
>>68 で見た "Not I" (Pas moi) についての日本語の論文がネット上で読める。

サミュエル・ベケット「わたしじゃない」 独白のダイナミズム 大野 麻奈子
   https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2549/1/kenkyunenpo_47_145_160.pdf

2年くらい前に一度だけ走り読みしたときは、あまりよくわからなかった。そもそもベケットの
作品そのものがまだよくはわかっていなかったからだ。いままた3回くらいこの "Not I" の
芝居を YouTube 上で見て、英語版の脚本を再読し、さらに上記の論文を読みなおしてみたら、
以前よりは深く理解できたような気がする。この論文で引用されているフランス語版の
台詞の数々や、この戯曲とダンテの「神曲」やキリスト教との関連については、特に勉強になった。

"Not I" (Pas moi) の戯曲は、3年ほど前に初めて出会った時からずっと好きだったが、
昨日あたりからまたもや何度も見直したり読み直したり考え直したりして、ますます
これが好きになった。好きではあるけど感覚的にしか脚本が理解できなかったというか、
単に感じていたに過ぎなかったのに、今日これを再読すると、今度はかなり文章そのものが
以前よりも深く理解できるようになっているからびっくりした。やはりどんな作品でも、
一時期にいくら根を詰めても深く理解できるようになるとは限らず、むしろ何年か時間を置いた
あとに再読したり舞台版を見直して考え直すと、驚くほど理解が深まることもあるのだと
再確認した。
0071吾輩は名無しである2016/05/04(水) 23:54:37.14
>>70
ダンテの地獄篇第32歌
«se dimandi fama, ch'io metta il nome tuo tra l'altre note».
お前が名声を望むならば、私はお前の名前を私の記録に加えてやろう

«Perche tu mi dischiomi, né ti diro ch'io sia, ne mosterrolti se mille fiate in sul capo mi tomi».
たとえおまえが髪を抜こうが、仮に俺の頭(cupo)を千回(mille fiate)小突こうが
俺が誰か言わぬものは言わぬ。(diro: to say chio: I )正体は明かさぬ。(mosterrolti :show you)

ところがダンテが怒って喋らないボッカの髪の毛を引っこ抜いていると
quando un altro gridò: «Che hai tu, Bocca?
ところが別の声が叫ぶ。「どうしたというのだボッカよ?」
qual diavol ti tocca?».「いったいどんな悪魔がいじめるのだ?」
こうして裏切り者ボッカは逆に俺の名前を不滅にしないでくれ、といったにもかかわらず、そばにいる裏切り者に正体を暴露される。
その代償として叫んだ男の素性を暴露する。
0072吾輩は名無しである2016/05/05(木) 06:48:50.38
>>71
おお、Dante の "Divina Commedia" (The Divine Comedy) の原文と邦訳を引用して
くれるとは、ありがたい。邦訳のついでに、英訳もつけてみたらイタリア語の意味がもっと
よくわかるかもしれないと期待して、英訳を引用してみる。

(1) «se dimandi fama, ch'io metta il nome tuo tra l'altre note».
   英訳: ("I am alive, and can be precious to you) if you want fame,"
   (was my reply,) "for I can set your name among my other notes."

(2) «Perche tu mi dischiomi, né ti diro ch'io sia,
ne mosterrolti se mille fiate in sul capo mi tomi».
   英訳: Though you should strip me bald,
   I shall not tell you who I am or show it,
   not if you pound my head a thousand times."

(3) quando un altro gridò: «Che hai tu, Bocca?
   英訳: when someone else cried out: "What is it, Bocca?

(4) qual diavol ti tocca?».
   英訳: What devil's at you?"

   — Dante Alighieri "The Divine Comedy," Canto XXXII,
    translated by Allen Mandelbaum, Everyman's Library
0073吾輩は名無しである2016/05/05(木) 13:41:05.29
>>58
infundibuliform (漏斗状のもの), in which, pumping my likes, I tried
to take my revenge.
このinfundibuliformはあえて卵管漏斗と訳して欲しいな。卵管漏斗. infundibulum of oviduct
こういう耳慣れない言葉を使うところには意図がある。あえて、漏斗状の(マンコ)よりも卵管を強調する意味は生殖の意味を強く刻印しているように思うのです。
復讐として「自分に似たもの」(=my likes、精子)を卵管にぶち込む、というような文章と思いました。
もちろん「自分の好きなもの」(=ペニス)をぶち込むというあなたの訳を読んでの感想ですが♪
0074吾輩は名無しである2016/05/05(木) 14:36:33.07
>>73
「漏斗状〜」については、あなたの言う通りだろうと思います。ただし、my likes を
僕は「自分の好きなもの」などとは訳していませんよ。そんな意味になるはずがないでしょう?
0075吾輩は名無しである2016/05/05(木) 14:45:13.27
>>73
ここで原文を再び引用します。
>>... not to mention ●the two cunts into the bargain, the one for ever
accursed that ejected me into this world● and the other,
infundibuliform (漏斗状のもの), in which, pumping my likes, I tried
to take my revenge.

=======================

考え直してみると、やはり infundibuliform は、ここでは形容詞のようにしか見えない
のですがね。もしも「漏斗状卵管」というような名詞だとすると、
   the other, an infundibuliform, ...
というふうに an がつくのではないでしょうかね。別にここで英語について細々したことを
議論するのも変かもしれませんが。さらに、他の人の解釈にケチをつけるつもりはありませんが。

the other はあくまで the other cunt であり、それを説明するために infundibuliform
という形容詞をつけているのではないでしょうか?もしも同格としての言葉を the other,
のあとにつけるとしたら、やはり an infundibuliform というふうに名詞に an という
不定冠詞を付けないといけなくなると思います。
0076吾輩は名無しである2016/05/05(木) 15:04:58.04
なんか、新しいね。
0077吾輩は名無しである2016/05/05(木) 15:50:52.01
>>58 で引用した英文は Beckett による「英訳」であって、原文はフランス語であった。
この小説はパラグラフがないに等しいので、なかなか該当箇所をフランス語原文で探すのは
大変だったが、今やっと見つけた。

Mais le bouquet, ça a été cette histoire de Mahood où je suis
représenté comme saisi par le fait d'être débarrassé à si bon compte
d'un tas de consanguins, sans parler des deux cons tout court, celui
maudit qui m'avait lâché dans le siècle et l'autre, infundibuliforme,
où j'avais essayé de me venger, en me perpétuant.

   — Samuel Beckett << L'Innommable >>, Les Editions de minuit, p.59

英語版の該当部分も、再びここに引用しておく。

But the bouquet was this story of Mahood's in which I appear as upset
at having been delivered so economically of a pack of blood relations,
not to mention the two cunts into the bargain, the one for ever
accursed that ejected me into this world and the other,
infundibuliform, in which, pumping my likes, I tried to take my revenge.

   — Samuel Beckett "The Unnamable," Everyman's Library p.368
0078吾輩は名無しである2016/05/05(木) 15:54:33.11
>>77
Beckett が "L'Innommable" を最初にフランス語で書き、そのあと英訳として
"The Unnamable" を書いたという解説文。

"The Unnamable", novel by Samuel Beckett, published in French as
"L’Innommable" in 1953 and then translated by the author into English.

   — Encyclopaedia Britannica online
0079吾輩は名無しである2016/05/06(金) 19:37:46.49
>>66 にて紹介した 2013年の "Not I" の舞台についてのドキュメンタリーは、あれから
何度も繰り返して聴いている。ただし歩きながらなので、あまり意識を集中させて聴いている
わけではない。ただ幸いなことに、このドキュメンタリーは聴き取りやすい。それは登場する
人たちがわかりやすい英語でしゃべっているからなのか、あるいは僕がこの話題について
かなり詳しくなってきたからなのかはわからない。

上記の YouTube 上のビデオの最後の10分ほどはこの Lisa Dwan という若く美しい
女優による "Not I" の舞台の本番をビデオに収録したものだ。これからも何度も見たり
聞いたりしていきたい。今のところ、ネット上を探してもこの舞台の DVD 版は販売されて
いない。Beckett 原作の戯曲の舞台版の数々のヴァージョンを DVD で収録したものが
あれば、残らず買っていきたい。とはいえ、それはすごく数が少ない。

上記の2013年版の舞台を果敢に演じた Lisa Dwan が書いた The Guardian 上の
記事が、下記のリンク先に掲載されている。詳しいことは、気力があればあとで紹介する。

http://www.theguardian.com/culture/2013/may/08/beckett-not-i-lisa-dwan
0080吾輩は名無しである2016/05/06(金) 19:49:39.14
Beckett ファンならみんな知っているだろうが、"Beckett on Film" という DVD 4枚の
セットが販売されている。すべて輸入盤で、送料込みで 13,000円くらいかかるようだ。
これには、Beckett 原作の脚本19本に基づく芝居の映画版が収録されている。19本とは
いえ、ものすごく短いものもあるので、全部合わせてもさほど長くはない。

僕はこれを半年ほど前に手に入れた。ただしこれは、わざわざ金を出して買わなくても、
そのほとんどは YouTube 上で無料で見ることができる。僕が金を出して買ったのは、
有料の DVD の方が画質がよいだろうと思ったし、おそらく有料の DVD にしか収録されて
おらずに YouTube 上では見られないものもあろうと思ったからだ。ただし、画質については
DVD 上の画質も大したことはないので、おそらく YouTube 上のものとほぼ同じであるらしい。
ただし、金を出したかいもあって、YouTube 上では見られないものも DVD には収録されて
いる。大切にして、何度も見ていくつもり。

"The Selected Works of Samuel Beckett" というベケット選集の Volume III には、
僕が数えた限りでは32本の脚本が収録されている。これらの脚本の舞台やラジオでの
上演をたくさん視聴していきたいものだが、残念ながら、世の中で実にたくさん上演されてきた
もののうちごく一部しか DVD や YouTube 上で視聴することができない。お金を払うから
もっとたくさんのものを DVD として販売してもらいたいものだ。
0081吾輩は名無しである2016/05/06(金) 20:28:19.15
Samuel Beckett を研究しようと思ったら、英文科ではなく仏文科へ行かないといけないそうだ。
確かに Beckett はフランス語で最初に書いてそのあとに自ら英訳したものがたくさんある。
ところが、最初に英文で書き、そのあとにフランス語訳したものもけっこうある。

戯曲32本のうち、まずは英語で書いたもの
(1) All That Fall (1956, a play for radio), 原文で 32 pages くらい
(2) Embers (1957, a piece for radio), 原文で 16 pages くらい
(3) Krapp's Last Tape (1958), 原文で 20 pages くらい
(4) The Old Tune (1960), ただしこれは、別の作家による作品を Beckett が英語で翻案したもの
(5) Happy Days (1960), 原文で 36 pages くらい
(6) Words and Music (1961, a piece for radio), 原文で 18 pages くらい
(7) Play (1962-63), 14 pages くらい
(8) Film (1963, screenplay), Buster Keaton が主演、10 pages くらい
(9) Come and Go (1965), 4 pages くらい
(10) Eh Joe (1965), 10 pages くらい
(11) Breath, 1 分くらいの無言の舞台(映画)
(12) Not I (1972), 9 pages くらい
(13) That Time (1974-75), 8 pages くらい
(14) Footfalls (1975), 6 pages くらい, Billie Whitelaw 向けに書かれた脚本
(15) Ghost Trio (1975), a play for television, 8 pages くらい
(16) ... but the clouds ... (1976), a play for television, 5 pages くらい
(17) A Piece of Monologue (1977-79), 6 pages くらい
(18) Rockaby (1980), Billie Whitelaw 向け, 10 pages くらい
(19) Ohio Impromptu (1981), 4 pages
(20) Quad (1981), 4 pages くらい
(21) Nacht und Träume (1982), 2 pages くらい
0082吾輩は名無しである2016/05/06(金) 20:28:53.81
>>81 の続き
戯曲の長さを無視して、戯曲の本数だけを単純に見てみると、フランス語で最初に書かれた
ものが11本に対して、英語のものは21本だから、戯曲に関しては英語が主流と言ってもいい。
ただし、最も有名で大衆受けしていると思われる Waiting for Godot (En attendant
Godot) や Endgame (Fin de partie) などがもともとフランス語で書かれたため、
やはり戯曲においてもフランス語が主流であるかのごとく思われてしまっても無理はない。
なお、小説や短編や評論については、まだよくは知らない。
0083吾輩は名無しである2016/05/06(金) 20:36:11.77
>>81-82 にて、Beckett がそれぞれの戯曲をまずはフランス語で書いて、そのあとに
【自ら】英訳したのか、あるいはまずは英語で書いたあとに【自ら】フランス語訳したのか
を見ていったけど、どちらが先でもいいじゃないかと僕は思っている。もちろん翻訳を別の
人が行った場合には、どっちが原文なのかが大きな問題になる。ところが Beckett の
場合はほぼ bilingual で、自分が書いた作品のほとんどを自ら英訳あるいはフランス語訳
している。

僕が知る限りでは、他の人に翻訳させたのは1本の小説か何かだけであり、
他の人に翻訳してもらったときも Beckett は細かくその翻訳文を吟味し、納得のいくような
翻訳でなかったら決して承諾しなかったそうだ。さらには、やはりいかに優秀な翻訳者が
訳したものでさえ最終的には満足できないことがわかり、そのあとはすべての作品を
自ら翻訳することにしたそうだ。だから Beckett の場合、実質的にフランス語版と
英語版とが ●両方とも原文● だと言ってもいいのではないだろうか?Beckett の専門家
たちがどう言っているかについてはまだ知らないけど、今のところはそう思っている。
0084吾輩は名無しである2016/05/06(金) 21:31:26.19
(この人凄い・・・)
0085吾輩は名無しである2016/05/06(金) 22:29:57.03
つまりフランス語は出来ないから英語も原文ってことにしたいのだ。
0088吾輩は名無しである2016/05/07(土) 07:01:32.91
>>24 にて、次のような舞台の映画版について触れた。

(3) Jean-Paul Sartre の "Huis Clos" の英語版 "No Exit"
   https://www.youtube.com/watch?v=mshvqdva0vY

Harold Pinter が主演するもので、僕はこれを2年くらい前に初めて YouTube 上で
見たのだが、今さっき再び見た。脚本を読んだことがなく、これを見ただけの知識しかないし、
英語力の不足のため全部は理解できていないので、肝心なところが理解できていないの
が実に残念だが、この映画も大事に見ていきたい。脚本もいずれ読みたい。

この映画の 1h19m05s のところ、つまり結末から5分前くらいのところで、例の有名な台詞が
出てくる。Hell is other people. というもので、フランス語原文では確か
L'Enfer, c'est l'autre. というものだった。「地獄は他人だ」というふうに訳されたりも
するが、わかりやすく言いなおせば「地獄とは他人のことだ」とか「地獄とは、他人の存在
そのものだ」と言ってもよかろう。この台詞の直前に、Garcin という男が、地獄というものは
体を傷つけるいろんな怖い凶器が出てくる場所のことだという昔話をしていて、実はそんな
ものは下らない話であって、実は地獄とは他人の存在そのものなんだと言っているのだ。
0089吾輩は名無しである2016/05/07(土) 12:23:35.97
>>88 で挙げた YouTube 上の映画とまったく英語訳の台詞が一致しているのかどうかは
知らないけど、ともかく Jean-Paul Sartre のこの有名な脚本の英語版が下記のリンク先に
ある。そこから、例の "Hell is other people."という台詞の部分を引用する。

GARCIN:
So this is hell. I'd never have believed it. You remember all we were
told about the torture-chambers, the fire and brimstone, the "burning
marl." Old wives' tales! There's no need for red-hot pokers.
★HELL IS — OTHER PEOPLE!★
   https://archive.org/stream/NoExit/NoExit_djvu.txt

上記の英訳に該当するフランス語原文をここにコピーペーストしようとしても、うまくいかない。
そのサイトではコピーができないようになっている。

http://www.franceinfo.us/03_books/books/Sartre/Sartre_huisclos.pdf

このリンク先に行き、l'enfer, というふうに l'enfer のあとにカンマをつけたフレーズを
検索すると該当箇所が出てくる。L'enfer, c'est l'autre. というのは僕の記憶違い
だった。正しくは L'enfer, c'est les autres. と書いてある。ところで、英語なら
タイプ慣れしているが、フランス語はほとんどタイプしたことがないので、たまにタイプすると
膨大な時間がかかってしまう。例のアクセント記号 (accent aigu, accent circonflexe
など) を打ち込んだ母音文字を打ち込むのが僕にとっては大変なのだ。
0090吾輩は名無しである2016/05/07(土) 12:31:44.73
>>89 で引用した英訳に該当するフランス語原文で、しかもコピーペーストできるテキストとしては、
次のものが見つかった。

Alors, c'est ça l'enfer. Je n'aurais jamais cru. . . Vous vous
rappelez: le soufre, le bûcher, le gril. . . Ah! quelle plaisanterie.
Pas besoin de gril: ★l'enfer, c'est les Autres.★

   https://www.google.com/search?tbm=bks&;q=%22l%27enfer+c%27est+les+autres%22#newwindow=1&tbm=bks&q=%22l%27enfer+c%27est+les+autres%22+%22huis+clos%22
0091吾輩は名無しである2016/05/07(土) 14:49:41.02
うんち
0092吾輩は名無しである2016/05/07(土) 15:22:08.04
いやお前フランス語わかんねえだろ無理すんな
0093吾輩は名無しである2016/05/07(土) 19:49:03.39
Harold Pinter が若い時から Samuel Beckett の作品を深く愛し、さらには Beckett
と親しく付き合いをしていたことについては、

   Harold Pinter on Samuel Beckett
     https://www.youtube.com/watch?v=-N99S8n2TiA

上記のビデオの最初の5分くらいで Pinter 自身が詳しく語っている。だから Harold Pinter
の作品はぜひ映画版だけでもたくさん見て、さらにはその脚本を読まねばならないといつも
思っていた。今日、やっと初めて彼の作品の映画版を YouTube 上で見た。

   The Collection, Harold Pinter, 1976, with Malcolm McDowell,
     Alan Bates, Helen Mirren, Laurence Olivier
      https://www.youtube.com/watch?v=1FYpsyPPz_c

上記のものだ。60分で終わる。一応、表面的にはこの作品は理解した。ただ、その奥の
意味合いについては、これから何度も見たり考えたりしないと僕にはわからないだろうと
覚悟している。簡単に言うと、一つの出来事について4人の登場人物が(芥川龍之介の
「羅生門」における3人と同じように)それぞれ少しずつ違った話をする。結局は、
何が真実なのか闇に葬られたままで幕が閉じる。(続く)
0094吾輩は名無しである2016/05/07(土) 19:52:09.53
>>93 からの続き
Harold Pinter についてはまだほとんど知らないが、YouTube 上の別のビデオに出ている
acting coach の話によると、Pinter の作品を理解するのは難しいそうだ。何を言っているのか
わかりにくいそうだ。Pinter 自身は、決して自分の作品の意味合いについては何も
語らず、「視聴者が感じたことがそのままその作品の意味合いなのだ」というようなことを
言うだけだそうだ。

僕にとって初めての Pinter の作品との出会いであるこの "The Collection" の
映画版を見た上での最初の浅い理解に基づく感想としては、次のようなことだ。つまり、
すべては闇に葬られている。人間はそれぞれ、自分にとって都合のよいように考えたり
感じたりしたがっていて、人間にとっての正邪善悪真偽というものは、自分にとって
都合よく作り上げた基準に基づく。そして死ぬまでそれぞれの人間は、本当のことを
知ることはない。さらには、真理というものは(そして善悪や正邪というものも)、
何の役にも立たないものなのだ。

Harold Pinter の "The Collection" などいくつかの脚本を納めた作品集の
英語版を数時間前に Book Depository というイギリスのオンライン書店に
注文した。3週間ほどで届くと思う。いずれ読むつもり。それは、下記のものだ。

   Harold Pinter Plays 2 : The Caretaker; Night School;
   The Dwarfs; The Collection; The Lover

この作品集は、4冊あるみたいだ。いずれすべて買って読むつもりだ。
0095吾輩は名無しである2016/05/08(日) 07:36:30.12
>>94 の "The Collection" に引き続き、同じく Harold Pinter 原作の戯曲である
"The Birthday Party" の映画版を YouTube 上で見た。

   Harold Pinter - The Birthday Party 1968
     https://www.youtube.com/watch?v=1gGKvFYfDaQ

予備知識がまるでないままに初めてこれを見たのだが、さっぱり意味がわからなかった。
しかし Samuel Beckett の戯曲の不可解さに慣れているので、さほど落胆はしていない。
何度も見ているうちに、何か感じることができるようになるかもしれない。Beckett の場合にも、
何度も見てから面白く感じることがあるからだ。

今のところ、もしかしたらこの "The Birthday Party" に出てくる Stanley というメガネの
男と Meg という中年女性が何らかの精神病にかかっていて、この家が療養所なのかも
しれないと思っている。二人の男が Stanley を別の場所に連れていこうとしている。
もともと反抗的だった Stanley は、今度は従順にこの二人に従っている。戯曲の最後には、
Stanley は口が利けなくなっているように見える。

さらに、Meg は夕べの5人だけの貧弱なパーティにいたどころか、その主役めいたものでも
あったが、そのパーティに出席したということだけは覚えていて、それが何十人も参加する
大きなパーティであり、そこで自分が the bell of the party だったのだと信じ込んで
いる。Meg は現実世界で起こったことを自分に都合よく曲げて理解したり記憶したりする
ことができるようだ。

Meg の相手をしている(Meg の夫であるかのように見える)白髪の男は、毎朝、近くの
浜辺に行って5つの浜辺用のチェアを設置することを日課にしているようだが、
その白髪の男は、ひょっとしたらこの家を療養所としており、Meg や Stanley などの
精神病患者の世話をしながら暮らしているのかもしれない。

今のところ僕には、以上のように感じられた。
0096吾輩は名無しである2016/05/08(日) 07:48:43.90
>>95
そうそう。忘れていた。戯曲の最後で Stanley を外に連れ出していた二人の男も、少しずつ
奇妙な性癖 (idiosyncrasies) を持っているように思われた。McCann という男の方は、
自分がさっき言ったことさえ覚えていないように思えた。(僕の聞き間違いかもしれないが、
そんなふうに感じた。)さらには、毎日、新聞をピリピリと破るという癖がある。何のために
そんなことをしているのか、相棒の Goldberg にもわからず、"Stop that. What is the
point of it? There's not a solitary point in it." というような意味のことを
彼は McCann に言っている。

Goldberg は Lulu という若い女性と抱き合っていた男だが、この男も少し変わっている。
口を大きく開け、"Blow into my mouth." と言う。McCann がその要請にしたがって
Goldberg の口の中に息を2度も吹きかけている。

ネット上の情報を拾い読みしてみると、この "The Birthday Party" は Harold Pinter
の戯曲の中でも、最も有名で最も頻繁に上演されるそうだ。この戯曲についての詳しい解説も
ネット上にはものすごくたくさんあるみたいだ。
0097吾輩は名無しである2016/05/08(日) 09:10:09.46
Correctionsの、果物ナイフを取り出す場面での言葉
James:I get a bit tired of words sometimes, dont you? Let's have a game. For fun.
Bill: What sort of game?
James: Let's have a mock duel.

ピンターに限られることではないかもしれませんが、言葉不足ではなく、過剰によってコミュニケーション不全に陥り、言葉のやり取りに疲れ果てる傾向を持つように思います。
インプットされる情報に耐えかねて、アウトプットができない、みたいな
Harry役のローレンス・オリヴィエの意味深な演技はいいですね。
Billからpaperを取り上げるシーン、自分が読みたいわけでもないのに取り上げてぐしゃぐしゃにする場面も、
>毎日、新聞をピリピリと破るという癖
に共通していると思います。もう少しテキスト読んでから書き込みます。
0098吾輩は名無しである2016/05/08(日) 09:23:00.32
>>97
その台詞は、Harold Pinter の "The Collection" の脚本のうち、次の場面で
出てくるものですね。

The Collection, Harold Pinter, 1976, with Malcolm McDowell,
Alan Bates, Helen Mirren,Laurence Olivier
   https://www.youtube.com/watch?v=1FYpsyPPz_c

上記のビデオの 51m40s のところ。
0099吾輩は名無しである2016/05/08(日) 09:31:28.38
>>97
>>言葉不足ではなく、過剰によってコミュニケーション不全に陥り、言葉のやり取りに
>>疲れ果てる傾向を持つように思います。 インプットされる情報に耐えかねて、アウトプット
>>ができない、

さすがですね。そのコメントを読んで納得しました。そういえば、夕べから今朝にかけて
見た "The Birthday Party" の映画版でも、ひどい近視の Stanley が二人の男
(Goldberg と McCann) から矢継ぎ早に数えきれないほどの(100項目くらいかと思われる
ほどの)詰問を投げつけられ、ついには絶叫してしまいますね。Stanley はここでやはり、
インプットが多すぎてアウトプットができない状態に陥って絶叫していると考えられますね。
0100吾輩は名無しである2016/05/08(日) 09:58:34.09
Samuel Beckett の初期の長編(中編)小説である "Murphy" は、まだほとんど読んではいない。
ただ、冒頭の1行が Samuel Beckett のドキュメンタリーで紹介されたとき、笑ってしまった。

   The sun shone, having no alternative, on the nothing new.
     (The Selected Works of Samuel Beckett, Grove Press, Volume 1, p.3)

邦訳ではどのように訳されているんだろうか?著者のユーモアをきちんと伝えながら
簡潔に訳すなんて不可能だろう。かといって、どこが面白いかを解説すると、長ったらしくなって、
結局は笑えなくなるんじゃないだろうか?翻訳においては、哀しみや苦悩や論理的な内容は
一応は伝えられるが、笑いだけは伝えられないのだと聞いている。

僕が理解する限りでは、上記の一文は、旧約聖書の The Ecclesiastes にある次のような
言葉をパロディ化したものだ。

   (1) ... there is no new thing under the sun.
       (Ecclesiastes 1:9, King James Version)
   (2) ... there is nothing new under the sun.
       (ibid., New International Version)

The sun shone, having no alternative, on the nothing new.
この Beckett の言葉を、聖書をよくは知らない人にもわかるように少しだけ解説を
加えながらも、なおかつできるだけ簡潔に訳そうとしたら、次のようにでもなるだろうか?

   旧約聖書の「伝道の書」に「日のもとに新しきものなし」と書いてあるとはいえ、
   だからといって太陽はいまさら他のことをすることもできず、仕方なく
   代わり映えのしない下界に対して光を注ぎ込んだ。

上記のように訳すと、これはもう「翻訳」ではなく「翻案」に近くなろうが、仕方がない。
こんなにまで長く書いてしまうと、せっかくの Beckett の諦念に満ちた、それでいて
パンチのあるユーモアが殺されてしまうだろう。なるべく邦訳は読まず、できれば
原文を読んだ方がいいという根拠は、まさにここにある。
0101吾輩は名無しである2016/05/08(日) 12:08:35.39
Harold Pinter (1930-2008) は、ユダヤ人だということを今さっき知った。それを意識した
からこそなのかどうか、僕がさっき見た "The Birthday Party" の登場人物2人、つまり
近視の Stanley Webber と謎の連行人2人のうちの一人である Goldberg は、ユダヤ人
っぽい名前なんだそうだ。基本的にドイツ語っぽい名前はユダヤ系である場合が多いが、
ドイツ語っぽい名前であっても単にドイツ出身だというだけのことであって、ユダヤ人だとは
限らないのだが、ドイツ語っぽい名前を見ただけではドイツ語圏から来たユダヤ人なのか
単にドイツ語圏から来ただけであってユダヤ人ではないのかが、僕にはまだわからない。
それはともかく、Harold Pinter はユダヤ系の人であり、幼少時代に anti-Semitic
な態度に触れてかなり苦労し、その体験が彼の作品に表れているそうだ。

Harold Pinter was born on October 10, 1930, in Hackney, East London
to father Jack Pinter and Frances Moskowitz. ●In his early life before
World War II, he experienced many instances of anti-Semitism in
London, which had a deep impact on his writing and his theatrical
works.● When the war began, he was evacuated from London for three
years, and upon his return a few years later he was accepted at the
Royal Academy of Dramatic Art.
   https://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/biography/pinter.html
0102吾輩は名無しである2016/05/08(日) 12:33:01.96
Harold Pinter の "The Birthday Party" という芝居にて、近視の Stanley が
二人の男に連れ去られようとしているときに家主の Petey が "Stan, don't let them
tell you what to do." と言っているのが印象的だったが、それについて作者の Pinter
自身が次のように語っていたそうだ。

"The character of the old man, Petey, says one of the most important
lines I've ever written. As Stanley is taken away, Petey says,
'●Stan, don't let them tell you what to do.●' I've lived that line
all my damn life. Never more than now."
   https://en.wikipedia.org/wiki/The_Birthday_Party_(play)#Goldberg_and_McCann

なぜこのような言葉が Pinter にとってそんなにまで重要だったのか、僕にはよくわからない。
anti-Semitic な周囲からの態度だけでなくいろいろとうるさい指図ばかりしてくるので、
生涯にわたってそれに抵抗し続けないといけなかった自らの人生を語っているのだろうか?

二人の男から追及されて大人しくなってしまう Stanley について、Pinter 自身は
さらに、ここで個人がつぶされていく様子を描いたのだと語っているそうだ。アメリカが
Nicaragua に対して行っていることはまさにそういうことだ、とも言っているとのことだ。

"It's the destruction of an individual, the independent voice of an
individual. I believe that is precisely what the United States is
doing to Nicaragua. It's a horrifying act. If you see child abuse,
you recognize it and you're horrified. If you do it yourself, you
apparently don't know what you're doing."
   https://en.wikipedia.org/wiki/The_Birthday_Party_(play)#Goldberg_and_McCann

以上、2つの記事を引用したが、これは Wikipedia からのものだ。Wikipedia の記事を
すべて信用してはいけないのだろうけど、今のところはまだ Harold Pinter について
詳しく知らないので、この情報を暫定的に頭の隅に置いておこうと思う。
0103吾輩は名無しである2016/05/08(日) 13:43:54.83
Harold Pinter "The Dumb Waiter" (47 分)
   https://www.youtube.com/watch?v=nLwC5RonO_w

上記の芝居を見た。またもや、ほとんど何もわからなかった。英語そのものは、標準の
イギリス英語から発音が少しだけ離れていてわかりにくかったが、その代わりに英語字幕が
ついているので助かった。字幕さえ見ていれば筋だけは追えるのだが、それでも芝居の
意味そのものがわからない。

舞台の場所は、どうやら喫茶店か軽食レストランか何かの一階にあるきわめて狭い部屋。
そこに20歳くらいの従業員らしき青年が二人いる。先輩の方はベッドに寝転がって、後輩に
対して親分風を吹かしている。紅茶も切れているようで、マッチが2階から送られてはくるが
紅茶を作ることができない。食べ物も切れてしまって、二人とも空腹だ。かなり前に
2階のオーナーが変わったらしいのだが、詳しい事情が二人にもよくわかっていないらしい。

1階にあった食材が尽きてしまっているため、2階から送ってこられるオーダーに対応して
食品や飲み物を作ることができない。2階との意思疎通は、すべて食品運搬用の小さな
リフト(人間は入れないが食品だけを運ぶためのリフト)と、1階と2階とを結ぶチューブを
通して、糸電話を使うときのようにして行っている。

舞台の最後で、後輩が1階の奥で何か用足しをしていたはずなのだが、どういうわけか
外に出てしまったらしく、そのあと外の路上からドアを通して、どうやら外から無理やりに
1階のいつもの部屋に投げ込まれてきたらしく、後輩が戻ってきて、それで幕が下りる。
もしかしたら、後輩は1階の奥にある小さな出口を通して脱出を図ったように僕には思える。
しかし外にいた警備員か何かにつかまり、またいつもの狭い物置のような厨房に引き戻されて
しまったということらしい。
0104吾輩は名無しである2016/05/08(日) 13:48:34.37
>>103 にてリンク先を示した芝居の映画版においては、(大事なことを言い忘れていたが)
二人が演技するのを観客3人ほどが前景の方から舞台に向けて顔を向けて芝居を見ている
様子が、そのシルエットによって、映画を見ている僕らが理解できるようになっている。
これは「劇中劇」というものなんだろう。途中で何度も観客が笑うときがある。どんなに主役2人
が困っていようと、しょせんはこれは芝居に過ぎないのだということを、芝居の映画版を見ている
僕ら観客は最初から最後までずっと意識させられているのだ。
0106吾輩は名無しである2016/05/08(日) 19:06:33.15
>>102
本棚からHarold Pinter Complete Worksの1巻を引っ張り出してきた。
1954-1960年の作品で、「The Birthday Party」はその最初に、(つまり全作品で最初に)おかれている。

これから再読しようと思うけれど、うらやましいほどテキストや戯曲に耽溺している人を前に、他人の読解に基づいた意見を提示するのは心が引けるのだけれど、Pinterがインタビューで語ったPETEYの台詞の一解釈を書いてみる。
Pinrterが自分の作品の中で最も好きな箇所をあげろ、と言われて同じ作品の、まさに質問を畳み掛ける場面を上げている。
そこには、「846は可能か、必然か?」というくだりがある。

GOLDBERG. Is the number 846 possible or necessary?
STANLEY. Neither.
GOLDBERG. Wrong. Is the number 846 possible or necessary?
STANLEY. Both.
GOLDBERG. Wrong. It’s necessary but not possible.
STANLEY. Both.
GOLDBERG. Wrong. Why do you think the number 846 is necessarily possible?
STANLEY. Must be.
GOLDBERG. Wrong. It’s only necessarily necessary! We admit possibility only after we grant
necessity…Right? Of course right! We’re right and you’re wrong. Webber, all along the line.
0107吾輩は名無しである2016/05/08(日) 19:10:58.62
この文章は、なぜチキンは道を渡ったのか?という詰問でも繰り返されるように、なんと答えても否定される。
内容はナンセンスに見えて、異様にシリアスな何かを示している。
「俺たちが、正しく、お前が間違っているのだ」
この1958年に初演された作品を書いた頃のPinterは、「危機の喜劇」と呼ばれた。
実際に何が起こっているかではなく、「部屋」という閉ざされた空間に「侵入者」が入り込む。
どのような意味で「侵入者」なのか、Pinterは決してはっきりと説明しないけれど、「何か」が平安の中に進入してきて脅かす、そのこと自体の恐怖を書いているとする。
また、言葉の二重構造(内的言語と外的言語)がこの時期の特徴とされ、表面上はまったくつながっていないにもかかわらず、しぐさや「心の中で言えないこと」はつながっており、不条理に見えて観客は不思議と断絶を感じない。
「The Correction」で夫が知りたかったことは「不倫がなされたか」「何が起こったか」ではなく、「なぜ妻はうそをついたのか」「なぜ夫は妻の過去を穿り返すのか」であり、
「同居する友人が女性と不倫した(ソファに寝たかベッドに寝たか)」ではなく、「なぜ楽しいから」とうそをでっち上げたのか。
言葉を重ねても、「妻との和解」「妻の真意」という彼が欲しい真実にはたどり着かない。
(HarryのBillへの視線が同性愛的なのか、権力支配欲なのか、ではなく、「反抗している」ことそれ自体を内的言語では示す)

同じように、「誕生日パーティ」ではこの質問自体には意味がなく、「返答を許さない」質問を投げかけ続けること自体に意味がある。
Stanleyは何をしたのか、Pinterはまったく説明せず、ただ浴びせかけられる「どう答えることも許さない」尋問に失語症に陥るさまを見せ付ける。

このInterrogationの前に、連れて行かれるときに「善意の」主人は「自分の言葉を相手に言質を与えるな」と言っている、ようにも見える。
これは、アウシュビッツで行われた「屈従」に注目した読解で、借り物の読解なのだけれど、もし参考になれば。
ちょっと読み直してまた書き込みするかもしれません。
この時期のPinterの三つ目の特徴「権力による支配」や1960年頃にロンドンにネオナチがあふれていた、ということへの彼のインタビューなどについても。
0109吾輩は名無しである2016/05/08(日) 21:59:31.14
>>106-107
おお、面白い見解ですね。ありがたい。こんなにまで本気で文学を読んでいる先達たちが
たくさんいてくれるのは、喜ばしいことです。

たった今、僕にとって三本目の Pinter の芝居を見ました。

   The Caretaker (1963) pt. 1/8
     https://www.youtube.com/watch?v=fvAmVXLDI_g

これもまた、他の2本と同じくわけがわからないけど、他の2本にはついつい退屈を感じる
こともよくあったけど、"The Caretaker" だけは、わけがわからないなりにも退屈する
ことはなかった。三人の人物の奇妙さが面白かった。やはり僕は、健常者が健全な恋愛・
結婚・育児・仕事・政治活動などにいそしむ文学にはあまり興味がないみたいで、
こういう異常な人たちが出てくると同類に出会った感じがしてホッとする。

Harold Pinter Complete Works というシリーズの本があるということを忘れていた。
Pinter の脚本を集めた本を検索すると "Harold Pinter: Plays" の4冊シリーズ
(faber and faber が出版したもの)が出てきたので、それを4冊とも注文してしまった。
そのうち一冊である 2 冊目だけは、今日さっそく届いた。The Caretaker, The Dwarfs,
The Collection, The Lover, Night School さらには断片的な戯曲が合計で
ほんの数ページだけ収められている。

なんせ Harold Pinter の戯曲を見るのも読むのもまったくの初心者どころか、
2日ほど前に始めたばかりなので何もわからないけど、ともかくゆっくりと味わって
いこうと思います。
0110吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:11:55.88
うんちぶり
0111吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:12:06.23
>>110
すげえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0112吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:12:21.09
>>110
はえ〜
なるほどなあ
0113吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:12:28.02
>>110
天才かな
0114吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:12:48.44
>>110
ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0115吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:13:14.10
>>110
こういうやつに上司になってもらいたい
0116吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:13:28.23
>>110
絶対こいつ高学歴だろ
0117吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:13:36.70
>>110
モテそう
0118吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:14:07.83
>>110
クソワロタ
0119吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:14:16.67
>>110
0120吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:14:28.89
>>110
マジでビビったわ
0121吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:14:47.80
>>110
草生える
0122吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:15:13.49
>>110
ノーベル賞わんちゃん
0123吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:15:52.23
>>110
このスレに来てよかったと初めて思った
0124吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:16:00.33
>>110
記念パピコ
0125吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:16:08.87
>>110
友達多そう
0126吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:16:23.25
>>110
将来歴史に名を残しそう
0127吾輩は名無しである2016/05/09(月) 06:16:55.15
>>110
サンガツ
0128吾輩は名無しである2016/05/09(月) 07:37:12.42
Celebration 2007 (1-4)
   https://www.youtube.com/watch?v=Lk3i1WTaNEM&;list=PLDCC49A421B55ED4B

僕にとっての Harold Pinter の作品4本目である上記の "Celebration" をYouTube
上で見た。40分。僕がよく知っている優れた役者が少なくとも2人、出演している。おそらくは
全員が才能豊かで有名な役者なのだろう。Harold Pinter の芝居を演じる役者は、
おそらくすべて有名なのだろう。この他に、Alan Bates, Lawrence Olivier, Helen
Mirren なども出演しているものを昨日あたりに見たことだし。

それはともかく、この Celebration という芝居は、今まで見た Pinter の作品の中で
最も楽しめたというか、わかりやすかった。40分間、退屈することがまったくなかった。
ロンドンで最高級のレストランで、大富豪らしき70歳くらいの男が自らの妻と兄(弟?)と、
さらには妻の妹(姉?)とを招待して、自らの誕生パーティを開いている。最高級のワインをも
振る舞う。銀行家らしい。今でも現役で、去年はさらにびっくりするほどの金を稼いだと
豪語している。夫婦もさほど仲がいいわけではないが、金や権力を維持するために
無理に一緒にいるらしい。妻にしても、常に最大の嫌味や侮辱を妹から受け続けている。

4人が交わす会話は、ひどく下品だ。誕生日を迎える大富豪の男などは、fuck という言葉を
40分のあいだにおそらく30回か40回くらいは連発している。他のメンバーも何度か口にして
いる。「くそったれ」とか「ちきしょう」とかいう意味で使うだけでなく、性行為を下品に表現する
動詞としても何度も使っている。

10メートルほど離れた別の席では、20代後半くらいの夫婦が食事をしている。男はもともと
詩人になりたかったが、父親からその才能を嫉妬されて無理やり銀行業務に就かされた
というようなことを言っている。美しき妻とはうまくいっていないらしい。政略結婚か何かで
結婚させられたのかもしれない。最高級のレストランで極上の食事をしながらも、嫌味ばかり
言いあっている。(続く)
0129吾輩は名無しである2016/05/09(月) 07:46:41.71
>>128 からの続き
誕生日を迎えた大富豪の男は、遠くの席にいたその若い夫婦のうちの若妻に手を振る。
若妻も朗らかに大富豪に対して手を振る。大富豪は、周りにいる身内に対して大声で
"I know her. I fucked her when she was eighteen." と言っている。さっそく
大富豪はその若い夫婦を自分たちの席に呼ぶ。そこで4人プラス2人で、合計6人の奇妙な
会話が始まる。

途中で、シェフや黒人女性従業員や、多くの有名人と知り合いだった祖父を持っていると
言っている男の従業員が、この6人と話を交わすところもある。

ともかく、ほとんど誰もまともな人がいない。最も奇妙なのは、若い夫婦のうちの若い夫の方であり、
(もともと詩人になりたかったが仕方なく実業界に入っただけでなく)日常生活においては
常に周囲の人を片っ端から殺したいと思ってしまうタイプだが、このレストランにいるときだけは
平静なのだなどと言っている。

舞台の最後では、たくさんの有名人と知り合いだったという祖父を持つ若い男の従業員
にスポットライトがあたって、2分ほどひとり言を言う。

結局は何がテーマなのかは今の僕にはわからないにせよ、ともかく面白かった。
0130吾輩は名無しである2016/05/09(月) 07:58:14.10
>>129 からの続き
下品な会話の一環として、次のようなことも言っていた。正確には覚えていないが、
"All mothers want to be fucked by their sons." というようなことを、大富豪
をはじめとしてその身内3人が大真面目に何度も繰り返して議論している。
0131吾輩は名無しである2016/05/09(月) 11:55:16.19
The Room
   https://www.youtube.com/watch?v=XfpPn2ayEgc&;index=2&list=PLK2-pmzHdQkV65APe0bSX6bo9nKBhjk3y

僕にとっての Harold Pinter の戯曲5本目のこの作品を、上記のリンク先にある映画版で
見た。48分。戯曲としては、彼の処女作。1957年に発表。ゆっくりとしゃべっているし発音も
はっきりしているが、何となく難しく感じられ、ついつい細部を聞きもらしてしまった。これもまた
何度も見直さないといけない。

今のところ僕が理解していることは、次の通り。舞台は、Hudd 夫妻の部屋。Mrs. Hudd が
一人でしゃべっている。Mr. Hudd は自分の趣味の工作に没頭していて、一言もしゃべらない。
まるで自閉症であるかのように見える。

家主の Mr. Kidd がやってきて、話をしていく。Mr. Hudd が出かけていく。そのあと
若い夫妻がやってきて、「部屋を探しているんです」と言う。その夫妻の話から判断すると、
Hudd 夫妻が住んでいるこの部屋が空き家になっているのだという話になってしまっているのだ。

若い夫妻が帰ったあと、Mr. Kidd がやってきたので、Mrs. Hudd は「なんでこの部屋が
空き家だなんていう話になっているんですか?」と詰め寄る。家主は「そんな変な話は、
していないですよ」と言う。

家主が帰ったあと、謎の盲目の黒人男が入ってくる。Mrs. Kidd は、最初は高圧的に
その黒人男を追い返そうとするが、黒人男が彼女に Sam(= Samantha? の略称か?)
と呼びかけると途端に脅えはじめ "Don't call me that." と言う。自分はあくまで
Rose であって Sam ではないのだと言い張る。Mrs. Kidd は、どうやら暗い過去を
隠しながら、このマンションでひっそりと暮らしているらしいのだと思わせる。
そしてこのときに初めて、実はこの Mrs. Hudd が盲目だったのだということが、
その仕草によって観客にわかる。

そうこうしているうち、Mr. Hudd が戻ってくる。今度は、さっきの自閉症めいた態度とは
一変して、饒舌となる。"I got back all right." という台詞だったと思うが、それを
2度も3度も言う。その話の腰を折って黒人男が話し始めると、Mr. Hudd は「嘘付け!」と
いうようなことを言いながら、ガラスのボトルを黒人男の頭にぶつけて殺す。それで幕が閉じる。
0132吾輩は名無しである2016/05/09(月) 11:59:55.33
>>131 の "The Room" においては、後の "The Birthday Party" とよく似た台詞が
よく出てくる。相手が言ってもいないことを「いや、君はそう言ったよ」と言い張る場面が
何度もある。さらには、今は別の名前(おそらくは偽名)を名乗っているという点。さらには、
両方の戯曲において、借りている部屋が舞台となっている点。暴力が出てくるという点。
そういう点がよく似ている。
0133吾輩は名無しである2016/05/09(月) 13:27:14.85
"The Lover" (1962) by Harold Pinter
   https://www.youtube.com/watch?v=bY1DfCOssMs

上記のリンク先で、この芝居を見た。あえて荒筋は言わない。言ってしまうと、初めてこの芝居を
見る人の面白みが激減するだろうからだ。筋書きは単純で、テーマも単純かもしれない。
少なくとも上記の舞台では単純な芝居として描いているんじゃないかという気がした。

演出家によっては深い意味合いを持たせたものとして仕上げることもあるのだろうが、
今回はこれを軽いコメディとして受け止めた。そのような見方をしても、十分に楽しめる。
sensual で sexy で、美男美女が登場して実に魅力的な芝居だ。ハリウッドでの
軽薄娯楽映画として発表したら、おそらくアメリカ人たちは大いに喜ぶだろう。
0134吾輩は名無しである2016/05/09(月) 18:07:00.45
"Victoria Station" by Harold Pinter
   (1) 映画版 https://www.youtube.com/watch?v=UWc3Hedh6IQ
   (2) 舞台版 https://www.youtube.com/watch?v=LGVq60_GsCY

15分くらいの短い戯曲。これを上記の二種類のヴァージョンで見た。二つを見ることによって、
一つだけではわかりにくかった部分が見えてきた。

タクシー会社の配車担当 (dispatcher) と一人の運転手とのあいだの無線での会話
だけで成り立つ戯曲だ。配車担当は大きな声でしゃべるが、運転手はぼそぼそと話し、
かろうじて聞こえてくるだけだ。配車担当は、「Victoria Station へ直行してくれ」と
指示を出す。客がそこで待っているのだ。ところが、なかなか運転手は動こうとしない。
なだめたりすかしたり、あるいはついには脅しをかけても、運転手は暖簾に腕押し。
諦めて別の運転手を呼ぼうとすると、その運転手は横から入ってきて、「俺をほっとかないで
くれ」と言う。「それならちゃんと俺の指示を聞けよ」と言うと、運転手は「実はちゃんと
お客を乗せてるんだ」と言う。"Then let me talk to him." と配車担当が
言うと "No, *she* is asleep." と言う。ここでやっと、そのお客が女性だとわかる。

そこで運転手は、"I've fallen in love with her — probably for the first
time in my life." と言う。I'd like to keep her. I think I'll marry her.
と言う。(僕は記憶に頼って書いているので、台詞は不正確かもしれない。)

配車担当はだんだん運転手に感情移入するようになったせいかどうかわからないが、
「Victoria Station にいる客のことなんか放っておいて、俺は今から配車連絡用の
事務所を閉めて、車に乗り込んでお前のところにいく。それでお前と握手したいんだ。
だからそこを動くんじゃないぞ」と言う。「ああ、わかった」と運転手が言って、幕が閉じる。(続く)
0135吾輩は名無しである2016/05/09(月) 18:07:20.36
>>134 の続き
"Victoria Station" という芝居についての Wikipedia の記事を書いている人は、

   ... the Controller may be prepared to "help" him (as he insists),
   but one may still wonder if he might actually retain some more
   menacing possibility.

というふうに書いており、配車担当がこれから運転手に直接に会って脅しをかける可能性も
否定できないというようなことを書いている。作家の Harold Pinter は確かに、わざと
どのようにでも想像できるような曖昧な結末で終わらせているのだろう。ただ、上記の
(2) の舞台版のビデオでは、配車担当者はかなり孤独感に打ちひしがれている様子なので、
配車担当者が本気で運転手と心を通じ合わせたいと感じている雰囲気を出すように、ここでは
役者は演じているのだろう。15分という短い芝居ではあるが、なかなか面白いとも言える。
0137吾輩は名無しである2016/05/09(月) 20:59:08.78
"Family Voices" (1980) by Harold Pinter
   https://www.youtube.com/watch?v=Kx9_0fu7wBg

上記のリンク先の15分のあたりから最後までの30分間ほどが、"Family Voices"
の芝居のために充てられている。役者はプロなのかアマチュアなのかは、僕にはわからない。
2回ほど続けて見たが、今回はあまりよくはわからなかった。だいたいの荒筋をつかむのが
やっとだ。理解するに当たっては、次のリンク先の記事を参考にした。

   "Family Voices" についての Wikipedia の英文記事
     https://en.wikipedia.org/wiki/Family_Voices

今のところ僕が理解していることを簡単に言うと、これはラジオ向けの芝居であり、
3人の声が交互に自分の言い分を語っている。家を離れて独り立ちした青年と、
その母親と、死んだ父親との3人の声だ。互いに意思疎通がうまくおらず、
崩壊家庭の様子が描かれているそうだが、そのあたりが今の僕には理解できて
いない。そのうち脚本が届くので、それをじっくり読み込んで理解を深めたい。
なお、芝居の最後の方で息子が、すでに死んでいるはずの父親を絞め殺して
いるように見える場面がある。
0138吾輩は名無しである2016/05/10(火) 02:30:54.37
Samuel BeckettからHarolf Pinterに話題が移ってしまったけれど、戯曲をガンガン読んでいく情熱はすばらしいね。
1964年に書かれた、「劇場のために書くということ」というPinterの短い文章がComplete Worksの1巻に入っている。

その文章はBeckettの「名づけえぬもの」の引用で終わっているのだけれど、ほかにも面白いことをいっている。

「もはや聞き飽きた、意地の悪いコミュニケーションの失敗という言葉。」
「バースデイ・パーティ」と「管理人」の違い。前者はdash−を用い、後者はdot,を用いた
「沈黙には二通りある。ひとつは言葉が話されないこと。もうひとつは言葉の奔流torrentが行われるところ、そこではエコーが鳴り響き続け、むしろ裸でいることを強いられる沈黙」

少し、ピンターの作風の時代的変遷についての図式的な説明を書こうか、読み直しての感想を書くか迷っている。
特に「セレブレーション」は2000年になって書かれた物で、明らかに異質な作り方がされている。ちょっと特殊な背景を持っていて、解釈おしつけになりやすいけれど解釈したくなる戯曲ではある。
0139吾輩は名無しである2016/05/10(火) 03:16:37.80
BeckettとPinterに共通するのはこの二番目の沈黙であって、彼らの作品に表れる沈黙には言葉の残響が響き、沈黙の対象は「傷つきやすい=vulnerable」な状態にあるといえるものが多いような気がする。
1970年ごろに書かれたジョージ・スタイナーのベケットの沈黙についての文章が大好きなのだが、そこにあるベケットの言葉の引用。

「そんなことはみんな言葉の死だ、そんなことはみんな言葉の過剰だ、人はそれしか言うことを知らないのだが、しかしもはやそれを言う事はあるまい。」
「わたしは、私自身の沈黙の声を聞こうとする。」
彼の書くものの句読点をなしているもろもろの沈黙は、その長短といい、その密度の濃淡といい、音楽における沈黙・休止と同じくらいに慎重に加減調整されているのであって、決して空っぽの沈黙ではない。
そこには語られざるもののこだまが、ほとんど聞き取れるかと思われる。
あるいは、別の言語で語られた言葉のこだま、と言ってもよい。(脱領域の知性のなかの「陰影と細心」、高橋康也訳)

ピンターとベケットに関する書物の中で、自分の尊敬する学者は「ベケットの戯曲はテキストを読むだけで圧倒されるほどに言葉への切り詰めた細心が見られる。一方でピンターの戯曲は見るものを圧倒させる」と書いている。
ピンターの戯曲を見たものは、「これは面白がっていいものか、後ろめたい気分にならざるを得ない」とし、ピンターを(一般の評価と違い)「ポストモダンの戯曲家ではない」とする。
ベケットのもっともポストモダンとされる部分ではなく、こういう沈黙や言葉の身体性や二重構造にこそベケットから継承したものがある、という。
ピンターがベケットから引き継いだベケットの一側面は、たぶん「言語と沈黙」「悲劇の死」の作者がベケットの特徴として切り取った一側面と強く共通するものがある、野田と思う。
0141吾輩は名無しである2016/05/10(火) 06:41:28.15
>>138-139
Beckett にも Harold Pinter にも、いやそれどころか実に広く戯曲や文学を読んでこられた
ようですね。おそらくあなたは、その分野の専門家なんでしょうね。

僕などは、文学とまるで関係のないサービス業の端っこで生きてきた人間で、"Celebration"
という Harold Pinter の戯曲に出てくる20代の若い夫のようにふだんは周囲の人を
片っ端から殺したくなるようなタイプの人間で、一人だけで文学や言語を追っかけているときに
だけ、かろうじて平穏な気分になれる人間です。

日本語も英語も(その他の外国語も)文学も何もかも、すべて独学に近いし、よほど学術的な
文章でない限りは、読んだり聞いたりするものはなるべく英語だけにしているので、実に
ゆっくりとしか知識を吸収することができません。基本的なことがまるでわかっておらず、
「身体性」(corporeality?)とか「テクスト云々」というような言葉の意味も。いまだに
知りません。

なお、哲学めいた文章としては、若い時に Jean-Paul Sartre の
"L'Etre et le neant" (存在と無, Being and Nothingness) を日本語で
読み通したことがあります。Albert Camus の "Le Mythe de Sisyphe" (シーシュポスの
神話、The Myth of Sisyphus) にも惚れ込みました。他の哲学書や哲学評論もいくらか
読んだけど、あまり馴染めず、Sartre のこの本だけが僕にとって何となく身近に感じられ
ました。Sartre や Camus を原文で読みたいと思って、そのあと6年くらいフランス語の
習得に夢中になったこともあります。
0142吾輩は名無しである2016/05/10(火) 08:00:40.60
>>141
専門家なんかではないくミーハーな読者に過ぎないです。ついつい使ってしまいますが、「身体性」とか「テキスト」なんて言葉を使う必要はないですね。
ベケットはほとんど「彼に影響を受けた作家たち」のネガ像(どう影響を受けて、どう「乗り越えた」か)として読んでいる始末ですし、>>1の姿勢には憧れます。
彼を文学・演劇における歴史的意義から解釈しようとする悪弊から逃げられない、程度の読者です。

自分は「誕生日パーティ」の感想を書く手前でとまってしまっております。気にせず、思う存分ベケットやピンターの感想を書き込んでくれるとうれしいです。
0143吾輩は名無しである2016/05/10(火) 09:15:35.19
>>142
はい、ありがとうございます。Harold Pinter については、まだほとんど読んだことはなく、
8本くらいの芝居を YouTube で(ろくに理解もできず、英語そのものもロクに聴き取れないまま)
聞き流しただけですし、Samuel Beckett については3年くらい前から読んだり見たり聞いたり
してきたとはいえ、まだろくに読み込めてないし、通読をした作品もごく一部です。なんせ
英語がろくに読めない癖に、頑固に英語でしか読まないと決めてるもんで、時間が膨大に
かかるし、それなりの理解をするには10回くらい時期を変えて読む必要があるのです。

とはいえ、Samuel Beckett には思い入れがあるというか、おそらく古今東西の作家や
思想家や著述家の中で最も正直に人生や人間や社会をありのままに表現した人だと
思っています。もう一人、正直な人としては Emil Cioran (エミール・シオラン) という
人を知っています。

Beckett についてはそういうわけで、ろくに理解ができていなくても
いいから、ともかくこれからもどんどん書き続けていきます。さらには、D.H. Lawrence,
Shakespeare, Virginia Woolf などについても書きたいので、忙しいです。
0144吾輩は名無しである2016/05/10(火) 13:40:58.53
>>103 にて紹介した映画版の "The Dumb Waiter" (by Harold Pinter) では、
役者がわざとイギリスのどこかの地域あるいは特定の階層に特有な方言でしゃべっていたので、
僕には聞き取りが難しすぎて、そこについていた字幕に頼っていた。ところが、

   The Dumb Waiter - Harold Pinter Part1
     https://www.youtube.com/watch?v=yYV0sbzEIJQ

上記のリンク先にある BBC による映画版では、1人がイギリスの標準的な発音でしゃべり、
もう一人がアメリカの標準的な発音でしゃべっているような気がしたので、わかりやすかった。
今回でこの芝居を見るのは2回目だし、かなり内容がわかってきた。

2階にいる人(または人たち)のことを、一階の物置めいた厨房にいる二人はまったく知らない。
姿を見たこともない。二階にいる人との意思疎通は、もっぱら食品運搬用のリフトで送られて
来る「紅茶とマカロニを送ってこい」などという客からの注文を書きとめた注文書と、
ホースのようなものでかすかに聞こえてくる二階からの声だけだ。

最近、二階にいるオーナーが変更したらしい。もちろん、そのオーナーたちの姿をも二人は
見たことがない。食べ物も尽きてしまい、ガスもない。それなのにマッチだけが上から送られて
来る。ガスも食品も残っていないということを知っているのに、なぜ二階のオーナーたちは
マッチや注文書を送ってきたりするのか?二人は不安になる。何のためにこんなところに
いるのか、わけがわからない。

それでも、二人のうちの先輩の方はいつもの通りの生活を続けようとして、新聞に書いてある
下らない記事のことを後輩に伝える。後輩は、もうすべてが嫌になったようで、ろくに相槌も
打たない。(続く)
0145吾輩は名無しである2016/05/10(火) 13:41:19.40
>>144 からの続き
後輩はトイレに行くふりをして、どうやら裏口からこっそりと脱出を図ろうとしたらしい。外界に
出たつもりが、実はその外界がそのまま時空間的にワープしたかのように、もともと二人が
いたむさくるしい一回の物置のような厨房に引き戻され、後輩は狐につままれたような、
絶望したような顔をして幕が閉じる。

二階にいるオーナーが最近になって交代したという話は、神が存在すると信じていた
数百年前から、神なき近代に移ったということを象徴しているとも解釈できると思う。
新しいオーナーが誰かはわからないというのも、現代の混沌とした思想なき、規範なき、
誰が誰を統率しているのかもわからないような状況を表していると言えると思う。

嫌になって脱出しようとしたら、そのまま元の狭っ苦しい物置に戻ってしまったというのも、
Jean-Paul Sartre の描いた "Huis clos" (No Exit) の世界にも似ている。
Sartre のその世界は死後の世界なので、脱出しようとして出口を開けても、そこから
本当の外の世界が開けているようにも思えないし、今度は密室内の邪魔者を殺そうとしても、
三人ともすでに死んでいるのだから改めて死ぬこともできない。だからこの三人は、永遠に
これからずっと、一瞬たりとも一人になることができずにこの出口なき地獄に押し込められた
ままなのだ。
0147吾輩は名無しである2016/05/10(火) 18:13:12.94
>>144 にて紹介した第2ヴァージョンの "The Dumb Waiter" に引き続き、第3ヴァージョンの
ものとして、次のものを見た。

   Basements (1987) [The Dumb Waiter]
     https://www.youtube.com/watch?v=sAz_lHlxIMo

これは Robert Altman が監督し John Travolta が先輩役を務めている。これは
すでに見た2つのヴァージョンとは少し内容を変えてある。僕が気づいただけでも、
最初の2分ほどと最後の2分ほどの場面が、以前の2つのヴァージョンとは違っている。
具体的にどのように変えてあるのかは、言わない方がいいかもしれないので、少なくとも
今は黙っておく。気になる人は、最初の2分と最後の2分だけを見れば、画面を見ているだけで
様子の違いがわかる。

Harold Pinter が書いた元々の脚本ではどのようになっていたのかはまだ知らないが、
演出の仕方がそれぞれ個性があるし、脚本も少し変わってくるのだな、と思って面白く思う。

なお、ささいなことかもしれないが、今回のこの映画版においては、後輩(口髭の人)が
個性ある発音をしているので、僕としては実に聴き取りにくかった。先輩(John Travolta)
はかなり標準的な発音でしゃべっていると思ったけど、よく聞いていると /ei/ を /ai/
と発音していてオーストラリアっぽい。John Travolta 自身はアメリカの New Jersey
出身なので、この発音はこの映画においてのみ採用しているらしい。
0148吾輩は名無しである2016/05/10(火) 18:30:28.58
>>147 の "The Dumb Waiter" は、二階にいるはずの「馬鹿なウェイター」のことだとばかり
思っていた。確かに表の意味はそういうふうに解釈できるが、同時にそれは The Dumbwaiter
というふうに one word で綴ることにより、貨物輸送用のリフトのことも意味するのだ
ということを、今になってやっと知った。

   Dumbwaiter についての Wikipedia 記事
     https://en.wikipedia.org/wiki/Dumbwaiter
0149吾輩は名無しである2016/05/10(火) 19:32:31.28
Harold Pinter は、労働者階級の出身だそうだ。

   He was born in the ●working-class● neighborhood of East London's
   Hackney (an ironic name for such an original writer) in 1930,
   the son of a Jewish tailor.
     http://www.sparknotes.com/drama/dumbwaiter/context.html

有名な役者でイギリスの労働者階級出身者としては Michael Caine がいるが、彼は
自分の出身階級を強く意識し、大人になってもずっと Cockney accent を捨てなかった。
そのことについては、下記のリンク先のインタビューにて、はっきりと述べている。

   TimesTalks: Michael Caine: An Accent That Broke Class Barriers
   | The New York Times
     https://www.youtube.com/watch?v=XBjp1oEZcwU

さらには、純文学者として有名な D.H. Lawrence も労働者階級出身だ。彼の父親は、
僕の記憶では10歳のときからずっと炭坑労働者だ。Lawrence 自身は虚弱なため、
炭坑町に飛び交う石炭の粉のせいで若い時から肺を悪くし、後になって一生懸命に
療養しても肺炎はぶり返し、結局は結核にまで進行して45歳の若さで死んだ。

階級社会のイギリスでは富裕階級の人たちが後に偉大な業績を上げることが多かった
ろうけど、同時に少数ながら労働者階級出身の人たちの活躍が目立つ。
0150吾輩は名無しである2016/05/10(火) 20:30:45.66
”The Dumb Waiter" (by Harold Pinter) に出てくる Gus (後輩の方) について、
次のような解説を見つけた。

   Many productions of The Dumb Waiter will give the actor playing
   ●Gus a Cockney accent● to emphasize his lower-class standing,
   but little else is known about his background.
     http://www.sparknotes.com/drama/dumbwaiter/canalysis.html

つまり Gus が下層階級の人間であることを示すために Cockney accent を役者に
しゃべらせている演出が多いということだ。僕が最初に見た >>103 の舞台では、
僕が思うには Ben と Gus の両人が Cockney accent をしゃべっていると思う。
ただ、まだ僕は Cockney accent の英語をきちんとは聴き取れる段階にはいないので、
この二人が本当にそのような accent でしゃべっているかどうか確信はできない。
0152吾輩は名無しである2016/05/11(水) 12:25:24.83
Harold Pinter による "The Dumb Waiter" についての解説が、
   http://www.sparknotes.com/drama/dumbwaiter/context.html
このページにて、ペーパーバックに換算すると20ページ分くらいはあろうかと思われる
ほどに詳しい解説が無料で読める。

この Sparknotes というサイトは、もともと紙で市販されて
いた文学作品の学習用の批評文の集まりで、おそらくはネイティブの中学生から大学院生あたり
までの学生を対象としているように思えるもので、とても丁寧だ。文学作品を解説したものと
いうと Cambridge Companion や Norton Critical Series など、いきなり難しい
議論ばかりが展開されるような、半ば専門的、あるいは本格的に専門的なものが多いけど、
この Sparknotes は初心者向きという感じで、僕なんかにとってはとてもよい。いろんな
作品について、僕はいつもこれを利用している。さらに Wikipedia の記事は誰が書いても
よいものなので少し眉唾ものかもしれないが、完璧な正確さなどを求めることなく参考程度に
流すつもりであれば、とても役立つ。

今回も、Wikipedia にある "The Dumb Waiter" の記事を読み、そのあと上記の
Sparknotes の記事(20ページ分くらいに相当する量のもの)をすべて読んだ。
まだこの作品の脚本そのものは手元に届いていないため、原作を書面では読んだことが
なく、YouTube 上で3種類の舞台版または映画版を見たに過ぎず、十分に聴き取れない
部分も多かったが、予想以上にこれは聴き取れておらず、理解があまりにも浅いことに
気づいた。Sparknotes やその他の学者たちの批評文を読むと、実に深いところまで
文学作品を読み込んでいることにいつも驚く。今回の作品についての解説者たちによる
分析などにもつくづく驚いた。
0153吾輩は名無しである2016/05/12(木) 13:21:38.97
Harold Pinter は、London borough の一つである Hackney で生まれ育った。そこは
労働者階級の住む地域だ。彼の戯曲の一つ "The Caretaker" の映画版が

   The Caretaker (Alan Bates 出演)
     https://www.youtube.com/watch?v=fvAmVXLDI_g

にて見られる。わけがわからないけど何となく面白くて3回ほど見たが、最後に出てくる
クレジットを見ているうちに気づいたことがある。この映画のロケーション地が、なんと
Harold Pinter の生まれ育った Hackney の町だったのだ。

Hackney について少し調べてみると、London 北部にある地域であり、しかもその
一界隈である Stamford Hill というところは、イスラエル・ニューヨークに次ぐ世界で三番目に
大きなユダヤ人居住区だそうだ。

   Stamford Hill in the north of the borough is claimed to have
   'the biggest Jewish community in Europe and the third largest
   in the world after Israel and New York'.
     (The London Encyclopedia, Third Edition, Macmillan)

ただし Hackney の他の地域の失業率などは、ロンドンでも最高だということだ。

   In other parts of the borough (= Hackney), however, deprivation
   and unemployment are among the highest in London.
     (ibid.)
0154吾輩は名無しである2016/05/12(木) 13:25:01.03
>>153 についての訂正(【  】の中を訂正した)
ただし Hackney の他の地域の【貧困度や失業率は、ロンドンでも最高またはそれに近い】ということだ。
0156吾輩は名無しである2016/05/13(金) 00:47:39.25
>134
"Victoria Station"、ゴドーっぽいなあと思ったら、Becketteから話が流れてきてたのね〜
0158吾輩は名無しである2016/05/13(金) 21:26:35.79
【Harold Pinter "The Caretaker" (1960 年初演)】

この作品を3回ほど YouTube で見たあと、Faber and Faber 社が出版した "Harold
Pinter: Plays (2)" という本にて脚本を通読した。最初は辞書を引きまくったが、
そのうちに同じ単語が何度も出てくるようになったので辞書を引かなくてもよくわかるように
なり、楽に最後まで読めた。最後の方では余裕が出てきて、少し笑うことができた。
登場人物は三人とも、実に奇妙な人間だ。

Aston は、弟が所有するマンションの一室を借りて住んでいるが、そこにはあちこちで
拾ってきたガラクタを文字通り山のように詰め込んでおり、足の踏み場もない。すべてが
文字通りのガラクタで、損傷を受けたものばかりだ。それをこつこつと手直ししながら
暮らしている。しかしその手直し作業のペースは亀のようで、ほとんど進展している
様子はない。マンションの裏庭は荒涼としているが、そこを彼はきれいに整理して、
shed を作り上げようとしている。ただしその作業は始まっておらず、材料の一部である
木材を少しばかり搬入してその裏庭に置いてあるに過ぎない。

Aston はもともと他人と仲良く交流していたのだが、未成年のときに hallucinations を
見たり聞いたりするようになり、他人が何か策略を講じていると思い込むようになり、
精神病院に無理やり入れられ、そこで医者から電気治療を受けそうになった。それに抵抗して
Aston はどうやら強く抵抗し、もしかしたら暴力を振るったのかもしれないが、ともかく
病院を脱走した。

そのあと母親と弟との計らいにより、今のマンションで無職のまま
ひっそりと(おそらく10年以上も)暮らしている。彼の唯一の生きる支えは、手作業だ。
ガラクタを少しずつ修理すること、それから裏庭で shed を作り上げるという夢を
抱くこと、それだけが彼の生きがいであるらしい。彼はほとんどしゃべらない。ぼそぼそと
ゆっくりとしかしゃべれない。そしてふだんは、ほとんど誰ともしゃべらない。
0159吾輩は名無しである2016/05/13(金) 21:44:42.77
>>158 の続き
その Aston という 30 代前半の男は、ある日、飲食店にてその従業員の老人 Davies が
騒ぎに巻き込まれて(あるいは自分から騒ぎを起こしたのかもしれないが)仕事をクビになって
追い出されているのを見て、彼を自分のマンションに連れてくる。Davies は住所不定であり、
最近までは偽名を名乗って生きていた。結婚もしていたことがあったが、自分の汚れた下着を
スープ調理用の鍋の中に入れてしまうような女だからすぐに離婚した、などと言っている。

Aston は Davies をマンションに招き、ベッドや寝具を貸し与え、次の仕事が見つかって
落ち着くまでのあいだ住まわせてやることになる。何かの拍子に Aston は Davies に
自らの過去(つまり精神病院でのいきさつ)を打ち明ける。

次に現れたのは Aston の弟である 20代後半の Mick だ。Mick は実は、ずっと
Aston と Davies との様子を隠れて伺っていたのだ。Mick は Davies に近づき、
いろいろと話をする。Mick は、自分が所有しているこのマンションビルの内装を
大々的に変えて、おしゃれな建物にして人に貸したいという夢を Davies に語る。
そして Davies こそ彼 Mick が探し求めてきた人材だと言い、ぜひこのマンションビルの
caretaker (管理人) になってくれと話す。

その一方、Davies の寝言があまりにもうるさいので Aston は寝られないで困っている。
ついでに、Davies があまりにも臭くて寝られないのだと Aston は密かに感じている。
(これはもしかしたら Aston の hallucination かもしれない。というのも、Mick は
Davies をまったく臭いとは感じていないからだ。)
0160吾輩は名無しである2016/05/13(金) 21:57:27.58
>>159 の続き
ある夜中、またもやうるさい寝言に起こされてしまった Aston は、Davies を起こす。
Davies は毎晩のようにこのように起こされてしまうので、頭に来て Davies に
食ってかかり、話の勢いで Aston が精神病院に入っていたことをさんざんからかって
しまう。「そもそも窓が開いたままだから雨や風が入ってきて、俺の頭にかかるから、そのせいで
寝言を言ってしまうんだ。それでお前が毎晩のように俺を叩き起こすから、寝不足で
疲れ切っていて、そのせいで俺は寝言を言ってしまうんだ。お前がそんなふうだから
精神病院に入れられたって無理ないぜ。俺はお前よりもマシな人間だ。俺は精神病に
なんかなったことはねえからな」とまで言ってしまう。

Aston はそれを聞いて静かに言う。"I think it's about time you found somewhere
else. I don't think we're hitting it off." それに対して Davies は
抵抗するが、Aston の決意は変わらない。騒ぎ立てながらも Davies は、冬の夜中の
道を一人で出て行き、路上で時を過ごす。

そんな Davies を Mick は見つけてまた話を始めるが、いろいろと話を続けていくうち、
Mick が Davies が有能な interior and exterior decorator だと思い込んで
しまっていて、それだからこそ caretaker として雇い入れることにしたのだということが
判明する。Davies は「そんなことを俺は言ったことねえぞ」といくら言っても Mick は
聞かない。「よくも嘘をついたな」と詰め寄る。そんな Mick に対して、「きっとあの
頭のおかしい Aston が君に変なことをしゃべったんだろうが」と言う。それに対して
Mick は、「よくも兄貴の悪口を言ったな。許せん」と言い、絶交を言い渡す。
0161吾輩は名無しである2016/05/13(金) 21:57:55.56
>>160 の続き
Mick はさらに、「もともと俺には、いろんな夢があり、いろんなことをやりたいんだ。こんな
マンションビル一つだけのためにこんなところに留まるのは嫌なんだ」と喚き、その勢いで
Aston が大事にしている瀬戸物で出来た仏像の置物を叩き割ってしまう。そこに
Aston が戻ってくる。叩き壊された仏像を見た Aston は、すべてを理解したように
見える。Mick はほとんど何も言わずに出て行く。

もしかしたら Mick は二度と兄の前には姿を現さないかもしれないし、あるいはどうしても
兄のことが放っておけずに静かに彼のことを見守り続けながらこの小さな町に留まり続ける
ことになるかもしれない。(いつものように、Harold Pinter の脚本はすべてを闇に葬って
いる。)残された Davies は、Aston に対して最後の哀願を始める。「俺のことを臭いだ
なんて言ったのは、嘘だろう?身分証明書とかいろんな大事な書類を持ってくるから、
これからもここに俺を置いてくれないか?」と言う。Davies にとっては、もはや Aston と
一緒に暮らすしか方法がないようだ。もうどこにも彼を雇い入れてくれるような場所はないので、
住まいも確保できないに違いない。そんなふうな様子で幕が閉じる。
0162吾輩は名無しである2016/05/14(土) 06:36:57.91
このスレは文学板なので英語の単語や表現については深くは追及しないが、このスレの
姉妹編である下記のスレにてそういう話題に触れていく。

   小説や映画に出てきた生の英語の単語や表現 [無断転載禁止]©2ch.net
     http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/english/1463104046/l50
0163吾輩は名無しである2016/05/14(土) 09:35:19.94
>>150
すばらしい。なぜオーストラリアアクセントがあるのかと思っていたのですが、コックニーだったのですね。
[ei]を[ai]と読むのはオーストラリアだけだと思っていました。
「誕生日パーティ」の夫婦も少し訛りがあるように思います。
0164吾輩は名無しである2016/05/14(土) 12:54:18.30
>>163
標準的なイギリスやアメリカの発音での /ei/ を /ai/ と言い換えるのは、オーストラリア
だけでなくイギリスの各地に流布しているようです。具体的にどことどこなのかについて
詳しくはまだ知りませんけど。

本格的な Cockney でしゃべられると一言も聴き取れない僕ですが、ほんの少しだけでも
わかるようになりたいと思って、ときどき勉強しています。YouTube 上でも Cockney と
いうキーワードを打ち込めば、たくさんの人が Cockney のしゃべり方を教えてくれています。
簡単でわかりやすいものとしては、次のものがあります。

   How To Do A Cockney Accent
     https://www.youtube.com/watch?v=LnjGNJ5JL8w

しゃべれるようになろうとは思いませんが、映画などを見てだいたいの意味がわかるように
なりたいと思っています。本格的なイギリス映画では、Cockney やスコットランドや
アイルランドやイングランド北方などの方言は、大雑把でいいから聴き取れるようにならないと、
その深い味わいは楽しめないと感じています。Harold Pinter については、Cockney
などの労働者階級の英語を読んだり聞いたりしてそれなりに理解できるようにならないと、
せっかくの彼の言いたいことの深みが理解できなくて困るのです。各地や階級間の
方言の格差を読み取り聴き取ることにも、原書で読んだり映画を英語で聴き取ることの
大きな意味があると思っています。
0165吾輩は名無しである2016/05/15(日) 15:34:05.50
【Harold Pinter: Plays (2), Faber and Faber】

上記の本を8割ほど読み進めた。今のところ、
  (1) The Caretaker
  (2) The Dwarfs
  (3) The Collection
  (4) The Lover
を読んだ。(2) の The Dwarfs 以外はすべて、YouTube 上で映画版または舞台版の
芝居を見たあとにこの脚本を読んだ。YouTube 上で見た芝居を文字でしっかりと確認する
ことができて有益だった。今のところは一度だけ、ろくに辞書も引かないで通読しただけなので
理解度は浅いが、何度も読み返したい。

特に "The Caretaker" には、不思議な魅力を感じている。なぜだろうか?別にプロットが
面白いわけではない。それどころか、プロットはむしろ退屈だ。それでは、この芝居の
テーマが面白いかというと、実は僕にはこの芝居のテーマがいまだによくはわかっていない。
それなのに、まるでスルメでも噛むときのように、何度も芝居を映画版で繰り返して見たり、
文字で追っかけたりするたびに、その面白さが感じられてくる。癒しの効果があるのかもしれない。

Aston という登場人物は、精神病院に入っていたことがあって、今は無職で、弟が所有する
マンションビルの中の一室を借り受けて、その中にガラクタを所狭しと押し込み、マンションビル
の裏庭をそのうちに片づけて小屋 (shed) を建てたいともくろみながらも、ほとんど作業が
進行している様子が見られないのだが、YouTube 上の映画に出てくるこの男の語り口や
表情に、何とも言えない癒し効果を感じる。大したことは言っていないのだが、不思議な
魅力を持っている。同時に、あとの二人もそれぞれ特異な個性を持っており、合計で三人が
奏でる不思議な不協和音は、奇妙な魔力を持っている。
0166吾輩は名無しである2016/05/15(日) 15:52:31.25
>>165 からの続き
この本に収録されている "The Dwarfs" も、たったいま読み終わった。ざあっと読み流した
だけだが、奇妙に面白かった。この脚本の舞台版や映画版については、YouTube 上では
学生らしき人たちの舞台しかないので、まだ見てはいない。素人が演じる芝居は、どうも
見る気が起こらないのだ。一流のプロが演じたものでさえ見るのが苦痛な時が多いくらいだから、
素人が演じたものは、たとえば1時間も2時間もの長きにわたっては、こういう難解な
不条理劇(あるいはそれに似たもの)には付き合いきれないと感じる。

The Dwarfs の脚本においては、三人の登場人物のうちの一人である Len が興味深い。
どうやらこの男は hallucinations にさいなまれているらしい。dwarfs たちが
あちこちでいろんなことをやっていて、自分 (Len) にいろいろと指図していると
思い込んでいる。さらには、何かが床に落ちたとき、あとの二人に対して Don't touch it!
と言う。Len は、自分だけがこういうものに手を触れても無事だが、他の人が触ると
変なことが起こると思い込んでいる。あとの二人は、そういう Len を見てあきれ返っている。

Len と Mark との Do you believe in God? という趣旨の問答で、興味深いものが
出てくる。神を疑ったりキリスト教を揶揄する文面は、現代の文学においてはいつもいつも
至る所に出てくるが、今回のこの問答は少し変わっているというか、パンチが利いている。(続く)
0167吾輩は名無しである2016/05/15(日) 15:52:56.45
>>166 からの続き
   LEN: Do you believe in God?
   MARK: What?
   LEN: Do you believe in God?
   MARK: Who?
   LEN: God.
   MARK: God?
   LEN: Do you believe in God?
   MARK: Do I believe in God?
   LEN: Yes.
   MARK: Would you say that again?
   (中略)
   LEN: The point is, who are you? Not why or how, not even
    what. I can see what, perhaps, clearly enough.
    But who are you? (中略)
    What you are, or appear to be to me, or appear to be to you,
    changes so quickly, so horrifyingly, (中略) But who you are
    I can't even begin to recognize, (中略) and how can I be certain
    of what I see? (中略) You're the sum of so many reflections.
    How many reflections? Whose reflections? Is that what you
    consist of? What scum does the tide leave? What happens to
    the scum? When does it happen? I've seen what happens.3

     — Harold Pinter: Plays (2), Faber and Faber, p.100
0168吾輩は名無しである2016/05/15(日) 20:58:27.86
【Harold Pinter's "Night School"】

いま読んでいる "Harold Pinter: Plays (2)" という本に収録されている "Night School"
という脚本を、たったいま読み終わった。原文では38ページほどの作品。"The Caretaker"
のちょうど半分くらいの長さだ。

ざあっと通読しただけなので浅い理解しかできていないが、今の感想は「なんだよ、これは?」
というあっけない作品だ。Harold Pinter の脚本は、どれもこれも英文が平易なような
気がするし、少なくとも表面上の意味を取るのはけっこう楽だ。"Celebration" などは、
文字で脚本を確認することもなく、いきなり YouTube 上にある映画版を一度見ただけなのだが、
それでも少なくとも表面上の意味はしっかり理解でき、少なくとも表面部分だけは
十分に楽しむことができた。それくらいに平易だったのだ。(ただし僕はイギリス英語には
あまり慣れていないので、"The Caretaker" を読んだとき、最初の20ページくらいは
かなり辞書を丹念に引いた。)

それはともかく、この "Night School" も、表面上は平易だ。ただ、何が言いたいのか
わからない。何がテーマなのか。何のためにこのような作品を作家は書いたのかがわからない。

"Night School" の舞台は、ある家庭だ。2人の女性がいるところに、9か月ぶりくらいで
Walter が戻ってくる。刑務所に服役していたのだ。彼は、armed robbery, forgery
などいろいろな犯罪で刑務所に出たり入ったりを繰り返してきた。久しぶりに我が家に戻った
彼は、自室に戻ってくつろごうと思ったら、この2人の女性が「あなたの部屋なら、別の人
に貸してある」と言う。教師である若い女性に貸してあるのだ。いつ Walter が戻ってくる
かわからないときに、お金が必要だったので貸してしまったのだという。
0169吾輩は名無しである2016/05/15(日) 21:05:01.18
>>168 の続き
ムッとしたが、ともかく自分の部屋を借りているその若い女性(Sally)と話をしてみて、
Walter は Sally のことが気に入ってしまったようだ。そこで(どこで手に入れたのか
については僕は忘れてしまったが)Sally が club の中にいるところを撮影した写真を
友人の Solto に見せて、「この女性に会ったことはないが、ぜひとも探し出して、
彼女と話をしてみてくれ」と依頼する。

顔の広い Solto は、お安い御用とばかりにさっそくうまく Sally が働いている club
で彼女が働いているところに客として入り込み、さっそく Sally を指名してテーブルに
来るように呼ぶ。実は、Sally は昼間は教師をやっているのだが、夜は night school
に通って2つの外国語を学んでおり、そのあとさらに club で働いているのだ。この club
というのが1960年前後のイギリスではどういうものだったのかは僕は知らない。

指名に応じて席にやってきた Sally と、Solto は話をする。「実は、あなたを探し出すよう
にある男性から頼まれたので、私はあなたを指名したのだ」と言って、いろいろと話をする。
そしてついには、「その男は実は Walter という奴で、いろいろとケチな犯罪を犯しては
刑務所に出入りを繰り返している下らない奴だ。そんな奴に、あなたのような可愛い女性を
引き合わせるなんてことはできない」と言ってしまう。

そのあと Sally は帰宅したが、深夜に帰宅した彼女とどうしても話をしたいと Walter は
懇願するが、Sally は応じないで自室に閉じこもったままである。Walter は諦めて
自室に戻って、朝が来る。なかなか階下に降りてこない Sally の部屋に入って行った
その家の女性の一人が、Sally の残していった手紙を持って戻ってくる。そこには、
次のようなことが書いてあった。
「急な用事が出来て、どうしても遠くに行かねばならなくなりました。長いあいだ帰ってこられない
と思いますので、荷物を持って出て行きます。いろいろとありがとうございました。」
0170吾輩は名無しである2016/05/15(日) 21:24:13.41
>>169 の続き
Sally に初めて出会った翌日、酒を酌み交わしながら Sally の部屋(そしてそれはもともと
Walter の部屋でもある)で Walter はしんみりと話をしたのだが、そのときに Walter は
何杯も Sally に酒を飲ませながら、かなり彼女のことが気に入ったという素振りを示す。
かなり思わせぶりなことも言う。

そういう伏線があった上で、さらに Walter の友人である Solto が Sally の働く
club の客としてやってきて、自分を指名し、さらには「Walter から頼まれてあなたを指名し
たのだが、あんな下らない奴はいない」というようなことを言ってきたわけだ。

Sally が急に失踪したのも、通常の若い未婚女性なら自然と取るような行動だろう。ただし、
Harold Pinter がたったのそれだけの薄っぺらいテーマのために一つの脚本を書いたり
するだろうか、と僕などは考え込んでしまうのだ。もしも通常の軽薄な娯楽作家なら、
もっと楽しいプロット、わくわくするプロットで作品を書くだろう。しかしこの作品は、そこまでは
楽しくない。

だから何か深い意味があるのだろうと思いたいが、果たしてどういう意味があるのか
僕には今のところわからない。同じようなことを、他の作品についても実は感じてきた。
僕に理解できないからと言って作品や作家を軽視するつもりなどまったくない。僕が
Harold Pinter の作品を読んだり見たりし始めたのは、もともと Samuel Beckett が
好きな僕は、Beckett を深く愛し、Beckett に強く影響された Harold Pinter を
ぜひとも理解したいからだ。ところが今のところ、(もちろん僕の勉強不足によるのだろうが)
Harold Pinter の作品がよくわからない。
0171吾輩は名無しである2016/05/15(日) 21:24:38.82
>>170 の続き
これなら「わけのわからない作家」と思われることの多い Samuel Beckett の方が、
まだ僕にとってはよくわかる。Beckett の "The Unnamable" (L'Innommable) という
小説なら僕にはよくわかる。さらに脚本32本のうち3分の2くらいはまだよくわからないし、
中にはさっぱりわからず退屈なだけのものも多いが、それでも "Not I" とか "Play"
とか "Waiting for Godot" とか "Endgame" については、最初に YouTube で
芝居を見たときに一目ぼれに近い状態になった。わけがわからないけど、ともかく
惚れ込んだのだ。

しかし残念ながら、Harold Pinter は、わけがわからない。
唯一の例外は、すでに言った通り "The Caretaker" であり、これはわけがわからない
ながらも、台詞を聞いたり読んだりしていると、何となく癒され、気分がいい。それから、
"Celebration" については、深い意味合いはわからないにせよ、大いに笑わせてくれる。
0172吾輩は名無しである2016/05/15(日) 21:39:14.68
今のところ僕が見たり読んだりしてきた Harold Pinter の作品は、次の通り。

(1) The Caretaker --- YouTube 上で映画版を3度ほど見て、脚本も1度だけ読んだ。
(2) The Dwarfs --- 脚本を1度だけ読んだ。舞台や映画を見たことはない。
(3) The Collection --- YouTube 上の(Lawrence Olivier 主演の)映画版を
  1度だけ見て、脚本も1度だけ読んだ。
(4) The Lover --- YouTube 上で舞台を1度だけ見て、脚本を1度だけ読んだ。
(5) Night School --- 脚本を1度だけ読んだ。
(6) Victoria Station --- YouTube 上で、映画版を1本、舞台版を1本だけ見た。
(7) The Birthday Party --- YouTube 上で、映画版を2本だけ見た。
(8) The Dumb Waiter --- YouTube 上で、映画版を2本だけ見た。
(9) The Homecoming --- YouTube 上で映画版の断片が見られるので、それを見た。
(10) The Room --- YouTube 上で映画版を1本だけ見た。
(11) No Man's Land --- YouTube 上で映画版の断片が見られるので、それを見た。

YouTube 上で英語で見られる映画版や舞台版で、しかもプロが演じたものはほとんど
見たことになる。脚本については、まだ手元に240ページほどの本が一冊しか届いていない
ので、それしか読んだことはない。(いずれあと3冊ほど届くので、読む予定だ。)さらには、
YouTube 上で見られる他の Harold Pinter の作品としては、イタリア語版などの
英語以外の言語で上演されているがあるが、それは僕にはわからないので見ていない。
さらに、大学生などの素人が演じているものは、今のところは一本も見たことがない。
大学生が演じているものは、YouTube 上にけっこうたくさんある。
0173吾輩は名無しである2016/05/15(日) 21:49:11.27
Harold Pinter の脚本をプロが演じているものを、有料で構わないから他にもたくさん
見ていきたいのだが、少なくとも DVD ではあまり手に入らない。(Blu-ray 版は最初から
ないように思える。)DVD 版で手に入る Harold Pinter の作品としてまだ僕が見たことが
ないものとしては、たったの一本だ。それは "The Homecoming" の映画版の DVD だ。
それについては、数日前にすでにイギリスのアマゾンで注文した。届いたらすぐに見るつもりだ。
他の作品も片っ端から見たいのに、残念ながら見ることができない。

こんなにまで世界的に名を轟かせている脚本家の作品なのだから、値段が高くてもいいから
DVD 版をたくさん出版してくれてもよさそうなものなのに、と思う。ただ、たとえば Ingmar
Bergman というスウェーデンの有名な映画監督の作品の DVD 版(あるいは Blu-ray 版)
にしてもあまり世に出回っていないようなので、仕方がないことなのかもしれない。

僕としては仕方がないから、DVD 版がさらに出回るまでの間は、大多数の作品は脚本を
読むことと、さらにはイギリスやアメリカの大学生たちが演じている舞台版を YouTube で
見ながら凌ぐことにする。
0174吾輩は名無しである2016/05/17(火) 07:56:28.81
>>128 にて Harold Pinter の "Celebration" の映画版を見たあと、今さっきその
脚本を読み終わった。まだ一度だけ流し読みしただけだが、その面白さを再確認することが
できた。最初はこの作品の醸し出す単なるコメディ的な部分しか見えなかったが、あれから
考え直してみて、実はこの作品は、コミュニケーションや信頼関係などの虚妄性や不毛性を
巧妙に描いた傑作かもしれないと思うようになった。

通常、コミュニケーションや信頼関係というものが虚妄であり不毛であることを表現しよう
とした場合、喧嘩・離婚・暴力・殺人などが付きまとうと思う。喧嘩や離婚などは、ここで
描かれている家族にも大いにあっただろう。しかしさすがに暴力や殺人はなかったろう。
そしてたいていの人はそこまでの段階に至ることなく、適度に笑い、適度に信頼し合っている
と自己暗示にかけ、他人にもそう思い込ませながら、適度に不信感をたぎらせながら
適度に幸せに、適度に惨めに生きているのだろう。

大多数の人間のそのような中途半端な生き様を、この芝居ではしっかりと描きたかったのでは
ないだろうか?大々的な暴力や殺人や凶悪犯罪にまでを描いてしまうと、今度はその暴力や
殺人のあとに、その被害者や遺族たちがいろいろと反省したりなぞして、残された者同士で
「真の人間関係」というものを築き上げたような気になり、自己満足するという姿が描かれ
やすい。Harold Pinter はここでは、そのような自己満足的な解決を与えることなく、
いや、そのような「解決」なぞ現実にはありえず、永遠にお互いの下らなさに耐え続けなければ
ならないという人間関係の本質を描きたかったのではないだろうか?

つまり、Jean-Paul Sartre の "Huis clos" (出口なし、No Exit)で描かれたような、
死後の世界における3人が(すでに死んでいるのだから)改めて死ぬこともできず、お互いに
激しく憎みあいながらも我慢してお互いの地獄性に耐え抜いて永遠に生き続けざるを得ない
状況とまったく同じような、現実のこの世における人間関係のこの不毛性と虚妄性を
描きたかったのではないか、と考えた。そのような状況を描き出すには、Pinter の
"Celebration" のような描き方がぴったりだったのだろうという気がした。
0175吾輩は名無しである2016/05/17(火) 08:08:46.42
>>174
蛇足になるかもしれないが、説明を続ける。Sartre の "Huis clos" において、もしも
男に恋する例の美人が、二人の仲を邪魔する憎むべき例の女を殺すことができたら、
それですべてが解決したかのような気になってしまう。登場人物たちも、見ている観客も
何かが解決したかのような錯覚に陥る。まるでそれによって、一つの悪が排除され、残った
二人の男女が結ばれ、あたかも真実の愛が実現したかのような気になってしまう。

ところが、仮にそのような殺人を犯したとして、仮に残った男女が愛し合ったとしても、
それは束の間であり、ほんの数か月、あるいは数年、あるいは数十年ほど経てば、
二人は自分たちの愛の虚妄性と不毛性に気づいてしまうときが来る。それに気づく
前にどちらかが死ねばむしろ幸せだ。残された者も、死んでいく者も、「私たちの
真実の愛がここで壊れていく」などと嘆くことにより、あたかも自分たちの愛が
真実であったかのように錯覚することができる。

Shakespeare における Romeo や Juliet についてもしかり。もしも二人とも生き延びて
いたら、あるいはもしも両家の親が二人の仲を承認していたらどうだろうか?二人は
数年、あるいは数十年は「真実の愛」を体現したかのように錯覚を楽しむことができようが、
そのあとはどうか?嫌でも愛の虚妄性と不毛性を悟る日が来る。

"Celebration" というこの Harold Pinter の作品では、Romeo と Juliet が
親たちから承認されて長年にわたって生き続けたあとや、Sartre における "Huis clos"
(出口なし)での登場人物たちが何らかの極端な解決策を講じたあとにはどうなるかを
描いているとも言えると思う。
0176吾輩は名無しである2016/05/19(木) 07:42:46.49
【ガスや電気が止まったら、1シリング硬貨を入れればガスや電気が再び戻ってくる】

世界中のあちこちでそういうシステムは採用されていた時期があったのだろうが、僕自身は
知らなかった。Harold Pinter の古い(1960年前後の)脚本2本を読んだりその映画版を
見たりしていて、初めて知った。まずは、これについてのネットでの情報から紹介する。

   **********************
Most UK houses nowadays are metered: you have an account with the gas
or electric company, they measure how much you use, then bill you,
then you pay them.

They're becoming much rarer, but some houses didn't have meters like
this, particularly for students' lodgings. Instead, they're an early
example of pay-as-you-go (now familiar with mobile phones). When you
wanted to use ★gas or electricity★, you would to have to ●physically put
a coin into the meter●, just like with a telephone box. Someone from
the company would later come and collect the coins.
   http://english.stackexchange.com/questions/67569/what-is-the-meaning-of-one-of-those-shilling-in-the-slot-affairs

つまり、イギリスの昔の家屋では、電話ボックスと同じように、ガスや電気に付いている
メーターにコインを入れるスロットがあって、一定量を消費した後は供給が止まってしまう。
再び1シリング硬貨などのコインを入れると、再び起動するというわけだ。

上記のようなことを僕はさっぱり知らなかったため、最初に Harold Pinter の
"The Dumb Waiter" の映画版を見たり、あるいはそのあとに脚本を読みなおしても、
やはりその部分の意味がきちんとは理解できなかった。それは次のような場面だ。
0177吾輩は名無しである2016/05/19(木) 07:52:39.62
>>176 の続き
GUS (後輩の方). The gas has gone out.
BEN (先輩の方. Well, what about it?
GUS. There's a meter.
BEN. I haven't got any money.
GUS. Nor have I.
BEN. You'll have to wait.
GUS. What for?
BEN. For Wilson.
GUS. He might not come. (中略)
GUS. I hope he's (= Wilson has) got a shilling, anyway, if he comes.
He's entitled to have. After all, it's his place, he could have seen
there was enough gas gas for a cup of tea.
   — "The Dumb Waiter"; "Harold Pinter: Plays (1)";
     Faber and Faber, pp.128-129

上記の脚本は1960年に初演された戯曲だが、この場面は、コインを入れればガスが戻ると
いうシステムに気づかなかったら、さっぱり意味がわからなくなる。僕自身は、ガス会社に
お金を直接に払いに行ったあとに初めてガスがつくのだろうと思っていた。だから、そのあとに
a shilling を Wilson が持っていればいいな、などという台詞があっても、まったく
その意味合いがわからなかった。次に挙げる場面は、このような背景がはっきりとわかる
ようになっている。

PETEY (宿泊所の主人). Came in (= I came in) the front door and all the
lights were out. Put (= I put) a shilling in the slot, came in here
and the party was over.
GOLDBERG (宿泊所の客). You put a shilling in the slot?
PETEY. Yes.
GOLDBERG. And the lights came on.
PETEY. Yes, then I came in here.
GOLDBERG. I could have sworn it was a fuse.
   — "The Birthday Party"; "Harold Pinter: Plays (1)"; Faber and Faber, p.66
0178吾輩は名無しである2016/05/19(木) 07:57:48.60
>>176-177 で紹介した脚本は、"The Dumb Waiter" は初演が1960年で、"The Birthday
Party" の方は初演が1958年だ。今から50年以上も前のイギリスでは、(一部の地域でなのか
どうかは知らないけど)このようなコイン式の電気やガスを使っていたということだ。
0179吾輩は名無しである2016/05/20(金) 13:40:52.55
別の掲示板での別のスレッドでのある人に対する返答の続きを、あえて場所を変えてここに書く。
***********************
僕なんかもひどい人間嫌いだけど、僕の場合は文学とか(それから哲学とか心理学を
ほんの少しだけ)読んだり考えたりすることによって、何としてでも落ち着こうとしている
のかもしれない。文学を初めとする人文科学の力を借りないと(あるいはそういう分野の
人たちの声を聞かないと)苦しくて生きていられないから、何とかぎりぎりでも生き延びる
ために(発狂しないために、人を殺そうという衝動を抑えるために)文学などを読んでいる
んだよね。

だから僕は、「文学は娯楽」だなんて感じたことはない。僕にとっては、
文学が娯楽であるはずがない。文学は苦しい。楽しいはずがない。しかし文学を
読まなかったらもっと苦しくて、発狂するだろう。ぎりぎり生き延びるために、血反吐を
吐くような思いで文学を読んできた。(とはいえ、ろくに読んではいないと笑われる。
それはその通りだ。僕の読んできた本の量は、あまりに少ない。)ただし、そのごくわずかな
量の文章を、僕は命を懸けて、命を削りながら読んできた。語学の勉強にも、そんな思いで
取り組んできた。
0180吾輩は名無しである2016/05/21(土) 07:51:26.32
不条理劇などという小難しいものばかりを読んだり聴いたりしていると疲れるので、
一休みしたくなる。次のものはまだ読んでもいないし聴いてもいないが、気分転換には
よいのではないかと思う。英語の勉強のためにも、そして世の中をうまくわたっていく
ためにも、楽しく明るい文学ばかりを追求できればいいだろうにとつくづく思う。

Truman Capote's "Breakfast at Tiffany's"

(1) ネット上のテキスト
   https://www.pf.jcu.cz/stru/katedry/aj/doc/sukdolova/Truman_Capote_-_Breakfast_At_Tiffanys.pdf

(2) YouTube 上の朗読(おそらく全文)
   https://www.youtube.com/watch?v=mkvrPWJeJik
0181吾輩は名無しである2016/05/21(土) 09:41:12.77
>>180
今は忙しいので、じっくりと読んだり聴いたりしている暇がないけど、歩きながら (2) の
YouTube 上の録音を少し聴いてみた。ボランティアではなくプロの役者が録音したのだ
ろうと思えるような見事な録音だ。情感が籠っているし、適度にゆっくりでわかりやすい。
YouTube 上には The Godfather の小説の録音もアップロードされているが、
これはかなり速くて、言葉を味わっていられない。(そう思うのは、僕の英語力が足りない
からに過ぎないかもしれないが、他のいろんな録音を聞いていても、やはりネイティブ用で
あっても、ゆっくりと録音したものはいくらでもある。)

この Breakfast at Tiffany's の録音では、語り手は程よい(きつ過ぎない)南部訛り
で語っており、それが心地よい。Holly Golightly 役の女性も、軽快に生きる主人公に
ぴったりの軽いしゃべり方で、これもまたよい。原文の書き方がわかりやすいせいか、
歩きながらぼんやりと聴いているだけでもある程度はわかる。僕はいろんな小説の録音を
聴いてきたが、これは特にわかりやすいような気がする。
0182吾輩は名無しである2016/05/21(土) 13:58:23.44
Truman Capote の Breakfast at Tiffany's のことを英語板にて何人かが話題に
していたのに触発され、少し書評を読んだりネット上にある etext を拾い読みしたりしていると、
今度こそ読んでみようという気になり、おととい Penguin Modern Classics というヴァージョン
で買い、今さっき届いた。1,209円。ネット上には無料で読める etext もあるし、Kindle 版
でもけっこう安いが、それでもぜひとも紙版がほしかった。

電子媒体では間違いがときどきあるのが気になるのだ。もちろん単に楽しむだけなら
その程度の読み取りエラーなどは気にならないだろうが、僕は本を英文で読むときには
細かいところまですべてを吸収して、それを仕事に直結させたいし、仮に最終的に
仕事に結びつかない分野のものであっても、やはり読書は僕にとって命だし、仕事よりも
むしろ大切なのだ。だから(電子媒体よりは間違いの少ない)紙版で、さらには
Penguin Books などの比較的信頼性の高いヴァージョンで買うようにしている。
安いものを刊行している出版社もあるが、その代わり間違いを含んでしまう可能性も高まる。

というわけで、Penguin Modern Classics 版の Breakfast at Tiffany's が
手元に届いた。表紙の写真が美しい。この小説の映画版に出演した Audrey Hepburn の
姿と、ニューヨークの街並みと思われる写真とが白黒にて印刷されている。
0183吾輩は名無しである2016/05/21(土) 13:58:43.05
>>182 の続き
数日前までは暇だったのだが、いくらか仕事が急に入ってきて忙しくなったのであまり
本も読めないが、仕事の合間にネット上でこの小説を盗み読みしていた。今からは
紙の上で読むことができる。主人公の Holly Golightly のことについて二人の男が
噂話をしている場面が小説の冒頭の、ペーパーバック版で換算すると約5ページくらいに
わたる部分で展開されているが、それを読むにつけても、無性に続きが読みたくなってきた。

正直を言って、この主人公のような女性の魅力に僕は弱いのだ。こんなタイプの人と
一緒にはいられないし、仮に結ばれたとしても安心できる関係なんて築けるわけがないのだが、
どうしても魅了されてしまう。かつてこの種のタイプの女性に憑りつかれてしまって、
身を持ち崩してしまったこともあった。身も心も焦げ付き、あとは何も残らず、それによる
痛手から立ち直るのに、僕は10年ほどかかってしまった。
0184吾輩は名無しである2016/05/21(土) 15:46:01.21
Breakfast at Tiffany's の、ペーパーバックでは8ページ目あたりを読んでいた。
時間がないので走り読みしていたのだが、それでも2回くらい笑ってしまった。主人公の
天真爛漫さ(そして言い換えれば軽薄さと甘え、そしてそれゆえの愛らしさ)に笑ったのだ。
すべてを引用したいくらいだが、それは我慢して、ごく一部を引用する。

One night, it was long past twelve, I woke up at the sound of Mr. Yunioshi calling
down the stairs. Since he lived on the top floor, his voice fell through the whole house,
exasperated and stern. "Miss Golightly! I must protest!"
The voice that came back, welling up from the bottom of the stairs, was silly-young
and self-amused. "Oh, darling, I am sorry. I lost the goddamn key."
"You cannot go on ringing my bell. You must please, please have yourself a key
made."
"But I lose them all."

作家志望の語り手はあるマンションに住んでいるのだが、その郵便受けには Holly Golightly
という名前が書いてあって、いつも Traveling つまり「旅行中」と書いてあって留守なのだ。
だから気になっていた。

しかしある夜、階下が騒々しいので耳を澄ましていると、どうやら
例の Holly らしいではないか。そしてこともあろうに、部屋の鍵をなくしてしまったから
と言って家主(管理人?)の部屋のベルを鳴らし続けて夜にたたき起こしてしまう。
家主(管理人?)がいくら怒ろうとしても、Holly のあまりの可憐さのため怒れないようだ。
Holly はいつも鍵をなくしては、この家主(管理人?)をたたき起こして煩わせてしまっている。(続く)
0185吾輩は名無しである2016/05/21(土) 15:46:21.53
>>184 の続き
Holly は相手をなだめる最後の手段として、「もしも怒らないでいてくれたら、例の写真を
撮らせてあげてもよくってよ」とまで言う。たぶんヌード写真だろう。それを聞いた相手の男は、
急に黙ってしまう。呆れた話ではあるけど、やはり笑ってしまう。そして結局は、このように
見かけや立ち居振る舞いが可愛らしい若い女性に、結局は男たちは翻弄されてしまう。

このような生き方をすることによって、結局は Holly のような女性自身も損をすることになる
のだろうが、そうは言いながらもこのような生き方を続ける人は多い。女性だけでなく、
男性もまた別の形で世間や人間に甘えては、こんな風な悲喜劇を続けてしまうのだが、
そういう世間の縮図をまたもやこの小説のこの部分で見て、僕は大笑いしてしまったのだ。
0186吾輩は名無しである2016/05/22(日) 11:44:57.68
Truman Capote の Breakfast at Tiffany's は、Penguin Modern Classics
ヴァージョンでは92ページほどの短さだけど、まだ最初の17ページ分ほどしか読んではいない。
しかし、それだけしか読んではいないのに、Capote はもしかしたら僕が今までに読んできた
作家の中で最も文章のうまい人かもしれないとまで思っている。少なくとも、読者を疲れさせない。
退屈させない。仕事の合間に細切れに読んでも、それでもすぐに物語の中に入っていける。
文字通りの娯楽になりうる。それでいて、上品な娯楽という感じがする。

物語に出てくる屈託のない女の子を可愛らしく思ったことは、今までにあと一度だけある。
Mary Anne Montgomery の Anne of Green Gables を読んでいたときのことだ。
いずれ再び読んでみたいと思う。主人公の Anne の純真無垢なおしゃべりを、本当に
かわいく思った。

今回のこの小説の主人公のおしゃべりもまた、単純で純真で可愛らしい。可愛らしいけど、
現実に目の前に現れたら、その軽薄さに呆れて話をする気にもなれなくなるだろうけど、
どうせ物語のことだ。軽薄な人間は、物語の主人公としては可愛らしく思える。
Holly Golightly は、語り手の作家志望の青年に対して、「誰かレズビアンの女の子を
知らない?」と相談を持ち掛ける。レズの子は身の回りをきちんと片付けてくれるので、
一緒に住むと非常に助かるのだという。(続く)
0187吾輩は名無しである2016/05/22(日) 11:45:20.25
>>186 の続き
そんな子と一緒に住むと、私もレズの気(け)があるんだろうと思われちゃうけど、それでも
いいの。第一、その通りだもん。誰だってみんな、いくらかそういうところがあるものよ。
第一、レズの気があるからと言って、私は男の人から避けられてしまうことなんてないしね。
・・・とまあ、そんな話までしてしまう。作家の人とはまだ寝たことはないとか、いろんな話も
ついでにする。男性関係も豊富なようで、常に複数の男から囲まれている。ちょうど
Gone With The Wind の Scarlet O'Hara と同じだ。

Of course people couldn't help but think I must be a bit of a dyke
myself. And of course I am. Everyone is: a bit. So what? That never
discouraged a man yet, in fact it seems to goad them on.

   — Truman Capote, Breakfast at Tiffany's,
    Penguin Modern Classics, p.25
0188吾輩は名無しである2016/05/24(火) 21:34:02.36
ウィリアム・ブレイクの英語の全集を持っている
今4割ほど読み終えたところだ
古い英語だから読みにくいことは事実だ
0189吾輩は名無しである2016/05/24(火) 21:47:20.17
新しすぎる英語文学はなお読みづらいような
誰とはいわない
0190吾輩は名無しである2016/06/02(木) 11:35:50.75
10日ほど書き込みをしなかったが、このあいだもずっと脚本や小説を読んだり、その脚本や
小説に基づく映画を見たりしていた。

昨夜は Edward Albee の Who's Afraid of Virginia Woolf? という、前々から
気になっていた有名な戯曲の映画版を見た。YouTube 上でも、その映画のサンプルだけは
見られる。この映画を見て、Elizabeth Taylor が見事な俳優だということに気付いた。
同時に、ここまで人間の心の奥底にある暗部を抉り出した作品も少なかろうと思った。
脚本家というものは基本的には会話の名手ではあるが、Edward Albee は特にそうだと
感じた。

ところで、この脚本のタイトルは、もともと Disney の映画に出てくる Who's Afraid of
the Big Bad Wolf? をもじったのだそうだ。今まで知らなかった。

Who's Afraid Of The Big Bad Wolf (Sing Along Songs)
   https://www.youtube.com/watch?v=ShE27Hst_NM

Wikipedia の記事にどれくらい信用が置けるかはわからないが、ともかくこの歌について
解説をしている。
0191吾輩は名無しである2016/06/02(木) 11:43:42.05
>>190
Edward Albee の脚本は、次のような三冊のシリーズとなってまとめてある。

(1) The Collected Plays of Edward Albee : 1958-65
(2) The Collected Plays of Edward Albee : 1966-77
(3) Collected Plays of Edward Albee: Pt. 3 : 1978-2003

このうち、(1) には Who's Afraid of Virginia Woolf? (1962) が収められている
ので、さしあたってこれだけは注文した。

もともと小説は好きだったが、かなりあとになってやっと詩も読むようになり、ごく最近に
なってやっと脚本のよさも感じるようになった。もともとは英語の勉強のために無理して
読んでいただけだったが、Samuel Beckett や Harold Pinter のおかげで、
かなり本気で脚本というものの深い価値を感じるようになった。
0192吾輩は名無しである2016/06/02(木) 15:52:56.17
Kafka の生きざまを描いた白黒映画が、YouTube 上で見られる。

   Kafka Steven Soderbergh
      https://www.youtube.com/watch?v=JjI2a7g1ZXs

Writer Franz Kafka works during the day at an insurance company where events lead him to discover a mysterious underground society with strange suppressive goals.
Director: Steven Soderbergh
Writer: Lem Dobbs
Stars: Jeremy Irons,
   http://www.imdb.com/title/tt0102181/

Jeremy Irons が主演だから、見ごたえがあるはずだ。近いうちにぜひ見てみる。
この他、Kafka の The Trial という小説を映画化したものの DVD もイギリスから
取り寄せている最中だ。Harold Pinter が映画用の脚本を書き、Anthony Hopkins
が主演している。これも楽しみだ。僕は Harold Pinter が独自に作り上げた脚本
を映画化したものだけでなく、別の人が書いた小説に基づいて Harold Pinter
が脚本を書いた映画をいくつか見たが、実に面白かった。

Pumpkin Eater という映画も、もともと別の作家が小説を書いたあとに Pinter が
映画用の脚本を書き、それに基づいて Anne Bankroft 主演で映画化されたが、
その映画も2日ほど前に見て、実によいと思った。これも何度も見る価値がある。

Harold Pinter の通常の脚本集も4冊ほど買い、Pinter の伝記や研究書(評論集)
も何冊か買ったが、さらには別の人が書いた小説に基づいて Pinter が書いた脚本集
も3冊あり、それも買った。別の人が書いた小説に基づく Pinter の脚本は、実にわかりやすく
さらには見ごたえがあり、味わい深い。
0193吾輩は名無しである2016/06/02(木) 16:40:02.61
ここで長文貼り付けている名無しさんは英語はどのくらいできるの?
英検とかTOIECとかどのくらいのレベルか知りたい
0194吾輩は名無しである2016/06/02(木) 19:49:21.51
>>192 の続き
他の作家が書いた小説などの原案をもとに Harold Pinter が書いた映画台本を
集めたものとして、次のものがある。

(1) Collected Screenplays: "●The Servant", "★Pumpkin Eater",
"◆Quiller Memorandum", "●Accident", "★Last Tycoon", "Langrish",
"Go Down" Volume 1 (672 pages)

(2) Harold Pinter: "●The Go-between", "Proust Screenplay", "Victory",
"Turtle Diary", "Reunion" v. 2 : Collected Screenplays 2 (624 pages)

(3) Collected Screenplays 3: "●French Lieutenant's Woman",
"Heat of the Day", "●Comfort of Strangers", "★The Trial",
"Dreaming Child" Volume 3 (560 pages)

これら3冊とも、イギリスの本屋さんから取り寄せている最中だ。すぐに全部を読む
ことはないと思うけど、折に触れて気になる脚本1本ずつを読んでいくつもり。
さしあたって、上記の脚本の映画版で、しかも DVD にてイギリスアマゾンなどで
手に入るものは、すべて注文した。すべてとはいえ、上記の脚本のうち印をつけた
9本だけだ。他にも DVD で販売されているものがあったが、イギリス国内の人にしか
売ってもらえず、日本には発送しないと言われて諦めた。

すでに手に入れて鑑賞した作品は、まだ1本だけだ。Pumpkin Eater というものだが、
(すでに説明したけど)Anne Bankroft が熱演している実に素晴らしい作品だ。
上記の作品はすべて1960年代などの古い古い映画ばかりだが、どれもこれも
素晴らしい役者たちと才能豊かな監督による演出がなされ、見事な作品ばかりのようだ。
0195吾輩は名無しである2016/06/02(木) 20:43:54.08
昨日と一昨日に時間があったので、Edward Albee による Who's Afraid of Virginia
Woolf という有名な脚本の映画化作品(Elizabeth Taylor 主演)を2回、続けて見た。
最初に見たときは2時間10分にわたるこの深刻な、喧嘩ばかりの、きれいな台詞も
きれいな映像も一つもない、いわばまったく面白みやスカッとする場面のない、笑いも
まったくない映画を最後まで見るだけで大変であり、細かい部分の台詞があまり聞き取れないで
僕自身の英語力の不足を痛感した。

ところが、その翌日に再び見たら、今度はかなりよくわかった。たぶん 90% くらいは
理解できたと思う。ただし理解できていない残りの 10% ほどに重要なキーワードが
含まれていたかもしれないので、何度も見直し、もうすぐ届く脚本をじっくり読みたいと
思っている。主な登場人物は4人だけで、4人だけがほとんど密室に閉じこもったままで、
ろくに動きもせず、いつも怒ったり嫌味を言ってばかりで、悪意の連続だ。映画の大部分
の場面では、4人はひどく酔っぱらっている。

それなのにきちんと最後まで見ようという気にさせるこの手腕はすごい。脚本と役者の演技と、
演出が群を抜いているのであろう。この映画や脚本についても、そのうちきちんとここで
細かく紹介したいと思う。なお、この脚本はあまりに有名であり、その作品の研究書も
多いようで、YouTube 上でもこの作品の、別の役者たちによるラジオドラマ版も
アップロードされているし、この作品についての評論ビデオもいくつかあるようだ。
いずれ見てみる。

ちなみに、この脚本を書いた Edward Albee は、Samuel Beckett や Harold Pinter
と共に、不条理演劇として Martin Esslin による有名な The Theatre of the Absurd
という研究書の中で取り上げられている。なお、YouTube 上には Samuel Beckett について
の90分間にわたる座談会ビデオもあり、それが
   https://www.youtube.com/watch?v=u5UF2-2kqaw
ここでアップロードされている。これを僕も1年ほど前に見たが、ここではたくさんの
Beckett 研究者たちが参加している中で、この Edward Albee も主たるパネリストとして
参加している。
0196吾輩は名無しである2016/06/02(木) 21:48:03.42
Edward Albee の Who's Afraid of Virginia Woolf は、密室にて数人が自分の
心の奥底の暗部を暴露しあうという意味で Eugene O'Neill の後期作品と似ているそうだ。
まだ O'Neill の作品を読んだりその舞台版や映画版を見たことはないのだが、1年ほど前に
YouTube 上で2時間にわたる次のようなドキュメンタリーは見たことがあり、深く興味を
そそられた。いずれ O'Neill の作品(特に後期作品)を読んだり映画版を見たりしてみたい。

Eugene O'Neill
   https://www.youtube.com/watch?v=ADtcMi2Wwg0

こうしてみると、見るべき(読むべき)戯曲の名作だけでも(Shakespeare を含めて)
膨大にある。
0197吾輩は名無しである2016/06/02(木) 23:29:43.05
こいつはかなりのバカだなw
0198吾輩は名無しである2016/06/03(金) 06:25:24.21
順調に読み散らしていますね
Eugene O'Neillは「夜への長い航路」が非常に好きです。
若い頃に妻だけにむけて書かれ、死後まで上映を禁じられたいわくつきの自伝的戯曲。
Harold Pinterの家族ものと自分の中では同カテゴリーです。
戯曲の中では脇役にしか思えない、家族の暗黙の了解から排除され続ける末っ子が好きです。
0199吾輩は名無しである2016/06/03(金) 06:42:45.06
追記
×若いとき ○50歳
×死後まで ○死後25年
書かれたのは1939年ころから。亡くなったのが1953年(65歳)。
「妻よ,この劇の草稿をおまえに捧げよう。血と涙が書いた,古い悲しみの劇だ。
・ ・ ・お前の愛情と優しさこそが,私に愛そのものに対する信頼を与えてくれ,ついに私の死者たちを直視しこの劇を苦く勇気を与えてくれたのだ。
そして私は亡霊に取り付かれた4人のタイロン家の人々に対し深い憐れみと理解,そして寛恕の心を抱きつつ,この劇を書くことができた」

舞台は1912年。アイルランドからの移民の父とそれに嫁いだ裕福だった母親。父親と息子はウイスキーを必要とし、母親はモルヒネ中毒になる。
麻薬中毒になった理由は末っ子のお産であり、「こいつが生まれなければよかったのに」という「本音」がぐさぐさと末っ子を突き刺し続ける。
父親と長男が母の病気を労われば労わるほど、肝心な「こいつが生まれなければ」と思われている末っ子は空回りし続ける。
アイルランド・カトリックの抑圧は後にユダヤ人移民の二世であるアメリカ人作家が得意としたもので、ほんの少し作品で扱っていたので読んだ。
JFKの父親のようなアイルランド出身大富豪が出現する少し前のお話。
0200吾輩は名無しである2016/06/03(金) 06:48:12.97
>>198
おお、貴重なコメントをありがとうございます。Long Day's Journey into Night ですね。
      http://www.imdb.com/title/tt0056196/
ここに Sidney Lumet 監督による 1962 の映画版が紹介されています。この映画の
DVD も、たぶんイギリスアマゾンあたりで買えそうだから、さっそく買おうかな?

Eugene O'Neill は、>>196 で紹介したドキュメンタリーを見た時から気になっているので、
夕べ戯曲集3冊のうちの最後のもの
   O'Neill Plays Vol. III: Volume 3: 1933-1943 (Library of America)
を注文してしまった。こんなにたくさん本ばかり(しかも洋書ばかり)買い、ついでに
戯曲の映画版などの DVD を、これまた英語ばかりできちんと見たり読んだりできるだろうか
と思いながらも、ともかく手元にないとまずはそれを拾い読みしたりすることさえできないので、
ひどく気になったものは買わないと仕方がない。

日本語の本や日本語の DVD ならいつでも楽に手に入りやすいから、どうしてもほしくなった
ときに慌てて買うこともできるが、洋書や英語 DVD となると、今みたいに便利な時代になった
とはいえ、イギリスなどから注文しないといけないから届くまでに時間がかかる。ちょっとだけ
気になったときに手に取って、最初の1ページ目だけでもつまみ食いしてみたいではないか。

もちろん、そういうことさえ現代では Kindle 版なら最初の数ページを無料で拾い読み
することもできるようになった。しかしそれでもやはり、特に重要な本は Kindle 版がまだ
出ていないものも多い。
0201吾輩は名無しである2016/06/03(金) 07:35:44.63
>>198-199 に触発されて、次のようなビデオを注文した。

Long Day's Journey Into Night [DVD]
Laurence Olivier (Actor), Constance Cummings (Actor), Peter Wood (Director)

日本のアマゾンでは Region 1(北米版)しか手に入らず、しかも高い場合が多い。
イギリスアマゾンでなら Region 2(ヨーロッパや日本向け)の DVD が買えるので、
日本でもパソコン上でなら特別なソフトなどを使わなくても見られる。僕は特別なソフトウェア
や装置を使うのが嫌なので、輸入盤ならなるべくイギリスから手に入れている。

日本のアマゾンで買うよりもイギリスアマゾンから買うと送料が 3.58 pounds もかかってしまうが、
その代わりに中古品が格安で手に入ることが多い。だから、DVD なら本体が無料に近ければ
送料込みで 595円で手に入ることもよくある。

上記の Laurence Olivier 版だけじゃなくて、1962 年の Katherine Hepburn 版も
見たいのだが、今のところこれは北米版 (Region 1) しか手に入らない。だからしばらくは
やめておく。ついでに、イギリスアマゾンから Eugene O'Neill の伝記ドキュメンタリー
DVD である次のような商品も注文した。

Famous Authors: Eugene O'Neill [DVD]
MALCOLM HOSSICK (Director)

たったの 30 分のものなのに、中古品でもそれなりの値段がするのだが、こういうものは
日本ではなかなか簡単には見られないと思うので、買っておいた。

ちなみに、僕はテレビを12年前に手放した。それまでは英語による番組や放送大学の
講義を視聴するためにテレビを大いに見ていた。しかしテレビというものは素晴らしい面もある
けど弊害もあるので、12年前から手元に置かないことにした。テレビがあれば、無料または
安い料金を払えばたくさんの英語による名作映画やドキュメンタリーも見られるのだろうが、
やはり僕は機械が嫌いなのだ。本当はパソコンもインターネットも大嫌いなのだが、これは
仕事のために使わざるを得ないので、仕方なく30年ものあいだ使ってきた。仕事で使うのだから、
ついでに英語などの勉強のためにも使わないと損だというわけで、パソコンをそのために使っている。
0202吾輩は名無しである2016/06/03(金) 21:00:17.15
Edward Albee はもちろん有名な脚本家だけど、彼は特に今も元気であり、しかもアメリカの
人だからなのかどうかわからないが、YouTube で彼の名前を打ち込むと、びっくりするほど
(もしかしたら無限とも思えるほどに)膨大なビデオが出てくる。

彼の脚本を舞台化あるいは映画化したものや、彼があちこちでインタビューに答えたり
一人で演劇についてしゃべったり、他の作家や演劇人と話し合ったり、彼自身の作品の
朗読会をしたり、さらには学者たちによる彼の戯曲についての講演などなど、ものすごい。

やはりアメリカ人の有名な作家だから、当然のことながらアメリカ人たちが喜んで彼の
出演するテレビ番組や講演会などのビデオをアップロードするだろう。そしてインターネットの
最先端の国であるアメリカだから、やはりネット上で何かを発表するのもアメリカ人が
抜群に多いだろう。そういうわけで、同じくらいに著名な人であれば、別の国よりもアメリカの
人の方がネット上で紹介されることも多いのだろうと想像する。

まあともかく、以前なら別の国の作家について知りたければ本を読むことが主体だったけど、
今ではこのようにボタン一つでいくらでもその作家について勉強したり楽しんだり気分転換
したりできるのが実にありがたい。
0203吾輩は名無しである2016/06/03(金) 21:04:30.51
さらには、Paul Auster も売れっ子のアメリカ作家だが、彼の出てくるビデオも積極的に
YouTube 上で紹介されているので、これからどんどん見ていきたい。この Paul Auster に
しても Edward Albee にしても、Samuel Beckett の作品や人物と深く関わってきた
人たちなので、余計に僕はこの二人に興味がある。Paul Auster に至っては、4冊本の
The Selected Works of Samuel Beckett (Grove Press, 4冊合計で 2,000 ページ)
の編集者だ。
0204吾輩は名無しである2016/06/07(火) 11:36:57.98
【Samuel Beckett's "Endgame"】

Samuel Beckett の "Endgame" は大好きで、2回くらいは英文で脚本を読んだし、その
映画版も、少なくとも2回はまじめに見て、そのあと何度も何度も歩きながら(あるいは
寝床に入って目をつむって)何十回も聴いた。好きな台詞がたくさんある。そのうち、ほんの
一つだけここに引用する。盲目で腰から下が付随になってしまった Hamm が、若い Clov
に対して「俺たち二人の存在にも、何か意味があるんじゃなかろうか?」と問いかけていて、
Clov から失笑されるが、それにもひるまず彼は、ずっと後になって宇宙外の生命体が
人類を見たときに、何かの意味があったと感じてくれるんじゃないかと期待している場面。

HAMM: Clov!
CLOV (impatiently): What is it?
HAMM: We're not beginning to... to... mean something?
CLOV: Mean something! You and I, mean something!
(Brief laugh.) Ah that's a good one!
HAMM: I wonder. (Pause.)
Imagine if a rational being came back to earth, wouldn't he be liable to get ideas into his head if he observed us long enough.
(Voice of rational being.)
Ah, good, now I see what it is, yes, now I understand what they're at!
(Clov starts, drops the telescope and begins to scratch his belly with both hands. Normal voice.)
And without going so far as that, we ourselves...
(with emotion) ...we ourselves... at certain moments...
(Vehemently.) To think perhaps it won't all have been for nothing!
   http://samuel-beckett.net/endgame.html
0205吾輩は名無しである2016/06/07(火) 11:54:12.06
>>204 で引用した一節を映画の中で見るには、次のリンク先に行くといい。31分17秒のところ。

   Endgame (Beckett)
     https://www.youtube.com/watch?v=ok7Vc3jczNg&;t=31m17s
0206吾輩は名無しである2016/06/13(月) 10:03:46.06
Samuel Beckett を読んだり見たりしているうちに Harold Pinter に興味を持ち、
それを読んだり見たりしているうちに Eugene O'Neill や Edward Albee にも
興味が湧いてきて、彼らの脚本もどんどん注文し、それが少しずつ手元に届き始めている。

Library of America シリーズの Eugene O'Neill の脚本集は、3冊合わせて
全部で 3,000 pages を超えると思う。そのうち2冊目だけがすでに届いたのだが、
少しパラパラとめくって拾い読みしていると、いきなり面白そうな台詞が目に付く。
Lazarus Laughed という、タイトルだけでも面白そうな脚本を拾い読みしていても、
やはり興味を引き付けられる。手元の仕事を早く終わらせて、早く読みたいと思う。
とはいえ、英語力の不足のゆえ、すいすいとは読めないのが辛いところだ。
0207吾輩は名無しである2016/06/13(月) 10:08:58.77
拾い読みしていて、興味を引かれた脚本の一節。

FOURTH GUEST: He (= Lazarus) wished for death! He said to me one day:
"I have known in my fill of life and the sorrow of living. Soon I shall
know peace." And he smiled. It was the first time I had seen him smile
in years.

THIRD GUEST: (a Self-Tortured Man—gloomily) Yes, of late years his life
had been one long misfortune. One after another his children died—

    Eugene O'Neill's "Lazarus Laughed," Act 1, Scene 1;
      Eugene O'Neill, Complete Plays (2) 1920-1931; p.543
0208吾輩は名無しである2016/06/13(月) 10:16:09.17
これらの脚本家たちの書いた脚本集だけでなく、その舞台の映画版も、イギリスアマゾン
などで手に入るものは片っ端から注文した。そのうちいくらかはすでに届いた。そして
そのうちのいくつかは、すでに見た。舞台の映画版をどんどん見て、脚本をどんどん見て、
そのうちにまたここでいろいろとコメントしたいと思う。

さしあたって、ついこのあいだ見た DVD について紹介しよう。

(1) Harold Pinter が書いた映画シナリオに基づいて制作された映画
   Accident (directed by Joseph Losey)
     これは、まだ一度しか見ていないが、あまり面白いとは感じなかった。

(2) 同じく Harold Pinter が書いた映画シナリオに基づく映画
   The Go-Between (featuring Alan Bates and Julie Christie)
     これは、まあまあよかった。やはりこの二人の俳優は素晴らしいと思う。
     Pinter の書いた脚本もそのうち読むし、別の作家が書いた原作の小説
     も、そのうちに読むつもりだ。
0209吾輩は名無しである2016/06/15(水) 09:38:22.56
Samuel Beckett の作品については、The Unnamable (小説、英語版で100ページくらい)、
Play (15分の芝居)、Not I(12分の芝居) などが特に好きだが、Endgame(「ゲームの終わり」
と訳されているはず、80分くらいの芝居) は、下記のリンク先にある映画版が
実に素晴らしく、すでに100回くらい聴きながら歩いているが、何度聴いても
感動する。何度も笑い(ただし絶望を超えた笑いであって、楽しい笑いではないが)、
考えさせ、そのセリフの詩的かつ哲学的なリズムと香りと含蓄を感じさせてくれる。

   Endgame
     https://www.youtube.com/watch?v=ok7Vc3jczNg

台詞の見事なリズムの素晴らしさとしては、他の脚本でいえば Dustin Hoffman
と Tom Cruise が主演した Rain Man が素晴らしいと思っている。さらに
Al Pacino 主演による Scent of a Woman がある。この二つの映画と、さっきの
Endgame との3つは、僕にとって詩的ともいえるほどの素晴らしいリズムのある
台詞が連続する作品だ。Shakespeare を読んだり見たりしていたときにも
思ったが、僕はどうも文学や芝居や映画の中でのセリフのリズムをかなり重視して
いるらしい。
0210吾輩は名無しである2016/06/20(月) 17:55:47.80
test
0211吾輩は名無しである2016/06/21(火) 11:04:30.80
Eugene O'Neill の脚本の映画化作品 "Long Day's Journey into Night"
(featuring Lawrence Olivier) をイギリスアマゾンから取り寄せ、それを
一度だけ見終わった。全部で 2時間40分の作品。Lawrence Olivier の出演する
映画は、これで4本目くらいだと思うが、今ごろになってやっと彼が素晴らしい役者
であることに気付いた。やはり一世を風靡してしかるべきだ。こんなにまで難しく
中身の濃い古典作品にばかり主演していながらも、きちんと見ごたえある作品に
仕立てあげてしまうのだから、やはり相当に素晴らしい役者であるはずだ。

Eugene O'Neill が死後25年間は上演してはならないと妻に言い残して死んでいった
作品だから、よほど暗澹たる見るに堪えない作品なのだろうと覚悟していたが、
さほどでもなかった。(というのは、僕が十分にこの作品の重さと深さを理解して
おらず、まだ表層をなぞったに過ぎないからなのだろうけど。)

残念ながら、まだ僕の英語力が不足しているため、細部を理解していない。1か月ほど
前に見た "Who's Afraid of Virginia Woolf?" (written by Edward Albee,
featuring Elizabeth Taylor) も、一回目はまだまだ理解が浅かったけど、
二度目に見るとかなり深く理解できたから、この Eugene O'Neill の作品も
もう一度だけ見たらかなり理解できるかもしれないと期待している。
なお、Eugene O'Neill の脚本集3冊シリーズを、Library of America にて
注文していたが、この数日間ほどで三冊とも手元に揃った。3冊合わせて合計で
3,000ページを超えている。
0212吾輩は名無しである2016/06/21(火) 11:14:35.41
Eugene O'Neill の作品は、まだ脚本をまるっきり読んではおらず、映画版も
まだこの Long Day's Journey into Night だけを、しかも一度だけ見たに過ぎない
が、いま僕が抱いている第一印象としては、とてもいい。Who's Afraid of Virginia
Woolf? も気に入っているが、それとよくにた舞台設定やテーマや演じ方だ。

豪華絢爛な美しい役者たちと壮大な
光景と舞台装置、さらにはとんとん拍子に続く、観客を飽きさせないプロットと
場面展開のゆえに、その内容の空疎さをいくらでもごまかせるので、基本的には
ただの娯楽でしかなく軽薄とさえいえるものがたくさんある。

しかし Who's Afraid
of Virginia Woolf? や今回の Long Day's Journey into Night のような
minimalistic な作品では、そのようなごまかしが効かない。内容の重厚さと
役者の演技だけが勝負どころだ。しかも両作品ともに暗澹たる作品なので、
通常ならば最後まで見てもらえない。それなのにこんなにまで視聴者を
画面の前に座らせ続けるのだから、それだけでも凄まじいほどの充実度だと言える。
そして、それだけにまた、通常の映画や芝居に比べてはるかに台詞や筋が理解
しにくいともいえるので、細部がすぐにわからなくなってしまう。
0213吾輩は名無しである2016/06/21(火) 20:23:04.40
Eugene O'Neill の "Long Day's Journey into Night" (featuring Lawrence
Olivier) をもう一度、見終わった。

今、Library of America の Eugene O'Neill 脚本集3冊シリーズの中に収録
されている chronology を読んでいるところだが、実に数奇な人生を送った人だ
という感じがする。Long Day's Journey into Night は autobiographical
な作品だと言われているが、確かに彼の chronology を読んでいると、そんな
感じがする。

彼の母親は、彼 Eugene O'Neill を生んだあとに体の強い痛みを抑えるために
医者から処方された morphine の中毒になってしまう。彼自身は、結核に罹ったり
酒に溺れたり売春宿に入り浸ったりする。酒と売春宿に溺れる時代が、十代のときに
すでに兄と一緒に始めている。そのあともずっとそんな生活をしながら、傍らで
Nietzsche, Dostoevsky, Schopenhauer などいろんな作家の作品を読んでいる。
学校での勉強にはあまり熱心ではなく、かなり早く落ちこぼれてしまったようだ。
しかし、彼の作品が後に有名になったので、Yale University から博士号を
授与されているし、Pulitzer prize を2度も獲得し、さらには Nobel prize を
勝ち取っている。

彼の父は役者として大いに売れたし、母は裕福な家庭に育って
非常に育ちがよかったようだ。Eugene O'Neill の生涯はとても面白いので、
いずれじっくり調べてみようと思う。
0214吾輩は名無しである2016/06/22(水) 20:06:43.89
Eugene O'Neill についてのドキュメンタリー
   https://www.youtube.com/watch?v=ADtcMi2Wwg0

これを1年か2年ほど前に見たが、それを今さっき再び見た。前回と同じく、深く感銘
を受けた。詳しい感想は、また別の機会に書く。
0215吾輩は名無しである2016/06/24(金) 09:12:07.29
Eugene O'Neill の Long Day's Journey into Night の映画版(Lawrence Olivier
主演)を2度だけ見たあと、脚本を原文で一度だけ読んだ。やはり読み応え、見ごたえが
あると思った。これだけではもちろん読み込み、聞き込みが足りないので、何度も
読んだり聴いたり、さらにはこの作品についての学者による評論文も読みたいと
思っている。この作品だけに焦点を当てた学者による評論が少なくとも2冊あるが、
それを注文した。いずれ読むつもり。
0216吾輩は名無しである2016/06/26(日) 15:54:28.80
>彼の父は役者として大いに売れたし、母は裕福な家庭に育って
>非常に育ちがよかったようだ。Eugene O'Neill の生涯はとても面白いので、
>いずれじっくり調べてみようと思う。
オニールの父親はその姓が示すように、アイルランド移民であり、彼はアイルランド移民一世と形容される。
1845-48年のアイルランド飢餓によってアメリカへの移民が活発化した。James O'Neillは1847年に生まれており、生後すぐにIrish famineジャガイモ飢饉を迎えている。
この時期のアイルランド移民は、複雑な紆余曲折を経る。被差別階級としてニューイングランド界隈で肉体労働につく割合が多く、10年後には南北戦争が起こる。
USAの分断を象徴し、黒人差別やアイルランド差別を一旦忘れさせる南北戦争の終結と、時を同じくしてJamesは俳優としてデビューする。
その前には、南北戦争の軍服を作る職業についていた。
生後すぐのジャガイモ危機によってcrippleされた、と後にユージンは語る。(まるでドナルド・トランプの言い方ですらある)
南北戦争は金と社会的居場所を与えた。
代表作のキリストとモンテクリストはアメリカ中を旅させ、息子たちは故郷を持たなくさせる。
俳優としてのスキャンダルは良家の子女である妻を浮気相手の訴訟で困憊させる。
次男エドマンドははしかにかかった長男Jamesによって「感染させられて」「殺され」、もう子供は生まない、と誓った妻は妊娠する。
カトリックであり、出産せざるを得ない妻は陣痛によりモルヒネを与えられ、中毒となる。
こうして生まれたユージンは「生まれなければよかった」という憎悪の下に誕生した、とユージンは後に再構成する。
(戯曲では死んだ息子をユージン、三男をエドマンドと逆にしており、作者であるユージンは代わりに兄に殺されている。)
Irish famineなど、フロイト的な解釈の仕方であるのだけれど、フロイト理論に強く影響された戯曲においてはフロイト的な読みをしないわけにはいかない。
当時のニュー・クリティシズムとは程遠いけれど、コンテキストを知ることは重要。
0217吾輩は名無しである2016/06/26(日) 16:59:20.27
ユージン・オニールの母親は良家の子女ではあるが、彼女もまたアイルランド移民。
大きな違いは、彼女は一世ではなく、移民二世であること。
彼女の両親は19世紀初頭にアイルランド南部からアメリカに移住している。
大飢饉の以前から、イングランド人の多かった北アイルランドに反抗していた南アイルランドではダニエル・オコンネルのようなカトリック解放運動の挫折者がフランスやアメリカに亡命していた。
同じアイルランド移民であっても、カトリックコミュニティで少しずつ成功を収めてきたユージンの母親と、空前の飢饉でアメリカに移民の嵐の中で、俳優としてなりあがった父親とは違う階級に属する。
具体的に言えば、アイルランド移民は時代が下るほど貧しい農民の移民となっていく。
そもそもオコンネルの独立運動が失敗した時点でフランスやアメリカに亡命することが出来たのは渡航費を捻出できる裕福なアイルランド人だったとされる。
その後、残ったアイルランド人は露骨な差別の中に生きていき、1830年代の穀物法闘争により自由競争・比較優位に基づく穀物・ジャガイモ依存の経済が出来上がる。

ユージンの父と母の結婚は反対していた父の死によって成立したが、アイルランド・コミュニティにおける格差・価値観の違いが存在する。
母親は修道院での教育を受けるが、父親にはそのような教育を受けることは出来なかった。男たちのアルコール依存は母方のものではない。
そういう背景が1910年代にフロイト的に立ち現れ、1940年代に100年を隔ててユージンによりトラウマとして再構成される。
0218吾輩は名無しである2016/06/27(月) 17:27:06.11
>>216-217
実に素晴らしい解説をありがとうございます。Eugene O'Neill にしても、アイルランド人
たちの苦悶の歴史にしても、あるいは当時のアメリカの情勢にしても、ますます
目が離せないという感じです。何日か前に The Iceman Cometh の映画版を見て、
そのあと今ではその脚本を読んでいる最中です。
0219吾輩は名無しである2016/06/27(月) 17:45:01.91
チヤプリンの嫁はオニールの娘だったかな
0220吾輩は名無しである2016/06/28(火) 07:04:24.14
>>219
そのようだね。Britannica に、次のように書いてある。

Charlie Chaplin の項目で
That same year he (= Charlie Chaplin) married 18-year-old Oona O’Neill,
daughter of playwright Eugene O’Neill; ....
  (Encyclopaedia Britannica online)
0221吾輩は名無しである2016/06/29(水) 18:42:57.23
Eugene O'Neill の Long Journey into Night を読み終わったあと、
The Iceman Cometh を丁寧に読んでいたのだが、あと4ページで読み終わるという
正念場のところで仕事が入り、またもや 10日間ほど本が読めない生活が始まって
しまった。僕にとってのこの2作目である The Iceman Cometh は、実に素晴らしい。
Long Journey よりもさらに僕にとっては印象深い作品になるかもしれない。

ただ、英語そのものは Long Journey よりもはるかに難しいと感じた。それもそのはずで、
当時の時代の動き(たとえば anarchist の運動)を映し出すキーワードがたくさん
出てきて、それをいちいち辞書やインターネットで調べないといけなかったし、
さらには登場人物の多くがイタリア訛り、南アフリカ共和国訛り、黒人訛りなどの
強い訛りがあったので、それを理解するのもけっこう大変だ。

しかし、だからこそ実に面白かったともいえる。一般的に、読みづらい英語で書いてある
本は、決して気取って難しくしてあるわけではなく、必要があっていろんなものを
盛り込んであるのだが、それがたまたま僕なんかにとっては辞書を引っ張りまわさないと
いけないような難しいものになってしまう。

ともかく、この The Iceman Cometh も、映画版と脚本との両方を、これから死ぬまで
何度も何度も味わう価値があると感じている。
0222吾輩は名無しである2016/06/30(木) 09:11:04.74
>>221
Long Journey into Night ではなく、Long Day's Journey into Night だった。
0223吾輩は名無しである2016/07/01(金) 10:22:23.85
>>196 ですでに紹介したが、

   Eugene O'Neill についてのドキュメンタリー映画(2時間)
     https://www.youtube.com/watch?v=ADtcMi2Wwg0

このドキュメンタリーは、実に素晴らしい。たくさんのドキュメンタリーを見てきたが、
これほどよくまとまっており、そして何よりもナレーションや解説や、出演する
役者たちによる Eugene O'Neill の作品の朗読実演があまりにも素晴らしく、
このドキュメンタリーの2時間の全体が一つの散文詩になっている。

僕がこのドキュメンタリーの画面と音声とを両方、きちんと座って見たのはまだ
3回だけだが、聴くだけなら毎日のように歩きながら、あるいは家事をしながら
聴いている。おそらく100回くらいは聴いたと思う。歩きながらだったりするので、
もちろん細部は思いっきり聞き逃しており、流しているだけだ。しかしいつも、
歩きながら、あるいは洗濯物を干しながら聞き、感動し、そのあまりの美しさに
涙さえ流しそうになる。

Eugene O'Neill の作品そのものもすごいが、それを演じる役者たちも群を抜いている。
さらには作品や作家を批評する学者たちや脚本家たちによる解説も、何とも言えない
素晴らしいものがある。

科学・時事問題・歴史・芸術・文学など、ありとあらゆるドキュメンタリーを
日本語でも英語でも見てきたが、このドキュメンタリーほど素晴らしいものは
見たことがない。そこに流れる英文そのものも(O'Neill の書いた原文だけではなく
作家や学者や役者たちによる解説や演技が)美しいことこの上なく、さらには
その背景に流れる音楽も素晴らしいので、そのうち、ぜひこのドキュメンタリー
2時間をすべて書き取ってこの2ちゃんねる上に載せたいと思っている。

3年ほど前には、「ヴァージニア・ウルフ」というスレッドにて、俺は
Virginia Woolf 関係の YouTube 上のドキュメンタリーや映画に流れる
英語を片っ端から書き取ったことがあった。その続編として、ここでも
Eugene O'Neill について試みたいと思っている。
0224吾輩は名無しである2016/07/01(金) 22:21:18.78
Iceman Commethは「氷人来たれり」とでも訳すべきなのか、「氷売り来臨」とでも訳すべきか。
「Long Day's Journey into Night」を読むきっかけになった作者の別の小説に、幼少の頃に出会った「氷売り」が出てきて、奇妙に印象深かった。

there was a black iceman around for a few years, before Seaboard monopolized the summer trade.
He always puzzled his mother, not so much because he was a Negro selling ice, the first and last anyone ever saw, but because of how he sold it.
She would ask for a twenty-five-cent piece of ice and he would cut a piece and put it on the scale and say, “Dat’s it.”
And she would bring it inside and over dinner that evening she would say to the family,
“Why does he put it on the scale? I never see him add a piece or chop off a piece. Who is he fooling putting it on the scale?”
“You,” His father said.
She would get ice from him twice a week until one day he just disappeared.

シーボードが夏の取引を独占する前の数年間、黒人の氷売りがいた。
氷売りはいつも少年の母親を困惑させていたが、それはニグロの氷売りという、それまで誰も見たこともなく、またその後見ることもなかった存在だったからではなく彼の氷の売り方だった。
彼女は25セント分の氷を買ったものだが、黒人の氷売りはいつも氷を切り出し、はかりに載せて「ほらどうぞ(ダッツイット)」と差し出す。
彼女はいつも氷を持ち帰っては、その日の夕食の席で家族に言うのだ。
「いったいどうして彼は秤に載せるのか?これまで氷を付け足したり減らしたりするのを見たことがない。いったい秤に載せることで誰をからかっているのだろう?」
「お前さんだよ」と少年の父親は言うのだった。
彼女は彼から週に二回氷を購入し、それは彼が姿を現さなくなったまさにその日まで続いたものだった。
0225吾輩は名無しである2016/07/01(金) 23:21:51.15
ニューイングランドにおいて、氷売りは特殊な職業だった。冷蔵庫自体が開発されたのは19世紀だが、19世紀初頭から急増する人口は冷凍技術を必要とした。
ソローが描いた「ウォールデン」には湖から氷を切り出す風景が出てくる。冬の間に凍った湖から切り出された氷は冷凍室と呼ばれる倉庫で保存された。
iceboxという単語は1839年にはじめてアメリカ英語に入ったが、これはブリキの容器を大きな木の樽に入れ、容器と樽のすき間に氷をつめ、これら全体を断熱材の代用になる兎の毛皮で包んだもの。
1803年に特許をとられている。ボストンには「氷王」が居り、馬の力で氷を切り出す技術を独占していた。このアイスカッターは冷蔵庫の大衆化を助け、1840年代までに家庭に氷を配達する人を意味するiceman(氷屋)という言葉を生みだした。
氷屋の登場は市民の家の造りにも変化をもたらした。人々は留守でも氷を配達してもらえるように玄関先に小さなポーチを増築するようになった。氷の配達を希望する家は、氷屋がポーチに置かれてある木製冷蔵庫に氷を入れて行く。
氷屋は重労働であり、当時の単純労働者、つまりは移民が多くつく職業だった。ソローもユージンの戯曲の部隊も、前出の小説家もニューイングランド周辺であり、氷を切り出し、保存する水源が近くにある。
肉類の海外輸出が出来るようになったのは冷凍技術が可能になった時代の産物だが、家でも保存するのはこのような氷屋が必要だった。
1920年代後半、ちょうどユージンの戯曲や小説家の時代にGE社の家庭用冷蔵庫が広まり、消えていく。

ユージンの戯曲で氷屋が妻の浮気の冗談だったり死神めいた役割を振られることや、黒人の氷売りなどほかに存在しなかったと作中人物が回想する。
大金持ちのニューイングランド人は自宅に氷室を持ち、中間層が氷売りから定期的に氷を買い、酒や肉類を冷やす。朝から働きづめの氷売りはまた別の階級に属する。
0226吾輩は名無しである2016/07/02(土) 13:11:53.58
>>224-225
いろんな人からたくさんのことを教えてもらえるので、実にありがたい。
0227吾輩は名無しである2016/07/16(土) 01:00:21.27
The Iceman Comethという戯曲は「ラザロが笑う」と同じく、たくさんの聖書からの引用というかオマージュが詰め込まれている作品だ。
主人公といっていいのか分からないが、毎年酒屋の主人の誕生日を祝いにくる男はまるでキリストのように振舞う。
甘美な敗北の美学に打ちひしがれた人々に希望を与え、愛を口説く。しかし彼はキリストではなくて妻を殺した殺人者に過ぎない。
それも、最初は言い訳をしており、妻の不幸を嘆き、あまりにも自分を愛しすぎる妻を「愛ゆえに」殺したのだ、と主張する。
ところが、まるで自分の口から出る言葉ではないかのように「愛ではなく憎しみから殺したのだ」と禁断の言葉が飛び出してしまう。

よみがえったラザロが笑い続け、「死は怖くない」と人々に奇跡を伝道する。
しかしキリストの教えではなく、異教的な快楽主義のラザロは誰一人救うことなく死への道を提供するだけだ。
自分の子供が死んでなお笑うラザロ、後の暴帝となる兵士の殺されるラザロをただ一人咎める彼の妻はThe Iceman Comethのただ一人似非キリストを信じようとしない死を受けれながら死を選ばない哲学者に似る。

Lazarus Laughedから10年以上を経て、その間に僅かなりと希望を抱かせる戯曲を書いていたはずの彼が、再びこの絶望的なペシミズムに回帰してしまっているのは悲しい。
0228吾輩は名無しである2016/07/18(月) 18:59:27.61
◆S価大学校入試予想問題(英語)◆
 次の文章を訳して大勝利しなさい。

(1)Mr. and Mrs. Kinmanko are missing leaving only a message .

(2)Strangely ,Kinmanko does not have the experience that ran for election .

(3)The son of Kinmanko entered Yukichi University without entering S-ka University .

(4)The death announcement of Kinmanko is a  plan after Nikken and Asai .

(5)The death announcement of Kinmanko is going to set it on October 13 same as a Nichiren great saint .

(6)Strangely ,the representative of the political party which Kinmanko made never encountered Kinmanko .

(7)Because Kinmanko is busy with writing activity ,the cerebral infarction can not be treated .

(8)Kinmanko and the followers get a posthumous Buddhist name secretly, and they are going to bury it secretly.

(9)Kinmanko cannot have a degree from the Japanese national university.

         /ヾ   ;; ::≡=-_
       /::ヾ      ~~~  \
       |.::::::|  Sect SGI    | ←Buddha's vengeance
       ヽ;;;;;|   -==≡ミ  ≡=-|
      /ヽ ──| <・> | ̄|<・> |  
      ヽ <     \_/  ヽ_/|
      ヽ|       /(    )\ ヽ
       | (        ` ´  | | <Mahalo 、Fool、Kinmanko! Thank you、Sentence-spring!!
       |  ヽ  \_/\/ヽ/ |
       ヽ  ヽ   \  ̄ ̄/ /
        \  \    ̄ ̄ /
0229吾輩は名無しである2016/08/17(水) 12:48:11.49
僕はしばらく前から2ちゃんねるでは投稿しなくなった。今では
   http://alcom.alc.co.jp/users/286592/diary
この場所にて「日記」という形で英語や文学について書いている。Eugene O'Neill
についても、最近はよく書いている。彼の作品に出てくる英語表現にこだわった記事が
大多数を占めるが、たまに Eugene O'Neill の作品そのものについての僕なりの
感想文をも発表している。
0230吾輩は名無しである2016/08/17(水) 16:33:50.67
あのなオニールのは脚本ではなくて戯曲な
この違いがわからないのかな
0231吾輩は名無しである2016/08/17(水) 16:38:57.40
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0233吾輩は名無しである2017/06/04(日) 22:11:27.34ID:UnFKUqeY
おーぷん2ちゃんねるのオカルト板に行って
意味不明って検索してから260番のレス見てみ。

きっと必要なことが書いてある。
0234吾輩は名無しである2017/07/25(火) 21:12:07.29ID:nG14l0xf
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆
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