新左翼系の文化人が表に出て一番活躍したのは、いうまでもなく学生運動華やかなりしころであった。
「われわれのー、とうそうのー、全的勝利のー、べいていのー」という、だらだらした新左翼特有のアホダラ経がスピーカーからいつも聞こえていたころである。
当時は、ベトナム反戦運動がさかんで、「米帝のベトナム侵略を傍観する者は、米帝と同罪だ」と、左翼インテリゲンチャさんたちは、わめきちらし、
「あなたたちは、同じアジア人の苦しみがわからないのですか、いまこうしている間にも、同じアジアの同胞が多数殺されていても平気なのですか」と、顔色をかえて一般人につめより、激しく責め立てた。
ところが、共産中国がベトナムに侵略を始めると、ベ平連や左翼文化人さんたちは、ウンともスンとも言わなくなった。
中国大使館へのデモ行進もなければ、抗議声明もなかった。
さらに、カンボジアにおける共産ポルポトの大量虐殺の事実があきらかになっても、ベトナム反戦運動の文化人さんたちは、やはり沈黙したままだった。
まさに傍観者に徹していた。