本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
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線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ それだけ一生懸命頑張って評論できるのに「正しい例」を一つとして示すことができない。
1.表現する度胸がないのか?
2.正しい例をしめす能力がないのか?
3.それとも正しい評論の方法が分からないのか?
間違っているのはほぼ確信できるが、正しい例を示す自信はない。そういうことなのだろうか?
いや正しい例を示すことはできるのだが、やっぱり万が一でも間違っていると「恥」なので
例示するのは怖いということだろうか?
「長いトンネルを抜けると厚く積もった雪が夜の底を白くしていた。」
こんな短い文章でそこまで安全を考えて発現する必要はないよ。正しい例を示すのが一番効果が
あると思うよ。もしそれが本当に理解できないとしたら、英語は理解できるとしても理解力
と金玉(度胸)は小学生並みに小さいといえないだろうか? >showとmakeは使い方が違う
>makeは基本的に自動詞ではないのでS-V-M、S-V-Cの形にもなれない
showを使いたいのではない。「makeを使いたい」というのが意図だよ。showでは正しく書けても
意図した表現ができない。そこのところをmakeを使って何とかできないかということだね。もちろん
makeでなくてもいいんだが、showのようにイメージが固定した語彙は使わないで、イメージを固定
しない語彙を選べば表現の奥行を出すことができる。その可能性がより広がるということだね。 >>587
自分の書いた文章を読み返せよ。
他人様にえらそうに意見できるレベルじゃないってことに気づけよ。
あと、書いたら一度は読み直せ。
---ここまでは一般的な話---
こんな短い文章?
君がすさまじくひどく改悪した文章は削除して、原文のまま書きなさい。
第一、夜の底、と言う表現が暗喩であることも理解していないだろう。
自分の読解力を、まずチューンナップすることだね。
---ここまではちょっと読解の話--- Solve the next!
the snow lay thick on the bottom of the night made dimly white around.
Q これはすこし間違っているが、できるだけこれらの語彙を使って、最小限の変更に
寄ってこの文章を正しくすることができる。
A ? >>587
基礎が酷いという指摘がそんなに予想外
だったのかな?いくらグチャグチャ言っても
それは変わらないよ。 これ答えたほうがいいのかなぁ・・・
そもそも英訳したい文章は何なのよ
>「長いトンネルを抜けると厚く積もった雪が夜の底を白くしていた。」
そもそもこれが川端の文章じゃない
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
この文章をわざわざ日本語も置き換えて、さらに変な英語で置き換えて、その語彙を使って「正しい訳」を出せといわれても、何が言いたいのかわからない
川端の文章の意味を抽出したのが「厚く積もった」とかいう無粋な単語だったら、そもそもその「日本語訳」の時点で川端の文章の魅力が失われていて、なのにそれに対する君の英作文の添削をして、しかも罵倒されるってなんなのよ
添削してもちっとも直ってない文章を「正しくしろ」と堂々と提出してくるし・・・
英文法にも、川端の文章にも、さらにサイデンステッカーの翻訳にも、全てに敬意が払われていない、なんだか馬鹿にするような記載に感じている
悪いけど、学習意欲や川端、サイデンステッカーへの敬意があるならもう少し付き合いますが、そうでないならお付き合いは謹んでお断りさせていただきます >593
592は入試形式に変えてみたんだよ。普通は問いの設定の方が重要なのだが、このように問いを
限定すれば、その能力さえあれば答えられるからね。それはそれで優秀だということだ。 >英文法にも、川端の文章にも、さらにサイデンステッカーの翻訳にも、全てに敬意が払われていない、なんだか馬鹿にするような記載に感じている
何故敬意を持たないのだろう。敬意を持ってもらうにはどう説明すればいいだろう? とはかんがえないのか?
敬意は何故生まれるんだね? >>565
は自信満々だったのに
残念だねえ
文学に自信! Emerging from the long tunnel, he found a thick layer of
snow making the depths of the night white.
こんな感じか。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 遅読家登場!
1ページ読むのに1分くらいかかります...
300ページ大凡5時間 所詮は趣味なんだから速く読む必要なんて全くないよ
映画鑑賞する人が1.5倍速とかで見るかっていうね 一巻本の夜明け前を1日1ページくらい読んでる
5分の1くらい来たが主人公がまだロクに
動き出さないw 全一巻の夜明け前なんてあるんだ?
ハードカバーか? ある程度のスピードで読まないと頭に入らないというか、読解できないような気もする。
ゆっくり読めば、分かるというもんでもない。 何処で辞めても1週間くらい放置したあとでまた読み始めたら、そこからイメージが直ぐに立ち上がってまた面白く読みすすめるのが小説だ。
忘れてしまうような小説はまだ小説と呼べるレベルに達していない。 小説のせいかよ忘れてしまうレベルってモロに主観だし名作でも細部は忘れてる読書が大半だろう いや俺の言葉じゃなくてたしか水村美苗じゃなかったかな。芥川賞だか何だかを選考していて、読んでもイメージの立ち上がらない
酷い小説が多いということの例として言っていたな。だから並みの小説ならどれもこれも忘れたりはしないものってことだろう。
ということは、忘れてしまう俺もお前も小説を読めていないってことかもしれないな。w それは物の言い方だろう
配役の顔が浮かばない映画とか
メロがふと出てこない歌とか
そういう形容をそのまま受け取ってもしょうがない
あくまで水村の読み方であってごく大雑把な
教訓として受け取る以外ない しかしこの言葉を知ってからは色んな本を同時並行読みをしているが、確かにそれでも十分楽しめる。止めた後の余韻を楽しめる
というのもあるし、続きを想像してみたり展開を考えることにもなるし、こういう読み方の方が寧ろ面白いかもしれないと思っている。 多分集中力があまり続かない性質の脳というのもあるのかもしれない。そういう傾向の人が無理やり長編を一気に読もうと
してもうまく行かない。そういう性質に合った読み方をした方がいい。読み方だけでなくて作業などもそういうふうにした
方がうまく行く。例えば所ジョージは同時並行で色んな趣味をやっているようだ。一つのことを2,30分やったら飽きるので
別のことに取り掛かるというようにしているようだ。同時並行するものが次に直ぐに取り掛かれるような状態になっていれば
長く中断しても、結局は継続するので完成する。小説は10冊くらいを平行読みしても十分楽しく読める。中断すると二度と
戻ってこれないようなものもある。それは結局ガラクタになっていく。 若松英輔? @yomutokaku
一昨年、カズオ・イシグロさんと話す機会があった。すでに大作家の風格があったが、
あれほど「作者性」を感じさせない作家に会ったことがない。
自分で作品を書いているというのではなく、「作品」がどこからかやってきて、
それに姿を与えるようだと話していたのが印象的だった。受賞は本当に喜ばしい。
いつも通り、てめえの理屈を言うのに他人を借用してくるだけの
つまらん評論家若松乙w 小説って、楽しむだけのものなのかな?
小説の長所ってなんだろ?
ノンフィクションしか読まない人もいるよね。
小説も、時がたてば忘れてしまうし。
小説を読むメリットは何か?
楽しむだけでいいのかな? 銭湯に浸かって楽しむみたいに、つまりその場限りの。 銭湯の楽しみ自体がその場限りじゃないような気がするけど
湯治的健康効果はさておくとしても、少なくとも思い出ってものが残るでしょう 小説って銭湯のペンキ絵みたいなものかな。ほのぼのするよね。 >>621
長所は色々
でも一番のメリットはやっぱり楽しいから読むんだと思う
よく「文学」だけに限定して考えるから小難しくなるんで
人はなぜ「物語」を欲するのかといえば、楽しみが一番なのは明らか >>621
人生で実体験できる事柄は数が限られてるから。
言わば疑似体験もなきゃ詰まらない >>小説を読むメリットは何か?
楽しんでいる内に読解力や語彙力が身に付く。しかしやはり能力を伸ばすことを考えると過剰に読むなどして負荷をかける
必要がある。負荷をかけないと一定のレベルで落ち着いてそこで止まる。
能力を伸ばすにはストレスをかけた読み方ができるかどうかだろうと思う。小説ではストレスを書けるのが難しい。ただ
ダラダラと楽しんで読んでしまう。だから小説を読まない人よりも読書力は高まるけれども一定のレベル以上には能力は
伸びない。
疑似体験という側面からでも全く同じだ。あまり小説を読まない人よりも多くの体験をするので物知りになる。しかし
読めるレベルは一定段階でとまる。能力が高くなければ深く読むことができない。すると体験レベルは日常体験と同じで
いつも同じレベルの体験になる。小説的な体験が日常体験になりそれ以上深く体験することはできない。
ストレスをかける一つの方法としては、自分で小説を書いてみるというのは良い方法だと思う。書いてみると読み方が
変わってくる。メリットを享受するにはやはり工夫は必要だろう。 ある展開をしてある小説一文で落とす。というのが小説の手法や技法じゃないかな。 >>626
つまり、多読せよってこと?
それとも、読んだ本の感想文を欠けってこと? >>628
最初は同じレベルだったはずなのに趣味レベルで止まってしまう人とプロレベルあるいは世界のトップレベル
になるような人との違いは何かを考えてみたらいい。
考えやすいのはスポーツや楽器のトレーニングだ。こういうものは動作が単純なものが多いし複雑であっても
単純な動作に分解して負荷をかけやすい。マラソンの場合ならとにかく頑張って走る。それだけやっていれば
2,3か月も頑張れば、10kmくらいは楽に走れるようになる。運動をしない人からすると10kmでも
とんでもないほど長い距離だ。しかし一般的ジョガーはスカッとするために毎日10km程度を走る。これが
何よりの楽しみになる。大抵の人はこれで満足する。趣味レベルで落ち着く。もうすこし好奇心の強い人は
フルマラソンに挑戦する。さらに意識的に強めのトレーニングを積まないとフルマラソンを走れるようには
ならない。「楽しい」レベルで走っていても全く伸びない。意識的に心拍数を上げて「苦しい」レベルで
1時間、2時間を走り続ける。「こんな苦しさがあと1時間も続くのか」というような絶望的なトレーニングだ。
徐々にスピードを上げながら1時間を走りきるビルドアップトレーニングというのもある。
負荷をかけたトレーニングをするとドンドン実力がついていく。特に限界を超えるようなトレーニングを
するとあっという間に実力が付いていくのが自覚できる。初めてのフルマラソンを走り切ったら体が軽くなって
楽にスピードが出せるようになるという経験をする人も多い。
読書もマラソンのトレーニングと全く同じだ。最初はがむしゃらに読むだけでいい。そうするとジョガー
レベル、つまり趣味レベルの読書人になれる。しかしプロになろうとすると絶峰的な苦しいトレーニングを
しないと上達しない。ビジネススクールなどだと毎週40冊くらいの課題図書を読み込んで論文を書くという
トレーニング延々と1年間、2年間と続ける。こういう練習をしないとプロレベルには成れない。 >>629
>こういう練習をしないとプロレベルには成れない。
プロってなんのプロだよ
物書きになるには多読した方がいいのは明らかだが プロの読書人になりたい
ひたすら読むだけ
でもあれだな
街角で詩を売る人はまだいるんか まず数学について
写像に挽回不能な欠陥
整数の定義のみで論の展開不能
それから外国語について
翻訳の問題
これからはじっくり哲学史でも読もうかと思う
プラトニズムをよく理解しないまま数学をやってしまった反省と
集合論もやり直し 集合論とか数論はおもろいよな。
俺も一時期ハマったことがある。 >丁寧に読む
読書は格闘技。前歯の2,3ポンでも追ってやろうか? 読書をマラソンにたとえる村上春樹的な鈍感さ
639との共通点は、比喩でしかないイメジを敷衍させる
読書には向いていない「読書家」になりたいワナビの哀れさ >プロってなんのプロだよ
>物書きになるには多読した方がいいのは明らかだが
作家や大学教授は読書のプロだな。ジャーナリストもプロと呼んでいいんでないかな。
ところでNHKの受験生用の番組でニュー弁?というのを見ていたら、速読をやっていた。3人ほど実際に
トレーニングを受けていたが、たった5回のトレーニングでトレーニング前の5倍くらいに伸びていた。
その中の一人蓮は最初から毎分1200位で他の二人よりもかなりスピードがあったけれどもトレーニング後には
3万文字/分だったか驚異的に記録を伸ばしていたな。で蓮が何故こんなに驚異的に記録を伸ばすことができた
のかだよな。蓮は訓練後1週間で40冊読んでいたから、このレベルの速度というのは多読する人からすると
そんなに速いスピードじゃないんだよな。司馬遼太郎なんか小説を書く前に神田で古本をトラック一杯買い込んで
読んでいたというからな。 >読書をマラソンにたとえる村上春樹的な鈍感さ
感受性については違和感を感じれるかどうかが問題になることが多いが、違和感を感じた時にそれを
設問にできるかどうかが決定的に重要だろう。
「馬鹿だから」「鈍感だから」というように、あるいは「面白かった」「楽しかった」というような
感想も同じだが、何故面白かったのか、あるいは何故面白くないのか設問に変えることができない。
先ずそこで行き詰っているから村上春樹が読めない。 放送大学もレベル上げて欲しいなあ。教育学なんかが最高レベルに思う。 ほとんど読書しないと公言している作家がいるときいたけど有名な人? 資料として読むのは飛ばし読みできればいい
からあまり意味ないな
内容をきちんと読む速読は
存在しないっていう研究があるしな 2ch の読書も 書式 フォント 字数が決められているから、
もっといいフリーソフト、サーヴァー、高級な。ホステス。欲しいよね。 この手の武勇伝は
そういう主張をする状況や心理について
語る時には有用だが、そのまま無批判に
持ち出すのはあまり良くない 文優電 いないかな。ファラモヌ 対 恋士。クサャトリヤ なんだか抽象的な読書論が多い気がするけど、要するに読書体験を濃密にしたいんでしょ。
それならペンを3色用意して3回読むのがおすすめ。
たとえば1回目は気になったところに黒で線を引く。
2回目は青。
3回目は赤。
それで短いまとめを空いたところに書いておく。
こうすればよっぽど変な本でない限りほとんど理解できるよ。 濃密なら色々な読み方をするのがおすすめ
注釈を作成する
音読する
暗記する
飛ばし読みする
トイレで読む
文庫とハードカバーを用意する
読まない 3色ペン読書、興味はあるけど本を汚すのがどうしても嫌だ
仕方ないから付箋貼ってる 黄色マーカー。これなら汚れた感じしないのでギリ自分の中で許せるレベル。但し文庫本に限る。 >>653
きちんと本を精読したくて、けれど本を汚したくないならまずノートを作る
で、線を引く代わりにスマホで写真を撮る
もちろん時間はかかるけど、時間をかけてもきちんと読みたいならお勧め
もちろん、自分で書き写すことよりは劣るけれども、そこまでするほどでないと判断した本には携帯でのコピーも悪くない
ゆっくりと時間をかけて作り上げた読書体験と、それを誘発する面白い本を蓄積するのは大事
精読したいけどノートは取れない、時間もかけられない、手間もかけられない人間はいつまでたってもまともに本は読めない ちょっとしたことでもモチベーションが変わってくるから、自分流の読み方に拘るのは重要だと思う。
書き写したり、暗唱すると気が付かなかったところに気が付く。逆に読み飛ばしてザっと俯瞰するほうが
本質が読み取れる場合もある。 本に直接書きこんだ方がはるかに効率的。
ノートやらスマホなんかを見返さずに、一冊で事足りる。
試しに書きこみだらけの本を一冊作ってみて欲しい。
その価値のある古典がブックオフで108円で売ってある。
それから軽い気持ちでどんどん線を引く。
コメントは読書の邪魔を最小限にするためにあらかじめ決めた単語程度にとどめる。
読み終わったらぱらぱら見直して欲しい。
するとこれまで曖昧にしか記憶していなかったシーンやセリフが鮮明に思い出せるだろう。
そして、書きこみによってその本がより理想的になったと気づくだろう。
書きこみはノイズではなくその本をより愛するためのマスタリング作業だ。 >コメントは読書の邪魔を最小限にするためにあらかじめ決めた単語程度にとどめる。
>読み終わったらぱらぱら見直して欲しい。
なるほど! 直観や違和感だけをサッと書き残して、立ち止まって考え込まないで読み続けるということかな。
全体を読み終えた段階でそういう部分の殆どは解決できているが、それでも残っている違和感のようなものが
重要だったりする。 >闇雲に絶叫しながら読む
気持ちいいだろうな。椹野川の井堰の傍で、詩吟を絶叫しているおじさんがいたが俺ならシェークスピアのソネットだろな
とジョギングしながら考えたのを思い出した。
井堰から落ちる水の音で当人にも過ぎていく人にも全く聞こえないのだが対岸に回ると意外に声が
良くとおって絶叫が聞こえたりするんだよな。 同じ本を読むのはなんか、もったいない気がする。
だって、ストーリーはもう知ってしまってるし。
好きな本はそうするよ。でも、小説なんか、中村文則なんかは、何回も読みたいとは思えない。
イヒヒヒヒヒヒヒヒヒ 読んだのをすっかり忘れてしまうんだよね。もったいないのは同じ本を買ってしまうこと >>661
先生。あなたは、もう先生と呼ばれるべきレベルだと思われます。
おいくつの方ですか?失礼でなければお教えください。 書き込んだ本を死後に家族に見られたら恥ずかしいやん >>668
「うわ、こいつの本まっさらやん。飾りで置いとったんか?」という恥ずかしさもある。
>>669
一流シェフ作った料理以外はぜんぶゴミだとも言えるよ。
それは視点が間違ってる。
自分にとって必要な道具なんだから自分にとって意味があればそれでいいんだ。
他人の価値は考えなくていい。 後半はその通りだけどまっさらだから飾りなんて思う奴は頭おかしいでしょ やはり、3色は必要ですかねえ?
斎藤なにがしという教授の本が昔あった気がするが?
有効ですか?3色は??? 同じ本を何回も読み返すのが好きだわ
というか、好きな本は数年に一度自然と読み返したくなる
一度目よりも二度目、二度目よりも三度目のほうが大抵面白く読める
読み返せば読み返すほど内容を深く理解できるから、深く感動できる
基本的にそういう読みかたばかりしてるから「一度読んだらおしまい」というのは感覚として理解できない
特に文学作品なんて、新しい作品を次々と読んでいたら疲れるし、(少なくとも自分の場合は)一度読んだだけでは満足に楽しめない >>673
シャーペンだけで良いよ
消すことも出来るし
引いたページの端を折ると良い
自分も色々試してみたけど、シンプルが一番 >>674
以前うちの子は図書館の本全部読んじゃって…って人がテレビ出てたが
何度も読みたくなるような本には出会えなかったか… しかし、普通に小説なんかは、ストーリーを求めるんじゃない?
1度物語の筋が分かったら、つまんないでしょ。
でも、確かに好きな映画は何度も見返すなあ。まあ、全体というより好きな部分だけどね。 2度目よりも3度目が何で面白いのか、興味があります。
もっと、意見を聞かせてください。 今裸のランチという小説を何回か読んでますが、だんだんと謎が解けつつあって、読むたびに興味のレベルが増しています。
初読でテーマを把握してもう一度読むと、作者の細かな工夫に気づきやすいので、何度も読むのが好きです。 専門書を何度も辞書的に引いて読むな。
あれはどうだっけ?て感じで へえ、皆さん本に書き込むのか
自分はなるたけまっさらのままにするけどね 書くとしても余白に鉛筆でだな。
余白なら薄い鉛筆書きでも充分に目立つしな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています