本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ 同じ本を読むのはなんか、もったいない気がする。
だって、ストーリーはもう知ってしまってるし。
好きな本はそうするよ。でも、小説なんか、中村文則なんかは、何回も読みたいとは思えない。
イヒヒヒヒヒヒヒヒヒ 読んだのをすっかり忘れてしまうんだよね。もったいないのは同じ本を買ってしまうこと >>661
先生。あなたは、もう先生と呼ばれるべきレベルだと思われます。
おいくつの方ですか?失礼でなければお教えください。 書き込んだ本を死後に家族に見られたら恥ずかしいやん >>668
「うわ、こいつの本まっさらやん。飾りで置いとったんか?」という恥ずかしさもある。
>>669
一流シェフ作った料理以外はぜんぶゴミだとも言えるよ。
それは視点が間違ってる。
自分にとって必要な道具なんだから自分にとって意味があればそれでいいんだ。
他人の価値は考えなくていい。 後半はその通りだけどまっさらだから飾りなんて思う奴は頭おかしいでしょ やはり、3色は必要ですかねえ?
斎藤なにがしという教授の本が昔あった気がするが?
有効ですか?3色は??? 同じ本を何回も読み返すのが好きだわ
というか、好きな本は数年に一度自然と読み返したくなる
一度目よりも二度目、二度目よりも三度目のほうが大抵面白く読める
読み返せば読み返すほど内容を深く理解できるから、深く感動できる
基本的にそういう読みかたばかりしてるから「一度読んだらおしまい」というのは感覚として理解できない
特に文学作品なんて、新しい作品を次々と読んでいたら疲れるし、(少なくとも自分の場合は)一度読んだだけでは満足に楽しめない >>673
シャーペンだけで良いよ
消すことも出来るし
引いたページの端を折ると良い
自分も色々試してみたけど、シンプルが一番 >>674
以前うちの子は図書館の本全部読んじゃって…って人がテレビ出てたが
何度も読みたくなるような本には出会えなかったか… しかし、普通に小説なんかは、ストーリーを求めるんじゃない?
1度物語の筋が分かったら、つまんないでしょ。
でも、確かに好きな映画は何度も見返すなあ。まあ、全体というより好きな部分だけどね。 2度目よりも3度目が何で面白いのか、興味があります。
もっと、意見を聞かせてください。 今裸のランチという小説を何回か読んでますが、だんだんと謎が解けつつあって、読むたびに興味のレベルが増しています。
初読でテーマを把握してもう一度読むと、作者の細かな工夫に気づきやすいので、何度も読むのが好きです。 専門書を何度も辞書的に引いて読むな。
あれはどうだっけ?て感じで へえ、皆さん本に書き込むのか
自分はなるたけまっさらのままにするけどね 書くとしても余白に鉛筆でだな。
余白なら薄い鉛筆書きでも充分に目立つしな。 立ち読み書が今日も多かったけど、資格試験なんて短絡的だよなあ。 >>654
おれ逆だわ
本もゲームも、まず一度しか見ない
すでに筋をしっちゃってるから2回目以降は1回目に勝てない どっさり積み重なりし紙の集積物よ
汝が連ねることばたちの魔力よ
嗚呼 >2度目よりも3度目が何で面白いのか、興味があります。
掘り下げて読めるかどうかじゃないのかな。知的な人ほど繰り返して読む本が多いという傾向あると思う。
興味が沸かなくても、ある程度は無理してでも繰り返して読んでみるといいのではあるまいか?
というのも掘り下げたところに本当に美味しいものが埋まっている。
先ずは本を読めない人がいる。これはどうしようもない。
本を読むけどあまり身に付かないという人。ただ一時の娯楽として消化するだけ。
それから深く読める人。本に陶酔できる人。読書が無上の喜びというような人。
本が与えてくれる喜びは本の中にあるのではなくて、本を読むことによって自分の中に喚起されるものだから
受動的に読むだけでは限定的になると思う。思考することで能動的に読む必要がある。 若い頃熱中して読んだキングを今読み返すとつまらない
好みが変わってることに気づく そう。なんか波長の合わせ方があるような気がする。読書なれしていないと、感受性のダイナミックレンジが
非常に狭い。だから共感できるできるものが限られてくる。そういう場合は何かしらのバイアスをかけて共感
の取っ掛かりを見つけると読めるようになる。バイアスは恐ろしく簡単なことでいい。自分と同じで猫がすき
だとか、同じコンサートに出かけたことがあるとか、好みの服が同じとか、なんでもいい。講演会に出かけたり
すると一発で好きになる。 >>699
関係ないが「IT」のリメイク映画観たら
拷問なみの詰まらなさだった。
原作を今読んだらどうなんだろうか、
とふと思ったので… ちなみに、112263とかUnder the domeは
最近読んで超が付くほど面白かった 原作おもしろいよ
最後子供同士で○○○するのは映画ではどうなってるんだろ?
あとキングなら霧はくそ面白い キングはプロットや演出がアメドラとかで
大量消費されたから退屈なのかも
今はキング全盛期と違って
アメリカ映画や質の高いドラマを安く大量に見れるから
超能力モノとか本で読もうと思わない いやそれが、今度の「IT」って映像的にはクオリティー高いんだが
殺人ピエロをいくらリアルに見せられても全然怖くないんだな。
後半はひたすら「もうわかったから早くくたばれよ糞
ピエロ」
って感じで退屈で堪らなかった。お化け屋敷感が半端ない。
やっぱキングのホラーは文章の表現力のほうが上だよ。 やっぱラストは蜘蛛の化け物に変身するん?
前の映画は原作に忠実なのにそこを批判されたからな 速読ほどうさんくさい技能もない
特に文学作品を自慢気に速読している奴等は生理的に受付ないLevel
文学作品を速読するのは美術館を早歩きで駈けぬけるようなもの そういうのはなろう小説が適している
これは何の偏見とも関係ないガチの話 源氏物語の現代語訳でおすすめは何?
一杯出ててわからないので誰か教えて 瀬戸内か谷崎ぐらいしかしらない。女性のほうがいいと思うけど。 買って読まない自分が嫌になる今日この頃です。若いころは速読で理解出来ましたが、最近は遅読で、痴呆症のせいか文脈ごとに理解できません(昔からかw) >>684
ワイもこれ
読み返すときに内容に集中できなくなる >>605
1.5倍速で見たハクソーリッジでわんわん泣いちゃった... いろんな作家を幅広く読むのと、気に入った作家を
繰り返し繰り返し読み込んでいくのはどっちがいいんやろか? 幅広いが少数の本を繰り返し読むために
多読をするのがオススメ
大事な本はせいぜい20冊くらいで人生終わりだ
俺は英語小説をたくさん読むが
陸放翁鑑賞は生涯手元に置いて読む 林修は東大法学部だし当然ノンフィクションばかり読むだろと思ったらフィクションばっかり読むって。
自分も小説書いてんだっけ。そんで電話がポケベルになりケータイになりスマホになりって
進化してるんで作品も書き換えなきゃならないとかいつデビューするの!?今でしょ!なんてことはないのか… SFの古典、フィリップKディックの短編読んでるけど
磁気テープとか出てくるけど、全然気にならない
プロットの組立がしっかりしてて文才があれば面白い 「日本軍兵士」吉田裕著、中公新書、
太平洋戦争中の日本軍兵士の戦死の実態を著した本
餓死率、自殺率が非常に高かった、海で没した兵隊が30万人もいた等の事実 >>721
たしか加藤周一の本に書いてあったが、一人の作家と付き合っていくのが良いよなあ
一回読んだらそいつの思考とか文体とか、そいつの使う言葉の定義なんかが分かってくる
だから二冊目以降はやく読める
小林秀雄くんは気に入った作家は読み尽くしたらしい
参考書と同じで
あれこれ読んで勉強するよりも一冊を読み込む方が良いよな
でもその良い一冊を見つけるのが難しいんだがね 大江も同じような事を言ってたよね。若いうちに一人の作家の全集を読むべきだって言ってなかった? 「反共感論、共感≠善」
ポール・ブルーム著、高橋洋訳、
共感に基づく考えが不平等や差別を生み出している。
心理学、脳科学でその危険な本性に迫る。
2,600円、
白揚社 全集なんて手に入れるの簡単じゃんか
。順番に読むのもアホだし。 大川周平著、
『 日本二千六百年史 』
たちまち16刷、新書版、1,100円+税、 普通に文学、読書本として読んでも面白いと思います。
そして、もし真実だと確信できたら、人生の莫大な財産となると思います。
2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本でもベストセラー、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
昔六本木の東日ビルの地下にあった本屋でカバー掛けをお願いしたときのこと。その店員折り目の着いてないまっさらのカバーを取りだして本のサイズに合わせて折り目をつけ、ペーパーナイフでスパスパッと余分なところを切りとってカバーをかけた。
その手際の鮮やかなこと!俺は思わず「うわ、スゲェ」ってうめき声を上げた。オッサン店員のはにかんだような、少し得意気な表情が忘れられない。感じ入ったまま地上に出たら、ムッシュかまやつに出会った。 東日ビル懐かしい、waveとかも
確か交差点の所にあった誠志堂の支店だったよな 良い本を読むと読後は突然賢くなった気がするが、直ぐに元の木阿弥で、読書って思ったほど身に付かない。
またそういう本を繰り返し読めばよいのだろうが、繰り返し読むというのも何となくかったるい。
俺がこんな調子だから皆もそうなんだろうと思う。しかし読書するごとにドンドン賢くなっていくタイプと
いうのもいるのではあるまいか? 身近にそんなやつがいないので、どういう読み方をしているのか知らないが
例えば、内田樹とかもとはといえばそんなに特別に賢い部類ではないのでは無かったのではと思う。その片鱗が
偶に感じられるような気がする。しかし今では尊敬に値する人格者だと思うし、当代随一の評論家だと思う。
彼を作っているのは紛れもなく読書だろうと思う。彼の読書方法には自分のようなものの読み方とは根本的に
違うところがある。それが彼をここまで成長させている。 若者は「小説読んで何が得られるの?」って普通に言うよね。何も得られないというのが正解なんじゃないかな。みんな楽しいからこそ読んできたんだと思うよ昔から。 得られないじゃない
マイナスなんだよ
アホだなあw じゃあ生きてること自体も「マイナス」なんじゃないの ある意味正しいが、間違ってもいる。全く練習もしないで自由自在にバイオリンを弾く人がいる。
彼にとってバイオリンは楽しんでいるだけだ。「何が得られるか?」などとは考えない。しかし一方で50代で
バイオリンを志して10年の激しい練習を積んで自在に弾けるようになった人もいる。彼にとってバイオリンの
練習は「何が得られるか」を語るだけの価値のある体験だ。
自在に読書できること、自在に楽しめることそれ自体が得られるものであってそれ以上のものではない。
そうだとしても最初から自在なわけではない。バイオリンの天才でも努力家でもそれは同じだ。一方は
恐ろしく効率的に学習したので、努力して学習した感覚がないだけだ。だからそれについて語ることはできない。 作家や批評家として読むのと、読者として読むのは違うかもね。 326 名前:花火 ◆jMU6lAIwAY [sage] :2018/02/25(日) 10:50:28.64 ID:z36QAm4Y
>>325
維新長谷川豊の医療費に関する意見は正論だよね。
人工透析は完全実費にしろさもなければ死ねって
癌、脳梗塞、心臓病、糖尿病、これらの多くは
個人の乱れた生活習慣によって引き起こされる。
不摂生な生活をする奴らを血税で助ける必要は
ない。 一時期瞑想に凝ったことがある。「これはなにかある。莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」
ということで、毎朝瞑想をした。ほぼ1年間つづけてみた。で結論を言うと確かに何かを得た。莫大なものではない
が、確かな何かだ。
しかしその何かは多分毎朝読書したとしても同じように得たかもしれない。いや読書では無理だったかもしれない。
付け加えるといま瞑想はしていない。辞めた。なぜ辞めたのか? これも一つの結論だ。しかしまた始めるかもしれない。
ところで読書というのは「莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」という何かがあるという気がする。
でも坐るだけでは瞑想に到達しないのと同じように、読むだけではそれには到達できない。それを得ることはできない。
読み方がある。 吾嘗て終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ。
益無し。学ぶに如かざるなり 本を読む博識なのに高卒
高卒だけど本を読むじゃなくて、本を読む人間なのに高卒になってしまった
小説は読みません。時間の無駄だと昔に言われて
意味が分からなかったけど今は分かる。時間のも掛かるし、全部読まなければ行けない
本を買う金がないのでネットで学習してる。初歩的な知識はネットでも手に入るのだ >>728
そういうのは直接本人に会ったりするのが分かりやすいと思う
本と言うのは「人」なんだ。個人が書いてるから何でもあるわけじゃないし、
傾向や癖と言うものもあるんだと ケント・ギルバート著、
「中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇 」
840円、講談社、
世界は「中華思想」という亡霊に振り回されている。 ピーター バラカンとか フランクルとか フロム の方がいいのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています