本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ そういうのはなろう小説が適している
これは何の偏見とも関係ないガチの話 源氏物語の現代語訳でおすすめは何?
一杯出ててわからないので誰か教えて 瀬戸内か谷崎ぐらいしかしらない。女性のほうがいいと思うけど。 買って読まない自分が嫌になる今日この頃です。若いころは速読で理解出来ましたが、最近は遅読で、痴呆症のせいか文脈ごとに理解できません(昔からかw) >>684
ワイもこれ
読み返すときに内容に集中できなくなる >>605
1.5倍速で見たハクソーリッジでわんわん泣いちゃった... いろんな作家を幅広く読むのと、気に入った作家を
繰り返し繰り返し読み込んでいくのはどっちがいいんやろか? 幅広いが少数の本を繰り返し読むために
多読をするのがオススメ
大事な本はせいぜい20冊くらいで人生終わりだ
俺は英語小説をたくさん読むが
陸放翁鑑賞は生涯手元に置いて読む 林修は東大法学部だし当然ノンフィクションばかり読むだろと思ったらフィクションばっかり読むって。
自分も小説書いてんだっけ。そんで電話がポケベルになりケータイになりスマホになりって
進化してるんで作品も書き換えなきゃならないとかいつデビューするの!?今でしょ!なんてことはないのか… SFの古典、フィリップKディックの短編読んでるけど
磁気テープとか出てくるけど、全然気にならない
プロットの組立がしっかりしてて文才があれば面白い 「日本軍兵士」吉田裕著、中公新書、
太平洋戦争中の日本軍兵士の戦死の実態を著した本
餓死率、自殺率が非常に高かった、海で没した兵隊が30万人もいた等の事実 >>721
たしか加藤周一の本に書いてあったが、一人の作家と付き合っていくのが良いよなあ
一回読んだらそいつの思考とか文体とか、そいつの使う言葉の定義なんかが分かってくる
だから二冊目以降はやく読める
小林秀雄くんは気に入った作家は読み尽くしたらしい
参考書と同じで
あれこれ読んで勉強するよりも一冊を読み込む方が良いよな
でもその良い一冊を見つけるのが難しいんだがね 大江も同じような事を言ってたよね。若いうちに一人の作家の全集を読むべきだって言ってなかった? 「反共感論、共感≠善」
ポール・ブルーム著、高橋洋訳、
共感に基づく考えが不平等や差別を生み出している。
心理学、脳科学でその危険な本性に迫る。
2,600円、
白揚社 全集なんて手に入れるの簡単じゃんか
。順番に読むのもアホだし。 大川周平著、
『 日本二千六百年史 』
たちまち16刷、新書版、1,100円+税、 普通に文学、読書本として読んでも面白いと思います。
そして、もし真実だと確信できたら、人生の莫大な財産となると思います。
2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本でもベストセラー、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
昔六本木の東日ビルの地下にあった本屋でカバー掛けをお願いしたときのこと。その店員折り目の着いてないまっさらのカバーを取りだして本のサイズに合わせて折り目をつけ、ペーパーナイフでスパスパッと余分なところを切りとってカバーをかけた。
その手際の鮮やかなこと!俺は思わず「うわ、スゲェ」ってうめき声を上げた。オッサン店員のはにかんだような、少し得意気な表情が忘れられない。感じ入ったまま地上に出たら、ムッシュかまやつに出会った。 東日ビル懐かしい、waveとかも
確か交差点の所にあった誠志堂の支店だったよな 良い本を読むと読後は突然賢くなった気がするが、直ぐに元の木阿弥で、読書って思ったほど身に付かない。
またそういう本を繰り返し読めばよいのだろうが、繰り返し読むというのも何となくかったるい。
俺がこんな調子だから皆もそうなんだろうと思う。しかし読書するごとにドンドン賢くなっていくタイプと
いうのもいるのではあるまいか? 身近にそんなやつがいないので、どういう読み方をしているのか知らないが
例えば、内田樹とかもとはといえばそんなに特別に賢い部類ではないのでは無かったのではと思う。その片鱗が
偶に感じられるような気がする。しかし今では尊敬に値する人格者だと思うし、当代随一の評論家だと思う。
彼を作っているのは紛れもなく読書だろうと思う。彼の読書方法には自分のようなものの読み方とは根本的に
違うところがある。それが彼をここまで成長させている。 若者は「小説読んで何が得られるの?」って普通に言うよね。何も得られないというのが正解なんじゃないかな。みんな楽しいからこそ読んできたんだと思うよ昔から。 得られないじゃない
マイナスなんだよ
アホだなあw じゃあ生きてること自体も「マイナス」なんじゃないの ある意味正しいが、間違ってもいる。全く練習もしないで自由自在にバイオリンを弾く人がいる。
彼にとってバイオリンは楽しんでいるだけだ。「何が得られるか?」などとは考えない。しかし一方で50代で
バイオリンを志して10年の激しい練習を積んで自在に弾けるようになった人もいる。彼にとってバイオリンの
練習は「何が得られるか」を語るだけの価値のある体験だ。
自在に読書できること、自在に楽しめることそれ自体が得られるものであってそれ以上のものではない。
そうだとしても最初から自在なわけではない。バイオリンの天才でも努力家でもそれは同じだ。一方は
恐ろしく効率的に学習したので、努力して学習した感覚がないだけだ。だからそれについて語ることはできない。 作家や批評家として読むのと、読者として読むのは違うかもね。 326 名前:花火 ◆jMU6lAIwAY [sage] :2018/02/25(日) 10:50:28.64 ID:z36QAm4Y
>>325
維新長谷川豊の医療費に関する意見は正論だよね。
人工透析は完全実費にしろさもなければ死ねって
癌、脳梗塞、心臓病、糖尿病、これらの多くは
個人の乱れた生活習慣によって引き起こされる。
不摂生な生活をする奴らを血税で助ける必要は
ない。 一時期瞑想に凝ったことがある。「これはなにかある。莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」
ということで、毎朝瞑想をした。ほぼ1年間つづけてみた。で結論を言うと確かに何かを得た。莫大なものではない
が、確かな何かだ。
しかしその何かは多分毎朝読書したとしても同じように得たかもしれない。いや読書では無理だったかもしれない。
付け加えるといま瞑想はしていない。辞めた。なぜ辞めたのか? これも一つの結論だ。しかしまた始めるかもしれない。
ところで読書というのは「莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」という何かがあるという気がする。
でも坐るだけでは瞑想に到達しないのと同じように、読むだけではそれには到達できない。それを得ることはできない。
読み方がある。 吾嘗て終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ。
益無し。学ぶに如かざるなり 本を読む博識なのに高卒
高卒だけど本を読むじゃなくて、本を読む人間なのに高卒になってしまった
小説は読みません。時間の無駄だと昔に言われて
意味が分からなかったけど今は分かる。時間のも掛かるし、全部読まなければ行けない
本を買う金がないのでネットで学習してる。初歩的な知識はネットでも手に入るのだ >>728
そういうのは直接本人に会ったりするのが分かりやすいと思う
本と言うのは「人」なんだ。個人が書いてるから何でもあるわけじゃないし、
傾向や癖と言うものもあるんだと ケント・ギルバート著、
「中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇 」
840円、講談社、
世界は「中華思想」という亡霊に振り回されている。 ピーター バラカンとか フランクルとか フロム の方がいいのに。 手元に置きたいんだよ。読んでも忘れるし
繰り返し読まなければ ただ、初心者用の本とかってある程度時間が経つとごみになるんだよな
当たり前すぎて価値がなくなる
まぁ基本は最初から最後まで重要なはずだけど 読書
それこそが
人生最高の
選択肢!
読むものに
幸いあれ! >>1
本はノートや教科書じゃない
線を引く・角を折る・記録を付けるなんてもってのほか もとはもってのほかだったんだけどね
調べ物してたら折ったり書いたりするようになった
そうするとよりわかりやすいから >>772
本も道具だよね。
身についてナンボだと思う。 先日漢文解釈辞典の新品を手に入れたが
勿体なくて書き込みできないわ バンバン書き込み何度も読んで古文書みたいにヨレヨレになった本は愛着が湧く。
古書店で同じ本のほぼ新品を見かけるともとはこんな綺麗なのか!?て驚く 2chやってると馬鹿にすぐ煽られてるよな
馬鹿は長文読めないし
スマホのせいでPC使えない馬鹿どもが流入してるよな
ここは読書家の多い場所なのでそうでもないのだろうか? 読解力は長文アレルギーにも強い
PCの取説(?)も読めるからノートパソコンの使い方くらいはすぐに分かる(ゲーム式自作PCは知らん)
特に小説とか読んでいると他人の振る舞いに許容力が産まれる
…そんなところか? 買った本が古くなるのに耐えられない
読む気がどんどん薄れてくる
読んだ本はすぐ処分するって
ビートたけしが昔エッセーに書いてあったが
ああわかるなあと
買って長くても1週間以内に読まないと
鮮度がおちてもう読めなくなるな
単純に本が汚れたり痛んだりする時点で読む気が失せるのと
飽きるのと他の本に興味が移っちゃってるのと
だから古本ってのもだめだし、本棚に入れちゃうともうだめ
ツン読はなぜか許容範囲というのも本自体は傷んでなくて
全く目を通してなければね
書店カバーがついてるうちに読みきらないと
次からモチベーションが信じられないくらいに落ちる
しおりをそのつど細切れで挟むっていう読み方も
もう何日もたつと再度読み返せなくなるんだな
なんだろうね
参考書もそういうところがある
同じテキストを繰り返し使うのが王道っていうが
そういう考えも、飽きと本の汚れで耐えられなくなる。
参考書は多読主義 並読主義な俺
印象的な夢を見せてくれたのはどっちの本?とちょっと悩む残念な俺 露伴の運命がいつになっても全然読めない
誰か助けてくれ >>784
同じく
毎回3ページくらいでそっ閉じする 訓読も古文も基本プラス
読み慣れしないと太刀打ちできないわ
注釈多い本を用意したがまだ読んで楽しめるのは
先だな >>780
俺、新版じゃない「アルジャーノンに花束を」でそれやられた 本や読書について
最近は昔の本をダブ読みしているぐらいだが、本を一度に読むことはできす、何度も読むと最初の印象は忘れているが、新しい見解に届くこともよくある。本は便利な
ツールだが古来から危険なものとよく言われてきた、何が危険かというと紙の媒体に
知覚感覚を限定してしまうとき、そういったものの抑制や切れ目、ができてしまうところにあると思う。ある種の分裂思考で会って、そのことは本や読書という人生のページを開くときに覚えておくとよい。何も共産主義にかぶれなくても
読書は危険なのだ。本や読書が楽しいのは子供の時に限らず大人になると大人の様な辛口の視点が植えつくから、現時点では読書は生涯楽しめる趣味といっていいものだと思う。趣味程度のことだから、何もあれを読んだこう読んだと
自慢げに語る必要もないが、本や読書自体は東洋では兵法に役立つもの、日本においては歌風においては戦に役立つものと、珍重されてきた。書を読むときはよく覚えいつ引用するか
という当たり前のことについて、よく心にとどめておくべきだが、物覚えが悪くなれば、いつも本を選んで携帯し記憶装置に使うことも一つの利便としてあるだろう。 0924 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/04/03 03:16:27
どうも昭和の終わり〜2000ひと桁あたりまでは「辞書ってまだ不完全かも」「情報の調査や採取が不完全かも」という認識が薄い人が多かったんじゃないか
所謂「地頭力(←じあたまりょく、ほぼ死語だなもう…)」のある人は、自力で「辞書って収録されてない言葉もあるし各社で内容が違ったりするしそこまで信用できないよね」って気付くんだが
深く考えない愚民は「辞書に書いてあるから」で信じてしまう
最終的に、ネット上では言葉を自由自在に使いこなせる正常な人が、
「辞書に載っていない言葉を使うな!」とかわけの分からない事を喚く大馬鹿に襲われる事さえ起こり始めた
ここ数年は辞書メーカーの出版社も教育界も「根拠のない誤用狩りはまずい」と思って対策を取り始めてるんじゃないか?
0926 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/04/03 07:33:38
「辞書に書いてない言葉は死語か新語か誤用」っていう世界観の人時々本当に居て怖い 本は所有してることに意味があるのだよ
CDに並ぶCDのようにな
金があったら本とCDを集めたい >>791
だが、最近戦後の言葉を操れている人がどれだけいるか怪しいから、辞書を疑う前にもっとたくさん辞書を引いた方がいいと思う
辞書を疑うのはそれからだ
そもそも言葉は口伝えで伝承されていくものだったから現代のように流行語が氾濫する前は言葉の変化が緩やかだったのではと 刺激の少ない文字の読めない村落はみんな
同じ言葉遣いで語彙も少なかっただろう
無論その狭いなかで位相があるのだが 高校の頃からナショナルジオグラフィックを読んでいた
知的人間だったのに、落ちぶれてしまった・・・ ●小林美希著、「ルポ・保育格差」
岩波新書、840円+税、
待機児童だけではない、見過ごされる虐待の実態。
疲弊する保育士たち、孤立する保護者、
保育所は選べない
なのに、人生最初の数年間で運次第で。こんな格差。 >>793
ブックオフに単行本を持ち込んだが全て5円だった。w
チリ紙交換レベルだな。 郵送で売れるなんて初めて知った。一体全体誰が買うんだ?
ヤフオクとかamazonとかで売るってことかな? 読書が趣味というのは馬鹿っぽく聞こえる。同じ読書でも「英米文学を読むのが趣味」とか「推理小説を読むのが趣味」
というならまた別の響きがある。なので趣味を表現するときに読書に関わることであっても読書という言葉はあまり
使わない方がいい。目標の定まらない読書というのは宣伝されることや氾濫する雑多な情報ノイズをそのまま真に
受けてフラフラと読み続ける主体性がなく未熟で判断力の無い能無しをイメージしてしまう。 読書とは主体性のない本の読み方で、新聞の読書欄に紹介された本を読むことに代表される。だから殆どの場合は
字面を読んで音声に変換しただけに終わる。多少は感動が残る場合もあるが三日もすれば跡形もなく消える全く
無意味な行為だ。
マラソンの本を20冊読んでそれを理解したなら、読書で終わることはなくてマラソンに向かう。読書という
行為は終わってマラソンという行為に変化する。もし読書が消えずにそのまま続くなら「解っていない」からだ。
それは無意味な行為だといえる。つまり読書家とは無意味な行為を続ける人々だ。 読書とは記憶装置の使い方、テクスタルメモリーを覚え、駆使することにもある。
暗唱暗記では限界があるからさ。 高校の参考書や、大学の教科書、資格試験向けの基本テキスト
百科事典、辞書、六法全書、マナーのハウツー本、旅行ガイドやなんかを読むのが
一番正しい読書だってわかったわ
文章を味わうための読書とかインテリになるための読書だんだんしなくなるし
(詩、俳句、短歌はいいとして、新書や小説、論文、評論は遠ざかる)
知識を中立的に仕入れる読書を読書といわない傾向があるが
中立的な事実の網羅を中立的に仕入れて
自分の頭で考える
新聞なら社説やコラムなんか絶対読まないで、見出と市況とテレビ欄とスポーツの結果と訃報
だけしか目を通さなくなるってのは、年をとればとえうほどそうなるのもしかり
つまんない作者のフィルターを通すとかは
やっぱたまにやるぶんにはいいけどそこが目的になるのはよくないよな
読書家ってのはそういう作業いっぱいやってことと捕らえられてんろうけど
俺は相容れないな
ってかそういうふうにある年齢とともに思考が転換してきた 本には思い入れが生ずる。それには価値がありぞんざいに扱われてはならないものだ。
しかし、bookoffは本を紙屑同然にしか見ない。どうせゴミなのだから5円でも十分だ。引き取ってやる
からドンドンもってこいという態度だ。古本の文化を無茶苦茶にしてしまった。
bookoffはゴミ置き場みたいなものと考えて掘り出し物を探すのがいい。100円以上の本は意地でも
買わない。暫く待っているとゴミは溢れてくるのですぐに100円になる。 趣味はいくらでもあるが、仕事は何をしたらいいのか
何を職とするか。勉強やスキルのいることをやるのか、
誰にでもできることや組織に寄りかかって生きるのか
ま、その方が楽だよな。安定、高給、寄り掛かり
趣味に関連する仕事をするのか、全然関係ないことをやるのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています