本や読書について [無断転載禁止]©2ch.net
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線を引く・角を折る・記録を付けるなどの初歩的なことから
遅読速読や蔵書の仕方までなんでもどうぞ 良い本を読むと読後は突然賢くなった気がするが、直ぐに元の木阿弥で、読書って思ったほど身に付かない。
またそういう本を繰り返し読めばよいのだろうが、繰り返し読むというのも何となくかったるい。
俺がこんな調子だから皆もそうなんだろうと思う。しかし読書するごとにドンドン賢くなっていくタイプと
いうのもいるのではあるまいか? 身近にそんなやつがいないので、どういう読み方をしているのか知らないが
例えば、内田樹とかもとはといえばそんなに特別に賢い部類ではないのでは無かったのではと思う。その片鱗が
偶に感じられるような気がする。しかし今では尊敬に値する人格者だと思うし、当代随一の評論家だと思う。
彼を作っているのは紛れもなく読書だろうと思う。彼の読書方法には自分のようなものの読み方とは根本的に
違うところがある。それが彼をここまで成長させている。 若者は「小説読んで何が得られるの?」って普通に言うよね。何も得られないというのが正解なんじゃないかな。みんな楽しいからこそ読んできたんだと思うよ昔から。 得られないじゃない
マイナスなんだよ
アホだなあw じゃあ生きてること自体も「マイナス」なんじゃないの ある意味正しいが、間違ってもいる。全く練習もしないで自由自在にバイオリンを弾く人がいる。
彼にとってバイオリンは楽しんでいるだけだ。「何が得られるか?」などとは考えない。しかし一方で50代で
バイオリンを志して10年の激しい練習を積んで自在に弾けるようになった人もいる。彼にとってバイオリンの
練習は「何が得られるか」を語るだけの価値のある体験だ。
自在に読書できること、自在に楽しめることそれ自体が得られるものであってそれ以上のものではない。
そうだとしても最初から自在なわけではない。バイオリンの天才でも努力家でもそれは同じだ。一方は
恐ろしく効率的に学習したので、努力して学習した感覚がないだけだ。だからそれについて語ることはできない。 作家や批評家として読むのと、読者として読むのは違うかもね。 326 名前:花火 ◆jMU6lAIwAY [sage] :2018/02/25(日) 10:50:28.64 ID:z36QAm4Y
>>325
維新長谷川豊の医療費に関する意見は正論だよね。
人工透析は完全実費にしろさもなければ死ねって
癌、脳梗塞、心臓病、糖尿病、これらの多くは
個人の乱れた生活習慣によって引き起こされる。
不摂生な生活をする奴らを血税で助ける必要は
ない。 一時期瞑想に凝ったことがある。「これはなにかある。莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」
ということで、毎朝瞑想をした。ほぼ1年間つづけてみた。で結論を言うと確かに何かを得た。莫大なものではない
が、確かな何かだ。
しかしその何かは多分毎朝読書したとしても同じように得たかもしれない。いや読書では無理だったかもしれない。
付け加えるといま瞑想はしていない。辞めた。なぜ辞めたのか? これも一つの結論だ。しかしまた始めるかもしれない。
ところで読書というのは「莫大な何かを手中に収めることができるかもしれない」という何かがあるという気がする。
でも坐るだけでは瞑想に到達しないのと同じように、読むだけではそれには到達できない。それを得ることはできない。
読み方がある。 吾嘗て終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ。
益無し。学ぶに如かざるなり 本を読む博識なのに高卒
高卒だけど本を読むじゃなくて、本を読む人間なのに高卒になってしまった
小説は読みません。時間の無駄だと昔に言われて
意味が分からなかったけど今は分かる。時間のも掛かるし、全部読まなければ行けない
本を買う金がないのでネットで学習してる。初歩的な知識はネットでも手に入るのだ >>728
そういうのは直接本人に会ったりするのが分かりやすいと思う
本と言うのは「人」なんだ。個人が書いてるから何でもあるわけじゃないし、
傾向や癖と言うものもあるんだと ケント・ギルバート著、
「中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇 」
840円、講談社、
世界は「中華思想」という亡霊に振り回されている。 ピーター バラカンとか フランクルとか フロム の方がいいのに。 手元に置きたいんだよ。読んでも忘れるし
繰り返し読まなければ ただ、初心者用の本とかってある程度時間が経つとごみになるんだよな
当たり前すぎて価値がなくなる
まぁ基本は最初から最後まで重要なはずだけど 読書
それこそが
人生最高の
選択肢!
読むものに
幸いあれ! >>1
本はノートや教科書じゃない
線を引く・角を折る・記録を付けるなんてもってのほか もとはもってのほかだったんだけどね
調べ物してたら折ったり書いたりするようになった
そうするとよりわかりやすいから >>772
本も道具だよね。
身についてナンボだと思う。 先日漢文解釈辞典の新品を手に入れたが
勿体なくて書き込みできないわ バンバン書き込み何度も読んで古文書みたいにヨレヨレになった本は愛着が湧く。
古書店で同じ本のほぼ新品を見かけるともとはこんな綺麗なのか!?て驚く 2chやってると馬鹿にすぐ煽られてるよな
馬鹿は長文読めないし
スマホのせいでPC使えない馬鹿どもが流入してるよな
ここは読書家の多い場所なのでそうでもないのだろうか? 読解力は長文アレルギーにも強い
PCの取説(?)も読めるからノートパソコンの使い方くらいはすぐに分かる(ゲーム式自作PCは知らん)
特に小説とか読んでいると他人の振る舞いに許容力が産まれる
…そんなところか? 買った本が古くなるのに耐えられない
読む気がどんどん薄れてくる
読んだ本はすぐ処分するって
ビートたけしが昔エッセーに書いてあったが
ああわかるなあと
買って長くても1週間以内に読まないと
鮮度がおちてもう読めなくなるな
単純に本が汚れたり痛んだりする時点で読む気が失せるのと
飽きるのと他の本に興味が移っちゃってるのと
だから古本ってのもだめだし、本棚に入れちゃうともうだめ
ツン読はなぜか許容範囲というのも本自体は傷んでなくて
全く目を通してなければね
書店カバーがついてるうちに読みきらないと
次からモチベーションが信じられないくらいに落ちる
しおりをそのつど細切れで挟むっていう読み方も
もう何日もたつと再度読み返せなくなるんだな
なんだろうね
参考書もそういうところがある
同じテキストを繰り返し使うのが王道っていうが
そういう考えも、飽きと本の汚れで耐えられなくなる。
参考書は多読主義 並読主義な俺
印象的な夢を見せてくれたのはどっちの本?とちょっと悩む残念な俺 露伴の運命がいつになっても全然読めない
誰か助けてくれ >>784
同じく
毎回3ページくらいでそっ閉じする 訓読も古文も基本プラス
読み慣れしないと太刀打ちできないわ
注釈多い本を用意したがまだ読んで楽しめるのは
先だな >>780
俺、新版じゃない「アルジャーノンに花束を」でそれやられた 本や読書について
最近は昔の本をダブ読みしているぐらいだが、本を一度に読むことはできす、何度も読むと最初の印象は忘れているが、新しい見解に届くこともよくある。本は便利な
ツールだが古来から危険なものとよく言われてきた、何が危険かというと紙の媒体に
知覚感覚を限定してしまうとき、そういったものの抑制や切れ目、ができてしまうところにあると思う。ある種の分裂思考で会って、そのことは本や読書という人生のページを開くときに覚えておくとよい。何も共産主義にかぶれなくても
読書は危険なのだ。本や読書が楽しいのは子供の時に限らず大人になると大人の様な辛口の視点が植えつくから、現時点では読書は生涯楽しめる趣味といっていいものだと思う。趣味程度のことだから、何もあれを読んだこう読んだと
自慢げに語る必要もないが、本や読書自体は東洋では兵法に役立つもの、日本においては歌風においては戦に役立つものと、珍重されてきた。書を読むときはよく覚えいつ引用するか
という当たり前のことについて、よく心にとどめておくべきだが、物覚えが悪くなれば、いつも本を選んで携帯し記憶装置に使うことも一つの利便としてあるだろう。 0924 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/04/03 03:16:27
どうも昭和の終わり〜2000ひと桁あたりまでは「辞書ってまだ不完全かも」「情報の調査や採取が不完全かも」という認識が薄い人が多かったんじゃないか
所謂「地頭力(←じあたまりょく、ほぼ死語だなもう…)」のある人は、自力で「辞書って収録されてない言葉もあるし各社で内容が違ったりするしそこまで信用できないよね」って気付くんだが
深く考えない愚民は「辞書に書いてあるから」で信じてしまう
最終的に、ネット上では言葉を自由自在に使いこなせる正常な人が、
「辞書に載っていない言葉を使うな!」とかわけの分からない事を喚く大馬鹿に襲われる事さえ起こり始めた
ここ数年は辞書メーカーの出版社も教育界も「根拠のない誤用狩りはまずい」と思って対策を取り始めてるんじゃないか?
0926 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/04/03 07:33:38
「辞書に書いてない言葉は死語か新語か誤用」っていう世界観の人時々本当に居て怖い 本は所有してることに意味があるのだよ
CDに並ぶCDのようにな
金があったら本とCDを集めたい >>791
だが、最近戦後の言葉を操れている人がどれだけいるか怪しいから、辞書を疑う前にもっとたくさん辞書を引いた方がいいと思う
辞書を疑うのはそれからだ
そもそも言葉は口伝えで伝承されていくものだったから現代のように流行語が氾濫する前は言葉の変化が緩やかだったのではと 刺激の少ない文字の読めない村落はみんな
同じ言葉遣いで語彙も少なかっただろう
無論その狭いなかで位相があるのだが 高校の頃からナショナルジオグラフィックを読んでいた
知的人間だったのに、落ちぶれてしまった・・・ ●小林美希著、「ルポ・保育格差」
岩波新書、840円+税、
待機児童だけではない、見過ごされる虐待の実態。
疲弊する保育士たち、孤立する保護者、
保育所は選べない
なのに、人生最初の数年間で運次第で。こんな格差。 >>793
ブックオフに単行本を持ち込んだが全て5円だった。w
チリ紙交換レベルだな。 郵送で売れるなんて初めて知った。一体全体誰が買うんだ?
ヤフオクとかamazonとかで売るってことかな? 読書が趣味というのは馬鹿っぽく聞こえる。同じ読書でも「英米文学を読むのが趣味」とか「推理小説を読むのが趣味」
というならまた別の響きがある。なので趣味を表現するときに読書に関わることであっても読書という言葉はあまり
使わない方がいい。目標の定まらない読書というのは宣伝されることや氾濫する雑多な情報ノイズをそのまま真に
受けてフラフラと読み続ける主体性がなく未熟で判断力の無い能無しをイメージしてしまう。 読書とは主体性のない本の読み方で、新聞の読書欄に紹介された本を読むことに代表される。だから殆どの場合は
字面を読んで音声に変換しただけに終わる。多少は感動が残る場合もあるが三日もすれば跡形もなく消える全く
無意味な行為だ。
マラソンの本を20冊読んでそれを理解したなら、読書で終わることはなくてマラソンに向かう。読書という
行為は終わってマラソンという行為に変化する。もし読書が消えずにそのまま続くなら「解っていない」からだ。
それは無意味な行為だといえる。つまり読書家とは無意味な行為を続ける人々だ。 読書とは記憶装置の使い方、テクスタルメモリーを覚え、駆使することにもある。
暗唱暗記では限界があるからさ。 高校の参考書や、大学の教科書、資格試験向けの基本テキスト
百科事典、辞書、六法全書、マナーのハウツー本、旅行ガイドやなんかを読むのが
一番正しい読書だってわかったわ
文章を味わうための読書とかインテリになるための読書だんだんしなくなるし
(詩、俳句、短歌はいいとして、新書や小説、論文、評論は遠ざかる)
知識を中立的に仕入れる読書を読書といわない傾向があるが
中立的な事実の網羅を中立的に仕入れて
自分の頭で考える
新聞なら社説やコラムなんか絶対読まないで、見出と市況とテレビ欄とスポーツの結果と訃報
だけしか目を通さなくなるってのは、年をとればとえうほどそうなるのもしかり
つまんない作者のフィルターを通すとかは
やっぱたまにやるぶんにはいいけどそこが目的になるのはよくないよな
読書家ってのはそういう作業いっぱいやってことと捕らえられてんろうけど
俺は相容れないな
ってかそういうふうにある年齢とともに思考が転換してきた 本には思い入れが生ずる。それには価値がありぞんざいに扱われてはならないものだ。
しかし、bookoffは本を紙屑同然にしか見ない。どうせゴミなのだから5円でも十分だ。引き取ってやる
からドンドンもってこいという態度だ。古本の文化を無茶苦茶にしてしまった。
bookoffはゴミ置き場みたいなものと考えて掘り出し物を探すのがいい。100円以上の本は意地でも
買わない。暫く待っているとゴミは溢れてくるのですぐに100円になる。 趣味はいくらでもあるが、仕事は何をしたらいいのか
何を職とするか。勉強やスキルのいることをやるのか、
誰にでもできることや組織に寄りかかって生きるのか
ま、その方が楽だよな。安定、高給、寄り掛かり
趣味に関連する仕事をするのか、全然関係ないことをやるのか ★奥野修士、徳山大樹著、「怖い中国食品、不気味なアメリカ食品」
講談社、2017年、
日本では使用禁止のホルモンをたっぷり含むアメリカ産牛肉、
重金属で汚染された中国産コメ、
有機塩素で汚染された中国産鶏肉、
危険なアメリカ食品、
遺伝子組み換え食品はアメリカの戦略
中国食材生産現場の調査、潜行取材、
日本の学校給食で使われている中国産食材、 >>814
最新の「週刊文春」5月14日号にも連載の 前々号から続いて「中国食材」
の記事が掲載されている。
日本に輸入された食品では、外食が一番危ない 本を読んだり、何かの勉強をしたりはするけど、
学校の勉強はいまいちだった俺の境遇は・・・。そもそも親が馬鹿だったしな どんな人でも一日は24時間だと気付いたよ
頭の悪い人間は本を読んでる時間などというものが
存在しないんだろうな
馬鹿がテレビに出てるというのは・・・ 馬鹿は馬鹿同士集まってるよな
本を読む人間は世間で少数派であるし、本を読んでる人間より
テレビや映画なんかを見てる頭の悪い人間の方が
コミュ力はあると言う スマンがこの間の新幹線内で起きた事件の犯人
ドストエフスキーの「罪と罰」が愛読書だそうで
他にも色々本を読んでいそうだし頭が賢そうなんだけど心の清らかさとかは会得できなかったのかと >>820
ああいう奴は都合のいい表面しか受け取れないんじゃないの
「殺していいんだ」みたいな
哲学書だって一部だけ都合よく持って帰ったら戦争肯定に捉えられるしな 読んでいるカッコだけで読めていない人は多いんじゃないだろうか? 俺も読めていなかった
が、「読めていない」ということには全く気が付かなかった。
最近段々と読めるようになって来た。切っ掛けはAudibleだ。Audibleで朗読を聞いている内に
小説も興味が沸いてきて読めるようになってきた。
小説が売れないのは読めないからだろう。 安易なメディアが増えたので読む訓練が必要な小説は
読めない。そんなに努力してまで読まななくても映像が沢山ある。漫画も入り込みやすい。
売ろうと思えば訓練をする必要がある。其れにはAudibleが一番いいだろうな。もっとamazonに
協力して安くAudible小説を出せよ。出版の馬鹿どもめが、そんなことも解らんのか? >>820
>他にも色々本を読んでいそうだし頭が賢そうなんだけど
>心の清らかさとかは会得できなかったのかと
あの小説で心が「清らか」なのはソーネチカであって
その感化がなければラスコーリニコフは気違いの犯罪者に過ぎない
実際、支えのないスヴィドリガイロフは自殺してしまったわけです
現実にはソーネチカのような聖女はいないので
ああいう身勝手な理屈を振りかざして他者を否定することによって
自己の優越性を確保しようとする気違いは今後も出て来ることでしょう
大多数の人間がやっているような「我慢」も出来なければ
自殺する勇気もないくせに自尊心だけは肥大している人間はわりと多いので
そういう人間が特定の環境に置かれた場合は暴走することもじゅうぶんあり得ます
実際、平野啓一郎のように
遺伝上の理由などでそういう人間が出て来るのは仕方ないし、
そういう人間に対して「法」を説いてみても仕方ないんだという
論者もいるわけです
でもまあ、ここまで割り切ると読書の効用はもちろん
成員の同質性を前提とし、説得と共感に基づく合意形成によって運営される
市民社会の構築は不可能になります
啓蒙なんて無理ですからね 文学も出会いなんだよな
自省を促すなんて言葉にすると説教臭いが
そういった面が文化から欠けている 犠牲者五人目の死因は本 電子書籍にしておけば・・・
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180619-OYT1T50070.html
18日朝に発生した大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震で、同府高槻市は19日、同市北昭和台町、楠本法寛さん(66)が死亡したと発表した。
今回の地震の死者は5人となった。府警高槻署によると、楠本さんは、父親(92)と妹(61)の3人暮らし。木造2階建て住宅の離れに住んでおり、
姿が見えないことを心配した妹が19日午前に離れに入ったところ、大量の本や服などに埋もれていた楠本さんを発見したという。 ここで聞くのもどうかと思うけど
読書に飽きた、あるいは興味を失ったことがある人っている?
歳を重ねてもずっと本好きでいられるかとふと心配になった
というか読書に興味を失う時が訪れたらけっこう怖いなーと思った 年とると自ずとフィクションには興味なくなるな。
これは面白いんだ!と自分に言い聞かせながら
とりあえずページめくってる感じ。 10冊を1回ずつ読むのと、1冊を10回繰り返し読むのではどちらが賢くなれるか?
読む本は全て自分にとって興味のある本とする そもそも賢くなるのかな?
たしかに同じ本を何回も読むと初読には分からなかったことを再発見することがある
しかし、それは初読時とは年齢が違うので読解力や関心が変化しただけであり
昔よりは賢くなったので理解が深まった、というだけかもしれない
しかし初読時である青年時代に感じていたことが欠落することもあるわけで
いわゆる青年文学が大人になると色あせて感じられるのはそのため ヘッセ ガラス玉遊戯 の 後半と同じで
読書を含めての勉強に疑問を感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています