人間抜きの文学とは、
スタニスワフ・レムの『ビット文学の歴史』からの発想だったのだ。

対象が文学作品でない場合でも、「文学として読む」という行為だけで「文学」が成立するのではないかと。
そうすると、文学作品であっても「文学ではないものとして読む」という行為が成り立つw
文学であるかどうかという判定の主導権は読み手側にある。
もはや「文学」の定義はおさまらないけど、いまのところ(わたしが)「文学」としか表現できない何かがあるのではないだろうか。
それが何と呼ばれているのか/それを何と呼ぶべきなのか。
などと超弦理論の本を読んでいる合間に「ぼんやり」と考えた。