三島は、自分の人生を自分で、美的に演出したかったのです。
思想的に見れば、また価値があるかも知れませんが、三島自身にとって、右翼とか天皇制は、自分の美学を支えるための要素で、いさぎよく、美しい「死の機会と意味を与えてくれる」装置であったと言えます。
三島は自分の手で、自分の意志で、自己の人生を美的に完成したかったのです。また、その死が、日本の伝統のなかで、意味を持つようにしたかったのでしょう。
こういう訳で、色々複雑な動機があり、しかし、やはり、自己の死を自分で選び、夭折し、美的な人生を実現したかったというのが基本的な動機だと思います。