国宝、「玉虫厨子」に「捨身飼虎図」が描かれている。
これは仏教の六道輪廻に基づいたジャータカ、つまりお釈迦様の前世の物語から採られた話に基づいた絵だ。
自分の体を飢えた虎親子に投げ出すと言う話。
つまり、他者のための自殺ってことだね。

その流れの中に、「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」って「葉隠」の一節がある。
つまり、他者のために死ねるってのが武士道なわけだ。

三島の自殺は、当然、その流れの中にある。

事象としては、お釈迦様は虎に、武士は主君に、そして三島は日本のために、命を捨てる覚悟をしたわけだ。
お釈迦様の話は比喩だから実は一番深い大元の思想になるわけだけどね。

今現在でも三島の死が畏敬を持って語られるのには、日本のこうした伝統文化の上に立っているって意味がある。

何かに悲観したり、何かから逃げ出したりする死と、彼らの死は、事象として同じ死でありながら全く異質の存在なわけ。
俗にノーベル文学賞がとれなかったからって言う話があるけれど、三島読みの三島知らずってところだね。

野村秋介の死もまた、その流れの一部だと思う。
まあ、日本では幸いにも、こういうことは珍しい話ではない。だから日本は日本人にとっていい国なわけ。

結論として、そんなこともわからない >1 は支那人か朝鮮人、もしくはパー(笑