『芝公園六角堂跡』を読んだのだけどこれって小説だと言い張ってるだけのエッセイじゃないかと・・・・
稲垣潤一その他の人をイニシャルにしてる意味ってよく分からん
小金を持ってしまいネタになる生活もなくなってしまったのではないだろうか

あの善良な玉袋筋太郎と取っ組み合いの喧嘩をしたことなど書けば面白そうなのだが
確かに今は私小説の形すら出来てないように思える
酒の飲み過ぎなんじゃないだろうか
あの野坂昭如が酒をやめてもう一度純文学を書くんだと言っていたが、叶わなかったようだ・・