☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
落ちたというか1000までいったのに次スレ立てる人がいなかった、
というのが正しい。 ○ >>1 乙 もうお前に用はない
く|)へ
〉 ヽ○ノ
 ̄ ̄7 ヘ/
/ ノ
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/
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/ 虐げられた人々読もうと思ってたんだけど、もっと軽いのハマってそんんなこんなでディストピア小説とかで一息利しようとおもったら、意外とハマってる。
今息抜き用ですばらしい新世界読んでるけど、ドストに比べるととても読みやすいよ。 読んでく中でさらっと読める本が見つかった。
そして面白い。
ドストエフスキー疲れたらに、しよ。 癒されたい人はソーニャ派。
踏まれたい人はドゥーネチカ派。 ↑とは関係ないけれど、
悪霊スタヴローギンの自殺はマトリョーシャの幻影を呼び出した「にも関わらず」なされたものではなく、
マトリョーシャの幻影が現れることによって初めて絶望すらできない絶望を感じて自殺した、
それがなければ自殺などせず「ただぬるき」ものとして生きていたという解釈が面白かった。
罪罰スヴィドリガイロフにも幻影ならぬ幽霊が現れるけれど、自殺前夜の夢はマトリョーシャ幻影とは違うね
彼は絶望して自殺したのだろうか 前スレでカラマーゾフ読んでいた人いたけど、もう読み終わったのかな。自分はGWに悪霊の再読に入るよ。 ロシア語は変化がキチガイじみてる
あんだけ変化させたら方言とかあまりないだろ
けど日本語のが難度は上 まだ、カラマーゾフ読み終えてません。新潮文庫中巻ミーチャに入ったとこでとまってます。上巻の最後あたりのイワンの大審問官前後はかなり好きだったんですが、中巻からここまで別段楽しくもないです。 焦らないで、1日に5頁でもいいから読み続けること!
そのうちに読了となる。
途中で止めるのと、読み切るのとでは、
今後の読書生活に大きな差異が生じる。 >>18
スヴィドリガイロフの自殺も絶望だろうと思うよ。
無神論と虚無主義の行き着く先は自殺より他はない
っていうのは、ドストの他の作品でも一貫してる。
うんざりする。ってを何回も繰り返したような
うんざり行き着く先は自殺。
それにしても、旅に出る。って言って自殺するのはカッコイイと思ってしまった。
良い子は真似しないようにね。 >>25カラマーゾフの中で面白い箇所は、大審問官とおやごろしの裁判のところだったなあ。
思想が強く出てる箇所だと思ってる。
なのでもう少しで面白くなると勝手に推測してみた
もうちょいだからガンバッ 手に入り難い短編とかどうしているの?
古書? 図書館? コピー? 大審問官は人気があるみたいですが、どれだけの人が本当に理解しているのか疑問。
これはあくまで私個人の意見です。 話がだいぶそれそうでワルイけど、
理解を意識する。っていう状態は自分しか
知り得ない。どういう脳内欲求が自分の中で
起こってるかについては、自分ですら知り得ない。
人がどう意識してるかは、自分以外体験出来ないから、意識してるのかも疑わしくなる。ってのも
嘘ではないよね。
大審問官を理解っていう、この理解ってどういう状態のことなのか。
なんか言葉遊びになってきてスマン スヴィドリガイロフはソーニャに出会わなかったラスコリニコフなんだろうね
ドゥーニャを力ずくで手に入れるつもりが、彼女の拒絶で逃がしてしまう
そんな自分は生きる価値がないと判断して、自動的に自殺
でも自殺を決行するまでの半日間、何かを求めていたのも確か ほんとにそれ。
ソーニャに出会えなかったラスコーリニコフ。
では、ラスコーリニコフもソーニャが居なければ行き着く先は自殺より他はないよね。
ナポレオンにはなれなかったと言う絶望。 >>25
ミーチャ編は苦痛なら適当に飛ばし読みしてもいいのでは
ただ、中巻最後にミーチャが見るものがありますのでそれだけ頭において下巻へ
下巻は大審問官好きのあなたが好きそうな対決シーンがあるよ もともと石原慎太郎は目をパチクリする癖があったので脳に何らかの障害があった人です
目をパチクリする癖の人は脳に問題があります
それ以外にも石原は、おでこの幅が左右非対称なのでブサイク障害者です(右手側のおでこの幅が左側より広い)
体が左右非対称な人はブサイク障害者です 訂正
もともと石原慎太郎は目をパチクリする癖があったので脳に何らかの障害があった人です
目をパチクリする癖の人は脳に問題があります
それ以外にも石原は、おでこの幅が左右非対称なのでブサイク障害者です(左手側のおでこの幅が右側より広い)
体が左右非対称な人はブサイク障害者です ドスト氏にとっては無神論がだめというより
傲慢がだめなんだろうね。(傲慢 の定義が少し難しいけど)
だから「全ての人に対して罪がある」と言う台詞が繰り返し。 否定がある事は当然として、個人的には、
>>40だから「全ての人に対して罪がある」と言う台詞が繰り返し。
これは、「人類にはキリストのあの約束がある、
だから「全ての人に対して罪がある」」だと思うよ。
本文でもあるけど、このキリストの約束がなければ
最後の2人になるまで人類は殺しあうだろう。って。
だが、この約束のために暴虐も、許す日があうって。
で、結局、無神論を辞めて、ロシアから(土壌主義)
始まるキリスト教至上社会主義的世界ユートピア(なんだこれw)をドストは現したかった。
個人的には無神論だと思ってる。って事。 証人喚問
769 名前:公共放送名無しさん [sage] :2017/03/23(木) 10:37:55.12 ID:wQmqjwq1
野党が罠にハマってるだけ
アホ国民は気づかない
茶番劇
これで野党の信頼はゼロ
もっとも始めから信頼してる奴はアホ国民のみ 俺は先週バルザックを全部読んだからドストエフスキーを
仕上げるぞ
残った作品は 未成年 作家の日記だけだ
カラマーゾフ 罪と罰 白地 悪霊も読んだぞ
さあ仕上げていこう ドストは若き日にバルザックの『ウジェニーグランデ』をロシア語に翻訳してるよね。
ドストはフランス語が、お兄さんはドイツ語が得意だった。 本物の修行とはこういうモノだ
おまえらも参加しその腐った根性を叩き直せ!
人生、楽じゃないよ!
https://pbs.twimg.com/media/CtGKEJXUsAAYA0f.jpg みんな結構読んでるんだな、バルザックなんか短編一つしか読んだことない フランス文学って読後感が救いのない感じのが多いから
読んで暗くなりそうなのはいやだ 海外の古典を読んでみたいと言う人にオレが勧めるのがドストエフスキーとバルザック。
そのうち、誰も聞きに来なくなった。 小金も時間もある奴ら!
楽しもうぜ!
LEGの紹介
ラブドールの腰から下の機能を独立させたスタイルです。骨格、素材、デザイン全て、等身大ラブドールと同じクオリティとなっております。
付属で専用の立位ブラックスタンドが付きます。コスチュームもスカート、パンティ、パンプス全て付属し、3タイプ(OLタイプ、AKBタイプJKタイプ)より選択が可能です。
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95cm ビューティフルレッグの詳細ドールデータ [ 身長 ] 95cm
[ ウエスト ] 52cm
[ ヒップ ] 80cm
[ 体重 ] 16.76キロ
[ 足のサイズ ] 21.5cm
[ 関節 ] グリップボディ
[ 素材 ] エラストマー(elastomer)
[ 穴 ] オナホール(一体型)・アナルあり
付属品 @ドール専用収納毛布:1枚
Aコスチュームセット(スカート、パンティ、パンプス) Bステンレス製スタンドセット(ブラック)
金額24万円
(税込)
www.perfect-body.info/introduction/leg/
組み立て動画
https://www.youtube.com/watch?v=Opj55nmZUdA >>54 の6つのURLのウチ 3つをもう踏んであったwww 未成年ついに読んだぞ
あとは作家の日記をクリアーしよう
というよりもトルストイのアンナ・カレーニナを始めた
これでトルストイも完読だ そろそろ楽になるよ
もう十分苦しんだ、もういいじゃないかPart3 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1474985176/ トルストイのアンナ・カレーニナも今日全部読んだぞ
一応はトルストイの小説、戯曲、短編は全部読み終わったことになる
なにしろ俺は一日千ページ読む人間だから
次は作家の日記を攻めてみよう >>25
完璧な小説
そこから大団円が待っているよ
ぼくもうん十年ぶりに紐解くから 絶対に読もうね 速読の読書報告はいいから。せめて感想を。釣りでなければね ゴゴゴゴゴゴゴオゴゴゴオゴゴゴオゴゴゴオゴゴゴオゴゴゴ 非常に強い果実味でブドウそのものの香りが広がる。フル・ボディ的重みを持つミディアム・ボディ。
渋味は強くなく酸味は弱く、かつそこそこ甘味がある、という味構成で全体的にマイルドだがボデイが強いため妙なバランス。
またチリらしさやカベルネらしさとも違うので得体の知れない印象を受ける。 得体の知れない印象を受ける。 戸田恵子書けばいいってことなのだろう 非常に強い娯楽性で読書そのものの愉しみが広がる。大衆文学的軽さを持つセミ純文学。
勧善懲悪性は強くなく引きは弱く、かつそこそこ救いがある、という内容構成で全体的にマイルドだが雰囲気が暗いため妙なバランス。
また露文らしさや仏文らしさとも違うので得体の知れない印象を受ける。
と改変すればいつものドストエフスキーの解説に早変わり こいつの全作品より
百年の孤独
のが遥かに上
百年の孤独が存在している以上、こいつはゴミ >>79 テメェ百年の孤独なんかヨイショすんな
ガルマルは読むに堪えない
かといっておヌ滑南米文学なんか誰が書き込んでやるかよ!ヴォケ
オレが最近ワインにマイブームったのもある南米作家のせいだ
ワインたkぇーよチクショー でも南米gはあまりに遠しだかたワニんでも飲むしかねけぇだろヴォケこ ハクチはイギリスのジェーン・オースチンの高慢と偏見みたいな終わり方だ
悪霊は1万の心理描写からなる複雑怪奇の書物
カラマーゾフはたったも1日を濃密に描いた作品 ドスト最高の作品
罪と罰は罪人の克明にして深遠な心理描写の作品
未成年はカラマーゾフへの導入策
虐げられた人々はゲーテの作品を導入した部分がみられる
死の家の記録はシベリアの流刑地での体験談
スパチェンチコボはドストの異質の作品 まるでツルゲーネフみたいな
筆致 白夜は悲恋といえるよな
初恋はツルゲーネフ以上の超現実作品 女から力づくで迫られる内容が
現実的
貧しき人々は往復書簡 最後振られるのが気の毒かな
二重人格は阻害された役人の精神病発症
以上かな 要約すると ドストエフスキーの作品は
一行のボオドレエルにも若かない そしてドストエフスキーの1行は
ポオの全てに匹敵する ポオを訳したボオドレエルは偉かったが
バルザックを訳したドストエフスキーは間抜け 839 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/03/26(日) 21:01:42.42 ID:gI0S0aFz
おれは軽井沢に別荘を買った
そこでシーズン中は儲ける
いまはプロのFXトレーダーだ
一時、5470万円を溶かしたが
いまは極楽だよ
高い勉強代だったけど、それもまた良し 百年の孤独
この作品の前ではこいつの作品のすべてゴミ
はい、終了 オレハ ナポレオンだぁぁっぁぁぁっぁっぁぁぁっぁぁぁぁぁ 自意識過剰な人間の心理描かせたら天才
地下室の手記での主人公の厨二&かまってちゃん全開な行動には笑わせてもらったw
それが行き過ぎて墓穴掘りまくりジワジワと笑えなくなっていくのも最高
ワロスw→ハハハ…→もうやめて…→うわああああああああ
みたいな感じ 531 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/03/29(水) 01:39:29.42 ID:YQFzUQaG
おれ?
FX?
数分で980万円程度溶かして退場したことならある
マジで鬱になって死にかけたわ
まあ、いまもまだ通院してるけどな
533 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/03/29(水) 09:04:56.22 ID:YQFzUQaG
いや、あれが原因で鬱になり上級公務員も辞めた
いまの生活費は前の稼ぎの切り崩しだからな
だからいまもFXやってるよ
しかし今年になってもう1246万円の損失
かなりヤバイ感じだ
頑張らないとな カラマーゾフを久しぶりにめくったけど、お互い大人になったもんだ。 「誘拐の知らせ」は大作家にしか出来ない仕事
おすすめ 族長の秋 と 美しい水死人 ガチ退屈だった。
辻仁成の方がいい。 予告された殺人の記録 もガチ退屈だった。
辻仁成の方がいい。 ドストエフスキーとかガルシア=マルケスレベルの作家がいればいいんだがなあ >>99
自分のIQが低かった、ってことをいちいち発表する必要あるのか? ラテンアメリカならペドロパラモのファンルルフォが強いと思うのだが ドストエフスキーの作品はおしなべて まんがで読破!版で読めば充分な内容 退屈と思った小説はほとんどなくて、だいたい
最後まで読んでるけど、プルーストの失われた時
は挫折したなあ あれを楽しく読めるひといるの?
唯一途中で辞めたけど 17世紀より前のフランス文学とかにも知識がないとそりゃ面白くないだろ
ってのはいいとして 退屈と思った小説はほとんどない?そのほうがスゴイわw 百年の孤独と村上春樹の短編集があれば他は何もいらん 今だにドストエフスキーを読破しようなんて若い人がいるんだねぇ。
久々に読んでみようかな。 69 名前:774RR [sage] :2017/03/31(金) 12:41:09.26 ID:DGh+OqiD
>>63
おれはFXで総額7580万円溶かした
ネタじゃねえ
いままで働いて貯めた貯金すべて無くした
でも生きてる
毒じゃなかったら悲惨だったろうな 未成年の主人公は美少女の妹と一緒に家に帰って本当に羨ましい
Evaluation: Poor.. ああ、ドストエフスキーは処女厨なとこあるな。
極度に純なものを愛している。そこは川端康成も同じものを抱えているという気が自分はしてる、なんて露文専攻してる人らにいうと笑われるけど。
ただし川端康成は純なものに手を触れずに観察するが、ドストエフスキーはアクのありすぎる奴等と一緒に処女を地獄の釜みたいな小説の中にぶちこんでしまう。 AIにはサラダがお似合いなんだ そして まぁええ波*****
仝 877 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2017/04/01(土) 05:49:31.63 ID:v/nyNsr4
先ほどまたFXでロストカットされました
損切り額は987万円でした
3月だけで総額4600万円程の損失でした
FXの才能がないのでしょうか
取り敢えず今月取り返します! >>120
> ああ、ドストエフスキーは処女厨なとこあるな。
> 極度に純なものを愛している。そこは川端康成も同じものを抱えているという気が自分はしてる、なんて露文専攻してる人らにいうと笑われるけど。
> ただし川端康成は純なものに手を触れずに観察するが、ドストエフスキーはアクのありすぎる奴等と一緒に処女を地獄の釜みたいな小説の中にぶちこんでしまう。
さくひんのなかで どの部分で そうかんじましたか? >>120
その感覚同じく思った
罪と罰のソーニャとかカラマのグルーシェニカも
少しそれはある いわゆる極度な純、ってやつ
犯罪者のために、シベリアについてきてくれ、
自分だけを愛してくれ、ってドストっていうより
男の勝手な理想だよね
高潔っていうのかな ドストを読もうにも、命がけでないと読めなくなった
老眼とパソのやりすぎで ほとんど視力が。
若いときに読み込み、暗記するほどなのに、数ページ読むだけで、目がしょぼしょぼする。 ドストヲタはいちいち表現がオーバー
なにが命がけじゃヴォケが
抑留時の日本兵みたいに
露助どもに強制的に零下30度のブリザードん中で露天の炭鉱掘りさせられてから言えってんだ 連休に読もうかと思ったけど、昨日から悪霊の再読をはじめた。
カラマーゾフ読んでいた人はもう読み終わったかな。 >>126
目力が弱いのに、紙のほんを読むのは,ほんとにツラいんだぞw !!
>>129
やつに影響受けて青空ですぐ読み出したが、2頁で挫折したわ!
なんとか大量の読書ができる道を模索しておる ハクスリーのすばらしい新世界の17章は、
カラマーゾフの大審問官に影響を受けて
書かれたと知って読んでみた
ここの全体主義と共同体ユートピアは
実現してもいい未来ディストピアだと思ったね
オーウェルの全体主義はゾッとするが ディストピアなのに実現していいとか被虐的すぎじゃね? >>132
ハクスリーのディストピアはフリーセックス
とドラえもん並みの未来都市
全体主義だけど、幸福の追求で飼いならされた
人間と完璧な階級制度となによりソーマだよ
まー全体主義と一部の権力集団、そしてそれに
隷属することで、以外と満たされた世界ってのは
今もそうでしょ
だったらフリーセックス(しかも美人のみ)の
義務化された世界ってのはいいかもw
自由と高潔と自己とはおさらばだが <フリーセックス(美人のみ)
VRの向かうところだなぁ。
まあ性欲に限らないが今以上に欲求を仮想空間で処理してしまう社会になるんだろう。
まあ大審問官のくだりはよく話題になるしカラマーゾフが出たときの若者たちの反応からしても
社会的影響は勿論相当あったんだろうが、個人的にはドストエフスキーに遊ばれているだけに思えてならん。
カラマーゾフの兄弟の主要テーマに大審問官のテーマがどこまで絡んでるかというと、イヴァンの性格を描写しただけに過ぎないだろう。
ドストエフスキーが当時の思想にかぶれた若者たちを嘲りたいだけの遊びに今もふりまわされてるんだと、まあ私は思うな。 >>124
ソーニャコヴァリョーフスカヤだったっけ?ドストエフスキーと一時交際していたしていた人の手記が岩波から出ていてそれを読むに、
ドストエフスキーはものすごい熱量で愛してくれるんだが、それと同じくらいのエネルギーを返してくれる女性じゃないと満足できないだろう、と記している。
記憶がものすごい曖昧だがべつに論議してるわけではないからそこは勘弁。
罪と罰を読んだ時もよくよく感じたが、その手記を読んだときにドストエフスキーの抱えているもの、まあ自分は精神的処女厨とこっそり思ってるがそれを確信しました。 >>134
ドストにふりまわしあそばれるって所は
面白い考えだね そしてその通りなんだろうね
ただドストにならそれをされても悪くないと思う
以下超個人的意見だけど
大審問官はカラマーゾフで核になってと思う
確かに神の有無っていう当時の話をもりこみ
話題性がでたのはもちろんだけど
それはそれで意味がある
そして対になる小説ってのはいつでも面白い
ハクスリーを言ったが、幸福か自由か、
カラマーゾフなら地上の幸福か真理の自由か、
悪霊なら、革命か生命か、などどこかの評論家に
嗤われそうだが対比ってのは重要でカラマーゾフ
の大審問官はそれの核になってると思ってる スースロワは四大長編の高飛車お嬢様タイプのモデルになってるけど
アンナクルコフスカヤはモデルになった小説ある? >>134
>個人的にはドストエフスキーに遊ばれているだけに思えてならん。
> カラマーゾフの兄弟の主要テーマに大審問官のテーマがどこまで絡んでるかというと、イヴァンの性格を描写しただけに過ぎないだろう。
> ドストエフスキーが当時の思想にかぶれた若者たちを嘲りたいだけの遊びに今もふりまわされてるんだと、まあ私は思うな。
全部違うと思う。
もう一度読み直して見ようとおもう >>135
論議として捉えないで欲しいし、そうしてるわけで
もないけど、自分を正してくれてそして味方で
いてくれるっていう精神的処女のソーニャの
極端な純性を記する書店があっても不思議では
ないよね
そんな子が果たしているとしてなおかつ
自分に出会い、ラスコーリニコフのように
自分に好意をもってくれるとかどんな確率
だよって思うw
それにしてもドストって男はクズで女は純とか
のキャラクター多すぎ ドストは、おおまかにいって、俺の人生において二番目に大切なカテゴリーだ 今手元になかったから青空で大審問官を読んだが、やはり読むたびに印象が違いますな。
中山省三郎の訳で読めるのも発見だった。岩波の復刊みたいに旧字のまま綺麗な文庫になってくれるとうれしいんだけど。
自分は米川正夫訳から入った人間なので、米川正夫訳で他のものも読んでる。
まあ、それで、カラマーゾフを解説するあとがきでもなんでも、大審問官に触れないものはないわけで、
自分でもカラマーゾフについての定説は分かっているんだが、
大審問官の部分はイヴァンの創作だからというのもあるが、作者の意図があけすけなのが気になってしまう。
意図というか、悪意というか。個人的には推気さえ感じるところもあって、先生と呼ばれる人たちがその大審問官を大真面目に考えているのをみるとどうも、遊ばれているようにしか見えないんだよね。 >>147
おれも米川やく しか受け付けん
米川訳丸暗記しとる、省三郎の訳が米川に酷似してることに驚いた
何かの全集の解説にもあったが「歴史的経験」が大事なのだ
俺個人の人生は歴史的経験によって変化させられる 自分の中で
自分の青春のなかで
だいしんもんかん に限らず
いったい どの言葉が?自分の命に響き、青春を変化させたかについて
語ろう! 思春期に罪と罰読んで、自分もナポレオン
のように世界の規範と制約を踏み越える
許された人間と勝手な万能感に浸ってた
のはいい思い出
というより黒歴史
いい影響はヘルマンヘッセの知と愛を読んで
感情がどんなに素晴らしいとしったか
思い返せばドストにいい影響うけてないw
1番好きなさっかだけど 一時ロシア語を学んでいたことがあって、文学も好きで語学もとなると当然ためしに原文で読んでみたわけだが、
米川正夫訳を並べて読むと殆どは直訳かと思うくらい、意味も一文における単語の並びも原文に忠実になっている。
あの仕事量なら直訳でもさもありなんだが、そのうえとても表現が豊かで。
自分の語学力なんて片言レベルだし、もともと米川正夫訳から入ったので先入観はあるが、原文のニュアンスを損なってないんじゃないかとおもう。
古い訳に比べると亀山郁夫訳はあまりに意訳しすぎていると思うな。
現代の日本語におきかえるとどうしても限界があるし、亀山郁夫のせいではないんだろうが。
古い日本語のほうが言いまわしの種類も豊富だしなにより表現豊かだよね。 ドストエフスキーの著作からの影響は、なんとも言葉にしづらいな。
罪と罰を読んでから本の虫になった自分は、あれを読んだときは自分というものを現実世界における異物と感じていた。
自分が今ここにいるということの必然性がまったくわからなかったんだな。
殺人願望があったわけではないが、その異物感をとりのぞくことならなんでもしたいという危なっかしいという、なんというか、思想の種?みたいなものを抱えていたかな。
まったく貧乏ではなく、並の高校生とおなじように親のすねをかじっていたから、
ラスコーリニコフというキャラクターがそういう当時の自分とかぶったわけではないんだが、それでどうしようもなく感情移入して、
ラスコーリニコフは自分の代わりに殺人を冒したのだ、と思っていたっけな。 >>152
すごく心情を捉えてるね
存在の必然性ってのは共感できるけど
かわりに罪を犯してくれた気分てのは面白いね
おれは初めて読んだ時の印象は忘れてしまったよ
罪と罰は3度は読んでるけど >>151
> 米川正夫訳を並べて読むと殆どは直訳かと思うくらい、意味も一文における単語の並びも原文に忠実になっている。
凄いな、君。信じられないよロシア語を読むなんて。片言でも何でも。そんな試みを空想さえしないよ...
米川が直訳に近いって初めて聞いた。ぜんぜん意訳なんだろうなァとおもってた
> 古い日本語のほうが言いまわしの種類も豊富だしなにより表現豊かだよね。
ほんとに そうだね。最後期の訳文はこなれていて好きだが、古本屋で100円くらいで買った戦後すぐくらいの訳文は
「なんじゃこりゃ〜」な言葉が たくさんあって楽しかった >>152
> ドストエフスキーの著作からの影響は、なんとも言葉にしづらいな。
自分で書け!と言いながら、恥ずかしくて書けないもんだよな
> 罪と罰を読んでから本の虫になった自分は、あれを読んだときは自分というものを現実世界における異物と感じていた。
(以下)
素晴らしい! 想い出せないし、恥ずかしい、自分の混乱した思春期を、おもい返すことすら。
こんな風に、書けるなんて、すばらしい
まさにその「自分の混乱した思春期」を想い出すために、2ちゃんに発表するためでなく
カラマや罪と罰や白痴を 読みたいと 、何度も思ったものだ。
目が悪くなったからと、前に言い訳したが、それ以上に、心の静穏さが、ないんだと。
だって、ネットする時間を割けば、いいんだからね! たまに夢中で読みたくなるけど、退屈ページが長いと一気に
読む気失せる。
カラマ、悪霊、白痴はもういいかなって感じ。 >>159
そうだね。
確かに凄い小説だとは思うけど続けて読む気はしない。 地下室の手記は不思議の国のアリス
どちらも地下世界で現実をゆるがす トロッコ問題について、問題になっている時点でもう手遅れだと
思う訳よ
同様にらすこりにこふが生まれてしまった時点でもうだめでね
それでロシア社会が揺るがされてしまうしかない
まあ芸術とはそのための芸術だろうけど 一度読むといいかなという感じ
現代にも通じるとは思えなかった おめらの印象はまったく理解できん
ほんとに よんだんか?
それとも年いってから読んで、深く影響受けなかったんか?
カラマの隅から隅まで、退屈なページなど、1ぺーじたりとも ありえん
おれは目さえ悪くなかったら、何十回もよみたいわい!
たとえば どんな箇所が退屈だったか?ゆーてみろや ウィトゲンシュタインが55回読み
アインシュタインもフロイドも耽読したカラマだぞぉ??
しかもドストは、そんな権威づけなんか不要なんだ
人生経験のない少年でも読めるんだ、読めばその価値を誰でも知るんだ
前に誰かが書いていたが、むしろヘッセとかのほうが、短期的にはよい影響受けると自覚するかもしれん
おれも 「ガラス玉演技」が大好きだったな
とはいえ、カラマや白痴、罪と罰の、広大無辺なること、おれらの日常生活では自覚できない 宗教的真情など >>163
> 一度読むといいかなという感じ
> 現代にも通じるとは思えなかった
どーゆー点が「現代にも通じるとは思えなかった 」んだい? ウィトゲンシュタイン、55回も読んでるのか。
わざわざ回数覚えてるのはちょっと気持ち悪いけどw
ドストエフスキーからいい影響を受けたとか、実際そういうことはあるかもしれないが、自分としてはなんだか違和感があるかな。
ドストエフスキーを読むとは、打ちのめされ、引き込まれて、波にのまれた小舟みたいな状態になることだと、自分にとっては。
そのなかでいい教訓をくみ取ることは難しい。
まあつまりトルストイとかチェーホフのような、ともかくドストエフスキー以外の大家の著作なら、そこから教訓なり有意義な思想信条なりを多少なりくみ取ることができるが、
ドストエフスキーはそういう読み方が適切な作家ではないんじゃないかと。
昔、サカキバラ事件があって、事件のことはみな覚えていると思うが、そのサカキバラの部屋には罪と罰がおいてあった、
というのをニュースでとりあげていた。
そこから悪い影響を受けたのではないかと、コメンテーターやらがもっともらしく言い腐っていやがって……。
どういう肩書か忘れたが、露文の畑の誰かでどれだけ罪と罰を読み込んだかしらんが、
こういうことをいえるのは結局本当の意味では罪と罰を読んでないんだろうと。
お上品に研究のため教訓なり思想信条なりを汲み取ったにすぎないだろう。
で、おそらくサカキバラも罪と罰を本当の意味では読んでいない。自分にとって都合のいいところを汲み取っただけだろう。
私はラスコーリニコフが自分の代わりに殺人を冒したと思っていたから、罪と罰から悪い影響をうけたというコメントには強い反感があった。
本当の意味では彼らは読んでいない、そのときはそういう確信めいたものがあったね。
まあしかし、客観的にはいい影響を受けましたと言うより悪い影響を受けましたと言うほうが話としては頷けると、今の自分は思うよw
長文ですまん。 あああと、知と愛、私も好きで何度か読み返した。
私はどちらかというとナルチスだが、ナルチスのセリフで、
もしゴルドムントが困って訪ねてきたときに、なにもゴルドムントに与えるもののない自分でいるとしたら、それが自分には一番耐え難いことだというところ、
とても印象にのこっている。
相談しがいのある人間でありたいものだね。 神がどうとか無宗教だからピンと来ないところがある。
宗教的な内容ではない作品のほうが好きだな。 そんなに沢山本読んできたわけじゃないから分からないけど
ドストエフスキーは結構笑えるシーンがある
ユーモアというより真面目なんだが笑えるというか >>170
同じくドストの作品は悲劇的な最後を迎える
作品が多いためか、教訓は汲み取れないよう
なきがする
ただ、罪と罰に関しては、ラスコーリニコフ
は最後の最後までナポレオンみたいな世界の
ルールと無縁で、多くを許された罪(犯罪)を
負わない人間は存在する、とした
ラスコーリニコフの最後の最後で見つけた罪
は犯罪の罪ではない キリストの原罪だろう
オレもこの罪(犯罪)とは無縁の選ばれた人間
は歴史上確かにいたと思う
ドストを読んで悪い部分だけに影響を受けてる
人ってのは少なくないのかもしれない
それだけ影響が大きい作家なんだろう
ちなみにオレも知と愛は好きなヘッセの作品
善と悪、永遠と有限、ゴルとムントとナルチス
で対になっててとても面白かった
ドストも対は必ずあるけど、ヘッセみたいに
分かりやすくないから難しい ドストの作品は何でも、弁証法になってる
部分はたくさん出てくるけど ドストの作品は何でも、弁証法になってる
部分はたくさん出てくるけどわかりやすい
のはどれかな?
俺は、カラマーゾフの兄弟の大審問官と
そのあとのゾシマの最後の談話が対照的
で、定義反定義その後矛盾と統合のあとに
くる統合定義になってると思ってる
要は・・・ってのは読み返さないとなので
やめときますw
とりあえずそんな感じで対になってるとこ
あるかな?
実は今ももう一度カラマーゾフの兄弟読み直
そうと思っていて、相反する所を気にして
読もうと思ってます >ゾシマの最後の談話
は繰り返し読み返した
アリョーシャが どう感じ、どう生きたか?自分と比較し、そればかりを問うてきた おらは読んだ
最初の なんかアレクセイとイワンを簡単に紹介するあたりまで 大ヒット作「プロジェクトA」の続編。舞台は20世紀初頭の香港。
犯罪が多発する3地区を統治する警察署長チャンは、
暗黒街のボスと手を組み、無法の限りをつくしていた。
頭を悩ませた上層部は、チャンをサイワン地区から外すことに。
新任署長に抜擢されたのは、海賊征伐に貢献した水上警察のロンだった。
警察と黒社会の癒着を断ち、犯罪組織の一掃を成功させたロンの活躍に、
恨みを抱いたチャンが復しゅうを企てる…。 ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーの
おなじみトリオが再結集したアクション娯楽大作。
今回はスペインのバルセロナを舞台に、誘拐された美女を救出するため、
謎の巨大組織“X”に挑む、ジャッキー・チェンふんするカンフー青年と、
その友人たちの活躍を描く。
スペインの街並みで繰り広げられるアクション、
なかでも、ジャッキーと、当時、格闘技界のスターだった、
ベニー・ユキーデとの迫真の対決は見もの。 20世紀初頭の香港。ロンが所属する水上警察は、海賊撃滅作戦を命じられるが、
戦艦を爆破されてしまい、陸上警察に併合される。そこにいたのはロンのライバル、チー隊長だった。
初めはいがみ合ってばかりの2人だったが、やがて海賊退治を通じて友情が芽生える。
さらにロンの友人フェイも加わり、一行は敵のアジトへと乗り込むが…。
ジャッキーの代表作のひとつで、日本では“主演10周年記念作”として宣伝され大ヒットした。 前スレでゾシマの遺体が腐る=信仰がないとかレスしたものだけど
少なくとも聖人のような存在ではない、という解釈は出来ないかな
ドストエフスキーは聖人の遺体は腐らないみたいな話を案外盲信してそう >>173
そのへんはゴーゴリの影響ではないだろうか。 さぁ撃ってみな、俺はいつでも真剣勝負!
一匹狼ハリーが破壊力抜群44オートマグを手に連続殺人の陰に潜む悪に挑む!
大人気シリーズ最大ヒットの第4弾(1983年/米) アリゾナの保安官補クーガンは犯人逮捕にかけては抜群の能力を持っていたが、
一匹狼のはみ出し者で女好き。そんな彼に手配犯がニューヨークで逮捕されたので、
アリゾナまで護送するよう命令が下る。田舎者まる出し、カウボーイスタイルで
NYへやってきたクーガンは、強引にリンガーマンを連れ出し空港へ向かうが、
仲間の待ち伏せに遭い逃げられてしまう。
失敗して一市民の立場となったクーガンは、執念でリンガーマンの跡を追う。 >>183
おれなりに解釈すると、ゾシマの遺体の話は
ドストの神秘主義の否定だったと思う
遺体が腐敗しないとか奇跡で信仰するな、
それはカトリックの大審問官の悪魔のやり方にな
ドストのキリスト関はカトリックの否定だから
神秘主義の否定が言いたかったと思うよ
遺体の腐敗=信仰足りないでは、まさに
大審問官の完全肯定で、アリョーシャが
だんだんリアリストに成長していく過程
の辻褄が合わなくなる ドストエフスキーが神秘主義者というのは違うと私も思う。
少なくともカラマーゾフの中で著者として神秘的なものを支持している様子はない。
ただ本当のリアリストは神秘主義を否定しないと言っているだけで。
カラマーゾフの中にあるロシア正教の聖人を説明するエピソードひとつとっても、
葬儀中に「信仰なきものは出でよ」と唱えたとたん聖人の遺体が外にけしとぶということが三度まであった。
という面白すぎるエピソードを持ち出すあたりで、もう、ね。
自分がその場にいたらこらえきれず爆笑しているよ。
ゾシマ長老の遺体が匂ったのは、人が心中最も大事にしているものをあざ笑う、
得体の知れない、ドストエフスキーのいうところの「ロシア的な」ユーモアにゾシマ長老も取り込まれてしまったということだと私は解釈している。
アリョーシャを含め長老を崇拝している人の心中を揺さぶるため、
信仰ある人の言葉でいうと「信仰心をためす」ための一幕だったんだろう。
旧約、新約の神は人間を試すものだからね。
ゾシマ長老の遺体の匂ったのは、神が人間を試すということをロシア的にしたものだったんだろうと、
すこし変な見方かもしれんが、私はそう思ってますな。 人間は奇跡を見て信仰する、権威を見て信仰
する、与えられて信仰する、そんなものは偽物
で、むしろ苦痛の中から自分の自由意志で信仰
するものだ。と言いたかったんだろうね
だからこそ、ゾシマの遺体の腐敗は意味がある
大審問官の本意ってのは、奇跡を行わないで本当
の自由を選んだキリストの賛美が本質だよ
そこがゾシマの腐敗に掛かっている
とおれは解釈した ドストの神秘主義に関しては、山城むつみの描いた復活を信じることと、信じられないことの間で引き裂かれるドスト像が面白かった >>188
本当リアリストは神秘主義を否定しない
と言ってるだけで
まさにこれだね
神秘にとらわれず、ただの現実に過ぎない
だから肯定でもなく否定もない
ドストの真意の一つはここだとおもってる とり方によっては、ゾシマ長老の死後にアリョーシャの見た夢は
復活後の来世のビジョンだったわけだから、神秘体験ともとれる
この夢がアリョーシャの信仰心を篤くし、エピローグの
「必ずよみがえるますとも。そこで再会して……」
という発言に至るわけだしね カラマ読み始めたけど登場人物のエネルギー凄いな
当たり前の事かもしれないがドストエフスキーは社会?宗教?人間心理?への興味がとてもあるんだな
バルザックなんかも風景の細かい描写がそんな所まで知ってるのかと思わせられるが
文豪の関心の持ちようには驚かされる 忙しくて、コメント書けない、ここのみんなのカキコを読んでる
早く返事つけたいなぁ! どうにもそういうふうに思えないんだよ。
ドストエフスキーの書く人物がすごい?
世の中、変な人いっぱいいるし、凄い人いますよね?スカッとジャパンに出てくる人と何が違うのかな? 現代の小説に登場する人物たちと比べると確かにエネルギーは違う気がする。
ひとりひとりが主人公になり得るというか。 自分で調べろ。
バカボンのパパやノビタ、ジャイアンとドストエフスキーの描く人物と、何か違うのかな。
小説の登場人物にエネルギーなんて感じないけど。 >>199
それは明確に違うな。
自分も漫画やアニメを好んで見るけど、
漫画やアニメの登場人物は小説と比較すると思想性がほとんどない。
わかりやすく書くとペラい。 のび太やジャイアンの生き様からある種の学びを得ることは可能だけど
彼らは神について語ったりしないし、自殺もしない。
ガンダムのシャアやアムロの物語も例えばシャアの演説なんかはいいフレーズはあるけど、やっぱり、全体的に見るとペラい。
それは商業アニメという表現形式をとっている以上、仕方のないことなんだけどね。
作品全体から伝わるメッセージ性でいえば、片隅とかズートピアとか去年は結構いい作品がたくさんあったけどね。 アニメとか漫画のキャラがドストのキャラみたく演説してたら尺が幾らあっても足りないしドストなんて読破するのに何日かかるのさ そうそう
アニメや漫画は表現形式上、小説と比べると大幅に台詞をカットしなければならないので
どうしても過度に誇張されたわかりやすい台詞しか言えないようになっている
これはアニメのシナリオを書いたときに教えてもらったことだけどね
かといって、基本的に止め絵なので身振りや表情で感情を示すのも難しい ちなみにいまのアニメーターは映画を見ないから人間の動きを描くのが下手くそになっていると富野監督は言っていた
これは作品の物語づくりにも当てはまっていると思う ドストエフスキーみたいな新聞小説家の愛読者どもがエラソーに 正直宗教語るにしても期待したほどじゃないんだよな
ゾシマ先生が腐っちゃった(泣)とかさ
ああいう聖人物語いろいろある気がするんだ
俺はドン・キホーテみたいなんに深さを感じる
でもドン・キホーテ持ち出さないといけないほどにはすごいと思ってる
イワンとアリョーシャの久々の再会での会話は面白いと思ってる
でもあれはテクニックだな そうだなついでに書こう
裁判の場面は退屈
ドストがバックにいるの見え見えではいわゆるポリフォニックとは程遠い でもこういう信仰の問題て人それぞれとしか言いようがないかもな
あれがクリティカルヒットしたんだと言われればそれまでというかこちらもその感じはわかると思うくらいには物語ってるし
ドストは卑怯だ! でもさ、ポリフォニーを感じられる小説ってドスト含めて数えられるほどしかなくないか?
いまではポリフォニーはありふれた手法だとはいっても、ドスト並に登場人物個々にエネルギーを感じられる作品はほとんどない ポリフォニーなんて
大学院をソッコーで中退する程度の文学かぶれが
どやったゼミ発表をするときに使う言葉 神(キリスト)の解釈が独特だからドストは
海外でうけたと言われている
もちろん物語の構成の才能があったとかは
もちろんだけど
では、なぜキリストとは馴染みのない日本
でこんなに支持があるのか? >>220
> では、なぜキリストとは馴染みのない日本
> でこんなに支持があるのか?
キリスト教とは関係なく、信心の問題に直結してるからである
信心の問題は民族国家によって厚薄があるのではなく、普遍的根源的なものである
日本人は宗教性が薄いと内外から思われ、無自覚の人も多いが、そうではない メンヘラが多いから
メンヘラの作品にはメンヘラにだけ琴線に触れるキーワードが秘められてる
ドストエフスキーもてんかん持ちで近いと思う 今、あおぞら文庫の中山省三郎訳を見ているんだが、これは第5篇プロとコントラまでしか なかったんだね
ゾシマ腐敗とアレクセイについて参照しようと思ったんだが マルメラードフの嫁は虚言癖だっけ?実際に良家の娘だったっけ? ここまでみていて、知識として知らない人もいるみたいだからふれておきたいのだが、2ちゃんだから極力端折るが本来なら本を一冊はしっかり読まないと理解できないところだから、興味がある人は自分で調べてほしい。
カラマーゾフはヨハネの福音書の引用から始まっている。
新約聖書には福音書が4つあり、それぞれ書かれた目的も時代背景も違う。ヨハネの福音書はなかでも最後に書かれた福音書で、その目的は……私は教徒ではないし、
正しく学んだわけではないから誤解を広めそうな部分があればわかる人に訂正してもらいたいが……ひとつには当時はびこっていたグノーシス主義に対するアンチテーゼだ。
グノーシス主義とは、数ある異端のなかでキリスト教会を最もおびやかしたもので、
霊と肉体というものを分けて考える二元論に大きな特徴がある。
そもそも今日びキリスト教についてちょっとでも調べた人間ならまず疑問に思うのが、キリストは神の子なのに、同時に人間でもあったという点だ。
現人神か?と多神教的に思ったりもするが、ユダヤ教的世界に神でもあり人でもあるという矛盾にたいする用意があるはずもない。
一神教では神は唯一絶対のもので、神が人間でもあるということを許容する素地はユダヤ教にはなかったということだ。
ついでにいうとユダヤ教の神に名前はない。神は唯一の存在であるから名前も必要ない、名づけることも、名を呼ぶことも不信心というわけだ。
イエスキリストも名前ではなく「救いの主」という意味の敬称で、名前がないという点で一神教的枠組から抜け出すことを避けている。
神の子という時点で一歩足が出てしまっているのにね、私個人の偏見をまじえていうと。
ともかくその矛盾点に、グノーシス主義は地上につかわされたキリストはあくまで霊的なものであり、肉体は霊の仮初の宿にすぎない、という回答を用意したわけだ。
簡単にいうと、本体は霊であり、肉体は抜け殻にすぎませんよ、ということだ。
これが当時の人々の心を掴んだ。逆にいうと当時のキリスト教会を脅かした。 それに対してヨハネの福音書は、肉体がキリストの仮初の宿にすぎないのではなく、キリストは肉体でもあり、霊でもある。神の子でもあり、人の子でもある。偉大な神の子であり、同時に私たちと同じ肉体をもって生まれている、
ここにこそイエスキリストの偉大な奇跡が現れていると説いている。
じゃあやっぱり現人神じゃん、と多神教的に思ったりする、くどいようだが。
まことにまことに汝らに告ぐ。一粒の麦、地に落ちて死なずば一つにてあらん。もし死なば多くの身を結ぶべし。
この一節は色々な解釈が可能なところで、しかし肉体の滅びを奇跡へと結びつけている点には重大な意味がある。 で……なんで長文でこんなことを書いているのかというと、
少なくとも信仰という点からカラマーゾフはヨハネ福音書についての予備知識なくしては語れないからだ。
宗教の話をしたくないから端折ってしまったが、ゾシマ長老の葬式の場面は、冒頭の一節と重ねて考えない手はあるまい。
霊でもあり私たちと同じように肉体もある。その肉体もなにも特別なものじゃない。だから腐る。
けれどともかく肉体は滅び、多くの実を結ぶだろう。
もっというと、霊でもあり肉体でもある、矛盾した二つのものが同時に有りうると説くヨハネ福音書の特徴は、カラマーゾフの色々な場面にもみられる。
賢明なイヴァンが道化であり豚同然の父親とこれ以上なく折り合っているし、
純朴で善良そのもののアリョーシャがドミトリイが13段まで上ったところの階段の一段目に足をかけてしまっている。
息子に謀略をかけることさえ平気でするヒョードルが、アリョーシャの善良さに打たれ心から信じきっている。
イヴァンにもカラマーゾフ的な愚劣を受け入れる素地があるのだろうし、アリョーシャも情欲と無縁ではない。
下司で豚同然で道化でなんで生まれてきたのかわからないというくらい言っても過言ではないヒョードルでさえ、
くもりなく善良なものに素直に心を打たれてしまう。
善か悪かではなく、善でもあり悪でもある。すべての登場人物にすべての要素が含まれている。
含まれているから別な人物の言葉に対立する立場にある人物から共鳴する音が聞こえてくる。
それがカラマーゾフならびドストエフスキーの著作の特別な点だ。ポリフォニーというけれど、私はこれこそ本当のシンフォニーだと思う。
二項対立ではなく、二項対立にたいするアンチテーゼとしての二項融和。
対比という観点でカラマーゾフを読むならそれを前提にしないといけないんじゃないかと思う。 長文ですまん。
宗教の話はわたしも特定の宗教を信仰しているのではないから黙っておこうかと思ったが、
ドストエフスキーの登場人物の特徴、宗教、カラマーゾフにおけるゾシマ長老の腐敗とここまで材料が出てくるとどうしてもいいたくなってね。
最近カラマーゾフをまた読んでいて、つい影響を受けて調子にのってしまった、堪忍な。
少なくともヨーロッパ圏でカラマーゾフが読めるくらいの年齢になった子は、ヨハネの福音書について理解がある。知識として知っておいたほうがいいとおもってな。 >>229
ドスト、カラマーゾフは特に、宗教的背景と
聖書とキリストを知らないとゾシマ腐敗のよ
うな物語の一出来事でさえも真意をくみとれ
ない、っていうのは賛成でそうおもう
一粒の麦の話が物語に掛かってるのも分かる
どこまで信仰を知識と知っているあなたに質
門させてね
カラマーゾフはヨブ記の比喩だと思ってる
アリョーシャがヨブのように最後まで信仰
し続ける物語、もし短絡的に一言にすれば
イワンからの大審問官のようにこの世の残虐を
きかされ父親殺しを見せられてもこの神の
作った世界を受け入れ、より信仰する物語
ヨブ記が最重要だと思うんだけど、どう思う? >>231
横から失礼
個人的な意見ですが、ヨブ記も重要だがその先に見えてくる
父殺しの後の「大地崇拝」は何を意味するのかというところまでたどり着きたい
アリョーシャの大地への口づけと一粒の麦の関連性などです 大審問官より、
「キリストは奇跡を起こさず自由を得た。でも人は自由なんていらなくてパン(奇蹟)を求める」(イワン談)
ゾシマが死んで腐臭がしたことで、アリョーシャはそれをどう解釈していいか分かんなくなるじゃん?
それはきっと、心のどっかで奇蹟を求めてたってことで、
その後、僧が聖書を朗読している声をボーッと聞きつつ寝て(ヨハネ福音書2章にあるガリラヤのカナのとこ)
夢の中でゾシマが一本のネギの話やら婚姻の話やらを持ちだすじゃん?
“ゾシマから良い香”ってのは悪魔の誘惑で、それを求めてた自分だ居るってのとを夢の中のゾシマに教わるんじゃね?
それで、良い香(奇蹟)を退け、腐臭を受け入れることで、イエスやゾシマの教えに沿うことができる。
「自分の仕事を始めるがよい」(ゾシマ談)
アリョーシャは大地に口づけして力強く戦士のように立ち上がり、寺院を出て野に下って行くことになる。。。
でも、
アリョーシャ「僕は甘いものが好きです(きりり」
イワン「悪魔は甘いものが好きやでぇ〜www」
アリョーシャはヨブではない。ヨブはゾシマだ、って気もする。 >>226
ロシア正教の特殊性を考慮できていない
0点
無理やりいわゆる西方キリスト教の解釈でゆがめられたドストエフスキーへの片思いだな
捏造と言ってもいい >>235
2chはこれだから……。
批判するならせめて自分の論旨を明確にしないといけないよ。
相手の意見の否定するだけなら野次と一緒です。
ヨブ記については、私も多少関連書籍には目を通しているから、重要かといえば勿論重要ということで同意するが、
ただヨハネの福音書にかぎっては自分の語れるところなので、こうして意見しました。
それに、正直私としてはヨブ記からみるカラマーゾフよりも、ヨハネ福音書からみるカラマーゾフのほうによりひかれるんだよね。
片思いか。なるほどそこは正しいかもしれない。 >>236
だからお前の貧弱なヨハネ福音書理解をドストエフスキーは同じように読んでいたの?
当時ドストエフスキーが解釈したであろうヨハネ福音書解釈とお前の西方解釈は同じだと思うの?
けっこう独りよがりの解釈で「他人の解釈はキリスト教理解してない!」と延々さえずってる馬鹿にしか見えないんだよね
お前結構ずっと同じこと言ってるでしょう
頭悪いんだろうなぁと思う >>237
なるほど。
私の意見があなたのいう西方キリスト教的に正しい解釈だとは私自身思っていないが、
そこまでいうならドストエフスキーの解釈というのを教示ねがえますか?
そこまでやらない野次のままでおわりますよ。 >>238
>正しい解釈だとは私自身思っていない
で、正しくもない自分の妄想レベルの解釈で翻訳者含めて罵倒している馬鹿がいる、という指摘だね
妄想を書きつらねている、という自覚がないようなので注進しておく
おかしいと思わないのかな?自分でただしいと思えない解釈が、なぜかドストエフスキーの根幹を捕らえていると信じているのは
オカルト解釈を持ち出して、自分はドストエフスキーのキリスト解釈と共振しているんだ〜というのが結局お前の書き込みなのね
で、他人の解釈は「共振していない」と主張しているんだけど、根拠は皆無なんだな
このあたりを指して、本当に頭悪いんだろう、という指摘をしておく まず、他人の解釈を否定した覚えはないよ。ヨハネの福音書にふれなければ信仰という点からカラマーゾフを語ることはできない、といったけども。
悪いが心当たりがない。あなたのいう他人の解釈を否定した、というのはこの部分でいいんだろうか。
妄想、オカルトと罵るのは結構だが、具体的にどう間違っているのか意見しないとなにもうまないよ。
本の受け売りでも構わないのでちゃんと話してほしい。
ドストエフスキーを読んで夢中になって読み進むなら、誰もが振り回されるもので、あなたの言葉をかりるに、みなそれなりに「共振」しているわけで。
他者の「共振」というのを否定する目的でヨハネの福音書について書いたわけじゃないよ。
まあ、ドストエフスキーを読んでからなにか書くと、たいてい夢中になってしまうものだ。
あなたも多少なり経験があるだろう。つい独善的に言い切ってしまったところは確かにある。
その点が原因なら、悪かったね、寛容な気持ちで勘弁してくれ。 >>240
>カラマーゾフはヨハネ福音書についての予備知識なくしては語れないからだ。
お前自分のレス読み返してみろよ
ものすごく醜い「他人の解釈を否定」だらけだぞ
自覚が本当にないなら、まじめに自分のレスを読み返して、他人に読ませるだけの価値がある内容か確認してみろ
「自分のヨハネ解釈」(海外における小学生レベルの知識)は他人に押し付けるだけの価値があるか?
「ドストエフスキー読むと独りよがりになっちゃうよね」というお前の弁明は、お前のレスの醜さを正当化できるのかね 少なくとも信仰という点からカラマーゾフはヨハネ福音書についての予備知識なくしては語れないからだ。 <少なくとも信仰という点からカラマーゾフはヨハネ福音書についての予備知識なくしては語れないからだ。
うん、引用みたが一応配慮して書いてるじゃないか、私。
人の意見を都合よく切り取ってつかうのはやめてくれ。
これ以上はあなたなりの解釈を提示してくれたら返事するよ。
野次のかけあいは本意じゃない。 >>243
お前の「他人の解釈を否定」を延々列挙しろと言うのか?
お目絵の中の「否定」と他人とのずれを指摘しなくてはわからない、というのが本気で言っているのなら
要するに馬鹿だなぁ、という結論に行きつかざるを得ない
長文書く前にまじめに自分のレス読み直してみなさい
結論、自分は正しい、と主張する馬鹿が延々スレに居座っているというだけだが
心に響くものがなければ、延々こいつの独りよがりのレスが続くのだろうが >>243
もう放っておきなよ。絡む事自体が目的の御仁でしょうに。 トリップをつけたり外したりしている人かもね
文体が似ているだけで確証なんざありませんが ヨブ記の話を最初に持ち出したものですが
それにしても深く読んで自分の解釈を持ってる人
がいるんだね 自分の解釈を持てるってのは
面白い レス読み返してて気が付いた事もある
対立は認識のズレを知るのに否めないのかも
だけど第三者としては面白く読ませてもらった
ありがとう
あと聖書しらずにカラマーゾフは読めない、って
のは強く同意だな
余談ですが、トランプみるとフョードルを連想
するのはオレだけかな
妻が何人もいて恥知らずで女好き金大好きの道化 >>236の人だと思うけど、オレは
一粒の麦の意味をよく理解していないんだ
アリョーシャが俗世にでて芽が出るように
再生する、って解釈かい ヨハネの比喩とす
るならば
一つの犠牲で多くを助ける、と考えたならば
アリョーシャはなんの犠牲を払ったのか
たしかこの後に、自分の命を愛する者は、
それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、
それを保って永遠の命に至る
って続くでしょ
ここがどういう風にアリョーシャに掛かってくる
のか。がスッキリしないんだ
無実でも罪を背負ったドミートリーとするならば
理解出来る ヨハネ書が読解に必須だなんてまったく思わないけどね
人に自分の解釈を開陳するのはいいけど、
それ以前の問題としてまず改行を覚えよう おまえらカラマーゾフばっか語るけど罪と罰とか宗教云々してない作品でも面白いし亀山訳で普段読書しない人間まで読んで売り上げて本当に宗教の知識ないと楽しめないのかね お言葉ですが罪と罰なんてバリバリの宗教的
作品だと思う
ラザロの復活をどう読むか
ラスコーリニコフは犯罪を犯したわけではない
罪を冒したから罰を求めた
最後まで我意を通せない自分を恥じはしたけど
何一つ世界の摂理は踏み外さなかった
地下室なら宗教関係ないってのは分かるけどね
あと、2chだし携帯だから改行云々は見逃しとくれ 悪霊の再読終わった。カラマ読んでいた人は終わったかな。
新潮、岩波と読んだので次は亀山訳いってみようかな。 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在らん。もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。」(ヨハネによる福音書12:24)
ふつーーーうの解釈だけど、
これはイエスが磔で死ぬことを悟ったときの言葉で、自身を小さな一粒の麦にたとえてる。
種のままだと芽も出ないし実もつけないけど、種じゃなくなることで(これを死と言ってる)実になるってことやで?
おれらの感覚だと種は生きててそれが発芽し実をつけるってイメージだけど、ここでは種が死ぬことで新たなもの(実)になるって意味。
ひらたく言うと、
「わたしが死ぬことによって残った大勢が生きる」って意味やで〜。
他にも
「イエスの死によって残った人々の罪が清算される」みたいな解釈とかあるけどなぁ・・・
でも、アリョーシャが言いたいことは他にもあると思うけどなぁ・・・ >>249
ちょっとだけ補足を。
いや、↑の255さんと意見がちがうわけではないが、すこしだけヨハネ福音書にたいして愛のあることをいい足しておこうかとw
↑の仰る通り、解釈をいろいろみかえることはできるが、磔刑をひかえたイエスキリストの表白であることをまず考えてみるほうがいいでしょうね。
そのうえで、解釈をする前に、この一節を書いたヨハネが、今も昔もキリスト教徒が、いま繁栄し、これからも繁栄しようとしているキリスト教会の様子と、
磔刑を前に決意をあらたにしているイエスキリストを、この一節を唱えながら思い浮かべずにいないということにも考えを巡らせてもらいたい。
この場合勿論キリストが一粒の種であり、キリスト教徒達が結ばれた多くの実です。
このキリストの磔刑がなければ、パウロを含めた使徒たちの目覚めもなく、彼らの活動によって築かれたキリスト教のあらゆる礎もなく、世界中の多くのキリスト教徒たちもなかった。
ドストエフスキーでさえそういう感激なしにこの一節に触れてはいないのではないかと思うわけです。それが解釈に関わるかどうかはとはまた別に、ね。
教徒ではない私たちは、福音書の一節一節が彼らの心の糧になっているということをなかなか実感しづらいもので、私がヨハネ福音書を持ち出したのもそこに思いを巡らせてみては、と、なるべく客観的な立場からいいたかったので。 >>256
翻訳のちがいといえば、大審問官のなかに空気はレモンと月桂樹のように匂っていた、とあるが、
これがたったいま読み返している米川正夫訳だとレモンとかつら、と書いてあるんですよね。かつらの部分はコンマつきで。
このまえ青空でよんだ中山省三郎訳だと月桂樹になってるんだよね。
ちょっとだけロシア語かんでいたから原語を確認したらやはり月桂樹だった。
気になるから月桂樹と桂のちがいまで調べてしまったが、やはり全く別種の木だった。
なぜ米川正夫はかつらと書いたんだろう。
本筋とはまったく関係のないことだがきになってしまった。 ↑は、レモンと月桂樹の匂いがした、ね。比喩でもなんでもなく。失礼 イエスだけに依存するものよくないけど、病気や癒しのことなら
データがあるよ。要するに主 人 のことだけど。 当たり前に。 >>255
なるほど
>私が死ぬことで大勢が生きる
これがシックリきたよ
これを踏まえるとゾシマの死(腐敗する普通の死)
で神秘主義にかたよった当時の奇跡主義の教会を
密かに批判したかったのかも知れないと思った
奇跡ばかりに目をやるな、みたいな
いずれドストの心理を覗きたい >>257
> この場合勿論キリストが一粒の種であり、キリスト教徒達が結ばれた多くの実です。
やはりこれが一粒の麦の話だね
オレはドストの初期作品からカラマーゾフに至る
まで一通り読んできたけど(再読はないけど)、
初期の社会主義に傾向のあった作品から、どういう
心理でキリスト教主義に移ったのかに興味がある
やはりドスト信者として心理過程を知りたい
キリスト教は地上から天を目指すが、
共産主義は天を地上に引きずり下ろす、と言った
悪霊の一文が記憶に残っている 大審問官が言っていたように、「奇蹟を求めるってのが大衆心理」で、イエスが荒野の修行中に悪魔の3つの誘惑に打ち勝ったように、
「アリョーシャや!奇蹟なんてもとめちゃダメやでぇ〜」(ゾシマ談)
ってのがゾシマの身をたてた教え(腐臭がする死)、ってことに繋がるわなぁ〜
そのことにアリョーシャが気づけた!ってことやでぇ〜(ここでアリョーシャ覚醒!)
ところでドストエフスキーは神秘家をバカにしてたわけじゃない。
当時のロシアっていろんなキリスト教宗派があって、たとえば分離派(ラスコーリニキ)や鞭身派や去勢派(スメルジャコフがそうだって指摘あるね)とかあった。
で、そういう人達の中にやっぱ聖人って言っていいような人も沢山いてそういう人達もちゃんと見てる。(フェラポント神父とか)
あと“奇蹟”ってのは神秘派だけじゃない。
その中にはドストエフスキーの批判した、“形骸化したカトリック”ってのもあるで! >>263
おれは大きな思い違いをしていたのかも知れない
確かに形骸化されらカトリックを嫌悪しているのは
読み取れるが、 >>263
おれは大きな思い違いをしていたのかも知れない
確かに形骸化されらカトリックを嫌悪しているのは
読み取れるが、いう通りで神秘主義そのものを
否定はしていないね
罪と罰ソーニャ、白痴ムイシュキン、カラマーゾフ
はスメルジャチシャヤみたいな癲癇と神がかり
なキャラクターがよくでてくる
そして重要な役割を担う
白痴に関しては主人公だし
癲癇と神がかりに合理性から神秘主義に移る
心の過程のヒントがある気がしてならない >>253
> 悪霊の再読終わった。カラマ読んでいた人は終わったかな。
> 新潮、岩波と読んだので次は亀山訳いってみようかな。
そんな、いとも簡単に読み終わるってすごいな
カラマ読むために準備中
青空のテキストをディスプレイで
最大拡大して、かつソファからディスプレイまでの距離を最大に取るため、家具の配置まで変えた
つべで朗読音声 用意しようとも
−−−−−−−−−
ああ、あきらめて 書籍で読むか!? ドストの神秘主義に対するヒントを見つけたと思う
イワンと悪魔との会話で悪魔が、
トマスはキリストが復活したのを見たから
信仰したのではない、以前より信仰したいと
願っていたから信仰したのだ、云々、信仰に
物的証拠が何になる、云々、
「オレは現実主義だが唯物論者ではない」
奇跡や見えない世界も唯の現実と受け入れる
この一文をドストの神秘主義に対する
ヒントに見えるんだけど、どうかな?
勝手な話だが、ドスト神秘主義に今ハマっていて
なにかヒントがあったら教えてください
カラマーゾフでなくてもなんでも >>268
山城むつみ読めば
おとなしい女の論考はほぼドストの神秘主義について書いてあるよ 解説書って言うのかな
そういうの読んだ事ないんだけど
せっかくなので挑戦してみる ありがと 683 名前:Trader@Live! [sage] :2017/04/13(木) 10:50:57.19 ID:gMrRR7lb
朝起きたらロスカット!
2657万円が無くなっとる!
俺は夢だと思って寝た
今起きたが、やはり2657万円が無い
どうすりゃええの?
ネタじゃねえよ
けど、これってネタだよな? 683 名前:Trader@Live! [sage] :2017/04/13(木) 10:50:57.19 ID:gMrRR7lb
ユーロドル
朝起きたらロスカット!
2657万円が無くなっとる!
俺は夢だと思って寝た
今起きたが、やはり2657万円が無い
どうすりゃええの?
ネタじゃねえよ
けど、これってネタだよな? ストラビンスキーという名前の馬はいたけど
ドストエフスキーはさすがにいない アンディ・ガルシア の演技力が話題になることはあまりない >>268
> 奇跡や見えない世界も唯の現実と受け入れる
「奇跡や見えない世界」即「唯の現実」ということでは、ないのでは?
第一編 第5長老より 筆者自身による解説
>真のレアリストは、もし彼が不信者であるとすれば、常に奇跡を信じない力と心構えを持っているのである。
そして、もし奇跡が否定すべからざる事実となって現われた場合には、彼は奇跡を許容するよりも、むしろ自分の感覚を信じまいとする。
>けれど、いざ奇跡を許容するとなれば、きわめて自然な事実でありながら、今まで知られずにいた事実として許容するのである。
すなわちそれは「信仰が奇跡を起こす」という自然界に存在しているファクトのことである >信仰が奇跡から生まれるのでなくて、信仰から奇跡が生ずるのである。もしひとたびレアリストが信仰をいだいたならば、まさしくその現実主義を通じて、必ず奇跡をも許容せざるを得ないのである。
>使徒トマスも、見ないうちは信じないと言い張ったが、いよいよ見たときには、『わが主よ、わが神よ!』と言った。
これは、奇跡が彼を信じさせたのだろうか? おそらくそうではなくて、彼がただ信じたいと望んだればこそ、信ずることができたのであろう。たぶん彼が『見ないうちは信じない』と頑張ったときすでに、自己の存在の奥底では、完全に信じていたのかもしれない。
トマスの、この話は、聖書を読んだことがないので、わからない部分もあるが「彼がただ信じたいと望んだればこそ、信ずることができた」という部分がコアだとおもう。
キリストの復活を「見る」という奇跡は、「彼がただ信じたいと望んだればこそ」おきたと
−−−−−−−−
以上、やっと この部分まで読めて、「あ、ここ2ちゃんの彼が書いてたな?」と想起し、カキコに来た次第です それと、この章の前のところで、フョードルが地獄について語るところで
-------------
もしわしを鉤にかけて引きずりこまないとしたら、そのときはどうだろうな、
いったい、この世のどこに、真理があるというんだ?
Il faudrait les inventer(ぜひとも作り出さにゃならんのだ)
ことさらにその鉤をわしのために、わし一人のためにな、なぜと言って、とてもおまえにはわかるまいが、アリョーシャ、わしは実になんとも言えん恥知らずだからな!……」
------
深い信仰への関心と、哲学的な思考をしており、フョードルは俗物ではないな、と感じた。そして自分の人生を責めていること
16歳の時初めて読んだときも印象に残りましたが、年をとってから「自分の人生を責める部分」「後悔する部分」について 共感を感じた
フョードルのこうした部分が、巨大な息子たちへと受け継がれたんでしょうか トルストイに人道主義を読んだり、ドストエフスキーにキリスト教主義を読んだりしているのは、私達の呑気な文化環境がさせた業で、二人を裸にしてみれば、無政府主義的革命家の顔が現れる
と言った人がいたな。 >>284
と言いつつちょっとそんな気もしたりしてねw 「でも地獄には鉤なんかありませんよ」と父を見つめながら、静かにまじめにアリョーシャは答えた。
(ここでちょっと笑いそうになるよなwww)
フョードルは死に対してビビってるんだと思う。
死を極端に怖がってる人が強がって「鉤でやっちゃって!!!」って叫んでる気がしたなぁ・・・
フョードルは茶化してんじゃなく、本音っぽく聞こえる。
だからアリョーシャはギャグととらえずに“静かにまじめに答えた”って思った。 >268
使徒トマスって“疑い深いトマス”ってあだ名思い出した・・・
>274
でもトルストイって馬はいる。 トルストイというのはロシア語で太った、という形容詞だからね、大作家の名前ということを無視して言うと。
なんで名前にしたのかは知らないが。 <<281
ドストエフスキーの書く登場人物で、自らの罪から逃れおおせている人間はいないんだよね、私が読んだなかでは。
ヒョードルは今までの悪業のつけを払うことを予期しているのかもしれないですなぁ、
直接の言及はないから妄想にすぎないが。
今までの人生を後悔するといってもそれは極めてドストエフスキー的に、
自覚がないながらも震えおののいてうわごとを数ページ分、という形になったのではなかろうかと。 >>282
>無政府主義者の顔が現れる。
トルストイについては分からないが
ドストについては、「国家そのものを排除する
ことが理想」としたという意味で同意
だけど、行き着く先はやっぱりキリスト教会だよ
カラマーゾフの場違いな会合?でイワンがいう
「教会が国家の中に地位を求めるべきではない。いずれあらゆる国家の地位が教会に変わるべき」
全部ではないがこんな感じ
ここにすごく政治的な意図をオレは感じた
ドストはフーリエ社会主義を目指した時期が
あるよね けど結局は国家の廃止、世界同時共同体
みたいな、ただしキリストを頂点で、無政府
ユートピアを理想としたと思ってる
政治的な文は悪霊にたくさん見つかるけど >>138
神の有無って当時の問題ではなくて
生まれてくる人間の常の問題だと思うけど >>291
神の有無を居酒屋でウォッカ飲みながら語るのが
ロシアの大学生の流行り、って罪と罰で読んだ
記憶がある おそらく罪と罰だったとおもう
だから、当時ロシアで流行ったと憶測したんだ
このテーゼ時代を問いものではないが、この
発言は大審問官がなぜ特に論争に選ばれるのか?
についての解だから そーいうこと
分かりずらかったかもね このテーゼは時代を問うものではないが
修正ね 携帯記入は誤字が増える わるい >>290
>「教会が国家の中に地位を求めるべきではない。いずれあらゆる国家の地位が教会に変わるべき」
↑キリーロフの人神思想とは違う意味で衝撃受けるよね。 >>294
うん ほんとにね
オレには記憶に残る思想だったよ
キリーロフの人神論も衝撃だった
何度も読み返したし(理解がまだ追いつかないけど)
道徳障害を心と軽く踏みこえる人が隣人だったら
ぞっとする ここに来るとちゃんと読んでいるつもりでも見逃しているものがあるんだなと気付けて面白いよ。
イヴァンが長老の部屋での対談もそうで、大審問官の部分も実はそうなのだが、
ただ……イヴァンの思想に基づいた現実的提案にたいして、どちらもそのすぐあとにゾシマ長老がその意見にあっさりと片をつけている。
僧院でに一幕において、イヴァンの意見のあとすぐに、実際今でも司法の罰というのは形だけにすぎず、キリスト協会があってこそ罪人にたいして本当の罰を与えているといっているし、
大審問官のあと、ゾシマ長老の遺言の形で、若い世代の思想は結局ロシアの人民を救済することができず、それこそキリスト協会の務めであると言っている。
今ふりかえってみてロシアがどういう足跡をたどったかをみると考えさせられる……
実は大審問官を重視する読解に自分が懐疑的なのは、みなここであっさり否定することを殆ど見なかったことにして話を進めているからで。
その点についてはみな関心がないのだろうか? >>296
大審問官が重要と発言する理由はいくつかある
全体の読み取り方の誤差が人によって違うという事
オレはこう読んだんだ、具体的には
大審問官でまず、人間が地上のパンと神秘と権威に
従属することに幸福を感じると述べる
そしてほとんどの大衆は弱くそれを望んでいると
その後ゾシマはそれを否定する「人間は罪を
自覚し傲慢を捨てる先に欲求から解放されて
ほんとの喜びがある云々、全体もみろ云々、
造られたこの世は素晴らしい云々」
でもこの先がある
最初に言ったイワンは自分の思想に苦しめられる
悪魔「神がないなら善行は必要なくなり自分が
神になる、すべてが許されるし、新しい人間は
それを超える権利がある、なんて言った若者がw」
で結局イワンは良心の呵責に耐えきれず
裁判でオレが殺した。なんて言っちゃう
スメルジャコフはそんなイワンに失望して・・
関心がないからみなかったことにしてるんじゃない
よ 後半続きをオレは重要だと思ったって事で
そしてカラマーゾフのは未完だよ まだあるはずだった
長くて申し訳ないが、まず大審問官のくだりが
ないと始まんないから重要って言ったのさ 長たらしく書いたけど、大審問官の伏線が
最後のページまでかかってる、とオレは読んだ
から重要だと思う。って事
読み方だからオレにはこうしか読み取れ
なかったんだよ >>36
> ミーチャ編は苦痛なら適当に飛ばし読みしてもいいのでは
> ただ、中巻最後にミーチャが見るものがありますのでそれだけ頭において下巻へ
> 下巻は大審問官好きのあなたが好きそうな対決シーンがあるよ
--------
このアドバイスは、何とか彼にカラマーゾフを投げ捨てないようにさせる為の方便であることは、わかっていますが
しかし、良い方便であるとは思えません
中巻というのが、第何編から第何編を指すのか、わかりませんが
ミーチャが どういう運命をたどるのかこそ、カラマーゾフが僕等の人生に与えてくれる忘れがたい読書体験だと記憶している
電子テキストの 上巻に該当する部分しか入手できてないが、その
中巻部分について、今後 集中的に書き込みしていきたいです セルヒオ・ガルシア・フェルナンデス(Sergio Garcia Fernandez, 1980年1月9日 - )は、
スペイン・カステリョン・デ・ラ・プラナ出身のプロゴルファーである。
El Nino(エルニーニョ)というニックネームでよく知られている。
英訳すると定冠詞付きの The Boy となることから、日本語訳で「神の子」と呼ばれることが多いが、実際には「暴れん坊」という意味である。
これまでにヨーロッパツアーで通算12勝、アメリカツアーで通算8勝を挙げている。世界ランキング自己最高位は2位。 >では長老とは何者かというに、これは人の霊魂と意志とをとって、自己の霊魂と意志とに同化(結合)させるものである。人はいったんある長老を選み出したら、全然おのれの意欲を断ち、全幅の服従と絶対の没我とをもって、これに自己の意志を預けるのである。
もっぱら精神的訓練を通じ、師弟の間の自然な直観的感応作用でもって伝えられる、その他の仕掛けは存在しない
しかし、たとえ「全幅の服従」を持っていても「絶対の没我」と
「全然おのれの意欲を断つ」ことは困難である
そうであるからこそ
>こうして自己を委託した人は、長い試練の後に自己を征服し、かつ制御する日の来るのを楽しんで、甘んじてこうした試練、こうした恐ろしい『人生の学校』を、自ら進んで双肩に担う
であると 昭和初期の難しい文章ワロタ
オマエの感想厨以来のバカ発見 769 名前:本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 [sage] :2017/04/14(金) 17:53:48.42 ID:MANDKoZq0
サムライ現る!
野グソ続けて43年「妻に逃げられても止めません」
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000001-withnews-sci 終戦前後の満州国の日本人に襲いかかったソ連の囚人部隊は殺人・強姦はもちろん
人前でも平気で野糞をするとんでもない連中だったと
歴史通 2017年4月春号にありました
最悪ですねロシア人 >>292
> 神の有無を居酒屋でウォッカ飲みながら語るのが
> ロシアの大学生の流行り、って罪と罰で読んだ
> 記憶がある おそらく罪と罰だったとおもう
カラマーゾフじゃね〜w? イワンがアリョーシャと茶を飲みながら、料理屋「都」で、ついたてのある場所で、語るんじゃなかったっけ?
全部記憶だけど 終戦前後の満州国の日本人に襲いかかったソ連の囚人部隊は殺人・強姦はもちろん
人前でも平気で野糞をするとんでもない連中だったと
歴史通 2017年4月春号にありました
最悪ですねロシア人 たとい僕が人生に信を失い、愛する女に失望し、
物の秩序というものを本当にすることができなくなったあげく、
すべてのものは秩序のない、呪われた悪魔的な混沌だと確信して、
人間の幻滅のあらゆる恐ろしさを味わい尽くしたとしても
――やっぱり僕は生きてゆきたい、いったんこの杯に口をつけた以上、
それを征服しつくすまではけっして口を離しはしない!
しかし、三十にもなれば、たとい飲み干してしまわなくっても、
きっと、杯をすててしまう。
行く先などはどこだか分からないけれど、
だが、三十の年までには僕の青春が
いっさいのものを征服してしまうに違いないんだ
――生に対するいっさいの幻滅もあらゆる嫌悪の情も、 アリョーシャ。僕は生活したい、だから、
論理に逆ってでも生活するだけの話だ。
たとい物の秩序を信じないとしても、僕にとっては春の芽を出したばかりの、ねばっこい若葉が尊いのだ。るり色の空が尊いのだ。ときどき何のためともわからないで好きになる誰彼の人間が尊いのだ。そして、今ではとうから意義を失っているけれど、
古い習慣から感情のみで尊重しているような、ある種の功名が尊いのだ。
(以上、中山訳電子テキストを、手作業で 米川訳に近づけた) 大量の引用すまない
気にくわない人は、気にくわないと思う
僕は貼り付けながら、感動を抑えることができなかった
無限に引用したいくらいだが、ここまでに
−−−−−−−−
別のページで、確かグルーシェンカだったと思うが、「理由がなくたって
愛さなくちゃダメよ!」と叫ばせていたと記憶する
愛する根拠も、理由もない。しかし愛することから始める!という この思想? 俺は偶然このスレを目にして幸せだ!
みんなのスレにまともにへんじもしない
自分がカラマ読むことに精一杯で夢中だからさ
激しい感動を覚えずにいられない!
わずかでも再読できて ほんとによかった!
ありがとう もともと一粒の麦のたとえはヨハネ伝しかないわけだし、
その解釈だって色々ある。
ドストエフスキーはむしろ字句通りの解釈をしてるほうで、
さほど福音書の専門的解釈を重視してるわけではない
たとえ話がなくてもいいなら類似の聖句ならマタイ伝にもある
ヨハネ伝が分からなければ読めないというのは一面的
聖書の知識があるに越したことはないが、
聖書の知識がなければ読めないというものではない
それは罪と罰でも同じだよ >>255
> 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在らん。もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。」(ヨハネによる福音書12:24)
> これはイエスが磔で死ぬことを悟ったときの言葉で、自身を小さな一粒の麦にたとえてる。
まず、この背景の説明を ありがとう、知らなかったので、なるほどと。
> 種のままだと芽も出ないし実もつけないけど、種じゃなくなることで(これを死と言ってる)実になるってことやで?
> おれらの感覚だと種は生きててそれが発芽し実をつけるってイメージだけど、ここでは種が死ぬことで新たなもの(実)になるって意味。
なんとなくは 分かっていたが、分かりやすく解説ありがとう
−−−−−−−−−−−
初めて読んだとき、非常に印象深い言葉であった。今も深い深い意義を感ずる
俺はキリスト教徒ではないが、「この言葉を文字通りに信じる」
「誠にまことに汝なんじらに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、
唯ただ一つにて在ありなん、もし死なば、多くの果みを結ぶべし」
とは
カラマーゾフの兄弟たちであり、たとえばイリューシャであり、ゾシマであり、そして誰よりも 俺自身のことだと信じる カミュスレとかでも7年で1スレも消費できてないんだな
ドストスレは異常w >彼がこの道へ踏みこんだのは、当時これひとつだけが、
闇の中から光明をさして突進する彼の心に
驚くべき究極の理想をかかげてくれたからにすぎない。
-----------------
思春期における、信仰の道へ入ろうとするアレクセイの、この真情こそ
>彼がわが国の近代的青年であったことを付け加えればいい。
つまり、天性潔白で、真理を探求し、ついにそれを信じるに
至ったのであるが、いったんそれを信じたうえは、
己おのが心魂を傾けて一刻の猶予もなくこれに馳はせ参じて、
少しも早く功績を立てたい、しかもその功績のためには
いっさいの物を、命さえも犠牲にすることを辞さないという、
必死な希望にかられていたのである。
「わが国の近代的青年」として、ドストは一般化している。ほんとうは日本の青年たちも、そうなのではあるまいか?
命がけの理想さえあれば。
−−−−−−−−−−−−−−−−
(長すぎる行がありますと,エラー頻出。適当に切ってるが、これでいいのか?) >「長老は懺悔の儀式を自分勝手に軽々しく卑しめている」
――ところが、修行僧なり普通世間の人なりが、自分の霊魂の内部を長老にうちあけるのは、もともと儀式として行われているのではないのである
懺悔の神秘でも、儀式でもなく、内発的な魂の開示であろうか。民衆が なぜ?ゾシマに打ち明けるかについて、この後縷々書かれていたと記憶
−−−−−−−−−−
>奴隷状態から自由と精神的完成とに向かって、人間を更生させるところの、すでに千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては両刃の凶器となることがある。それで、なかには、
>忍従と完全な自己制御におもむかないで、反対に悪魔的な倨傲へ、すなわち自由へではなくて、束縛へ導かれる者がないとも限らないのである。
なぜ?「悪魔的な倨傲へ、束縛へ導かれる」のだろうか?どういう場合を指すのだろうか?
指導者と懺悔者の関係性によるのか。指導者の資質によるのか。 >>297
意地の悪い質問だと自覚していたが、受け止めてくれて感謝している。
大審問官についてはあくまで私が個人的にひっかかるというのが大きく、そこを鍵にしてカラマーゾフを読み解くというのも道理はわかる。
まあ……小説をひとつ精読しようとすると、どうしてもまっとうに読み解いてでる結論と、読み込んで発見したものとを混同して考えてしまいがちだ、
自戒をこめていうとね。
私が読んだなかでは解説書でさえやることがあるので、いわんや素人をやとも思うが。
あと違うほうへのレスだが、ヨハネの福音書について一応弁解すると、私は信仰という点から読み解くなら必須といったので、聖書の知識がないと読むことはできないとまではいってない。
誤解を与えたならすまん。 >小説をひとつ精読しようとすると、どうしてもまっとうに読み解いてでる結論と、読み込んで発見したものとを混同して考えてしまいがちだ、
自戒をこめていうとね。
ここをもう少し説明してくれ、違いがよくわからん、もっと明確に理解したい >296
信仰を持ってない犯罪者にキリスト者がよってたかってキリスト教を教えた。
で、犯罪者が信仰に目覚めて罪を悔い改めようと思った時、そのキリスト者がよってたかって、
「さぁ罪を償いなさい。死をもって罪を償うのです!!!」
という出来事があった。(『作家の日記』のどっか)
これを聞いたドストエフスキーは「なんて醜悪な!!!」と憤ってたwww
>322
主観的な読み(読み込んで発見)よ客観的読み(まっとうに読み解く)って意味じゃね?
小林秀雄とかみると主観的に読んでるようで「それこそ正しい読みだ!」って思えるしなぁ・・・
この主観的なものと客観的なものが同じようになるのを目指すのが良いんじゃね? >>323
> 「さぁ罪を償いなさい。死をもって罪を償うのです!!!」
> という出来事があった。(『作家の日記』のどっか)
> これを聞いたドストエフスキーは「なんて醜悪な!!!」と憤ってたwww
ここは、おれも凄い印象に残ってたw 『作家の日記』にもあるんだ?
> >322
> 主観的な読み(読み込んで発見)よ客観的読み(まっとうに読み解く)って意味じゃね?
> 小林秀雄とかみると主観的に読んでるようで「それこそ正しい読みだ!」って思えるしなぁ・・・
> この主観的なものと客観的なものが同じようになるのを目指すのが良いんじゃね?
今夜 筋肉痛でキーボード打つのも やばい。また考えて書くね
ありがとう!! 彼のもとへあらゆる人々が、めいめいの心中を打ち明けて、
霊験のあることばや忠言を聞こうという渇望に
燃えながらやって来るので、長老は多年こういう人たちと接して、
その懺悔や、苦悩や、告白を限りなく自分の心に受け入れたので、
しまいには自分のところへ来る未知の人を一目見ただけで、
どんな用事で来たのか、何が必要なのか、
いかなる種類の苦しみがその人の良心を苛んでいるか
というようなことまで、見抜いて、本人がまだ口をきかない先に、
その霊魂の秘密を正確に言い当てて、
当人を驚かしたりきまり悪がらせたり、
ときには気味悪く思わせたりするほどの、繊細な洞察力を獲得しているのであった 最初、長老のところへ差し向かいで話しに来る多くの人が、たいていみな恐怖と不安の表情ではいって行くが、出て来るときには、晴れやかな喜ばしそうな顔つきになっていることであった。全く、恐ろしく陰気だった者が、さも幸福そうな顔に変わるのであった。 涙と共に長老の前にひれ伏して、病人を治癒《ちゆ》してもらった
礼を述べるのであった。はたしてそれが事実、
長老によってなおされたのか、それとも病気の経過が
自然に快方に向かったのか、――そんなことはアリョーシャに
とって問題ではなかった。というのは、彼はすっかり師の精神力を信じきって、その声望を自分自身の勝利かなんぞのように思っていたからである。 亀山郁夫訳の光文社文庫本は誤訳だらけだと言って何ページにもわたる文章掲載している
人がいるどそんなに誤訳だらけなら自分で全部翻訳したら良いと思う。 誤訳が多いのはよくないことだ!
だからといって「自分で全部翻訳したら良いと思う」というのはどうかな。
ドストエフスキー愛読者は亀山訳を選択しないけどね。 亀山訳は誤訳どうこうより柔らかく訳しすぎて文章のリズム感が無い
結局旧訳の方が読みやすかったりする
難しい言葉は辞書引きゃいいだけだし >>328
pdfにまとめて数百ページにまとめている人がいるよ
誤訳の指摘をする際に問題なのは翻訳者が十分に時間をかけて翻訳していない可能性がある、ということ
亀山訳は再版を重ねるたびに誤訳の修正を行っていて、これまでの訳からあえて違う訳にしたことへの信念とか根拠がない
他国の翻訳と比較し、精確な訳文を作ることに力を尽くした形跡が、言ってしまえば乏しい
だから蓄積された研究書と突き合わせて、必ずしもロシア語を介さないアマチュアの読者が多数の疑問を指摘し、ロシア語専門家に問い合わせて誤訳、としている
別に亀山訳にかみつく人のように「この一節を数十年読んできたので、あまりにも無理解な翻訳に愕然とした」などとは言わないけれど、ある意味やっつけ感
そもそもわかりにくい構文のドストエフスキーの分かりやすい普及しやすい翻訳、というコンセプトはいいとして、おそらく学生・院生の下訳を多数使っているだろうというのはたぶん正しい
あんなにも独創的な(過去の翻訳と異なる)のに、翻訳にかかった期間は結構短い
分業で作り上げた(だから指摘されればころころ翻訳を変える)品物という印象
亀山訳を攻撃する人達のスノッブぶりも嫌ではあるけど、一応嫌われる理由がある 亀山の功績はカラマーゾフが売れた事により新潮で未成年が復刊されたり関連書籍が色々出たこと
そこの所だけは感謝してる >>332
事情通のかたがいるなぁ。
私は意訳が多いな、とは思ったが誤訳があるとまではきづかなかった。
そもそも亀山訳ではカラマーゾフの前半部分しか読んでないけれども。
素朴な質問なのだが、そういう情報は研究者でなくとも得られるものだろうか?
ドストエフスキー好きが集まるコミュニティに参加するとか、そういうことで自然と情報が耳に入るものなのかな。
>>322
正直、そこは深く考えて発言してないw
おおよそ323さんの仰るとおりですよ。
読書というのは私にとってはとても主体的な行為で、
一節読むごとにぼうっと自分の昔のことを思い出したりすることもある。
自然、小説の本筋を追うのとはちがい、そういうことが部分の内容を掘り下げることにつながるわけで、
そこで発見したものが個人の読書体験に深みを与えて、まあ、言ってしまえば、結果的に発見したものに愛着も出てしまう、と。
それがダメでは全くないが、他人が同じように読んでも同じようには感じないということは留意しておく必要がある、ということですね。 あと今更ですが、
>>321
>奴隷状態から自由と精神的完成とに向かって、人間を更生させるところの、すでに千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては両刃の凶器となることがある。それで、なかには、
>忍従と完全な自己制御におもむかないで、反対に悪魔的な倨傲へ、すなわち自由へではなくて、束縛へ導かれる者がないとも限らないのである。
ここは同じ節の長老制度を説明するところのはじめに戻れば、懺悔の儀式についてではなく長老制度にかかっている文章だとわかるはずです。
ロシアでは長老制度は昔からあるものではなくここ100年ほどからある制度である。他国では1000年の昔から長老制度がある、という説明だったはずです。
ということは、すでに千年の経験を積んだこの武器というのは長老制度のことで、
いなごとみつとで食いつなぐような苦行を超えた人の中には、外界の人間にたいして傲慢な、かえって宗教的立場における優位をふりかざす人もいたのかもしれない。
ゾシマ長老はたびたび、わたしは、われわれはこの世の人のなかで最も罪深い、すべての人にたいして罪をおっている、と語っています。
頭を低くして謙虚な心持ちを忘れてはならない、と語ったところもあったはず。 常に労役と悲哀、――いやそれにもまして、
日常たえまない不正や、自己の罪のみならず
全人類の罪にまで苦しめられているロシア民衆の
謙虚な魂にとっては、聖物もしくは聖者を得て、
その前に倒れぬかずきたいというより以上の、
強い要求と慰謝はないのである。
『よしわれわれに罪悪や、虚偽や、誘惑があっても
かまわない。地球の上のどこそこには
神聖で高尚なかたがおいでになる。
あの人は、われわれにかわって真理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、つまり真理は地上に滅びていない証拠だ。
してみれば、その真理はいつかわれわれにも伝わってきて、やがては神の約束どおり、全世界を支配するに違いない』と、こんな風に民衆は感じている、感じているのみか考えてさえいることをアリョーシャはよく知っていた。 >>334
> 読書というのは私にとってはとても主体的な行為で、
> 一節読むごとにぼうっと自分の昔のことを思い出したりすることもある。
> 自然、小説の本筋を追うのとはちがい、そういうことが部分の内容を掘り下げることにつながるわけで、
> そこで発見したものが個人の読書体験に深みを与えて、まあ、言ってしまえば、結果的に発見したものに愛着も出てしまう、と。
> それがダメでは全くないが、他人が同じように読んでも同じようには感じないということは留意しておく必要がある、ということですね。
この説明はよくわかりました。ありがとうございます。 >>335
> いなごとみつとで食いつなぐような苦行を超えた人の中には、外界の人間にたいして傲慢な、かえって宗教的立場における優位をふりかざす人もいたのかもしれない。
フェラポントのことですね。自分の魂の一書であるカラマでありながら、いま気がついたw
> ゾシマ長老はたびたび、わたしは、われわれはこの世の人のなかで最も罪深い、すべての人にたいして罪をおっている、と語っています。
> 頭を低くして謙虚な心持ちを忘れてはならない、と語ったところもあったはず。
なるほど、ゾシマには、その心構えがあったればこそ... あぁ、もうだめだ、手元にある一巻本の700頁中まだ28頁だ
予定では、今月中に、全編通読のはずだったのに >>340
ちらしのうらにでもかいてろ、かね。
なぜかがんばって解読してしまったw (´・ω・`)女子社員の無修正ヌードをホームページに掲載しているリコー関連会社が
鳥取にあるがな
https://goo.gl/ewMXag
https://goo.gl/TpxbKo
リコーの弱みを握っとるからこんなものばらまけるがな
リコーは慰謝料3千万円出せ! ゴルァ
https://goo.gl/fz1pHu
鳥取市のリコーの担当者は、この問題で東京のリコー本社から
いろいろ言われているそうだなww
10年前の2007年3月、「社員ヌード」の件で
リコーはプロバイダに圧力をかけ、強制退会させられたが
別のプロバイダに加入しまたリコーに悪質な嫌がらせを現在もしている。 逮捕容疑は、先月5日午後2時50分ごろ、同市内の書店で買い物をし、徒歩で帰宅途中だった
当時中学3年の 男子生徒(15)を約6分間、600メートルに渡ってつきまとい、
「俺は、両方いけるんだよね。2、3千円でパンツ見せてくれる」
などと、不安を覚えさせるような
みだらな言動をしたとしている。 大審問官も面白いけど、
アリョーシャが2日間で食った食事がパンくらいしかなくて凄くまずそう
イワンと会って食ったのもさくらんぼのジャムとウハーくらい。。。
なんぼ僧院で生活しててもあちこち兄貴探して歩き回ってるから、カロリー的に厳しい それは同じく思った
カラマーゾフ一家って基礎体力凄いよね
偉人は常に非常識であり凡人とかけ離れてるだっけ?
精神的にも肉体的にもカラマーゾフ一家は凄いよね 上に聖書も詳しそうな人いるけど分かったら
教えてくださいな
カラマーゾフの兄弟の後半で、引用として、弁護士
が、「あなたのはかる量りではかられるだろう」
みたいな文がある
これの解釈とドストの意図は何だったと
おもう?
オレは、人間が人間を裁くことは出来ないと
言いたかったと思ってる
ゾシマの話も想起した、この世で罪を負わない人間
は存在せず誰もが誰かに罪を負っている
どうして誰かを裁けるのか、などなど
そうしたらこの世のシステムの否定なるがw
まー小説としての解釈はそうなった ⬆︎はカラマーゾフの兄弟で論告で
弁護士が聖書の言葉を引用した文節です 亀山氏の罪と罰ノートを読み、いままで読んだどんな本よりも内容がちぐはぐで、この人、馬鹿なんだ。と思った。芸能人のまごころエッセーの類を読んでも、なるほど。とどこかしら関心する私でさえ、罪と罰ノートには何も思うところがなかった。
ふざけてない、真面目にこの人はこれを書いてるんだ。と思うと、情けなくなった。
それが、カラマーゾフの兄弟を翻訳したとは何事であろうか。ゴーサインを出した出版社の意向にも頭をひねった。
なので、亀山版のカラマーゾフの兄弟は読んでいないが、読む人の印象は亀山版とそうでない版で、ずいぶん違うだろうと思われる。
10年ぐらい前?にも巷間で話題になっていたし、多くの人に読まれ、議論も盛んになるのはいいことだが、お母さん、僕、ホットケーキが食べたい。 「人をさばくな。自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」(マタイによる福音書 7:1-4)
梁はちりに対して、でっかいゴミくらいの意味で、他人のことを批評するんじゃなく自分の行いを見直せ!って感じ(「人の振り見て我が振り直せ」っての)
他人のことをとやかく言うのは簡単だしやってるけど(これが“さばく”)
そうじゃなくもっと反省せーよっての(善悪ってのは人が決めるもんじゃなく神が決めるんやでー、って感じ)
(>>346の通りで人を裁いちゃダメやでーって意図だと思う)
と、書くといいんだけど、カラマーゾフのこのシーンでは別の意味があると思う。
(弁護士はここで詭弁を振るう(↑を曲解する)) そのころロシアって裁判制度が始まって、ドストエフスキーは裁判を傍聴してる(『作家の日記』のどっか)
で、弁護士ってのは今もだけど、まぁなんくせつけて犯罪者を擁護する。
「(聖書を曲解して)罪を決めて良いのは神だけであぁ〜る(きりり!」って言って無罪を勝ち取ろうとしてんだと思う。
『作家の日記』でドストエフスキーはこの裁判をめっちゃ怒ってて、カラマーゾフのこの裁判シーンは、
そのことを言いいたかったんだと思う。(裁判をパロディー化してる)
あと上のほうで言ってた罪と罰のソーニャって「男の言うことをだまって聞く女」じゃないでぇ〜
そのころ12月革命(通称デカブリストの乱)があって、その時流刑地に送られる人についてった妻たちがいる(「デカブリストの妻」参照)
それを思い起こさせるって意図もあったと思う。 旅行中なので携帯から。
自分のはかりであなたも計られるだろう、という一節はまさにヨブ記にありますよー。既にご存じであればすみません、とりあえずはヨブ記のその一節を解説しているサイトをぐぐって探すといいでしょうね。 なるほど、ドストが当時のロシア裁判で
聖書の引用を行なっても勝ちたい弁護士
への批判ね 背景を見落としてたわ
そして裁くなの引用はマタイのみだと思ってた
ヨブ記にもあるんだね 探してみる やっぱ詳しい人多いなここは
オレはつねぬ作者の意図をまず前提で
読書したい
この場合はドストの意思が何なのか。
本からよむとるのは難しいね ホント 聖書とか自分勝手に読んで解釈して新しい宗教作ったりするじゃん?(仏教もだけどなw
で、そういういかがわしい宗教をけしからん!勝手な解釈けしからん!ってのあるなw
(けど、カトリックなんかは自分勝手な読みをある程度認めてる)
そうは言うけど、やっぱ自分で嚙み砕いて咀嚼することで初めて肉となり血となる、って気もする・・・
「わたしは世紀の子です。不信と懐疑の子です。
もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、
また実際に真理がキリストの外にあったとしても、
わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。」 (ドスト談) ほんとの読み(真理)は別にあっても「おれはこれを信じる!これで生きてく!」(キリストとともにある)
と思える読みってあったらいいな!とも思う。
客観的みたいなのって知識じゃん?そんなの本読めば誰でも知ることできるじゃん?
で本読んで、解説本とか読んで“分かった気になる”ってことののほうがよっぽど害悪だ!とも思う。
自分の読みを推し進め!で、間違ってたら直せばいい!くらいでいいのかなぁ?・・・と思ってる。 俺は生涯読書で作者の意図は気にしたことがない
文学部とかは文脈の整理とか解釈とかやると思うけど
俺は全然 >>356
真理が別のところにあってもキリストの真理
と共にあることを望む
って悪霊のスタヴローギンがシャートフに言う
言葉だね aruko-ru
nannka
haitte
naiyo ドストは本当に多種様々な言葉を書いていて
覚えておきたいと思う文節によく出会う
1番印象に残ってるのは
「神がいなければ、すべて許される」
【国連安保理】北朝鮮非難の声明を全会一致で発表 異議を唱えたロシアも同意
.
/ ̄ ̄ ̄Y ̄ ̄ \
l l
ヽ,,,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ,,ノ
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(6 \●> <●ノ .|)
! )・・( l
ヽ (三) ノ < オラオラ!かかってこいよ!!
, -‐- 、. 二 ノ
┌、. / ヽ ─ 一' \
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
/ `ー''"´ ,' c〈〈〈っ<
/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ >>359
>俺は生涯読書で作者の意図は気にしたことがない
あなたはお亡くなりになっているんですか? >>367
彼が言いたいのは、読書で大事なのは、ましてドストのような巨大な思想と感情の作家を読むのには
文文句句の解釈ではなく、熱鉄の大確信、疾風怒濤の感情に、触れることであり、目と頭で読むのではなく、登場人物のごとく生きること−−−−−−−−
そう言いたいのだ!! ずーっと自分が読んでいるところで、印象を受けたところを、貼り付けてたものだが、おとといから高熱でて作業継続できん
治り次第続けるぞぉ! 誰が文句つけよーとな!! >>369
印象に残った文を紹介するのは楽しく見てる
ただ、自分の感想ってか解釈も一緒に載せて
もらえるとレスしやすいよ よろしく ドストの意図にも興味があるが、ドストに関わって
印象を受けた読者にも興味がある
テレンティウスの話も罪と罰でなかったっけ(余談)
だから自分の感想と解釈も是非
自分の興味で悪いけどね 今白痴を読んでる
カラマーゾフの兄弟、罪と罰、悪霊、地下室と
読んできたけど白痴は後になった
ムイシュキン公爵のキャラが魅力的で面白い
まだ50ページだけど シベリア抑留のときの恨みをはらすときがついにやってきたのだ
さあ国境に派遣されてきたロシア軍も潰すぜ 我が極東地域は開戦前夜なんだけど、
ドストの時代、核ミサイル・化学生物兵器まではなかったからなあ
南無阿弥陀仏… [ソウル/ワシントン 23日 ロイター]
北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は23日、「朝鮮
人民軍は米原子力空母を一撃で沈める用意がある」と伝えた。
同紙は米空母を「不快な動物」にたとえ、攻撃すれば「北朝鮮の軍事力を示す実例になる」とした。
労働新聞は1面と2面で金正恩・朝鮮労働党委員長による
養豚場視察について伝えた後、3面にこの記事を掲載した。 [ソウル/ワシントン 23日 ロイター]
北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は23日、「朝鮮
人民軍は米原子力空母を一撃で沈める用意がある」と伝えた。
同紙は米空母を「不快な動物」にたとえ、攻撃すれば「北朝鮮の軍事力を示す実例になる」とした。
労働新聞は1面と2面で金正恩・朝鮮労働党委員長による
養豚場視察について伝えた後、3面にこの記事を掲載した。
・ロシア通信は、ロシア軍が北朝鮮との国境に向けて装備
や部隊を移動させていると伝えた。ロシア国内の部隊の配
備については、情報を公開しないとしている
・ロシアのペスコフ大統領報道官は21日、報道についてコメントを拒否した プルプル震えているオマイの感想ってか極東情勢の解釈も一緒に載せて
もらえるとレスしやすいよ よろしく スターリンの意図にも興味があるが、シベリア抑留に関わって
印象を受けた読者にも興味がある
ソ連囚人部隊の話も罪と罰でなかったっけ(余談)
だから自分の感想と解釈も是非
自分の興味で悪いけどね やれやれ。右だか左だか知らんが、邪魔だね。
つい反応しちゃった人も、こうやって鬱陶しい反応が返ってくるだけなのはわかっただろうから、
今後は無視してほしい。 [ソウル/ワシントン 23日 ロイター]
北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は23日、「朝鮮
人民軍は米原子力空母を一撃で沈める用意がある」と伝えた。
同紙は米空母を「不快な動物」にたとえ、攻撃すれば「北朝鮮の軍事力を示す実例になる」とした。
労働新聞は1面と2面で金正恩・朝鮮労働党委員長による
養豚場視察について伝えた後、3面にこの記事を掲載した。
・ロシア通信は、ロシア軍が北朝鮮との国境に向けて装備
や部隊を移動させていると伝えた。ロシア国内の部隊の配
備については、情報を公開しないとしている
・ロシアのペスコフ大統領報道官は21日、報道についてコメントを拒否した >>382 383
解釈とレスよろしくってパクって茶化さないで
おくれ
結構真面目に言ったのよ、それ 374 名前:優しい名無しさん [sage] :2017/02/19(日) 10:28:38.48 ID:bpRdRb1y
昨日、ホームセンターでええロープを選んできた
死ぬロープまで見栄張る自分につくづく嫌悪
こんなとこでグチグチ言ってること自体に辟易する
本日、逝くわ
どうせみんな逝く
早いか遅いかの違いだけ
わざわざ苦悩を長引かせる意味なし
どうせ地獄だろうから
本物の地獄で苦しむわ、永遠にな
予備地獄なんていらね
さいなら ジャッキー・チェンの代表作3本を放送!
【放送日時】
プレミアムシネマ「プロジェクトA」
4月24日(月)[BSプレミアム]後1:00?2:46
プレミアムシネマ「プロジェクトA2 史上最大の標的」
4月25日(火)[BSプレミアム]後1:00?2:43
プレミアムシネマ「スパルタンX」
4月26日(水)[BSプレミアム]後1:00?2:46 1954年、香港に生まれたジャッキー
は、少年時代、京劇の学校、中国戯劇院に入り、
武術や所作・踊りの厳しい練習を重ねます。
このときから映画に出演し、学校を出てからは、
スタントマン、スタント・コーディネーターとしてさまざまな作品に携わり、
ブルース・リーの「燃えよドラゴン」(1973)や
中国映画を代表する巨匠、キン・フー監督の「侠女」(1971)といった傑作にも出演しています。
1970年代後半、主演した「スネーキーモンキー 蛇拳」(1976)「ドランクモンキー 酔拳」(1978)が大ヒット、
香港映画を代表するスターとなります。「クレージーモンキー 笑拳」(1979)では監督も務め、
映画製作に積極的に関わっていくようになります。
そしてジャッキー自身が、監督・主演・武術指導・脚本をてがけ、
最も思い入れのある作品と語る「プロジェクトA」(1983)。24日(月)放送です。 ――この態度の中には自分のような愚かしい修行僧に対する、学識ある無神論者としての侮蔑《ぶべつ》が交じっているのではなかろうか?
−−−−−−−−
アレクセイでも、こんなこと考えるんだなぁ! このごろ何かしら炎のような心内の深い歓喜が、いよいよ激しく彼の胸に燃えさかるのであった。なんといっても、自分の目に見える真理の守り主は、この長老ただ一人にすぎないということも、けっして彼を困惑させなかった。
『どっちにしても同じことだ。長老は神聖な人だから、あの人の胸の中には、万人に対する更新の秘訣がある...
------
アレクセイと同年代のころに読んだ、ボロボロになった河出書房の本は、この箇所に赤線やら青線やら引いてある
おそらくは自分も「このごろ何かしら炎のような心内の深い歓喜が、いよいよ激しく彼の胸に燃えさか」っていたのだろう
「更新の秘訣」とは、生まれ変わるほどの、革命的な何か なのだろう。
それほどの存在であることを、アレクセイは信じて疑わなかった、信じ切っていた、ゾシマのことをば。 実際、アリョーシャは口にこそ言わないけれど、かなり深く父を見抜いていた。かえすがえすも、この青年はけっして皆の考えているほどおめでたい人間ではなかった。
−−−−−−−−
アリョーシャが「おひとよし」に見えるのは、彼の理想主義は、信仰に由来していた
相手の愚劣さが見えないわけではなかった >>398
お前のリンク先も、いちおうチェックしてるぞ! 彼は知人を通して兄ドミトリイに、自分はあなたを
愛している、そしてあなたが約束を実行してくださる
のを期待していると伝言した。
ドミトリイは何も約束した覚えがないので、
いろいろ考えたすえ、手紙で
『卑劣なやり口』に直面しても、一生懸命に自分を抑制する、
そして自分は長老および弟イワンを深く尊敬しているけれど、
今度のことは自分をはめるための罠《わな》か、でなければ
ばかばかしい茶番に過ぎないと確信している。
『しかしとにかく、自分の舌を噛《か》み切っても、
おまえが尊敬してやまぬ長老に対して、礼を欠くようなことはしない』
そういう文句でドミトリイの手紙は結んであった。だが、アリョーシャには、それもさして心を引きたてるよすがにはならなかった。
第一編終わり
−−−−−−−−−−−−−−−−−
>『卑劣なやり口』に直面しても(文)以下
ドミートリイは高潔だなぁ! この兄弟の会話は、カッコいいなぁ!! >>405
ちょちょちょ……承知の上ならすまんが、2chのこの手のリンクは開けたらダメだよw
ブラクラなんて最近あるのかわからないが、どんなアドウェアが仕込まれてるかもわからないんだから。
自分も2chでは極力リンクは使わずに検索エンジンに誘導するしそもそもリンクは開けない。
またあとでゆっくり読むけど気になったのでそこだけレスしておきます。 >>402
アリョーシャのためにいうと、
侮蔑が混じっているのではないか?と考えるのは単にイヴァンへの関心から何を考えているか読み取りたいので、
自尊心を傷つけられることを恐れているわけではないんだよね。
ミーチャも垣のそばでアリョーシャと話すとき、イヴァンは墓(無口)だねと寸評していた。
ミーチャにしてもアリョーシャにしても、イヴァンのことを十分わかっていなかったから、
こうしたささいな態度からもイヴァンのことを読み取ろうとしている。
個人的には、ミーチャのことは立派なところはあるにしても感心できないなぁ。
仮にそばにいてもあまり話したくないくらい。
イヴァンは後半ミーチャが親殺しをしたと確信したときはミーチャを軽蔑していたが、
その感情にちかいかもしれない。
豚同然とはいえ親を引き倒して顔蹴ってるからね。かかと入れて。
ちょっとないわ〜。
読む人によっても、三兄弟のうち誰が好きかというのは違いますねぇ。 いじめを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! だれの前にひれ伏すべきか?ということにほかならない。自由の身でありつづけることになった人間にとって、ひれ伏すべき対象を一刻も早く探しだすことくらい、絶え間ない厄介な苦労はないからな。
大審問官で言う 人間は自由意思という最高の贈り物
を神から授かった しかしこれ以上の苦痛はない
自由意思って何だろう?
人神論あたりに答えがありそうだけど、現実的に
誰の人生も生まれる前に定められ強制された環境
が必ずあって、自由意思とは何か?
といつも堂々巡りになる
キリーロフ、スタヴローギン、ラスコーリニコフ、
イワンと意思の強いものはすべて悲劇的な最後を送る >>408
> アリョーシャのためにいうと、
> 侮蔑が混じっているのではないか?と考えるのは単にイヴァンへの関心から何を考えているか読み取りたいので、
> 自尊心を傷つけられることを恐れているわけではないんだよね。
ほんとに、そうだね。おれも読みながら、そうだろうと、思った。
しかし無理体に、自分のような凡夫に引き寄せて彼のことを考えて見たかった
いつも ちっちゃな自尊心の傷つきに恐れおののく、このおれに
> 個人的には、ミーチャのことは立派なところはあるにしても感心できないなぁ。
> 仮にそばにいてもあまり話したくないくらい。
ぼくは、最初に読んだ高校生の時から、もっとも惹かれたのは、もちろんアリョーシャですが、つぎは何といってもミーチャです
小説の中頃から後半へのミーチャの魂の遍歴、発想や振る舞いを、知らず知らずにずいぶん真似した気がする、実人生で >>411
> だれの前にひれ伏すべきか?ということにほかならない。自由の身でありつづけることになった人間にとって、ひれ伏すべき対象を一刻も早く探しだすことくらい、絶え間ない厄介な苦労はないからな。
−−−−−−−
これを平たく言うと、「何を信仰するか」という表現の方が、しっくりくる
> 大審問官で言う 人間は自由意思という最高の贈り物
> を神から授かった しかしこれ以上の苦痛はない
> 自由意思って何だろう?
幼児の時、赤ちゃんの時、母を信じ切り、そこに怯えはない。もし優しい母親であれば。
しかし、物心ついて、恥を知り、苦痛も生まれる
大人となり、もしそこに確固たる信仰がなければ、禽獣同然の姿となる
いまだ、第一編までで、「大審問官」到達まで時間かかるけど、いっしょに考えて参りましょう!
> 人神論あたりに答えがありそうだけど、現実的に
> 誰の人生も生まれる前に定められ強制された環境
> が必ずあって、自由意思とは何か?
> といつも堂々巡りになる
> キリーロフ、スタヴローギン、ラスコーリニコフ、
> イワンと意思の強いものはすべて悲劇的な最後を送る
この中では、ラスコーリニコフの思考は、懸命に読んだ。4畳半の狭い下宿で。もちろん我らのイワンも
彼らはシェークスピア悲劇の主人公のように、力強く悲劇的な思考を
豊かな表現で考える
一見それらは俺ら一般人とは関係ないようにも感じる、しかしそれはちがうのでは?といま感じる
彼ら以上に俺たちは悲劇的なのではないかと?
それを考えさせてくれる よすがとなるのではないかと。ドスト作品は。
言葉という思考の部品を与えてくれたのでは、と >>412
カラマーゾフの兄弟で最も惹かれたキャラクター
はイワンかな自分の場合は
悪霊だとキリーロフに惹かれるが、シャートフの
人生を真似したい
罪と罰だとスヴィドリガイロフで、
「誰よりも自分をうまくだませる者が、誰よりも楽しく暮らせるってわけですよ」が印象にある
>>413
>一見それらは俺ら一般人とは関係ないようにも感じる、しかしそれはちがうのでは?といま感じる
彼ら以上に俺たちは悲劇的なのではないかと?
これってカラマーゾフの兄弟で感じたの?
どのへんがそう思ったの? >>415
> 415 名前:吾輩は名無しである [sage]: 2017/04/28(金) 00:23:01.33 ID:FEWTFJrK
> >>412
> 悪霊だとキリーロフに惹かれるが、シャートフの
> 人生を真似したい
悪霊はあまり読み込んでない、というか、全編通読したかも記憶が不明
カラマ・罪と罰、そして白痴の第一編まで。ナスターシャが1万ルーブリを暖炉に
放り込むところまで。何度も読み返したのは。逆にこれの続きがのこってることが
人生の大きな楽しみ
> >一見それらは俺ら一般人とは関係ないようにも感じる、しかしそれはちがうのでは?といま感じる
> 彼ら以上に俺たちは悲劇的なのではないかと?
> これってカラマーゾフの兄弟で感じたの?
> どのへんがそう思ったの?
「カラマーゾフの兄弟で感じた」のではないです。何かそう思った!テキトーぶっこいちゃった!!ごめんちゃい ,、,./ヽ,/゙!lリイ
rvV ゛ゞ ^i!|/ツ
ミ ヽ ヾ、ヽ !lソレ
ゞ ミヽ、ゝ、 、ゝ|i /'
ミ ヾ/´ `゙ヾ,,,〃、
シミ/ ヽ
シ,=! i
ソ,|::: __ _ |
(6 \●> <●人
! )・・( l
ヽ (三) ノ ソウルを火の海にしてやるニダ
/\ 二 ノ
/⌒ヽ. `ー ─ 一' \
l | ヽo ヽ >>418
今ちょうど白痴の2編に差し掛かってる自分には
タイムリーなレス
なんかそう思った。の、なんかって重要かも
実際の人生の方が悲劇的かもしれない
小説の悲劇は結構シェイクスピア的に劇的だけど
普通の人生は退屈で平凡で悲劇的だからなんか
パッとしない
それに前半でもう全て決まってるっていうしね
It seems, in fact, as though the second half of a man’s life is made up of nothing, but the habits he has accumulated during the first half.
人間の後半生は、通常、前半生で蓄積された習慣のみで成り立つ >>420
まけてられん!
まずメガネして、耳栓して、耳栓なんかないから、ウォークマンして、
カラマの第二編に とりくまずんば あるべからず!! ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
l i''" i彡
.| 」 ⌒' '⌒ |
,r-/ -・=-, 、-・=- |
l ノ( 、_, )ヽ |
ー' ノ、__!!_,. │
|. ヽニニソ l
/⌒ ヽ /
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,ィ´ ` ー< __/ ,. ヽ'
. / , '´ `ヽ ノ , } . .
. . ,' ! ヽ ,′ / . .. : . .
. . . l * ヽ. ,./ /: . . : . .
:. ,.-| /:l:ヽ .l _._/ / . . .: .
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. :. ヽ{」_ケ! 人 lノ . . / /: . ..
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. . : . ,. へ、 /. . `、 l : ./ / . :. : .
.: ./ / . : . ヽ l ;ノ /. :. . .:
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,. '´.: .: . : . :./ ー- ハ」_{ l^ン′. : .
,. '´ . : . :. . : .: , ' / . . `^´. . :.
,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: 白痴の2編の途中まできた
ロゴージンがクズかと思ってたのにいい部分もあってこのキャラクターも中々いいね
「酔っ払いの弱い心に何があるかは、神のみぞ知る」
ドストのキャラクターって下劣と高潔が同居するキャラクターが多くて人間的だといつも思う
現実でも人はクズに見えても内心はいい奴が多いのか?そう見なきゃという一つの説教なのか? dTVで黒澤監督の白痴が観れるようになった
ありがたい >>425
> 白痴の2編の途中まできた
> ロゴージンがクズかと思ってたのにいい部分もあってこのキャラクターも中々いいね
> 「酔っ払いの弱い心に何があるかは、神のみぞ知る」
> ドストのキャラクターって下劣と高潔が同居するキャラクターが多くて人間的だといつも思う
> 現実でも人はクズに見えても内心はいい奴が多いのか?そう見なきゃという一つの説教なのか?
仰るとおりですね。現実の僕達も、ことごとくいっさい、下劣と高潔が同居してる、クズに見えやつはクズの演劇を演じている
今朝、起きて一番に、昨日 約束した「カラマ第2編 場所柄をわきまえぬ」から「紙の書籍」を手に取って、読み出した
家族が寝静まっていて、暗やみのなか 「ええい、起きるなら起きろ」と電気をつけて「俺様がうん十年ぶりにカラマを読むのだ!」と
なかなか物語世界の細部へ入っていけない、この部分は壁だ >>427
> GWで白痴は読み終えたい
俺はもの凄く低速に読む計画、カラマ通読に1年かける予定 記憶が朧になったなぁ・・・ネコを走行中の車窓の外に放り出すのは白痴だったっけ。
私もカラマーゾフを読み終えたから次は白痴かな。ヨブ記やら色々並行していたからずいぶんかかった。 白痴は原文では障害者侮蔑用語?
英語のretardとかに近い言葉? かたかなでいうとイディオット。ロシアではバカというようなニュアンスで今でもよく使われる。
英語でもidiotで通じる。今調べたがもとはギリシャ語だね。 >>431
白痴読んでてまだ途中だけどカラマーゾフの兄弟に
比べると宗教色はだいぶ薄くて立ち止まらずに物語
重視で読めてる
カラマーゾフの兄弟読むとヨブ記とヨハネ福音書気になるよね?オレは浅く概要だけにしたけど そういえば黒沢監督の「どですかでん」であの少年が電車バカと呼ばれるシーンは
カラマーゾフの兄弟の少年の喧嘩のところを応用したんじゃないのか
ハクチの映画化もそうだけども黒沢監督はドストエフスキーを描いているところが
多いように思える 白痴の上がもう少しで終わりそうです
半分読んでみて思うんだけど、とてももどかしい
善人が悪人に騙されている様を常にみてるような
気分になるね、この作品は
結局、嘘をつかない無条件に美しい人間は白痴と
呼ばれこの世界では生きていけないと、ドストは
言いたかったのかもしれない
カラマーゾフの兄弟でイワンが言うセリフを思い
だしたよ
「俺が受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな、おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば神の世界というやつで、こいつをうけいれることに同意できないんだ」 全然関係ないけど、朝からあさり尽くしで、キーボードの前があさりの殻と残り汁(絶対捨てない)でとても打ちづらい。
これ打ったら片づけよう。
>>437
反感を買うとまずいので控えめにいうと、
ドストエフスキーがヨブ記からカラマーゾフを構想したというのが定説で、
ヨハネの福音書についても最低限の知識があったほうがいいと思う。
>>440
とても重要な部分ですね。
神のありやなしやという命題は、神が存在するのかしないのかということだけではなく、
むしろ神のつくったこの世界を個人として承認するのかしないのかというところにかかってくる。
それでこそ、自分を含め特定の宗教を信仰しない人間にとって、神のありやなしやという命題を命題としてとらえることができる。
また、アリョーシャがゾシマ長老の葬式の後、この世界を認めない、と一反闇に落ちそうになったこともつまりそういうことで、
正しき人、尊敬するゾシマ長老にしかるべき栄光を授けず、むしろ汚辱に沈める世界など承認しない、と言いかえることができる。
と、自分は思っている。 未成年って読んだことないけどどうなんですかね
無理に盛り上げないので小説としてはこれが最高という人もいる >>438
黒澤監督はドストエフスキーをかなり尊敬していたからね。 もっと早く罪と罰を読んでいれば
前科持ちにならなかったかもな 未成年はまだ未読でいつ読むか決めてない
評価は同じく知りたい、読んだ人いる? >>444
前科者には罪と罰
引きこもりには地下室勧めたい 罪と罰は完ぺきな小説じゃないから。今の時代の方が完璧に近づきつつある。 ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
l i''" i彡
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,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: 未成年を読んだのは5年以上前で、正直はっきりとは覚えてない、恥ずかしながらw
ドストエフスキーに拘らない読み手が読むべき本としては、何といってもカラマーゾフと罪と罰、
余裕があれば白痴と悪霊ということでいいと思うんだが、
未成年がドストエフスキーの著作の中でどのくらいにあるかというのもよくわからないね。
小説として面白いかというと、どうなんだろう。かなり読みづらいし……まあ読み込んだ人にとってはそうなのかもしれないが。
私としてはドストエフスキーの著作で一番小説として楽しめるのは虐げられた人々だと思っている。
中身もすきだが、何より登場人物が増えすぎてわちゃわちゃしたりしないからね。 >>450
未成年て読みずらいんだ
今、カラマーゾフの兄弟、罪と罰、悪霊、地下室、
白痴(上完了)ときていて次に読むのが、
未成年
虐げげられた人々
死の家の記録
どれにするか悩み中 >>354
読みづらいよ。なんといってもドストエフスキーでロシア語からの訳だから、登場人物の呼称がころころ変わるのだが、
未成年の場合はことにそれがひどくて、ついていけなくなることがある。
その三択なら虐げられた人々かな、自分が勧めるとすれば。
ドストエフスキーの思想的な背景を追うのなら、その三択にはないが地下室の手記をよむほうがいい。
夏目漱石の修善寺大患のように、ドストエフスキーにも思想的な作品を描くようになった転機がある。
それを追うには地下室の手記を読むのが一番だと思うな。 >>454
地下室の手記は読んだんだ
とりあえず次は虐げげられた人々にする ありがと
カラマーゾフと罪と罰の再読に時間がかかり過ぎた ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
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入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
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/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ 罪と罰
これは実に面白い
何度読んでも飽きない
素晴らしい 懲役が長いし逮捕行動が時代に遅れて残るし、罪と罰なんて、偏差値が低いよ。 白痴の3編の途中まできた (上巻の最初の所)
肺病に侵され死の淵にいるイポリートの言葉
が印象に残った
「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない」
この後イポリートは「人間には、どんな天才でも
他人に伝えることのできない思想がある」と言って
この「最後の信念」にたどり着くのに高価な代償を
払ったと綴る
ドストは死の淵の瞬間に(おそらく死刑判決の時)に
幸福が何かを求めていた意思の過程にあると感じた
のかな、そして思った事を完全に伝えられないもど
かしさも感じた 天才も同じ人間だね ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
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,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: 罪と罰を読んで死を決意しました
ありがとうございました 白痴のイポリートに関心している
自分はイワンが大好きで、キリーロフ、スタヴローギン、に魅せられる 上巻になってすごく哲学的に変わった 彼は自分の観察眼を尊重する弱点を持っていた。もっとも、これは彼の五十という年齢を勘定に入れれば、たいてい許すことのできる欠点である。実際、この年配になると、賢い、世慣れた、生活に不自由をしない人は、誰でもだんだん自分というものを尊重するようになる。
−−−−−−−
思春期の自分は、この部分を赤線で囲っている
世慣れない、思春期の、右も左も分からない、まだ世の中へ出ていない自分は、こうした警句を、ドストというメンターから学んだ 色々の理由、特に 専ブラの関係で書けない。
あと5日ほどで復旧させる
友よ
たとえ忙しくて読めない日にも、心の片隅に
カラマーゾフの兄弟たちの存在を忘れないようにしよう
その尊い書物を囲んで、俺たちが語り合ったことも >>473
自分は若い頃、ここら辺に感化した
「それは放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺することですね、そうでしょう、ええ?」
「たぶんね、それも……せいぜい三十までなら、ことによると避けられるかもしれないし、そのあとは……」
「どうやって避けるんです? 何によって避けるんですか? 兄さんのような思想をいだいていて、そんなことは不可能ですよ」
「これもまたカラマーゾフ流にやるのさ」
「それが《すべては許される》ということですか? すべては許される、そうですね、そうなんでしょう?」 おれはいま、マルメラードフより下の生活をしとる
吊るべきだよな ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
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,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: センセイヤー!
ジャララララーララージャララララーララー ジャララララーラララーーーッ
セ ンセ ヤーーーッ(セイヤーセイヤー) ※エコー
ジャララララーララージャララララーララー ジャララララーラララダカダカダカダカドゥクドゥクドゥンッ
だーーきしめたーーーー(ビィユリーン)
こーころのコスーモォーー
(ペガサス聖衣装着!星矢の両足キィ!腰キュウ!左腕キュイン!右腕クキュ!胸チイュン!左肩キュン!右肩キュゥ!頭部チュイ!*順注意!!)
熱くぅ 燃やせぇ 奇跡ぃーーーをーー起こせぇーーっ!!
(バゴオォオン!)
きーずついたーーーー(ドゥッタンドゥドゥタン)
まーまじゃいないーとーードゥッタンドゥドゥタン)
誓いーーーああーーった はーるーかーなー銀河ーーーー
(謎のサイレン音 プアァーーーーーーー)
(トートタラテレレレ)
ペーガサスファンタジー!(キシュイイ)
そーさゆーめーだーけはーーーーー(ブガアアシ)
だれもーーーう−ば えーーーない こーころの 翼だーーーかーーーーらーーーー!
(ダカダカダカダカドゥン)
センシーヤッ!(ZUBAAA)!
しょおーーねーーんはーーーみーーんなーーーー
センシーヤッ!(テュイーーーーー)
あしーーたーーの勇者ーーーー オウヘーーーイ
センシーヤッ!(チュプシーー)
ぺガァサァースゥのよぉーーーにーーー(ズガゴオオオオオ)
センシーヤッ!(デュ プアーーーーーーー)
今こそっ!(プアーーーーー)
はーーばーーたーーけーーー!
(ダー ダラララー ダラララー プアーーーーー ジャッジャッ ジャッーーーーー) >>467
> 「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない」
そうなのか? そんなことを言うのか、イッポリートは。
> この後イポリートは「人間には、どんな天才でも
> 他人に伝えることのできない思想がある」と言って
> この「最後の信念」にたどり着くのに高価な代償を
> 払ったと綴る
かっこいいな。何としても、読みたいな。しかし、カラマが先だ。
> ドストは死の淵の瞬間に(おそらく死刑判決の時)に
> 幸福が何かを求めていた意思の過程にあると感じた
> のかな、そして思った事を完全に伝えられないもど
> かしさも感じた 天才も同じ人間だね
う〜む... この部分は、凄い思索を書いているね。
白痴の、あの輝く、第一編を もういっかい読み直してみないと。
(あれは凄いことが。体験に裏付けられた。が散りばめられてるもんねー?) >>475
返歌
(アレクセイは兄ドミートリーを救わんと走る。全力で走る。
たとえ心に暗雲が垂れ込めようとも)
アリョーシャは、先刻ここへはいったときより、さらに激しく打ち砕かれ、
押しひしがれたような気持になって父の家を出た。彼の理性もやはりみじんに砕けて、ちぢに乱れているようであったが、同時に彼は、そのばらばらに
なったものをつなぎ合わせて、今日一日に経験した
あらゆる悩ましい矛盾の中から、一つのだいたいの観念を
組み立てるのが空恐ろしいように思われた。何かほとんど絶望そのものと
境を接しているような、あるものが感じられた。こんなことは、
ついぞこれまでアリョーシャの心には覚えのないことであった。
略
三千ルーブルの問題がきっぱりと決定してしまったから、
兄ドミトリイはもはや自分を不正直者と決めてしまって、
絶望のあまり、どんな堕落の淵へも躊躇なく飛びこむに違いない。
それに、兄は、たったいま突発した事件を、カテリーナ・イワーノヴナに伝えてくれと言いつけている……。 民衆の中には忍耐強い無言の悲しみがある。
それは自己の内部に潜んで、じっと押し黙っている悲しみである。
しかし、また張ち切れてしまった悲しみがある。それはいったん涙と共に流れ出す
と、もう永久に経文でもとなえるような泣き語りの形をとるものである。
それはことに女に多い。しかし、これとてもけっして無言の悲しみより忍びやすいわけではない。
泣き語りは自分の心をさらに毒し、いっそうかきむしることによって、ようやく悲しみを紛らすばかりである。こうした悲しみは慰謝を望まないで、
救いがたい絶望の情を餌食にするものである。泣き語りはただひっきりなしに傷口を突っついていたいという要求にすぎない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第二編「場所柄」の第3「信心深い農婦たち」より(米川訳と中山訳の混在のため注意)
−−−−−
若いとき、この部分に着目したが、いま読んでも、いっそう深く感じるものがある
冒頭の>民衆の中には忍耐強い無言の悲しみがある。
の部分
滑稽に感じる、俺らの生活の中にも、「忍耐強い無言の悲しみ」があるんだな!と
若いとき、自分のこととして読んでなかった。
うまく表現できず、恥ずかしいが、「おれのことだ」と感じたんだ! >>483
すごく同感 ここまで難関な表現はないよね
ただ無関心より憎悪する感情の方が美しい
ってのと何者になる凡庸を嫌悪している凡人
ってところがすごく魅力だった
「ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかった−意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。」 ほんとは非凡人になるか何者かに成りたかった
のに何者にもなれない平凡な運命に必死に嫌悪
してる凡人
普通こうなったら自分を上手く騙して虚栄心と
上手くやってくよね
「地下室」の主人公は偽善と自己欺瞞の中で正
当化する事をとことん嫌悪し地下室に引きこもる
カックイイ人だ とても哀れだけどこうなったら
世間のあらゆるものを憎悪しちゃいそう ストーブ?の前で行ったり来たりしてるアホ
そんだけだろ
深読みのし過ぎ
失格! >>481
> > 「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない」
この言葉は君に紹介されてからずっと胸に残っている
自分の人生を振り返ったとき、まさにその通りだと。しかもすべての局面において
そう考えていくと、一般的な不幸さえも、幸福なのではないかと。
たとえば前に引用した、
「泣き語り」の農婦さえも、癒されていく過程なのではないかと。それまで知らなかった新しい人生への扉なのではないかと。
> > この後イポリートは「人間には、どんな天才でも
> > 他人に伝えることのできない思想がある」と言って
> > この「最後の信念」にたどり着くのに高価な代償を
> > 払ったと綴る
----------------------------------------------------------------
ストーブ?の前で行ったり来たりしてるアホ
そんだけだろ
深読みのし過ぎ
失格!
------------------------------------------------------------
おそらく地下室の主人公は「どんな天才でも
他人に伝えることのできない思想がある」
その「最後の信念」にたどり着くまえの、高価な代償を
払っている姿なのではないか? 「ああそれは」と長老が言った、「それは昔の『ラケルわが子らを
思い嘆きて慰むことを得ず。なんとなれば子らは有らざればなり』
とあるのと同じじゃ。
これがお前たち母親にとって、この世のおきてなのじゃ。
ああ慰められぬがよい、慰められることはいらぬ。慰められずに
泣くがよい。ただ、泣くたびごとに怠りなく、おまえの子供は神様の
御使いの一人となって、天国からおまえをを見おろしながら、おまえの
涙を見て喜んで、それをば神様に指さしておるということを、忘れぬように思い出すのじゃぞ。
そなたの母としての大きな嘆きはまだ長く続くけれど、やがてはそれが静かな喜びとなり、その苦い涙も静かな感動の涙と変わって、罪障を払い心を清めるよすがとなるだろう。そなたの子供に回向をして進ぜようが、名まえはなんといったのじゃな?」 長老は聖書を引用して示す。すべての母親のさだめであることを。さらに拡張して、
いっさいの人間の宿命であることを。死も別離も。
子供を喪った悲しみは、それどころか生き別れた悲しみでさえ、どんな言葉をもってしても、母親を慰めることは できない。
そのゆえに信仰が生まれた。
長老には古来から伝わるケースごとの更新の秘訣がある。この場合の指導は
1、「慰められずに泣け」ということと、
2、泣くたびごとに怠りなく「おまえの子供は神様の御使いの一人となって、天国からおまえをを見おろしながら、おまえの涙を見て喜んで、それをば神様に指さしておるということを、忘れぬように」イメージせよと。 決して飾ることなく、ありのまま、繕わず
自分が本に書き込んでる恥ずかしい書き込みを、そのままに ここにノセラレルホドニ ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
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,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: >>490
言葉に会った時にどう実生活に当てはめるか
って難しいよね
>そう考えていくと、一般的な不幸さえも、幸福なのではないかと。
そこまで思たらゾシマ兄の言う地上の楽園がある
のかもしれない、なんて思った
「人生は楽園です。われわれはみんな楽園にいるのです。 ただわれわれがそれを知ろうとしないだけなのです。もしそれを知ろうとする気になりさえすれば、あすにもこの地上が楽園となるのです。」 / ̄ ̄ ̄Y ̄ ̄ \
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ヽ (三) ノ < オラオラ〜、感想を厨!
, -‐- 、. 二 ノ かかってこいよ!!
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ヽ.X、- 、 ,ノi ハ
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入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
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/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ <<495
あくまで私見なので、全然意見が違う人がいても私は否定する気はない。暖かい目でみてほしいのだが、
イヴァンの陥った思想の袋小路には、「神がいなければいっさいが許される」と書かれていた。
その袋小路は神のいない世界の行き着く先。
ゾシマ兄の得た、「私はこの世界の誰よりももっとも罪深い」という悟りに似た呟きは、
私は神のいる世界の行きつく袋小路に存在する答えなのだと思っている。
神がいるということは、創世記の世界観を元にするならありとあらゆるものが神によってつくられたし、
そこには神の意志が含まれているということで、
めぐりめぐって私たち一人ひとりが生きてここにいるということも、
その人生にもすべて神なるものの意志が含まれているし、そこには何らかの意味がある。
もし神がいないならば人生に意味などないし、したがってどのように生きても構わない。
それが、スメルジャコフがイヴァンから受け取った、あるいは汲み取った、「神がいなければいっさいが許される」の思想だと思う。 __ // //
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l i.l .ッ :. : :; ,ッミ| / / /
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{ | f} ミ  ̄´ノ '"l`ー'" | //
ヘ`-| ミ r l :h } //
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/^ヽl ;. l_ j } / 〃  ̄
/{ 、 ;, | r‐=ニ二ア/〃\ 〃 ―
ト、 \| { ヽt-r‐'{//^\ \ /
| | \ 二二イ゙\ \ } /'/'
| | ` 、__ノ^\ミ | `| /'
| ヽ \ 人 三| | ヽ| |
| \ \ ヽヨ } \ | \\ [?????????21?????????? Ποσ]ειδ? ??5??
??????????22??????????? ?μμεν[? ????] ??????????22??????????νον[τ]α? τ???? [????????18???????? ο?δ]? ?πλα ?[π]ο?[σω ?]- [π? πη
μον?ι ?π’ ο?δ?να τ?ν] ?μμεν?ντ[ω]ν ?ν τ- [ο?? ?ρκοι? ο?τε κατ? γ?ν] ο?τε κατ? [θ]?λασ- [σαν・
ο?δ? π?λιν ο?δ? φρο]?ριον καταλ?ψομ- [αι ο?τε λιμ?να ?π? πολ?]μωι ο?θεν?? τ?ν τ- [?? ε?ρ?
νη? κοινωνο?ντ]ων τ?χνηι ο?δεμι- [?ι ο?τε μηχαν?ι・ ο?δ? τ]?ν βασιλε?αν [τ]?ν Φ- [ιλ?ππ
ου κα? τ?ν ?κγ?ν]ων καταλ?σω ?δ? τ?- [? πολιτε?α? τ?? ο?σα?] παρ’ ?κ?στοι? ?τε τ- [ο?? ?ρκου?
το?? περ? τ]?? ε?ρ?νη? ?μνυον・ [ο?δ? ποι?σω ο?δ?ν ?να]ντ?ον τα?σδε τα?? [σπονδα?? ο?τ’ ?γ? ο?
τ’ ?λ]λωι ?πιτρ?ψω ε?? [δ?ναμιν, ?λλ’ ??ν τι? ποε?ι τι] παρ?σπονδ[ον] πε- [ρ? τ?? συνθ?κα?,
βοηθ?σω] καθ?τι ?ν παραγ- [γ?λλωσιν ο? ?ε? δε?μενοι] κα? πολεμ?σω τ?- [ι τ?ν κοιν?ν ε?
ρ?νην παρ]αβα?νοντι καθ?τι [?ν ?ι συντεταγμ?νον ?μαυ]τ?ι κα? ? ?γε[μ?]- [ν κελε?ηι ?????12
????? κα]ταλε?ψω τε?? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ??? [? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? Θεσ]σαλ?ν ?Δ [? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?]ν ?ΙΙ [? ? ? ? ? ? ? ? ? ?λ
ειμ]ιωτ?ν ?Ι [? ? ? ? Σαμοθρ?ικων κα?] Θασ?ων ?ΙΙ ? ? ? ? ? ? ? ? ? ων ?ΙΙ? ?μβρακιωτ[?ν] [? ? ? ? ? ? ? ?]π
? Θρ?ικη? κα? [? ? ? ? ? ?] Φωκ?ων ?ΙΙΙ? Λοκρ?ν ?ΙΙΙ [? ? ? ? Ο?τ]α?ων κα? Μαλι?ων κα? [Α?νι?νων ?ΙΙΙ
? ? κα? ?γ]ρα?ων κα? Δολ?πων ??? [? ? ? ? ? ? ? Πε]ρραιβ?ν ?ΙΙ [? ? ? ? ? ? Ζακ?νθο]υ κα? Κεφαλην?α? ?ΙΙΙ >>497
同感、そしてスメルジャイコフに伝えたイワンの
思想はその通りだと思う
「神がいなければすべて許される」はその通り
だけどイワンは無神論者ではなかったと思う
非ユークリッド的調和を受け入れることを拒否
して、暴虐や不幸に神が介入しないことを認め
られず、その上で建てられいずれくる楽園の入
上料は高すぎると
ならば神にその入場券は返却すると
神の創った世界はとても理性で干渉できる次元
ではないのでそのまま認める、けどその世界は
認めない、ってことだと思う
そこを踏まえて、
>イヴァンの陥った思想の袋小路には、「神がいなければいっさいが許される」と書かれていた。
その袋小路は神のいない世界の行き着く先。<
なんだけど、神を受け入れる一歩前にいる状態で
あって無神論の世界ではないと思ったんだ
そう考えるとイワンほどこの世に哀れみで見て
いる登場人物はいないのではないか、と思う
てのはどうだろう? >イヴァンの陥った思想の袋小路には、「神がいなければいっさいが許される」と書かれていた。
その袋小路は神のいない世界の行き着く先。
ゾシマ兄の得た、「私はこの世界の誰よりももっとも罪深い」という悟りに似た呟きは、私は神のいる世界の行きつく袋小路に存在する答えなのだと思っている。
この二つの「謎めいた言葉」が照応していた?とは、今までまったく気がつかなかった。卓見であり、ドストに訊ねても「そうだ、その通りだ」と答えることはまちがいない そういう意味ではドストは忠実に書いてると言える
キリスト教の基本は、まず「人間は産まれながらに
罪(原罪)が誰もある」としている
そして「イエスキリストによってすべてが贖われた」
全部ここから始まる
>ゾシマ兄の得た、「私はこの世界の誰よりももっとも罪深い」という悟りに似た呟きは、私は神のいる世界の行きつく袋小路に存在する答えなのだと思っている。< これで聖書と符合している
で、イワンは人類のキリスト教への疑問の代理者 神がいなければ一切は許されるの意味がわからん
ひとは善悪の判断で裁いたり裁かれるわけじゃないし 「それと同じことを言うて、ニキートカもわたくしを慰めてくれました。
おまえ様の申されたとそっくりそのままでござります。
『おまえは馬鹿なやつじゃ、何を泣くことがあるか、
うちの子も今ごろはきっと神様のそばで、天使たちといっしょに賛美歌を
うたっておるに相違ない』とつれあいは申しまするが、そのくせ、
自分でも泣いておるのでござります。見ると、やっぱりわたくしと同じように、
泣いておるのでござります。
わたくしはそう申しました。『ニキートカ、それはわしも知っている、
あの子は神様のそばでなくて、ほかのところにおるはずがない。
けれど、今ここに、わしらのそばにいっしょにおらん、前のように
ここに坐っておらんではないか!』と、そういうてやりました。
わたくしはほんの一ぺんきりでも、あれが見とうござります。
ほんのいっぺん、あれが見たいのでござります。そばへ寄ったり声を
掛けたりできなくてもかまいませぬ。あれが以前のように、
戸外で遊んでいるところや、こちらへやって来て、あの可愛らしい声で、
『母ちゃん、どこ?』と呼ぶところを、どこかの隅に隠れておって、
ほんのちらりとでも、見たり聞いたりしとうございます。 あの小さい足で部屋の中を歩くのが聞きとうございます。
あの小さい足でことことと歩くのが、たったいっぺん。以前よくわたくしのところへ走って来て、大きな声ではしゃいだり笑うたりしましたが、わたくしはたった一度あれの足音が聞きたい、どうしても聞きたいのでござります。
けれどもお聖人さま、もうあれはおりませぬ、あれの声を聞くときはもうござりませぬ! これここにあれの帯がござりますが、あれはもうおりませぬ。もうあれを見ることはできませぬ。あれの声を聞くことは……」
彼女はふところから小さな組紐の、わが子の帯を取り出したが、それを一目見ると、両手で顔をおおって、身を震わせながら泣きくずれた。そして不意にほとばしり出た涙は指のあいだを伝って流れるのであった。
−−−−−−−−−−−−−−
おれは、後年22くらいのころか、これとまったく同じ言葉を実際に聞いた
祖母の葬式で田舎へ行ったとき、叔父夫婦が、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを、車を発進させる時に気づかずに轢き殺してしまったというのだ
若いお嫁さんの目からは止めどもなく涙が流れていた
−−−−−−−−−−−−−
そしてさらに時が流れ、自分が子を持ち、後悔しなければならないことばかりが起きた
そして今も、強い自責の念に責め苛まれつつも、「未来へ向けて、何としても責任を果たすのだ」と身震いする思いだ
カラマーゾフは、ロシヤ正教を中心とした宗教的空気感の中に展開するが、そこに書かれている言葉と内容は人類普遍であり、特定の宗教に依存していないと思う >>507
> 神がいなければ一切は許されるの意味がわからん
> ひとは善悪の判断で裁いたり裁かれるわけじゃないし
俺たち日本人に、キリスト教的世界観が、理解しがたいのは当然だ
一見して、一神教の神やキリストの贖罪、また聖書の逸話なども、幼稚でバカらしくも見える
しかし、カラマやドスト作品を読めばわかることだが、そこに描かれているのは、特定の宗派に依存しない、
人間への深い洞察と、素晴らしい思想ではないか? それらが芸術的表現で、二度と忘れられない形で、俺たちの脳みそに叩き込まれるのではないか?
少しずれるが、前に「別離」というイラン映画を見た。イスラム教は俺と無縁だが、
クライマックスで描かれる「信仰のテーマ」は、他宗の俺にも、痛切な感動を与えた。
そういった意味で、カラマーゾフは「最高度の宗教性」が書かれている
青少年に最適の作品であるカラマが、最高に宗教的であることは、まさに青少年にこそ「信仰が必要である」ことを示唆するのではないか >>507
おおよそ人類はどの宗教に問わず善悪は神を基準
に定めれれている。これがすべての偉人が言って
きたこと、っていう歴史的背景があるんだ
例えば殺人ですら原始人のあいだでは普通に起こ
るし起きってきた
人間をただのタンパク質とすると殺そうと生かそ
うと同じことになる
そこで人類の初めに神を持って初めて善悪がある
キリスト教では「汝、殺すことなかれ」
で、イワンが言ってるのは、神がいっそうされた
ならば、神の概念は自分の立っている所にある。
つまりそれを知ってる人間は何をしてもOK
(法で裁かれる犯罪の意味でなく罪、贖罪がない)
ってこと
「神がいなければすべて許される」の背景
って解釈なんだけど、感覚で捉えるしかないし、
まずキリスト教は「人間は原罪がある」というと
ころから始めないと理解難しいよ >>509
>カラマーゾフは、ロシヤ正教を中心とした宗教的空気感の中に展開するが、そこに書かれている言葉と内容は人類普遍であり、特定の宗教に依存していないと思う< ←どこらへんでそう思た?
ドストが世界共同体でのキリスト教を目指してたと言われている,これに関わるかな そもそも宗教というもの自体
道に入って道に従うものだから
人類普遍的であるし
それ自体が救済であり
中身はあまり関係しないと思うけど >>511
善悪の判断をなくしたところで許されるわけじゃないと思う
その、許されるってのが、判断のプロセスに留まるなら
許されることに意味がないんじゃない?ってこと
大事なのは、やってしまったあとで、殺すか殺されるかのところで、許されなきゃいけないでしょ
そんなことはありえない
ちなみに俺は、カトリック生まれです >>514
その通りだし、それは誤解だよ
どうだったか正確には思い出せないけど、この
「神がいなけれすべて許される」の文章にはつ
づきがあって、神がいなければ善をする必要が
ないし、そもそもその許す許されるの「枠組み」
すらなくなる‥って続きがある
そこだけ名言で抜き取られてるから、ちょっと
ただ善悪がなくなるっていうのは、
神がいる世界では神の意思が最上
神がいない世界では自己の意思が最上
これは自由意思の問題なんだ 神の不在の世界で
は自由意思がすべて、何でもしていい、って感じ
「見つからなければ何でもいいってっていう道徳
すらない世界」要は政治家とか今の日本人って
思ったよ [?????????21?????????? Ποσ]ειδ? ??5??
??????????22??????????? ?μμεν[? ????] ??????????22??????????νον[τ]α? τ???? [????????18???????? ο?δ]? ?πλα ?[π]ο?[σω ?]- [π? πη
μον?ι ?π’ ο?δ?να τ?ν] ?μμεν?ντ[ω]ν ?ν τ- [ο?? ?ρκοι? ο?τε κατ? γ?ν] ο?τε κατ? [θ]?λασ- [σαν・
ο?δ? π?λιν ο?δ? φρο]?ριον καταλ?ψομ- [αι ο?τε λιμ?να ?π? πολ?]μωι ο?θεν?? τ?ν τ- [?? ε?ρ?
νη? κοινωνο?ντ]ων τ?χνηι ο?δεμι- [?ι ο?τε μηχαν?ι・ ο?δ? τ]?ν βασιλε?αν [τ]?ν Φ- [ιλ?ππ
ου κα? τ?ν ?κγ?ν]ων καταλ?σω ?δ? τ?- [? πολιτε?α? τ?? ο?σα?] παρ’ ?κ?στοι? ?τε τ- [ο?? ?ρκου?
το?? περ? τ]?? ε?ρ?νη? ?μνυον・ [ο?δ? ποι?σω ο?δ?ν ?να]ντ?ον τα?σδε τα?? [σπονδα?? ο?τ’ ?γ? ο?
τ’ ?λ]λωι ?πιτρ?ψω ε?? [δ?ναμιν, ?λλ’ ??ν τι? ποε?ι τι] παρ?σπονδ[ον] πε- [ρ? τ?? συνθ?κα?,
βοηθ?σω] καθ?τι ?ν παραγ- [γ?λλωσιν ο? ?ε? δε?μενοι] κα? πολεμ?σω τ?- [ι τ?ν κοιν?ν ε?
ρ?νην παρ]αβα?νοντι καθ?τι [?ν ?ι συντεταγμ?νον ?μαυ]τ?ι κα? ? ?γε[μ?]- [ν κελε?ηι ?????12
????? κα]ταλε?ψω τε?? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ??? [? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? Θεσ]σαλ?ν ?Δ [? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?]ν ?ΙΙ [? ? ? ? ? ? ? ? ? ?λ
ειμ]ιωτ?ν ?Ι [? ? ? ? Σαμοθρ?ικων κα?] Θασ?ων ?ΙΙ ? ? ? ? ? ? ? ? ? ων ?ΙΙ? ?μβρακιωτ[?ν] [? ? ? ? ? ? ? ?]π
? Θρ?ικη? κα? [? ? ? ? ? ?] Φωκ?ων ?ΙΙΙ? Λοκρ?ν ?ΙΙΙ [? ? ? ? Ο?τ]α?ων κα? Μαλι?ων κα? [Α?νι?νων ?ΙΙΙ
? ? κα? ?γ]ρα?ων κα? Δολ?πων ??? [? ? ? ? ? ? ? Πε]ρραιβ?ν ?ΙΙ [? ? ? ? ? ? Ζακ?νθο]υ κα? Κεφαλην?α? ?ΙΙΙ __ // //
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l i.l .ッ :. : :; ,ッミ| / / /
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| r^ヽr'´ ""'''''" ,,ッ }
l_ '''""''ヽ_,, ,,ノ__;:| /7
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ヘ`-| ミ r l :h } //
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/^ヽl ;. l_ j } / 〃  ̄
/{ 、 ;, | r‐=ニ二ア/〃\ 〃 ―
ト、 \| { ヽt-r‐'{//^\ \ /
| | \ 二二イ゙\ \ } /'/'
| | ` 、__ノ^\ミ | `| /'
| ヽ \ 人 三| | ヽ| |
| \ \ ヽヨ } \ | \\ >>514
連投すまんし、色々言ったけど結局簡単で、
現在の先進国はみんなそうなのかもしれない
「法を超えなければいいでしょ?」っていう
違法ではないが不適切なんて言った知事も居
たけどw そんな大げさじゃなくここの荒らし
とかもそうでw
悪いからやらない良いからやるじゃなくて、
まったく善悪がなくなる 神をしょんじないならば >>504
イヴァンの思想はたしかに無神論ではないですね。
アリョーシャがイヴァンに指摘したように、
大審問官はある意味ではキリストの賛美というところに留まっているのではないかと。
小説的にもイヴァンの思想を遂行したのがスメルジャコフなのだから、
イヴァンという人とその思想というのは一筋縄で語れることではないでしょうね。
思想を遂行したラスコーリニコフ、遂行にスメルジャコフを要したイヴァンという筋でなにか書こうとしてみたが、
1時間使っても手短にまとめらないのでこんなところでw >>521
短くまとめるのはとても難しいね
自分の場合は、まとめっていうより分かってる体で
言いたい事言っちゃう
あくまでドストスレだから勝手に理解度あると思ってる おそらく理解してる人がここにはたくさんいると思うよ
>思想を遂行したラスコーリニコフ、遂行にスメルジャコフを要したイヴァンという筋でなにか書こうとしてみたが<
これをもし勝手にに拝借して言うと「未然の故意」
を連想した
確か悪霊でスタヴローギンがある少女の自殺を見殺
しにする場面がある これはまさにイワンのスメルジ
ャイコフの殺人を知りながら止めなかったのと一致
罪と罰でもスヴィドリガイロフが同じような少女の
自殺の話があったよね? <<522
まあ、こういう場所柄、手短にまとめなければいけない。
それについては色々思うところはありますが、自分の事情でいうと、ある程度自分の考えが固まっていないと、
文章を短くするときに何を切るかという判断もしづらいですね。
内容的には同じことを言っているもの同士がなぜか争うという状況にはしたくないので、
自分の意見として出すときはできるかぎり分かりやすく書いてます。
それぞれの理解の仕方があるから、なかなかね。
未必の故意というやつでしょうか(火サスでみた)
イヴァンがスメルジャコフの犯行にたいしてどこまで意識的だったのか、
父殺しにおいてイヴァンのどの部分に明白な罪(法的にも信仰的にも)があるのか、
その判断材料はスメルジャコフとイヴァンとの後編の会話にしかないけれど、
イヴァンの場合は未必の故意さえはっきりと読み手に確信できるように書かれていないんですよね。 >>523
そう未必の故意、携帯だけど多分ど忘れと
ただの勘違い お恥ずかしいw >>524
争う状況を避けるまで配慮してるとは
オレはここに書くのは欲望みたいなもんで、
自分の意見を文章にすると自分で認識して
いたものがまた違う認識に変わる事があるんだ
まったく主観で説明になっていないけど
そして是非関係なく反応があればまた良しとする
白痴を読んでるって言った物だけど、GW(今日まで)
で終わらなかった 今4編だけど白痴ではイポリート
に相変わらず魅せられる
カラマーゾフはイワンで悪霊はキリーロフがそう
「人より余計に苦しむことのできた人は、当然、人より余計に苦しむ値打ちのある人なんですよ」
ムイシュキンみたいに誰かにこんな感じで慰めを言えるようになりたい ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
l i''" i彡
.| 」 ⌒' '⌒ |
,r-/ -・=-, 、-・=- |
l ノ( 、_, )ヽ |
ー' ノ、__!!_,. │
|. ヽニニソ l
/⌒ ヽ /
,.. - - 、、 _/ , `ヽ一 '
,ィ´ ` ー< __/ ,. ヽ'
. / , '´ `ヽ ノ , } . .
. . ,' ! ヽ ,′ / . .. : . .
. . . l * ヽ. ,./ /: . . : . .
:. ,.-| /:l:ヽ .l _._/ / . . .: .
. . /ス,、/l (;;;)(;;;) |. ./ / /. :
. :. ヽ{」_ケ! 人 lノ . . / /: . ..
. . . : `j / ゙、 !. . . ./ /: . :. .
. . : . ,. へ、 /. . `、 l : ./ / . :. : .
.: ./ / . : . ヽ l ;ノ /. :. . .:
/ / . : : . . . 丶 lrん<. ノ: . .: .
,. '´.: .: . : . :./ ー- ハ」_{ l^ン′. : .
,. '´ . : . :. . : .: , ' / . . `^´. . :.
,. '´ .: . :. : . .: . :. :. / /: .: . :. : . :. . .: 夏が来て僕等 アイスクリーム食べて笑った
木に登り僕等 何回目の夏か数えた
うばわれた声に耳を澄まし
自転車で知らない街まで
終わりなき午後の冒険者は
夏に疲れるなんてそれは
とても罪なこと
夏が来て僕等 高校野球なんて見ないで
夏草にのびた 給水塔の影を見ていた
裸足ならもっとよかったけど
宿題は机でまってる
誰かがピアノを弾いているよ
みんな誰もが秘密をもつ
汗ばんだ季節だ
八時半広場に集まろう
花火ならたくさん持ってる
スリルあるやつやきれいなやつ
今夜部屋から抜け出してさ
森を見に行こう
夏が来て僕等 成長のドアを足であけた 罪と罰で疑問に思った事があるので書いてみる
罪と罰では自由に耐えられるのか、人間はどこ
までも自由でその思想の為に人を殺していいほ
ど自由なのか、が書かれている
ラスコーリニコフは歴史的にナポレオンのよう
に何をしても英雄になるこの世の道理を最後ま
で疑わなかった 一方でキリスト教的博愛主義の
存在も認識し、その2つの認識の誤差に葛藤して
ソーニャの為に自首する
スヴィドリガイロフは何の闘争もなく、なんの
善悪も持たずに自己の欲求の為に殺人も簡単に
踏み越えて自責の念もいささか感じなかった
なぜ自殺を選んだのか?
女にフラれるくらい彼にとって何だと言うのか?
キリーロフが幸福や理性を否定して我意こそす
べて、神がいなければ自分が神、とその証明の
為に死をもってなすのは分かるけど、
スヴィドリガイロフのアメリカ行きは何を意味してるんだろう?なぜ自殺で殺人ではないんだろうか? 19世紀の小説読んでみるといいかもね
ゲーテはなぜ主人公をアメリカに行かせようとしたのでしょうか?
自殺とは戦争である、とある作家が書き付けたとき、自殺の対義語は書くことであり、同義語は革命だった
革命が起こるとその暴虐に保守反動が起こり、ロマン主義は保守に走る、神秘主義は革命へ、キリスト教徒は保守へ走る
ドストエフスキーの時代は革命(暗殺)が挫折して専制の時代、次の革命の前の時代に当たる
イギリスではジャコバイトの時代、アメリカでは南北戦争の前の時代、フランスでは1830年の直前、ドイツではメッテルニヒ体制
ここにはドストエフスキーを解読する鍵がたくさん残されている
崩れつつある秩序に立ち向かおうとしたときに導入される別の父親、マリアを含む異教、検閲かではまわりくどく、寓意を手段として取らざるを得ない 中途半端に送信してしまったが、たとえば、自分の犯した罪の記憶をどうするか悩む男
罪の記憶を圧制の中で保ち続けるか、それとも死ぬことで記憶の罪を忘却するか
ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった
同じモチーフは繰り返し19世紀という時代に、色々な国で現れている >>532
>自分の犯した罪の記憶をどうするか悩む男
> 罪の記憶を圧制の中で保ち続けるか、それとも死ぬことで記憶の罪を忘却するか
> ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった
ハムレットはどんな罪を犯したのか? 生きながらえて「眠らずに」苦しむ程の?
> 同じモチーフは繰り返し19世紀という時代に、色々な国で現れている
そうだね。ドストにも、他の芸術分野にも、多大な影響を与えているようだね >>531
お前は世界史にも詳しいんだな。どんどん書いてくれ! おれは今書けなくなっている、復旧してきたら、テキトーな内容で、あまりかんがえずにかくから、ぜったいきびしく突っ込むなよww!?
たのんだぜ、エブリワン ふと思ったのは、ここの3人乃至4人の同志諸君は、ドスト作品を愛好する点においては同じだが、「哲学的側面」への関心が強くないか こんな売れない作品になんの意味がある!
馬鹿者が!
作品は売れてナンボじゃ!
そうだろ!無冠の帝王、山田悠介!
リアル鬼ごっこ?
糞が!
しかし小中高を取り込みいまや億万長者!
文壇からは完全無視!
しかし、億万長者!
作品は金だ!
よって、山田悠介の勝ち! そんなに悩むな若い友!
昔からじゃねーか
80年代に俵万智が驚異的に売れた
同時代に天才詩人◯◯が存在していた、平易な言葉で日常の何気ない場面を美しく切り取って見せた >>529
『罪と罰』のプロットからの考察
ラスコーニニコフのラストは作中ポリフィーリーによって予告されている。
すなわち、「自白するのか?それともズドンとやるのか!」
『罪と罰』って6編+エピソードでエピソードはおまけと思えば(言いたいこと沢山あるけどなw)全6編の構成。
で、最後の章に書かれているのは、前半がスヴィドリガイロフで後半がラスコーリニコフじゃん?(副題つけるなら「自殺と自白」とかかな?)
ここでポリフィーリーの予告した二つのラストが示されてる、とも思える。
スヴィドリガイロフってのは、自白したラスコーリニコフじゃなく、ズドンとやったラスコーリニコフで、
じゃ二人を分けたのはなんかていうとドーニャとソーニャじゃん?
ラスコーリニコフ:ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる)
スヴィドリガイロフ:ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる) 「最後の一人になるまで殺し合って、1人になったら自殺ですよ」(ドスト談)
他人のこと否定(否定主義、ニヒリズム)していくと最後に残るのは自分で、
それさえ否定していく(厭世的、シニシズム)ってのは道筋としてはわかる。
それは、シェストフ(『悲劇の哲学』)なんかに言わせると「ニーチェを経て、キルケゴールへ向かう!」
ってのは論理としてはまぁわかる。(でもやっぱ正しいとは思えないけどなw)
つまり、キルケゴール的に言うと、スヴィドリガイロフの自殺ってのは必然、って思った。
古い思想(ソーニャ)だとラスコーリニコフみたいな人間でも受け入れるけど、
新しい思想(ドーニャ)ではラスコーリニコフ的な人間は受け入れられない、ってことだと思う。
と、プロットから言ってみる。 >>532
自分の親を殺したやつに復習したところで
そんなに悩むことないと思うけどね >>531
歴史と当時の背景ね まさにドストの生命か革命
かだね 神秘主義とは革命でありよって自殺する
歴史は詳しくないけど頭の情報と別の情報がつ
ながった
ゲーテ、ファウストは読んだけど、おおまかな
あらすじと時よとまれ!おまえは美しい!し
か覚えてないよ アメリカ行きあったっけ?
この時代は魂に関する作家がとても多い気がする
ドストも永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か
をいつも見据えていたように感じた
>ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった<
いい表現だし、言葉が美しい >>540
個人的には、本質は違えど、表面的に社会主義と
キリスト教はとてもにていると思う
前にも書いたが、天上を引きずり下ろすかそこに
自分で辿り着くかの違い
古い思想(ソーニャ)と新しい思想(ドーニャ)ね
分かりやすい
>「最後の一人になるまで殺し合って、1人になったら自殺ですよ」(ドスト談)<
カラマーゾフの兄弟?で立ち止まった文章だ
実は自分もキルケゴールは大好きで死に至る病が
すごく難関だったけど読んだなあ そこから思考、
絶望というものをスヴィドリガイロフは背負って
いたのかもしれない 彼は分類では自分自身であろ
うとする絶望になると思った
神や他人の救済を払って自分自身の意思をすべて
においた(正確にはドーニャに最後頼ったけど)
>つまり、キルケゴール的に言うと、スヴィドリガイロフの自殺ってのは必然、って思った。<
なるほど、しっくりくる >>537
そういう側面で文学を見るのが好きなんだ
ドストはとくに思想的で考察が楽しいよ キルケゴールはいった、キリストの真理を受け
入れるより自己の関係の関係性に関するあらゆ
る絶望から逃れる方法はない
絶望を意識するか意識しないかは関係ない絶望
てのを今思い出した
スヴィドリガイロフの死もさらにスタヴローギン
やキリーロフについても説明がつく
それにしてもドストってキルケゴールも読んだ
のかな そうならなんか面白いw
何を感じるんだろう ドストエフスキー(1821年11月11日 - 1881年2月9日)
キルケゴール(1813年5月5日 - 1855年11月11日)
同時代人だけど、双方とも読んでいないと思う。
キルケゴールはデンマーク語だけだしデンマークでしか知られていなかった。(訳は20世紀になってからドイツ語が最初)
たぶんお互い読んでいないと思う。(でも読んだとしたら?って考えるの面白いねw
ニーチェも読めるわけないんだけど(加賀乙彦は読んだってウソこいたねw)
もし読んだら怒ったって気がするw >>547
年表だと同時代か どうも
天才と言われた思想家が一方は文学で一方は哲学
で同じ傾向に辿り着くか
つくづく思うのは人間が時代や言語や習慣に関係
なく思う事は文明人も原始人も同じなのかもしれ
ない 自分の存在と神について
すべての疑問はそこから来てるのかもしれない
とても多くの天才が、それこそアイシュタインの
ような科学者まで神を肯定する
絶対に証明出来ないように造られ、絶対に観測で
きないのに、どうやって信仰に辿り着くんだろう
こればっかりは答えはでないけどw 「歴史がある」安倍-電通-在日-朝鮮-麻薬-統一協会-CIAの売国つながり
電通に勤めていた安倍昭恵は、電通の上司に安倍晋三を紹介された
電通は、安倍昭恵が好きな韓流ブームを作り、在日芸能人を使っている
安倍昭恵が大麻、大麻と言ってるのは、晋三の祖父の岸信介は満州開発高官だったが
関東軍とつながりアヘンで大儲けした電通の里見甫に支援されていた因縁からだろう
戦前満州の電通で、諜報やプロパガンダをしていた里見甫が
アヘン密売を行う里見機関を設立
里見甫が調停した済南事件では、麻薬売人や売春業の朝鮮人が、中国人に虐殺された
戦後、A級戦犯岸信介とともに電通も寝返り、電通がCIAの下請け組織になる
統一協会の最初の日本拠点は岸信介の自宅の隣で、
祖父の岸、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って統一協会につながる
統一協会は、北朝鮮に自動車メーカ「平和自動車」設立など、北朝鮮と裏でつながる
現在CIAの下で統一協会が世界で麻薬密売をしている
北朝鮮では覚醒剤製造を行い、在日暴力団が日本で覚醒剤の売人をしている
【大麻】安倍昭恵夫人とともに大麻を栽培する青年、大麻取締法で逮捕 共同正犯の適用へ
http://vipper.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1488261636/
満州でやったように、次は日本人を大麻漬けにして金儲けようとしているのか
http://okmusic.jp/musichubz/artists/54285/videos/KNCChsXigtE
http://blogs.yahoo.co.jp/ooophiooo/39822127.html
コーラにコカイン、キャラメルに覚醒剤、菓子工場で何作ってる?→ http://ona.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_1d6/ona/ko_3-c8a2f.jpg >>540
> ラスコーニニコフのラストは作中ポリフィーリーによって予告されている。
> すなわち、「自白するのか?それともズドンとやるのか!」
> で、最後の章に書かれているのは、前半がスヴィドリガイロフで後半がラスコーリニコフじゃん?(副題つけるなら「自殺と自白」とかかな?)
> ここでポリフィーリーの予告した二つのラストが示されてる、とも思える。
> スヴィドリガイロフってのは、自白したラスコーリニコフじゃなく、ズドンとやったラスコーリニコフで、
−−−−−−−−−−−−−−−
ここまでは納得、しかし以下の部分が、ストンと この胸に落ちてこない
> じゃ二人を分けたのはなんかていうとドーニャとソーニャじゃん?
> ラスコーリニコフ:ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる)
> スヴィドリガイロフ:ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる)
ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる)
ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる)
「罪と罰」本文に、まったく参照していないから、ぼんやりした記憶だが、どちらの女も、そんな定型的な抽象的な存在だったか? >>542
> 自分の親を殺したやつに復習したところで
> そんなに悩むことないと思うけどね
ハムレットの苦悩というのは、叔父王を殺害したことなのか? >>543
> ゲーテ、ファウストは読んだけど、おおまかな
> あらすじと時よとまれ!おまえは美しい!し
> か覚えてないよ
ファウストは、16歳で最初に手に取った世界文学だったと記憶する。(神曲のほうが早かったかも、第三番目がカラマなのは、まちがいない)
いまでも、ある意味、ドスト以上に高級な文学と勝手にイメージしてる。第一部までしか読了できてないが。
> この時代は魂に関する作家がとても多い気がする
> ドストも永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か
> をいつも見据えていたように感じた
ほんとうにその通りだねぇ! こんな短い言葉で!よくも的確に表現したね!!
「永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か」
> >ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった<
> いい表現だし、言葉が美しい
俺もそう思った。ハムレットの文中にあるのかね? この表現は。 結局、
食うことと正義に関する自己批判について
感心ぶる必要はなくて
ただ、自分のコンプレックスに対して正直なるだけでいいんだけどね >>514
>ちなみに俺は、カトリック生まれです
キリスト教について詳しくないから聞きたいん
だけど、カトリックって魂の不滅を認めてるの?
キリスト教でも中には死後に復活まで無の状態
と考える宗派はあるみたいだね
ドストはロシア正教とイエズス会のは何をよくするけど >>554
>キリスト教について詳しくないから聞きたいん
>だけど、カトリックって魂の不滅を認めてるの?
たぶん、魂が不滅だから肉体が復活するっていう前提があるんでは
>キリスト教でも中には死後に復活まで無の状態
>と考える宗派はあるみたいだね
知らないですが
調べたら、エホバがなんかそう言ってるらしいね
どっちも同じだとと思うけど
正教とカトリックもたぶんトップが違うだけだと思うけど
適当ですみません
誤差は気にしない性格なんで
要は、生きたいのか死にたいのかだけみたいな >>555
ドストはキリスト教が嫌いなんだとばかり思ってたが 前にもちょっと書いたが、そして偉そうにいってすまないが
ドストを哲学的に捉えようとすると、違う側面へ落ちるというか、本質をとらまえないような気がするんだ
たとえばカトリックか正教か?という相対的にどちらがより正しいか?というのはドスト自身も論及してたが、しかしそんなことではないとおもうんだ
キルケゴールやニーチェと、ドストはまったく次元が異なると、勝手におれは思っている、格段に重大な存在は後者と考える
むしろシェークスピアやダンテ、ゲーテ、トルストイと比較すべきと。
近代の哲学者が考えた抽象論と、古代からの信仰では、その重みはまったく違う。
ドストの登場人物たちも、抽象的な、将棋のコマのような存在には見えない
もうそうなら、俺たちはカラマや罪と罰や白痴を、こんなに愛好するだろうか?
そこに描かれている思考、信仰の姿、具体的振る舞い、いろいろのエピソード、それらは悉く、 頭で作り出された思考実験のようなものではなく
作者の体験と実際の見聞が書かれていると信ずる。だからこそおれらの心を動かすと
−−−−−−−
論理が破綻していてすまん、論理的文章書くのは不得意なんだ >>557
> ドストはキリスト教が嫌いなんだとばかり思ってたが
「キリスト教が嫌い」どころか信仰に賭けていたとおもいます、それがすべてのテーマの行き着く先だと >>555
> カトリックはドストの敵だな
これについてカラマに論及されていたが、かれはなんていっていたのか? >>553
> 結局、
> 食うことと正義に関する自己批判について
> 感心ぶる必要はなくて
> ただ、自分のコンプレックスに対して正直なるだけでいいんだけどね
すまん。何か重要なことを言っている気がするが、ちょっと文意が取れない、もう少し補足してくれ ロマン主義の主人公ハムレットというのは手垢のついた、つまらないイメージとされがちだけれども、そうではない
19世紀には世界の関節が外れてしまった(これはハムレットにある言葉)と同じく、「絶望の時代」とされていることをどれだけ重く見るか
小説が成立したのは後に「絶望」と称される「時代精神」に取り付かれた人々が、もはや政治参加やアジテーションで世界を変えることもできない時代
ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」はこう続く
どちらが精神にとって高貴であるだろうか
to suffer slings and arrows of outrageous fortune, or to take arms against sea of troubles, and by opposing and end them.
to die: to sleep
シェイクスピアはドイツ人こそ理解できる、と言われた一時代がありました
ゲーテは「ウィルヘルム・マイスター」のことです
そして犯した罪に煩悶するハムレット的人物はそれぞれが面白い
もはやそれは原罪ではない、知識人の罪、合理主義による自然・人間搾取の罪がキリスト教的原罪の「かわりに」出現してくる
形而上学的ハムレットと絶望の時代のハムレットは、20世紀前半のハムレット像と19世紀前半のハムレット像を区別して読解する
直接的な影響関係の有無という瑣末な観点ではなく、類似する状況、時代背景、思考を支配する「力の場」において比較すること
「キルケゴール」の絶望はどのような世界背景をもとにしたものか、「あれかこれか」という言葉は19世紀小説で繰り返される
キルケゴールが、オーストリア作家ネストロイに触れていることなど同じ問題圏に生きているからこそキルケゴールを19世紀小説の読解に使いうる
ハムレットにおいても「oder entweder」であり、これもまたロマン派においても頻出する
「力の場」はアドルノの言葉から。「絶望の時代」もアドルノ。
ハムレットは「関節をはずしてしまい、正すべきでありながら王位はいずれ手に入ること、関節の外れた世界で王位を継ぐことと関節を正すこと」
The time is out of joint. O Cursed fate, I was born to set it right!
罪業をうちに秘めてもいるのだけれど、「罪を犯した記憶」で生きるべきか死ぬべきかを苦悩する主人公は別の19世紀小説の主人公
基本的に暗記している台詞の引用なので細かく正確ではない >>559
信仰に賭ける、という言葉には
信仰が真実ではないことがわかっているという
ギミックがあると思うよ
競馬に賭けるのと同じで >>558
なるほど、確かに信仰をそのまま表現した文学者
と哲学者の抽象論では重みが違うか
比較すべき対象はシェークスピアやトルストイ等
論理的であろうとしたのが正しいベクトルだった
かはおそらく違うんだろう
罪と罰、カラマーゾフの兄弟等で受ける感動につ
いてニーチェやキルケゴールから受ける知的満足
はまったく別のものだね
実はシェークスピアとゲーテについてはそこまで
詳しくなくてね、ついつい好きなキルケゴール等
で比べてしまった
トルストイならある程度読んだから、またいずれ
違う視点で比較してみてここに書くよ >>562
背景と物語論そして知識量が凄いね
ここまでは文字の表現を客観視できそうにないよ
主観と共感や便乗が混ざってしまう
ハムレットの有名なTo be, or not to be((復讐を)
するべきかせざるべきか)みたいにとても人間的な
そして悲劇的な話が多い
シェークスピアは人間に焦点をあててその特に負
の感情について表現が目立つ
勝手に言えば日本人に向いているんだろう
日本は昔から神を想像する時に人間の延長線上で
神を作ってきた
人間とは次元にの違ういわゆるキリスト教的な神
を想像する欧米等とは違うもの
これはシェークスピアを否定してるわけではないよ
だからこそなぜドストエフスキーに惹かれたかの自
分の答え、個人的なそして勝手な自己分析でもある
>もはやそれは原罪ではない、知識人の罪、合理主義による自然・人間搾取の罪がキリスト教的原罪の「かわりに」出現してくる
これの「かわり」を元に戻したドストがシェークスピアと比較した場合、一番の理由になる 俺は、ニーチェとドストエフスキーに加えて、トルストイも同列にできると思う
トルストイの強引な自己犠牲は、破滅しかもたらさないと思うしね 横からすみません。
ファウスト、神曲、ハムレットもそうで、ここで挙げられた傑作がどれもヨブ記を参考にしたものばかりでほくそえんでしまった。
ちょうど岩波ででてる内村鑑三のヨブ記講演というのを読んでいたもので。
勿論、カラマーゾフもそうですね。 >>567
ヨブ記講演てよく聞くけどどうだった?
解説本て独特なのが多くてあまり読まないん
だけど これは気になってる
ヨブ記の解説だけでなくカラマーゾフの事も
書いてるの? >>560
自分への質問ではないが当時のイエズス会に
対する批判だよね
ドストはカトリックというよりイエズス会そ
のものを批判してるんだ
大審問官もそうで当時のセヴィリアなんかは
魔女裁判とか初めて政治にも食い入ろうとし
てたんだ
ドストがイエズス会を最も批判した理由はお
そらく彼らが自由意思を持たなかったことに
ある ローマ本部の命令を絶対として従属こそ
自由と本当の幸福とうたったんだ
キリストに与えれた自由の信仰とはかけ離れてる
まるで軍隊で個を否定した
まあとても神秘主義で信者を集めるには効率が
いいとも言えるが 高潔な自由意思ない
もちろん今のイエズス会はどうなんだろうか >>569
カラマーゾフでイエズス会だけ限定して批判したところってどのへん? >>571
大審問官の話が終わった後にアリョーシャと
会話をする場面がある、具体的には
「まさか俺が、キリストの偉業を修正する人々の群れに加わるために、これからまっすぐイエズス会の連中のところへ出かけて行くなんて、考えてるんじゃないだろうな?」
この修正するもの→イエズス会
ジェズイットかジェスイットでカラマーゾフ
では批判が他にもあったと思う
当時はジェスイットって言うみたいだね
フョードルのセリフだったかな?
スメルジャイコフがモスクワでイエズス会に会って
たんじゃないか、けしからんみたいな
上かんのまさにスメルジャイコフが題名の節だった
と思う
こっちはよく覚えてなかったわ >>572
そうなんだ。
大審問官はキリスト教全般を批判したものだと思ってたよ
キリストが現世で奇跡を捨てたのも、
それによつてキリスト教が狭い宗教になってることも、
全部のキリスト教のことだと思うし >>573
探していた文章を見つけた
やっぱり大審問官の後のアリョーシャの会話
「そんなのはローマですよ、それもローマのすべてというわけじゃない。そう言っては間違いです――
そんなのはカトリックの中のいちばんわるい部分ですよ。異端審問官とか、イエズス会のような連中です!……
おまけに、兄さんの大審問官みたいにファンタスチックな人物なぞ、まったくありえませんしね。」
ローマのすべてじゃない=カトリック全体ではない
はっきりここで審問官とイエズス会と限定している
「異端審問官とか、イエズス会のような連中です」
ドストは「当時」のイエズス会を否定している
奇跡、神秘、権威の上に信仰を建てようとした
キリストは自由意思で信仰することを望んだ
ドストもそうだったと思う うん 白痴なんかではローマカトリックは
無神論者より悪い、なんてセリフまである
カラマーゾフの兄弟で言ったイエズス会に
限定した言葉も真意だったとは思うけど
当時のカトリックだって中にはキリストの
教えに忠実だった人もいたと
ドストは個人信仰を押して、組織教理を否定
したんだとオレ解釈してる
信仰は個人であるべきで権力ではないと >>574
理解はした。
でも、イワンの言ってることがその通りカトリックだけにあてはまるなら
イワンは何のために無神論者になったの? スメルジャコフもイワンもイエズス会に毒されたって結論が出てるなら
正教大正義ってだけで話が終わるんだと思うけど
イワンも、アリョーシャに説得されて大円団になる筋書きしか見えない ちなみに、俺がドストエフスキー読んでたの10年も前なので
チンプンカンプンなこと言ってたらすみません >>578
賛否はあるだろうけどイワンは無神論者ではな
かったと思う
スメルジャイコフに無神論を語っていようと自
分も「神がいなければ自分が神になる」なんて
言っていようと最後は父殺しを見殺しにした罪
悪感とその自虐に耐えられず、せん妄症で悪魔
と会話するはめになる
悪魔を幻覚と認められないイワンは悪魔の存在
を肯定してる だからもちろん神もそうなる
「おれが受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな。おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば、神の世界というやつで、こいつを受け入れることに同意できないんだ」
>>579はカラマーゾフの兄弟は未完の作品で
もし続編があったらそうなる可能性は全然あるよね >>581
パッとしないなあ
君の言ってることじゃなくて
そんだけの内容なら
読む価値ねえなとさえ思う それだったらカミュの方がずっと素朴で純真だし
トルストイの方がずっと先を見てる まあ読書と本の傾向なんて自分の延長みたいな
もんで合う合わないだからね
トルストイは理想主義的でドストの人間くささ
がオレには合ってたりする
自分にとってはそれだけでも結構な内容だった
もちろん良心の呵責のテーマは全然罪と罰だけど 神がいるかどうかのせめぎ合いがあったというなら、
イワンがそれだけ苦しむ価値はあるのに
隣でイエズス会に影響受けてるだけだ
実は正しい協会と神は別に存在してるのだ
という結論は
アホとしか思えない
早く気付けと言いたい
人間は、気づきたくても気付かない振りをすることがしばしばあるけど
イワンとそのイエズス会とやらの間に、それだけの執着があるとは思えないし
いまいち納得できない >>578
ロシアでカトリックに改宗する連中はみんなイエズス会に入るんだ!
それには理由がある、失われたロシアの大地を埋め合わせようとしてあの忌まわしいイエズス会士、論理に奉仕するイエズス会士になっちまうんだ!
考えつくすやつほど教義論を考えつくして最も忌まわしいイエズス会士みたいになっちまう!
連中は神さえ信じていない!スメルジャコフのように!まるでアリョーシャのように!
ムイシュキン公爵はイエズス会士に改宗してしまった高貴な友人を弁護してこう口走るのであった
ドストエフスキーがイエズス会を憎んだなんてのは皮相な読み方だね
イエズス会ってのはとっくにロシアから追放された時代であって、ドストエフスキーはいろんなイメージ(陰謀者・論理主義者・インテリジェントデザイニスト・法悦者・・・・)で語ってる
ポジティブな、絶望したロシアの青年をひきつけるだけの魔力をもつ存在としても描写している
それは彼のいびつなキリスト教解釈と一面では対立し、一面では合一しちまうもんだと思うけどね
イエズス会、もキリスト教、も言葉だけでアイデンティティ押し付ける読みはいまいちだと思うなぁ
ドストエフスキーのキリスト教ってのは連綿と続く正統への異議申し立てとして捉えるべきで、、、とか説教くさくなるとよくないかね
イエズス会が猛威を振るったのはまさにロシアの中心そのものとトルコから奪還した辺境の二つで、その中間ではイメジとして語られる
これはイエズス会追放が時系列をずらしながら世界中で行われたときに、同じく世界中で起こったこと
ヴォルテールやデカルトが君主と辺縁だけに、支持され、中間貴族/既得権益に蛇蝎のごとく嫌われた啓蒙時代もイメジとして重ねてみる
100年前のイギリスおよびアイルランドでのイエズス会描写なんかこそ、イメージでしか語られない「イエズス会」理解には結合するべきと思うけれどな
辺縁に自己同一化したい、けれども中心に住まうドストエフスキー >>586
イワンがイエズス会に影響してるのではなくて
イワンが大審問官を通してイエズス会みたいな
個性を否定する当時のまるで西ローマの宗教を
受け継いだ事を皮肉ったんだよ
イワンの苦痛は神の有無より、神の創った世界
の是非と容認にある
神の有無はフョードルの方がこだわってたと思
うよ 何度もアリョーシャに尋ねたりとか
ようはヨブ記の比喩でもあってこの世の理不尽
と神がそれを介入しない事に納得ができないと
だけど大審問官はただのキリスト賛美なんだけどね >>589
もし神がいるなら
個人に是非も容認もする権利はないんじゃないかと思うけど >>589
イエズス会士の霊操っていう本を読むと、いかにドストエフスキーと近いかわかる
あれは、神と法悦エクスタシーのもとでいかに同一化するかを体操のように教育課程を踏んで学んでいく教本
カトリックやバチカンなどよりも神との合一を重視する異端だからこそカトリックから追放されまくる
そもそもバチカンに閉じこもってカトリックの教義改造しまくっていた時代だということ理解しているのかね
ある種の君主や、現実に圧制にあえぐ辺境では異常な信仰を得る
追放された国では、追放した側がプロパガンダで色々言う、その陰謀=ジェズイットってイメージもまたドストエフスキーのインスピレーションなわけ
イエズス会なしにアリョーシャは書かれることはない
くっそつまらない、イメージだけでドストエフスキーの敵対者=サタン扱いする読解はもったいない、と思うが説教くさくなりすぎるか
キリスト教なんてドストエフスキーの時代の数十年前に根本的に変わっているのに突然旧約とかと同一性を見出して無批判に接合するのは詰まらん読み方だと思う
背景も知らずに作家を時代から孤立した天才扱いするの嫌いなもんで >>590
神がいるなら人間に是非の権利はないだろうね
でも肯定も出来ず否定も出来ないイワンは苦痛
でしかないだろう
権利はなくとも是非は精神の問題で葛藤を持っ
て苦痛するしかない >>591
面白そうな本だね
当時のカトリックが教義を体制と一致するよう
にしてるのは分かってるよ
ヨブ記についてはカラマーゾフの兄弟そのもの
についてであって箇所を限定はしてい
ドストがヨブ記を読まなければカラマーゾフの
兄弟はなかったと、言い過ぎだけど >>591
俺がカトリックが嫌いでエホバが好きなのと似てる気がする <<568
んー……まだ半分も読んでいないのでなんともだが、ヨブ記を解説する本としてはヨブ記講演は不十分な気がするかな。
しかしヨブ記を解説するなら独特にならざるをえないでしょうね。
ヨブ記を小説としてとらえるなら神よなぜ私を捨てたもうかを問うドラマであり、ヤハウェがおんみずから人の前にでてもその答えは提出されることがない。
そういう理不尽をどのような切り口から筋道だって語ったとしても、それだけでは人を説得する力は持たないんじゃないかと。
福音書にもあるように、人が信仰を勝ち取るのではなく、神によって選ばれるのですから、そこに理由を求めても正解はでないだろうと私は思いますね。 ロシアでは1820年にイエズス会士追放令があった。
ドストエフスキーの周りにはイエズス会士は居なかった。
カラマーゾフの中でイエズス会ってのは“詭弁家”とか悪口で使われてる。(ステレオタイプ的にイエズス会=アホみたいにw
詭弁の例としては、
スメルジャコフが「ロシアの兵士が敵につかまって棄教を迫られた時、棄教してもOK!」ってのや、
大審問官の「お前(イエス)の教えを守るために大衆を支配する」みたいなの。
直接的にフョードルがスメルジャコフに向かって、
「「いや、お前はなかなかの詭弁家だぞ! なあ、イワン、こいつはきっとどこかでイエズス会の連中と付き合っていたんだぞ。
おい、悪習芬々たるイエズス会野郎め、お前は誰に教わったんだ」って言ってる。
他にもいっぱいあるけど(イワンの譫妄で出てきた悪魔が言ってた「懺悔室での行為」とか(エッチな事した、って言われてたw)
でもただの悪口だけじゃない。大審問官の言う「博愛的な独善主義」とでもいうものだってある。 あと、ドストエフスキーのいうキリスト教は「魂の不死」や「罪の自覚」であって、
曲解して教義をへなちょこにするやつら(例えばその典型としてのイエズス会)とかに怒ってるって感じだと思う。
>582が言うようにイワンが改宗(?)するって結末は絶対ないと思う。それはヨブ記を大円団と言ってるようなもんだもんなw
(それでもいいけんだけど、少なくともドストエフスキーのヨブ記はそうじゃない、って思う)
イワンみたいなのは『悪霊』でもあったようにスタヴローギンみたいな死しかないんじゃないかなぁ? 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミ出しとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのに、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちるから、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなり脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるというわけにもいかないのですが、
なんとかしてあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 寝る前の飲酒は、何も虫歯だけじゃなく肝臓にも負担がかかって良くないよ。
俺は就寝の1時間前は絶対に飲まないようにしている。
逆に朝起きてから仕事に行く前の小一時間の間に俺は泡盛をちょこ半分を4、5銘柄と芋焼酎をちょこ半分を3銘柄くらい、
そして仕上げにコニャックの古酒をブランデーグラスに2杯飲んでから朝飯食って家を出ている。
電車の中で20分程度うとうとしていれば、着いた頃にはすっかり酔いも冷めて気分爽快。
やっぱり酒は晩よりも朝方に飲む方が良いね。 まあねただろうがまともな会社なら間違いなく即首だな!
学生時代ならあり得るかもだが?
濃い紅茶を飲み深夜に部屋の中を歩いて廻るのを習慣にするドストエーフスキースレ住人。 >>596
今日本屋によって立ち読みして一応買ってきた
内村鑑三って教育勅語の不敬事件の人なんだね
薄くて読み終えると思ったけど、文章が…
昔の日本人は文語で喋ってたのかと思うくらい日本語の理解が難しいw
ダンテ神曲、ゲーテファウスト、シェイクスピアハムレット、遠藤周作沈黙なんかもヨブ記から構想ってあったけどそんなに多いんかね
ヨブ記は人類最初の文学というくらいだけど 俺は、ヨブ記よりハバクク記の方が記憶にあるよ
がっつり泣いた ヨブ記から構想というよりも、人間の根本的な自己解決の手段として
生まれた理由とその結末、約束について
誰しも求めうることだから
たまたまヨブ記という記号が当てはめやすいだけだと思うね と思うのは、俺がたまたま一神教だ育ったせいなのかな 俺は知識がないし、イメージと曲解でしか話せないけど
イワンは無神論者だよ
俺にとって、騙されているもの以外は、皆無神論者
騙されたいと思ってるものも無神論者
イワンは君達が言うように、より忠実に神と同一化を図ろうとしたのかもしれないけど
作為のなかで人間が成し得るものは常に独善であって
独善の理論に対して抵抗するべき、反知性が
人間の還るべきアダムであり
神のもとに、個人など存在しない
と、考えるのは
俺が疲れているせいなのかな イメージでユダヤやエホバに共感してるけど
ちゃんと勉強して、自分の振る舞い方も考え直した方がいいかなと
思った
みんなすごく勉強してるね 真女神転生2のアスタロトの宮殿の話は、いい雰囲気だし、感動するし、泣ける。
笑えるまでプレイしたいゲームだ。 沖縄県石垣島の自宅に大麻を隠し持っていたとして、大麻取締法違反(所持)の罪で有罪判決を言い渡された元女優の高樹沙耶さんが10日、ツイッターを
更新し、ドイツとイスラエルの大学が発表したという「大麻に『脳の若返り効果』 英紙ガーディアンらが報道」という記事をリツイートした。
高樹さんがリツイートした記事はドイツとイスラエルの大学の研究チームが発表したというもので、大麻の有効成分の一つ、THCを少量かつ定期的な摂取
することで、脳機能の経年的劣化を防ぐ働きがあることを突き止めたというもの。
また、9日のツイッターには大麻の権威と呼ばれる専門家を招くティーパーティーの告知もリツイートしている。 そろそろ「カラマーゾフの兄弟」再読したくなって来た。
3度めの挑戦です。 >>613
カラマーゾフ。
「未完の小説」の続編を自己の手になる執筆か
自分の人生で完成したくなってくる頃? エロマーゾフの兄弟
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買ったっきりだったから読んでみよ あなたはわしがたいへん楽しそうな顔をしておると言われたが、そう言っていただくほど、わしにとって嬉しいことはありませんわい。
なぜといって、人は幸福《しあわせ》のために創《つく》られた者ですからな。
じゃによって、本当に仕合わせな人は、『わしはこの世で神のおしえを果たした』という資格がある。
すべての正直な人、すべての聖徒、すべての殉教者は、みなことごとく幸福であったのですじゃ」
−−−−−−−−−
こういったすばらしい言葉は、長老の教えの中に宝石のように散りばめられている
ところで、こうした思想は、宗派など関係ないと考える
21世紀東アジア日本に住む我々にとって、ロシア正教もジェスイットもないのである。
かの時代に生きたドストが、現実のカトリックを批判し、正教による救いを夢見たとしても、それは
思想哲学としての優劣とは関係がないのである
宗教において大事なのは、カラマにおいて語られていくように、『民衆から遊離しないこと』であり、現実の人間の苦悩の諸課題にたいして、信仰は防波堤になるべきものである
自分の頭の中で明晰な言葉と論理で語れないが、俺の言わんとすることを汲み取ってほしい 「つまり何ですかな」
「わたくしの苦しみは……不信でございます……」
「神さまを信じなさらぬかな?」
「いいえ、違います、違います、そんな大それたことは考えもいたしません。
けれど来世――それが大きな謎でございます!
これに対しては誰ひとり、誰ひとりとして答えてくれる者がございません!
どうぞお聞きくださいまし。あなたはやまいを治す方、人の心を知りきって
おいでの方でいらっしゃいます。
わたくしは、もちろん自分の申し上げることを残らず信じて
いただこうなどという、大それた望みは持っておりませんけれど、
けっして軽はずみな考えで、ただいまこんなことを
申し上げるのではないことは、どこまでも立派に断言いたします。
ほんとにこの来世という謎のような考えが、苦しいほど、
恐ろしいほど、わたくしの心をかき乱すのでございます……
それだのに誰にこの苦しみを訴えたらよいか、生涯わたくしは
存じ及びませんでした……けれども今、わたくしは思いきって
あなたにこれをお訴えいたします……。まあ、ほんとにあなたは、
このわたくしをどんな女だとお思いあそばすでございましょう!」
夫人は思わず手を打った。
−−−−−−−−−
たいへんな長文引用だが、この質問に対する、ゾシマの指導は、極大重要なことが書いてあると、青春時代の俺は直覚したし、今もまったくその考えは変わらない 私はキリスト教に拘りつつも、入信することはずっと拒否している。
カトリックの人とは友人だからよく話をするし、この人たちと自分とは違う、という違和感が頭から離れないからです。
ゾシマ長老がアリョーシャに俗世へいざなったように、というと大仰かもしれないが、
自分のやるべきことがあるとしたらそれは俗世にあると感じています。
それも聖書の教えでは驕りになるかもしれないが……そういう自分なので、
イヴァンのことは杯を拒否しながら、その杯を地にたたきつけることも立ち去ることもできずに動けなくなっている人にみえる。
それを無神論人というのには違和感があるので、無神論人ではないといいました。
ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とイヴァンとは全く違いますからね。
解説書で見たことではないので私の誤解があるかもしれないが、ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とは神のありやなしやという問いに対してそもそも個人的意義を認めない人のことです。。 無神論をとなえるが無神論人ではない、というところはカラマーゾフにおけるイヴァンを語る切り口としてとても意義深い。
そしてそれが父殺しにイヴァンがスメルジャコフを要した要因であろうと私は思う。
イヴァンがごくごくまっとうな信仰をえていたか、それとも正真正銘の無神論人であれば父殺しは起こっていない。
イヴァンがその間にあって迷っていたから、スメルジャコフはその思想をすくいとって父殺しへと昇華させた。
だからこそイヴァンはスメルジャコフを憎悪していた。
自分の理解としてはそんなふうですね。 無神論人→無神論者
お酒入れてたので思い切りでつい書き込んでしまったね。 >>620
同じくそう思う
自分からみるとドストエフスキーは、例えばキルケゴールのように単独者である事を重要視したと思う
信仰とは神の前にただ一人として行うもの
生まれ死ぬ時が一人であるように
ムイシュキン公爵のように神を信じつつ無教会主義であった立場を自分も同じくとってる
特定の団体からはその団体の意思に惑わされる
そういう前提で考えると、
>>623
のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ >>624
>のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ
わかりやすく >>625
カラマーゾフの兄弟でいう民衆とは教養もなく宗派なんて存在すら知らなかった階級になる
正教を善し他は邪教なんて概念すらない
たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない
つまりカラマーゾフの兄弟の民衆にとって信じるか信じないしか神の問題でしかありえないんだ
何々教に入信するなんて言ってるのは教養や概念を知ってる人間がいった驕りでもあるとドストエフスキーは思ってると感じたんだ
で、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合する
で民衆と離れないと言うのは>>617の方がわかりやすく説明してるよ >>626
民衆ってなんか一枚岩みたいにイメージしてないかな・・・
民衆の信仰ってのも強制された時代だって理解しているのかな
強制移住によって異なる宗教を統制していたわけで
「死の家の記録」に出てくる、政府から改宗を迫られて教会に火を放った心優しい老人とか
>たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない
すごく違和感のある意見だわ
ロシアの民衆ってカトリックの支配地域だったりイスラム圏内だったり色んなとこから強制移住された歴史があって、
土着のロシア信仰なんてそれこそロシア統一のための想像的共同体のための作られた宗教なんだけど
ロシア民衆なるアイデンティティを持つのってそういうピョートル大帝以来の目指すところだったわけで
ばらばらの民族が宗教を統制されて、ロシアに同一化させられていくなかで反乱が細かいのいっぱい起こっている時代であって
生まれ教わった宗教、なんていう牧歌的なイメージはなんだか「自分の中の民衆」にひきつけていないかなぁ それに言いたい事はそこじゃないよ
「単独者」を重要視したんだって事 どっちの言い分もわかるけど
人間は自由すら生得するものだよ >>629
単独者になるって、言葉にするのはめんどくさいけど
そんなに偉いことじゃないよね >>631
偉いかどうかでなくて自分のドストエフスキーの読書は単独者に行き着いたってだけで、解釈だから
ではドストエフスキーの信仰は何だか意見をいってほしいしそもそも入信なんてないって言ったのは自分ではないよ
そう言う意味で言ったと解釈して便乗しただけさ
君はどう解釈してるんだい?
ドストエフスキーの信仰論を あ、ごめん
話の筋がよくわかんないけど
単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
思いました
単独者になるのも
大審問官も
違わないんじゃないかなと
宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは
神にしかわからないし
単独者にとっての神だって、まさか自分だけの神でもなかろう
自分だけのための神ではないものを自分で作り上げるって
勝手に他人を巻き込んでるだけだし
要するに箱庭のファンタジーだよね
そんなものに救いを求めても人間は救われないですわ 人間を救う神は、奇跡を起こす神であって
信仰のあり方とか教義や管理方法なんてのは二の次で
そんなものを中心に捉えてるのは
自分の正義と戦っているだけだよね
宗教戦争の火種になるだけ
100万くれる神がいるかどうかだけが問題だよ >>633
>宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは
神にしかわからないし
それを言ったら話自体が終わっちゃうよ
もちろん宗教なんて神のみぞしる
絶対はないってのは何も言わなかったのと変わらない
自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った
>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか
を出来れば言って欲しい >>635
>自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った
よくわからないです >>635
>>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
>なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか
>を出来れば言って欲しい
言ってあるよ
自分の神が自分だけの神ではないなら
信仰のあり方を独断したら
自己矛盾があるんじゃないかなあ >>637
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟で聞いてます
何処でそう思ったのか、教えて欲しい >>636
大審問官で審問官が奇跡、神秘、権威で信仰させる事を述べる つまり従属がみんなの幸福でしょって言った
弱い人間が多いからみんな同じく同じ方法がイイよね
裏を返せば反対は個人で自由意思を持つ事の皮肉
→単独者がイイよね
で自分は独りであること自由意思を持つことがいいと思った カラマーゾフの兄弟に沿っていうとね むむ?
話が見えない
良いとか悪いとかが
どんな判断で言ってるのか 589 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
>>586
年収は1500万円以下になったことはない
その程度
それって富裕層なのか? なかなかの裕福層だね
貧困は、味合わないとわからないわな 903 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
俺、年収1500万円以下になったことはない
その程度の生活水準だよ
それって富裕層なのか?
どう考えても、普通だよな >>640
何が分かってて何が分からないの?
漠然と話が見えないって言われても
すごーく単純に言えば、簡素に出来ないところを、
大審問官の話は悪とするとその反対は善になる
大審問官をどういうふうにより多くの人を従属させるか、って話
じゃあその反対は自由である
自由とは自由意思を思った個人であること
もうこれ以上は砕いて話せない 話が見えづらくなってきたが……私は633の人の言い分はよくわかりますね。
神の前に一人で立つことと、入信をしないことは近いようだがイコールではない。
信仰とはかみ砕いてしまえば徹底して信じることです。
信仰はするが教会には入らない。本来それを血肉にしている人達の中にまじって学ぶことをしない。
それでいて信仰はあるとは私は言い切れない。言い切ればそこに欺瞞があり、それが私自身の大きな弱点です。
信仰を持つなら教会に入る。それが自然な筋道で、アリョーシャが僧院へと行きついた道でもある。
結局ゾシマ長老にいざなわれて出てしまいますけどね。
644さんはキルケゴールの著作への理解からそういうところに至ったのだろうけど、ちょっと語弊があるんじゃないかな。 >>645
はい。
話は逸れるけど、
やっぱり俺は大審問官の話は、キリスト教と教会そのもののことだと思いますわ >>645
言いたいことはよく分かるよ
信仰を持つなら教会に入る。これは最もだ
でも、ここはドストエフスキーのスレッドであって一般論ではないのではないか
ならば例えばムイシュキンに言わせたセリフで
「カトリックは無神論より悪い」
悪霊で、「無神論者は信仰の手前」
なんでこんな事を言わせたのか
ゾシマだってさえあんなに信仰信仰いっても教会に入れとは言わないのか
オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
と解釈してる >>646
話がみえない なんで?
君がやってるのはこう言うことだよ
なんで教会そのものなの?どこのセリフ? 自分はここで話ことはすべてドストエフスキーの解釈についてが前提にある そして主観を話している
従属集団で同じものを目指すことは悪ではないよ
必ずしも自由が尊いとは思ってない
自由ほど苦痛なものはなく幸福から遠ざかる厄介な選択もないと思う現実で
だけどドストエフスキーの話であり
そして解釈なんだよ
カラマーゾフの兄弟や罪と罰でも白痴でも、盲目的になる事を推進してるとは読めなかった
意思が自由に必要な要素にしか読めなかった
違うならそれも尊い意見であり是非聞きたい
でも具体的にそしてドストエフスキーに沿って意見をいって欲しい ひつこくして申し訳ないけど >>647
あのさ、ドストエフスキーのたくさんの登場人物から都合のいい人物を選んで「ドストエフスキーはこう言っている!」と言っても説得力がないよ
白痴で言えば、カトリックは無神論よりも・・・と言っているのはかなり政治的・愛国的な場面でしょう
われわれが維持してきたわれわれのキリストをー彼らの今まで知らなかったわれわれのキリストを、西欧文明に対抗して輝かさなくてはなりません
ここで言っているのは実存主義的なキリスト教観ではないよ
ムイシュキンは教皇首位権のことを言っていて、ロシア正教を擁護している
ロシア正教はそもそも教皇首位権を持たないからね
彼によれば社会主義もカトリックのこの思想の産物となる
それこそ「誇張」なわけで。ドストエフスキーが言ったわけではない
大法官のエピソードは自由意志を持たない信者を排除する、という読みにも言いたいことはあるんだけど、白痴のその文章とくっつけてしまうのはよくないよ 最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
ちなみにこれは西欧の民衆であってロシアの民衆についてではない
ロシアの無神論者になる人は特殊な人であって、「白痴」においてはロシアの民衆は「根っこをなくしていない」人でしょう
なんかいろいろごったまぜにされると、「俺はこう読んだんだ!」と声の大きい人が居座っているだけで会話が通じてない >>651
話を広げ過ぎたのは間違いだった
余計なことと都合よくしたのは分かってる実は
ドストエフスキーの作品は盲目的信仰について否定する文章の箇所が、たくさんある。って言いたかった
なんで信仰信仰直接言わないのか
例えばトルストイなんかは最も直接いう
って余計な話をしてるけど
話を戻す
審問官の単独者であれって言った意見だけど、自由をメインで話してると思うから自由意思と個にこだわった 何が疑問? >>652
こう思った以外にレスする意味はなんなの
意見なんて主観以外に何もないと思うけど ドストエフスキーの時代は「ロシア正教」という教会組織が国家運営され、最も腐敗していた時代でしょう
それに対してカトリックの特に「国家権力の上に立つ」という側面を批判するドストエフスキーの一面がある
社会主義・平等主義に対してもカトリックのこの思想に基づく、というドストエフスキーの一面があり、
その社会主義も暴力になる、という側面があり、
そもそも国家を廃棄しようとするアナキズムの側面があり、
なかにはカトリックやイエズス会をいろんなイメージで
それでもロシア正教という世俗人がトップに立つ組織をカトリックに比べると擁護している一面もある
そもそも彼の人生の間に宗教改革が進んでいるので、作品間を無批判に同じ書かれ方がしているとみなすのも問題
そんな事は分かってるよ、と言いたいのならもう言えることはない >>652
>最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
>これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
どこに教会賛美の意味で言ってるの?
信仰を否定してるんでなくドストエフスキーはキリスト賛美で組織賛美はどこにあるの?
賛美でなくてただの土壌主義でしょ >>656
> >>652
> >最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情は
これは君の言う「信仰を疑わない」民衆を賛美しているでしょう?
なんつーか、君とレスするの疲れるし、実りがない >>657
ドストエフスキーの社会的な主義の批判と肯定について元々話してないんだよ 国家がどうとか
噛み合うわけないじゃん
信仰の個と集団について話してたんだけど
言い訳すれば噛み砕いて言ったのが間違いだった
直接言えるほど簡単じゃあない
657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ >>648
あ、なんか誤解してるっぽいけど
俺はこんな感じで
改行入れながら話してるやつだけど
俺は普段の俺の気持ちしか話してないのですよ
だから、君が誤読してるとか思ってなくて
煽ってるわけでもないですよ >>660
それは悪かったね 申し訳ない本当
そう思った。言ってたなら自分の勘違いだった
また問題になりそうだけど言っとくと、読書なんて他人の思考を覗いてるに過ぎない
この人はこう書いてる、で終わったら読んだだけになってると思う 読んでこう思った、または読みながら何を思った、読む前から前提をもって読んでた、みたいな主観読書ってのを重要視してる
人間は自分の思想に基づいて思考したことにこそ意味があると思う 価値もある
色々考えてねれなくなったw
もう寝なきゃなのに 今あなたは、わたくしをどんな女だとお思いあそばすでしょう!」と夫人は思わず手を打った。
「わしの思わくなぞ はばかることはありませんじゃ」と長老は答えた。
「わしはあなたの悩みが真心から出ていることをまったく信じきっておりますでな」
............ 略 .............
どうしたら証明ができましょうか、どうしたら信念が得られましょうか? わたくしはまったく ふしあわせ なのでございます。
「それは疑いもなく死ぬほどつらいことですじゃ! しかし、このことについて証明ということはしょせんできぬが、信念をうることはできますぞ」
「どうして? どういう方法なのでございます?」 >>647に
>オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
>立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
>と解釈してる
こうあって、この647に返信していたんだけど、あなたはそれに返信してきてたわけ
>657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ
647でないんだったら657に意味不明な言いがかり(656)をつけずにすっこんでてください
なんかほんとに会話が通じない・・・
なんで他人に対するレスに自分から突っ込んどいて意味が分からないとかほざきだすかね・・・ もう最初からレスされること自体が嫌なら不特定多数がある所で何も言わなければいい
会話が成り立たないと思うなら、成り立つと思う人とだけ話してればいいのに
そんなのわざわざ言葉する人って結局煽ってるとしか見れないし 結局他スレでもいる荒らしと同じだね
2chの掲示板て不特定多数を文句いってもしょうがないのに 無神論:広義には、また歴史的には「一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場」を指す。
(ゆえに仏教は無神論だ!宗教じゃない!!ってのあるよな。世界三大宗教っていうとユダヤ教、キリスト教、イスラム教で仏教ははいらないとか)
狭義には、「神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場。(wikiより
※西洋においてこの“無神論”ってのはとてもナイーブだ。今でも血も涙もない冷酷な奴とか、基地外って意味で使われることもある。
また無神論=アカ(共産主義)!って言われた時代もあった。
無宗教:特定の宗教を持たない人。でも宗教的行事はOK!(宗教ってイメージ抜きにクリスマス、初詣、お盆にハロウィーン祝ってる俺らに多いw)
無宗教は置いといて、ドストエフスキーにおける無神論は無神論=社会主義ぐらいに用いられている。
(雲の上にジョニーデップ似やパンチのおっさんが居る、といったファンタジーは置いておく) おれらだと入信とか帰依とか菩提心とか発心とか色々いうけど、キリスト教においては“契約”っていうんだ。
この契約って概念がちょっとつかみずらい(日本のキリスト者でも入信って言うやついるからなw
契約って足かせって意味じゃない。一義的にはとても良い意味で、“特別な関係”になったって意味(たとえば結婚ね
神と私の二者間における特別な関係=契約って図式がある。
自由:「freedom」と「liberty」両方とも々“自由”って言葉なのはどうなんだろ?っていつも思う。
意味の違いは頭の片隅に置いておいた方が良いと思う。 http://www.accessjournal.jp オリエンタルランド&2006/09/05・2012/08/14・2014/11/28の記事
バター犬 六反田(イクスピアリにあるトルセドールの元バーテン・共依存のサイコパス・ガリ)の罪
名誉毀損罪
強要罪
逮捕罪
窃盗罪
労働基準法第24条違反
労働基準法第89条違反
村意識の固まりのベタベタグチュグチュダラダラ基地外骸骨ひょろい腰抜け野郎wみんなでみんなでラリラリラ〜w
以前働いていたブライトンホテルのマートレットwやイクスピアリのトルセドールw酒BAR版にも曝されてま〜すw
あちこちで曝されてる異常性格者・共依存サイコパス。元祖ブラックアルバイトw
マトモな事は何一つ出来ないやってない生活破綻者w
へたれもやしw喧嘩も出来ねえチキン野郎w
チビにびびり裏でコソコソ差し障りなく内弁慶べたたんだ差し障りなくぐじゅお 上のほうでアインシュタインも神を信じてたって言ってたけど、
死って誰も経験したことないけど、見たり聞いたりして誰でも死ぬことを確信できるじゃん?
つまり思弁的に神ってのはたどり着けるんじゃないかな?とも思う。
「私は不信の子です」(ドスト談)
カオスは嫌いじゃないwむしろ大好きだw
疑え!疑え!!もっと疑え!疑い続ければドストエフスキーは全部受け止めてくれる。(その上もっと大きな力で跳ね返してくれるで!! アインシュタインは疑わないんだなw
どれくらいすごい人なのかわからんのにw 神に辿り着くってのは知性や理性や知識によってではないのかも知れないね
そのどのくらいか分からないアインシュタインでさえ4次元が限界で神の証明は出来なかった
世界が何次元で創られてるか分からないのにオレなんて3次元すらあやういw
存在を論理で証明出来そうもないなら受け入れとけってのも一つの方法かも知れない
ブラッドリーだったか凄く曖昧だけど、
神を信じるってのはズボンのジッパーが開いてる時に締めるかどうかのかの問題と言った
意外と自然なことかも知れない
ただ考え抜く!ってのは必要条件だろうけど 日本人が西洋の神の概念なんて理解出来ないだろ当時の宗教の背景が複雑すぎるわ >>672
>当時の宗教の背景が複雑すぎるわ
当時の宗教の背景なんて、しょせん理解できないと
それどころか、今から30年前の日本人の空気感が、今の10代に理解できるだろうか?
自分でも、適切なこと書けてるかわかんないけども。
たとえば鎌倉新仏教の祖師たちが、どういうプロセスを経て、開宗するにいたったか、
私たちがそれを知るとしても、文献によって知るのみ。そこに書いてあることを、信じて受け入れる
同じく、19世紀ロシアの信仰について考えるとき、ドストという信ずるに足る存在に懸けて、その眼(まなこ)で考えたらいいのだ
神のことを考えるためには、一人の生命の森厳を見極めゆくドストという師についていけばいいのだ
あたかもダンテがウェルギリウスに導かれて三界を巡るがごとく アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね https://www.amazon.co.jp/アインシュタイン、神を語る-新装版-ウィリアム・ヘルマンス/dp/4875024649
これでしょ?
15年以上前に高校生の頃よんだわ
こういうのはポーズ
しっかりしてよ 何で表面ばかり気にするの
じゃあニュートンでもいいよ
この際言いたかった事は天才ですら証明出来ない事を論理で説明出来ないよね、ってのが言いたいだけ
アインシュタインに聞いてもないだから欺瞞とどうやって決めるのか
言葉ばかりつまむんでると思うけど >>677
>何で表面ばかり気にするの
世の中、天才が証明できないものだけが信じ得ないわけじゃないんだけどなあ
関係ないけど
いかに神を見つけるかは
ドストエフスキーじゃなくて、ラーゲルクヴィストを読んだらいいよ 理系が神を否定しているという前提に立つから話が噛み合わなくなる
理系でも数学の証明なんかを通して神がいると考える人はたくさんいるよ
その神がキリストやイスラムの神かどうかは別として 証明なんてのは、好きにすればいいわけで
世の中に必要なのは
なぜ人は神を求めるのか、という理解であって
健康や貧困や離別について
政治的な判断と
私的な優しさを持つことですわ
自己欺瞞の対決に真剣になってもいいけど
もう少し俯瞰してみることもお勧めするよ
んじゃあ
俺はこの辺で
楽しかったです >>678
出来ないものを信じ得ないわけじゃない、ってよく理解出来ないけど、勘違いしてない?
神の問題は知能で数学とは別って言ってるだけでアインシュタインが無神論者だったらそれを言えばいいだけじゃんね
どっかの本で読んだだけで間違いならそれで認めるし感謝するよ アインシュタインの事は知らないよ
論理で証明出来ないね、ってこと 「論理」で
猿のオレが数字を示してもニュートンにとっくに越されてる
だから論理外に神の問題はあるのか?って問いで天才しか知り得ないと言ってない、むしろ反対なんだけど
勘違いでないないなら悪いけど >>675
> アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
> 欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
>
> ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね
その本を読んだことがないけども。 なぜ あなたは「ポーズ」「欺瞞」と感じたの? 批判が多くあるだろうけど、ヨブ記がを構想としたっって本でよく見つけるだけれど、世界最初の文学だかってのもあるだろうけど多いと思うんだ
ファウスト ゲーテ、 神曲 ダンテ、 ハムレット シェイクスピア、カラマーゾフの兄弟他にも遠藤周作の沈黙とかもそうらしい
どれもこの世の不条理に嘆くようなとこをはヨブに似ていると感じる
もし真なら、ヨブ記はそんなに物書くとき魅力的なないようなのかな
ここの人って聖書詳しい人いるよね
ヨブ記に詳しいかたは教えて下さい
出来ればカラマーゾフの兄弟とヨブ記の関係 天才は狂信者か極端な唯物論じゃがおおい
アインシュタインもニュートンもしかり 自信がないからスルーしてたが、一日もレスがないとは…酒が入っているので至らないところは寛容な心でご容赦ください。
カラマーゾフに絡めてヨブ記と、ヨブ記を解説した本をいくつかつまんだだけの人間の意見としていうと、ヨブ記は聖書中の書物としてはかなり特異です。
なにしろ、神が悪魔に人を差し出し、悪魔が人を試みるという理不尽きわまる筋書きなのだから、聖書のなかにこんな記述があるだけでも、予備知識のない人にとっても興味をそそられるでしょう。
その部分はゲーテのファウストに、なんだろうな、まあ、きれいにオマージュされていますが、
それと、4人の論者が次々とあらわれてヨブと意見を戦わせる、その対決を通して神のつくりたまいし世界、ひいては神を見通している構図の妙、
その二つの点がヨブ記の大きな特徴です。
私にはヨブ記が表現の点で優れているとは思えないですね。その点では少なくとも詩編とは比べるべくもないでしょう。
カラマーゾフにおいては、後編の裁判の場面はヨブと論者たちとの対決を容易に想起させますし、大審問官にも、拙い言葉で説明するのは避けますが少なからずヨブ記の影響があります。
単純にイヴァンとヨブを重ね合わせるだけでもいろんな想像ができるのではないでしょうか。
私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので、
ヨブ記の影響といっても実際はそんなところかもしれないと思ってますね。だからといって、ヨブ記の影響というのを軽く考えるわけではないですが。 <<655
私は歴史については無知もいいところでして……
ドストエフスキーの時代のロシア正教について、学ぶのに適切な本があれば教えてもらえますか? >>686
偏った質問に説明してくれてありがとう
イワンと最後にある裁判はよく考えると類似する点が多々あるのが分かった
そこを踏まえて全部ではないけど読み返してみるよ
それにご指摘の通り、神への強い信仰を持ったヨブを悪魔に差し出す、っていう理不尽な話が興味をそそられたんだ やはり聖書の中でも特異なんだね
それに、大審問官の前の辺でイワンが言ってた子供の虐待やトルコ人の戦争の話も思い出した
こんな理不尽な話って、実際に現実でもあるけど、とても悲惨に感じたんだ いずれくる天上の楽園で帳尻合わせ出来るのかと、イワンに賛同してしまう
ヨブ記とカラマーゾフの兄弟の関連性に理解に近づいた気がするよ
> 私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので
想像に、目に浮かぶようだね 悪魔ちゃうで
聖書は媒介なしで素直な気持ちで読みたまえ >>689
悪魔が信仰を崩してみせよう、って話でなかったっけ?サタンと悪魔が違うって事?
財産や家族を失えば神に面と向かって呪うだろうみたいな
詳しくないから違ってたら悪いけど 人間が神を持ち出すのは私的な理由じゃねそこら辺にドスもキレてるじゃねカラマも聖書関係も読んでないからわからないけど >>690
話の筋はそんな感じだね
そもそも旧約には悪魔なんて出てこないんじゃない
邪教としてペリシテのバアルは何度も出てくるけど
サタンはあくまでも神のみ使いだね
まあ、余談ですわ 聖書が間違いがないことが前提だけど
無教会とかなんとか色々言ってるけど
本当に影響なしで個人的な読み方しかしないなら
三位一体とかなんとかすら、想像もできないからな
何百年かけてこねくり回した読み方の片鱗すらも
たどり着かないよ
たどり着くのが良いとは思わんけど
記述に矛盾が多すぎて信じる気にもならんと思うがね
ヨブ記しかり
素直な気持ちでいっぺん全部読んでみなよ
調べたらあかんで
そもそも、聖書が記述されてる時点で
間違いがないという前提がありえんけどな 常識的に考えて
教会という知恵なしで信仰に結びつくとは思わんね
奇跡があるからついてくんだよ
モーゼも、ヨシュアも、イエスもそうだろ
国の繁栄と滅亡がその暴虐の手に握られてるから信じるんだろ
大審問官がイエズス会しか言ってないなんてのは大間違い
聖書を読んでないか、頭をリセットしてない
教会、宣教なしで信仰なんか得られるわけないよ キリストが奇跡を捨てたことで民衆が信仰を失ったって言ってるだろ、大審問官が
そりゃその通りでしかないわけで
それ以上に深読みする内容でもない
まあ10年前の記憶だけど もっとも本当に一対一で望むなら聖書すら棄却しろよって感じだわな
その辺の自己矛盾とどう向き合ってドストエフスキーを信奉してるのか知らんけど
欺瞞ですわ 借金地獄に陥り日々のやりくりで心労がかさみ、うつ病になり
現在、薬漬けで死を考えながら日々やりくりしている
こんな人生になんの意味があるんだろうか >>699
借金は返したの?
俺は毎月40万近く借金の肩代わりしてたよ
今は10万くらいに減ったけど、
あと1千万ありますわ
マジ、生きてて良いことないすわ >>700
君が大前提としてる神という概念と
普遍的な信仰にまつわる知識は
全部ミームに決まってんだろ
教会の管理はいりません
でも知識は頂いて料理します
それで単独とか言ってるやつは頭おかしい
アホですわ >>702
これは文学上の話であって理想でもある
現実として教会が信仰を普及させてるのは当然だし、誰もが聖書の登場人物のように生きられないのは明らかだろう
でも文学上の話だから魅力もあって深読みする事が出来るし、その先を想像できる
勝手な主観も持てる
自らも考えられるということだよ
現実だけなら文学が一切不要になる >>703
教会が信仰を普及しているということもあるけど
聖書を編纂したのも教会だからね
聖書に編纂されてる手紙や福音を年代順に整えれば
いろんな理屈があと後付けであることがわかるし
パウロの手紙は福音書の前に書かれてるはすだよ
この辺は記憶が曖昧だけど
元々元祖のキリスト者たちがキリストの再臨を求めていたところに
聖書が作り上げられたわけであって
奇跡のないところに聖書と教会が作られている時点で
大審問官は圧倒的に正しい 気になったので質問です
大審問官が正しいとすれば、なぜキリストが荒野での3つの悪魔の問いを拒否したのかしたのかな?
大審問官はハッキリと、キリストではなく「あれ」と共にいる事を望んだ、って言ってた箇所があったような気がするけど
正確ではないがそんな感じの所がハッキリあったと思う 大審問官は自覚的に、言うなれば多くの信仰を獲得するために、わざとキリストが拒否してた事を進んでやったと言っていた
そうする事で多くの人が救われると
大審問官はキリストの賛美でしかなかったとアリョーシャも最後にセリフをはいてる
決して批判とかではなくて、大審問官が正しいと思う人は、ここの部分をどう捉えてるのかな?っと思いまして >>705
拒否したのかな?です
もちろん僕の確認不足だけど、携帯の自動変換で間違えてしまう すいません何度も 所謂プロテスタントの人だろうか、
色んな見方があるようですが、ヨブ記に登場する敵対者はサタンでありまた悪魔のことですね。
聖書を読んでそのまま信じるというのは、ずいぶんハードルが高いですね。
おそらく私のようにそれが難しいと感じる人が多いから、解説書というのが必要になるんでしょう。
また、聖書は一節ごとに大きな行間がありますから、一節ごとに何が起こったのか想像しなければとても理解が追いつきません。
日本語に翻訳した段階で原文との多少の齟齬もでてきますし、そこで解説書の手ほどきをもらうことはさほど悪いこととは思えないですね。 >>708
ハードルが高いでしょ
だから大審問官がそう言ってるのさ >>709
ハードルは高くていいんだよ
狭き門通りじゃないか
その門が狭すぎるから私が拡げよう、ってのが審問官が言った弁論でキリストの反対をいく
文学上で大審問官を推すなら悪魔を推してるのと変わらないよ
解説書を読む姿勢も、教会に行く、「人の姿勢」を否定してはいない
形骸化された当時の政治的な教会を皮肉ったのが大審問官の節 >>709
いや、それは論点がすり替わってますね。
私のは、聖書を読むのに解説書の助けを借りてもいいのではという主張です。
大審問官の一遍にそんな記述はありませんが、仮に大審問官が聖書の読解を助けてくれるとしても、
それは民衆の理解できる程度にレベルを落とし込む、あるいは大胆にキリストの教えを曲解するということになるでしょう。
大審問官は自分がキリストの教えに反することには極めて自覚的でした。
大審問官も、大審問官を創造したイヴァンも自分の思想に苦しめられていたのに、それをふまえずにその主張を正しいの正しくないのということには違和感を覚えますね。 その「自覚的」、というのが大審問官の文学上で素晴らしい部分でもあるよね
まさに悪を買って出たからこそ、分かりきっていた事を自分で請け負ったからこそ、最後の何も言わず口づけして立ち去る部分が際立つし、大審問官の節がこんなに反響を呼んだ理由でもある
そういう意味で大審問官を推すなら分かるが、彼がしている行為と姿勢を推すのは違うと思うよ >>711
> 大審問官も、大審問官を創造したイヴァンも自分の思想に苦しめられていたのに、それをふまえずにその主張を正しいの正しくないのということには違和感を覚えますね。
なにゆえ? 文学的意味という言葉の意味が理解できない
大審問官が文学の中でしか存在しないと思ってるなら
それは違うよ
偏在してる >>714
文学上と言ったのは、>>696で君深読みする必要はないと言ったからさ
大審問官は深読み出来る文学であって、深読みしてはいけない歴史書のようなものとは違う、という意味で言ったんだ
深読みの先にゾシマ談話があり最後の悪魔との会話に繋がる 現世で奇跡は起きないと断言してる宗教もあれば
ペンテコステみたいに聖霊体験を推してる宗教もあるけど
俺の立場としては、一貫して
奇跡は現世で起こらないという主張のもとに言ってるから
そのへんで認識の乖離があるかもね 旧約聖書・創世記の記述によれば、宇宙も、地球も、生物も、すべては、神が7日間(7日目は休みだから実質6日間)で創造されたのである。
地球創造、生命誕生とほぼ同時期に生まれた最初の人類・アダムとイブから、聖書の記述通りに彼らの子孫の年齢を合算すれば、宇宙の歴史はだいたい6000年くらいである。
恐竜誕生が、今から250,000,000年前だの、
地球誕生が、今から4,600,000,000年前だのそんな馬鹿馬鹿しい数字が正しいわけがないのだ。
歴史学者や考古学者や古生物学者やダーウィン進化論はみんな嘘をついている
全ての生物(当然、恐竜も含む)は、神が創造された。その数日後に人類も創造されている。よって、恐竜と人類は同じ時代を生きていたわけであり、
彼らは日常的に出会っていたのだ。だから人間が、恐竜に騎乗したり、恐竜の赤ちゃんを抱きかかえたことは事実である。
エジプト文明だの、黄河文明だの、長江文明だの、メソポタミア文明だの、インダス文明だの、
人間がサルやチンパンジーから枝分かれしただの、ホモ・サピエンス誕生前に隕石で恐竜が滅亡しただの、
詐偽と誤魔化しとインチキと嘘とペテンのカタマリである歴史学や考古学や生物学を、学校で子供たちに教えてはならない。
子供の教育は教会で聖書に基づいて行われるべきである!!!!!!!!
・・・そう主張している宗派の一つ・セブンスデー・アドベンチスト教会の熱心な信者であるベン・カーソン医師は、妊娠中絶反対と共に、進化論否定を明言している。
彼は2016年アメリカ大統領選挙の2015年11月時点での共和党候補支持率第1位である。
そしてドナルド・トランプ大統領よりアメリカ合衆国住宅都市開発長官への就任を要請され受諾している。 過疎ってきているので一つ問いを述べる
時間があれば是非
ドストエフスキーは魂の不滅にこだわった
それは正教からくるのか、独自の思想だったのかについては、詳しい人に任せよう
すこしズレるが、トルストイもまた魂にこだわったロシアの文学者であると共に、哲学的側面もあった
確か人生論では、人間は生まれる前から存在しているし死んでも存在する神から愛された永遠がある、と言っている 聖書の引用では、死までの生命について、
「この世で自分の魂を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」ヨハネによる福音書を参照している
自分以上に他者を愛してこそ自己の幸福を得る、と結論を示唆した
これは自分の命にこだわるな、という意味だったとも受け取っている 賛否はあるだろう
ドストエフスキーもまた、魂の不滅を肯定している作品の文章に出会う 神か人生かを問いてるのだろう
ここのドストエフスキー読者は、永遠を信じるんだろうか? 自分は、信じたいと願っているけど、他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ >>726
君のカキコは、最高の内容だ
>永遠を信じるんだろうか?
もちろん信じるさ さっき ID:ndQ9YC9U 君が
「人は幸せになる為に生まれた訳ではない! 勘違いするな、甘えん坊ども!」と叫んだが、それは絶対に違う
人は幸せになる為に生まれてきた。では どうすれば幸せになれるのか?
それは永遠の生命を信じることだ。「永遠の生命を信じうる」ためには、何を為すか?
それはゾシマの教説のなかにあったね。僕が長々と引用してきた。
キリスト教と関係なく、ぜったいに観念論でもない(と少なくとも僕は信ずる) 「どうしたら? どういう風にいたしたらよろしゅうございましょうか?」
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」 抽象的な「人間愛」や「人類愛」なら簡単ですが、現実の個々の人間への慈愛はむずかしい。
>自分は、信じたいと願っているけど、他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ
ホフラコーバ夫人の告白と同じですね
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「実践の愛? それがまた問題でございます。
しかもたいへんな問題でございます! 長老様、
わたくしはときどき、自分が持っているいっさいのものを
投げすて、リーザも見すてて、看護婦にでもなろうかと
空想するくらい、人類を愛しているのでございます。
じっとこう眼をつぶって空想しておりますと、
わたくしは自分の中に押えることのできない力を
感じるのでございます。どんな傷口も、どんな膿《うみ》
だらけの腫瘍《しゅよう》も、わたくしを脅かすことは
できないでしょう。わたくしは自分の手で傷所を
包帯したり洗ったりして、苦しめる人々の看護婦になるでしょう。膿だらけの傷口を接吻することもできるくらいです……」
「ほかならぬそういうことを空想されるとすれば、それだけでもたいへん結構なことじゃ。いや、いや、そのうちひょっくりと、何か本当によいことをなされるときもありましょうわい」 >>726
> 「この世で自分の魂を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」ヨハネによる福音書を参照している
> 自分以上に他者を愛してこそ自己の幸福を得る、と結論を示唆した
> これは自分の命にこだわるな、という意味だったとも受け取っている
>他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ
−−−−−−−−−
大胆に書きますが、ゾシマが、またドストが書きたいのは、むしろ次のようなことではないでしょうか?
「他者を自分より優先する」というよりも、よく世間で言われるところの「自分も他人も大切に」
具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にするという戦いではないかと
あまりにも長い引用なので気が引けるが、さっきの続きをコピペしてもいいだろうか? 「けれど、わたくし、そういう生活に長く
しんぼうできるでございましょうか?」と、
夫人はほとんど無我夢中の熱烈な調子でことばを続けた。
略
−−−−−−−−−−−−−−−
と夫人は激白する。それに対するゾシマの答えのなかに
大いなる具体的な智慧が
−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎「人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまり独立した人格としての個々別々の人間を愛することが少なくなる」
−−−−−−−−−
「それはあるひとりの医者がわしに話したのとそっくりそのままじゃ、もっともだいぶ以前の話ですがな」と長老が言った。
「それはもうかなりな年配の、紛れもなく賢い人であったが、
その人があなたと同じようなことを、露骨に打ち明けたことがあります。
もっとも、それは冗談半分ではあったが、痛ましい冗談でしたじゃ。 その人が言うには『わたしは人類を愛しているけれど、
自分でもあさましいとは思いながら、一般人類を愛すること
が深ければ深いほど、個々の人間を愛することが少なくなる。
空想の中では人類への奉仕ということについて、
むしろ奇怪なほどの想念に達して、もしどうかして急に
必要になったら、人類のためにほんとに十字架を背負いかねない
ほどの意気ごみなのだが、そのくせ、誰かと一つ部屋に二日と
いっしょに暮らすことができない。それは経験でわかっておる。
相手がちょっとでも自分のそばへ近寄って来ると、
すぐにその個性がこちらの自尊心や自由を圧迫する。
それゆえ、わたしはわずか一昼夜のうちに、すぐれた人格者を
すら憎みだしてしまうことができる。
ある者は食事が長いからとて、またある者は鼻風邪を引いていて、
ひっきりなしに鼻汁《はな》をかむからといって憎らしがる。
つまりわたしは、他人がちょっとでも自分に触れると、たちまち
その人の敵となるのだ。その代わり、個々の人間に対する憎悪が
深くなるに従って、人類全体に対する愛はいよいよ熱烈に
なってくる』と、こういう話なのじゃ」
−−−−−−
長大なドストの文を 2chの規則に合わせるの たとえコピペでも大変だね! 僕がほんとうに引用したいのは、このあとなんだけど。
今夜はここまでに。そうとう時間使ったからね
ようするにここまでは「凡夫ってそうゆうもんだよね〜」ってことじゃないか?
僕たちは肉親にさえ、こんなんなんだ! いかにいわんや、他人を愛せるわけがない。
であるからこそ「戦い」なんだ。「修行」なんだ。「革命」なんだ!
ゾシマはこのあと「人生の学校」と呼んだね。ひとつの学問だと。
力点はどこにあるかというと、抽象的に観念的に、空想の愛はダメだということだよね
では、大切な同志諸君。また明日! >>734
人類を愛すると個人は嫌いになり個人を愛すると人類がおろそかになるのは、人間がそう創られてると感じた その肉体的な条件から解放されるためにには、霊感的な魂の存在を認めることによる
それに個人より全体を賛美するのは簡単だし、それを声高く叫ぶものは偽善的で嫌悪するよね
ここはまさに現実的だ
>「他者を自分より優先する」というよりも、よく世間で言われるところの「自分も他人も大切に」
具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にするという戦いではないかと
同感だし、>>733の文章はコピペされるまで、ヨハネによる福音書の紐解きになると気がつかなかったよ
自分を愛せないものは他者も愛せないというが、まさに一番の隣人とは自分なのかもしれない >>734
もうすこしシンプルに言いかえることができますよ。
つまり、愛は実践されなければならないということです。
それこそキリストの教えの核心にあるものですね。
知力や体力にも限界がありますが、個々の愛にも限界があることはなかなか意識されないことです。
愛を観念的に考えることも大事なことですが、そのために自分の愛の限界に気付かずにかえって自分を追い込んでしまうのはつまらないことですね。 「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、
つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も
確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、
その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、
あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」 点線で囲んだ部分は、青春時代の僕が緑のアンダーラインをしてる。
キリスト教であれ他宗派であれ、その哲学的側面にフォーカスすれば、ぜんぜん違う。
ぼくが信仰する宗派では「具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にする」ということが最重要視される。
当時のぼくにとって、ゾシマの言葉はストンと この胸に落ちてきた。100パーセントその通りと感じられた。思春期のぼくが 日々現実に感じている実感と 100パーセント符合していた!
今、年老いたぼくは青春時代の感激を忘失すること年久しい。しかしその種は決して消えない。
「実践の愛」「不死」言葉は多少違っても、僕等が抱いていた理想と、毛筋ほども変わらない。
そうだ...たしかに非常に困難だ...他人にかかわっていく信仰実践は。
君が書くように「知力や体力にも限界が」、でもそこにしか歓喜はない!
これもまた確かだ。 ごめん、「点線で囲んだ部分」と書いても、なんのことか わかんないよね
規制に引っかかって、うまくカキコ表現できなかった >>738
ドストエフスキーやカラマーゾフとは離れますが、
「具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にする」という命題は卑近ですが結婚を想起させます。
最も身近な一人というと必然的にそういう発想になりますよね。
その一人を幸福にできなかったときは、その宗派ではどのように考えますか?
私自身そういう経験が重なっていたので気になりました。
一連の意見については全く意義はありません。 心から愛する時、自己と肉体は邪魔になる、そういったのは以外と中世の芸術家に多かったらしい
思考の正反対の側も同じ結論とは諧謔だね
もっとも彼らも表現をつきつめるために思考したわけだが
エックハルトは肉体を魂の牢獄と表現した
(この人については神秘主義過ぎて、受け入れられないが) 女子中学生になりすまして、男子中学生(当時)と裸の写真を交換し、生徒の体を触ったとして群馬県警前橋東署は9日、
準強制わいせつ容疑で、同県富岡市黒川の私立大学生、高木遥生(はるき)容疑者(20)を逮捕した。
調べに対し容疑を認め「男の子の体が触りたかった」と供述している。
逮捕容疑は2月4日、無料通信アプリで女子中学生になりすまして、県中部に住む当時中学3年生の男子と裸の写真を交換し、
「警察や学校にばらす」などと脅迫。同月11日午前9時から10時5分ごろにかけて、
当時高木容疑者が住んでいた前橋市内のアパートで男子生徒の体を触った疑い。
男子生徒から警察に相談があり発覚した。同署が余罪を調べている。 戒律にふれない。女体という。を意識出来てればいいんじゃないの
。 >>743
人間が肉体の奴隷であることは
肉体が魂の牢獄であるといっても
間違いじゃあない
別に変なことは言ってない >>742
自分を愛する人間は他者を愛さないからね
愛とは自己否定か
同意するけどなんか悲しく思うのは間違いなのか >>748
物は言いようなので
無限の議論ができます 自己否定って表現は流石に行き過ぎじゃないか?
言いたい事はわかるけれど、否定まで行けば根本的なところで足の引っ張り合いにしかならんと思うわ おそらく人類上で、生きる目的を幸福追求とした人間は、最多になるのだろう
まず一般論を前提にすれば、幸福とは自己の利益の優先となり、まず自分が満たされる事を要求する
欲望の達成が早ければ早いほど実現したと言える
ドストエフスキーはカラマーゾフの兄弟で、人間は自己利益の追求の果ては最後の2人になるまで殺し合うい、そしてまだその2人で対立すると
何処までいっても、僕が言ってるのは、肉体からくる動物的欲望についてに過ぎない
ならば、魂が求めるものは何なのか?
愛と信仰、他は思いつかない >>740
> ドストエフスキーやカラマーゾフとは離れますが、
> 「具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にする」という命題は卑近ですが結婚を想起させます。
カッコいいことばかり書いてきましたが、まずおれという人間は人生の失敗者です。
しかも、あなたが言うところの、身近な「一人」だってさえ、守れなかった。家族や親など。
自分の表現がまずかった部分もあるが、あの表現は、妻とかに限りません。
家族に限らない友人や、自分につながっている人を、大切にするということで、しかも「大切にする」とは、日頃誠実に接し、その人にとってプラスになることを考慮するわけだが、最大の贈り物は、この信仰へ導くことです。
> その一人を幸福にできなかったときは、その宗派ではどのように考えますか?
人生には恐ろしい難問がやまずみですよね。自分も後悔することばかり あります。
しかし、「幸福にできなかった」と過去形で語ることを やめたくおもう。
未来において必ず変わるんだと。それに若いときは、いろいろの悩みを(宿命と言いかえてもいい)到底乗り越えられないものと考え、自分一人で抱え込みがちだが、
20年30年たったとき、そんなものはちっぽけなものであった!と、こうなるんです。
中島みゆきの歌にあるみたいな。
たとえば自分の子供のことで悩んでいたとする。親の私には支えきれない、彼を育てきれない。そういう部分を自分の代わりに組織が、他の誰かが担当してくれる。
いっしょに考慮してくれる。問題はすぐには解決しない。そんな簡易な問題はそもそも誰も悩まない。
いかなる宗教でも、そういう人間のつながりが大事でないのか。 >>734
ほんとうに引用したかったのってどこ?
時間あったらよろしく
あと点線で囲んだ文学てあなたのですか?
違ったらごめん
これもちょい気になった ----------------------
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、
----------------------
つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
----------------------
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も
----------------------
確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、
その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、
あなたの心に忍び入ることはできません。
--------------------------
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」
----------------------------
*************************************************
点線で囲んだ部分 >>754
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、
つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も
確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、
その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、
あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃで」
これってゾシマがだれにいったセリフ? >>756
「信仰の薄い貴婦人」のところ、ホフラコーウ゛に言ったセリフ
なかなか続きのカキコできない。おれ米川訳にこだわりがあって、米川訳紙のテキストと中山訳電子テキストを対照しつつ、手入力で引用してる(全部でない、途中でしんどくなる)
なんか方法ないか、ちょっと研究してる。少しでも楽にやれる方法 >>757
そうだったんだ それは大変だね
お疲れー >>365
俺が印象に残ってる文は
両手をポケットに突っこみ、頬をふくらまして、口でプフ、プフに似たなんとも奇妙な音をだしはじめた。かな >>760
そこはおれもダイスキ。似てるね、感覚が
古い米川訳で もっと奇妙な訳文だけど ロシアにおける三位一体をトロイカという
三頭体制のことなどではない
しかし、ロシアでは三位一体がキリスト教から逸脱し続ける
旧約聖書に三位一体はあるか?ロシアではあることになってしまう
第四位の位格はあるか?サンタクロースが四人目だ
ロシアでは神は死ぬ伝統がある、ニーチェよりもはるか前から役に立たない神は殺していい
そして人は神になりうる伝統がある
神が死んだら誰が神になるのか?サンタクロースが神になる
ロシアの聖職者は大真面目に信じていた
大公が、偶像を破壊しキリスト教を布教し始めたのはたった1000年前にすぎない
キリストが偶像を破棄するよりも1000年遅く、ムスリムよりも400年、偶像崇拝で教会が分裂するよりも300年遅い
半径50kmに一人の司祭しかいない、その司祭はキリストとサンタクロースの区別もつかぬ
トルストイの召使が、キリストのイコンを裏返しにして、理由を尋ねた主人に「言うことを聞いてくれないから罰を与えている」と言った
ロシアの異教的キリスト教では神は人になるし、サンタクロースと雷神とエホバは混同され、言うことを聞かなければ罰してもいい
17世紀にはキリストは7人現れ、自称キリストの妻は自分のことをマリアだと言った
農民は聖書など読めないが、そもそも司祭も読むことができぬ
教えはイコンによって伝えられ、聖人のイコンとスラヴの神の区別すらされない
飲酒して説教することが勧められた時代
ペストが流行れば怠け者だ、燃やしてもいい、という程度の信仰
ドストエフスキーはペテルブルグの作家であり、都市の作家、とよく言われる
彼は異教的キリスト教を、知識人の、魔女狩りの視点から抑圧し、こぼれだした異教要素をちりばめている
ナボコフはドストエフスキーはスラヴ主義者のごたまぜの神秘主義の作家に過ぎない、と書いた
ニーチェは神となる人をロシアの文脈から離れて称揚してしまった
キリストのイコンは奇跡をほとんど起こさない、マリアのイコンは戦場に降臨し、ロシアを何度も救っている
このマリアは神の母ではなく、大地母神モコシであり、聖女パラスケヴァだった
このような異教を切り捨てようとした200年後に書かれた罪と罰
その主人公の名は切り捨てられた分離派ラスコールに由来するラスコーリニコフ
ソ連崩壊後の分離派の研究 パレオロガスのルネッサンス
ギリシャの美術を漂白し、作り上げた汎神教的イコン
図象学はシンボルによって、リアリズムではなく像に名前を与える
サンタクロースは、白いひげなどなくてもヨハネとキリストのあいだに座する
図というイメージによって宗教が布教されるとき、言葉で布教されるときと異なる特性を持つ
言葉による布教こそは教会の成立、体系の成立であり、東方正教がロゴスによる布教に抵抗し続けた
アトスの山には図書館はない
イスラム教にも、ローマ教会に相当する組織がないように、そこには言葉による布教はない
言葉による布教をロシアで開始する時代は明確に確定できる
ラテン語がいつロシアに侵入するのか
ギリシア語で典礼を行えなくなったのはいつからなのか
第三のローマという名のために失ったものは何か ロシアでは神は気が向けばペストを流行らせ、天罰をくだす
農業に向いていない地で農業以外の生きる道がないロシアでは迷信は避けられない
マリアはスラブの大地母紳と一緒くたにされ、聖女と一緒くたにされ、祈る対象となる
神よりもマリアが天の国では強く、罰を与える神の右手を抑えつける力があると信仰された
そこではイエスキリストの影は薄い
あるのはただ再生する人として、であり、だからこそキリストの生まれ変わりだけが大量生産される
しかしキリストは何もできないとされることが典型的な表れとなる
無力にして、ただ生まれ変わるだけの存在
大地はやせ衰え、それでも不幸を起こさないことを祈れば可能にする
フィン人とタタール人の混血をなぜ政府は抑圧したのか
最初から、罰を与える神と生まれ変わるだけのキリストが役に立たないロシアで、どうすればキリスト教を布教できるのか
ロシアの聖職者は嘆き続け、酒におぼれ続ける 凄まじい教養です。ぼくにとって まったく初めて聞くことばかり。
自分のロシアに関する知識は、カラマ等の「翻訳文上そのまま、そこに書いてあることのみ」「著作の表面に書いてあること」に限定される。論評の類はほとんど読んだことない。
書きながら思ったけど、ドストの凄いのは、19世紀ロシアの、俺たちの生活と遺伝的に遠い形質を持つ人々の物語であるにもかかわらず、
なぜこんなにも直截に、俺たちの魂を撃ち抜くのか? 但 次のようにも考える
国内のたとえばs価学会などに対する認識でさえ、外部からの 近似的にすら理解した意見を見たことがない
あなたのあたかも戦前の青年のごとき教養主義には感銘するが、その点には疑問を持つ。 >>765
確かショーペンハウアーは本についてこう語った
(覚えてる限りだけど)
誰かを知りたい時、その人と話すよりその者の書いた本を読んだ方が理解できるし好感が持てる
実際話せば鼻持ちならないかもしれない
ドストエフスキーが論評でどう見られているか、どんな環境で生きてきて、何主義だと言われようと、彼の作品で本当の彼の持っていた思想に直面している
あとは自分が本とどう会話するかに尽きると思ってる
会話以上に本は語るのだから 「けれど、どうしたらよろしいのでしょう? そんな場合どうしたらよろしいのでしょう? それでは絶望のほかないのでございましょうか?」
「そのようなことはありませんじゃ。なぜというて、あなたがこのことについて、そのように苦しみなさる……それ一つだけでも たくさんじゃでな。
できうるだけのことをされれば、それだけのむくいがあります。
あなたがそれほど深う真剣に自分を知ることができた以上、あなたはもう、多くのことを行なったわけになりますのじゃ!
--------------------------------------
がもし、今あのように誠実に話されたのも、その誠実さをわしに褒《ほ》めてもらいたいがためとすれば、もちろん、あなたは実践的な愛の方面で、いかなる成果にも到達されませんぞ。
---------------------------------------
すべてが空想にとどまって、一生は幻のごとくにひらめき過ぎるばかりじゃ。........以下略 たとえ幸福にまで至らぬとしても、いつでも自分はよい道に立っておるということを覚えておって、その道から踏みはずさぬようにされたがよい。
自分の偽りを観察して、一時間ごと、いや一分間ごとにそれを見つめなされ。
それから他人にたいするものにせよ、自分にたいするものにせよ、気むずかしさというものは慎むべきことですぞ、あなたの心中にあってきたなく思われるものは、あなたがそれに気づいたということ一つで、すでに浄化されておりますでな。
-------------------
恐怖もやはり同じように避けなければなりませんぞ――もっとも恐怖はすべての偽りの結果じゃが。
-------------------
また愛の獲得について、けっして自分の狭量を恐れなさるな。それからまたその際に生じた自分の良からぬ行為をも、同様恐れることはありません。...............
−−−−−−−−−
ここに書いてある至言は、注意深く読み暗唱し、自分に言い聞かせたものだ。。。
今回タイプしてみて、
「恐怖もやはり同じように避けなければなりませんぞ――もっとも恐怖はすべての偽りの結果じゃが。」
の部分が新たに印象に残った。「恐怖を避ける」とは「勇気ある人生を生き抜く」ということだと思う。では「すべての偽りの結果」とは?
我々は人生のあらゆる場面において「恐怖を抱く」ではないか?
その際、どういう誤り、どういう偽りによって恐怖するのか? 700頁中まだ50頁しかきとらん!
カキコするときしかテキストに目をとおさんからだ!! 書くと読んだ時とは違う客観視ができるよね
>我々は人生のあらゆる場面において「恐怖を抱く」ではないか?
その際、どういう誤り、どういう偽りによって恐怖するのか?
これの体現はまさにフョードルだと思う
対人するとどうしても自分のプライドが出てしまう
虚栄心や自己顕示欲が人と会うとどうしても消えない
その為に偽り正直になれず道化のようになる
自分も含めまた戒めるべきだが 罪と罰やっと読み終えたけど何か思ってたのと違って困惑してる
主人公全然反省しとらんかったやん!
あらすじに書いてあったリザヴェータを殺して良心の呵責が云々ってな話じゃなかったのですっごくモヤモヤしてる
ただ小心だっただけやん… せやでぇ〜
『罪と罰』ってラスコーリニコフがソーニャによって反省したって話じゃないでぇ〜
“文学”だから、なんかイイ事書いてある!って思い込んでたら横っ面張られちまうよなwww 罪と罰は文学上の汚辱だよ。カラマーゾフの方がうんといいのにさあ。
世界文学の古典として。 >>774
言われることが納得いきません!!
そりゃ、カラマーゾフはすばらしいです。だからといって「罪と罰が文学上の汚辱」とは。
なぜそうかんがえるのかワケを聞かせてくださいッッ ラスコリーニコフみたいなことしてもいいですか?
貧困層です 白痴がつまらなすぎて挫折した
基本的に小説がつまらない >>778
ムイシュキンが3姉妹の顔について語るところまで読みましたか?
そして彼のスイス時代の思い出やもろもろの見聞と思索について語るところまで?
白痴は真実に驚異的な小説だとおもいます。
私の空想ですが、登山家というものは、たとえばエベレストを制覇することができるならば死をも厭わない。
白痴は純白に輝くエベレストです。そこには極限の美と死が描かれている。
ムイシュキンの言葉は、徹頭徹尾ドストの実体験に由来しています。
絶対に必読の作品である(といいながら僕も第一編までしか読んでない)いっしょに
がんばろうよ!! >>779
三姉妹が母親と午後ティー飲んで、その後男が地団駄踏んでるとこくらいまでみた
地団駄シーンがクソすぎてやめた >>780
あぁ!! あり得ん、うそみてぇな話だ!
ちょうど そっからだよ! そこから怒涛の、驚異的な、夢のごとき物語が始まるんだよ
読む気がしてからでいいから、今はいいから、おれの言葉覚えておいてね ネタバレになるから内容は控えるけど、白痴は最後の本当にラストの物語ためにある
僕は下巻のイポリートの弁明あたりから面白くなったけどね >>772
それでいいと思うよ 読めてる
ラスコリニコフは最後まで思想をかえずに自首する
彼の思想では人殺しは罪にならない、もちろん罰もない そこまで分かってて戸惑ってる小心者で吹っ切れなく良心の呵責なんてものと思想で最後まで対立する
罪ってなに? 罰ってなに? っていう大きなテーゼ投げられた感じがする 罪と罰については、どなたかが「ラスコーリニコフは自分の代わりに殺人を冒したのだ」とさけんだ
わたしは、この言葉はいかなる論評よりも感銘を受けた
というのは当時のわたしは、こんな言葉で考えたわけではないが、「どうしようもなく感情移入」したという点でまったく同じだった
そうであるから、ラスコーリニコフが「小心者」などとは到底考えることができない 未成年、最初の100頁で挫折
散漫としていて盛り上がりなし >>786
> 未成年100頁...!
こんな時代に?電車乗っても誰一人新聞すら読まない こんな時代に?
おれなんかほとんどネットばかりして...あなたを尊敬します
あの時代だって、おれが紅顔のお兄ちゃんだった80年だいだって 未成年なんかよむひとは一人もいなかった
あなたは古代ギリシャの隠者より稀な人間だ 『未成年』は自分のもっとも好きなドスト作品。
若者だった1980年代に読破した。
狂人が出てこない点で、親しみを持てる。
父と子で同じ女を愛してしまう展開も良い。 >>785
僕も見たけど、心情が出ててよかったよね
小心者とは言い過ぎだけどなんと表現するべきか
スヴィドリガイロフの反対は…多感かな 『罪と罰』(英訳 Crime and Punishment )
罪って「Crime」やでぇ〜「sin」じゃないでぇ〜(ちなみに“七つの大罪”は「Seven deadly sins」こっちの罪はsinね
『白痴』
ムイシュキンは美しいでもいいんだけど、誰一人救えていないからな!
このこと忘れちゃあかんでぇ〜 >>791
> 『罪と罰』(英訳 Crime and Punishment )
> 罪って「Crime」やでぇ〜「sin」じゃないでぇ〜(ちなみに“七つの大罪”は「Seven deadly sins」こっちの罪はsinね
なるほど、犯罪と刑罰という感じか? こういう知識は役に立つなァ 罪は、自分が非凡人でないのにもかかわらず犯した殺人
罰は、自分が非凡人ではなかったということの苦悩
と俺は解釈した >>795
ということは非凡人は人を殺してもいいというひとりよがりな考えは変わっていない、と言う解釈かね
ニュースで「傘や自転車を盗る人間は良心の呵責がない、その言い訳」と言うのを見たが、そのままだな >>796
なるほどそういうことでしたか。罪と罰をあなたが嫌うのは... これについては深いテーマのため、よく思索してから書く >>784
>ラスコリニコフは最後まで思想をかえずに自首する
>彼の思想では人殺しは罪にならない、もちろん罰もない
これは彼の思想では人殺しはsinにならないということで、crimeにならないことではない、ということ
彼は自分の人殺しが犯罪crimeであることは知っている、だからこそ隠蔽をする
crimeというのは社会が功利のために作り上げた法体系であり、「凡人が犯罪を起こさないために」必要なものである
なぜなら凡人による犯罪は社会全体の幸福を減らしてしまうからであり、非凡人は社会全体の幸福を増幅させるものである
この思想は、社会全体の厚生を「幸福関数」として捉える
スピノザ思想は善悪は存在しない、「関係を破壊するものを悪い」「関係を増進するものを良い」とこの二つしかない、と考えた
絶対的な善悪が存在しない「世界に尺度が存在しない」ならば、「良い」犯罪行為は存在する
しかしこの思想は間違っている、とひとまず断言してみる
ドストエフスキーはこの思想を、小説内で直接に否定していないからといって、彼が本当にそう考えていたと捉える必然性はない
(そんなことを彼が信じていたとは思わない、とも付け加えてみる)
この小説は神が存在していると信じられないからsinが存在せず、犯罪と刑罰しか存在しない、という冒頭の主人公の思想をそのまま正当化するものではない
にもかかわらず、罪sinが追いかけてくる
法律の外にいる主権者・決定者(シュミット的例外者)がかつてなく身近になった時代でもあり、しかしそれは否定する作家がドストエフスキーのたくさんの要素
共苦する、という特質は否定できない
ジェレミー・ベンサムは最大多数の幸福、ではなく「最少の苦痛と最大の幸福」「あらゆる生命体は同じ苦痛を覚える性質を持つ」という原則を持っていた
ラスコーリニコフは自分が知っていると思っていたベンサムの「苦痛」を自覚していく
ベンサムは決してラスコリニコフの犯罪を許さない
同じく、スピノザも許さない、許すと思われるのはベンサマイトとスピノツィストという、彼らから「共苦」と「神」を引っぺがした独りよがりの思想だけだ、と思う 社会が功利のために作り上げた法体系これをイギリスで講じていたのがブラックストーン
18世紀イギリスにおいて神童ベンサムが師事し、徹底的に批判した法学者である
ブラックストーンはイギリスの慣習法を体系化するという矛盾した偉業を達成した
しかし、ベンサムはそれが弥縫策に過ぎないこと、権力者=立法者の恣意のままに作られたものであることを攻撃した
?罪刑法定主義、同じ犯罪には同じ刑罰という原則のもとに、犯罪をこと細かく分類していく
ここには「強欲なもの」と「無垢なもの」への犯罪は同じものと扱われる
ラスコリニコフにおいてはこの二つは異なるものであり、だからこそ「殺そうと思っていなかった」殺人を悔いる
犯罪者が非凡人であれば免責される、という思想は被犯罪者が強欲であればより免責される、ということでもある
しかし完璧に非凡人である自分が完璧に強欲である被害者を殺す、という必然性は偶然性により完璧に強欲でない(無罪の・知恵の身を食べていない)被害者を殺す
自分が凡人であるから、この無罪な人を殺したことを悔やむのか?
自ら有罪と判定して、偶然無罪を殺したことを無能と悔やむのか?
ベンサムによれば、犯罪者も被害者も平等である
ラスコリニコフは恣意のままに振る舞う立法者であり、その立法「非凡人は場合によって犯罪を犯しても罪ではない」を読者が信じ込む必要はない
似非ベンサム主義者はベンサムの「苦痛を減らす事」の重大性に直面させられる
それは神の不在などと言う些末な問題には無関係に不変のことでもある 曲面・凸面というconvexという言葉は徹底的にラスコリニコフ思想に抗う
天才とは滑らかでなく突出したものでなくてはならない
しかし突出とは多くの連続を見えなくすることによってしか存在しない
作品とは連続する思考の編集された、連続性を検閲することによって特異性を強調するものである
このような思考は確かに近代に特異的である、と言いうるのは前近代における散発的試みを見ない振りをすることによってである
この見ない振りを、拾い上げて特異性を解消させようとする行為は情報の増大によってはるかに容易になる
氾濫する情報にあってはconvexならざる個性なるものは既存の情報の編集にあるなどという神話が生まれる
しかしそれも個性なるものに毒された、天才の凡才の中への繰り込みに過ぎない
いかに情報の海から適切な抑圧を加えて有用な価値ある情報を捏造するか
有用・価値は一定の尺度を必要とする概念であることは捨ててはいけない
売上という尺度以外に共通する尺度を失った時に、にもかかわらず抑圧の原理だけを維持することは可能なのか
自己を正当化する尺度を失った世界において、自己を正当化する立法者=英雄だけがそびえ立つ
ラスコリニコフは挫折した英雄にすぎないのか
シベリア行の後の書かれないラスコリニコフは凡人として滑らかに、conventionに従って生きるだけの存在なのか
アリョーシャという、他人の意見conventionを受け入れ続ける滑らかな男のように、革命家となる道はないのか
作者の死のたった二年後の皇帝暗殺を断絶としてみる読解は正しいとは思わない
それは行く者がconvex・conventionにそってしか動かず、飛躍は常に経由点の忘却・無視によってしか見出されないことを忘却・無視している
神の死とはこのような飛躍の否定であるにもかかわらず >>801
> これは彼の思想では人殺しはsinにならないということで、crimeにならないことではない、ということ
> 彼は自分の人殺しが犯罪crimeであることは知っている、だからこそ隠蔽をする
ラスコの思想ではそうなのであって、彼の偽り彼の欺瞞においてはそうなのであって、
俺達の魂の内部にある虫けらが そう囁くのであって<かるがゆえに俺達は万引きしたり、
不倫したり、そのほかいっさい他人を踏み台にしたりする>現実は違う。
そしてそのことをラスコは頭脳ではなく生命で熟知している。
> ドストエフスキーはこの思想を、小説内で直接に否定していないからといって、彼が本当にそう考えていたと捉える必然性はない
> にもかかわらず、罪sinが追いかけてくる
芸術作品としての罪と罰によって否定している。殺人後の<罪sinが追いかけてくる>様の迫真性はどうだ?
言語道断前代未聞の天才的表現である。
> 共苦する、という特質は否定できない
そうだ。ラスコは他人の苦しみにいつも共苦・同苦するではないか。
これは、ひとりラスコにかぎらず、おれたち全員そうなのだ!
宅間守でさえ、そうであったと、俺は空想する。もちろんこの俺も。いかなる虫けらであっても。
『虫けらどもに劣情を!』
おれはつまりその虫けらなんだ。これは特別におれのことを言ったものなんだよ。われわれカラマゾフの一族はみんなそういう人間なんだ。おまえのような天使の中にもその虫けらが巣くっていて、おまえの血の中に嵐《あらし》を巻き起こすんだ。
... ここで突然おれはカラマを引用して、情欲の一語を<悪事>に置換してみる。
ほかでもない、おまえひとりだけに話したかったからだ。なぜって、そうしなくっちゃならないからよ。
おまえという人間が必要だからよ、なぜって、明日にも雲の上から飛びおりるからよ、明日にもおれの生活が終わると同時に、また新しく始まるからだよ。 >法律の外にいる主権者・決定者(シュミット的例外者)がかつてなく身近になった時代でもあり
とは、どういうことだい? >神の不在などと言う些末な問題には無関係に不変のことでもある
ここが特に謎めいている。<神の不在>がどうして<些末な問題>なんだい? いま、君のカキコを理解せんと「ラスコリニコフ アリョーシャ」でググってみたよ。
関係ないけど以下の文が目に飛び込んできた
「アリョーシャの像はムイシキン以上にぼやけていて、生気がない。ドミートリーや
イワンのイメージがあまりに鮮烈のため...」
ひとの感性は様々なので、あたりまえなのだが、おれにはもうまったくバカげた論文に見える、この一行のみによって。
「アリョーシャの像はぼやけていて、生気がない」?この論者の眼がくらんでいるのでないのか?
おれにはイワンこそ好きになれない... 脱線しまくった! だっておまえの文難しすぎるもん!! なにせ実践の愛は空想の愛に比べると、冷酷で恐ろしいものじゃでな。
空想の愛は速やかに功のなることを渇望し、人に見られることを欲する。
実際、なかでも極端なのは、一刻の猶予もなくそれが成就して、舞台の上で行われるように、みなに感心してもらいたい、それがためには命を投げ出しても惜しゅうない、というほどになってしまう。
しかるに、実践の愛にいたっては、つまり労働と忍耐じゃ。
ある種の人にとっては一つの立派な学問かもしれぬ。
しかし、あらかじめ言うておきますがな、
------------------------------------------------------
どのように努力しても目的に達せぬばかりか、かえって遠のいて行くような気がしてぞっとするとき、そういう時あなたは忽然と目的に到達せられる。
----------------------------------------------------
そして絶えずあなたを愛し、ひそかにあなたを導かれた神の奇跡的な力を、自己の上にはっきりと認められるのじゃ。
御免なされ、もうこれ以上あなたとお話しはできませぬ。待っておる人がありますでな。さようなら」
夫人は泣いていた。
「リーズを、リーズを祝福してくださいまし、祝福して!」不意に彼女は飛び上がった。
「お嬢さんは愛を受ける値打ちがありませんじゃ。お嬢さんが初めからしまいまでふざけておられたのを、わしはちゃんと知っておりますぞ」と長老は冗談まじりに言った。
---------
すばらしいですね。最後にジョークをかますところもいい。 >>801
ベンサムの被害者なき犯罪は罪にならないという功利主義を極端にすればラスコリニコフになるんじゃないかな
犯罪の定義は相対的で、神の罪は絶対的になる
罪と罰を犯罪に限って読めば、「それでも」ナポレオンのように何人殺そうと英雄になる存在は在る
やはり彼は思想の中で何の罪も負わなくなる
ラザロの復活もポイントにいれるならば、絶対的に罪に裁かれ愛を知る事で罰を認識していく物語になる
もっとも英語の表題通りにcrimeを鵜呑みにすればだけど(罪と罰の罪は犯罪でないと言ってるのではなく、sinも含んでると思うよ、ってこと) >>809
> ベンサムの被害者なき犯罪は罪にならないという功利主義を極端にすればラスコリニコフになるんじゃないかな
くだらないコメントを入れていく。許してくんろ。
まずベンサムの思想を知らないから「被害者なき犯罪は罪にならない」の一文にコメントできない
ただ、彼が「神童ベンサム」と書いているのだから、偉大な思想家なのだろう。
> 犯罪の定義は相対的で、神の罪は絶対的になる
前者「犯罪の定義」については「権力者=立法者の恣意のままに作られたもの」仮に「国法」と呼ぼう。
後者「神の罪」については、各宗教各信仰においていろいろやかましい定義があるであろうが、その本質的属性は
「絶対性」であることは論を待たない。ここで重要なのは、それは信仰に直結していることであって、信仰がなければ絶対もない。ゆえにカラマーゾフの兄弟で >人類から不死の信仰を滅ぼしてしまったならば、人類の愛がたちどころに
枯死してしまうのみならず、この世の生活を続けていくために必要な、
あらゆる生命力を失ってしまう。のみならず、その場合に不道徳というものは
全然なくなって、どんなことをしても許される、人肉嗜食《アンスロポファジイ》さえ
許されるようになるというのです。
まだ、そればかりではなく、現在のわれわれのように、神もおのれの不死をも信じない
各個人にとって、自然の道徳律がこれまでの宗教的なものは全然正反対になって、
悪行と言い得るほどの利己主義が人間に許されるのみならず、かえってそういう状態に
おいては避けることのできない、最も合理的なしかも高尚な行為としてすら認められるだろう、
という断定をもって結論とされたのであります。
「この世の生活を続けていくために必要な、あらゆる生命力を失ってしまう」の一文は特に大事だ。
信仰がなければ まず第一に「生命力を失う」のだ。
>皆さん、このような逆説から推して、わが愛すべき奇人にして逆説家たるイワン・フョードロヴィッチの唱道され、かつ唱道せんとしておられる自余のすべての議論は、想像するにかたくないではありませんか」
俗物からイワンは攻撃される。考えれば罪と罰のラスコは「信仰薄きものの末路を」芸術的筆致で描ききったものでないか。そしてラスコが再生していく物語であると。
ここまで書いて自分はおもった。「俗物」とは我自身でないか?そして我らの2ちゃんを見ても、ありとあらゆるスレにおいて、こうした俗物に満ち満ちているではないかと! >「ちょっと」と突然ドミトリイ・フョードロヴィッチが叫んだ、「聞き違えのないように伺っておきますが、『無神論者の立場から見ると、悪行は単に許されるばかりでなく、かえって最も必要な、最も賢い行為と認められる!』と、そういうのですか?」
カラマからたまたまこの位置まで切り取った。偶然である。このあとは読んでいない。ドミートリイは なぜ?ここで叫んだのだろう? それについては、おれの「カラマーゾフの兄弟」の味読がこの位置まで到達したら、そんとき考えよう。今は考えられないから。
> もっとも英語の表題通りにcrimeを鵜呑みにすればだけど(罪と罰の罪は犯罪でないと言ってるのではなく、sinも含んでると思うよ、ってこと)
そうだね。同じく罰も。 >>811
>俗物からイワンは攻撃される。考えれば罪と罰のラスコは「信仰薄きものの末路を」芸術的筆致で描ききったものでないか。そしてラスコが再生していく物語であると。
>ここまで書いて自分はおもった。「俗物」とは我自身でないか?そして我らの2ちゃんを見ても、ありとあらゆるスレにおいて、こうした俗物に満ち満ちているではないかと!
同感でした、それは我なりでしたw >ベンサムの被害者なき犯罪は罪にならないという功利主義
これは全く違う
例えば国王の肖像画を踏んだとしよう
肖像画は痛いという知覚をもつだろうか
同性愛を考えよう
被害者はどこにいるのか
かつて神から国を治めることを許可された国王の肖像画を踏むことは王国を踏むことであった
かつて神の秩序を侵犯する同性愛行為は大罪であった
このような神のいる慣習法を徹底的に否定したのがベンサム
強欲な老婆を殺す事のどこが「被害者がいない」のか?
強欲な老婆には被害者となる人権を認めていない、というのがラスコリニコフの理論
繰り返すが強欲な老婆だろうと無垢なるリザヴェタだろうと苦痛を感じる能力においては平等であるとするのがベンサム
神のいない世界で、苦痛を感じる能力の平等性によって「人道的な」秩序を目指すのがベンサム
ロシア語の罪にあたる単語は徹底的に法学的な用語として使われる言葉である
ただ、外国語において的確に当てはまる言葉が乏しい
transgressionという単語を当てた訳者もいたが、原義は「踏み越えること」宗教的な含意がないわけではない
ただあえて法学上で使われる単語になっており、crimeと訳されることが多い
重要なのは、神の秩序がなくなったところで「踏み越える」とは何を踏み越えるのか
連続するところには踏み越える線がない、しかしすでに踏み越えてしまっていること
つねに踏み越えた線は後から自覚される
前もって罪と罰を提示するのが罪刑法定主義であり、なにをすればどのように罰せられるかを可視化するのがベンサム法学
悲劇においては常に「罪」は前もって提示されず、後から自覚される(罰を予想して罪を犯す人間は、小物なのだ)
そこには苦痛の最小化によって一元化しようとするねがいが存在する
同性愛を擁護し、動物愛護を唱え、奴隷解放を唱え、しかしその根拠を決して神という「論理の誤謬」に頼らなかったベンサムはドストエフスキーに至極近い
「悪霊」や「罪と罰」の主人公に溶接されることが多いにも関わらず ラスコリニコフは犯罪をコートの中に覆い隠す
斧を隠し、地面を掘って隠す
見えなくすることこそ彼の天才・非連続・偉業の本質である
見えるようにすること、告白をすることこそ彼からもっとも遠い
隠蔽する=突出することから、開示する=連続性を回復することへ
常に連続するラズミーヒンという友人の名は分離するラスコールと言う名と対比してreasonに由来する
点と点を結ぶことを合理といい理性とよぶ
それは時に単純で、間違うことも大いにある、それでも二つの点を様々な曲線でつなぐことがreasonである
非連続を志したラスコリニコフの前に様々な連続をつなげる人物・事件が現れ、連続しよう、繋がろうと呼びかけ続ける
アリバイや未解決事件を解決しようとする警部はもちろんのこと、ラズミーヒンも、妹もその凌辱者もそうである
そもそもの動機である妹と母が上京することも理由づけであり、どんどん不連続が連続する理由で押しつぶされていく
全くの理由のないゼロから思想によって始めた犯罪は動機・理由を持った行為にどんどん理由づけられていく
彼の行為は自由意志などではない、奴隷意思であり、それでも彼は理由のある奴隷意思であっても善悪は存在しない、と信じようとする
罪あるものを殺す事を、神が存在しないゆえに正当化した自分は、罪なき者を殺す事を神が存在しないゆえに正当化できるか?
彼は命題を設定し、それに答えを出した
では問題設定をほんの少し変更してみたとしたらどうなるか、殺したものが罪のあるものでなく、罪のない者であったなら
得られた金が目的のために不要であったなら、彼の思い描いた犯罪と彼の犯した犯罪は地続きであった
非凡人には凡人との間に断絶がある、と考えた彼は連続性に打ちのめされる
神がいないなら、すべては連続している、許されることと許されないことに、質的な違いなどは存在しない
神がいないなら観念的な殺人は許される、と言っても弱い子供が死ぬことは、許されない かつては王を殺す事は国を殺す事であり、一方で民を殺す事は、奴隷、浮浪者を殺す事がそれぞれ同じ分類ではなかった
ボルヘスの分類を問うまでもなく、アルファベット順の分類と言う平等主義は近代においてしかありえない
アルファとオメガを等価物として扱う発想は、人道主義から生まれた出自を忘却して似非ベンサム主義者ラスコリニコフが生まれる
ドストエフスキーがその名を受けたミハイルは、タタールの憎悪を一身に引き受けて犠牲となった聖人ではなかったか
王を殺す事ができる時代になってしまった、にもかかわらず、無罪の弱きものを殺す事はできない
連続させる思考には、許されることと許されないことを踏み越えさせる性質を持つ、許されないことは神が死んだら存在しなくなるのか?
神が死んだとしても、許されないことは存在する、そして連続する世界においては許されないことは許されることのすぐそばに存在する
少女の強姦とその死は許されることのすぐそばに存在し、実行可能であった、許されない罪sinは常に後から追いかけてくる
罪は犯罪と違ってすでに終わっている、法律に予め記載されている犯罪と異なり、罪は予め記載されていない
モーセが十戒を受けて山を下りる前に、偶像を崇めていた人々は罪を持つ。十戒を受けて、そのあとに十戒を破るものは犯罪を犯す。
それこそ彼を追い詰める者であり、しかし逃げる先は合理ではなく、遂には失敗した理由づけに自ら自白=理由づけを選択する
冤罪と言う別の合理が罪を隠してしまう以上、自白と言う「より」合理的な理由づけ抜きには逮捕=贖罪=罰は与えられない
告解とは、犯された罪、避けることのできなかった
はたして彼は自分の思想を捨てなかったのか否か
「非凡なら犯罪は許される」などという青臭い無思慮な思想ではなく、逸脱と合理のせめぎあいを書いているがゆえに、主人公がどれだけ無様であろうと強い喚起力を持つ ひとたび、理由をつけていく欲望が抑圧と検閲によって先鋭化・演出化されたことであることに注意を向けるとき、現代の小説家が奇妙な小説を書く
我が子が自殺したペテルブルクの下宿に、亡命しているヨーロッパから一人の作家が訪れる
息子はなぜ自殺したのか、過激派と関わっていたのか、本当に自殺したのか
父親は息子の死を理由づけようとし、息子の死を所有しようとする欲望を、自分の求める息子の死に逆らう遺書を隠滅しようとする
善良な下宿の母娘、過激派と名指される息子の友人は所有の欲望の暴力性を暴き続ける
お前の息子の死はお前のものではなく、お前の息子の生もまたお前のものではない
点と点をつなぎ合わせようとする、唯一の物語を捏造する権利などお前には与えられていない
都合の良い物語を作る権利すら、お前よりも親しい者たちが否定してくる
権威(Authority)はもはや作者(Author)には与えられていない
小説の主人公、ドストエフスキーをペテルブルクのマスターとして書く南アフリカ出身の白人作家、J.M.クッツェー
見かけの非連続を徹底的に拒否し、安易な連続の捏造を戒める、徹底的に倫理的であろうとする
犯罪と暴力、罪とレイプ、抑圧への徹底した戦略的な抗い
滑らかな男アリョーシャ、彼は決して頓悟しない
他人の思想に触れて、全肯定したり、全否定したりして方向を変えることはない
イワンの影響を受けても、ゾシマの影響を捨てることはないし、父親からの性格を捨てることもない
振り子ではなく、彼をこれまで形作ってきた性格conventionが突然放棄されることはない
にもかかわらず、イワンもゾシマも父親もドミートリーも彼の性格を動かし続ける
滑らかに、彼は革命へ行くだろう、誤解を受けつつ、縛り首になるだろう ほんとに勉強になるなあ
ベンサムについては誤解していたよ
そしてつくづく思うのは、人間は罪を犯して初めて罪が在った事を知る、と考える
神の偉大さやその存在も罪悪感と直面させられる
ただ一つだけ疑問がある
ラスコリニコフの行為は自由意思だったと思う
動機はどうあれ殺意は最も明確な自由意思だろう
連続性に抑えつけられてなお、思想から「現実」にしたラスコリニコフは罪を超えて、罪が在る事を知る必要があった
貪欲な老婆でなく善良な人間も殺す事、人を殺してまで自由に自由意思を持てるのか、彼はどうしても罪(殺人)を行う必要があった
ドストエフスキーがどうして罪と罰と名付けたか、ナポレオンのように英雄視されず、ただの囚人で終わらせたのか、僕はここに大きなポイントがあると思ってる
未来の大きな益のために、殺人さえも些細な障害としてこそ非凡人になりえるならば、その結果が現実化する必要が絶対条件だね
罪刑法定主義は制度であって、制度を超えようとするものは、自由意思に基づいた革命家になる
その革命家はまず「今ある制度」の意思による否定だろう これを自由意思と呼ばずにはいられないよ
ラスコリニコフはそういう意味で罪を認識しないことで、自由意思を離さなかったんだ、と思うよ そしてこの後に、神の罪に対しての自由意思を書こうと思ったんだけど、自分は言葉にできるほど明確でもないらしいのでまたそのうち 極上の現役ファッションモデルが凌辱地獄に落ちました。長身で脚長でスレンダーな肢体が男を魅する高垣怜です。美脚もエロくて美味しそう。
表情もいやらしくてファッションモデルより肉体を提供する仕事がお似合いです。アダルトの世界でも第一人者になれるよう早速東熱が技術指導。
オマンコを徹底的に痛め付け無知な女に肉便器としての自覚を叩き込むのは世のため人のため。東熱の社会貢献の一環でもあります。
インタビューで怜は夢がありお金のためにAV出演を決めたと話す。もっともらしい事を言っているが恐らくはただ単にスケベなだけ!?
この撮影で化けの皮が剥がされるに違いない。直後男に脚を触られディープキスされる。服を脱がされ股間を弄られると徐々に大きな喘ぎ声。
本性が現れ始めた。開脚ポーズでクンニされクリトリスが直ぐに肥大。続く指マンでオマンコグッショリ。激しく感じまくる。続いて嬉しそうにチンポをパクリ。
卑猥な音を立ててねっとりとおしゃぶり。積極的にタマもペロペロ。そして騎乗位で生チンポがズブリ。M字開脚背面騎乗位、屈曲位。
チンポに吸着する膣肉が卑猥!激しいピストンの後正常位で生中出し。直後立ち上がり自ら指でグチョグチョのオマンコを拡げてポーズ。
まだ満足していない様子だ。続いて男達3人に取り囲まれ輪姦で追い込まれる事に。男達に乳首や脚を舐めまくられた後開脚ポーズでオマンコ全開。
指マン&クリトリス責めで直ぐにオマンコヌルヌル。 続いて金属製のオモチャで膣口を大きく拡げられ尿道口までも晒される。ローターでクリトリスを刺激され悶絶。直後極太バイブがズブリ。
ゴリゴリと膣内を掻き回され激しく喘ぐ。続く電動アンマ器責めで感じまくり無理矢理イカされる。しかしアンマ器責めはさらに続き再度昇天。
肉ビラは醜く肥大し愛液でヌルヌル。現役ファッションモデルのくせにAV女優も顔負けの卑猥なオマンコに変貌。東熱の凌辱が効果を上げてきた。
続いてはフェラチオ指導。怜は3本を順にしゃぶらされる。よだれをダラダラと垂らしながら美味しそうにフェラチオ。
そして躊躇する事無く3本を同時にペロペロ。恥ずかしい姿を世間に晒して生きていくという自覚も芽生えてきたらしい。
続いて正常位で生チンポがズブリ。屈曲位、側位、M字開脚騎乗位。ハメられている最中に口内にチンポを放り込まれても直ぐにフェラ開始。
自分が肉提供玩具だという事を叩き込まれた末の行動だ。そして正常位で生中出し。直後2本目がズブリ。
バックでザーメン注入。直ぐに3本目がズブリ。怜は生中出しを懇願。そして正常位で生中出し。しかしまだ終わりではない。 オマンコを限界まで追い込む連続ぶち込みを経験して初めて真のAV女優になれる。
直ぐに男達が集合し怜の全身を触りまくった後次々とオマンコに射精直前のチンポをズブリ。ぶち込みを強行。
並行して怜は膣内にザーメンが注ぎ込まれる様子を顔の横に置かれたモニターで無理矢理見せ付けられる。
合計10発のザーメンでオマンコドロドロ。
事後パックリと拡がったオマンコからザーメンが逆流する汚らしい様子をアップで見た後にAVで頑張りますと笑顔。
まともな神経なら直ぐに逃げ出したくなる程の屈辱だが何度も中出しされ神経も麻痺したらしい。
そして明日から毎日現場で見ず知らずの男達に生中出しされる事に。
生姦される事しか取り柄のない女がお金を持っていても仕方ないため稼いだ分は全て東熱基金に上納させられる。
AV女優としての道筋をつくってあげた挙句肉体ボランティア活動する破目に。
ファッションモデルには二度と戻れないだろう。 olku はまさにカラマーゾフだ!
>おまえのような天使の中にもその虫けらが巣くうていて、おまえの血の中に荒らし《あらし》を引き起こすんだ。まったくこれは荒らしだ。じっさい、情欲は荒らしだ。いな、荒らし以上だ! >>781
そうなんだ
でも地団駄シーンはいらなかったよね?
地団駄だけで20ページくらい読まされた記憶がある >>824
> でも地団駄シーンはいらなかったよね?
> 地団駄だけで20ページくらい読まされた記憶がある
20ページくらいある地団駄シーンってなんだろう? お前がそんなに気に入らなかったという
時間ができたら読んでみるよ
もう長いこと読んでないからなぁ。おれの記憶ではそんな退屈だったというのはないけどな 430 名前:吾輩は名無しである :2017/05/28(日) 23:28:11.08 ID:RCYOIoZB
>>428
奴らはコンスタントに稼げない
俺は年収2400万円前後をコンスタントに数十年稼えでる
よって俺の勝ち
エンタメで稼げ、十津川とか浅見みたいなのでよ
あいつらには俺も負けてると思う
純文学なんぞ金にならん! >>825
おっさんがむかむかして地団駄踏んでるシーンだよ
しかもなんでむかむかしてるのかさっぱり教えてくれない >>814
> >ベンサムの被害者なき犯罪は罪にならないという功利主義
> これは全く違う
------------------------------------------------------
> 例えば国王の肖像画を踏んだとしよう
> 肖像画は痛いという知覚をもつだろうか
> 同性愛を考えよう
> 被害者はどこにいるのか
> かつて神から国を治めることを許可された国王の肖像画を踏むことは王国を踏むことであった
> かつて神の秩序を侵犯する同性愛行為は大罪であった
> このような神のいる慣習法を徹底的に否定したのがベンサム
ひじょうにわかりやすくなったね。お前はおれたちのレベルに合わせようと文を練ってくれたんだね。
> 強欲な老婆を殺す事のどこが「被害者がいない」のか?
> 強欲な老婆には被害者となる人権を認めていない、というのがラスコリニコフの理論
> 繰り返すが強欲な老婆だろうと無垢なるリザヴェタだろうと苦痛を感じる能力においては平等であるとするのがベンサム
> 神のいない世界で、苦痛を感じる能力の平等性によって「人道的な」秩序を目指すのがベンサム
なるほど、ベンサムの思想の一端がわかった。
> ロシア語の罪にあたる単語は徹底的に法学的な用語として使われる言葉である
> ただ、外国語において的確に当てはまる言葉が乏しい
> transgressionという単語を当てた訳者もいたが、原義は「踏み越えること」宗教的な含意がないわけではない
> ただあえて法学上で使われる単語になっており、crimeと訳されることが多い
おお! 「罪」とは「踏み越えること」という含意があるのかい? > 重要なのは、神の秩序がなくなったところで「踏み越える」とは何を踏み越えるのか
> 連続するところには踏み越える線がない、しかしすでに踏み越えてしまっていること
> つねに踏み越えた線は後から自覚される
> 前もって罪と罰を提示するのが罪刑法定主義であり、なにをすればどのように罰せられるかを可視化するのがベンサム法学
> 悲劇においては常に「罪」は前もって提示されず、後から自覚される(罰を予想して罪を犯す人間は、小物なのだ)
> そこには苦痛の最小化によって一元化しようとするねがいが存在する
> 同性愛を擁護し、動物愛護を唱え、奴隷解放を唱え、しかしその根拠を決して神という「論理の誤謬」に頼らなかったベンサムはドストエフスキーに至極近い
「根拠を決して神という「論理の誤謬」に頼らなかったベンサムはドストエフスキーに至極近い」この一文がよくわからない。
おれはキリスト教徒でないから、キリスト教の唯一神やキリスト教的世界観をもちろん信じていない。しかし信仰の重要性は自明と思っている。
前にも引用した
「人類から不死の信仰を滅ぼしてしまったならば、人類の愛がたちどころに
枯死してしまうのみならず、この世の生活を続けていくために必要な、
あらゆる生命力を失ってしまう。のみならず、その場合に不道徳というものは
全然なくなって、どんなことをしても許される、人肉嗜食《アンスロポファジイ》さえ
許されるようになるというのです。
まだ、そればかりではなく、現在のわれわれのように、神もおのれの不死をも信じない
各個人にとって、自然の道徳律がこれまでの宗教的なものは全然正反対になって、
悪行と言い得るほどの利己主義が人間に許されるのみならず、かえってそういう状態に
おいては避けることのできない、最も合理的なしかも高尚な行為としてすら認められるだろう、
という断定をもって結論とされたのであります。」 この引用の背景をもちろんお前は知っているだろう? イワンの言葉に仮託してドストエーフスキイは自分の信念を語っている。もちろんおれはベンサムを知らないから、お前が言わんとすることの真意をつかめていないと思う。
「神もおのれの不死をも信じない各個人にとって」同性愛を擁護し、動物愛護を唱え、奴隷解放を唱え、
「苦痛を感じる能力あるもの」を苦しめないという、いかなる倫理性・道徳律も その根拠を失うと、こうドストエーフスキイは語っている。
これのどこが「根拠を決して神という「論理の誤謬」に頼らなかったベンサムはドストエフスキーに至極近い」のか?
お前はこのスレの最高の知性である。明確な説明を期待してる。
> 「悪霊」や「罪と罰」の主人公に溶接されることが多いにも関わらず
この表現はちょっと文意がとれなかった。 >>824
> そうなんだ
> でも地団駄シーンはいらなかったよね?
> 地団駄だけで20ページくらい読まされた記憶がある
なにを言ってんだよ? おまえ、 正気に帰れや!
そりゃたしかイッポリート、ムイシュキンの性格描写、その他女主人公たちとの関係性など
重要な小説の伏線じゃないか。
「地団駄シーンはいらなかったよね?」とか、俺たちみてぇな低能とはワケがちがうんだよ!
ドストは。
おまえの理解力が低能過ぎるし、集中力もなさすぎだろが! 438 名前:吾輩は名無しである :2017/05/29(月) 08:48:40.24 ID:+K1PHVnK
結構いるとか、いまさらなに?
情弱過ぎて笑わろたw
街を見てみろよ、軽とアルベルトのハイブリッドばっかだろ
今の日本には富裕層と貧困層しかいない
恐ろしいほどの格差社会になってる
日本の富裕層は隠れる
目立たないよう振る舞う
結構いる、ってか?
奴らの策略は成功してるなw
だから政府が60歳以上の
年間必要生活費の平均値を発表すると
とんでもない金額が出てくる
あまりにもの格差社会が故の平均値
情弱者はググってみろ
この先、生きる気力を確実に無くすからwww 439 名前:吾輩は名無しである :2017/05/29(月) 08:52:24.32 ID:+K1PHVnK
アルベルト→アルベル 貧困層、涙目www
60 名前:名無し三平 (ワッチョイ ebea-CG91) [sage] :2016/07/24(日) 11:56:16.80 ID:dZxVBLzY0
老後の現実
1億円以上ないとアウト!
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO04993620Z10C16A7945M01
まずは持ち家を前提に支出を考える。総務省の家計調査では高齢夫婦無職世帯の1カ月の支出は約28万円。
これを「平均的な生活」とみなすと30年で1億80万円だ。
しかしファイナンシャルプランナーの紀平正幸氏は「介護やリフォーム費用などの予備費を少なくとも夫婦で600万円は見ておこう」と話す。
すると1億680万円になる。
こんなの無理だろ!
貧乏人は死ね!ってことだな!
早く戦争になれ!
早く殺せや! 彼の論文を注意深く読んではいるが、とにかく難解だ。
もうこうなったら、他のメンバーのレスのほうが今ひとつ了解しやすいがゆえに、そこからアプローチしていく以外にない 「神もおのれの不死をも信じない各個人にとって」同性愛を擁護し、動物愛護を唱え、奴隷解放を唱え、
「苦痛を感じる能力あるもの」を苦しめないという、いかなる倫理性・道徳律も その根拠を失う
---------------
自分の書き込みに注を加える
お前のカキコの文意は、もちろん
> かつて神の秩序を侵犯する同性愛行為は大罪であった
> このような神のいる慣習法を徹底的に否定したのがベンサム
とあるように、ベンサム当時の「現実の」ヨーロッパキリスト教社会が、今日から見れば、倫理的に疑義があると思われる慣習法を構成していた
> 神のいない世界で、苦痛を感じる能力の平等性によって「人道的な」秩序を目指すのがベンサム
こうした哲学的な観念で「人道的な」秩序など決して形成され得ない、というのが
ドストの信念だと、俺は推測するし、
もっといえば、それが「俺の確信だ」
君のベンサムがいかに神童であろうと、信仰なしに、永遠の生命への確信なしに、善の行動はありえない >>829の問いの回答が終わっていないので、新たに流れを変えてしまう可能性があるけども一つ、
そして全く関係ないわけではない
彼は上の弁明で、ラスコリニコフの行為を自由意思とはしなかったので、自由意思が何かをまず聞きたい
ドスト愛読者はどう考えているのか、単純に疑問に思った
ドストスレなのでドストから引き出してほしいが、大き過ぎるテーゼなので、とりあえずはなんでも
「なにしろ、人間の生存の秘密は、単に生きることにあるのではなく、何のために生きるかということにあるのだからな。
何のために生きるかという確固たる概念なしには、人間は生きてゆくことをいさぎよしとせぬだろうし、たとえ周囲のすべてがパンであったとしても、この地上にとどまるよりは、むしろわが身を滅ぼすことだろう。」
これは、人はパンのみに生きるにあらず、聖書の比喩で、カラマーゾフの兄弟では自由意思について語っている(カラマーゾフの兄弟より)
人は神により自由意思を与えられた
幸福なことではあるが、自由に選択し、何より悪意ではなく善意と神に適った選択を自ら選ぶ事は、
貴いが「苦痛」でもある
そして大審問官で、キリストが石をパンに変えなかった答えでもある
自由とは人間にとって最大の苦痛である
慣れる事を同時に与えられなかったら、想定も出来ないほど地獄だろう
そんな自由に意思も与えられた人間は、その意思において、時には滅亡と暴虐で残酷な結果も生む
もちろん高潔で賛美できるほどの善意も行える
ラスコリニコフは殺意で、アリョーシャは紆余曲折の後に信仰で、
イワンはこの世界の不条理からの拒否で、キリーロフは自殺で…自由意思を表現した
欲望でもなく、動物的衝動でもなく、魂からくる自由意思とは何なんだ?
何処から湧き出るんだろうか?
精神や意識(意思)とは一体何なのだろうか >>836
信仰や永遠なしに善ありえない、イワンも同意するだろうねw
そして、僕は完全に同意するよ
あらゆる法制度も階級社会でも、この何千年の歴史の中で、制度によって人間の醜悪な部分を抑える事は出来なかった
歴史とは戦争の証拠と記録でしかない
もし救われ、善意と理性の導きの世界があるならば、
信仰と永遠の生命を誰もが信じる日がくるなら、新しい人間、新しい倫理が生まれるかもしれないね >>838
永遠を尺度にした場合、「この世の善しか知らない」という
ムルソー(異邦人・シーシュポスの神話/カミュ)の様な精神態度もあり得ます。
(ちなみにカミュは読まれましたか?)
「悪」とは意味のないもの、無内容なものと見做すと決めれば、
「新しい倫理」、「新しい人間」……が生まれる一契機となるでしょう。 正直不快な書き込みというか無礼な(お前だの君だの弁明だの攻撃的な)書き込みが多いので、書き込みはやめます
ドストエフスキーとベンサムのフィクション論は、半世紀のずれがあるけれども同じ問題圏・問題意識に取り組んでいるゆえに少しだけ書いた
ドストエフスキーにあっては、神の不在・奇跡の不在は現実的実体(Name of real entities)を離れ、フィクション的実体(Name of fictitous entities)に移行している
神が存在しなくても、神を信じるという行為だけが残り、そこには対象は存在しない(しなくてもよい)
信じるという行為は「あらゆる生命力」や「人類の愛」や「許されないこと」を可能にする遂行的言語行為である
このgroundlessな神を汎神論やアニミズムとして矮小化することはたやすいが、ドストエフスキーの解決はそこにはない
ドストエフスキーの神はキリスト教ではない、ロシアの異教とまじりあった土着的神ではないか、などと言っても始まらない(しかしその指摘は重要である)
ドストエフスキーを読んで感動した日本人がおれも大地に口づけしよう、と思っても「これじゃない」感が否めないだろう
「ロシア人は確固としたキリスト教と大地を持っている、日本人は持っていないのだ・・・」などと嘆くのがせいぜいである
大地信仰を有するロシア人だけを対象としたそのような読解は愚かしい
ロシア人も確固としたgroundを失い、登場人物は一つの選択として大地母神信仰を選んだに過ぎない
カトリックでも、ロシア正教でも、仏教でもいいし、イスラム教であっても、無神論であってもいい >>834
いくら格差社会とはいえこの額はありえん
どんだけ金持ちと貧乏人の収入に差があるんだ?
数パーセントの富裕層の収入があまりにも巨額なんだろうな
だから平均するとこんな馬鹿げた数字になるんだろう
本当にこれだけの額が必要なら
殆どの日本人の未来は無い
完全に崩壊
生きる意味さえも無い >>840
弁明って言葉は間違いだったね
言葉のあやは2chではみのがしとくれ
誰も悪意なんてないんだから
でも気に障ったなら悪かったね >>839
カミュは異邦人だけ読んだよ
ムルソーも永遠から善意を見つけ出したんだね
そうなる理屈や確信もあるのだろう
(昔読んだだけなので、ちょっと)
悪が無内容と見做されればそうなると思うよ
問題は人間が悪意ではなく、善意を自由意思で選ぶか、が問題だ >>843
ん。あ!
『異邦人』の哲学的翻訳とされる『シーシュポスの神話』は未読なのでしょうか。
(ノーベル文学賞カミュは獲っていますねー)
勿体ないかもです。キリーロフ、スタヴローギン、アレクセイ、イワンな等々の
ドストエーフスキー作品の登場人物、錚々たる面々について情熱的な調子にて
激しくクールに描かれています。
お薦めですよー♪(-^ ^-) >>846
シーシュポスの神話を検索してみたら、すごく興味を惹かれたよ
是非近いうちに読んでみる(今はスウィフトのガリヴァー旅行記よんでて、次に決定だ)
報われない、意味のない労働は地獄である
って死の家の記録でドストエフスキーが書いてるのと同じだ
ただカミュはきっと実在主義で、いつかは死ぬのに行為に意味があるのか、と比喩で…って読む前に決めつけはダメだったよ ドストエフスキーとカミュとは実に対照的ですね……。
ラスコーリニコフがそうだったのと同じように、ペストのベルナールリウーが私の中でヒーローだったことがあります。
そしてラスコーリニコフよりもリウーのほうにより肯定的に生きるすべを見出しやすかった。
罪と罰も同じくらい読みましたが、ペストも10回くらい読み返したかな……。
たとえ絶望に打ちひしがれていたとしても、あたかも希望を抱いているかのように生きなければならない。
さもなくば自殺してしまう。苦悩は何の権利も与えはしない。
とはペストというよりカミュの手帖に記されたメモ書きですが(どこか別の作品にこんな一文が反映されているかもしれませんが)、この忍従という点で、ドストエフスキーの小説との対照や類比を見てみるのも面白いかもしれない。 すごい余談だけど、ガリヴァー旅行記って子供の時読んでた楽しい印象が原作にはまったくなくて、人間嫌いになりそうなほど皮肉が凄いんだけど
久しくドストエフスキー以外の本読むと、イワンは何て言うかな?とか考えてる時がある
思考のベースに影響を受けすぎてるかもしれない 罪と罰を読み直すの疲れる、悪霊はもっと
10回とか凄すぎ >>848
俺はその忍従に傾倒していた時期があったね >>840
> 正直不快な書き込みというか無礼な(お前だの君だの弁明だの攻撃的な)書き込みが多いので、書き込みはやめます
そうして君はイワンのごとく闇へ入っていくのかい?
> ドストエフスキーとベンサムのフィクション論は、半世紀のずれがあるけれども同じ問題圏・問題意識に取り組んでいるゆえに少しだけ書いた
それはよくわかっているよ。君の真剣さは。そうであるからこそ、それを直覚できるから、みんな君に敬意を払っていただろ?
> ドストエフスキーにあっては、神の不在・奇跡の不在は現実的実体(Name of real entities)を離れ、フィクション的実体(Name of fictitous entities)に移行している
ちょっとわからない。独異の哲学的言語が使われているから
> 神が存在しなくても、神を信じるという行為だけが残り、そこには対象は存在しない(しなくてもよい)
> 信じるという行為は「あらゆる生命力」や「人類の愛」や「許されないこと」を可能にする遂行的言語行為である
ここは難しい問題をはらんでいるよね。所詮信仰の対象は証明できないから。だからこそ「信じる」んだもんな
> ドストエフスキーを読んで感動した日本人がおれも大地に口づけしよう、と思っても「これじゃない」感が否めないだろう
それはね、いちおうはそうかもしれないが、再往そうでないと。つまり、深く通底していけば、「日本人であるおれも大地に口づけ」し得るさ!
> カトリックでも、ロシア正教でも、仏教でもいいし、イスラム教であっても、無神論であってもいい
最後にもう一度問うよ?
君はイワン・カラマーゾフたるか、アレクセイ・カラマーゾフたるか?
もしこの人生を幸福に生きんと願うならば、アレクセイになるべきだと、俺は思う
早く帰ってこいよ! 俺達は全員待っているぞ。 >>848
レスを読んでいて昔の事を思い出したよ
自分が大学生の時に異邦人を初めて読んだんだ
「太陽のせい」、この言葉を何処からか聞いて、興味をもったのが動機だった
圧倒的な実在主義に魅了されて、生きてる事にすら疑問をいだいたのを覚えてる
いずれ死ぬならば、果たして生きることに価値があるのだろうか、いずれ死ぬのならば、明日死ぬのと30年後に死ぬのに何の違いがあるのか
物質というものがこんなに浮き彫りに見えたのは、生命がただの物に見えた時はなかったし、
このまま窓飛び降りたらどうなるのか、なんて想像して恐怖も覚えたのを思い出したよ
若くて多感な時期に極端な思想を持つのは、往々にしてある事だし、ただ単純にそのせいだったのかもしれないけど、そして明け方のせいかもしれないけど、
決して悲観でもなく、何の悩みもないのに、「前向きに自殺」したくなった(憧れた)んだ
同じくドストエフスキーとは対照的だと思うけど、 類比的も見つけるように一冊読んでみようと思う
今は客観的に読書できるようになったけど、改めて思うのは、本は薬にも毒にもなる、とつくづく思う >>854
すべてが無価値に見えて絶望しただけなのかもしれない 当時の感情は言葉で明確に表現できないけど、死に前向きだった瞬間がある
もちろん今は微塵も思わないが >>853
> いずれ死ぬならば、果たして生きることに価値があるのだろうか、いずれ死ぬのならば、明日死ぬのと30年後に死ぬのに何の違いがあるのか
> 物質というものがこんなに浮き彫りに見えたのは、生命がただの物に見えた時はなかったし、
> このまま窓飛び降りたらどうなるのか、なんて想像して恐怖も覚えたのを思い出したよ
> 若くて多感な時期に極端な思想を持つのは、往々にしてある事だし、ただ単純にそのせいだったのかもしれないけど、そして明け方のせいかもしれないけど、
> 決して悲観でもなく、何の悩みもないのに、「前向きに自殺」したくなった(憧れた)んだ
-------------------------------------------------
いつもあなたの文を拝見して思うのは、「若くて多感な時期」を決して忘れない、その感性です
あたかも今がまさにその青春ど真ん中であるかのごとくパセティックに書けることが
うらやましい
ぼくもあなた同様狂っていました、でも多分それは青春の証明なんですよね
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> 今は客観的に読書できるようになったけど、改めて思うのは、本は薬にも毒にもなる、とつくづく思う
良書を読めとは、よく言われますね。まさにドストエーフスキイは良書中の良書だとおもう。
その悪い影響とは何か?ちょっと思いつかない。あなただったか、誰かがなにか書いていたけど。
「薬にも毒にもならない」読書は避けるべきかと
「若くて多感な時期」に素晴らしい世界文学の古典に触れられることは、何と言う
美しい体験でしょうか?
同様にそうした時期にいい人に出会うことができたなら、なおさら生涯にわたって
持続する幸福の要因ではないか?
すべての人がドストエーフスキイなどの読書できるわけではない。
しかし、すべての若者が幸福になる権利をもっているし、じっさいなるんだ! 幸福は相対的なものなので全ての若者に行き渡ることはあり得ません
もしくは、平等に与えられるものなので
出会いだとかの不安定要素で全ての若者が幸福になることはあり得ません お前ら凄いなよくそんな長文レスが読めるな
俺には無理だ
今思えばよく罪と罰も読めたもんだと自分でも思う 347 名前:774RR [sage] :2017/05/31(水) 08:50:25.70 ID:xI9ypsfz
俺はハーレーを降りていま原付
最高だよ!
348 名前:774RR [sage] :2017/05/31(水) 09:07:37.10 ID:xI9ypsfz
何でそうなった?
ヨットを買ったんでな
マリーナに置くだけで年間40万円以上いる
置くだけでな
ヨットの維持には2種類の船検がある
とにかく維持費がハンパない
別宅マンションを購入したようなもん
既にローンで首が回らん
自己破産も覚悟しとる
が、ヨット最高 >>859
ニュースサイトの記事は読めても2chの長文レスは読む気しないって人もいるし
いいんじゃないのかな 読むというのは、他人に思考してもらって、その思考を覗くだけだからいくらでも読めるよ
書くというのは、自分で考えることだから集中もするし疲れるよ
でも、罪と罰のような考えながら読まないと理解できない本を読めたのは、凄く疲れると思う
それは書き手の才能で上の論は当てはまらないね >>846
『異邦人』の哲学的翻訳とされる『シーシュポスの神話』は未読なのでしょうか。 >>846
>『異邦人』の哲学的翻訳とされる『シーシュポスの神話』は未読なのでしょうか。
勿体ないかもです。キリーロフ、スタヴローギン、アレクセイ、イワンな等々の
ドストエーフスキー作品の登場人物、錚々たる面々について情熱的な調子にて
激しくクールに描かれています。<
今日本屋通ったから買えたよ、シーシュポスの神話
早速読んで、ドストエフスキーとはやはり対照ではあるような印象だけど、まったく違うとも思わないよ
初頭から、人生が生きるにあたいするか否かが問題、とか思っていたのより哲学的で、面白そうだったよ
目次見たら、キリーロフについて語ってるんだね
そこが一番興味があるけど、全体的に、自殺と、
ドストエフスキーと忍従の点や現実主義とかカミュの比較と類比を探しながら読んで見ます >>858
> 幸福は相対的なものなので全ての若者に行き渡ることはあり得ません
> もしくは、平等に与えられるものなので
> 出会いだとかの不安定要素で全ての若者が幸福になることはあり得ません
レスありがとうございます
このことについて書こうと思って、カラマーゾフから引用したい箇所があったのだけども、青空文庫テキストがいまだ存在しない関係で、そこんとこを技術的に乗り越える必要があって、いま研究中なんだ https://nelog.jp/online-ocr
画像内の日本語テキストを抽出できる「Online OCR」 第一次大戦時にカラマーゾフの兄弟をもっていて、ウィトゲンシュタインは50回読んだと記録にある
飽きたりしないのだろうか 本は今みたいにあふれてなかったし、知性と思想によって世の中を変えられると純粋に信じられた時代だから、感覚が違うでしょうね。
ちょっと違うが、明治の日本の文豪も質屋に本を売って急場をしのいでいた話、随筆でよく目にしますね。
今ブックオフでいくら本を売っても急場をしのげるはずはなく、本の価値も違っていたでしょう。
岩波文庫のこころが発刊当時の昭和初期に40銭、今でいうと2500円くらいかな?
ドストエフスキーも獄中時代は聖書とパスカルのパンセしか持ってなかったとどこかで読んだ気がします。
死の家の記録では聖書だけでしたっけ。 全体的に品薄なのは1番の要因だけど、昔の人の方が本を大切にしていたのかもしれないね
大量生産の文化は、価値を剥ぎ取るのかも
思想で世の中は変わる、と、信じていたというのはなっとくできる 思想や主義の違いによって、今でも戦争しているのだから、本はその要になる
世界のどんな本でも簡単に手に入る時代で育ってきたぼくには、それが当たり前だと思ってしまうよ >>869
> https://nelog.jp/online-ocr
> 画像内の日本語テキストを抽出できる「Online OCR」
ありがとうございま。近く習得します
> 幸福は相対的なものなので全ての若者に行き渡ることはあり得ません
> もしくは、平等に与えられるものなので
> 出会いだとかの不安定要素で全ての若者が幸福になることはあり得ません
神秘的な言葉ですね。ゾシマ兄の「神の小鳥、しあわせの小鳥」そのほか引用したかったですが、現時点で電子テキスト準備できてないので、引用なしでいきます
相対的幸福は、たとえばそれが、学歴であったり、家や車であったり、美人に生まれたり、そういったものは確かに「全ての若者に行き渡ることはあり得ません」ね
ではここで、あなたが言うところの「もしくは、平等に与えられるもの」とは何か?
そしてぼくが「すべての若者が幸福になる権利をもっているし、じっさいなるんだ! 」という叫びは何を意味するか? >>874
みんなが平等に幸福になるべきだから、不確定要素で幸福になってはならないという意味だろう 技術系は情報交換
芸能系は言葉遊びと寂しさ紛らわすため
ここは哲学的宗教的 4 名前:名無しさん@いい湯だな :2017/06/03(土) 19:59:07.55 ID:V8HSX03J0
公共風呂で不快に感じたコト 女性編
・湯船の中で膣内に水が入って、湯船からあがるときにシャーって出たんだけどそれは私だけじゃないんだろうってこと。
・拭いてるときに、膣内から温泉水が出てきたこと。他にもいるだろうということ。
てことは、脱衣所の床は相当汚れているだろうということ。
・やっぱり、一番は、膣内に水を吸い込んで出る瞬間。
湯船の中で、おりものが混ざって白っぽい(かたまり含む)水がでることも多々ある。
・私ではなく知り合いの話ですが、ある日帰り温泉施設で、年寄りのおばあさんが下痢気味だったらしく、湯船の中で排便したらしいです。
しかもこの人、トイレに行こうとして間に合わなかったとかじゃなくて、
わざわざトイレに行くのが面倒くさかったのでワザと湯船でやったそうなんです。 本人が
「面倒くさいからべつにいいじゃん」
って言ったそうです・・・。こんな人は公共のお風呂に来ないでほしいです!!”
・すごいお尻の臭いおばさんが一人いる。
・タンポンの紐が歩いている後姿から見える。
http://youpouch.com/2010/10/08/162559/ ドストエフスキーから幸福を探すのは難しい
けれども、不幸なキャラクターは見つけやすい
悲劇的に終わる思想の反対が答えと思ったけど、おそらく違うんだろうね
その悲劇的な運命を担った者は多くいる
これは持論になるが、例えばイワンは、自分の思想に対して肯定も否定もできなかった
スヴィドリガイロフについても同じで、善悪を闘争するでもなく、一切を受け入れる事ですべてが無価値に変換されてしまった
ドストエフスキーは無神論は信仰に至る手前にいる状態と言った
神を信じないのではなく、神を認めた後否定する、という意味で言ったと思う
誰もがまずキリーロフになる必要がある
それを超えた後が、幸福という状態なんだろう
言葉にするとうまく伝えられないけど、ドストエフスキーの中で、悲劇的に終わるキャラクターの次の状態があったとすれば、幸福な人間が出来上がる 両者ともに社会的弱者の象徴で、憐憫と自虐が目立って、幸福とは言えないと感じる
弱さは最大の武器になるというが、その通りだと思う >>874
幸せとは、何処かで自己への執着を消さないといけないんだろうと思うよ
人間は肉体に縛られるならば、物質的欲求も含まねばならない
だけど世界の資源の母数は決まっていて、例えば、1人1キロの肉は用意できない(今は可能だけどね)
「全員の幸福」の実現は、ある意味で痛み分けが出来なければ達成はしないのだろう
人間は本質的に残酷だから、少数の犠牲を認めて、最大公約の最大幸福で満足する
一箇所で引用は難しいけど、ゾシマの足る事を知る、とういう談話が印象深く、幸福の道なんだろうね 『白痴』の最後に、「ボヴァリー夫人」が登場するのはなぜだろう? 「じゃあ、どうしてこの人は何もかも忘れてしまったの? だって、
この人はあたしが小さいころ、よくあたしを抱いて歩いたり、
いっしょに遊んだりしたのよ。それから家へ来てあたしに読み方を
教えてくれたのよ、あなたはそれを御存じ?
二年前に別れるときも、あたしのことはけっして忘れない、
二人は永久に、永久に、永久に親友だって言ったわ! それだのに、
今になって急にあたしをこわがりだしたんですもの。
あたしがこの人を取って食べるとでもいうのでしょうか?
どうしてあたしのそばへ寄って、お話をしようとしないんでしょう?
なぜこの人は家へ来てくれないんでしょう? あなたがお出しなさ
らないの? だって、この人がどこへでも出て歩くことは、
あたしたちようく知っててよ。あたしのほうからこの人を
呼ぶのはぶしつけだから、この人から先に思い出してくれる
のが本当だわ、もし忘れないでいてくれるのなら
……いいえ、だめだわ、あの人は今、行をしているんですもの!
だけど、なんだってあの人にあんな裾《すそ》の長い法衣を
着せたの……駆け出したら転ぶじゃないの……」 そして彼女は不意にこらえきれなくなって、片手で顔を隠すと
、持ち前の神経的な、からだじゅうをゆすぶるような、
声を立てぬ長い笑い方で、激しく、とめどなく笑い続けるのであった。
長老は微笑を含みながら彼女のことばを聞き終わると、
優しく祝福してやるのだった。リーズは長老の手に接吻しよう
とした時、突然その手を自分の眼に押し当てて泣きだした。
「ね、あたしを怒らないでちょうだい、あたしはばかだから、
なんの値打ちもないのよ……アリョーシャがこんなおかしな女の
ところへ来たがらないのも、もっともかもしれないわ、いいえ
本当にもっともだわ」
「いや、わしがぜひとも行かせますじゃ」と長老がきっぱりと
言いきった。
----------
思春期のぼくは愛を知らない。こうした娘を知らない。こうした愛のあり方も。
現実には知らないが、しかしリーズはぼくの胸の中に息づいている。そして時至れば
リーズのような娘に出会うことだろう。のみならず、すべての女にはリーズのような側面があるのだろう...
しかし、壮年となった僕にも、このように強く愛されるという経験はなかった。
それでも少しもこの人生に失望しない
ぼくの人生は「愛すること、憧れること」を選んだ。男として生まれた以上それこそ
正道であると。と同時にアレクセイのように娘に愛される人生も否定しない。 >>881
テキストから引用はできないが、ぼくの心の中のテキストから引用しよう
この胸の中にいるアレクセイに質問してみよう
我「幸福とは物質的なものなのかい?」
アレクセイ「いえ、決して」
(このあと長々と書くつもりだったがなんの言葉も出てこないw やはり凡才たるぼくにはテキストの引用で答えるのがいいみたいだ)
非常に制限されたテキスト。例えば前にぼくが引用したゾシマの説教を。
(幸せになるためには?)
「どうしたら? どういう風にいたしたらよろしゅうございましょうか?」
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」
------------------------------------
幸福は、関係性の中で獲得される、これは間違いないとおもう ドスト読んだ後に頭の中がドスト節になる
ドストあるある >ドストエフスキーも獄中時代は聖書とパスカルのパンセしか持ってなかったとどこかで読んだ気がします。
ぼくも魂の牢獄にいる。高い無能の壁がぼくの行く手を遮る
ぼくには原稿用紙1000枚分?の電子テキスト、すなわち中山訳カラマーゾフ上巻しかない
これだけでドストのすべてを語りつくそうよ! あえて妄言を書くというのは? 他人に見せるためのカキコではなく、自分を超克していくためのカキコはあり得ないのか?
ありのまま、無作為の、発狂しそうな自己の失望を書くことは?
或いはまた、愛と夢を語ることは
字體に気を配らず、假名遣を守らず、むしろ狂言綺語を使い、口頭ですら使わないような造語で書くことは?
決して他人には見せられない、この胸の中だけの言葉というのは?
そういう言葉を書くことは不可能なのか?
------------
僕らの胸中に、アレクセイもラスコーリニコフもイワンもいる。あいつらは俺のダチだ。と同時に、ヒョードルもスビドリガイロフも、この胸の中に飼っている。
お前もそうだろう? 表面的な違いこそあれ、言葉遣いは異なるとはいえ、僕らはひとつだ。君の感想はぼくの思想でもある
ぼくは、ボクと言ったりお前と言ったりする、それは俺達の距離感を縮めようとして
身悶えしているのだ >>887
>幸福は、関係性の中で獲得される、これは間違いないとおもう
どういう論を造っても、どんな幾何学的論理で説明しようと、これが1番のポイントだよね
>その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
そして同様に出来るだけ簡単に、最短はこれの実践になるよね
それにしても人類を愛することの簡単さと、隣人を愛することの難しさは、ドストエフスキーにて学び、つくづく実感してる >>884
言われるまで気にもしなかったよ
そして何故だろう? 159 名前:呑んべぇさん [sage] :2017/06/06(火) 03:36:15.36 ID:FJcsV8Gr
水割り4杯程度で酔うなんてねえよな!
いま目の前にバンクリンクが踊ってるけど普通だよな!
もちろん俺は全裸だ!
チンチンは萎んどる!
絨毯が揺れてバンクリンクが踊っとる!
酔ってねえよね!
4杯程度で酔うわけがねえ!
ガハハハ!
さっきまで
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
と叫びながら中腰で腰を前後に振っとった!
もちろん全裸だ!
水割り4杯程度で酔うわけがねえよな!
酔うわけがねえ!
ガハハハ! ここの人は、特に人間に、そして個人の思惑や思想に、興味を持っているのかな?
各々の人間の持つ、理性や意志や感情そのものに興味を惹かれるんだろうか
一方の全体的な社会観念については、ドストエフスキーをどう見ているんだろう?
ぼくは、ドストエフスキーはキリストを頂点とした世界共同体を夢みたんだろうと思う
そういう意味では、前に誰かが言っていたように、無政府主義者の顔もうかがえるのかもしれない
ただ、1番近く言い表すならば社会主義なのかな >>891
> それにしても人類を愛することの簡単さと、隣人を愛することの難しさは、ドストエフスキーにて学び、つくづく実感してる
------------------
最近めちゃくちゃ体調崩していた。腹痛がずーっと止まなくてもう死ぬんじゃないかと。まず君にレスしないと、と考えていた。
おれたちは確かに、言葉と思想をドストエフスキーから学んだが
、愛の難しさ、ひとに尽くす行動は、どこまでも現実の人間から学ばねばならない。
そのためには土台がなければムリだ。ではその土台が何かと問われれば、今ここに明確に表現できない。
ネット上ちょっと考えがたい鬼畜のような発言があるが、あれは「実際に会うと彼らがそういう人間なのではなく」
「現実の人間から学ぶこと」を喪失した姿であり、愛も憎しみも抽象化してしまってるとおもう。
かくいうおれ自身、身近な家族にすら、優しくすることも、尽くすこともできない、人間であることを激白しておく!! >>898
>そのためには土台がなければムリだ。ではその土台が何かと問われれば、今ここに明確に表現できない。
どういう意味での土台?基礎になる金科玉条みたいな? 単純に気概になることとかかな
最近、チーホンの元でスタヴローギンの告白読み直したけど、もしこの章を重要視するならば、ドストエフスキーが求めていたキリスト教の在り方が、分かるかもしれない、なんて読んでて思った
そんなの思った人ますか? 「人間というのはたえず子供のように面倒を見てやらねばならぬ」
というセリフがあったよね。ゾシマ長老の >>902
どんだけ上から目線なんだよ!
たかが人間の癖によ!
死ねやキチガイ! 悪霊は5年くらい前に、前半の長々しい馴れ初め話で挫折して、最近になって再挑戦したら一気にすらすら読めた
何でかは分からないけど、タイミングってあるもんだと思う それにしても悪霊って死にすぎ
ドストエフスキーの作品って、自殺か殺されるか病死何でもあって、よく死ぬw 白痴は新潮の木村浩訳より河出の望月哲男訳の方がいいな
木村訳はきれいすぎて上っ面だけをなぞってる様な気がして文章が頭に入ってこない
ちなみにこの2人トルストイのアンナカレーニナも訳してるけどこれは真逆で木村訳の方がいい
望月訳アンカレは少し格調が低くてハーレクインみたいになってる >>910
> 白痴は新潮の木村浩訳より河出の望月哲男訳の方がいいな
> 木村訳はきれいすぎて上っ面だけをなぞってる様な気がして文章が頭に入ってこない
おれは最初米川正夫訳カラマーゾフから入ったんだ。とても好きでぜんぶ米川正夫でそろえたんだ。でも白痴だけたまたま新潮の木村浩だった。
そしてこの美しい翻訳がダイスキなっちゃった。
「たぶん最初に読んで感銘を受けた作品の翻訳文が基準になるのでないか?」
俺の場合だと「カラマーゾフ」「罪と罰」だったら米川、「白痴」だったから木村と? 違うかな? ぐぐってみた
------------------------------------
E.H.カー「ドストエフスキーの作品のうちで最も深い悲劇的な作品で、他の傑作にはみられない清澄さにつらぬかれている」
トルストイ「これはダイアモンドだ」
木村浩訳は、やや硬質であるが思索的で格調高い日本語であることを特徴とする。最近の望月哲男訳も優れた訳であるが、やや会話的である 持ってるドストエフスキーは新潮で読んできたんだけど、翻訳者によって受けるニュアンスって結構変わっちゃうのかな?
あまり気にしてこなかったので、損してるのかもしれない 159 名前:呑んべぇさん [sage] :2017/06/06(火) 03:36:15.36 ID:FJcsV8Gr
水割り4杯程度で酔うなんてねえよな!
いま目の前にバンクリンクが踊ってるけど普通だよな!
もちろん俺は全裸だ!
チンチンは萎んどる!
絨毯が揺れてバンクリンクが踊っとる!
酔ってねえよね!
4杯程度で酔うわけがねえ!
ガハハハ!
さっきまで
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
と叫びながら中腰で腰を前後に振っとった!
水割り4杯程度で酔うわけがねえよな!
酔うわけがねえ!
ガハハハ! >>913
変わるっちゃ変わる、もちろんコアな部分は同じだけど翻訳者によって細かい訳語のチョイスやニュアンスは異なってくるからね
ドストとは関係ないけど村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』なんか読むとよくわかると思うよ
あとはデカい本屋で『地下室の手記』辺りを江川訳と安岡訳で読み比べてみるとか 「人間というのはたえず子供のように面倒を見てやらねばならぬ」
というのは
ゾシマ自身を含めて、言ってるんやでぇ〜
だから、切り文で、その一文だけを見て、直感的に印象で言ったらダメなの 江川先生訳はスタキリ、スタチホ、キリピョー と言った密室思想戦の迫力もあるからね
ワダイヲカエマショウのステパン先生のシーンがコントめいた調子なのに対して、
思想戦の時は緊迫感を漂わせて雰囲気が全く変わってる >>909
悪霊は、たしか作中で10人近く他殺自殺が出て、
5大長編の中では一番多かった。次に多いのが未成年だったかな?
スタヴローギン、シャートフ、キリーロフ、レビャートキン、
マリヤ、リーザ、それにシャートフの妻と赤ん坊、マトリョーシャ
まだほかに誰かいたかな 悪霊のスタヴローギンの告白読み返すのに、新潮以外を買ってみるかな
さすがに今はまだ、悪霊全てを読み返すのは精神的にもたなそう
>>920
悪霊は、ステパンだけがいい死に方だよね
みんな何処と無く憐れな最後 442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/27(水) 11:11:21.15 ID:ouB6wRYe
2日で飽きた知合いがいる
あれから5年
マリーナ代金だけは払い続けてる
でもこんなの普通だよな
443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/28(木) 12:01:07.08 ID:TWGwwUJV
>>442
普通だ
444 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/31(日) 05:50:19.38 ID:K9IsAo6b
大抵は1週間程度で完全に飽きる
これは鉄板事項だ
例外はない
あとはマリーナへの寄付金納めに徹する
448 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/03/22(火) 05:10:47.47 ID:RaVfcME8
>>444
当然だ!
449 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/03/23(水) 10:03:13.01 ID:p39Gz2Rd
>>444
1週間も持たないだろ
1回乗ったらもうあとは乗らない
俺は1回乗ってからもう8年は乗ってない 御朱印頼んだら坊主の態度が悪かったんで300円を顔に投げ付けたったわ!
当然だよな!
キチガイ坊主なんだからよ! 五 アーメン・アーメン
長老が庵室を出ていたのはおよそ二十五分くらいだった。もう十二時半を回っているのに、この集まりの主要人物たるドミトリイ・フョードロヴィッチはいまだに姿を見せなかった
-------------
ミーチャの影響受けて、俺もよく遅刻した。ミーチャみたいでカッコいいと。 見受けるところ、ミウーソフも熱心にその話に容喙しようと
していたのだが、この時もまた彼は運が悪かった。
どうやら彼は二流どころの役割しか当てがわれていないらしく、
彼のことばには答えるものもあまりなかった。この新しい情勢が、
しだいに鬱積した彼の癇癪を、ますます募らせるばかりであった。
彼はもう以前からイワン・フョードロヴィッチと学識のせり合いを
していたのだが、相手の示す粗略な態度を、冷静に我慢することが
できなかったのだ。『少なくとも、今日までわれわれはヨーロッパ
における、いっさいの進歩の頂上に立っていたのに、この青二才が思いきりわれわれを軽蔑してやがる』と彼ははらの中で考えた。
----------------------------------------------
今も2ちゃんのスレで、おれもミウーソフになっちゃう。ミウーソフみたいな扱い受けて、脇役にまわされて、おんなじキモチなっちゃう! 「あんたがさっき『いとしげに接吻しぬ』の後ですぐ帰らないで、
こうした無作法な仲間といっしょに踏みとどまるようになられた
のはどういうわけでしょうな? それはほかでもない、あんたは
自分が卑しめられ、侮辱されたような気がするものだから、
その意趣返しに、一つ利口なところを見せつけてやろうと思って
踏みとどまったのでがしょう。もうこうなっては、利口なところ
を見せないことには、お帰りになるわけにはいきませんからなあ」
「またですか? なんの、今すぐにも帰りますよ」
------------------------------------
きのうも芸能板でミウーソフにされて「アホ扱い」されたから、「利口なところを見せるまで」「おれの偉大さをわからせるまで」決してスレから出て行かないと、決意した!! フョードルの印象は無神経で、おおよそ知性や理性とは無関係の人かと思ったけど、意外と名言めいた言葉とか相手の心情をよく読んでいる
「オレにとっては、ブスなんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分が備わっているんだから」
カッコいい おまえら最低だな!
恥を知れ!せめて顔を隠すもんだろ!アホ!
80 名前:本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 [sage] :2017/06/11(日) 13:35:54.26 ID:wtqS++/v0
110 名前:萌える名無し画像 [sage] :2017/06/11(日) 04:31:36.69 ID:b0lIJpIJ0
https://pbs.twimg.com/media/CDrHNO3UEAAJXKc.jpg >>931
おまえ、何がしたいの w? 俺達のハイレベルなカキコについてこれないから嫉妬してんの?
お前はミウーソフの生まれ変わりや >>929
> 「オレにとっては、ブスなんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分が備わっているんだから」
>
> カッコいい
オレもこの言葉印象に残ってる、そして「実際そのとおり」「真理の中の真理」だと
おもう、年取った今
ところで、この言葉は、どのあたりに出てくるのかな?翻訳の違いで該当箇所を検索できなくて >>933
実は、ネットで翻訳関係なく拾ってきただけなんだ、でも気になるので探してみたよ
意外と記憶ってのは覚えてるもんだった
ぼくが持っているのは、新潮の原訳になるけど、目次は同じはずです
第3編、好色な男たち、コニャックを飲みながらで、フョードルとアリョーシャの会話
「俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ…」
新潮ならp335ってとこかな 新潮かちくまは全集収録作全て文庫化すればいいのに、ドストならペイ出来るだろ
ステパンチコヴォ村とか文庫になれば「ドスト=重苦しい」みたいなイメージは変わると思うがなあ 何でも文庫で買うようになって10年くらい
やはり何かの待ち時間とかで持ち運べないと嫌になった そう言う点で新潮は結構、古典も多いから助かる 論争はその瞬間ひたとやんだ。が、長老は以前の席に着いてから、さあ続けてください、と勧めるように愛想よく一同をみまわすのであった。
このひとの顔のありとあらゆる表情をほとんど研究し尽くしたアリョーシャは、このとき彼が恐ろしく疲れ果て、強いて自らを支えているのを明らかに見てとった。
近ごろ彼は力の消耗のため、ときどき卒倒することがあった。その卒倒の前と同じような青白い色が、今彼の顔に広がっている。くちびるも白けていた。
しかし、明らかに彼はこの集まりを解散させたくない様子であった。そのうえに、何かまだ目的があるらしい、――が、どんな目的であろう? アリョーシャは一心に彼に注目していた。
------------------------------------
ぼくは、このところの描写を心を込めて手入力した。なぜなら、アリョーシャが師を愛し、その精神力を信頼しきり、なおかついっさいの真理を「その顔から読み取ろうとする」様子に、心がふるえるからだ。
そして自分自身がアリョーシャの気持ちになって、こう自問した。
「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
「彼にはどんな目的があるのかな?」 「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます」図書係の高僧ヨシフがイワンを指しながら、長老に向かってこういった。
「いろいろ新しい説が述べてありますが、根本の思想は曖昧なものでございます。この人は教会的社会裁判とその権利範囲の問題について、一冊の書物を著わしたある聖職の人に答えて、雑誌に論文を発表されたので……」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いておりましたよ」長老はじっと鋭い目つきでイワンを見つめながら答えた。
「この人はきわめて興味深い観点にたっておいでです。」と図書係の高僧は語をついだ。
「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離をぜんぜん否定しておられるらしゅうございます」
「それはめずらしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに尋ねた。 >>934
> 第3編、好色な男たち、コニャックを飲みながらで、フョードルとアリョーシャの会話
> 「俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ…」
> 新潮ならp335ってとこかな
お礼が遅れてごめん。ありがとう >>939
>「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
>「彼にはどんな目的があるのかな?
これに関しては、ぼくは軽い意味として捉えているよ、フョードルの為(意図)、それと普通なたわい無い時事問題を楽しもう くらいの興味があったと思う
きっと、あなたが求めている答えとは違うだろうけど
ぼくは、ゾシマのそういう普通的な所、つまりは俗物的に誰とでも団欒も好む普通の人格と、聖人として指導者的宗教家という人格の二律背反的なとこが人間らしきくて好きかな
ドストエフスキーのキャラクターの魅力は、ずばり人間味にこそあるとおもう しっかし、教師が学校の女子トイレにカメラ仕掛けたり、
医師が内科検診中にコソーリ撮影してたり、
合宿施設の従業員が、脱衣所で隠し撮りしてたり、・・・
連日山のように盗撮ニュースが流れてるが、これでも氷山の一角なんだろうな
今じゃ、レンズの直径なんて1_くらいだし、発見されてるのは稚拙なやり口のやつだけ
そのバレてる中でも、実際に通報されるケースは一部だし、
その通報されてる中でも、実際に逮捕されるケースも一部
報道にまで至ってるのは僅かだろうね
そう考えたら、盗撮犯1人発見したら、1000人は居ると考えた方が良いかも知れない
もはや、盗撮被害に遭っていない女性なんて0に等しいだろうな >>942
半日前からレス把握してる、猛烈に疲れて,返事書けないんだ
下準備ないと、書けない
>「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
>「彼にはどんな目的があるのかな?
カラマーゾフの中に、その答えが書いてあった記憶がある。それは途方もなく深い意味があるんだ(そう記憶してるし、当然そうなのだ。なぜなら一人の生命の森厳を見極めゆく師であり、万人を更生させる秘訣を所持する師であるから)
だが、君のレスはいつもぼくを喜ばす。それで早く何か書かないと、と思いこの駄文を投稿した。 カラマーゾフのフェラポント神父が
「ここの連中はパンから離れようとせん」って言ってましたが
人によってはパンって不浄な食べ物なのですか? ゾシマ長老の病状は重く、会合のあったときには自分の死期を明らかに悟っていた様子でした。
それに庵の中に人を集めたのも僧院では例のないことだったはず、ただ楽しみのためだけではなく、
会合についてゾシマ長老に思惑があったということは色々なところで示唆されています。
彼にはどんな目的があるのか、という会話もそれを補強してますね、小説的にいうと。
ゾシマ長老がミーチャの足元にぬかづいたのもミーチャの運命を暗示しているようですが、
後編の内容からさかのぼるとして、ミーチャが無実の罪を受け、その後イヴァンの手引きで脱出するだけなら、
ゾシマ長老がこうした行動にでる理由としてはすこし足りないという気がする。
ドストエフスキーにはこれを書いたときすでに続編の構想があったのかもしれない。
「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
聖書におけるパンというのは人間の糧そのものです。
フェラポントのいうパンとは衣食住の食の部分に固執してはいかんということでしょう。
キリストはその比喩を昇華させて、自分こそ命のパンだと教示しました。
だから、礼拝ではワインとパンがでてきますね。 >>944
なるほど。そういうわけですね
わかりやすいです。ありがとうございます。 アンカミスです。すみません。
>>947さん宛です >>945
ここでのパンは物質的な欲の事を例えてる
キリスト教でよく使われる例え話だよ
何を食べるとかばかり執着しないで、もっと大切な物のため(精神的な幸福や信仰)を見よう、ってところかな >>947
ありがとうございます。あなたが枠組みを書いてくださったので、記憶がよみがえりました。
> ゾシマ長老の病状は重く、会合のあったときには自分の死期を明らかに悟っていた様子でした。
ゾシマの「病状は重く」「自分の死期を明らかに悟っていた」ここがきわめて重要でないか。ゾシマがアリョーシャに語る、ひとことひとことは、皆ことごとく「遺言」である。一見して笑顔で機嫌よく見えたとしても、冗談を言っていたとしても、その外面に騙されてはならぬ。
> ゾシマ長老がミーチャの足元にぬかづいたのもミーチャの運命を暗示しているようですが、
----------------------------------------------
七 野心家の神学生
アリョーシャは長老を寝室へ助け導いて寝台の上へかけさせた。
それは、ほんのなくてはならぬ家具を並べただけの、ささやかな
部屋であった。寝台は幅の狭い、鉄製のもので、その上には蒲団
の代わりにフェルト毛布が一枚だけ敷いてあった。片隅には、聖
像の前に経机がすわっていて、十字架と福音書とが載せてある。
長老は力なく寝台の上に腰をおろしたが、その眼はぎらぎらと光って、
息づかいも苦しそうであった。坐ると、彼は何か思いめぐらすように、
じっとアリョーシャを見つめるのであった。 ドストエフスキーで、度々目にするヴォルテールを一冊読んでみようと思い、寛容論を選んでみた
世界史のように長々しい文章と説話を読んできて、「徳は知にまさるべし」の章に着いた時は、プラトン(国家)の「思惑と知識は別物である」を想定した
そして、カラマーゾフの兄弟でアリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」の箇所を思い出し、この言葉の意図に近づけたと思っている
ぼくたちは、「卵を割るのには大きい端か小さい端か」で争うように、同じ結果を求めるのにやり方が違うと争っていると思う
何でも揉めている問題は果たして、時には虐殺をも必要とするような問題なんだろうか、血でしか贖えないような問題など存在するのか、
なんて勝手に思った事書いてみた 「行ってこい、行ってこい、わしのところにはポルフィリイが
ひとりおったらたくさんじゃで、おまえは急いで行くがよい。
おまえはあちらで入用な人じゃ、僧院長のお食事《とき》へ行
って給仕するがよい」
「どうかお慈悲でもって、ここにいさせてくださいまし」と、
アリョーシャは祈るような声で言った。
「いや、おまえはあちらのほうでよけい入用なのじゃ、
あちらには平和というものがないからなあ。
給仕をしておったら、何かの役に立とうかもしれぬ。騒動が始
まったらお祈りをするがよい。それにな、せがれ(長老は好んで
彼をこう呼んだ)このさきここは、おまえのいるべき場所では
ないぞ。よいか、それをよく覚えておるがよい。神様がわしを
お召し寄せになったら、すぐにこの僧院を去るのじゃぞ。すっかり
去ってしまうのじゃぞ」
アリョーシャはぎくりとした。
「おまえはなんとしたことじゃ? ここは当分おまえのおるべき場所でない。
おまえが俗界で偉大な修行をするように、今わしが祝福してやる。
おまえはまだまだ長く放浪すべき運命なのじゃ。それに、妻も持たねばならぬ。きっと、持たねばならぬ。
そして再びここへ来るまでには、まだまだ多くのことを堪え忍ばねばなりませんぞ。 手作業で改行するしかないのかね?「長すぎる行があります」エラーで苦しんで
何か策があるかググってるが、理解できん。引用箇所を絞るべきだろうが、
読み手が、必ずしもカラマーゾフを暗唱するほど精通してるとは限らないと思い。 いつもカキコ作成完了後に、2ちゃんの形式に合わせる部分で、苦労する。
カキコといっても、ほとんど引用だが。しかし単純コピペではない。おれの魂に響く米川文でなければ、納得ゆかん。
>アリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」
あったね! まるで「自分が実際に経験したこと」「自分の青春時代の一こま」のように感じる。自分がツレと会話したかのような、混乱した記憶だ。
「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね? なんスレか前に、まだカキコしない前に、「目が悪いから読めない」と愚痴ったら
誰かが一喝してくれた。それをいま感謝す。困難があっても、無理やりでも書けばいいんだ!
なぜなら、「書くに値するからだ!」「読むに値するからだ!!」カラマーゾフは。
世界的に評価が高いから、というのもある。でもそれ以上に大事なのは、おれが思春期に読み込んだからだ!
すなわちそれは、自分自身の青春の日記帳だからだ!! さっきのゾシマのセリフ、途中なんだ。これからが大事なんだよ。
このままだと、無際限に、だべっちゃうから、やめるよ?
だいぶん先になるけど、カキコすんね。
みんなのカキコ楽しみにしてるから!! 面白い解釈だか、きっと、読んだ本が同じだったか、傾向で同質の本を読んでいたのか
ただ解釈からくる嗜好がにているんだろうか >>969
ミーチャが遅れても待ってただけは待ってるよ 教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
誰かが解説してくれたらうれしい >「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね?
ああこれは、あまりに遠い昔に読み込んだものだから、書物の中の言葉ではなく、このセリフを実際に自分が言ったものと感じてしまったんだ!?
「どうして君は、このセリフを知っているんだ?」と。
ごめんね。あまりに気が狂ったカキコだな。 気になる箇所が似てるね
人によってスルーしてる言葉が、自分には凄く気になったりする 不思議だ
>>963
>教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
>誰かが解説してくれたらうれしい
誰の、どの辺の事? >>965
> >教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
> >誰かが解説してくれたらうれしい
> 誰の、どの辺の事?
僕が前引用した、下の部分さ
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「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます」図書係の高僧ヨシフがイワンを指しながら、長老に向かってこういった。
「いろいろ新しい説が述べてありますが、根本の思想は曖昧なものでございます。この人は教会的社会裁判とその権利範囲の問題について、一冊の書物を著わしたある聖職の人に答えて、雑誌に論文を発表されたので……」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いておりましたよ」長老はじっと鋭い目つきでイワンを見つめながら答えた。
「この人はきわめて興味深い観点にたっておいでです。」と図書係の高僧は語をついだ。
「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離をぜんぜん否定しておられるらしゅうございます」
「それはめずらしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに尋ねた。 <ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた
原文は青空にないのでうろ覚えですが、このあとに、そのため、その愛は不十分だったようですと続くはずです。
神を信じなければ愛は不十分というところには人によってはキリスト教徒の傲慢と見る人もいるかもしれない。
そういう意見もあるでしょうが、私は違う意見です。
アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
<教会的社会裁判
原文まで引っ張り出して色々あたってみました、久々にちょっと勉強した気になりましたw
裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
直訳ですがそれで原文のニュアンスは崩れない。日本語の表現としてはやはり硬いので、亀山郁夫はこの部分でずいぶん苦心したんじゃないですかね。
ロシア正教のことには詳しくないですが、教会には教会の法というものがあって、それは国家の定める法律とは別のものです。
イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
それがかなえば「教会と国家という別個な二者の本質の混淆」はおのずと解消される、ざっくりいえばこうなるでしょう。
このスレでも時々いますし、詳しい人がいれば正確なところを教えてくれるかと。 >>967
確かに、理神論で有神論ではないために、ヴォルテールはアリョーシャから「あまり…」と、見られてる
けれども、かれの著作内では、はっきり神を認めてると断言してるし、ぼくも読んでてそう思った
「戦争や殺戮はなくならないのかもしれない。曲がりなりにも現在が平和ならば、そんな時こそお互い憎まずいよう」
「この本を読んで、読書が少しでも人に優しくか寛容かになれる事を願っている」
ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう >そのため、その愛は不十分だったようです
そうです、そうでした。脳から検索・引用とはさすがです。
>>968
> ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
実際に読んだあなたには誰もかなわない。先のベーコンの彼の場合といっしょだ。歴史上の偉大な思想家であるから、ヴォルテールにせよベーコンにせよ、ぼくたち凡愚には到底考え及ばない思想の宇宙があるのはまちがいない。
とはいいながら、僕らが愛し信頼するアリョーシャが「その愛は不十分だった」というなら、スンナリ信じてしまう。 >裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
あなたの文に学んで考えると、「教会社会における裁判」みたいな?
>イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
まとめ、ありがとう。理解に資した。
それの意味するところは、カラマーゾフの第六編、アレクセイがまとめた「ゾシマの説教」の中に、明快に説明されていたと記憶。 ※カラマーゾフを語るにあたっての2ちゃん論
2ちゃんでは、顔と顔を合わせて、しゃべってるのではないのである!
文字だけなのである。相手の考えに反駁しよう、それは違う!とおもったときに
衝突を恐れれば、無難な、相手の気持ちに合わせたカキコしかできなくなるのである!!
むしろ衝突前提にカキコすべきである。そのためにこそ
「オレお前」は発明された。これは大いなる知恵である。 もう少し補足すると、教会的社会裁判を原文にあたると、
церковно-общественном суде
となります。あえて柔らかく訳すなら、教会社会における裁判となります。
この部分はちょっと直訳しすぎですね。ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
それで、церковно-общественном судで検索してもカラマーゾフの原文しかヒットしないのをみるに、こういう語彙があるわけではないようです。
おそらくЦерковный суд(教会裁判)のことでしょうが、日本語でこれを解説してるところはぱっとあたるだけではみつかりません。
ロシア語のWIKIはちょっと専門的な用語が多すぎて私の手におえません。
正直歴史にも正教にも詳しくないもので、おそらくカトリックの教会法に準ずるものがあり、また教会内に裁判がある、くらいしかわかりませんね。
ちょっと脇道にそれますが、今年四月にロシアでエホバの証人が過激主義団体に認定され、活動が禁止されました。
エホバの証人の印刷物でロシア正教の教理を批判したことが原因です。
今のロシアでも政治と宗教の関係は密で切り離せないもののようですね。 カラマーゾフの兄弟 における国家と教会の問題 - 木寺律子 著
http://yaar.jpn.org/robun/bulletin39/051-057kidera.pdf
要約
1.イヴァン・カラマーゾフの論文と修道院での論争
イヴァンは,まず,西欧やロシアにおける国家と教会の関係を説明する。イヴァンによると, 国家と教会という別々にあるふたつの基盤の混同は永遠に続く
ローマ帝国は,キリスト教国となったときに単に国家の中に教会を編入しただけ
で,ローマ帝国の政治そのものは異教的な伝統の上に立っていたからである。 例えば裁判において,国家と教会の間の妥協は厳密には不可能である。教会は国家
の一部であるべきではなく, 反対に,教会こそ自分 の中に国家全体を含むべきである。
イヴァンはさらに,もし一切が教会となれば,教会は犯罪者を流刑や死刑にせず,単に破門するにとどめるであろうこと,そうなれば犯罪者は人々から離れるだけでなくキリストからも離れなくてはならないこと,
しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。
イヴァンは国家と教会の関係というヨーロッパの歴史上の大きな問題を扱うにあ
たって,主に犯罪や裁判の問題から考えている。
-------------------------------------------------------
※コメント
カラマーゾフ本文からそのまま引用されてるみたい。いまコメント思いつかないがゆえに、オレもそのままコピペ。 >ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
-----------------------------------------------------
あなたも米川?そうです。まさにリズムであり躍動ですよね!とはいいながら、他の訳文から入った人もいるわけで、押し付けるわけにゆかんし、もどかしいところだよね >>968
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう
きみぼく、あなたわたし、オレお前―――― どれを使って呼びかけようか迷ったが
「あなた」にする
あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう? >>972
反駁する者は、相手を納得させるか、もしくは第三者が納得できるだけの理屈を述べなければいけない、これは自分で心掛けてる 特に主観を言う時は必ず
論には論を付けて返す、とても単純だけど重要だよね
2chで見れば、他のスレッドと比較するならば、ドストスレは結構いい方になるんじゃないかな
対立の中にも、相手を論理的に認めてる人もここではよく見かけるし
言い方は悪いけど、人格否定と嘲笑で反駁した気になってる自惚れ屋には口論こそ望ましいし、2chスレにはとて多くいるしね
もちろん、あなたのいうと通りに、衝突を恐れる事は愚かだし、衝突しなければ止揚はない
まるで無神論者が一番の信仰者に変わるように
ちなみに、キリーロフが有神論者になったら最高のキャラクターなのに、って思うんだ >>977
>あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
>ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう?
イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
肯定も否定もできず、解決がない
神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
「本当に人間味があって」ひかれるんだ
そこがアリョーシャとの違いでもある
アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
呼ぶ方のご配慮ありがとう >>973
その話にある、一つのキリスト教の宗派が禁止された現在のロシアは、まさに「教会が国家に変わる」理論の正反対を行ってるね
教会を国家の母体とする事が正しいならば、国家は宗派に干渉すべきではなくなる
そして、教会が国家を内包するべきだっと言った真意には、善悪(倫理)として犯罪を抑制するにはキリストの救いが必要条件とした
宗教をあまりに政治化してしまうとまさに以下にある、
「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
これを進んでやるようなものだよ >そのため、その愛は不十分だったようです
さすがに自信がないですが、この台詞のときアリョーシャは顔を赤らめていたのではないでしたか。
思想にかぶれた青二才がいうようなことをいってしまったことへの羞恥かと、台詞だけとれば考えるのが普通でしょうか。
しかしこれはアリョーシャですから、分不相応なことをいったという意識があったと考えるのが妥当でしょう。
たとえば、私はそういうところに出くわしたことはないですが、ドラマか何かのように、始終「私を愛してる?」と相方に問い続ける女の子がいるとして、
その子にとって十分な愛とはどのようなものでしょう。
あえてそういう視点に立って、宗教にとっても人間にとってもつねに誠実でありつづけるアリョーシャにとって十分な人類への愛とはどのようなものでしょう。
そもそも、敬虔なキリスト教徒であればその愛が十分になるのでしょうか。
もし重く考えようとすればこの問題はそう簡単には片付きませんし、議論にはしっかりとした前提が必要です。
ですがこの部分は軽く考えていいと思いますね。
アリョーシャの台詞に意味深長なところはありません。コーリャの背伸びした台詞にたいして、真面目に受け答えしただけだろうと思います。 >>980
> 「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
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この人たちは 僕の運命のために,僕の養育のために,僕の教養のために
,僕をよくするため,僕を人間にするために,何一つしてくれなかった。
この人たちは僕を食べさせもせず,飲ませもしなかった。
裸で牢獄にいる僕を訪ねもしなかった。そして僕を懲役に送ることにした。
僕はこれで勘定を済ましたから,今では彼らに少しも負うところが無い,
永久に誰にも負うところはない。
彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
誤れる裁判、フェチュコーヴィチの弁論より
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この気持ち、痛いほどわかる。というより、ほとんど大半の犯罪者は、皆こう感じているのではないか??
社会も2ちゃんねらーも、ときに地獄の側面を見せないか?
孤立し、犯罪に近縁となったものにとって、社会的弱者、重篤な病で死に近づいているものにとって?
(作文を論理的に書けません。が、気にせずそのまま投稿します) ミーチャの気持ちを推定した,この弁護士の言葉通りに
まったくそのまま同じに、自分も考えたものです! >>981
果たして問いにある「前提」になるかはわからないけど、アリョーシャの愛については一つの傾向がある
それは常に聞き手であった、ということ
有名な大審問官もイワンの聞き手であり、ゾシマからは説話の聞き手、グルーシェニカやラキーチンやパイーシーやもちろんフョードルとミーチャも
聞き手に徹して、相手を肯定してあげている
セリフを注意して読むと、アリョーシャは結構相手の言った事を復唱して、自分の言葉で言い直してるんだ(フョードルとの会話は特にそう)
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ではないだろうか?
だから、キリスト教徒と言うだけで、侵害するキリスト教徒なら愛とは呼ばないだろうね >>982
>彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
>彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
人間的に、もしくは道徳的に間違っていると言われるだろうけど、ぼくもまったくそう思う
安易でとても受け入れやすいけど、スメルジャイコフになりかねないね >>984で言っといて思ったんだけど、
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
続編があったらと、本当に思えるよ >>986
> 「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
(アリョーシャはいっさいにおいて受け止めると、万事につけてあなたに譲歩すると
いう。しかし「根本の問題は別ですよ」と)
「アリョーシャ、あなたはわたしに従うつもりなの? そんなことも前にちゃんと決めておかなくちゃならないわ」
「僕は、喜んでそうしますよ。だけど、根本の問題は別ですよ。根本の問題については、もしあなたが僕に一致しなくっても、僕は義務の命ずるとおりに行なうから」
中略
....もっとも、わたしはひどく立ち聞きしたくてたまらないんですが(それはわたしにもわかっています)、でもやはりしませんわ。だって、それが卑しいことだってあなたはおっしゃるんでしょう。今、あなたはいわばわたしの神様みたいな人よ。 「ところがね、今そのうえに、僕の大切な友だちが行って
しまおうとしているのです。世界の第一人者がこの土を見
すてようとしているのです。僕がどんなにこの人と精神的
に結びついているか、それがあなたにわかってくださった
らなあ! あなたにわかってくださったらなあ! しかも、
僕は今、たった一人でとり残されようとしているのです……
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長文引用どもw アレクセイとイワンの最大の違いはココだと思う↑
> ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
コーリャは未来だから! >>979
> イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
> 肯定も否定もできず、解決がない
> 神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
> 「本当に人間味があって」ひかれるんだ
> そこがアリョーシャとの違いでもある
> アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
> 彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
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気取った言葉はやめる
イワンもアリョーシャも、ドストの脳から出てきたのである!
僕達は(君と僕は。イワンとアリョーシャじゃないよ? 当たり前かw)
ぜんぜん違う人間なのに、同じようにドストとカラマを熱愛するんだろうな!?
そして、確かまったく同じ翻訳テキストを読んだのに、君はイワンを「人間味があってひかれる」という。
ぼくは、アリョーシャに親しみを感じる。
この違いは、どこから来るのかな? この違いこそ、大事だと思う。
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いまこのスレで3人くらいに減っちゃたね? アラシ君さえいなくなったね。
この3人という数は... 実に素晴らしいね。このような魂の著作を取り扱うには、丁度いい。
この読書会において、きみらふたりを自分自身と同じくらい信頼している。カラマーゾフの精神的遺産を継承していこう。 <アリョーシャ
まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
依然由木康さんのヨハネの福音書解説で見たのですが、キリストは神の子であり、また人間でもあった。
では人間であるところのイエスキリストの他の人とはなにが大きく違ったのか、というのを語っていましたね。
人間イエスキリストが決定的に人と違っていたのは、弁舌の才でも、独自の思想でも、旧約の言葉を昇華するアイデアでもなく、
あらゆるものを愛することができた、という一点です。
人間の愛には限界があります。しかしイエスキリストの愛には限界がなかった。
キリストは普段は控えめに、隣人を自分自身のように愛しなさいと教示しましたが、自身は自らの敵さえ自分以上に愛することができた。
アリョーシャがそれほどの偉人だといいたいのではなく、たくさんのものを愛しうるということは、とても大きなギフトだと言いたいのです。
誰からも愛されるものは、誰をも愛せる人だけです。 三兄弟のうち誰に共感を覚えるかというのは、人によってずいぶん違いますね。
私もイヴァンが人間くさいというのはとてもよくわかりますし、正直棄教と信仰とのあいだで立ちつくしているイヴァンについてはもどかしいとか、もう少し頑張れないかと思ってしまう。
これは私が、イヴァンのように思想的な問題を深刻に抱えたことがないので、共感が薄いのかもしれません。
アリョーシャの行動原理のようなものには、強い共感はありますが、これはかなわないな、と思うことが多い。
感覚的にはこの二人ともに少しづつ共感を覚えますがややイヴァンより、という感じかな。
そういうチャートがあるわけではないので、どっちよりと言ってもあまり意味はないですが。
ミーチャについては正直全く共感できないですね。どうあっても自分がミーチャのように軽薄にも、勇敢にもならないだろうと。 悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネのもく
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」 途中で押してしまった
悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネの黙示録かな
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」
スタヴローギンに言うセルフだけど、ミーチャにあて嵌るよね
卑劣と高潔が共存するキャラクター 携帯だからか次スレッド建てられなかった エラー?
建てられる人はよろしくお願いします この際なので言っておこうかな。
次のスレッドではこういう形で自分の意見を言わないかもしれません。
私が沈黙するのは、自分の愛の限界を意識するときです。
なんて、かっこつけてみたりして。おつかれさまでした。 スレ出来てた ありがとう
あなたの意思は理解したし、沈黙の意味も分かる気がする 気が向いてタイミングだったらまたレスしてね >>990
> まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
> イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
>
> おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
> アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
> カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
> 最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
> 小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
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まずこの前段の部分について
全部そのとおり。ただし、「アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人」
ここは異見あり。
ぼくは、アリョーシャとは自分自身だと思っている。盗み、犯し、働かず、人を愛さない、その自分が、それでもなおアリョーシャだと思っている。
思春期に最初に読んだ時から、例えばゾシマがアリョーシャに言う言葉はすべて自分に言われたと受け取ってきた。
ギフトというよりも、むしろアレクセイが振舞ったごとく振る舞えば、即時に自分がアリョーシャと同等になるんだと。
ゆえにすべてにおいてアリョーシャと同じように、その方向へ人生を持って行こうとした。
具体的なことが書いてないから、わかりにくいけども。 フョードルのようなみんなの嫌われ者もいい所がある、と思えるようになったらアリョーシャになれるかもしれない
ここでの意味は本当に心からという事 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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