>>411
> だれの前にひれ伏すべきか?ということにほかならない。自由の身でありつづけることになった人間にとって、ひれ伏すべき対象を一刻も早く探しだすことくらい、絶え間ない厄介な苦労はないからな。
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これを平たく言うと、「何を信仰するか」という表現の方が、しっくりくる
> 大審問官で言う 人間は自由意思という最高の贈り物
> を神から授かった しかしこれ以上の苦痛はない
> 自由意思って何だろう?

幼児の時、赤ちゃんの時、母を信じ切り、そこに怯えはない。もし優しい母親であれば。
しかし、物心ついて、恥を知り、苦痛も生まれる
大人となり、もしそこに確固たる信仰がなければ、禽獣同然の姿となる
いまだ、第一編までで、「大審問官」到達まで時間かかるけど、いっしょに考えて参りましょう!

> 人神論あたりに答えがありそうだけど、現実的に
> 誰の人生も生まれる前に定められ強制された環境
> が必ずあって、自由意思とは何か?
> といつも堂々巡りになる
> キリーロフ、スタヴローギン、ラスコーリニコフ、
> イワンと意思の強いものはすべて悲劇的な最後を送る

この中では、ラスコーリニコフの思考は、懸命に読んだ。4畳半の狭い下宿で。もちろん我らのイワンも

彼らはシェークスピア悲劇の主人公のように、力強く悲劇的な思考を
豊かな表現で考える

一見それらは俺ら一般人とは関係ないようにも感じる、しかしそれはちがうのでは?といま感じる
彼ら以上に俺たちは悲劇的なのではないかと?
それを考えさせてくれる よすがとなるのではないかと。ドスト作品は。
言葉という思考の部品を与えてくれたのでは、と